大阪精神医療人権センター【シンポジウム】2018/2/7(水)精神科病院に入院中の人々のための権利擁護の実現に向けて ~日精協によるアドボケーターガイドラインはあかん!!!~(予定)

2018年2月7日(水)12時30分~15時30分 @参議院議員会館

入場には入館証が必要です。12時から議員会館1階ロビーで通行証を配布します。

(1)基調報告
○日本の精神医療の現状、なぜ権利擁護システムが求められるのか
位田浩(大阪精神医療人権センター共同代表・弁護士) 
○「アドボケーターガイドライン」の問題点 
原 昌平(読売新聞大阪本社編集委員・精神保健福祉士) 

(2)リレートーク 
入院経験者/山本深雪(大阪精神医療人権センター・大阪精神障害者連絡会)他
参加費無料
申し込み要 ◆FAX:06-6313-0058 ◆Eメール:advocacy@pearl.ocn.ne.jp

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意  見  書 ~精神科病院に入院中の人々のための権利擁護システムの構築を求め、 日本精神科病院協会によるアドボケーターガイドラインに反対する~

大阪精神医療人権センター会報『人権センターニュース』2017年12月号より転載

認定NPO大阪精神医療人権センター


(要約)
 日本の精神科病院は、世界的にみても入院者数がきわめて多い。半数近くが強制入院であり、任意入院者も多くが閉鎖処遇を受け、長期入院を強いられている。身体拘束・隔離などの行動制限も近年大幅に増加しているなど、精神科病院の入院者の自由と人権は著しく制限されている。この深刻な状況を解消するには、人権侵害に対する救済を目的とする権利擁護システムが不可欠であり、とくに精神科病院から独立した第三者(権利擁護者)による権利擁護活動を実施することが早急に必要である。
 2013年の精神保健福祉法改正では、代弁者制度を含む権利擁護システムの導入が見送られ、法施行3年後の検討事項は「権利擁護」ではなく、「意思決定及び意思の表明についての支援」とされた。その後、厚生労働省の障害者総合福祉推進事業の一環として、日本精神科病院協会による「アドボケーターガイドライン」がまとめられた。

 「アドボケーターガイドライン」は、人権侵害に対する救済を目的とせず、本人に治療を受けさせることを目的としている。「アドボケーター」は、入院者への直接的な支援が禁止される一方、精神科病院に対する報告義務を負い、また、実施条件・方法が医療機関の裁量に委ねられるなど、精神科病院の管理下でしか活動できない。この制度が導入されると、「アドボケーター」という名称で権利擁護システムが導入されたかのような誤った印象を与え、本来求められるべき権利擁護システムの導入に向けての議論を阻害することになり、その導入による弊害は極めて大きい。

 ところが、厚生労働省は「意思決定支援等を行う者に対する研修の実施」のために2018年度予算を要求しており、日本精神科病院協会によるアドボケーター制度の導入に向けた研修を行おうとしている。

 当センターは、精神科病院から独立した第三者として、精神科病院に入院中の方への面会活動や精神科病院への訪問活動による権利擁護活動を実践するとともに、精神科病院から独立した第三者(権利擁護者)による権利擁護システムの構築を求めてきた。私たちは、アドボケーターガイドラインの導入やこれを前提とする研修の実施に強く反対するとともに、人権侵害の救済を目的とした権利擁護活動の実施・拡充に向け、多くの市民が参加できる体制を作り、精神障害者の権利擁護活動に関心のある団体と連携・協力しながら、権利擁護システムの一翼を担っていく所存である。

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改めて医療保護入院制度を考える ー最近の東京精神医療人権センターへの相談からー

東京精神医療人権センター 飯田文子


 この一年間に、精神科病院入院中の方からの相談で、センターとして病院へ面会に行ったのが4例あった。この4人の方達に多くの共通点があると気づいたので、それを報告する。

1 入院してから、センターに相談電話をするまでの時間が、比較的短い。(2週間1人、2ヶ月前後2人、2年数ヶ月1人)

