長澤康寛さん『吾が生涯』後編

「さくら会のお知らせ」から要約・転載

前号からのつづき

<17年間の長期入院>
 昭和44年、33歳。冬場になると季節労働者が集まるので仕事を見つけるのが難しくなり、その冬は立川の紙仕切り屋へ働きに行った。ある日近くの喫茶店へ入ったが、疲れて身体がフラフラしているのを店主が怪しみ、警察へ連絡。取調べを受けて、そのまま東京のはずれにある青梅厚生病院に移送された。入院してすぐ年配の患者に「最低3年間は絶対出してくれない」と聞き、逃げねばと決意。20日目に決死の脱走。立川で1日働かせてもらい、もらった金がなくなり戻ったところを、病院からの手配でまた連れ戻された。以後、気の遠くなるような長いながい閉鎖病棟での17年間。とにかく、ひどい病院だった。

 入院患者は80人。畳の大部屋に10人が寝起き。すべては院長の命令一下、正直に話をしたり要求したら即懲らしめの保護室である。私は身寄りがなかったから、17年間誰も面会に来てくれなかったが、他の患者は家族が来る。その時は院長、看護婦が必ず同席し、「早く帰りたい」とか、病院の待遇の不満などをちょっとでも言おうものなら、後ですぐ強い薬を飲まされ保護室へ。退院できる状態になっている人でも「治療中」と院長に言われ続け、家族もその言葉を信じ、ただ無為に閉じ込められていたのである。そのうちの何人かの人が絶望して、自ら命を絶った。
 けれど私は何度も何度も院長に「出してくれ」と訴え、その度にもちろん保護室であった。また私のように身寄りのない福祉の人間は、病気が回復していても、なおさら退院などということはあり得なかった。

以下全文は、おりふれ通信280号(2009年8月号)でお読み下さい。
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長澤康寛さん『吾が生涯』前編

「さくら会のお知らせ」から要約・転載

[編集部から]
「私は、昭和11年2月11日、九州長崎県長崎市中子島町という柄の悪いところで生まれた。4歳のある朝、父が帰りにラッパを買ってやると言って出て行った。帰ってこなかった。それが今生の別れであった。母は精神の病を患っていた・・・」という書き出しで始まる長澤康寛さんの『吾が生涯』が、昨年から今年にかけて、東京・世田谷の家族会「さくら会」の通信に連載されていました。
おりふれ通信では、この連載を編集部メンバーの本城さんから紹介され、毎回編集会議で読み合わせ、時々に感じ入ってきました。戦前戦後を生きた一人の日本人の記録としても、また精神病院入院の壮絶な体験・生還の記録としても価値あるものと考え、是非多くの人に読んでもらいたいと話し合いました。そこで今回さくら会の許可を得て、その一部(紙面の関係で全体の三分の一ほどに抜粋・要約してあります)を掲載します。


 以下本文は、おりふれ通信279号(2009年7月号)でお読み下さい。
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続・WNUSP(世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク)大会 2009.3.16~20-参加報告および感想-

ラミパス タロウ(精神医療ユーザー)

(6月号からのつづき)
3.今後の課題と展望
例えば、従来の「後見人制度」とは違う「支援された自己決定制度」等、「サポートと自己決定の関係のあり方」は、日本でも議論になりますが、北欧での「オンブズパーソン制度」の実践例等も参考に「当事者の権利」の観点から「ポジティヴ」に考え、具体的にどんどんと実践していくべきだというのがこれからの時代の「グローバルスタンダード」だと、今回参加して一番強く思いました。
現在は、時代の変化が大変激しい時代です。従来の価値観や固定概念が次々と覆されているのが21世紀初頭の大きな特徴といえます。そして、多くの展望が具体的実践とともに、現在世界各地で切り開かれつつあります・・・・


 以下全文は、おりふれ通信279号(2009年7月号)でお読み下さい。
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観察映画「精神」を観て ー当事者の視点からー

本城一信

 この映画を語る前に、どうしても伝えておきたいことがある。人間というものは、いかなる状況に置かれていても、いかなる状態であったとしても、生きるに値する尊い、大切な存在であるということ。このことを念頭に入れた上でこの映画を見ないと、特殊な場所の、特殊な人達の、特殊なできごととして、この映画を捉えてしまう恐れがあるように思う。
 見る側の悟性が試される映画でもある。言い換えるならば、観察されるのは、この映画の主演者ではなくて、実は見ている側の人間の心の内ではないだろうか。
 それにしても、この映画に出てくる人達の無防備さは、私には驚きであった・・・


 以下全文は、おりふれ通信279号(2009年7月号)でお読み下さい。
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WNUSP(世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク)大会 2009.3.16~20 -参加報告および感想-

ラミパス タロウ(精神医療ユーザー)

はじめに
 WNUSPが4年に一度開催する全体会議が、今年3月、ウガンダの首都カンパラで開催されました。アフリカをはじめ、世界各地からの当事者70名弱の参加で、大会は無事大成功いたしました。
 各地の状況報告をまず最初に行いました(私も、急遽依頼され、日本の社会的入院患者の問題や医療観察法の現状、また北京オリンピック入国拒否問題等手短にご報告させて頂きました)。そして、今回の総会のメインテーマである「国連障害者権利条約(CRPD)」の批准や実施の過程で、「条約の権利を現実のものとしていく」ための全体での勉強会やケニアのNGOによるカウンタレポート(シャドウレポート)の実践報告、分科会形式で行われた各種ワークショップ、アフリカの当事者運動の現状報告やウガンダの当事者の貴重な体験談、現在アフリカ全体で精力的に取り組まれている「アンチスティグマキャンペーン」の報告等、今回の総会への参加は私にとって大変刺激的な体験となりました。

 本稿では、私が今回はじめて参加して感じた大会全体の雰囲気、私自身の会場での発言、また常日頃から感じていた各種疑問点が具体的に解消された点、また今後の私たちの課題と思われる点を中心にご報告させて頂きます。

 以下全文は、おりふれ通信278号(2009年6月号)でお読み下さい。
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日比谷派遣村・サポート日記

派遣村ココロと体のサポートチーム  和久井みちる

 2009年1月1日、私は日比谷公園の派遣村にいた。
元日は村民150人といわれているが、ボランティアは大勢集まっていて、誰が村民で誰が支援者なのかわからない状態だった。その夜はカレー。150人分の大鍋を二つ。300人分はきれいになくなった。
 4日に行ったときはもう500人を越え、あふれかえるように人、人、人だった。生活保護の集団申請が始まっていた。私は生活保護を利用して暮らしている人間の一人だ。生活保護になって1年以上になるが、未だに「わからない」ことが多い。何百人もの人が、一斉に生活保護を受けることになったら、同じように「どうなっていくのかがわからない」「誰に聞けばいいのだろう」と戸惑う人が出るだろうというのは、すぐに想像がついた・・・・

 以下全文は、おりふれ通信277号(2009年4月号)でお読み下さい。
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当事者のとりとめのない話

本城一信

 去る3月7日、東京の有楽町で、第33回「メンタルヘルスの集い」が開かれ、「ふるさとを下さい」が上映されると聞き、見に行ってきました。和歌山の作業所をめぐる差別と偏見を主題にした映画でした。率直な感想を述べると、一般の人の精神障害者に対する偏見を払拭するには、うってつけの良い映画でした。(本当です!)

 ただ何ヶ所か気になる部分があったのも事実です。たとえば主人公のセリフに「作業所の職員はみんな心のきれいな人達です」というのがありました。うそだあ!!

