伊藤裁判総括フォーラムに参加して

精神国賠研書籍・相談委員会 伊藤 京一郎

 

3月8日(日)午後1時15分から都内の明治学院大学を会場に開かれた上記フォーラムに参加しました。その際に小峰盛光さんと木村朋子さんからおりふれ通信に寄稿依頼をいただきました。

その趣旨から多少逸脱するかもしれませんが、筆者のことをまず記します。私は50代半ばの男性で、2023年6月に仕事を辞めてから3年ほど経ちます。時男さんと同じ姓ですが親類縁者ではありません。仕事を辞めた主な要因は父の認知症が明らかになったからでした。

最後の勤務は長崎市内に20箇所ある地域包括支援センターの一つに1年余り勤務しました。その前は長崎市郊外の精神科クリニックに5年、都内のある区の教育相談室に1年、長崎県下の刑務所に5年弱勤務していました。社会福祉士や精神保健福祉士としての勤務でした。前者の資格取得から19年、後者は17年になります。

私の母親は精神科医で私が5歳、年子の弟が3歳になる年から週3回島原市内の精神科病院で勤務を再開し、1984年に長崎市郊外に自宅を求め家族で暮らすようになってからは、長崎市内でも病床数1、2を争う精神科病院に移り、そこで40年以上の勤務を続けています。先日母が「病院の送別会がある」と話すので、送別される方かと思っていましたが、若い精神科医が開業する予定で退職するらしく、反対の方でした。母は今年91歳を迎えました。「この春で辞めるつもり」と、彼女は話していたのですが思うようにはならないものですね‥。 伊藤裁判を考えるとき、私個人の経験と照らして考えざるを得ないものがあります。研究会に所属していながら十分理解できていないことも多々あります・・・

<全文は、おりふれ通453号(2026年4月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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寄稿・いつから僕は偏ってしまったのか? 

佐野卓志(作業所ムゲンの食事担当)

沖縄で平和教育に修学旅行に来ていた女子生徒が、辺野古沖で死亡しました。次の日にはムゲンでも若いメンバーが「抗議船なんかに乗せられて!」と話題にしていました。「なんか」というのは、「基地反対派の使う船はボロに決まっている」と言わんばかりですが、ボロでも反対派にとっては命だろうと思います。思った通りにYahoo!ニュースでは、「平和教育で基地に反対する高校は偏向教育だ」とかすごい数の批判が集中していました。いつから「基地に反対することは、偏向していること」になったのでしょう?心の中では「批判する君たちこそ、右側に偏向していないか」と呟くのですが、「彼らの自己認識は、自分は中立」なのです。

 思い返せば、若い時から「自分は正義の側」だと思ってきました。子供の頃の月光仮面から始まり、ずっとTVのヒーローたちは「弱きを助け、強きをくじくことが正義だ」と教えてきました。それで庶民に味方し、権力と戦う姿勢が正義だと思ってきました。

しかし学校で、学級内カーストやいじめで生き延びてきた下の世代が大人になっていき、「権力に逆らったりするのはバカで、コスパやタイパを見極め、いかにその中で楽しむか」という価値観になってきているようです。でも人生はそう合理的ではないのです。特に人間関係、女子とセックスできる関係に持ち込むだけでも、とっても理不尽で不合理なコミュニケーションが必要なのです。苦労をめんどうくさがってお一人様でいると、いつまでたってもコミュ力がつかない気がします・・・

 

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エッセイ「病気とともに歩む」      

当事者Y

20代に病を患い、障がい者となりました。統合失調症です。人口の1%が罹る病です。

しかし、身近にその疾患を知る人は少ないかもしれません。発病した20年以上前と現在、それがどれほど変わったのでしょうか。考え方や気持ちの持ち方ではない。そのような当たり前のことが通用しない社会が、僕たちの前に立ちはだかっています。

人生の半分以上を、障がい者として、必死に居場所を探しながら生きてきました。

傷ついた心を癒してくれたのは、出会いでした。

混乱の最中にいる僕を、暖かく迎え入れてくれて、見返りを求めずにたくさんのものを与えていただきました。

今、生きていくことの難しさが、別の仕方で僕の人生を照らしてくれています。

生きることをただ辛く思うのではなくて、心を動かして、一歩を踏みだしてみる。出会いを大切にして、生きづらさを反転させる。それが希望に替わります。

今、傷ついて部屋の中にとじこもっているあなたにも、きっと光があります。

よろしければ、ぜひご一緒に!

