裁判傍聴記

当事者 小峰 盛光

2021年629日火曜日にあった精神科病院長期入院の国家賠償訴訟傍聴と報告集会の話をします。その日午前3時まで台東区の当事者と電話で話をし、3時間寝て、午前6時起床。コーヒーを飲んで目を覚まし、午前7時シャワー、午前8時出発、午前9時新橋駅到着。SL広場の喫煙所で一服。これから裁判と報告集会があると思うと眠気が心配になるので、カフェイン入りのエナジードリンクモンスターを買って飲んだ。午前930分、東京地方裁判所に到着。もちろん一番乗りである。なぜそんなに早く行くのかと言うと、当事者の目線で誰が早く来るか、又誰が一番やる気があるのか見たいから。二番目に来たのは埼玉の当事者でした。

次々に地裁1階ロビーに傍聴人が集まって来ました。東京地方裁判所は全面禁煙なので、日比谷公園の喫煙所に行く人もいました。本日は103号法廷です。今はソーシャルディスタンスで、傍聴は50名までですが、少し席が余っていたので3540人ほどが傍聴していたと思います。1人遅れて入ってきたのは、午前3時まで電話で喋っていた台東区の当為者でした。

午前11時開廷。本日は原告側の主張を長谷川敬祐弁護士が話しました。内容は言っていいのか悪いのか、プリントに取り扱い注意と書いてあったので、知りたい人は毎月第2日曜日に開催している精神医療国家賠償請求訴訟研究会の定例会に参加してください。今はコロナでズーム開催。もちろん無料です。

長谷川弁護士の主張に対して、被告側は3ヵ月時間をくれと言い、次回の第4回口頭弁論は927日、次回は国側の主張です。国賠訴訟の楽しいところは国の言い訳です。次回来ないとその場面を見逃すことになります。

裁判が終わると、歩いて隣の弁護士会館に移動。第2回口頭弁論の報告会は西新橋まで歩いたので、今回はラッキーだとみなさん思っていたと思います。弁護士会館5階によい部屋がとれていました。ズームで参加する人もいるため、準備に時間がかかり、その間各団体の宣伝などがありました。

私は一番後ろの席に座りました。司会の人と目があわないよう、質問などで指されるのを避けるためです。私のような当事者もいれば、前の方に座り、手を挙げて指してもらいたい当事者もいます。私の次に裁判所に来た埼玉の当事者は、次々と質問。例えば生活保護引き下げ裁判で、裁判官が判決で国民感情というと、何でも国民感情の判決が出てしまうのではないか等、すごく鋭い質問をぶつけていました。同じ当事者でもこれだけ違う。

そうして午後2時、朝から全く何も食べていないことに気づく。私の頭の中には、腹減った、もう2時だぞ、農林水産省の食堂、手しごとやの咲くら鶏竜田あんかけ丼690円のことしかなかった。当事者3人で食べに行った。うまい!これは本当にうまいから裁判所に行ってお昼食べるなら是非ここがおすすめです。

裁判所を後にして、立川へおりふれ通信の編集会議のため向かわなくてはならないのだ。一気に立川に向かわないと眠気が襲う。編集会議では、今回の裁判の記事を書くことになった。編集会議が終わり、自宅に帰ったのは午後1130分を回っていた。朝6時から夜1130分まで当事者活動。2021629日の内容は以上になります。これだけハードな当事者なのであります。

次回第4回口頭弁論は、2021927日月曜日午後4時 東京地裁103号法廷 裁判終了後報告集会を開催する予定です。

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投稿 私のハーメルンの笛の音 

アーティチョーク

 

めんどりが、羽の下で雛を守るように、私も息子を守りたかった。

それは、息子が統失(統合失調症)になった時のこと。

退院した息子を、12年は、ゆっくり休ませ守ってやりたかった。が、息子は、復職を選んだ。

私は、パパッと荷物をまとめ、息子の住むつくばの地へ引っ越した。同じく統失の娘を連れて。

「再発はやむなし。でも、孤独の中での再発だけは、絶対に阻止!」

夫をひとり岡山に残すことに、迷いはなかった。

 

金曜日になると、起きられない病。

復職し1年後の息子は、そんな中にいた。頑張った末の息子の姿をみた。ついに退職。

「岡山へ帰ろうか?」

と、息子は言った。私も娘もうなずいた。

 