 私は以前、あるベテラン職員からこんな言葉を吐かれたことがあります。「あなた達は福祉の上にあぐらをかいて権利ばかり主張している・・・どうのこうの」「あなた達は社会の生産活動に参加していない・・・どうのこうの」また、あるメンバーさんからもこんなことを言われたことがあります。「本城さんは生活保護を受けていることを感謝しなくちゃ。人が汗水垂らして働いて納めた税金で養ってもらっているんだから」私はこの言葉で、半年間落ち込んだ・・・


  以下全文は、おりふれ通信276号(2009年3月号)でお読み下さい。
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2008.10.31全国大フォーラム・集会に参加して

トマトハウス 小川誓順+メンバー

 ・・・・・障害者施設の東京都と地方との格差、「支援法」により少しはましな施設運営が可能になり、すでに「移行」した施設もある。東京では、「移行」すれば現在なされているサービスが出来なくなるし、職員のリストラもしなければならないといった事情から「移行」せずに、ひたすら「見直し」に期待している施設もある中で、「撤廃」を可能にする方策はあるのだろうか。
 集会の当日、「トイレの利用にも、お風呂入るにも・・・応益負担、納得できません!」と全国各地で訴訟が起こされた(文末にアピール掲載)。これからはさらに訴訟者の人数を増やして、司法の場でも「自立支援法」の中味が争われることになる。
 行政闘争・司法闘争を積極的に取り組むこと、そして、何よりも自身の生活している地域の市民の人達へ訴えていかなければならないと思う。・・・・・

以下、一緒に参加したメンバーの感想
1.野党の政治家が「ダメだ、ダメだ」と言っていたが、政権がない中、本当にやれるのか。与党でさえやる気があるのか解らない。集会に参加して変化があるのか?
2.議員が来ていたが、自分の政党のピーアールが主で自立支援法については、熱意が感じられなかった。
3.去年と変わらず政治家が自分の言いたいことを言うだけで、当事者の話を最後まで聞いていなかった。話を最後まで聞いて欲しかった。
当事者の発言の時、精神障害者の方は立って下さいと言われた。一緒に参加した仲間と立ち上がったが、立ち上がるときにためらいがあった。
4.なぜ障害者だと胸を張って立ち上がることに抵抗や違和感があったのか。障害というものに偏見を拭い去ることができないからなのだろうか。それとも時が経てば病気が完治するかもしれないという期待があるからなのか。
(後略)

障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会アピール
いよいよ闘いの始まりです。
 世界は障害者権利条約を実現している状況において、わが国では、応益負担を核とする障害者自立支援法が、障害関係者や障害関係団体の強い批判にもかかわらず、施行されています。障害のある人が、トイレに行くにも、食事をするにも、買い物をするにも必要とする支援サービスを、「利益」とみなされ、「応益」負担が強いられています。この応益負担の仕組みは、障害が重ければ重いほど、負担も多く求められるという、ノーマライゼーションとは正反対のものです。
 また障害者自立支援法は、在宅サービスへの国庫負担義務が盛り込まれたものの、市町村への補助基準が定められてしまい、その基準以上のサービスを市町村が行おうとすると、市町村の持ち出しとなってしまいます。これは、支援サービスの上限が設定されたにも等しく、必要なサービスを受けられない仲間が増え、地域生活の存続が危ぶまれる事態を迎えています。
 このような状況の中で、全国約30人の仲間が、障害者自立支援法の不当性・違憲性を司法の場で問うていこうと、勇気を持って立ちあがろうとしています。原告それぞれには、それぞれの生活があり、事情があり、家族もいます。私たちは原告一人一人の勇気と行動に対して、深く敬意を表するものです。
 私たちがおさえておく必要があるのは、この闘いは、原告30人だけの問題ではなく、障害のある人すべての生活と権利、そして人間の尊厳に関わる重要な意味を持つ裁判で、すべての障害のある人が原告です。そして、障害のある人の問題は、すべての人たちの人権確立のための闘いなのです。
 「持続可能」のかけ声のもとに、障害のある人の人権までもが値切りされることが許されるのでしょうか。障害のある人にも“生存権”や“幸福追求権”が憲法で保障されており、“法の下の平等”も明記されているのです。
 多くの困難な状況が立ちはだかる中、私たちは本日、“障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会”を発足させ、原告の仲間とともに、この訴訟を闘い抜いていくことを誓います。同時に、多くの関係者や市民の皆様に物心両面にわたるご支援を訴える次第です。
              2008年10月27日
              障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会 発足集会参加者一同
              同会のウェブサイトは http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/suit/ 

 
 全文は、おりふれ通信275号(2008年12月号)でお読み下さい。
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投稿  パチンコと精神障害者

匿名希望

 この日本には、全国至る所にパチンコ店という賭博場が存在するが、全国で2,000万人といわれるパチンコ愛好者のうち、実に200万人がパチンコ依存症だという。米国の診断マニュアルDSM-Ⅳによると、ギャンブル依存症は衝動制御の障害とされている。またWHOによる国際疾病分類ICD-10では習慣および衝動の障害とされている。衝動のコントロールが効かなくなる立派な精神障害なのである。

以下、全文は、おりふれ通信273号(2008年9月号)でお読み下さい。
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デイケアから作業所へ

共同作業所Hot Job利用者・陽和患者協会会員    大石正文

 私は24才で医者にかかって以来ずっと精神障害の世界で生きてきました。これは全く否定することのできない事実です。
 二十代は殆ど入院生活でした。32才で井之頭病院を退院してから少しして杉並西保健所デイケアに通い出しました。
 デイケアはソーシャルワーカーHさんを中心として、担当保健婦はMさんでした。月・水・金と週三回行われ、東京23区内では歴史の古い方だったようです。デイケアでは私の加わった頃は時計の組み立てとか細かい手作業をやっていました。それがだんだんレクリエーション的なプログラムに変わっていきました。ある人が、この時期と作業所が各地でできて仕事を始めたのが重なったのではないかと言っていました。

以下、全文は、おりふれ通信272号(2008年8月号)でお読み下さい。
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「移送費を削らないでください」

精神医療ユーザー  石井真由美

 私は精神医療にかかって25年、10年位前から生活保護を受け、一人暮らしをしています。その間、様々な理由で医療機関を変えざるを得ないことがありました。先日も精神障害者の自助グループで、仲間と話し合ったばかりですが、信頼できる精神の医療機関や医師を見つけることは、今だとても困難です。
 多くの仲間は、どんなに遠距離でも良い主治医を見つけられれば、可能な限り通い続けます。精神の病気、障害を抱え生きていくには、医師や専門家の影響がとても大きいからです。

 私は5年位前までは、電車で一本の診療所に通っていましたが、そこの主治医が亡くなり、半年がかりで次のクリニックを探し出しました。結果、通院に1時間以上、バスと電車を乗り継ぎ、片道490円かかる医療機関に辿りつきました。そして、私の生活をトータルに支えて貰うため、クリニック近くの地域生活支援センターにも通所することになりました。なので、両方の移送費を合わせると、ひと月、約6,000円かかります。
 今現在、私の住んでいる区では、移送費を支給してくれています。おかげで、自分で選んだクリニックやセンターに通い続けることができています。それにより治療、服薬の中断や入院もせず何とかやってきています。
 でも、もし移送費が無くなってしまったら、症状の出方により、私はまた医療機関を変えなくてならなくなるかもしれません。唯一、通所できている支援センターにも通えなくなるかもしれません。
 生活保護になり、大変でしたがカウンセリングに通うこともあきらめました。狭められた選択肢の中から、何とか必死に築いてきた支援環境が一気に崩れてしまったら、これはもう堪りません。
考えると不安になり無力感で一杯になります。

