第67回日本病院地域精神医学会 兵庫大会に参加して

ジャーナリスト 月崎時央

 

震災を越えた学び舎で、共生ための対話を
 私は、メンタルサバイバーチャンネルという当事者メディアの世話人を務めています。メンタルサバイバーチャンネルは、精神医療の現場における向精神薬の減薬と回復、また依存症の問題をテーマにした情報発信や交流活動を続けています。
 今年2024年も1130日と121日に兵庫県神戸市長田区のふたば学舎で開催された「日本病院・地域精神医学会総会」に参加しました。この学会にはほぼ毎年参加しています。
 会場となったふたば学舎は、戦前の1929年に建設され、2008年まで小学校として使用されていた歴史的建物です。
 
この建物は戦災や震災を免れ、現在は地域のコミュニティセンターとして活用されています。長い木の廊下や高い天井、漆喰の壁など、どこか懐かしさを感じる美しい空間が特徴で、私にとって大変印象深い場所でした。
 
この学舎は、1995年の阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた長田区の大正筋商店街からわずか150メートルの位置にあり、震災後の地域復興の象徴的な存在でもあるそうです。会場そのものが持つ歴史や震災との関わりが、今回の学会のテーマである『共生・対話・多様性』とも重なる印象を与えてくれました。

神戸の港町が語る、ヘロインと震災の記憶   

 私は、向精神薬の減薬と回復についての取材を10年近く続けており、依存症や離脱症状に深い関心があります。
 そのため、今回の学会では、大会長である麻生克郎医師(公益財団法人復光会垂水病院 副院長)による基調講演『神戸が経験したヘロイン蔓延を振ふりかえる』と、市民講座公開シンポジウム『震災から30/人と地域の回復』という2つのプログラムを特に興味深く聴講しました。
 麻生医師は1960年代と2000年代に神戸で起こった2回のヘロイン蔓延について詳しく語りました。港湾都市であり、多様な文化的背景を持つ人々が集まる神戸が、その地理的特徴からヘロインの流入地となり、特に震災後にはベトナム難民がターゲットになったことを私は初めて知りました。
 1995年の震災直後には、多くの難民が被災者としてテント生活を余儀なくされ、その状況を悪用する形でヘロインの売人が現れたという話は、震災と薬物問題の結びつきを示す衝撃的な例でした。この問題に対し、難民支援組織や医師たちが連携し、オピオイド依存症の拡大を防ぐために尽力したエピソードが印象に残りました・・・

<全文は、おりふれ通信439号(2025年1月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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映画『どうすればよかったか』感想

当事者 Y

 

時間が巻き戻せるならば、私たちは悩んだりはしない。多くの苦悩と後悔を重ねて、ようやく私たちは障害を受容する。この映画には、多くのifが果たされなかったこと、分岐するifの世界を生きることができなかった姿が描かれている。それは、当事者である「姉」であり、また家族と監督の「弟」であった。

 

統合失調症の幻覚や妄想という症状によって、「姉」は人生の時間を家の中で過ごすことを余儀なくされる。適切な治療と支援によって回復可能であるとされる現在の病の認識から遠く取り残されてしまった家族と当事者の姿は痛ましく、観るものを当惑させ、混乱させずにはいられない。

家族という厚い繭cocoonに、私ならばどうしただろうかと何度も反芻した。そこには、ともに悩み、苦しむ他者の存在が欠けていたと私には思えた。家族が望んだことと「姉」が望んだこと。それは果たして同じものであったのであろうか。希望とは他者から投げられた眼差しによって、そしてその眼差しを投げ返すことによって生まれるものではないだろうか。喪失を描いたこの映画が今を生きる人々の希望へと変わるかどうかは、「姉」の眼差しを私たちがどのように受け止め、眼差し返すのか、ということに賭けられている。

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虐待事件を起こした病院には厳しい処分を! 生活保護の指定医療機関の取り消しを求める陳情への署名をお願いします

滝山病院にアクセスする会

 共同代表 細江 昌憲

      伊澤 雄一

 東京都八王子市の精神科病院、滝山病院で虐待事件が20232月に発覚しました。精神科病院の虐待、暴行事件は、つい最近も20245月に神奈川県立精神医療センターで心理的虐待が報道されたほか、兵庫県の神出病院(2020年)、静岡県のふれあい沼津ホスピタル(2022年)など、日本全国、枚挙に暇がありません。しかも、これらの精神科病院は、未だ、廃院することなく、存続しています。これは誰が聞いてもおかしいと考える現実です。

