''経験は宝''ということ

根間あさ子 

 

「経験は宝」という言葉は北海道のべてるの家のキャッチフレーズの一つだが、1990年代の終わりにべてるのビデオ上映会に参加したことで私の精神保健福祉業界との再会は始まった。

私はすぐに地域の家族会でボランティアを始めた。

 先日、精神保健福祉士の資格を取るため学んだ専門学校に何年かぶりにでかけた。建物も教室もあの頃と変わらない佇まいがとても懐かしかった。
 なんとなく思い立って2015年春からの1年間の専門学校時代の日記を読む。良い時間を過ごしていたなと改めて思う。本当に一所懸命勉強している。そして学ぶことと並行して過去の体験(8歳と12歳での強制入院)を整理しまとめ、語ることを始めた。色々な人に機会を与えてもらい拙い言葉でおずおずと語り始め、自分の過酷な体験が支援職の人々の心を動かすことを知った。

 しかしそれは辛い作業でもあった。私は過去はなかったこととして忘れることで人生の大半を乗り切ってきた。その過去をあえて思い出し考察することはパンドラの箱を開けるような行為でもあり危険なことだった。胃腸に変調をきたしたり、フラッシュバックが起きたり、病気の再燃かと感じるような感受性の高まりと周囲の環境への違和感を感じることも多々あった。しかし、そのたびに人に助けを求め支えてもらい、なんとか乗り切ることが出来た。
 支援職としての心構えを教えてくれたのは、精神障害者の作業所の草分けとも言うべき所だ。そこでの実習はとても贅沢な学びの日々だった。創始者から直接話を聞くこともでき、担当の実習指導者もわかりやすい言葉で熱意あふれる指導をしてくれた。ともすれば当事者目線に偏りがちな自分が、上質な支援者たちの目がどういうものかを実践の中で知ることができた。そして国家試験に向けて勉強していたこの頃の私って一所懸命で可愛い。誰だって応援したくなるよなあって思う。そう、実際多くの人々に応援してもらった。
 今改めて思う。この当時から一貫しているのは、強制入院の体験の重みを生かした私らしい取り組みだ。これこそが私の強みなのだ。タフなジャーナリストの大熊一夫さんが3週間でギブアップするような劣悪な環境に、12歳の子供が1年間もいたのだ。人間不信に陥りながらも、いつ退院できるともしれない不安と絶望の中でとにもかくにも生き延びたのだ。
 私は過酷な体験を生き延びたサバイバーとして世の中に発信していかねばならないと思いを新たにしている。



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風化はさせない   国連障害者権利条約を指標として

(編集部から:この文は、2026年2月1日八王子集会「東京の精神医療体制を問う」なぜ旧滝山病院は生み出されたのか 開催発起人のひとりである加藤さんの思いを寄せてもらったものです。共有のため全文を掲載します)

特定非営利活動法人こらーるたいとう 加藤眞規子

 

滝山病院の患者さんと私のこと

 滝山病院の事件が起きて、私はいろんな人と誘い合って滝山病院に申し入れ書を持って滝山病院へ行った。看護の方たちは、「患者さんの最後の看取りをすることがそんなにいけないのことなのか」という。よくしてもらいたくて精神科を使う立場からすれば、最初からそういう意見がまかり通ってしまうのは違うのではないかと思う。東京都と厚生労働省に毎年申し入れを重ねてきた。都議会議員や国会議員の方々に理解し協力してもらうために集会を開いてきた。国連障害者権利条約を踏まえて、制度や法律を変えていかなければならない。 

 私は歳をとってから思いがけず膀胱癌になり、入退院を繰り返して、放射線治療を受けた。現在はストマーをつけて、身体障害者手帳をとり、腎臓内科と外科に通院し、訪問看護のサービスを週2回受けている。膀胱癌になって、治療を開始してすでに4年になる。ここまで元気にしてくれた病院、職場の同僚やメンバー、訪問看護、家族、友人やマンションの大家さん、こらーるカフェのお客様に感謝の気持ちでいっぱいだ。小さな腎臓に負担を負わせることになり、私の第一の関心事は、どれだけおしっこが出たか、お通じが無事にあったかということだ。それが無事にあると、私の気持ちは静かに満たされる。

 私は私大の社会福祉学科を卒業して、社会福祉分野で働き続けて、43年ほどになる。しかし「人はひとりでは生きていけない」「孤独ほど命を脅かすものはない」ということを、私に教えてくれたのは、「癌」であり、空気を吸うように全くあたりまえのものと思っていたおしっこやお通じの営みだった。逆にいえば、人工透析をしている人、心臓や高血圧の病気がある人を殺すことは簡単なことなのではないかというおそれを覚えた。