 移送費がかかる理由で、もうひとつ、精神障害者への差別の問題もあります。やはり多くの仲間が、差別や偏見を恐れ、自宅付近の医療機関は避け、少し離れた病院へ通っています。
私も差別や偏見の目がとても怖いです。
 移送費がカットされれば、私達の行動範囲やネットワークはとても狭まり、分断されてしまいます。これ以上、人間関係や居場所がなくなってしまったら生きていけません。症状が悪化し、孤立したら、かえって多くのサービスを使うことにもなりかねません。

 ほとんどの人達は様々な場所へ移動し生活していると思います。勤め先、学校、病院、友達付き合いなど、全て自分の住んでいる市区内で生きている人の方が少ないと思います。

 重なりますが障害を抱えながら生きることは、今の社会では全てにおいて、選択肢が少ないです。
もうこれ以上、私たちを追い詰めないでください。
必要な医療機関や施設などの移送費は削らないでください。

[編集部から] 
以上は編集部メンバーでもある石井が、国会議員ヒヤリングで発言しようと準備した文である(実際にはもっと短いものになったが)。
 前号巻頭でお知らせしたように、厚生労働省が4月1日に発した「生活保護の通院交通費を7月から原則的に出さなくする」という趣旨の通知に対する抗議と撤回要求の行動が続いている。同じく4月1日に厚労省が発した「医師が生活保護者に薬を出す時は、後発医薬品(ジェネリックとも呼ばれ、開発にお金をかけた新薬発売の一定期間後に、より低価格で販売される同内容の薬)があればそれに限る」という趣旨の通知は、あまりに差別的であるという理由で、すぐに撤回されたが、通院交通費については「撤回しない」と繰り返すのみとのこと。厚生労働省交渉のみではらちがあかず、国会議員を対象とする働きかけもこのところ毎週行い、与党議員の参加も増えている。最近の報道によれば与党議員からも、「毎年社会保障費を2,200億円ずつ減らすのはもう限界」との声が出始めており、何とか全体的な解決が図れればと思う。

 一方で各自治体の動きも気になるところだが東京都は、5月15日付けで都内の福祉事務所宛にお知らせを出した。内容は、1.厚労省通知文中、電車・バスの交通費を出してもよいとする「へき地等」「高額」の解釈について厚労省に問い合わせており、回答がくるまで従来どおり必要最小限の実費を出すようにする。2.厚労省通知文中の「福祉事務所管内(の医療機関を受診すべし)」の範囲は、二次保健医療圏を基準とすることが望ましい、というもので、二次保健医療圏の一覧表を付し、これに近接地域を加えるなどこれまでの給付実績を踏まえた設定も可能であるが、一般世帯の通院状況に比して著しく広範になることがないよう配慮されたいとしている。
 精神科病床は、私たちの要求にもかかわらず、二次医療圏ではなく全県1区で整備すればよいことになっているので、入院施設は多摩地域に偏っており、それをそのままにして通院交通費は二次医療圏内でなければ出さないというのは不当だし、実情にあわない。実情にあわない一律の線引きなどはやらない方がいい。区市の福祉事務所では国の動きの先棒をかつぐかのように「交通費は出なくなる可能性がある」と言い、保護受給者に脅威を与えているところもある。石井さんが言うように既に保護受給者はたくさんの不安・無力感におそわれている。また今回の問題を通じて、交通費が出ることを知らなかった(知らされていなかった)人たちがたくさんいたこと、知っていたけれどうるさいことを言われたりイヤな目に遭う機会をできるだけ減らしたいという理由で請求しないできた人たちも少なくないことを知った。
 今後行政交渉とともに、権利としての生活保護をきちんとしていくためにも、個々のアドボカシー活動が重要と強く主張したい。(木村記)

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「自己表現展」報告

本城一信

 今年も平川病院の造形教室の「自己表現展」(15回目)が八王子の中央図書館の地下展示室で開かれた。連休だったせいか、人の出足は今一つだったが、内容的には充実していたと思う。
 どうやら絵を描くという行為には、人の心を癒す力があるらしい。・・・

以下、全文は、おりふれ通信269号(2008年5月号)でお読み下さい。
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投稿詩 「生きていこうよ」

水村伊織
“生きていること”ってね
意味だけじゃないんだよ
理由があるから “生きている”んだよ
みんなそれぞれ違うけど
探せばきっと 見つかるはずだよ
たとえ ひとつでもいい
理由があるから “生きてゆける”んだよ
苦しみの山を下れば
楽しみや癒やしの谷が やってくるよね
それが“生きていること”だと思うなー
自殺はしないで・・・
“生きてゆこうよ”
みんな みんな “生きてゆこうよ”

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ドグマチールの話

匿名希望

 最近の話である。たぶん自律神経から来た胃腸障害だと思うのだが、胃の具合が悪いので主治医に言ったところ「ドグマチール」なる薬を50mg一日二回処方された。以前にも使った事があり、ネットで調べた所、抗精神薬としては、なぜか日本でだけ(?)使用されていて軽い抑うつに効く、本来は胃潰瘍の薬とあった。女性ホルモンを含有(?)しているらしい所がひっかかったものの胃の具合には勝てず、服用する事にした。そうしたら胃の調子も良くなり食欲が出て来て、これは良い薬だと喜んでいた。ところが、ある状態になってしまったのである。はやい話が、インポテンツになってしまったのである。てっきり別の薬の副作用かと思い、主治医に言ったところ、いとも簡単に「あっ、それはドグマチールの副作用ですよ」と言われてしまった。私の場合、服用をやめられたが、これで謎が解けた。欧米で使われないのはそこだったのだ。人権の中には性の領域も当然含まれてしかるべきである。日本では統合失調症にこのドグマチールを大量に処方するらしいが、これではまるで去勢ではないだろうか。精神的なダメージを受ける恐れのある問題のある薬をなぜ大量処方するのか、ぜひ専門家に問いたい気持ちである。

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「昔と比べて今は良くなった」のか?

精神医療ユーザー 石井真由美

 最近、違う場面で同じ様なことを聞き違和感を感じた。
 ひとつはある集まりで、精神障害者のグループホームの話が出た時、私が「地域の人達にここには作ってくれるなと反対されてしまうことがあるんです」と言ったら、「いや、今は地域の人達にも理解して貰えるようになってきたし、前と比べて状況は良くなりましたよ。これはもうかなり変わりました」とハッキリクッキリ言われたことだ。 もうひとつはTVドラマ「3年B組金八先生」を観ていたら、アルコール依存症の父親が家族に暴力をふるい経済的にも破綻したので、金八先生がその息子(生徒)を助けるため福祉事務所に行って相談したところ、ワーカーさんに父親の精神病院への入院を勧められた。金八先生は「精神病院はちょっと…」とか抵抗心を少し示すが、ワーカーさんは「精神病院といっても今はもう昔と違いますよ。鉄格子もなくなり~」と言って、病院はもう恐い所ではないですよ的な説明をする。そしたら金八さんは「それなら良かった」とすっかり安心して、父親を説得した結果、父親は自ら入院したというお話 (後略)

・・・・・・

編集会議から
2月の編集会議で、石井さんから上のような話が出され、当会の藤沢敏雄元代表が2001年1月号の本紙に「二十一世紀のはじめに」と題して、当時明るみに出た精神病院不祥事について、「問題は、朝倉病院事件をわが事として考えられるかどうかということです。ある会合で出会った国立精神神経センター総長は『あれは例外的な事件ですよね』とさらりと話しました。私は『いや氷山の一角ですよ』と応じました。日本の精神病院が、朝倉病院は例外的な病院だと言えるほどよくなったとは、とても考えられないのです」と書いていたことが想起されました。
(中略)
 おりふれ通信は「精神病院問題にこだわる」ことを編集方針の一つにしています。これからも努力していろいろな実例、情報公開を続けている精神病院統計からわかることなどを取り上げていきたいと思います。読者の皆様の参加、ご協力もよろしくお願いします。(「文章を書くのはちょっと・・・」とおっしゃる方は編集部でインタビューします) 木村記

 全文は、おりふれ通信 2008年2月号でお読み下さい。
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あと出しジャンケンの弁Ⅷ 陽和病院周辺住民感情は著しく敵対化している?

