医療法人社団東迅会 山本則昭
柏木診療所が2020年3月末を以て39年間の活動を終了しました。東京都地域精神医療業務研究会(代表、藤沢敏雄)が「設立趣意書」(次頁に掲載)を公にして全国から100名近くの支援者の方たちから資金提供をいただき、1981年4月柏木診療所を開きました。当初、地域で支える精神科診療活動の他に精神衛生相談の実施、地域の精神障害者の憩いの場の提供、更には「精神医療110番」の設置、精神医療の情報センターの役割を担うことなど多くの目標を掲げました。また、「精神病院医療に対抗して、診療所のネットワークによる地域にひらかれた精神医療を創造する」という構想も持ちました。しかしその後、当初掲げた目標は診療所としては実現困難なものが多く「せめて良心的な医療、入退院に責任を持つ当たり前の診療所であろうとする」方向にシフトしていきました。1984年には立川に「にしの木診療所」(現「にしの木クリニック」)を開設しました。当初藤沢敏雄の個人診療所という形を取らざるを得ませんでしたが、1990年には医療法人化しました。1995年からは長期入院者の退院促進を眼目としてグループホームを開設しました。柏木診療所閉院後の診療活動はにしの木クリニックのみで行っていくことになります。
まとまった総括は後日になりますが、取り急ぎ診療所活動をご支援いただいた皆様方にご報告しお礼申し上げます。
1980年当時の設立趣意書
1980年代をむかえて、人間が人間らしく住めるための条件が、あらためて問われていると、私達は考えています。技術の際限のない進歩の一方では、環境の破壊と人間の無力化が、するどい矛盾となって私達の前にあるからです。
価値観が多様化していると言われているにもかかわらず、私達の生活は規格化され、管理社会の機構にがっちりと組み込まれつつあるように想います。健康と不健康は私達人間の生活の中で、わかちがたいものであるにもかかわらず、あたかも、それぞれが無関係であるかのように区別され、切り離されるような動きがあります。
精神医療の現状も、社会の大きなうごきの中で依然として精神障害者を隔離収容する役割をにないつづけているように見えます。
精神病院はふえつづけていますし、ふえつづけている精神病院の多くは「精神の病」を癒やすには、あまりにも苛酷で心貧しい考え方で運営されているようです。絶望している人々を、さらに深く絶望におとしいれる収容所であると言っても、言いすぎではないでしょう。
東京の事情もかわりがありません。
人口の密集する大都市東京は、孤独の中に絶望する人々を包み込むような有効な手段を多様に準備することがないままにすぎて来ており、不幸にして精神に障害をきたした人々を、精神病院に収容することにだけ力をそそいできていると言ってよいようです。
もちろん、そのような大きな流れの中で安易な収容を避け、障害者を生活の場で支えていこうとする努力も、さまざまな人達によってつづけられています。
私達は、東京の各地に散在する志ある人々と力をあわせて、現状を批判しつつ、ささやかな実践をつづけてきました。実践の中で感じたことを考え、討論し、言葉にする作業をすすめる中で、東京の精神医療の仕組みを少しでも変えられないものかと考えるにいたりました。そして東京都などに対して具体的な提案を行って、その実現をせまる運動を行ってきました。すべての都立総合病院に精神科の外来と病床を設置すること、都立松沢病院を漸次縮小して数ヶ所の小規模病院に分散すること、都立精神科診療所の設置、良心的な民間精神科診療所の有床化の助成、精神病院に関する情報の公開などが、私達の提案の内容でした。
しかし、東京の精神医療をよくする作業は遅々としてすすみません。これは、日本の精神医療が、病床の90%近くを民間精神病院に依存していてその体質が経営の論理と収容主義によって支配されていること、行政当局もそれをよしとして自ら積極的に改革のための努力をしないできたことによるのですが、私達の市民社会が、「精神障害者」の問題を自分達とは関係のないことと、錯覚しようとしているからでもあります。一般市民がそう錯覚しているのは、これまでの精神医学や精神病院が閉鎖的で、すべてを密室の中で営んできたからだと考えます。
さて、このような状況の中で、私達は志をあらたにして東京の精神医療改革のために、さらに力強い運動と実践をつくりだしていかなければと考えます。
これまでのように、行政当局に具体的な改革をせまる運動を一層広範囲の人々とともに行っていくと同時に、精神医療が開かれたものとなるために必要な情報公開の努力をつづけていくつもりであります。
さらに私達の力を結集するための新しい診療拠点を創ることを決意しました。東京の精神医療の状況を分析した結果、精神科診療所のネットワークによって地域にひらかれた精神医療をめざそうと考えたからです。その第一歩として私達の診療所をまずつくろうと決めました。
新しく設立する診療所は、次のような特徴をもつことになります。
- 精神、神経科の診療を充分に責任をもって行うだけでなく、ひろく精神衛生相談の様々な要請にも対応できるようにする。
- 「精神障害者」に対する医療供給が他科に比べて強い時間的制約を受けていることから、いわゆる時間外の診療体制を最大限確保する。
- 病床はもたないが、外来に休養室を設置する。これは急性期に一定時間の睡眠とケアで入院にいたるのをくいとめることが可能な場合が多いこと、入院がどうしても必要な場合でも条件のよい病院への入院を可能にするため一時待つ必要があり、そのための場として利用するためである。
- 在宅の障害者で孤立無援な人々が多い。また職業生活をこなしていても、孤独で仲間を求めている人々も多い。そのような人々に憩いの場を提供する。
- 関連諸機関、施設との密接な協力のもとに、家族・障害者などの支援を行うために、「精神医療110番」を設置する。当面は主として精神医療についての正しい情報、転院、転医などの相談を主体とすることになる。
診療所を1ヶ所設置するだけでは、広大な東京の精神医療の変革に挑戦するにしてはあまりにもささやかすぎると言えましょう。しかし、私達は既存の良心的精神科診療所、精神病院と連携をとりながら、第一の診療所の発展をはかり、第二、第三の診療所を東京の各地に設置していく計画を立てており、そのための人材の育成もあわせて検討中であります。
また、私達の診療所を単に精神医療というせまい枠に限定することのないように、教育関係者、福祉関係者、保健衛生関係者、法曹関係者、ジャーナリスト、さまざまな文化活動に従事する人々などとの交流の場として運営していくことを考慮しており、精神医療が「人間の問題」を考える広汎な人々にひらかれたものとなっていくように努力したいと考えます。
1980年以降の東京の精神医療への私達のささやかな挑戦に対して深いご理解をいただき、ご指導、ご支援をたまわりますようお願い申し上げます。
1980年9月 東京都地域精神医療業務研究会 代表 藤沢敏雄
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