滝山病院は202492日、理事長及び院長が交代することを発表しました。しかし、新体制になったからといって、虐待事件の事実が消える訳ではありません。八王子市は可及的速やかに、滝山病院の生活保護の指定医療機関の指定を取り消すべきです。

 これまでに、不正請求以外で生活保護の指定医療機関の指定が取り消されたことはありません。不正請求はお金の問題ですから、お金で解決できます。しかし、虐待は、命やその人のその後の人生にかかわる大きな問題です。被害を受けた方(家族などの関係者も含む)の心身の回復は、相当の時間がかかるだけでなく、以前の生活を取り戻すことができないかもしれないのです。虐待事件は不正請求よりも重大な問題なのです。

今回、指定が取り消されれば、日本全国の精神病院に対して、社会は虐待を絶対に許さない、という強いメッセージになります。これまでの痛ましい虐待事件を二度と繰り返してはなりません。ここが正念場なのです。

 

ぜひ、個人、団体、所属や立場を超え、滝山病院の指定医療機関の取り消しを求めましょう。全国から声を集めましょう。

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追悼 山本真理さん

おりふれ通信編集部  木村・石井

長く入院、療養されていた山本真理さんが、先日亡くなったとの報がありました。毎日のように真理さんからメールでいろんな情報を受け取っていた時期から随分の時が過ぎ、「とうとう…」という感じです。心からご冥福をお祈りします。

 おりふれ通信として、山本真理さんを振り返ってみると、19853月号巻頭、長野英子さん名での「宇都宮病院事件の本質は何かー患者の立場からー」の寄稿が初回でした。その後は2000年代に入ってから、全国「精神病」者集団や権利主張センター中野の集会や学習会、出版物のお知らせを主に、時には記事を読んでの批判的意見を投稿してくれたり、年に34回は真理さんの文を掲載してきました。

 訃報に接して、何人かで真理さんを偲び語るひと時をもちました。

根間さんは10年ほど前、減薬の勉強会で初めて真理さんに会い、世評と異なりやさしい人だなぁという印象を持ったそうです。

石井は、20代の頃、同じ病院に入院した人に誘われ、当時京都で月1回開かれていた「病」者集団の定例会に参加したのが、真理さんと初めて会った時。この頃から眞理さんは、仲間に対して「来るもの拒まず、去るもの追わず」の姿勢が徹底していたと思う。これはちょっと素っ気なくも感じたが、精神病院に入院させられ、逃げることや自分で選択する自由を奪われた体験をした私にとって、何より安全な場や関係を与えてくれた。でも当時は「精神病院を燃やせ!」など、過激なメッセージや主張におののいたり、しんどくなっちゃう時もありました。ただ、「病気になってごめんなさい。病気が良くならないの全て自分のせいだ。」でいっぱいになっていた世界にヒビを入れてくれたのも、そんな眞理さんの暴力的な言葉や態度のもつパワーだった。

木村もやはり初めての出会いは20代、松沢病院のワーカーとして駆け出しの頃で、大野萌子さんと山本真理さんの二人に、「あなたは持っている鍵で、今すぐ松沢病院の全閉鎖病棟の扉を開けなさい!」と言われ、怖かった。その後は敬して遠ざけるように過ごしてきたと言いました。

藤井雅順さんは、精神保健福祉士養成コースの病院実習の頃、山本真理さんに初めて会い、真理さんの語る理念と、現実の精神病院での患者さんの境遇のあまりのギャップが衝撃的だった。真理さんから「あなたは敵になるの、味方になるの?」と問われたことも印象に残っている。その後ギャップを自分なりに埋めるべく、松沢病院の資料館に皆で通ったり、模索してきているという話でした。

 真理さんが言っていたこと、「清潔なシーツ、布団の寝床でゆっくり眠り、休養できることが大事」ということから、休養入院という言葉はあるが、入院はいろいろ気も使うし、環境も休まるとは言いがたいよねという話。真理さんは入院より温泉行った方がいいって言って、デトックス(?)みたいな温泉・断食旅行してたよ。