起きるのは御飯とトイレ、外出は通院の時のみ。朝寝て昼寝て夜寝て、4年半。これが、その後の息子。

うっすらと無念を吸って、それとなく無念を吐いて、それすらどうでもよさそうに、眠り続けた。

「ウンコ製造機」

息子のことを陰でそんな風に言う夫を、

「あれは、療養上手をしてるのよ。ゆっくり休むのが一番いいのよ。自分にとって何がいいかを、ちゃんと分かってるのよ」

と、私と娘でニコニコたしなめつ、祈りだけが支えの日々。

 

ぬッと息子が起きたのは、賜物。やがて、ネコと一緒に出てゆきネコと一緒に自立して、彼女もいてくれて、、、

 

娘や息子と同じく統失の私は、今、笛の音を聴いている。

それは、私が探してきたハーメルンの笛の音。

「ネズミをとりこにし、死ぬまでついて行った音ってどんな音なんだろう?」

想えば切なく探した音。

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減薬について

アーティチョーク(体験者)

 

「できても、できなくてもいい」

という柔軟性は、統合失調症を生きやすくさせてくれる。とりわけ、減薬をするとき、最も大事だったりもする。途中で、無理かな?と感じたら、止めることが大事だからだ。

私の場合、中止するのは、こんなときだ。

٠  目が油をさしたようにあぶらぎってきた

٠  頭の中が、騒がしい。ざわつく

٠  そわそわする。落ちつかない

٠  言葉の意味が、つかみにくい。文章が分かりづらい

٠  不穏感が強くなった

٠  判断力が落ちた気がする

こうしたとき、「減薬は、また今度」、ということにすればいい。リバウンドの増薬とならずにすむ。

 

減薬は、薬を減らすのだから、減らしたぶん、ホッとすることや、心に効く運動を入れていくのがコツだと思う。私の場合は、

 

٠  好きな物を飲み食いする嬉しい時間をもつ

٠  夫に色々な要求をしないようにお願いし、了解してもらう

٠ 休憩を多めにとりながら、好きな畑仕事で汗を流す

 

それと、私の場合、人薬を入れられたのが良かった。わが家に統合失調症の者が3人いたことは、ラッキーだった。息子と娘のことなのだが、お互いが人薬となれたのは、お陰様である。減薬がゆきすぎていれば、率直に教えてくれたから、「確かにな。今回は、ここまでで、ま、いっか」と、止めることができた。

ちょっと思うのは、減薬をする前に、暮らしの中に細やかな充実を見つけておくのがいいということだ。それなりの楽しみが暮らしの中にあれば、減薬は、やり易い。この病気との付き合いも長くなった今、

「あまり、この病気を嫌わんであげてくれ」

という思いがある。嫌うと、折り合いもつきにくく、減薬もしにくいのではないかと思う。

なお、娘の減薬は、畑仕事でなく、散歩、走る、マインドフルネスを使った。躁を持つ娘にとって、走るというのは、なかなか良かった。

 

減薬ができた、断薬ができたからといっても、もっと大切なことがある。

それは、「私」を回復させること。

そして、状態はどうあれ、あなたが、そこにいること、あなたの今がどうあれ、一緒にやってゆくことこそ、もっと大切なこととして考えてゆきたいのです。

息子も、同病である息子の彼女も減薬を考えない人達だが、今が楽しいのだそうで、それもよしだと思ってきた。

減薬は、慎重であるべきです! 

 

<編集部から>

 この文はヒアリング・ヴォイシズ研究会のニュースレター144号からの転載です。同研究会事務局を担われ、おりふれ読者でもある佐藤和喜雄さんが、2019年春おりふれ通信に連載した月崎時央さんの「精神科のお薬の適正使用と回復についていっしょに研究しよう!」シリーズに関連する内容であり、多くの人に読んでほしい良い原稿だからと、目立つことを好まれないアーティチョークさんを説得してくださって転載が実現したものです。

佐藤さん、アーティチョークさん、ありがとうございました。

ヒアリング・ヴォイシズ研究会の連絡先は、岡山県浅口市金光町大谷301-1菩提樹気付 

メールアドレスmbodaiju@mx1.kcv.ne.jp  fax 0865-42-6576

                         

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20年前のこと (体験談)

T.Y.