 実際に公立福生病院で起きた、長い間、人工透析を受けていたうつ病の44歳の女性がシャント(血液透析を受けるために充分な血液を確保できるように、動脈と静脈をつなぎあわせた血管)を作るために入院した公立福生病院で、「もう今のシャントが使えなくなったら、人工透析を受けることを止めたいと思っていた」と伝えた。公立福生病院の医師らが人工透析を中止することは即ち生命の終わりを意味することを充分に説明することはなかったようだ。苦しくなり、患者さんが「やっぱり(人工透析を)やって下さい!」と叫んでも駄目だった。生憎、患者さんの連れ合いは、体調を崩して入院中だった。

 腎臓が極めて悪くなっている私にとって、人工透析は他人事ではない。長い間人工透析を受けていれば、シャントを作る場所も手首とは限らなくなるかも知れない。公立福生病院のこの患者さんは首にシャントを作ることを提案されていたとも聞く。最終的には人工透析を開始するか否かは、「自分で決める」しかないのだろう。私は命に関わるほど重大なものとなったら、人工透析をしてもらおうと思っている。しかし服薬や食事のとり方、生活の仕方で現状維持が実現できる間は、今の治療方法でやっていきたい。「自己決定の尊重」や「尊厳死」「安楽死」の意味が命の切り捨てに繋がってしまった今の在り様は要注意であり危険だ。「生きよう!」という説得のほうがどれほど有難く、嬉しいかわからない。

 

生かさず殺さず

 厚生労働省と東京都へ、滝山病院事件のあと、陳情を重ねてきたけれど、答えというか対応はいつも同じようなものだった。精神障がい者や知的障害者は、「生かさず殺さず」に処遇しておればよいのだと考えているのだろうか。明らかに診療報酬の不正請求をした場合は、保険医療機関の指定取り消しという行政処分を行なう。

 何を問うても、個別の事案には答えられないという。例えば、旧滝山病院の元院長朝倉重延氏は、埼玉県にあった朝倉病院の院長でもあった。しかし200010月に内部告発があり、2001710日に、厚生労働省は保険医の指定を停止して、朝倉病院は閉院した。原則5年間は、再び保険医療機関の保険医としての指定登録はできない。けれども病院が違えば問題にはならないのだそうだ。

 旧滝山病院の死亡退院率が80%と聞くと、「異常だ!」と思わないのだろうか。治療内容や治療環境、看護の接遇、食事の内容等医療の中身には危惧することばかりだ。しかしこうした医療の中身については、厚労省は「監督はそれどれの自治体の責務であり、役割だ」と答えている。

 20242月から5月にも20数名の方が死亡退院している。こんなに多いのは何故だと疑義があった時、一刻でも早く退院支援なり調査が進まないと亡くなってしまう方がいらっしゃると思わないのだろうか。調査に1年、2年かかるという話ではなく、あるいは監査にいくかどうかではなく、命にかかわる問題であり、人間の尊厳の問題である。

 一方東京都は、「医療の安全性については、厚労省が一義的に調査する」という。また医療法では、死亡退院の有無は厚労省にあがってくる場面はないそうだ。

 病院という専門性の最も高いところにあって、命を預かり病気を治療する場所に対して、東京都も踏み込まない。「専門的な機関に対して、行政がとやかくいうべきではない」「退院させました。死にましたでは困るんだ」という。

 国は国で、死亡退院の高さを「それは知らなかった」「関知していない」といい、東京都は東京都で、「生かさず殺さず」のような姿勢である。どちらも公的機関の役割を放棄してしまったのか。

 医療や福祉に関係する仕事をしながら、旧滝山病院の死亡退院の異常な高さを見過ごしてきてしまったというか、何もしなかったということへの反省に基づいて、集まってきたという人々もいる。あまりに酷すぎる。これは行政への警告ではないか。

 あくまでも東京都も厚労省も診療報酬の関係からしか調査に入っていないという。医療の中身こそが重要なのに。精神医療の劣悪な状況が改善しない構造が明確になってきた。宇都宮病院でさえ存続している日本の精神医療だ。国連からの総括所見の中でも、「日本の精神科病院における死亡事例の原因及び経緯に関して徹底的かつ独立した調査を実施すること」が勧告されている。死亡退院に対する厚労省や東京都の態度は決して許されるものではない。

 旧滝山病院の一番問題になるのは、患者虐待を起こすような病院で透析医療がまともに行われているのかという点だ。そういう病院に透析医療を任せていたということも行政の責任だろう。透析は週3日、一日4時間ぐらいはかかると私も説明を受けている。

