おりふれ40周年、400号を記念して

編集部 木村朋子

 おりふれ通信創刊号が1981年4月1日に発行されて以来40年経ち、今号が400号です。たこの木通信400号の報に、そういえば私達も・・と気づかされたのでしたが、40・400というキリのよさにめでたさを感じ、記念に何か、ということになりました。

バックナンバーをめくってみると、柏木診療所のスタートとともに始まった「精神医療をよくする会」(以下「よくする会」)機関紙としての当初は元気いっぱい。創刊号に代表藤澤敏雄が、「おりふれ通信(これはある患者さんが「おりにふれて」集まる会を持っているという話をしてくれたことから命名されました)には、精神医療と人間に関するさまざまなことを掲載していこうと考えています。闘病生活のこと、行政の動き、家族の悩み、精神病院の現状などです」と記しています。

 

1992年に「よくする会」は解散することになりました。92年5月号に飯田文子が「おりふれ11年間をふりかえって」で、81年~84年末は、保安処分や精神衛生実態調査反対の運動、個別病院闘争など敵がはっきりしており、論調も明確だったが、85年以降全体的に曖昧になっていき、89年~92年5月については、敵が見えなくなり焦点がぼけてしまっている。精神病院統計の情報公開裁判や人権センターの記事はあるが、はっきりした主張をもって書かれるのではなく単なる報告記事になっている、それらのことは「よくする会」の混乱とも関係があると思うと書いています。

編集部で話し合って、「よくする会」が解散してもおりふれ通信は情報紙として残すことにしました。要するに私たちがまだやりたかったのです。そこで今に続く3つの編集方針①精神病院問題に力を入れる ②個別の小さな運動を紹介する ③世界の国々の中の日本という視点を持つ をもって再出発しました。

 

それからまた30年。思うことのひとつは、やはり記録を残しておくことは大事ということです。東京地業研、東京精神医療人権センターの活動の記録ということもあります。今回30数年ぶりに病院統計の非開示決定に審査請求をするにあたって、1986年の公開請求から裁判の過程について、順を追った記録として再度コピーをとって皆で読みました。人権センターについても、1989年6月に全国人権センター交流会を2日間にわたって京都で開いたことを思い出しました。大阪、京都・滋賀、島根、兵庫準備会、岡山マインド、東京の6か所が参加。今埼玉、神奈川の人権センターが新しく始まり、新たな交流ができてきている中、昔交流会で話し合った内容は何かの参考になるかもしれないと思いました。

法改正、精神科救急、相次ぐ病院不祥事(宇都宮、大和川、栗田、朝倉・・・)、生活保護、欠格条項などのさまざまなテーマも、時の流れの中で次々に形を変えて出てきます。1997年6月号に小林信子さんが精神神経学会参加記として「抑制とESに異議あり」を書き、それを読んだ浜野徹二医師が8月号の「再び往診について」で、「私の20年の民間病院での経験では、拘束が必要だったのは自傷行為の激しい人と、全くの拒食で補液が必要な人のみでした。それ以外の場合に拘束したことはなく、必要も感じず、そのために回復が遅れ支障があったという印象は持っていません。そういう私の体験からして学会で堂々とマニュアルとしての拘束や電気ショックの発表がなされているという報告は、20年も学会に参加していない者にとっては大変な驚きとともに、それがいわゆる先進的・良心的な病院でなされているということは二重の驚きでした・・・正直なところ反吐を吐きたい心境です」と書いています。現在に続く問題です。

 

連載で心に残っているのは、80年代有沢ゆみ子さんの「病を体験してシリーズ」、小林信子さんの「スペインだより」、96年8月~98年3月久良木幹雄さんの「出会い紀行」、2004,5年の久保田公子さん「『当事者職員』として働いてみて」などです。アーカイブとしてせめてオンラインで読めるようにしたいと言いつつなかなか手がつきません。

 

もともとが「折にふれて」という姿勢ですし、今後についても勇ましいことは言えませんが、この40年で最も目覚ましいことは当事者パワーの進展で、うれしいことにおりふれも例外ではありません。そのことも力にして、当面つづけていくつもりですので引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

400号  

編集部員求む!