1.点滴の日にちが切れていること

私が看護婦さんに言うと、「液体の色が変わっていないので平気」それで終わり。

でも1年に1回保健所の監査の時、裏庭の倉庫に運んで入れ、監査が終わるとまた点滴を病院に運んでいた。

 

2.主任看護婦さんに文句を言うと保護室に入れられ、不思議と翌日の朝見ると、体が動けなくなっていて、その日またはその翌日死んで、それで人生が終わり。その人はシンナーで入院。そのときまだ24才。

 

3.重症室で朝の食事の時、パンがのどに詰まり、事務員が私の名前を呼び、掃除機を持ってきて私が口の中に入れてもパンが取れず、そのまま事務員と2人、担架で霊安室に運び、そのとき私が「目がパチパチしてますよ」と言っても話を聞こうともしませんでした。

 

 私が34才の時、生きて社会復帰できたのが不思議です。

そのとき生活保護で入院していたら生きて社会復帰できなかったと思います。

 

<編集部飯田のコメント>

 T.Y.さんが20年前に経験した入院先は、東京青梅市の青梅厚生病院です。私はこの病院を50数年前に訪問したことがあります。この時の印象は、フェンスで囲われた中庭に大きな犬(シェパード?)が我がもの顔で駆け回っていたこと。院内に入ると、100人以上の人が閉じ込められていたわけですから、他の病院では多かれ少なかれ人がいるザワザワした感じがあったのですが、それが全くなし。異様に静かだったことです。

それから50数年たっての2016630日の精神病院統計を見ると、他の病院と比較しても圧倒的に看護者が少なく(精神科特例よりも更に低い「特別入院基本料」を採用)、平均在院日数も3,189日と異常に長い(東京都内精神科病院の平均は217日)。このような病院が未だに残っているのは残念だが、これが現実です。



 

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「いのちのとりで裁判」 ~大阪地裁判決から生活保護を考える~

元生活保護利用者 和久井みちる

 

1.大阪地裁判決

「勝った!」

その時、大阪の弁護士さんからSNSに第一報が投稿されました。

2021年2月22日は大阪地裁で、生活保護の引き下げは違法だ・・ということを争う「いのちのとりで裁判」の判決が予定されていた日でした。私も判決が気になって、今か今かと報告が投稿されるのを待っていたのです。

「勝った!」とは、つまり「生活保護の引き下げは違法だ」という主張が認められたということです。

 

2.「いのちのとりで裁判」

「いのちのとりで裁判」は、2013年から実施された生活保護費の引き下げはおかしい、これは違憲だ・・という主張をして、全国で当事者の方1000人近くが原告となり、国を相手に争ってきた裁判です。残念ながら、私はこの裁判が始まったとき、すでに生活保護の利用者ではなくなってしまっていて、原告として一緒に参加することはできませんでした。その裁判は今、日本中で繰り広げられています。そして、今回は2020年6月25日の名古屋地裁判決に続く、二つ目の判決でした。名古屋判決が、偏見に満ちた無理解な判決だったので、大阪地裁の判決を聞いた人たちは飛び上がって喜びました。抜けるような青空の下、大阪地裁前で若手弁護士二人が「勝訴」「保護費引き下げの違憲性 認める」という旗を掲げた映像は、新聞やテレビのニュースでも大きく取り上げられました。

 

3.大阪地裁判決

 大阪地裁の判決文は100ページを超えるほどあり、法律的な文言は私には理解しきれないこところもいくつもあります。しかしそれでも、判決を読んでみて、裁判官が当事者の声をしっかりと聴いてくれていること、その上で引き下げの決め方のおかしさ、違憲性を指摘してくれていることはよくわかりました。さらに、「健康で文化的な最低限度の生活」は、ただ「健康な最低限度の生活」とは違う・・とも言っています。「死なない程度に生きていればいい」ということではなく、「文化的」なのだ、ということです。それはつまり「人間らしく」と言い換えてもいいと私は思います。この判決を考えるにあたって、裁判官自身が「健康で文化的な最低限度の生活」とは・・を自分の中に問い、考えた証なのではないでしょうか。そう考えると、「世論がそうだから」「与党がそう考えているから」とも受け取れるような名古屋判決は、本当に薄っぺらな、思慮のない判決だったと今さらながらため息が出てしまいます・・・

<以下、全文は、おりふれ通信400号(2021年4月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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当事者活動するようになった理由

当事者 小峰盛光

 お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません。

 私は精神保健法第27条の規定に基づく診察の結果、同法第29条の規定により、1994年4月14日措置入院になりました。あれから入院退院を繰り返し、通院していました。昼はサウナ、夜は合コンをして何気ない日々を送っていました。しかしある日社会保障改革が始まり、支給額が下がり、手帳の等級も下がり、生活ができなくなりました。困りました。まず、なぜこんな風になるのか、まったく分からなかった。同じ病院に何十年と通院していて、他の当事者との繋がりもないため、これは外に出るしかないと思い、ここから病院探し、医師探しが始まりました。当事者にとって何十年も行っていた病院をやめるということは本当にどうなるか不安だったが、外に出たおかげでいろんな方に会うことができた。

 