 真理さんの未来図は何だったんだろう?「クライシスセンター」のことはよく言ってた。入院でなく、認定調査、支援区分などの時間のかかる手続きをしないと使えないショートステイでもなく、そういう手続きは飛ばして、緊急時、必要な時にすぐ泊まれる場。「ご飯を一緒に食べるってことも大事」に思ってたと、真理さんとご近所だった石井が、真理さんに肉団子の鍋を作ってもらったことなど、いろいろな思い出を話した。真理さんは怒ってるイメージが強い人だったけど、「こわいんだけど、こわくない。真理さんの前ではなぜか仏頂面でいられた」

 精神病院と闘う一方、自らの地域生活にホームヘルパーや、外出時約束の時間、場所に着くためのガイドヘルパーが必要なことも明らかにし、自治体への批判や交渉の経過も発信して世に問うた人。保安処分・医療観察法を許してはいけないという一貫した強い思い…、真理さんをめぐる話は尽きず、時間となりました。

 

 

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ギャラリーカフェ禾菜(カナー)訪問記

侘び寂びおじさん 

 

 目的地は、富士急行線の禾生(かせい)駅。高尾駅から大月駅までは、ボックスシートの車両でした。おかげでちょっとした小旅行の気分が味わえました。斜め向かいに、パンクな格好の若者がペコッとお辞儀をして座った。そのいで立ちと礼儀正しさのギャップが可笑しい。ははぁ、昨日は新宿あたりで遊び呆けて日曜の昼にご帰還かぁと、意地悪おじさんは思うのでありました。さて、大月まではトンネル、またトンネルでした。山あいに集落が立ち並ぶのどかな風景を眺めながら大月に到着。大月駅で富士急行に乗り換え。電車内は日曜ということもあり、完全に観光列車でした。英語と中国語が飛び交いなす。そうか、富士山なんだ…。気づくのが遅い!

 さて、大月から三つ目の禾生(かせい)駅で下車。思ってたよりも開けている。もっと田舎かと思っていました。行動沿いだしね。小学校もあります。ちなみに余談になりますが、この禾生駅から海上保安庁の新人が、羽田空港の特殊救難基地までの100キロを24時間以内に踏破するという行軍があるそうです。しかも速い隊員だと13時間で着くそうです。すごいですね!

 国道139号線を西に歩いていると、前方に見覚えのある二人の姿が。久保田公子さんと、先に着いていたおりふれ編集長の木村さんでした。久保田さんは20年前、おじさんが立川の自立支援センターに通っていた頃の担当職員だった方で、おりふれ通信につなげてくれた人でもあり、今はお連れ合いの北原さんと一緒にギャラリーカフェ禾菜(カナー)をされています。15年?ぶりの再会でした・・・

 

<全文は、おりふれ通信435号(2024年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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2023年 編集後記

今年はミーティングやイベント会場で、仲間や知り合いと再会することがぼちぼちあった。嬉しかったり、ホッとしたり、でも悲しいニュースもあって残念な気持ちになりながら、細い糸がまた繋がり出す。生き延びる力をもらえる。でもそんな時、ふと滝山病院のことを思い考えることが増えた。その瞬間、私から糸が断ち切られる感じがして体が冷える。時間は止まる。空気が悪い。こんな思いを抱えている人は私ひとりではないと今は知っている。滝山病院に風を吹かせたい。  まゆみ

 

今年も裁判傍聴をしてきました。国賠訴訟伊藤時男裁判、生活保護引き下げ新生存権裁判など国は強い人の見方しかしないのかと感じた。民間では①母親と②引き出し屋③精神病院3セットで心に深く傷を残した人がいた。俺もやられたと裁判を起こそうと勉強しに来てた人もいた。八王子の訪問では措置入院20 回複数の精神病院に入院してる人と会った。同じ年だったけどいきいき目が輝いて私よりも若々しかった。①警察②精神病院③治安この3セットも考えさせられた。引きこもりの相談引きこもり家族会にも参加した。引きこもりの多さに驚いた!やはり日本は変だと感じた1年でした。現場で自分の目で見れたことがすごく良かった。真実はやはり現場に行くことだ。       小峰盛光

 

ユートピアは地平線上にあります。私たちはそれに一歩近づくと、それは一歩遠ざかります。

私たちはそこに到達することはできません。

では、ユートピアの目的は何でしょうか?