岡本省三

 四半世紀を優に超える陽和病院との関わりの中で、院の内外とも“桑滄の変”もただならぬ時代の波を浴び、今や昔の面影とてない。
 しかしここで諸氏の特別の注意を喚起すべき異様な体験を相次いですることとなった。
 昔病院周辺にいくつもあった喫茶店はほぼ全滅し、今や残るのは至近のバス停に面し、開店以来「患者お断り」を少なくとも建前としている許し難い一軒だけと成りはてて久しい。私は時折疲労困憊甚だしい時に限ってここで小憩することにしていた。
 さてつい先日のことだ。大変遅くもなり、しかも冷たい雨の中とあって私はここに入るため戸を開けた。しかるに何事であろう、女主人がとんでくるや否や、何やら罵声を浴びせながら私の背中を突いて、有無を言わせず外に押し出し手荒に戸を閉めたのであった。
 次のことを目撃したのはその直後であったろうか。陽和は近くの小学校の通学路に沿い、これに病院(と老健施設)の広い門の前を車の交通量が急に増えた狭い道が通ってT字なりに一緒になっている。
 昔なつかしい緑のおばさんが消えて久しいが、数年前からシルバー人材センターでリクルートされているのであろう屈強な男が2~3人(「学校」の小旗だけは昔と同じだ)出現し、「コラ道草食わずにサッサと歩く!」などの命令を遊びたい盛りの子ども達に下し始めた。今ではおばさんも混じるようになったが、しかしこの日、そのおばさんの位置が普段と全く違う。いつもは病院の垣根沿い、門に背を向ける感じだったのに、正に門に向かって正対し、明らかに油断なく人の出入りに目を配っているのだ。
 院内でも「住民感情の悪化」が流され、「社会防衛思想」の立場が内部の要路から揚言される世とは成り果ててはいた。しかしこれは一体何事であろうか。
 10.13殺人事件は多くのマスメディアの注目を潜り抜け、世上或いは忘れられもしていよう。だが院内の激変はさておき、何よりも近隣住民がこれに無知、無関心であろうとは、やはりあり得ないのであろう。
 皆さん、毎日の日常をちょっと見回して下さい。「テロ」「特別警戒」「不審者を見たら110番」盗撮カメラの放列などなど。治安国家化への圧倒的な急傾斜の中に私たちはいるのです。
 バスでは間断ないアナウンスの中で、かつての「不審者」には、今次の具体的定義が下されている。「・・・普段見かけない人や様子のおかしい人を見たら110番を!!」 以上

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退院支援施設(香川県 三愛会 レイクビュー) 「見たまま、聞いたまま」見学記 

七瀬 タロウ

 当事者団体、精神医療・福祉従事者関連団体、マスコミの強い反対を押し切って、昨年4月1日から、「退院支援施設」構想が、強行実施された経緯は、過去のおりふれ通信でも紹介されているが、各地での地方自治体相手の粘り強い行政交渉、全国規模の反対運動、そして私立精神科病院が長期入院者の退院促進を進めることで、経営的にいわば「自分の首を絞めてしまう」といった様々な事情により、現在山梨県と香川県に2ヶ所建設されているに留まっている。しかも、いずれも、いわば「イレギュラーな形」で、山梨県の場合は援護寮を作る計画だったのが、援護寮が廃止されたため、退院支援施設の話に乗った。また、これからご紹介する、香川県の退院支援施設レイクビューの場合も、病棟、ベット数の大幅削減計画が最初にあり(550床を350床程度まで減らす)社会資源の圧倒的不足(丸亀市内にはグループホームは2ヶ所、定員計14名でいずれも満室状態)、等もあいまって、最高1億円と言われる、国の建設資金の援助は受けずに、自力で建設した施設である。
私自身は、いわば、看板の架け替えによる数合わせ的な「社会的入院解消策」ではなく、社会資源の充実、当事者のピアサポート等も含めた退院促進こそ本道で退院支援施設構想には今でも反対なのであるが、では実際に建設された退院支援施設は、どのように運用されているのだろうか?香川県のレイクビューを幸い見学する機会があったので「見たまま、聞いたまま」をご報告したいと思う。

三船病院自体はおそらくこれからの入院患者数激減の傾向をにらんで、ベット数大幅削減等による「スリム化作戦」で今後の生き残りを考えているようである。この経営方針自体は、他の私立精神科病院もぜひ参考にして欲しいと思う。
さて三船病院の敷地から70メートル位はなれたところに退院支援施設レイクビューがある。3階建ての鉄筋プレハブ風の建物で定員30名、現在27名が入居している。男性21名、女性6名、利用期間は2年で1年延長可能、利用者の平均年齢は54.1歳(最高72歳、最低35歳)平均在院13.7年、最高在院年数44年、最短入院年数1年である。現時点では三船病院の入院患者以外は受け入れていない。スタッフは管理者を含め計8名。居室利用料月1万円、その他共用部分の光熱水費、自立支援法の1割負担等で750円、シーツ布団レンタル料で2200円。おおよそ1万7000円程度の利用者負担がかかる(各種減免制度あり)。
部屋は個室で6畳程度の広さ、ベット、小型冷蔵庫、テレビ、エアコンが備品で、電話は回線共有方式。押入れもかなり広いものがある。鍵は各階ごとと、部屋ごとの鍵を各自が所有し、24時間出入り自由。喫煙は各階ごとの喫煙ルームで可、アルコールは禁止。
また、貴重品盗難等のトラブルを避けるために、居室内へは外部の友人のみならず、同じ施設内の人も立ち入り禁止とのこと。この辺は個人的には疑問を感じたところである。貴重品の管理は将来施設から出ても、大変重要なことであり、押入れの奥にわからないようにしまっておくとか、カギ付ロッカーを備えておけば良いことなのではないだろうか?友人等を居室に招けないというのは、施設の管理的側面から来る大きな弊害だと思う。
さて、居住棟の中には共用部分があり、各階ごとにユニットバス、かなり広い炊事用設備がある。ガスはコインメーター形式。ただし、聞いたところによれば、朝はパン等を焼いて食べている人も多いが、昼食、夕食はほとんどの人が一食350円の業者の弁当を注文している。生活訓練では料理実習等も行われているのだが、自炊している人は数名程度。
近くには24時間開いている大型スーパーマッケットや各種店舗が集まっている場所もあり、買い物には不自由しないのだが、実際の自炊にはなかなかいたらないようだ。
私の個人的体験で言うと、自炊は冷蔵庫の中身とスーパーマケットの安売り食品で、栄養があり、自分なりに美味しいと思えるものをありあわせのもので何とか作り続けるのがコツで、無論冷蔵庫の中身が腐ってしまうこともままあるが、料理教室ではそのような実際の生活の知恵までは、学べないのではないかと思う。
さて、居住棟の他に、生活訓練棟がある。友人との面会もここの一室で行われる。生活訓練(担当の方は「訓練」と言う言葉はあまり好きではないとおっしゃっておられたが)、の内容は、前述の料理教室のほかに、体力をつける教室、シーツ交換、金銭管理指導、買い物訓練、居室や共用スペースの掃除等様々である。また公民館を利用した各種日中活動等いろいろ工夫されておられるようである。なお、午前と午後にそれぞれメニューが組まれているが1時間程度で終わってしまうことも多く、いわゆる厳しい訓練という感じではない。利用者に感想を聞いたところ「楽しいよー」と言う返事が返ってきた。
なおレイクビューは生活訓練施設なので職業訓練はやっていない。最後に利用者といろいろ意見交換する機会があったが、24時間風呂に入れる、外出が自由な点、個室である点等病棟生活よりははるかに、快適に感じているようだった。
反面「ここ2年しかいられないんだよ」と質問すると「あともう一年いれるんだよ」との返事。当初から懸念されていた「新たな施設病」の気配もなんとなく感じられた。開棟してもう6ヶ月たっているので、なかには充分もう退所できる人もいるように思い、担当の方に聞いて見たのだが、各種関係者による地域移行推進協議会もまだ立ち上がったばかりの段階で、具体的な地域移行の動きはこれからの課題のようである。なお施設の運営協議会は存在しないとのことである。
担当の方も2年後にスムーズに地域移行に結び付けていけるのかが最大の課題で、やはり地域の社会資源の圧倒的不足やサポート体制に最大のネックを感じておられるようであった。
また、東京での厚生労働省交渉や各地での反対運動の話を私が話すと興味深く聞いておられ、「私自身、病棟改造型の4人部屋というのはちょっとどうかと思う」等感想を述べておられた。