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「東京の精神医療体制を問う~なぜ旧滝山病院は生み出されたのか~」集会参加報告

東京精神医療人権センター 中村美鈴

2月1日に八王子のいちょうホールにて「東京の精神医療体制を問う」集会が開催されました。実行委員会は「滝山病院にアクセスする会」、「ほっとスペース八王子」、「地域でくらすための東京ネットワーク」で、集会へのよびかけとして「この事件は、私たち市民にとって現在東京の精神医療が、安全で安心して受けられるものではないことを、示しているのではないか?現在までの東京の精神医療の実態を学び、みなさんと考え、今後私たちはどうしていけばよいのか、そのみちしるべとなる集会としたい」とチラシにありました。

 

2023年の滝山病院事件に続きNHKで「ルポ 死亡退院~精神医療・闇の実態」が放映されたとき、闇が明るみに出たのだからこれで閉じ込められている患者さんたちも救出され、精神医療の制度も見直されて改善に向けて動いていくだろうと私は考えていました。ところが、「滝山病院にアクセスする会」の細江さんたちがいくら患者さんたちの退院・転院の支援をさせてほしいと都に訴えても都は頑なに受入れようとせず、患者さんへのアクセスは遮断され続けています。事件をうけて何か医療制度が変わるという話も聞こえてきません。誰かが変えてくれるのを待っているだけでは何も変えられないのかもしれないなどと考えながら、参加しました。

 

いちょうホールは駅から少し遠いため、当日は早めに集合して道案内のお手伝いに加わりました。私の分担は駅から中間の交差点前でしたが、道を尋ねられ案内したのは7〜8人でした。知り合いの方も数人通りかかり挨拶できて嬉しかったのですが、それ以外は反応がなかったので、会場に人が集まっているのか少し心配しましたが、ホールに戻るとほとんどの席が埋まっていたのでホッとしました。

 

集会の構成は、おりふれ編集長の木村さんの基調講演から始まり、滝山病院事件の被害者支援にあたっている相原弁護士と細江さんからの活動報告と続き、その後はリレー方式で当事者の方、支援者の方、医療関係者、大学教授、議員さんなど様々な立場の方々が次々と短時間でスピーチを行っていきました。分厚い資料が配布され、情報が盛りだくさんでした・・・

 

<全文は、おりふれ通452号(2026年3月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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七生病院裁判傍聴記

編集部から: 昨年1215日、東京地裁立川支部で開かれた七生病院を訴える民事裁判については、前号にも中村佳世さんが独自の視点からの報告を寄せてくれましたが、今号には、また違った自らの介護職場と比較しての小山さんの傍聴記を掲載します。

NPO法人トモニ  実習生 小山 富三枝

私は現在精神保健福祉士の専門学校に在学中の生徒です。

普段は介護福祉士として特養で勤務しております。介護歴10年を超える私の忘れられない出来事として、施設内でのコロナの集団感染があります。

七生病院第二審裁判が20251215日に行われ、はじめから傍聴いたしました。この裁判でも『コロナ』がひとつのキーワードとなっているので、私の体験と照らし合わせて述べたいと思います

この裁判では原告の女性が、コロナに感染し畳敷きの一部屋に56名の患者さんと一緒に1020日閉じ込められたとのことでした。ポータブルトイレ1つでカーテンの仕切りもないところで排泄をおこない、排泄物もあふれていた。悪臭が漂う中で、入浴も、歯磨きもさせてもらえなかった。服薬もなかった。外からは南京錠で施錠されていた。とお話ししていました。喉が渇いて、扉をたたいても、扉をたたく音は聞こえているはずなのに看護師や見回りに来ていた保健所の職員に無視された。とおっしゃっていました。その隔離部屋と呼ばれている部屋は廊下の中央の部屋でした。当時院長をしていた杉山先生は、すべてにおいて「保健所の指示でした」の一点張りでしたが、果たしてそうだったのか疑問が残ります。