私たちを前進させることです。  ―エドゥアルド・ガレアーノの言葉

世界中で極右が台頭しています。オランダでは総選挙で、極右政党が躍進し、第一党になってしまいました。地球の裏側アルゼンチンでは、極右の大統領が誕生しました。日本でもおぞましい状況が近づきつつあるように感じてしまいます。

私のような無力な者にできることってなんだろう。

小さな抵抗ですが、YouTubeで変なコンテンツを見つけたら、躊躇なくYouTubeに報告します。

来年は、総選挙です。頑張って選挙会場に行き、1票を投じます。 本城

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<追悼>

金松直也医師へ 

 金松医師が1110日になくなったという知らせを受け取りました。

 私が、何の問題意識もなく、食べるために公務員―東京都保健所の精神衛生相談員になったとき、仕事の相棒として東京都立精神衛生センターから派遣されてきたのが、金松医師でした。精神医療・福祉について全く何も知らない新人の私は、金松医師が言ったり、行ったりすることに、いちいち疑問をいだき、質問していました。例えば「この人はてんかんだから・・・」「この人は精神分裂病だから・・・」と言われると、「てんかんだからと言ってどうして?」「精神分裂病だからってどうして?」みたいなことを。そんな私に対して、金松医師は「あなたはおへそが曲がってついている」と言っていました。それが1967年のことです。今は2023年。56年経ちました。

 金松医師は、その後東京都を辞めて、長野県立木曽病院で長らく勤務医をしながら、長野県の地域精神医療に携わっていました。その後も「おりふれ通信」読者として、ずっとお付き合いが続いていました。

 コロナで人付き合いが疎遠になる少し前に、久しぶりに昔の仲間と長野県で飲み会をもち、酔っ払ったのが金松医師に会った最後でした。

金松先生、いろいろありがとうございました。  飯田文子

 

追悼 中田智子さん

おりふれ通信の購読者であり、立川市の精神保健福祉に尽力された中田智子さんが亡くなられました。中田さんは、市内の精神障害者の草分け的な作業所を長く運営されました。作業所の連絡会(立精連)を立ち上げたり、市の自立支援協議会などの委員も務めたりと立川市の精神保健福祉に大きな役割を担い続けた人でした。中田さんの語った作業所運営の理念として印象深いのは「学ぶ、働く、遊ぶ」というもの。それは精神障害者に限らず、社会に生きる人間として大事なことと思われます。また、食の大切さにもこだわっておられました。何より、楽しそうに活動されていた姿、ユーモアあふれる物言いが想い起こされます。大事なものを沢山残してくれた中田さんに感謝です。   山本則昭

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投稿詩  We are

森重寿一

 

我々哀れな患者は

精神病院に向かって

運ばれていく

殺されるも殺すも

お金💰を稼ぐためだけに

いいようになってゆく 

長く入院して殴られて

拘束されていじめられて

 

病院🏥の院長などなどは

好き勝手にいろいろあっても

反省のかけらもないから

 

日本の精神病院🏥は

狂ってる 狂ってる

まだ狂ってる

 

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伊藤時男さんの裁判を応援してください

村田京子 

私が精神医療に関心を持った原点は、偶然読んだ一冊の小説「髪の花」(小林美代子著)でした。自身の精神病院入院体験をモデルに綴った、迫力の作品です。追いつめられる心、周囲の人々の視線、病院でのあまりに非人間的な扱い、同室者たちの悲しい運命、狂気の自分を冷視する、正気の自分。同時に作品を貫いているのは「生きたい、なんとか治って人間らしい実りある生活を送りたい」という、力強い願いです。開放病棟に移され、患者仲間と一緒に、久しぶりで運動場の土を踏む場面が印象的でした。

《二人は暫くぶりで晴々と笑った。私は二度と恥を曝さない為に、死ぬ自由を与えられたら必ず死ぬのだと決めていた暗い誓いが、大地を踏むと同時に消え失せて、私に限り再発しない、死ぬなら何時でも死ねる、こんな楽しい気持ちを失わずに持ち続けたいと、大地にあやされて、駆けっこ一つで死を乗り越えてしまっている。駆けられる体、大地、この青い美しい空、簡単にこれは捨てられないと思った。》

先日、同じ著者の遺作「蝕まれた虹」を読みました。退院後、自宅で様々な人の相談に応じる生活をしていた主人公でしたが、不調を自覚し、自ら病院に向かい、入院するのでした。