2 今回の入院まで、精神科治療歴がほとんど無い。

3 診断名があいまいで、いわゆる統合失調症と診断されている人がいない。(①「(脳の画像を見せられて)年齢の割に脳が萎縮しているから統合失調症を発症するかもしれない」と保護者が説明された。②「入院中見る限りでは症状は無いが、同意者が訴えているような症状からは統合失調症疑が疑われ、今後顕在化するかもしれない。必ず治療、服薬継続する必要がある」と本人とセンター相談員に主治医が説明。③拒食症 ④不明)

4 比較的年齢が若い。(20代2人、40代1人、50代1人)

5 医療保護入院という強制入院の必要性が感じられない。

6 人権センターとの面会後約1週間で、3人が退院している。

 これまでの経験では、人権センターに「退院したい」と相談してくる人は、精神科治療歴も入院期間も長く、年齢も割合に高い場合が多かった。また退院に至った人も、そこに至るまでには多くの時間と手間がかかった。それがここに来て何故?と考えてみた・・・・

 以下、全文は、おりふれ通信364号(2017年12月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201おりふれの会へ

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精神障害の娘の転院決定までを振り返って!(後編)

娘の母


7)東京精神医療人権センターの人々との出会い
B病院ケースワーカーの山田さん(仮名)は、話を聞き終えると、東京に人権問題に取り組んでいる団体があるから、まずはそこに相談してみると良いとアドバイスをくれた。一方A病院のPSW田中さん(仮名)にも連絡を取り始めてくれたのだった。

 山田さんと出会って、半月後の4月19日、私は東京精神医療人権センターの事務所を緊張しながら初訪問した。藁にもすがる思いで、夢中で話していた私であったが、皆さん熱心に聴いて、対策を考えてくれたのだった。目頭が熱くなるひとときであった。

  その後もN区は「文書は出せない。診療情報も出せない」の一点張りで、いよいよ何か行動を起こさないといけないと意見が一致。私が2回目の人権センター訪問をした6月21日には具体的な行動計画案が出たのだった。

 ひとつは、まず、A病院にいる娘に人権センターの二人が面会し、本人の意志確認をすること。次に担当のPSW 田中さんにも会い、N区とのやり取り、現状の情報を収集すること。三つ目はN区担当者に人権センターから「本人、家族の依頼で病院間で行う診療情報提供を、福祉事務所が禁ずることはできない」などと電話することを決めた。私も娘に手紙を書いたり、田中さん、山田さんに連絡したりと一週間後に備えて緊張の日々であった。

8)福祉行政の固い壁に風穴が開いた!
 2016年6月29日、人権センターの2人がA病院の娘を訪問してくれた。極度の引きこもりの娘が病室から一人で出て、面談室まで来てくれたことを喜んだ二人だが、娘の表現が「それで良いです」「そうして下さい」と、あまりにも控えめなことに驚いたと後日聞いた。いつもは妹たちのいる京都行きには大きくうなずいて意志を示していたのだが・・・


 以下、全文は、おりふれ通信363号(2017年11月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201おりふれの会へ

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精神障害の娘の転院決定までを振り返って!(前編)

娘の母

1)はじめに
娘は、20才で統合失調症を発症し、今年8月38才の誕生日を迎えた。この春東京N区福祉事務所から転院許可が出て、5月には東京のA病院から関西のB病院へ、私の住む近くの病院へ念願の転入院となり、新たな生活がスタートした。
 
 ここに辿り着くまでには様々な困難があり、到底親の私一人の力では成し遂げられなかった。関西B病院PSWの山田さん(仮名)さん、東京精神医療人権センターの皆さんA病院PSWの田中さん(仮名)らの協力、応援がなければ、今尚家族離れ離れの生活が続いていたかと思う。
昨年3月からの一年間は、固い生活保護行政の壁に少しづつ風穴を開けていく日々だったと、今思い出しても胸が熱くなる。応援して下さった皆様と出会う前から抱えていた問題を、振り返って整理してみようと思う。

2)2011年春、N区より東京都郊外への転院を迫られる! 
 娘は、20代でN区の二つの病院で入退院を繰り返し、最後はC病院に7年間入院したままで、すでに30代を迎えようとしていた。長期入院患者として、都郊外への転院勧告を受けてしまった時の、不安と絶望感は今も忘れられない。

 娘は精神障害1級で、障害基礎年金と生保を受けて長く入院生活を続けていたため、N区には転入院できる病院がなく、不便な遠方、郊外にしか候補がないとのこと。つまり、今までお世話になっていた区内のCとD病院の二つは、どちらも“スーパー救急・急性期対応病院”に変わる為、長期入院者を置いておけないとのことであった・・・