 救えた命が劣悪な環境の中で死亡してしまうような事態が起こらないような医療現場を保証していくにはどうしたらよいのだろうか。

 旧滝山病院は死亡率、死亡退院の多さが顕著であったが、他の幾つかの特徴は改善されたのだろうか。生活保護の受給率が非常に高いこと。非常に広域で四国地方や九州地方からも入院している人もいるそうだ。そして任意入院の高さ。任意入院で入院しているのであれば「退院したい」といえば退院できるはずだ。なぜできないのか。任意入院だけれど閉鎖処遇だったのだろう。こうした治療体制、医療体制の空洞化が長年放置されてきた。

 精神医療も一般医療の中にいれるべきだ。訴えても精神病のある人・精神障がい者の訴えは、制度的・実質的に差別され、まともに聞いてもらえない。長期の入院は重大な人生被害をもたらしてきた。強制入院制度を国連障害者権利条約は認めていない。

 東京都が一昨年5月に、旧滝山病院の71人の入院患者さんの転退院の希望を調査した時、39名の転退院の希望があった。そのうち18名の方々が転退院したそうだ。転退院を希望しながらできなかったのはなぜなのか。原因の究明が重要だ。障害者権利条約第19条はもとより、精神保健福祉法第2条の「国及び地方公共団体の義務」として、「精神障害者が社会復帰をし、自立と社会経済活動への参加をすることができるように努力する」との規定を順守する上でも、転退院ができなかった原因を究明することが重要だ。

 私たちが退院支援施設反対に取り組んでいた当時、厚労省に陳情に行き、私は発言したかったけれど、なかなか発言できなかった。最後の最後、2~3分、沖縄県のハンセン病療養所の愛楽園というところを会場にして、精神の関係者、障がいの関係者、ハンセン病の関係者が集まって話し合いをしたことを報告した。その時、部長であった方が「精神科特例を廃止したい」と話された。しかし結局未だ精神科特例は廃止されていない。

 旧滝山病院に残っている方々を安心・安全な場所へ移行する。いったいどんな治療・支援を受けているのか、私は訪問したい。時間をずるずるやっていて、その間に下手をすると腎臓の機能低下や、感染症で亡くなる患者さんもいるのではないだろうか。風化はさせない。

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医療DXにおける情報管理と懸念

福冨一郎 with Gemini(AI)

 

医療分野でのデジタル変革(以下、医療DX)は、私たちの医療体験をより便利にする可能性を秘めている一方で、医療情報の管理やプライバシーに関して、いくつかの重要な懸念も生じています。

 

<医療情報へのアクセスとプライバシーの懸念>

誰があなたの医療情報にアクセス(読んだり書き込んだり)できるのか

現在、あなたの医療情報、例えばカルテ(医師が診療内容を記録するものです)には、主に以下の人々がアクセスできます。

 * 医療機関のデータ管理者: 病院やクリニックのシステムを管理する人が、電子カルテなどのシステムを適切に動かすためにアクセス権を持っています。

 * システム開発者・保守担当者: 電子カルテなどのシステムを作ったり、トラブルが起きたときに直したりする会社の人が、その作業のためにアクセスすることがあります。

 * 医療従事者(他科の医師、看護師など): 緊急時や、あなたの治療に必要だと判断された場合に、あなたの情報を見ることができます。

しかし、将来的には、より多くの人があなたの医療情報にアクセスできるようになる可能性があります。例えば、障害年金や障害者手帳の審査を行う担当者、地方自治体の福祉職員、企業の障害者採用担当者、さらには相談員やケースワーカーといった各種支援職の人々もアクセスできるようになるかもしれません。

懸念されるのは、このように医療情報の利用範囲が福祉や就労支援といった場面にまで広がることで、あなたの情報がどのように使われるかが見えにくくなり、プライバシーが侵害されるリスクが高まることです。

「誰が自分のデータを見たのか」という問題

私たちは、自分の医療情報が誰に、いつ見られたのかを知る権利があるはずですが、現状ではその仕組みが十分に整っていません。

 * アクセスログの非公開: ほとんどの医療機関では、誰がいつどのデータを見たかというアクセスログ(閲覧履歴のようなものです)を記録しています。しかし、患者である私たちがこのログを自由に確認できるような仕組みは、まだ整備されていないのが現状です。

 * 情報漏洩のリスク: もし、本人確認が不十分なまま医療情報へのアクセス権を持つ人を増やしてしまうと、かえって情報漏洩や不正利用のリスクが高まる可能性があります。

 

<データ管理体制の複雑さと国際的なリスク>

複雑なシステム管理

医療DXを推進しているのは厚生労働省ですが、実際のシステム運用や開発、管理の多くは、外部の企業に委託されています。さらに、その外部企業がまた別の下請け企業に再委託することも珍しくありません。このため、「最終的に誰が私たちのデータに触れているのか」が非常に不透明になりがちです。