私の施設では、コロナが施設で発生する前から、日本中で得体のしれない怖い病原菌が発生したことを受けてすぐ行動に移しました。各階で施設の感染委員が中心となり、感染者を端の部屋をレッドゾーンとして設ける練習をしました。私も当時感染委員をしていました。私の施設は南北に廊下が80mありその中央に食堂兼レクリエーションなどをするフロアーが設けられています。配膳車が北側のエレベーターから運ばれてくるので、レッドゾーンは基本南側に設けることを想定しました。もし北側で感染した利用者さんがでたら、すぐ南にレッドゾーンを設け南側の誰かほかの利用者さんと部屋を交換する。先に、南側の部屋を空ける方の、衣類荷物を段ボールに入れて運び出す。また、部屋を空ける対象者の方と同じ布団やシーツを使用するわけにはいかないので、感染した利用者さんのためにリネンをすべて交換する。感染者が歩行できる方でも廊下の手すりなどに触れないよう車椅子に移乗していただき、小さい車いすなら感染部屋から外のベランダへ出て廊下を通ることなく、南側の部屋に移る。大きい車いすの場合は、ベビーカーの雨よけのビニール風に手作りしたビニールで利用者さんを乗せた車いす全体を覆って、南側のレッドゾーンに移動していただく。また、4人部屋で感染者が出た場合の消毒の仕方や、リネン交換の仕方も練習しました。コロナの感染予防のための,消毒液、ガウン、ヘッドキャップ、フェイスシールド、グローブ、N95マスク、蓋つきのごみ箱など感染者の部屋の前にセットしました。練習でもここまでしました。

七生病院ではどうだったのでしょうか・・・

 

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''経験は宝''ということ

根間あさ子 

 

「経験は宝」という言葉は北海道のべてるの家のキャッチフレーズの一つだが、1990年代の終わりにべてるのビデオ上映会に参加したことで私の精神保健福祉業界との再会は始まった。

私はすぐに地域の家族会でボランティアを始めた。

 先日、精神保健福祉士の資格を取るため学んだ専門学校に何年かぶりにでかけた。建物も教室もあの頃と変わらない佇まいがとても懐かしかった。
 なんとなく思い立って2015年春からの1年間の専門学校時代の日記を読む。良い時間を過ごしていたなと改めて思う。本当に一所懸命勉強している。そして学ぶことと並行して過去の体験(8歳と12歳での強制入院)を整理しまとめ、語ることを始めた。色々な人に機会を与えてもらい拙い言葉でおずおずと語り始め、自分の過酷な体験が支援職の人々の心を動かすことを知った。

 しかしそれは辛い作業でもあった。私は過去はなかったこととして忘れることで人生の大半を乗り切ってきた。その過去をあえて思い出し考察することはパンドラの箱を開けるような行為でもあり危険なことだった。胃腸に変調をきたしたり、フラッシュバックが起きたり、病気の再燃かと感じるような感受性の高まりと周囲の環境への違和感を感じることも多々あった。しかし、そのたびに人に助けを求め支えてもらい、なんとか乗り切ることが出来た。
 支援職としての心構えを教えてくれたのは、精神障害者の作業所の草分けとも言うべき所だ。そこでの実習はとても贅沢な学びの日々だった。創始者から直接話を聞くこともでき、担当の実習指導者もわかりやすい言葉で熱意あふれる指導をしてくれた。ともすれば当事者目線に偏りがちな自分が、上質な支援者たちの目がどういうものかを実践の中で知ることができた。そして国家試験に向けて勉強していたこの頃の私って一所懸命で可愛い。誰だって応援したくなるよなあって思う。そう、実際多くの人々に応援してもらった。
 今改めて思う。この当時から一貫しているのは、強制入院の体験の重みを生かした私らしい取り組みだ。これこそが私の強みなのだ。タフなジャーナリストの大熊一夫さんが3週間でギブアップするような劣悪な環境に、12歳の子供が1年間もいたのだ。人間不信に陥りながらも、いつ退院できるともしれない不安と絶望の中でとにもかくにも生き延びたのだ。
 私は過酷な体験を生き延びたサバイバーとして世の中に発信していかねばならないと思いを新たにしている。