 以下、全文は、おりふれ通信362号(2017年10月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201おりふれの会へ

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東京精神医療人権センターの相談から見えた 「都立松沢病院」のこと

人権センター相談員・飯田

 母親の同意で医療保護入院をさせられていた20代の女性。母親は、一旦入院に同意したもののすぐに同意を取り下げた。しかしなかなか退院させてもらえず、一ヶ月以上が経つ。何とか退院させたいという母親の相談から始まった。母親を通して本人と電話で話すことができた。意思確認の上、本人と会うことになり、松沢病院に出かけた。

 母親と相談員・飯田(人権センター)と記入した面会票を持って病棟入り口に行く。病棟の入り口は二段構えの鍵扉になっていた。一つ目の鍵扉は何のこともなく通過した。一つ目の扉と二つ目の扉の間はかなり広く、数人の人が(面会にきた人達か?)話をしていた。二つ目の扉の前で面会票を示したところストップが掛かった。看護師らしき人が「家族以外の人の面会は主治医から禁止されています」と。「私は人権センターの者でお母さんから○○さんを退院させたいという相談を受けました。その後○○さんからも、電話で『退院したい。会いたい』と言われたので伺いました。ぜひ○○さんにお会いしてお話をしたい」と言うと看護師は、「主治医に聞いてみます」
 主治医が登場・・・・


 以下、全文は、おりふれ通信361号(2017年8・9月合併号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201おりふれの会へ

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埼玉県精神医療人権センターの立ち上げ準備を始めました

星丘匡史

 2017年4月23日(日)に、さいたま市市民活動サポートセンターで第1回のミーティングを開きました。東京精神医療人権センターの木村さんにオブザーバーとして参加していただき、弁護士や精神科医も参加され、病院情報冊子「データから見た埼玉県の精神科病院」を作っている「埼玉県の精神医療を考える会」のメンバーや埼玉で何かやろうと集まった「だからこそ委員会・埼玉」の方々を中心に13名の参加で、活発な意見交換が行われ順調な滑り出しと感じました。しかし、第2回のミーティングは7名の参加で、不安と期待が交錯しつつどうなることやらと思いながら準備を進めているところです。東京や大阪や兵庫の人権センターを参考にしつつ、できるだけシンプルに、細々とでも継続できる運動にしていきたいと思っています。病院に外の空気を入れるためにも入院患者さんから相談を受けたらできるだけ早くに面会に行けるようにしたいと考えています。納得できない入院をしている方が一人でも退院できるように力になれればと考えています・・・

 第3回ミーティングは、2017年6月29日(日)13:30~、さいたま市市民活動サポートセンターラウンジ(JR浦和駅東口浦和パルコ9階)です。
 その後も月1回くらいのペースでミーティングを重ねていこうと考えています。よろしくお願いします。


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初めて見た拘束にショック!!

香澄 海 

 人権センターに松沢病院に入院中の方から連絡があり、会いに行った。

 ピカピカの広い廊下を通って閉鎖病棟のインターフォンを押す。看護師が迎えにきて、カードキーで二重扉を開けていく。先立って歩く男性看護師は「今ね、拘束しているのでね」と事もなげにスタスタ歩きながら言った。後ろからついていったので、その表情までは見ることはできない。「拘束?」 本人から一人で歩くこともままならない状態なので、歩けるようリハビリしていると聞いていたがと、いぶかりながら病室に入ると、本人は両手両足、胴を拘束帯で固定されていた。私は初めてのことだったのでとてもショックを受けた。一緒に行った先輩相談員が名乗ったので、私も名前だけ言って頭を下げる。ここに居て良いのだろうかという思いを抱く。看護師は私たちの目の前で、てきぱきと拘束を一つひとつはずしていく。

 別室で話すことにして、車椅子を押して移動した。聞くと、一週間前から手を、昨日から両足を縛られたということだった。食事のときだけは解いてくれる、オムツを着用させられているという。一人で歩けないほど弱った人を拘束する必要があるのか、病院ではトイレ介助してくれないのか、そんなに長い間の拘束をしたら筋肉が尚のこと無くなってしまうのではないか、私の中で様々な思いが交錯した・・・