最後に私の個人的感想を述べてみたい。どう考えても地域の社会資源の不足、各種サポート体制の不備と言うのがいずれにせよネックになる。逆に言えば、退院促進、各種サポート体制、社会資源の充実に力を入れていれば必要のない「施設」である。とはいえ病棟にいるよりは確かに利用者のアメニティーが高いのも事実であり、いわゆる「よりまし論」もまったくわからないわけではない。
しかし、逆に言えば現状の多くの病棟のアメニティーや患者の自由度があまりに低すぎるのであり、むしろそちらを向上させ、その一方で各種社会資源やサポート体制を充実させていくのがやはり本筋ではないだろうか。レイクビューの場合、立地も市内で良く、外出先にも不自由しない。しかし、多くの山奥に立地する精神科病院が同様な試みをしても、まずうまくいかないのではないだろうか。
今までの退院促進運動の実績等を踏まえた上で、これからの退院促進運動のあり方全体を考えてみると、退院支援施設という「施設」は、「一つのオプション」としても不要であり、根本的な退院促進のネックの解消にまずは力と予算を注ぐべきではないだろうか。
ただの社会的入院患者の退院者数の数合わせ、安易な私立病院の生き残り策、施設病が施設で治せるかという問題、結果的に予測される在所期間の長期化等、退院支援施設はやはり根本的な問題をはらんでいると思う。


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10・3陽和病院看護師刺殺事件に関して

陽和患者協会会員 大石正文

 2007年10月3日早朝、陽和病院(東京都練馬区)東3A病棟で、不幸で悲しむべき事件が起きてしまいました。入院していた18歳の予備校生(当然未成年です)が、見まわりに来た33歳の看護師某氏を刃物で刺し殺してしまったのです。
 東3A病棟は全閉鎖の急性期病棟ですが、入院していた当の本人は、症状が回復し退院すると決まっていた日の午前1時に、看護師某氏を刺したのだそうです。これらは10月3日の朝日新聞夕刊にも載りましたが、記事から事の真相を追求するのは困難です。

 以下全文は、おりふれ通信 2008年1月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会

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障害者自立支援法10・30全国大フォーラムで感じたこと

トマトハウス 村上 友路

私が統合失調症になり、一般の仕事から作業所に入ってまもなく、『障害者自立支援法』という法律の存在を知った。作業所での通所生活のスタートと共にこの悪法はそれから私の生活に暗い影を落とすのである。
そのころは病気も今ほど良くなっておらず、家庭の雰囲気も良くはなかった。それまでの私は、悪法などという存在を、他人事の様に感じていたし、遠い国の難しい問題だと思っていた。しかし、法律というものの強大さ、恐ろしさからの将来に対する無力感を感じずにはいられなかった。今まで安住していた「国」というものが、突然牙を向いて来たかのような感覚に襲われた。その絶望というべき淵から、何が私を救ってくれたのか・・・それは作業所の仲間や人生の先輩でもある職員の方々からの優しさである。私の心はとてもゆっくりではあるが、清流にさらされた布のように洗われていった。その心身の「居場所」を単なるリハビリの場になり下げんとする自立支援法を私は許さない。そしてその想いをわかつ仲間が、10・30日比谷に集結したのである。


小麦の家  N.H. 
私がこの精神障害者小規模通所授産施設「小麦の家」に通所をして約1年7ヶ月が経つ。作業内容はパンを製造し、販売するという至ってシンプルなものだ。しかし、この単調にもみえる作業にも日々、小さくはあるが変化や進歩がみられる。そして、その流れによって私自身も、仕事の感覚や社会性を取り戻してきたところだ。
   しかしながら、来春からこの小さな施設にも自立支援法の波が押し寄せ、利用者負担金というものが生まれる。私の場合、扶養控除を受けているため、ひと月に9,300円の負担金を払わなければならない。現在、障害者年金を受けていない私には、月にして約2万円弱の工賃のみが収入である。そこの中から9,300円支払う事となれば実質1万円ほどの稼ぎとなってしまう。1ヶ月、およそ60時間の労働に対して1万円しか支払わなくなるという事だ。
 一体誰の為の自立支援法なのか?私は鬼気迫る現実を目の当たりにしてようやく重い腰を上げ、複雑な心境で10・30全国大フォーラムに参加する。

 以下、両レポートの全文は、おりふれ通信 11月号でお読み下さい。
ご購読連絡先:FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会


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自立支援法 参議院議員会館でのロビーング

編集部から 2日目のロビー活動に、おりふれ編集部では石井、飯田、木村が参加しました。衆議院をろうあ連盟、きょうされんなどが、参議院を「障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動実行委員会」のグループが担当し、私たちは参議院でしたが、たくさんの車椅子が議員会館(非常にバリアフルな建物とわかりました)を行き来するさまは壮観でした。石井さんが書いているように、車椅子は障害者のシンボルとしてわかりやすい!

ロビー活動 石井真由美
 初めて参議院のロビーイングに参加しました。
 私はあまりにも「政治のことは分からない」と確信していたので、参加することを決めてからエラク後悔したりしました。でも、行くことに決めたのは、自分は「分からない」ままでいいのかどうか分からないことが、今回やけに気になって、これは体験してみるしかないと思ったからです。
なんか自分勝手な理由です。
「政治や社会のことに疎い」のは、入退院の繰り返しや、社会のことを学ぶより、自分の病気を抱えたり、治療することで精一杯だったという理由があるのは事実です。でも、やっぱり知ろうとしなかった。知っても不満や将来の不安が強まるだけだし、とても面倒臭い感じがして知りたくなかった。(あと、いつの間に刷り込まれたのか、こういう活動に参加すると「具合が悪くなる」と思い込んでた所もあります)なんだか、社会のことや政治に触れると自分がひどくみじめな存在に見えてくる気がして嫌でした。でも、今回は気になった。

☆まず、永田町に馴染めなかった!地下鉄から地上に出たら警察官が所々にいて、すごく恐くて緊張していきなり足がもつれコケた。恥ずかしかった。

☆議員会館に到着したら、すでにたくさん人が集まっていた。

以下全文は、おりふれ通信 11月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会

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投稿 安易に抗生物質をのまないで!