《何事も起こさないという安心感とひきかえに、自由を売り渡してきたの。5年間の正気の生活は宝石の小箱に納め、心に持ってきたわ。》と。

何かをしでかさないために、周囲や家族に迷惑をかけないために、そして自らが安心するために、だから入院は必要でしょうか? 確かにそれを全否定はできません。しかし、5年間の自宅での生活は、「キラキラ輝く宝石」だったのです。そして入院は、安心感とひきかえに「自由を売り渡す」ことなのです。

伊藤時男さんは、「人間は自由でないといけないよ。鳥だって自由に空を飛ぶ。あんなかごの鳥みたいなことあってはならない」と話されています。

私はこの裁判の実現は不可能ではないかと考えていました。いろんな困難さがあるでしょうが、何より原告となるべき人々が、病院の中に長年いる方たち(かごの鳥)であるからです。しかし奇跡的に(?)外に出られた伊藤時男さんが名乗りを上げてくれました。

伊藤さんは、ご存知の通り、2011年の東日本大震災での原発事故による病院の閉鎖に伴い、茨城県内に転院。そこで、入院が必要な症状ではないとあっさり告げられ、40年にも及ぶ入院生活が終わったのでした。グループホームでの2年の生活を経て、今は群馬で一人暮らしをされています。公判には毎回上京されていますし、沖縄をはじめ各地で開かれるイベント等々にも参加し、精力的に活動されています。「退院できないことに絶望して何人も自ら命を絶った。自分だけ解放されて、それでおしまいではいけない」「見て見ぬふりはできない」と・・・

 

<以下、全文は、おりふれ通信416号(2022年11月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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『日本精神医学資料館』に魅せられて

特定非営利活動法人ほっとスペース八王子   精神保健福祉士 藤井雅順

 

この度は寄稿の貴重な機会を賜りまして誠にありがとうございます。今回は私の原点のお話に触れながら松沢病院敷地内にございます日本精神医学資料館とそこを舞台にした学習会のエピソード、そしてなぜに「日本精神医学資料館」なのかを書いてみようと思います。

昨今、山上哲也氏の母親が新宗教「世界平和統一家庭連合」に熱烈に信仰して多額の献金から破産するも信仰に傾倒するさまが明らかになってきています。山上氏が精神鑑定の只中にあることも注目しておきたいところですが、このエピソード、確かに極端に思えるエピソードではありますが世の中見渡すに氷山の一角の現実のようにも実感いたします。教団を取り巻く問題でお悩みの方、苦しんでおられる方、大勢いらっしゃることと思います。私自身、経験しているからこそ理解できるピアサポーター的な存在かもしれません。教団こそ違えども私自身、度重なる様々な壮絶なる体験からわらをもすがる思いから新宗教に導かれ、そして複数の新宗教を渡り歩き、熱烈に行にいそしみ信心に明け暮れていた時期もあります。教えに出会い救われたことも事実、実感としてあります。先達に導師にお勤めしたこともあります。ある時は、とある教団に遠くまで拉致され強引な勧誘行為を受けた経験だってあります。今は既に脱会していますが、結果的に様々なあらゆる経験が、仕事で糧になる場面に遭遇することもあるように実感しています。人生においていろんな出来事に遭遇することでしょう。順境もあり逆境もある。そこでいかに向き合うか、いかに取り組むか、有意義な糧を得るか、その糧をいかに活かすか。そうすると、どのような経験であろうと無駄な経験にはならないのではないかとおもいます。個人的には新宗教は懲り懲りなのがホンネです。

さて、大学生時分、私自身も傾倒した信仰生活から親に精神科に連れていかれたことがあります。新宗教に関して様々な書籍に著述されている町沢静夫氏でした。診察を受ける中での町沢先生とのやりとり、また待合室で荒ぶる急患の姿を目の当たりにしたことから精神科領域に関心が向くこととなりました。もう一つのエピソード、それはテレビ番組「“病める国”ニッポン 精神科救急24時」でした。番組での衝撃と関心がそそられたことがきっかけですが、番組抜きにしてもやはり教団への対抗心、これも実は精神保健福祉士の資格取得の動機のひとつにもなっています…

<以下、全文は、おりふれ通信414号(2022年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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