 以下、全文は、おりふれ通信356号(2016年12月号)でお読み下さい。
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精神医療、福祉について専門知識がない人が、伊藤哲寛氏の講演をがんばって理解することにより社会の偏見、無関心を変えたい

コミュニティサポート研究所 齋藤明子

 11月14日大阪精神医療人権センター設立30周年記念講演会に参加し、長年精神医療改革に取り組んでこられた伊藤哲寛さんの『権利擁護活動から考える精神保健福祉の今後』と題する講演を聞いた。約3時間、パワーポイント59コマの力のこもった講演であった。精神医療・福祉の職についたことも無い一(いち)ボランティアには、難し過ぎる内容であったが、私が理解できた範囲内で、個人的に納得した部分(独断です)を紹介したい。

◆精神病床数は世界で唯一、40年間同一水準を固守
 講演は精神病床数、医療の質、アドボカシー制度など『精神医療の点検』から入った。
私はその時、自分が名付けた日本社会の「オーバーラン現象」のことを思った。導入された時にはそれなりに役に立ったり必要性があったりしたモノやシステムが、いったん軌道に乗ると止められなくなり、必要以上に増えてしまい、数を減らしたり、原点に戻ったりすべきなのに、既得権を強烈に主張して、増えないまでも存続し続けてしまう現象を指す。道路、建物、議員数、様々な資格etc. etc. そして精神科病院。
 伊藤さんは精神病床が減らない理由の中に「患者の生活より従業員の生活」「病床数が減ると政治的圧力団体としての力が削がれる」といった病院側のセコい理由も忘れず挙げている。「患者が地域で暮らせないから」という理由より真実味が感じられる。
 欧米各国との精神病床数の推移の比較でオヤッと思ったのは、1980年頃のアメリカは、人口当たりの精神病床数が今の日本よりはるかに多かった、という事実である。そして多過ぎるところから20年間でイタリアに次いで少ないところまで減らしている。グラフの中で日本以外に病床数を減らしていない国は無い。「諸外国並み」「普通の国」が大好きな日本政府がこれほどまでに無策に徹し、惰眠をむさぼっていたというのは驚きだ。ただし、北海道十勝地方の病床数は確実に、欧米並みに減っている
公的な金で民間病院が「さあ、どうぞ」とベッドを用意して待っている時に、そして公的な金で堂々と利益を上げられる体制がある時に、だれが必死で精神障害者が地域で暮らし続けられるための医療を考えるだろうか。私は、精神病床の90%が民間の単科精神病院にあること自体、大スキャンダルだと思っている。「退院促進」施策は政府の免罪符に見える。他の国で議論されているのは「退院促進」ではない。「いかにして入院を回避するか」である・・・

 以下、全文は、おりふれ通信346号(2016年1月号)でお読み下さい。
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退院請求制度(法38条4)は役に立っているか?

東京精神医療人権センター  弁護士 内藤 隆

1 はじめに
  宇都宮病院事件(1984年発覚)を契機に1987年、精神衛生法が精神保健法へと大改正された。その要点の1つは、入院者の退院請求権の保障とこれを判断する精神医療審査会の創設である。この権利の目的は、「入院患者の人権保護を強化するため」である(厚労省の解説書)。私はこの制度を代理人として経験し、今日の硬直した運用を知った(但し、東京の事案)。

2 事案の概要
(1)2015年4月の人権センターへの電話相談が端緒である。60代の女性(本人)で、A病院に入院しているが退院したいという相談。
(2)本人は2008年頃、家族の同意によってA病院に医療保護入院した。開放病棟で生活していたが、2012年頃に、外出して帰院時間を守らなかったとして閉鎖病棟に移され現在に至った。
(3)主治医は、本人は「躁の強い統合失調症」と述べ、退院希望を認めない。私が面談した時は、「人権センターの介入は迷惑」と述べた。
(4)2015年6月30日に退院請求等を本人の代理人として申し立て。
(5)同年7月31日、A病院で精神医療審査会の2名(?)の委員(医師、弁護士)が本人と面接(実地審査)、私は不都合で欠席(私に日程調整の連絡なし)。
(6)同年8月18日、精神医療審査会の部会が開催。場所は中部センター内。私が出席して意見陳述、本人は欠席。A病院も欠席。
(7)同年9月9日、審査結果の以下の通知。
 (退院請求の結果) 他の入院形態(任意入院)への移行が適当と認められる。
 (処遇改善の結果) 処遇は適当でない。
(8)同日、A病院から退院の指示(退院の強制)。B病院に転院。現在(11月30日)に至る。