闘いに臨む者は皆陣列の前にあれ

年を経ていささか閉塞感のある編集部。

ここはぜひ柔軟な若い力で

新しい風を吹き込んで下さい。

来たれ若人!    本城



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障害者ダービー 知的VS精神

馬野 ミキ 

三十代後半、

アルコール中毒の診断を受け、区内の依存症の施設に通っていたことがあった

建物の上から下までアルコール、薬物、ギャンブルその他の依存症の患者がひしめき合い

それぞれの階にてゾンビのようにミーティングやカリキュラムをこなしていた

アルコール中毒者は、アメリカから輸入されたAA(アルコホーリクス・アノマニス)という自助的な手法を取り入れていて、それぞれがアルコールによる失敗談を語り、それを他の参加者たちは批判せずに聞くというものがあって

自分は割とその時間が好きだった

俺たちは毎朝、列を作りそれに並んでシアノマイドを飲んだ

このシアノマイドという薬を飲んでアルコールを入れると、立ってはいられないくらいのダメージが肝臓にくる

自分も何度かチャレンジし、のたうちまわったことがある

 

生まれてきた罰だ

 

この巨大な依存症の施設にはスポーツリクリエーションがあり一通り見学したあと

サッカークラブに入部した

高校を辞めるまで中学から四年間サッカーをしていた

総勢10人弱のメンバーで半分くらいが経験者で

週に何度か室内でストレッチをしたり、日によっては近所の公園に出かけた

ある日、関連する知的障害者施設の練習相手として俺たちは選ばれ

知的障害者と精神障害者による障害者ダービーの日取りが決まった

このフレンドリーマッチの目的はあくまで知的障害者チームの大会に備えたシュミレーションであり

コーチは全力を出さずに戦うように俺たちに指示した

俺たちは「はい!」と返答して

全力を出した

我々、依存症精神障害チームは、華麗なパス回しで知的障害者チームを翻弄し

ゴールを量産した

最初は身振り手振りで本気を出すなと怒っていたコーチもやがてあきらめて静かになった

躁的な状態になっている二人のストライカーに俺はスルーパスを送る

ほとんどのパスは通り

彼らは次々とゴールネットを揺らして帰ってくる

誰も自分たちをコントロールできなかった

 

10分ハーフのミニコートでのこの試合は26-0で幕を閉じ

15得点をたたき出した若者は鼻血を出してグラウンドの真ん中で倒れていた

依存症チームは額の汗をぬぐいシャバの水道水に代わりばんこに口をつけた

知的障害チームの数人はすっかり自信を失ってしょげて

うつむていた

 

俺は悪いことをしたのだろうか

でもだとすれば俺はどこにボールを蹴るべきだったか

 

知的障害チームと依存症チームのコーチは互いに笑いながらしばらく談笑していた

十年後、東京で開催される予定であったオリンピックは中止になった。  

 

 

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詫び寂びおじさんの徒然日記 その12

 辛(しん)に一を足すと幸になります

私達は発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになる為にこの地球に生まれてきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命より高価なものは存在しません。

―10月20日 政界を引退したホセ・ムヒカ元大統領の言葉

 ご無沙汰しました。おじさんです。今日は11月24日です。あと1週間で師走です。空気も乾燥してきました。コロナが心配です。皆様お身体温かくしてお大事になさって下さい。

 さて今年の夏。有名人の自死が相次ぎました。自殺者数が例年よりも増加したのは、明らかにこの影響によるものだと思われます。心が痛みます。

 この自ら命を絶つ行為を、なにかしてはいけない邪悪なことと思い込んでいる人がいます。自死というのは悲しく痛ましい悲劇的な出来事です。第三者が非難めいた口調で語るのは、辛い思いをして亡くなられた人を貶める行為ではなかろうかとおじさんには思われます。おじさんも長い人生、生きてきて「死ぬよりも辛いこと」にも何度か遭遇しました。ほんとに人生、辛いことが多いです。さて、この「辛」という字に一を加えると「幸」になってしまいます。「幸」という文字は「若死にを免れる」を意味する象形文字なんだそうですね・・・