水村伊織

皆さん、こんにちは!水村伊織です。

 9月にゲルマパンチという手術をしました。左太ももです。内容は3本の麻酔と1本の造影剤を入れて、上から機械が降りてきて、穴を開け、周りの組織を削り、手で膿みを絞るというものでした。その方が再発率が低いとのことです。
 2004年1月~2月に入院して、一緒にお風呂に入った老女に(介助入浴でした)、ブドウ球菌をうつされ、今も背中、おしり、胸、股、太もも・・・と、どんどん発症しています。
 手術をした時、先生に「注射針で膿を抜いて、抗生物質でたたくのは、最悪なパターンだ!」と言われました。ずっと同じ抗生物質をのんでいたので、既に菌が交代していてカビが生えていたそうです。
 皆さんにお願いがあります。風邪の時は、安易に抗生物質を飲まないで下さい。かぜには抗生物質は効きません。第二の水村にならないよう、気を付けて下さい。

 最後に、水村は2003年にY県からS県に引っ越しました。これからもよろしくお願いします。

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あと出しジャンケンの弁Ⅵ ネオリベラリズムと「福祉」の運命(承前) ー「福祉は自己責任である」安部晋三著(?) 『美しい国へ』 2006ー

岡本省三
                        
総理国会答弁より
「格差?そんなものはない!なに?ある?あってどこが悪い!」(小泉)
「もし地域格差があると思う人があるとするならば・・・」(安部)

一 おことわり
 私は古稀に近い老人であるからして、皆様を難渋させている蒼古な文体はひとえにトシのせいです。一方、昔の文士の伝統的難読原稿並の私の手書き原稿。それが〆切りギリギリに、FAXで「おりふれ」編集部に飛び込むのですから、多少の「原文との不一致」は例の「受忍の範囲」。正誤表などヤボなことはとてもとても・・・。しかし、この前の敬慕する埴谷雄高氏からの借りもの、こればかりは何としても泉下十年の氏に申し訳がたちません。で、次のとおりです。『鞭と独楽』からの「・・・この鞭がなければ、自分ひとりでは走っていられない」は、「立って・・・」となります。

二 本稿の意図の再確認
 前号前置きのとおり、「事態が今やその理論的検討を不可欠かつ不可避であることを明らかに要請している」ところの「ネオリベラリズムなるものの(中略)平明で具体的な本質的解明」への初めての本格的試み、であって如何なる意味でも「地業研」いわんや「反貧困ネットワーク」への批判それ自体を意図するものではない。誤解を避けるため再言する。

三 (上)への補足
 最早実証的データは不要に等しい。但し次の補足のみ行う。
1)急増する高齢者世帯の生保受給総数は、2003年度以降絶対減に転じている。
2)かの大阪市の驚くべき「創意工夫」を紹介する。即ち多年の慣行として各地で確立している便法に対し、市は支援団体所在地を住所地として登録して生保を受給していた大量の釜ヶ崎の住民を「虚偽、違法」な登録の故を以て一挙に抹消=生保剥奪を強行した。その根拠は言うまでもなく「生活保護法違反」の一片の国家官僚作の通達である。
3)「対象文」が詳述する「確定勝訴判決例」について
 それは以下のとおり極めて限定された、がんじがらめの制限下にある。即ち①提訴そのものがほとんど不可能に近いこと ②勝訴→確定は稀有の奇跡に等しいこと ③司法的救済の効果は勝訴者本人にのみ及び、一般遡及力を持たないのみならず、行政がこれにすら服するのはほとんど「奇蹟中の奇蹟」であること。
 なお、これらに加えて次の如きネオリベラリズムの直接の所産としての圧倒的な趨勢に言及する必要があろう。(A)司法の行政への従属と一体化、癒着(B)法曹三者一体化、即ち最高裁・検察・日弁連の実質的合体の進行による法曹界丸ごと総がかりでの「司法自体のネオリベラリズム権化」(本紙の制約を考慮して、以下主な事実のみ羅列する)◎言語指示地検の法務省への「移譲」◎ド素人による重大刑事犯限定の「人民裁判」(裁判員制度が2009年度導入)◎マスメディア「良心派弁護士」バッシングキャンペーンの底なしエスカレーション。

四 ネオリベラリズムとは何か
(1)ネオリベラリズム(以下NLと略)に理論があるのか ーNL慣用語辞典精読ー
 慣用語は皆様以前からイヤと言うほど注ぎ込まれていてスッカリおなじみ。どころかご愛用の方々も少なくありません。早い話、かの偉大な障害者権利条約こそ、このNL語彙(思想?理論?)の宝庫ではないか!
 さて精読は「効率的」(これもNL用語?)にやります。
(ア)「努力する者は必ず報われるのです。皆さんが全員ビルゲイツになれるのです」(竹中平蔵蔵相、2001年第一回タウンミーティング、青森)これこそ、NLの宣言たり綱領たる文章。NL「理論」のタネもシカケもまず80%はこれに尽きる。何故か。「必ず」となっているから。即ちこの命題から、次のトンデモNL理論が飛び出す。→「報いられていない者は必ず努力しなかった者である」この帰結は何人にも反論不可能であり、かつ絶対的な妥当性を有する。
 ついで、さらに驚くべき帰結が自然に導かれる。即ち「努力したかしなかったかは、報いられているか否かだけで判断される」これ又批判の余地がない。報いられていることが努力したことを証する唯一の要件なのです。
 同様にして第三の帰結「報いられていない者は努力しなかった者だけである」→「必死で努力したが報いられなかった。又は努力したかったがどうしてもできず・・・」は背理であり、論理的にあり得ないことになる。
 こうなると、最早この「理論」なるものがおよそあらゆる人間的事象に真っ向から反し、全世界ではるか昔から事実によって反駁されてきた、又これからも反駁され続ける如き荒唐無稽な背理そのものであり、正しく犯罪的なデマゴギーであり、ただのペテンに過ぎないことは何人にも明らかであろう。
 皆さん、そうじゃありませんか?NLなんて皮をちょっとむいただけで、もうこんな代物だったのだ!! そして、しかも、にもかかわらず、正に全地球上を徘徊し、信じられない暴威をほしいままにしているんだ!!
 先を続けてみよう。
「報いられる」「報いられている」とは?これも簡単。つまり「マネー」。人間の理想とも美しいもののすべてとも、学問芸術、文化とも一切全然関係のないただの数字だけ!!
 つぎ!「報いられていない」とは?「マネーのないやつ」つまり貧乏人、贅沢のできない奴ら、ホームレス、失業者、ネットカフェ難民、過労自殺するアホ、こいつらが報われていない人間イコール努力しなかった人間!
(オカモトさん言い過ぎてません?そこまで言っていいの?)いや、これこそが「報われた者」の掛け値なしの本音なのです。彼らが公言していることなのです。
 次に進みましょう。「自己選択」「自己決定」(「自己責任」)はどうでしょう?
[定義1]人は努力するか、しないかを自己選択・自己決定する。言い替えれば報いられることにするか、それとも報いられで泣きを見るかを人は自己の自由な、無制約な意思のみによって自ら選択し、決定する。またそうできることがおよそ人間存在なるものの根本規定である。
 以上が愛好者・ファン少なからぬらしい、この魅力的な用語の真の、唯一の意味内容です。あとでこの二語が唯一どころではなく、実に「人間は神様並でなければならない。即ち、あらゆる未来・可能不可能な将来をすべて見通す力を予め賦与されている」ことすら、「自己選択・自己決定」に含意されていることをNLの生んだ実例に基づいて存分に証明致しましょう。
 さて「自己責任」。これはとても簡単。「自分で決めたことの責任は自分でとる。全部とる。とらなければならない」というあったり前のこと。ところが、ここから又こうなってくる!「およそ人は自分が今どうなっているか(=報いられているか、いないか、餓死するか過労死するか)、何から何まで自分の責任。ヒトのせいとか、社会が悪いからとか言わせやしねえぞどうです、分かりましたか?
       一 おことわり
 私は古稀に近い老人であるからして、皆様を難渋させている蒼古な文体はひとえにトシのせいです。一方、昔の文士の伝統的難読原稿並の私の手書き原稿。それが〆切りギリギリに、FAXで「おりふれ」編集部に飛び込むのですから、多少の「原文との不一致」は例の「受忍の範囲」。正誤表などヤボなことはとてもとても・・・。しかし、この前の敬慕する埴谷雄高氏からの借りもの、こればかりは何としても泉下十年の氏に申し訳がたちません。で、次のとおりです。『鞭と独楽』からの「・・・この鞭がなければ、自分ひとりでは走っていられない」は、「立って・・・」となります。