3 退院請求制度の実情と問題点(東京)
(1)退院請求
 ア もともと法的対応能力が充分とは思えない入院者からの請求なので、請求方法はできるだけ易しくしなければならない。「請求は書面をもって行うことを原則とするが、口頭(電話を含む)による請求も認められる」(解説書)。しかし、都の説明文書には口頭の申立も可能なことの説明はなく、逆に書面申立を前提に「請求を行う理由が不明確であると不受理になります」という威迫的な説明がある。そして退院請求の書式が送られてきて、その中に「請求を行う理由(必ず書くこと。詳しく書くこと)」、「入院に至る経緯及び入院してからの経過(詳しく書くこと)」、「退院後どうするのか具体的に詳しく書くこと」などが注記されている。これでは最初から退院請求の意欲が萎える。審査会委員との面談の機会(実地審査)があるのだから、詳しくその場で聴取すればよいことである。申立を少なくするために入口のハードルを高くしているとしか思えない。
 イ 代理人による請求も認められる。今回私が代理人として請求した。ところが応対した審査会事務局員は、「弁護士であることを証明しろ!」というとんでもない対応をする。ここで喧嘩。あげくのはてに私の事務所名を誤って(別の事務所名)記載して、又喧嘩。これは「間違いのないよう職員一同、周知徹底します」と文書で詫びが入って終息(「第1回謝罪」)。案件が少ないせいか、事務局が制度運用に慣れていない。
  又、代理人請求なのに重ねて本人に対して前記と同じ、詳細な書面の提出を求めてくる。その理由と必要性がわからない。代理人の主張を信用しないのだろうか。
(2)実地審査と審査会
  ア 本人は実地審査で審査委員と面談できる。代理人は実地審査での立会、審査会(部会)での意見陳述で審査委員と面談できる。しかしこの運営も硬直している。
  イ 第1に、私は上記のいずれにも出席を希望したが、期日が一方的に指定されたために実地審査に立会することができなかった。聞くところによると、審査会(部会)が活動する期日は年間で決められており、これを動かすことはできない(請求者の都合は考慮されない)とのことである。これはおかしな制度である。退院請求は入院者のためのもので、審査会の利益のための制度ではない。
  ウ 第2に審査会の構成の公開の問題である。私はどこの誰かわからない人(委員)の前で意見を述べることは不自然なので、担当する3部会の委員の氏名と職業と勤務先の開示を事務局に求めた。最初は「わかりました。後でお知らせします」とのことだったが、その後「上司に計ったところ開示できないことになった。申し訳ない」(「第2回謝罪」)となった。
そこで私は、情報公開請求の手続をとった。結果は「審査の結果が本人の意見と一致するとは限らないことが想定される」という訳のわからない理由で非開示決定。私は審査会当日、「審査委員」とだけ書いた名札を前にした人の前で、誰が医者か、法律家か、学識者かわからないまま意見を述べた。なおこの情報公開において、決定文に条例の適用の誤りがあったので指摘したところ、「今後は二度とこのような誤りがないよう、細心の注意をはらう所存でございます。何卒御容赦のほどお願い申し上げます」との詫び状が来た(「第3回謝罪」)。「条例に基づき30円の開示手数料を現金書留(下線は原文)によりお支払い下さい」というふざけた文書も来たのでほったらかしにしている。

4 まとめ
  今回の経験で、現在の退院請求を入院者本人が利用するためには困難が多いとわかった。制度本来の趣旨では、もっと簡単に退院を請求できるはずだった。刑事事件では国選弁護制度で被告人らの権利を補充し、保障している。行政の後見的介入がなければ、退院請求は形骸化するだろう。これと軌を一にして審査会の官僚制、密室性にもあきれる。自己紹介もしないで他人の意見を聞くのは失礼だろう。裁判では廊下に裁判官の名前が掲示してある。
  総じて、1987年の法改正の理念が失われつつあるのがとても心配である。             以 上

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