サーバーの分散管理と国際的なリスク

あなたの医療データは、サーバーと呼ばれるコンピューターに保存されています。サーバーとは、簡単に言うと「データやサービスをインターネットを通じて提供するコンピューター」のことです。災害対策のため、これらのサーバーは日本全国の様々な場所に分散して設置されています。しかし、その具体的な設置場所は非公開であり、どこにデータがあるのかを把握するのが難しいのが現状です。

さらに、もし外国の企業が日本の医療データの管理を請け負っている場合、国際的なリスクも存在します。例えば、その企業がある国で戒厳令のような非常事態が発令された場合、その国の政府によってデータが押収されてしまう可能性もゼロではありません。インターネットを通じて行われるデータ管理は、事実上、国境を越えており、国家単位での管理が非常に困難になっているという現実があります。

 

<精神科カルテ情報の特殊性と共有の課題>

特に精神科のカルテ情報には、他の診療科とは異なる特性があり、その共有には特別な配慮が必要です。

精神科データの性質

 * 主観的な記載: 精神科のカルテは、血液検査のような客観的な数値データだけでなく、患者さんの感情や医師の所見といった主観的な記載が中心となります。

 * 記載の統一性の欠如: 医師によってカルテの記載スタイルが異なったり、同じ病気でも医師によって診断名にずれが生じたりすることもあります(例えば、薬を処方するための診断名と実際の診断名が異なる場合など)。

 * 医師と患者の関係性: 医師と患者さんの相性によって、カルテに記載される内容が影響を受けることもあります。

他科医師に本当に必要な情報とは?

他の診療科の医師が精神科の情報を必要とする場合、通常は「現在服用している薬の情報」や「血液検査、脳波検査などの検査記録」など、治療に直接的に関わる最小限のデータで十分なことが多いです。

提案:情報共有の細分化

このような特性を踏まえると、精神科の詳細な情報をすべて開示するのではなく、必要最小限の情報だけを共有するような設計が望ましいと考えられます。具体的には、電子カルテに入力する際に、「どこまで他の診療科や外部機関に共有するか」を患者さんや医師が選択できる機能の実装が求められます。

 

<将来に向けた予測と懸念>

遠隔診療とデータ化

近年普及が進む遠隔診療(オンラインでの診察など)では、ビデオ診察の録画データが電子カルテに保存される可能性もあります。これにより、さらに詳細な患者情報がデータ化されることになります。

製薬会社によるデータ活用

患者さんのデータが詳細化され、量が増えれば増えるほど、それは製薬会社にとって非常に価値のあるマーケティングや研究資源となり得ます。患者さんの同意なしにこのような情報が活用されることのないよう、慎重な対応が求められます。

 

<全体まとめ>

医療DXは、医療の効率化や利便性の向上を目指すものですが、同時に情報漏洩のリスク拡大、管理主体の不透明化、そして個人の尊厳侵害といった重大な問題を抱えています。特に精神科領域においては、情報の性質上、より慎重な設計と、患者さん本人の同意と選択権を重視した情報管理が不可欠です。

あなたの医療情報がどのように扱われるべきか、あなたはどのように考えますか?

 

<編集部から>この福冨さんの記事(AIが共著者というのがさすがというか、デジタル化に乗り遅れている私には、デジタル化は既に進んでいて、だからどうつきあうか、歯止めをかけるべきかの工夫は必須なのだろうと感じさせられました)は、4月号の「医療のDX化はバラ色の未来なのか?」から毎号つづいているシリーズの一区切りとなるものです。これについては、全国の当事者グループにお送りしてご意見をお願いしていますが、今のところ反響はありません。自分のことを考えても上記のように、取り組みが必須と感じてもどうすればいいのやらという感じなのでそういう人も少なくないとは思いますが、ずっと続く課題なのでねばり強く取り組んでいきましょう。

 

 

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医療DX(デジタル)化と精神医療の交差点:バラ色の未来か、それとも新たな分断か2

【編集部から】この記事は、前の記事の冒頭に記したように5月1日の「医療DX(デジタル)化と精神医療の交差点:バラ色の未来か、それとも新たな分断か」の続編で、内容が編集部にはむずかしかったので、紙の「おりふれ通信」には解説版を掲載し、ブログにはこの黒岩さんの原稿も掲載しているものです。