<以下、全文は、おりふれ通信396号(2020年11/12月合併号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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さいたまの630調査情報公開について ~奈良の小林さんからのお便り

編集部から:先月号で、東京、大阪他では全面開示となった2019年630調査が、埼玉県では隔離・拘束数非開示、さいたま市ではでは全面非開示であったことをお知らせしました。これについて、旧マインドならの小林時治さんから以下のような励ましのお便りをいただきました。ありがとうございました。さいたまでは、不服申し立ての準備が進んでいます。またおりふれ紙上で報告してもらいます。

 

埼玉県、さいたま市の情報公開のこと、10月号で拝読しました。

以前にも申し上げたと記憶しますが、京都の運動体が平成9年に京都府に対して630の開示請求をして、10年京都地裁で「精神科の病院は身体拘束など、一般医療とは異なる強力な権限を付与されているのだから、透明性を確保しなければならない。当該法人等の利益を損なう恐れがあるというが、それは受忍の範囲である」との判決が確定しています。京都府は控訴せず、様子見をしていた京都市も開示に応じました。

ずいぶん古い話です。平成10年代に私はこの判決文を「振り回し」て、奈良県や県内の幾つかの市に対して毎年開示請求をし、630だけでなく、審査会委員や手帳の審査をする委員、障害程度認定に当たる委員の氏名など、いろいろ開示を受けて「マインドなら」で紙面化しました。

個人情報とか、「のおそれ」というのは、臆病で自信のない行政のいう決まり文句ですが、「のおそれ」も、具体性がない、牽強付会に過ぎないとしてしりぞけた、情報公開審査会(自治体の)もあります。

訴訟にかかわった弁護士さんは大津市で事務所をお持ちで、いまも地元の障害者運動にかかわっておられるようです。

判決文は、マインドならを廃刊してから地域のスタッフに渡しましたので、いま手元にありませんが。

訴訟までしなくても、情報公開審査会でも最近は常識的な判断をしてくれますし、臆病な行政も審査会のお墨付きがあれば、開示に応じるとおもいます。

私の経験では、行政に対しては媒体(おりふれ通信など)の力をせいぜい活用されたらと思います。

小林時治

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詫び寂びおじさんの徒然日記 その11

来世におけるあなたの運命は、あなたが現在のシュミレートされた現世で、どうふるまったかによって決められるかもしれない。

 ニック・ボストロム

こんにちは。今日は526日です。東京でも「緊急事態宣言」が解除されましたね。さあこれからどうなるのでしょう。コロナに関しては、おじさんは何を信じてよいのかさっぱり分かりません。今はマスクをしていない人からできるだけ離れる。避ける。これだけは続けようと思っています。ジョギングしている人も怖いです。マスクせず、大きな息をしながら追い越していきます。もしも無症状の感染者だったら、大量の飛沫を浴びる羽目に陥ってしまいます。

もちろん感染している人間が悪いのではなく、悪いのは「ウイルス!」なんですが。

 さてと。世の中驚くようなことばかり起きています。黒川さん。逮捕もされず、懲戒免職にもならず、自己都合退職で退職金5900万円ゲット! おめでとうございます!!

内閣支持率も27%へと落ちてしまいました。ここはひとつ、ぜひ三原じゅん子氏には「恐れ多くも安倍サマを批判するなど許せない!」とツイッターで発信されては如何でしょう?・・・

<以下、全文は、おりふれ通信392号(2020年6月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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柏木診療所が閉院しました

医療法人社団東迅会 山本則昭

 

柏木診療所が2020年3月末を以て39年間の活動を終了しました。東京都地域精神医療業務研究会(代表、藤沢敏雄)が「設立趣意書」(次頁に掲載)を公にして全国から100名近くの支援者の方たちから資金提供をいただき、1981年4月柏木診療所を開きました。当初、地域で支える精神科診療活動の他に精神衛生相談の実施、地域の精神障害者の憩いの場の提供、更には「精神医療110番」の設置、精神医療の情報センターの役割を担うことなど多くの目標を掲げました。また、「精神病院医療に対抗して、診療所のネットワークによる地域にひらかれた精神医療を創造する」という構想も持ちました。しかしその後、当初掲げた目標は診療所としては実現困難なものが多く「せめて良心的な医療、入退院に責任を持つ当たり前の診療所であろうとする」方向にシフトしていきました。1984年には立川に「にしの木診療所」(現「にしの木クリニック」)を開設しました。当初藤沢敏雄の個人診療所という形を取らざるを得ませんでしたが、1990年には医療法人化しました。1995年からは長期入院者の退院促進を眼目としてグループホームを開設しました。柏木診療所閉院後の診療活動はにしの木クリニックのみで行っていくことになります。