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医療DX化その後のことすこし

以前マイナンバーカード保険証→電子カルテ共有化への危惧をシリーズで取り上げましたが、その関連で報告します。最近勤務先クリニックでスマホのマイナンバーカード読み取り機を導入する際の話。厚労省が1台約7000円の半額を助成するというのですが、助成を受けるにはアマゾンビジネス会員になってクーポンを利用しなければならないというのです。特定企業との癒着ではないか!そんなのおかしい!と、定価で買うことにしましたが、問題を東京新聞に投書しては?という声が職場内で上がり、そうしたところ取材を受け、221日に記事に取り上げてもらえました。この問題は保険医協会の全国団体が厚労省に質問したそうですが、若い管理職が「やすく買えるのだからいいのでは?」と言ったとか。新聞社の問い合わせに厚労省は、領収書を送ってもらって処理する膨大な手間を省ける・アマゾンしか大量需要に応えられない・数社にわたると数台買って補助を受ける場合のチェックができない等の理由を答えたとのことですが、要はグーグル・アマゾンなどの巨大プラットフォーマーと言われる企業を頼ることなくDX化はできないという現状を突きつけられた思いです。

当日の記事はこの問題だけでなく、以前おりふれにも書いてくれた当事者システムエンジニアの黒岩堅さんのマイナ保険証による体験を踏まえた情報共有への危惧という、より本質的な意見も掲載されたのでよかったなぁと思いました。(木村記)

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風化はさせない   国連障害者権利条約を指標として

(編集部から:この文は、2026年2月1日八王子集会「東京の精神医療体制を問う」なぜ旧滝山病院は生み出されたのか 開催発起人のひとりである加藤さんの思いを寄せてもらったものです。共有のため全文を掲載します)

特定非営利活動法人こらーるたいとう 加藤眞規子

 

滝山病院の患者さんと私のこと

 滝山病院の事件が起きて、私はいろんな人と誘い合って滝山病院に申し入れ書を持って滝山病院へ行った。看護の方たちは、「患者さんの最後の看取りをすることがそんなにいけないのことなのか」という。よくしてもらいたくて精神科を使う立場からすれば、最初からそういう意見がまかり通ってしまうのは違うのではないかと思う。東京都と厚生労働省に毎年申し入れを重ねてきた。都議会議員や国会議員の方々に理解し協力してもらうために集会を開いてきた。国連障害者権利条約を踏まえて、制度や法律を変えていかなければならない。 

 私は歳をとってから思いがけず膀胱癌になり、入退院を繰り返して、放射線治療を受けた。現在はストマーをつけて、身体障害者手帳をとり、腎臓内科と外科に通院し、訪問看護のサービスを週2回受けている。膀胱癌になって、治療を開始してすでに4年になる。ここまで元気にしてくれた病院、職場の同僚やメンバー、訪問看護、家族、友人やマンションの大家さん、こらーるカフェのお客様に感謝の気持ちでいっぱいだ。小さな腎臓に負担を負わせることになり、私の第一の関心事は、どれだけおしっこが出たか、お通じが無事にあったかということだ。それが無事にあると、私の気持ちは静かに満たされる。

 私は私大の社会福祉学科を卒業して、社会福祉分野で働き続けて、43年ほどになる。しかし「人はひとりでは生きていけない」「孤独ほど命を脅かすものはない」ということを、私に教えてくれたのは、「癌」であり、空気を吸うように全くあたりまえのものと思っていたおしっこやお通じの営みだった。逆にいえば、人工透析をしている人、心臓や高血圧の病気がある人を殺すことは簡単なことなのではないかというおそれを覚えた。

 実際に公立福生病院で起きた、長い間、人工透析を受けていたうつ病の44歳の女性がシャント(血液透析を受けるために充分な血液を確保できるように、動脈と静脈をつなぎあわせた血管)を作るために入院した公立福生病院で、「もう今のシャントが使えなくなったら、人工透析を受けることを止めたいと思っていた」と伝えた。公立福生病院の医師らが人工透析を中止することは即ち生命の終わりを意味することを充分に説明することはなかったようだ。苦しくなり、患者さんが「やっぱり(人工透析を)やって下さい!」と叫んでも駄目だった。生憎、患者さんの連れ合いは、体調を崩して入院中だった。