精神疾患を抱えた)システムエンジニアの視点から 黒岩 堅

 医療DXの一環として、電子カルテやマイナンバー保険証を用いた医療情報共有における監査ログ(アクセスログともいう=誰が、いつ、どこから、どの患者さんの情報を見たかの記録)の有無や仕組みは、非常に重要なプライバシー保護の観点です。以下に確認方法とポイントを整理します。

■ 監査ログの有無を確認するための観点

1】電子カルテシステム単体での監査ログ

  • 多くの電子カルテベンダー(富士通、NECPHC、富士フイルムなどの業者)は、アクセスログ機能(誰が・いつ・どの端末から・どの患者情報にアクセスしたかを記録する機能)を提供しています。
  • ただし、病院ごとに設定・活用状況が異なるため、「システム上の機能があっても実際に記録・確認していない」ケースもあります。

確認方法

  • 通院中の病院の診療情報管理室または医療情報システム管理部門に対して以下のように尋ねてみてください:

「電子カルテの閲覧履歴(アクセスログ)は保存されていますか?また、希望すれば自分の医療情報に誰がいつアクセスしたか確認することは可能ですか?」

2】マイナ保険証を使ったレセプト情報のオンライン閲覧ログ

  • マイナンバーカードで医療機関を受診した場合、「マイナポータル」(=デジタル庁が運用するオンラインサービス。正式名称は「情報提供等記録開示システム」)というインターネットサイトで、自分の薬や病名などを確認できます。
  • しかし、医療者側の誰が・いつ、その情報を参照したか(閲覧ログ)は、現時点で、マイナポータル利用者には公開されていません。

確認先

  • デジタル庁または厚労省「オンライン資格確認等システム事務局」
  • 一般の問い合わせは以下:
    • オンライン資格確認等コールセンター(0120-95-0178
    • マイナポータル お問い合わせフォーム

■ 問題点・懸念点

項目

現状

懸念点

電子カルテの閲覧ログ

ベンダーごとに存在。ただし活用に差

患者本人が確認できない施設も

マイナ保険証経由の情報共有ログ

医療者側の閲覧履歴は非公開

誰がどこまで見たかが患者に不透明

患者への説明義務

不明瞭(機器操作で同意が取られているが)

実質的な同意か疑問が残る

■ 改善提案と要求の方向性

  1. 「患者自身が監査ログを確認できる機能」の制度化
  2. 医療者側に「閲覧理由の記録」義務を持たせる
  3. アクセスの粒度(処方だけ、病名だけ等)を選択可能にするUI改善(=誰が、どの情報に、どこまでアクセスできるかを細かく設定できるようにすること)
  4. 同意を取った記録の文言・操作ログの保存

まとめ

  • 電子カルテの監査ログはシステムとしては存在しているが、患者が確認できるかは施設ごとに異なる。
  • マイナ保険証での情報共有における「誰が見たか」の記録は原則非公開で、制度的な課題が残る。
  • 確認のためには、診療機関・電子カルテベンダー・厚労省窓口へ個別に問い合わせる必要があります。

    補足
    https://www.soumu.go.jp/main_content/000760676.pdf のP10で下記の内容があります。マイナンバーは住基カードと同様のことは起こりえるシステムとなっております。

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4.23精神国賠傍聴記

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本人の意志を顧みずまわりが勝手に決めていく
そういう社会はいつ変わるのか?        ピープルファースト奈良支援者 渡辺哲久
4月23日、伊藤時男さんの長期入院国賠訴訟の控訴審にピープルファースト奈良3名で参加しました。裁判長は事実調べの申請を却下、即日結審しました。地裁の不当判決を見直さないという宣言なので、敗訴が確実です。でも伊藤さんは「裁判には負けても、少しでも何かを残せれば」とおっしゃっていました。伊藤さんが入院中に、退院したいと言って退けられ自殺したなかまのこと、鉄格子の部屋に閉じ込められたけど隙を突いて飛び出し、池に飛び込んで溺死したなかまのことを話されていました。
「法に基づいてやったから合法」というのは、優生保護法裁判で国が主張し続けた主張です。まだ言うか。「本人は退院の意志を明確に伝えていない」というのは、優生では「除斥期間の20年の間に訴えを起こさなかったから無効」と言われてきました。「差別があり支配されていたから訴えられなかった」と優生の最高裁判決は言っています。
報告集会では、渡辺から「優生保護法の裁判では、地裁判決で当初7件敗訴が続き、2022年に大阪と東京の高裁で逆転勝訴して以降の地裁判決は6件すべてで勝訴。最高裁が差別を認め完全勝利しました。国が除斥期間を主張するのは職権濫用とまで言いました」と優生手術裁判の経験を報告。参加したピープルファースト奈良の阪本里恵さんは「私は入所施設に入ったことがあるが、何もかもまわりが決め、私の意志は関係なかった。自分の意志では出られなかった」と発言。同じく西本春夫さんは「生まれてすぐ乳児院に入れられてから32年施設にいました。そこで生きていくのに精一杯でした。施設を出て仕事がうまくいかなくて精神科にも入院しました。7月10日の判決も来ます」と発言しました。
精神病院と入所施設
入所施設をなくせ!がピープルファーストの始まりであり、目標です。今も13万人のなかまが入所施設に閉じ込められています。
ピープルファーストは、この2月に厚生労働省と十数年ぶりの交渉をして、「施設をなくせ」と求めましたが、国は「ピープルファーストが施設をなくせと主張していることは知っているが、施設に入所している人の親の人たち、施設を運営している人たちは施設をなくすなと主張されます。国が言えるのは地域移行を進めることだけです」と相も変わらずの答えです。
この壁を突き破れません。
みんなで力を出し合わないと進めません。それでピープルファースト奈良のなかまで話し合って、「精神病院のことを学ぼう」「伊藤さんの国賠訴訟を応援しよう」と今回初めて参加しました。
2022年9月、国連の障害者権利委員会が「精神病院と入所施設への隔離はやめろ」と勧告したのに政府は無視しています。
みんなで力を出し合って、あきらめないで進みましょう・・・