二 本稿の意図の再確認
 前号前置きのとおり、「事態が今やその理論的検討を不可欠かつ不可避であることを明らかに要請している」ところの「ネオリベラリズムなるものの(中略)平明で具体的な本質的解明」への初めての本格的試み、であって如何なる意味でも「地業研」いわんや「反貧困ネットワーク」への批判それ自体を意図するものではない。誤解を避けるため再言する。

三 (上)への補足
 最早実証的データは不要に等しい。但し次の補足のみ行う。
1)急増する高齢者世帯の生保受給総数は、2003年度以降絶対減に転じている。
2)かの大阪市の驚くべき「創意工夫」を紹介する。即ち多年の慣行として各地で確立している便法に対し、市は支援団体所在地を住所地として登録して生保を受給していた大量の釜ヶ崎の住民を「虚偽、違法」な登録の故を以て一挙に抹消=生保剥奪を強行した。その根拠は言うまでもなく「生活保護法違反」の一片の国家官僚作の通達である。
3)「対象文」が詳述する「確定勝訴判決例」について
 それは以下のとおり極めて限定された、がんじがらめの制限下にある。即ち①提訴そのものがほとんど不可能に近いこと ②勝訴→確定は稀有の奇跡に等しいこと ③司法的救済の効果は勝訴者本人にのみ及び、一般遡及力を持たないのみならず、行政がこれにすら服するのはほとんど「奇蹟中の奇蹟」であること。
 なお、これらに加えて次の如きネオリベラリズムの直接の所産としての圧倒的な趨勢に言及する必要があろう。(A)司法の行政への従属と一体化、癒着(B)法曹三者一体化、即ち最高裁・検察・日弁連の実質的合体の進行による法曹界丸ごと総がかりでの「司法自体のネオリベラリズム権化」(本紙の制約を考慮して、以下主な事実のみ羅列する)◎言語指示地検の法務省への「移譲」◎ド素人による重大刑事犯限定の「人民裁判」(裁判員制度が2009年度導入)◎マスメディア「良心派弁護士」バッシングキャンペーンの底なしエスカレーション。

四 ネオリベラリズムとは何か
(1)ネオリベラリズム(以下NLと略)に理論があるのか ーNL慣用語辞典精読ー
 慣用語は皆様以前からイヤと言うほど注ぎ込まれていてスッカリおなじみ。どころかご愛用の方々も少なくありません。早い話、かの偉大な障害者権利条約こそ、このNL語彙(思想?理論?)の宝庫ではないか!
 さて精読は「効率的」(これもNL用語?)にやります。
(ア)「努力する者は必ず報われるのです。皆さんが全員ビルゲイツになれるのです」(竹中平蔵蔵相、2001年第一回タウンミーティング、青森)これこそ、NLの宣言たり綱領たる文章。NL「理論」のタネもシカケもまず80%はこれに尽きる。何故か。「必ず」となっているから。即ちこの命題から、次のトンデモNL理論が飛び出す。→「報いられていない者は必ず努力しなかった者である」この帰結は何人にも反論不可能であり、かつ絶対的な妥当性を有する。
 ついで、さらに驚くべき帰結が自然に導かれる。即ち「努力したかしなかったかは、報いられているか否かだけで判断される」これ又批判の余地がない。報いられていることが努力したことを証する唯一の要件なのです。
 同様にして第三の帰結「報いられていない者は努力しなかった者だけである」→「必死で努力したが報いられなかった。又は努力したかったがどうしてもできず・・・」は背理であり、論理的にあり得ないことになる。
 こうなると、最早この「理論」なるものがおよそあらゆる人間的事象に真っ向から反し、全世界ではるか昔から事実によって反駁されてきた、又これからも反駁され続ける如き荒唐無稽な背理そのものであり、正しく犯罪的なデマゴギーであり、ただのペテンに過ぎないことは何人にも明らかであろう。
 皆さん、そうじゃありませんか?NLなんて皮をちょっとむいただけで、もうこんな代物だったのだ!! そして、しかも、にもかかわらず、正に全地球上を徘徊し、信じられない暴威をほしいままにしているんだ!!
 先を続けてみよう。
「報いられる」「報いられている」とは?これも簡単。つまり「マネー」。人間の理想とも美しいもののすべてとも、学問芸術、文化とも一切全然関係のないただの数字だけ!!
 つぎ!「報いられていない」とは?「マネーのないやつ」つまり貧乏人、贅沢のできない奴ら、ホームレス、失業者、ネットカフェ難民、過労自殺するアホ、こいつらが報われていない人間イコール努力しなかった人間!
(オカモトさん言い過ぎてません?そこまで言っていいの?)いや、これこそが「報われた者」の掛け値なしの本音なのです。彼らが公言していることなのです。
 次に進みましょう。「自己選択」「自己決定」(「自己責任」)はどうでしょう?
[定義1]人は努力するか、しないかを自己選択・自己決定する。言い替えれば報いられることにするか、それとも報いられで泣きを見るかを人は自己の自由な、無制約な意思のみによって自ら選択し、決定する。またそうできることがおよそ人間存在なるものの根本規定である。
 以上が愛好者・ファン少なからぬらしい、この魅力的な用語の真の、唯一の意味内容です。あとでこの二語が唯一どころではなく、実に「人間は神様並でなければならない。即ち、あらゆる未来・可能不可能な将来をすべて見通す力を予め賦与されている」ことすら、「自己選択・自己決定」に含意されていることをNLの生んだ実例に基づいて存分に証明致しましょう。
 さて「自己責任」。これはとても簡単。「自分で決めたことの責任は自分でとる。全部とる。とらなければならない」というあったり前のこと。ところが、ここから又こうなってくる!「およそ人は自分が今どうなっているか(=報いられているか、いないか、餓死するか過労死するか)、何から何まで自分の責任。ヒトのせいとか、社会が悪いからとか言わせやしねえぞどうです、分かりましたか?一 おことわり
 私は古稀に近い老人であるからして、皆様を難渋させている蒼古な文体はひとえにトシのせいです。一方、昔の文士の伝統的難読原稿並の私の手書き原稿。それが〆切りギリギリに、FAXで「おりふれ」編集部に飛び込むのですから、多少の「原文との不一致」は例の「受忍の範囲」。正誤表などヤボなことはとてもとても・・・。しかし、この前の敬慕する埴谷雄高氏からの借りもの、こればかりは何としても泉下十年の氏に申し訳がたちません。で、次のとおりです。『鞭と独楽』からの「・・・この鞭がなければ、自分ひとりでは走っていられない」は、「立って・・・」となります。