まとまった総括は後日になりますが、取り急ぎ診療所活動をご支援いただいた皆様方にご報告しお礼申し上げます。

1980年当時の設立趣意書

1980年代をむかえて、人間が人間らしく住めるための条件が、あらためて問われていると、私達は考えています。技術の際限のない進歩の一方では、環境の破壊と人間の無力化が、するどい矛盾となって私達の前にあるからです。

 価値観が多様化していると言われているにもかかわらず、私達の生活は規格化され、管理社会の機構にがっちりと組み込まれつつあるように想います。健康と不健康は私達人間の生活の中で、わかちがたいものであるにもかかわらず、あたかも、それぞれが無関係であるかのように区別され、切り離されるような動きがあります。

 精神医療の現状も、社会の大きなうごきの中で依然として精神障害者を隔離収容する役割をにないつづけているように見えます。

 精神病院はふえつづけていますし、ふえつづけている精神病院の多くは「精神の病」を癒やすには、あまりにも苛酷で心貧しい考え方で運営されているようです。絶望している人々を、さらに深く絶望におとしいれる収容所であると言っても、言いすぎではないでしょう。

 東京の事情もかわりがありません。

 人口の密集する大都市東京は、孤独の中に絶望する人々を包み込むような有効な手段を多様に準備することがないままにすぎて来ており、不幸にして精神に障害をきたした人々を、精神病院に収容することにだけ力をそそいできていると言ってよいようです。 

 もちろん、そのような大きな流れの中で安易な収容を避け、障害者を生活の場で支えていこうとする努力も、さまざまな人達によってつづけられています。

 私達は、東京の各地に散在する志ある人々と力をあわせて、現状を批判しつつ、ささやかな実践をつづけてきました。実践の中で感じたことを考え、討論し、言葉にする作業をすすめる中で、東京の精神医療の仕組みを少しでも変えられないものかと考えるにいたりました。そして東京都などに対して具体的な提案を行って、その実現をせまる運動を行ってきました。すべての都立総合病院に精神科の外来と病床を設置すること、都立松沢病院を漸次縮小して数ヶ所の小規模病院に分散すること、都立精神科診療所の設置、良心的な民間精神科診療所の有床化の助成、精神病院に関する情報の公開などが、私達の提案の内容でした。

しかし、東京の精神医療をよくする作業は遅々としてすすみません。これは、日本の精神医療が、病床の90%近くを民間精神病院に依存していてその体質が経営の論理と収容主義によって支配されていること、行政当局もそれをよしとして自ら積極的に改革のための努力をしないできたことによるのですが、私達の市民社会が、「精神障害者」の問題を自分達とは関係のないことと、錯覚しようとしているからでもあります。一般市民がそう錯覚しているのは、これまでの精神医学や精神病院が閉鎖的で、すべてを密室の中で営んできたからだと考えます。

 さて、このような状況の中で、私達は志をあらたにして東京の精神医療改革のために、さらに力強い運動と実践をつくりだしていかなければと考えます。

これまでのように、行政当局に具体的な改革をせまる運動を一層広範囲の人々とともに行っていくと同時に、精神医療が開かれたものとなるために必要な情報公開の努力をつづけていくつもりであります。

さらに私達の力を結集するための新しい診療拠点を創ることを決意しました。東京の精神医療の状況を分析した結果、精神科診療所のネットワークによって地域にひらかれた精神医療をめざそうと考えたからです。その第一歩として私達の診療所をまずつくろうと決めました。 