 

<全文は、おりふれ通信443号(2025年5/6月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

 

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医療DXと精神医療の交差点:バラ色の未来か、それとも新たな分断か

精神疾患を抱えたシステムエンジニアの視点から 黒岩 堅

  1. 精神医療における情報共有のリスクと葛藤
  • プライバシーの深さと共有の危うさ

精神科の診療では、患者が過去の体験、対人関係、内心の葛藤を語り、それがカルテに記録されます。これらは他科の「客観的データ」と異なり、極めて主観的で個人の尊厳に深く関わる情報です。この情報が医療機関間で共有されることで、患者の「語る自由」や「隠す自由」が脅かされかねません。

  • 差別や偏見の温床

現場では、精神疾患が他科で軽視されたり、「精神科の薬のせい」と決めつけられたりする事例が後を絶ちません。情報共有が進むことで、むしろ不当なレッテル貼りや治療差別が助長される危険性があります。

  • 「便宜的病名」や誤解のリスク

保険制度上の都合でつけられたレセプト病名が、電子カルテで他院にそのまま伝わってしまうこともあります。こうした“制度と現実のズレ”は、患者への誤解や不利益な対応につながりかねません。

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  1. 医療機関ごとの治療方針の違いが生む構造的なズレ
  • 診断名や処方方針の多様性

精神科医療は、大学や病院によって診断基準や治療方針に幅があります。同じ症状でも「統合失調症」と診断されるか「適応障害」とされるかで、患者の社会的な受け止められ方は大きく変わります。

  • カルテ記録の文脈性

記録スタイルも大きく異なります。ある医師は対話を丁寧に記述し、別の医師は評価スケール中心で記載します。その差が共有された際に誤読や偏った判断を招く可能性があります。

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  1. システム設計上の限界と改善の方向性
  • データは「正しい」か?「意味が通じる」か?

電子カルテ共有の前提は「共有される情報が正しく解釈されること」ですが、現実には医療機関ごとの記録方針・診断傾向の違いにより、“情報の意味”が異なることをシステムは考慮していません。

  • アクセス制御と選択の自由の欠如

現在の設計では、精神科の情報が他科と同様に共有される設計が基本です。患者が「一部情報を見せたくない」と希望しても、その実装は不十分であり、“全てを見せるか、何も見せないか”という二択しか与えられていないケースが多いです。

  • UI/UXの配慮不足

患者が情報共有を「拒否する」選択をするには、直感的で分かりやすいインターフェースと、選択によって不利益が生じないという明確な保証が必要です。現状は、説明不足・誤解を招く設問・心理的圧力などが拒否の自由を奪っています。

結論:医療DXは“誰のため”かを再確認すべき

医療DXの本質は、患者中心の医療を実現することにあるはずです。しかし、現在の制度や設計は、管理効率や行政目的を優先し、当事者の尊厳や文脈を置き去りにしている側面が否めません。

特に精神医療では、診療内容が極めて個人的かつ機微なものであるため、「情報共有=善」と単純に語ることはできません。多様な医療文化や個人の意志を尊重する設計思想、そして分岐可能な選択肢と説明責任を持った運用が必要です。一当事者としては思います。

 

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医療のDX(デジタル)化はバラ色の未来なのか?