 腎臓が極めて悪くなっている私にとって、人工透析は他人事ではない。長い間人工透析を受けていれば、シャントを作る場所も手首とは限らなくなるかも知れない。公立福生病院のこの患者さんは首にシャントを作ることを提案されていたとも聞く。最終的には人工透析を開始するか否かは、「自分で決める」しかないのだろう。私は命に関わるほど重大なものとなったら、人工透析をしてもらおうと思っている。しかし服薬や食事のとり方、生活の仕方で現状維持が実現できる間は、今の治療方法でやっていきたい。「自己決定の尊重」や「尊厳死」「安楽死」の意味が命の切り捨てに繋がってしまった今の在り様は要注意であり危険だ。「生きよう!」という説得のほうがどれほど有難く、嬉しいかわからない。

 

生かさず殺さず

 厚生労働省と東京都へ、滝山病院事件のあと、陳情を重ねてきたけれど、答えというか対応はいつも同じようなものだった。精神障がい者や知的障害者は、「生かさず殺さず」に処遇しておればよいのだと考えているのだろうか。明らかに診療報酬の不正請求をした場合は、保険医療機関の指定取り消しという行政処分を行なう。

 何を問うても、個別の事案には答えられないという。例えば、旧滝山病院の元院長朝倉重延氏は、埼玉県にあった朝倉病院の院長でもあった。しかし200010月に内部告発があり、2001710日に、厚生労働省は保険医の指定を停止して、朝倉病院は閉院した。原則5年間は、再び保険医療機関の保険医としての指定登録はできない。けれども病院が違えば問題にはならないのだそうだ。

 旧滝山病院の死亡退院率が80%と聞くと、「異常だ!」と思わないのだろうか。治療内容や治療環境、看護の接遇、食事の内容等医療の中身には危惧することばかりだ。しかしこうした医療の中身については、厚労省は「監督はそれどれの自治体の責務であり、役割だ」と答えている。

 20242月から5月にも20数名の方が死亡退院している。こんなに多いのは何故だと疑義があった時、一刻でも早く退院支援なり調査が進まないと亡くなってしまう方がいらっしゃると思わないのだろうか。調査に1年、2年かかるという話ではなく、あるいは監査にいくかどうかではなく、命にかかわる問題であり、人間の尊厳の問題である。

 一方東京都は、「医療の安全性については、厚労省が一義的に調査する」という。また医療法では、死亡退院の有無は厚労省にあがってくる場面はないそうだ。

 病院という専門性の最も高いところにあって、命を預かり病気を治療する場所に対して、東京都も踏み込まない。「専門的な機関に対して、行政がとやかくいうべきではない」「退院させました。死にましたでは困るんだ」という。

 国は国で、死亡退院の高さを「それは知らなかった」「関知していない」といい、東京都は東京都で、「生かさず殺さず」のような姿勢である。どちらも公的機関の役割を放棄してしまったのか。

 医療や福祉に関係する仕事をしながら、旧滝山病院の死亡退院の異常な高さを見過ごしてきてしまったというか、何もしなかったということへの反省に基づいて、集まってきたという人々もいる。あまりに酷すぎる。これは行政への警告ではないか。

 あくまでも東京都も厚労省も診療報酬の関係からしか調査に入っていないという。医療の中身こそが重要なのに。精神医療の劣悪な状況が改善しない構造が明確になってきた。宇都宮病院でさえ存続している日本の精神医療だ。国連からの総括所見の中でも、「日本の精神科病院における死亡事例の原因及び経緯に関して徹底的かつ独立した調査を実施すること」が勧告されている。死亡退院に対する厚労省や東京都の態度は決して許されるものではない。

 旧滝山病院の一番問題になるのは、患者虐待を起こすような病院で透析医療がまともに行われているのかという点だ。そういう病院に透析医療を任せていたということも行政の責任だろう。透析は週3日、一日4時間ぐらいはかかると私も説明を受けている。

 救えた命が劣悪な環境の中で死亡してしまうような事態が起こらないような医療現場を保証していくにはどうしたらよいのだろうか。

 旧滝山病院は死亡率、死亡退院の多さが顕著であったが、他の幾つかの特徴は改善されたのだろうか。生活保護の受給率が非常に高いこと。非常に広域で四国地方や九州地方からも入院している人もいるそうだ。そして任意入院の高さ。任意入院で入院しているのであれば「退院したい」といえば退院できるはずだ。なぜできないのか。任意入院だけれど閉鎖処遇だったのだろう。こうした治療体制、医療体制の空洞化が長年放置されてきた。