新しく設立する診療所は、次のような特徴をもつことになります。

  1. 精神、神経科の診療を充分に責任をもって行うだけでなく、ひろく精神衛生相談の様々な要請にも対応できるようにする。
  2. 「精神障害者」に対する医療供給が他科に比べて強い時間的制約を受けていることから、いわゆる時間外の診療体制を最大限確保する。
  3. 病床はもたないが、外来に休養室を設置する。これは急性期に一定時間の睡眠とケアで入院にいたるのをくいとめることが可能な場合が多いこと、入院がどうしても必要な場合でも条件のよい病院への入院を可能にするため一時待つ必要があり、そのための場として利用するためである。
  4. 在宅の障害者で孤立無援な人々が多い。また職業生活をこなしていても、孤独で仲間を求めている人々も多い。そのような人々に憩いの場を提供する。
  5. 関連諸機関、施設との密接な協力のもとに、家族・障害者などの支援を行うために、「精神医療110番」を設置する。当面は主として精神医療についての正しい情報、転院、転医などの相談を主体とすることになる。 

診療所を1ヶ所設置するだけでは、広大な東京の精神医療の変革に挑戦するにしてはあまりにもささやかすぎると言えましょう。しかし、私達は既存の良心的精神科診療所、精神病院と連携をとりながら、第一の診療所の発展をはかり、第二、第三の診療所を東京の各地に設置していく計画を立てており、そのための人材の育成もあわせて検討中であります。

 また、私達の診療所を単に精神医療というせまい枠に限定することのないように、教育関係者、福祉関係者、保健衛生関係者、法曹関係者、ジャーナリスト、さまざまな文化活動に従事する人々などとの交流の場として運営していくことを考慮しており、精神医療が「人間の問題」を考える広汎な人々にひらかれたものとなっていくように努力したいと考えます。 

1980年以降の東京の精神医療への私達のささやかな挑戦に対して深いご理解をいただき、ご指導、ご支援をたまわりますようお願い申し上げます。

19809月 東京都地域精神医療業務研究会 代表 藤沢敏雄

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連載・精神科のお薬の適正使用と回復について いっしょに研究しよう! 第5回 精神保健福祉全体の課題の中で向精神薬について考える(最終回)

ジャーナリスト&ファシリテータ 月崎時央

これまでこの連載では向精神薬の適正使用について、治療経過のふりかえり、薬を調べる方法、減薬の事前準備 減薬方法の実例などを紹介してきました。最終回はこのテーマを、精神保健福祉の現場とこれからという少し広い観点から再度考えてみました。

 ◆多剤大量処方を生み出す精神科の入り口

 精神医療の利用者の中には、持続する混乱状態、あるいは急性症状のために本人の意思に関わらず家族やその周囲の人によって強制的に精神医療の場に連れてこられる方がいます。 

その一方で近年増加しているのは「眠れない」「不安が強い」「体がだるい」といった自覚症状があり、その解決を求めて自ら精神科を受診する方々です。

もちろん私はそのどちらの患者さんに対しても、人権を尊重し、提供する医療については医療者がきちんとした説明を行い、患者さんの同意を得るべきだと考えています。

(この4年間私は、自ら精神科を受診し、長年の多剤処方で病状が混乱した末に断薬を実行した経験者を数多く取材してきました。このため原稿は、ひとまず自分の意思で精神科の門を叩いた方の話を中心に書いていきます)

✨連載をまとめた冊子「ゆっくり減薬のトリセツ」はクラウドファウンディングよりお申し込みをお願いします。

https://camp-fire.jp/projects/view/178024

 

 以下、全文は、おりふれ通信385号(2019年9月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ

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大澤智子(さとこ)さんからのお便り

おりふれの会御中

 猛暑の中、8月号をお送り下さってありがとうございます。振込用紙通信欄の続きを書くとお伝えしながら遅くなってすみません。

 通信欄に書いたように私は6年前にリウマチを発症しました。リウマチは免疫が自分の身体を攻撃する病気といわれ、治療薬はその免疫の働きを抑える作用があります。そのため薬を服用していると感染症その他の病気にかかりやすくなるようです。そのことを知って、私は薬物を使わない治療法も探していましたが、身体の動かしにくさと痛みには我慢できず、職場からの強い勧めもあって、一般的な薬物療法を行うクリニックに受診しました。