【編集部から】マイナンバー保険証のオンライン確認で、医療機関どうしで患者さんの病名や処方内容などのデータが共有できることについて、さらに進んで将来電子カルテが医療機関どうしで共有された場合の危険性について、一人の精神科医(精神医療ユーザーでもある)から、特に当事者のみなさんはどう考え、行動されるのかという投げかけがありました。以下掲載しますので、当事者の方に限らずご意見などを寄せてくださるようお願いします。

 

きちんと考えがまとまりきっていないので、思いつく順序で書いてみます。

まず、基本的に、個人の医療情報は、そのひとのプライバシーなので、慎重に取り扱うべきであるという観点が、厚労省など、医療DX化を推進するひとたちには、きわめて薄いのではないか、ということ。

一般論としても、セキュリティーの問題が非常に不安。現行の保険制度をつかって、ひとつの医療機関にかかったら、自動的に他の科にも、その情報が行くのが便利でいいことであり、コスパもタイパもいい、精神科の薬をのんでいることもわかるからのみあわせの問題もわかっていい(これは言えるが)と、いいことづくめのような言われ方をされている。本当にそうなのか。

 

現時点では、マイナ保険証を使った場合、共有したくない情報については拒否することができるのだが、機械の質問の読み方で誤解してしまうと、共有に同意せざるを得ないように誤解してしまう。

そして、同意した場合、共有されるのは、1か月前のレセプト病名(保険上の病名)、処方薬剤、受診した医療機関名、受診月日、など。

わざわざ、紹介状、医療情報提供書のやりとりをしなくてすんで便利、という考え方もあるが(救急搬送された場合などは、内服薬の問題は大きいので理解できるが)、医療機関名、病名、処方薬のみをみた他科の医療従事者に、精神科通院中の方が、不利益な扱いをされてしまうことは、ありえることで、そのことを心配している患者さんは、多くいらっしゃる。

マイナと関係なく、以前からあることだが、身体症状を訴えて受診しても、すぐに身体疾患の診断がつかない場合、ほかの可能性をまともに探らずに、精神科心療内科を受診している人は「精神的な問題でしょう」と片付けられがちで、まともに扱われない。あるいは「精神科の薬のせいでしょう」などと、今までの流れを無視して言われがち。(精神科の薬なら、なくてもいい、簡単に減らせる、となぜか他科の医師に考えられがち)

それと、大きな声ではいえないが、レセプト病名は、最善と思われる処方にするために、保険適応が通るように便宜的につけられている病名もある(実際の診断名とはちがう)ので、うのみにされても困る。(これは、精神科に限らず)不安が強く心気的でいろんな医療機関を次々に受診していたり、うまく症状を伝えることが難しい人もいるが、そういう方は、本人の了承の上での情報提供書のやりとりか、誰か支援者が同行する方が有益と考える。

近い将来、電子カルテが義務化されると言われており、その目的のひとつが電子カルテの医療機関どうしの共有化(と政府?によるビッグデータ集め?)のようだが、こちらのほうが、私が非常に危惧していること。

精神科の診療では、患者さんが、様々な事象や対人関係についての自分の感情や葛藤、過去から現在までの自分の歴史、などさらけ出す(もちろん、すべてを語るわけではないにしても、たとえ1割未満にしても)ことをしている。自分の「内心」を語るもの。

そのすべてがカルテ記載されるわけではないにしても、カルテの記載内容も、他科とちがって、本人の訴えや治療者とのやりとりについてが多いので、他科のような「客観的」「中立的」「事実そのもの」的にはなりえないし、記載する治療者による「ひとつの視点にすぎない」と言ってもよい。(カルテ内容を絶対視されすぎても、危険だと思う)

また、精神科カルテが、他科の医師あるいは医療従事者に簡単にみられてしまう、みられる可能性がある、ということは、自分の内心を必要のないときに他者に隠しておく自由を奪われる、いわば「究極の個人情報」が漏れ、「個人の内心の自由」を侵害されるように感じられる。

もちろん、「共有に同意しない」という選択肢は、おそらくできるはずだと思う。でも、「共有が前提」という制度の中で拒否すると、そのことで不利益が生じないのかどうかが、不安。少数派のわがままとして、「共有を拒否するひとは、治療上の不利益が生じても致し方ない」で、どんどん制度が進められてしまわないだろうか。

 といったことを皆さんは、不安に思いませんか。

 

 

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東京地裁の敗訴判決から東京高裁の控訴審へ

精神医療国家賠償請求訴訟研究会代表 古屋 龍太         

 

1.はじめに

  精神医療国家賠償請求訴訟(以下「精神国賠」と記します)の経過については、これまでも本紙で何回も取り上げていただき感謝しています。他の方が既に書かれているように、裁判所の法廷を舞台に精神医療に係る様々な問題が問われてきました。ここでは、東京地裁判決後から控訴審開始に至る経過を報告します。