 2016年3月、精神医療国家賠償請求訴訟研究会に入会しました。ちょうど精神医療国家賠償請求訴訟研究会のパンフレットができた時期だったので、各集会、当事者会などに配りにいくことになった。ある時、生活保護引き下げ裁判、医療観察法裁判などがあることを知り、東京地方裁判所に傍聴に行き、裁判終了後の報告集会に知識が豊富で発言力のある当事者の方々が来ていて感動した。今までは当事者は病院と医者の言うことを聞くしかないと思っていたが、闘う当事者がいることを知り、「これだ!」と思いました。自分は文句やいちゃもんをつけるのは得意なので、これは楽しいと思うようになりました。これが元気回復プランだ。国が教えてくれない本当の病気回復プランだと思うようになりました。各所を回るのが楽しいです・・・

<以下、全文は、おりふれ通信399号(2021年3月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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考える葦からの出発

新しい地域活動支援センターを創る会 西澤光治

社会参加というけれど

 新しい地域活動支援センターを、杉並区上井草地区に開設しようとここ数年にわたり、自分の持てる小さな力でもって、奮闘あるいは休み、挑んではみるもののかえって悩みを増やしたり、それこそ力尽きてへとへとになるなど、もし、周囲の皆様が好意を持って支えて下さるのでなければ、既に過去において捨て去られた話題に違いない。

 新しいとは、何が新しいのか? 新しい何かあるのか? すぐ質問の矢が飛んできそうで、即答を求められれば、私の幾十年間の人生を振り返りつつその中からひとつふたつを即座に選び答えとすることとなる。善男善女、社会がこのような人々から成り立っているものと仮定して、それなら精神病を患う人がいないとは、しかし現実にはあり得ることであり、精神病を負いながら社会へ進出を図り首尾よくいくかと言えば、こちらはバラバラで、いく者いかぬ者長くは続かない者、一挙解決ではないことだけは言える。

 かつては、社会復帰と言われた時代を経てきた者で、その旗印が社会参加と入れ替わっても、前後共に、難行苦行を軽くすることはなかった。

 いわゆる当事者活動の経験を少々もつ者で、遠近周囲の何十人かの様子をそれとなく知っている。そのうち、職業に恵まれて傍目にも順調にいったと言えるのは例外といって差し支えない程、すなわち僅少でしかない。大多数にとり、各自の目標とした人生を夢のまま、実情は逆境にあって、更にものも言えない状況で、健康まで害する者がいくらかいる。

 このような思いをしながら70歳にまでたどり着いた者の、現状批判を含めた未来構想が、新しい地域活動支援センターを称するその中にパッケージされている。しかし、もう少し、当事者とその周囲の人との相互関係を見ておく・・・

 

<以下、全文は、おりふれ通信398号(2021年2月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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障害者ダービー 知的VS精神

馬野 ミキ 

三十代後半、

アルコール中毒の診断を受け、区内の依存症の施設に通っていたことがあった

建物の上から下までアルコール、薬物、ギャンブルその他の依存症の患者がひしめき合い

それぞれの階にてゾンビのようにミーティングやカリキュラムをこなしていた

アルコール中毒者は、アメリカから輸入されたAA(アルコホーリクス・アノマニス)という自助的な手法を取り入れていて、それぞれがアルコールによる失敗談を語り、それを他の参加者たちは批判せずに聞くというものがあって

自分は割とその時間が好きだった

俺たちは毎朝、列を作りそれに並んでシアノマイドを飲んだ

このシアノマイドという薬を飲んでアルコールを入れると、立ってはいられないくらいのダメージが肝臓にくる

自分も何度かチャレンジし、のたうちまわったことがある

 

生まれてきた罰だ

 

この巨大な依存症の施設にはスポーツリクリエーションがあり一通り見学したあと

サッカークラブに入部した

高校を辞めるまで中学から四年間サッカーをしていた

総勢10人弱のメンバーで半分くらいが経験者で

週に何度か室内でストレッチをしたり、日によっては近所の公園に出かけた

ある日、関連する知的障害者施設の練習相手として俺たちは選ばれ

知的障害者と精神障害者による障害者ダービーの日取りが決まった

このフレンドリーマッチの目的はあくまで知的障害者チームの大会に備えたシュミレーションであり

コーチは全力を出さずに戦うように俺たちに指示した

俺たちは「はい!」と返答して

全力を出した

我々、依存症精神障害チームは、華麗なパス回しで知的障害者チームを翻弄し

ゴールを量産した

最初は身振り手振りで本気を出すなと怒っていたコーチもやがてあきらめて静かになった

躁的な状態になっている二人のストライカーに俺はスルーパスを送る

ほとんどのパスは通り

彼らは次々とゴールネットを揺らして帰ってくる

誰も自分たちをコントロールできなかった

 