 精神医療も一般医療の中にいれるべきだ。訴えても精神病のある人・精神障がい者の訴えは、制度的・実質的に差別され、まともに聞いてもらえない。長期の入院は重大な人生被害をもたらしてきた。強制入院制度を国連障害者権利条約は認めていない。

 東京都が一昨年5月に、旧滝山病院の71人の入院患者さんの転退院の希望を調査した時、39名の転退院の希望があった。そのうち18名の方々が転退院したそうだ。転退院を希望しながらできなかったのはなぜなのか。原因の究明が重要だ。障害者権利条約第19条はもとより、精神保健福祉法第2条の「国及び地方公共団体の義務」として、「精神障害者が社会復帰をし、自立と社会経済活動への参加をすることができるように努力する」との規定を順守する上でも、転退院ができなかった原因を究明することが重要だ。

 私たちが退院支援施設反対に取り組んでいた当時、厚労省に陳情に行き、私は発言したかったけれど、なかなか発言できなかった。最後の最後、2~3分、沖縄県のハンセン病療養所の愛楽園というところを会場にして、精神の関係者、障がいの関係者、ハンセン病の関係者が集まって話し合いをしたことを報告した。その時、部長であった方が「精神科特例を廃止したい」と話された。しかし結局未だ精神科特例は廃止されていない。

 旧滝山病院に残っている方々を安心・安全な場所へ移行する。いったいどんな治療・支援を受けているのか、私は訪問したい。時間をずるずるやっていて、その間に下手をすると腎臓の機能低下や、感染症で亡くなる患者さんもいるのではないだろうか。風化はさせない。

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精神医療国賠訴訟の控訴審判決のご報告

弁護士 長谷川敬祐

 

1 はじめに

 伊藤時男さんを原告とする国家賠償請求訴訟は、2020年9月30日に東京地方裁判所に提訴し、2024年10月1日に第一審判決がなされました。同判決に対して、原告側が控訴し、その後、2025年7月10日、控訴審判決がなされました。その控訴審判決の結果を皆さんに報告させていただきます。

2 控訴審判決の概要

 控訴審判決の結論は、控訴棄却でした。すなわち、原告(控訴審では「控訴人」というため、以下「控訴人」と表記します)の請求を棄却した第一審判決の結論を維持した形となります。ただし、その判断の仕方は、第一審判決と若干異なる部分がありました。すなわち、第一審判決は、長期入院の主たる要因を控訴人個人の責任に起因させるかのような判断をし、控訴人の主張に対して正面から判断をすることしませんでしたが、控訴審判決は、正面から国会議員や大臣に国賠法上の違法性はないと判断しました。具体的には、次のとおりです。

(1) 控訴人の入院形態について

 控訴人の入院形態については、第一審判決同様に、控訴人の入院形態が同意入院ないし医療保護入院であったと認めるに足りる証拠がないと判断されてしまいました。

(2) 仮に控訴人の入院形態が同意入院ないしは医療保護入院であった場合に、国会議員の立法不作為が国賠法1条1項の適用上違法となるかどうかについて

 控訴審判決は、事案に鑑み、仮に控訴人の入院形態が同意入院ないし医療保護入院であった場合の判断も行いました。

まず、国会議員の立法不作為が国賠法1条1項の違法と評価されるか否かの判断枠組みとして、法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合など、例外的な場合に限られるとしました。

そのうえで、同意入院ないしは医療保護入院の目的は、精神疾患の患者に自傷他害のおそれがあるとまではいえないが、患者に対する医療及び保護のために入院の必要があると認められる場合に適切な医療を提供し、もって、本人の利益を図ることにあるとし、その正当性を認定しました。仮に個別の事案において隔離収容目的による入院があったとしても、それは当該事案において違法又は不当な入院が行われたことを意味するのであり、これを超えて同意入院ないし医療保護入院の制度自体が隔離収容を目的とした制度であるということはできないと判断しました。