 それでも薬物以外の治療法に関心をもっていたので、いろいろな書物を読んだり、整体に通い続けています。中でも大変参考になったのは、渡辺千春さんの「リウマチ感謝」シリーズです。「病気は本当の健康を手に入れるチャンス」というサブタイトルは今の私の実感です。食物、睡眠、身体の動かし方、心の持ちようなど、今までの生活を見直すきっかけになりました。

 月崎さんも書いていらっしゃいましたが、私も甘い物、特に白砂糖の摂取は控えるようにしています。またゆっくりとお風呂につかる、なるべく体幹から動くようにする、そして無理はせず、物事の良い面を(も)見るようにするなど、完全にはできませんが意識しています・・・

 

 以下、全文は、おりふれ通信385号(2019年9月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ

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連載・精神科のお薬の適正使用と回復について いっしょに研究しよう! 第4回 実際はどのように減らしていくのだろう。  

ジャーナリスト&ファシリテータ 月崎時央

 

減らすスピードはできるだけゆっくりが安全

 私が向精神薬の減薬について取材し始めたのは約4年前です。減薬中の方、断薬を終えた方、診断名も年齢もことなる様々な方に会い、インタビューしてきました。

 取材スタート当初、私は「あまり急な減薬はよくないが、案外早く簡単にやめられる人もいるようだ」という印象を持っていました。

 しかし少し長く取材を続け、減・断薬した方々のその後を追って行くと、減・断薬はかなり慎重に行なわないとリスクのあるものだと考えるようになりました。

 2年前になりますが、私は週刊朝日の取材(2017.106)で「多剤処方の減薬」について、田島治医師(杉並区・はるのこころみクリニック院長 杏林大学名誉教授)と千村晃医師(池袋・千村クリニック)を取材しました。この二人の精神科医が向精神薬の減薬に力を入れていることを患者さんの情報から知ったためです。

 二人の精神科医に共通するのは、減薬時における離脱症状の存在を、一般の医師よりかなり広範囲に認める姿勢を持ち、患者が「離脱症状かもしれない」と訴えた症状については否定せずに受けとめ一緒に考え、患者と丁寧に話し合いながら患者の訴えに合わせて薬を減らして行くという点です。実際、実に離脱症状は多種多様です。

 ゆっくり丁寧に減薬するという基本方針は同様ですが、千村医師は特にバランスの良い食生活や運動などの勧め、身体管理と必要に応じてカウンセリングなどの心理療法を取り入れ患者の不安を減らしながら減薬をしていくことを推奨しています。

 そしてスピードに関しては、どちらの医師も1剤でも半年〜1年計画、多剤処方の場合は2〜3年計画を立て、1剤ずつ順番に行う必要があると指摘しています。「薬は増やすより減らすほうが難しい」という2人の医師のコメントが印象に残っています・・・・

 以下、全文は、おりふれ通信384号(2019年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ

 

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天野聖子著『精神障害のある人の就労定着支援』を読んで

加藤 明美

本書は、1987年、国立市谷保に共同作業所「棕櫚亭」を設立、後に社会福祉法人「社会就労センターピアス」を開所。精神障害者就労支援のトップランナーを走ってきた、天野聖子氏と、多摩棕櫚亭協会現スタッフによる一冊である。
 題名が硬いなあとお感じの方は、第二部からをお勧めする。なにゆえ著者らが、地域で共同作業所を作り、就労定着・支援という今の形に発展させたか順を追って理解できるからである。

 時は半世紀近く前、とある精神病院のデイルーム。ギターをバックに歌うのどかな時間が、ガラスの割れる音で一変される。
 保護室、インスリンショック、電気ショックが当たり前で、院外作業先も過酷であった時代A精神病院の初代ケースワーカーとしての氏の経験は、この後の活動の原点になったように思う。辛い体験が重なり、無力感を抱き一年で退職。「もう精神病院には行かない。ケースワーカーには向いてない」と決め、スナックママに。「揺籃期」の天野氏である・・・・

 

 以下、全文は、おりふれ通信384号(2019年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ

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