10分ハーフのミニコートでのこの試合は26-0で幕を閉じ

15得点をたたき出した若者は鼻血を出してグラウンドの真ん中で倒れていた

依存症チームは額の汗をぬぐいシャバの水道水に代わりばんこに口をつけた

知的障害チームの数人はすっかり自信を失ってしょげて

うつむていた

 

俺は悪いことをしたのだろうか

でもだとすれば俺はどこにボールを蹴るべきだったか

 

知的障害チームと依存症チームのコーチは互いに笑いながらしばらく談笑していた

十年後、東京で開催される予定であったオリンピックは中止になった。  

 

 

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GAMの日本への導入を検討するzoomミーティングに参加して

香澄 海

 4月号で松本さんが紹介してくださったGAM2003年版ガイドブックの翻訳が進められている。その概要を聞く機会があり、報告させていただく。今回のミーティングでは、ガイドブックの内容の報告以外、参加者の意見や感想を出し合い、日本でガイドブックをどういう構成で広めていくのかが話し合われた。

 GAM(精神科の薬と主体的につきあう)において、強調されているのは、個人の体験を大切にすること、そして何よりも自分の体験に基づいて薬を自分で選ぶ権利があるのだということを服薬当事者が自覚することだ。多くの服薬当事者は主治医に減薬を言い出せなかったり、勇気をもって言い出しても否定されたりしている。会の参加者にも最近そういう体験をしたばかりという方がいた。何故なのだろう?本人の意見は何故遮られてしまうのか?

 私も向精神薬を服薬して、もう30年近い。当初は医師に言われるままに出されたものを飲んでいるだけだった。薬疹などの副作用があったときには、すぐに変えてもらえた。では目に見えるものなら信じてもらえるのだろうか。SNRIで躁転したときには服薬中止となり気分安定薬にチェンジした。華々しい行動が目立てば薬は変更してもらえるのだろうか。

 さて、この私の疑問の呈し方がそもそも間違っていることにお気づきだろう。GAMでは「主体的につきあう」とある。お任せではないのだ。病気ではなく、人を中心に置く。私も躁状態の時に「おまえの言うことなんか誰も信じない」と言われたことがある。そういう経験をし続けると、自信を失っていき主体的に選択できなくなってしまう。薬の飲み心地や副作用の辛さを知っているのは私なのに、自分で自分を置き去りにしてしまう。 また精神科には強制入院の制度があるので、「こんなことを言ったら入院させられるのでは」という恐れから言い出せない場合もある・・・

<以下、全文は、おりふれ通信395号(2020年10月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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「いのちのとりで裁判」名古屋地裁判決から 生活保護制度を考える

元生活保護利用者 和久井みちる    

1.「いのちのとりで裁判」について

 いのちのとりで裁判は、20138月から最大10%を段階的に引き下げられた生活保護費について、「おかしい、許せない」と言う声を挙げた当事者が原告となり、全国29の地域と裁判所で争われてきた裁判です。全国で最大1021名の生活保護利用当事者が原告になりました。その裁判の最初の判決が、2020625日に名古屋地裁で言い渡されました。

 私自身は元生活保護利用者という立場であり、原告になることはできませんでした。それでも、この裁判に関心をもって見守ってきた一人として、判決について考えたいと思います。

 2.名古屋地裁の判決

名古屋地裁の判決は、極めて簡単に言うと「引き下げは妥当だった、引き下げによって最低生活費を下回っているとは言えない。」という、原告の主張はまったく受け入れられない、

判決でした。私が生活保護で生活していた、引き下げられる前の基準でさえ本当に不自由で、節約のしようもないほどにギリギリの保護費だったのです。それがさらに減額されたというのに、一体、何が「妥当」だったというのでしょうか。

 判決では「生活保護の削減などを内容とする自民党の政策は、国民感情や国の財政事情を踏まえたものであって、厚生労働大臣が、生活保護扶助基準を改正するにあたり、これらの事情を考慮することができることは前記(1)に説示したところから明らかである。」とされています。つまり「(与党である)自民党が財政事情が大変と言っているのだから、厚労大臣がそれを踏まえて引き下げの判断をすることは問題がない」というのです。また、「厚労大臣の判断の過程に過誤や欠落等があるということはできず、その判断が違法であるということはできない」とも言っています・・・

<以下、全文は、おりふれ通信394号(2020年8/9月合併号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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