また、①その入院要件についても、ⅰ医学的な専門性に依るべきところが多いなど、専門的知見や臨床経験を有する医師の個々の事例に即した裁量、判断を尊重することが適切であり、その基準等を定立することは困難である、ⅱ指定医制度によって判断する医者に一定の質が担保されている、ⅲ保護義務者ないし保護者以外に精神疾患の患者本人に代わってその状態や利益を判断し得る者は想定し難く、保護義務者ないし保護者に同意を求めることが不合理であるとはいえないなどと認定しました。②入院中の処遇についても、特に行動制限や身体的拘束に際して、その利益を保護する一定の仕組みが設けられていると認定し、さらに、③退院についても、精神衛生法、精神保健法、精神保健福祉法にそれぞれ、入院の届出を義務付けたり、退院を命ずる制度等が存在すると認定しました。  

それらを踏まえ、結論として、精神衛生法、精神保健法及び精神保健福祉法における同意入院ないしは医療保護入院が、憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできず、国賠法1条1項の適用上違法とならないとしました・・・

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いのちのとりで裁判判決について

新生存権裁判東京原告団員 神馬幸悦(じんばこうえつ)

 

2013年厚生労働省からの通達で、生活保護利用者の基準額が段階的に徐々に、最終的には10%引き下げられたことに納得いかない全国で1,025人の方々が原告となり国(厚生労働省)を訴えた裁判、通称いのちのとりで裁判の原告者の1人です。私は2019年より参加し7年が経過しましたが、10数年にも及ぶ長い間闘っておられる方もあります。この裁判の最初の判決は2020625日名古屋地裁であり、残念ながら敗訴でした。この時は裁判長の高裁への転任が近くあり、負けるのではないかという予測が当初からされておりました。次に2021222日大阪地裁ではみごと勝訴をかざり11敗の5分となりました。しかし2021329日札幌地裁の判決から2022513日佐賀地裁判決まで7連続敗訴が続いた為、やはり国相手に勝訴するのは大変なことなんだと思いました。ただこの間に福岡、京都、金沢地裁において全く同一内容で判決文が出される事が続き我々原告者の意見陳述が馬鹿にされた感じがしました。続いて2022525日熊本地裁では勝訴したが通算では28敗。この時は先の結果がどうなるか心配もしました。しかし署名や原告者の意見陳述(生活状況)が各地で裁判長へ届き始めたのか徐々に勝訴判決が増え始め、2025611日前橋地裁の勝訴までに地裁では2011敗、また控訴審の各地高裁での判決も74敗と勝ち越す結果となりました。この間先に大阪高裁では一審が覆り敗訴(大阪訴訟)、名古屋高裁では一審が覆り勝訴(愛知訴訟)と異なった判決が出ました。

そして527日最高裁第三小法廷にて大阪訴訟と愛知訴訟の口頭意見陳述が行われ、私は運良くこの意見陳述を傍聴することができました。大阪の原告者の女性の方からは、毎月100円の貯金で孫たちにお年玉や誕生日プレゼントをあげるのが生きがいですが、生活保護受給額減額によりそれが難しくなってきた。「ばあば、お金ないの?」と聞かれると胸が痛みますと述べられました。また弁護団は変遷する国の主張に道理がないことや、朝日、堀木、老齢加算と重ねてきた裁判判決の致達を逆戻りさせることなく、司法が維持•発展させるべきと訴えました。         

この日1530分から参議院議員会館講堂にて大阪、愛知の原告、弁護団による報告とともにオンライン中継で各地の訴訟原告から生活実態や裁判への思い、支援団体や弁護団から裁判に向けた取り組みの様子が語られました。私も23分でしたが原告者の1人として発言しました。会場310人、オンライン107カ所の参加で627日の最高裁判決で勝利を勝ちとるまで全力でたたかおうとみんなで誓い合いました。

そして202562715時緊張の中で判決を迎えました。残念ながら当日の抽選に漏れ中に入ることはできず、近くの喫茶店で休憩を取った後、最高裁正門〜東門で判決が出るのを待ちました。この間知り合いのジャーナリスト等に心中を聞かれましたが、あまりドキドキする事はなく、冷静に判決を待ちました。20分くらいすると、ネットで勝訴の判決が出たと伝わり10分後ぐらいに原告団、弁護団、支援団が戻り改めて勝訴を確認して皆で万歳しました。その後の出来事は感激で覚えていません・・・

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«医療DXにおける情報管理と懸念