2.東京地裁における敗訴判決

精神国賠は2020930日の提訴以来、ちょうど丸4年後の2024101日に東京地裁における第一審判決が出ました。

地裁判決では、原告の入院形態その他の事実関係と、原告への権利侵害との因果関係については、被告国側の主張を全面的に採用し、原告固有の事情によるものとして国家賠償法上の請求を棄却しました。それ以外の争点については、検討するまでもなく原告の請求には理由がないとして、争点になっていた日本の強制入院制度や精神医療政策に係る一切の判断を避けました。想定以上の不公正で不誠実な不当判決でした。

判決報告会には、163名の方が参加されました。原告の伊藤時男さんは、「訴えが棄却され、不当判決だと思っています。社会的入院や施設症の人は未だに苦しんでいます。あの人たちに合わせる顔がない。国の責任を問い、最後まで、最高裁まで控訴して戦うつもりです」と挨拶しました。

判決に立ち会った参加者が最も違和感を感じ怒ったのは、判決文中の「公知の事実」という文言でした。厳格に法を適用すべき裁判所ですら、精神障害者に対する強制入院の必要性は「公知の事実」と断じ、当たり前という感覚で済ませています。この日本社会における精神障害者に対する人権感覚の鈍麻は、長年にわたる国策により作り出されてきたものです。裁判官を含む司法関係者とて、その例外ではないことを地裁判決は明白に示しました。狭い山道を縫って進むような精神国賠の裁判の難しさも映し出しているといえます・・・

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半世紀ぶりの政策転換の“チャンス”を   確実に活かすために(前編)

氏家憲章 

 

1.精神医療政策の特徴

 わが国の精神医療政策は、①精神科病院への入院中心の精神医療、②精神科病院を一般病院と区別し差別扱いの2つを基本としています。そのため医療で最も重要な職員は、一般病院(医療法)には認めない職員が少ない「精神科特例」です。精神科病院の入院料は、一般病院の3割と「精神科差別」です。そのため日本は、世界最大の“精神病床大国”でも、国の財政を圧迫しない「安上がりの精神医療」です。「入院中心の精神医療」と「安上がりの精神医療」(精神科特例と精神科差別)は“表裏一体”です。ここにわが国の精神医療が抱える問題の大本があります。精神医療を改革するためには、この時代後れで間違った精神医療政策の解消が課題です。

(1)病床利用率70%台目前

 入院中心の精神医療体制は、在院患者の大幅減少によって‘崩壊の危機’に陥っています。それを端的に示しているのが、精神科病院の「病床利用率」(行政から許可されている定床に対する在院患者数比)です。一般病院は病床利用率80%が採算ライン、精神科病院は90%で80%台になると経営は「危険ライン」です。2024年1月の精神科病院の病床利用率は80.9%です。内訳は、80%台は24都道府県(51%)・70%台は21県(45%)・60%台2県(4%)です。

(2)在院患者大幅減少の背景

 精神科病院の在院患者は、入院2~3ケ月で退院する「新入院者」のグループと年単位で入院している「長期入院者」のグループと“二極化”しています。この両方で減少しています・・・

 

<全文は、おりふれ通信435号(2024年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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これ以上死亡者を出しては絶対にいけない

滝山病院にアクセスする会 細江 昌憲

 

 12月11日夜、滝山病院内で転退院を希望していた方が亡くなった。これで僕が知る限り、30名もの方が病院内で亡くなったことになる。以下、相原啓介弁護士のX(旧ツィッター)を引用します。

 

 128日、詳細はお伝え出来ませんが、今週になって滝山入院中の方とようやくお一人つながれ、 本日、医師同行で2回目の面会をしてきました。危険な状態で専門病院への転院を前提に転院先を探し始めました。都の調査対象者で退院、転院を希望していましたが、今日までそのままです。心底怒りが沸きます。

 1212日 昨日転院先が決まり、救急救命士同行で救急を手配し、本日正午にお迎えできる事になりましたが、昨夜、突然お亡くなりになりました。私が初めてお会いしてから5日目、滝山から出られるまであと、16時間でした。私は同じ轍を踏みました。非常に強く責任を感じています。

 その人は「早く滝山から出たい」、と訴えたのに数か月間もそのままにされていた。どれだけ寂しかっただろう。希望だけ与えておいて何もしない。人として絶対にやってはいけないことだと思う。同じように、出たい、という意向を伝えたが放置されている方が、未だに入院を強いられている。この方たちは、転退院が進まない理由を対面できちんと説明を受けているのだろうか。それだけは人として絶対にやらなければいけないことだ・・・

 

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