二 本稿の意図の再確認
 前号前置きのとおり、「事態が今やその理論的検討を不可欠かつ不可避であることを明らかに要請している」ところの「ネオリベラリズムなるものの(中略)平明で具体的な本質的解明」への初めての本格的試み、であって如何なる意味でも「地業研」いわんや「反貧困ネットワーク」への批判それ自体を意図するものではない。誤解を避けるため再言する。

三 (上)への補足
 最早実証的データは不要に等しい。但し次の補足のみ行う。
1)急増する高齢者世帯の生保受給総数は、2003年度以降絶対減に転じている。
2)かの大阪市の驚くべき「創意工夫」を紹介する。即ち多年の慣行として各地で確立している便法に対し、市は支援団体所在地を住所地として登録して生保を受給していた大量の釜ヶ崎の住民を「虚偽、違法」な登録の故を以て一挙に抹消=生保剥奪を強行した。その根拠は言うまでもなく「生活保護法違反」の一片の国家官僚作の通達である。
3)「対象文」が詳述する「確定勝訴判決例」について
 それは以下のとおり極めて限定された、がんじがらめの制限下にある。即ち①提訴そのものがほとんど不可能に近いこと ②勝訴→確定は稀有の奇跡に等しいこと ③司法的救済の効果は勝訴者本人にのみ及び、一般遡及力を持たないのみならず、行政がこれにすら服するのはほとんど「奇蹟中の奇蹟」であること。
 なお、これらに加えて次の如きネオリベラリズムの直接の所産としての圧倒的な趨勢に言及する必要があろう。(A)司法の行政への従属と一体化、癒着(B)法曹三者一体化、即ち最高裁・検察・日弁連の実質的合体の進行による法曹界丸ごと総がかりでの「司法自体のネオリベラリズム権化」(本紙の制約を考慮して、以下主な事実のみ羅列する)◎言語指示地検の法務省への「移譲」◎ド素人による重大刑事犯限定の「人民裁判」(裁判員制度が2009年度導入)◎マスメディア「良心派弁護士」バッシングキャンペーンの底なしエスカレーション。

四 ネオリベラリズムとは何か
(1)ネオリベラリズム(以下NLと略)に理論があるのか ーNL慣用語辞典精読ー
 慣用語は皆様以前からイヤと言うほど注ぎ込まれていてスッカリおなじみ。どころかご愛用の方々も少なくありません。早い話、かの偉大な障害者権利条約こそ、このNL語彙(思想?理論?)の宝庫ではないか!
 さて精読は「効率的」(これもNL用語?)にやります。
(ア)「努力する者は必ず報われるのです。皆さんが全員ビルゲイツになれるのです」(竹中平蔵蔵相、2001年第一回タウンミーティング、青森)これこそ、NLの宣言たり綱領たる文章。NL「理論」のタネもシカケもまず80%はこれに尽きる。何故か。「必ず」となっているから。即ちこの命題から、次のトンデモNL理論が飛び出す。→「報いられていない者は必ず努力しなかった者である」この帰結は何人にも反論不可能であり、かつ絶対的な妥当性を有する。
 ついで、さらに驚くべき帰結が自然に導かれる。即ち「努力したかしなかったかは、報いられているか否かだけで判断される」これ又批判の余地がない。報いられていることが努力したことを証する唯一の要件なのです。
 同様にして第三の帰結「報いられていない者は努力しなかった者だけである」→「必死で努力したが報いられなかった。又は努力したかったがどうしてもできず・・・」は背理であり、論理的にあり得ないことになる。
 こうなると、最早この「理論」なるものがおよそあらゆる人間的事象に真っ向から反し、全世界ではるか昔から事実によって反駁されてきた、又これからも反駁され続ける如き荒唐無稽な背理そのものであり、正しく犯罪的なデマゴギーであり、ただのペテンに過ぎないことは何人にも明らかであろう。
 皆さん、そうじゃありませんか?NLなんて皮をちょっとむいただけで、もうこんな代物だったのだ!! そして、しかも、にもかかわらず、正に全地球上を徘徊し、信じられない暴威をほしいままにしているんだ!!
 先を続けてみよう。
「報いられる」「報いられている」とは?これも簡単。つまり「マネー」。人間の理想とも美しいもののすべてとも、学問芸術、文化とも一切全然関係のないただの数字だけ!!
 つぎ!「報いられていない」とは?「マネーのないやつ」つまり貧乏人、贅沢のできない奴ら、ホームレス、失業者、ネットカフェ難民、過労自殺するアホ、こいつらが報われていない人間イコール努力しなかった人間!
(オカモトさん言い過ぎてません?そこまで言っていいの?)いや、これこそが「報われた者」の掛け値なしの本音なのです。彼らが公言していることなのです。
 次に進みましょう。「自己選択」「自己決定」(「自己責任」)はどうでしょう?
[定義1]人は努力するか、しないかを自己選択・自己決定する。言い替えれば報いられることにするか、それとも報いられで泣きを見るかを人は自己の自由な、無制約な意思のみによって自ら選択し、決定する。またそうできることがおよそ人間存在なるものの根本規定である。
 以上が愛好者・ファン少なからぬらしい、この魅力的な用語の真の、唯一の意味内容です。あとでこの二語が唯一どころではなく、実に「人間は神様並でなければならない。即ち、あらゆる未来・可能不可能な将来をすべて見通す力を予め賦与されている」ことすら、「自己選択・自己決定」に含意されていることをNLの生んだ実例に基づいて存分に証明致しましょう。
 さて「自己責任」。これはとても簡単。「自分で決めたことの責任は自分でとる。全部とる。とらなければならない」というあったり前のこと。ところが、ここから又こうなってくる!「およそ人は自分が今どうなっているか(=報いられているか、いないか、餓死するか過労死するか)、何から何まで自分の責任。ヒトのせいとか、社会が悪いからとか言わせやしねえぞどうです、分かりましたか? (続きは次号。次号で完結)


        
       

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「病院は地域だ」!?

石井真由美

 ある集まりに参加した時、シンポジストの一人が「(精神)病院は地域だ」とおっしゃいました。私はその言葉をきっかけに、ふっと自分の座っている場所から薄い幕がおり、外側と遮断されてしまいました。
 しばらくは思考が止まり、(ものすごくゆっくりと遅くなる)、具体的な考えやエピソードはなく、ただただ膜に包み込まれた感覚に、呆然としているしかありませんでした。それから段々、かつて入院していた病棟の風景が出てきました。私はそんなバラバラに出てくる記憶に包まれ、その後の講演内容はほとんど聞き取れなくなりました。

 外側から聞こえてきた「病院は地域だ」という言葉に対して強い違和感を持ちながら、でもその違和感を言葉にする力もなく、だけど、この違和感を言葉にできたら、私はこのぼんやりを包まれた世界から現実に戻れるのに、と思ったりしていました。

 私が入院していた病院は、住宅地の中にありました。近くにマンションもアパートも民家も喫茶店も学校も病院もパチンコ屋さんも駅もあった。外出許可が出ている時は、一人で買い物をしたり、ただ街中を歩き続けた日もあれば、患者どうしでお茶しに行ったり、看護婦さんと近所の河原へお散歩にも行きました。(看護婦さんは白衣を着て出かけていました。遠距離の時は私服に着替えていました)
私は一番長くて、まる2年間、入院生活をしました。短いものを合わせれば、3~4年間です。
 でもその間、一度も「病院は地域だ」なんて思えたことはないし、だいたいそんな発想すらなかったです。私の中では確実に、「病院と地域」は「あっち世界とこっちの世界」に分断されていました。入院している私には、病院、病棟が「こっちの世界」だけれども、世間にとって「こちら」は「あちら」の世界なのでしょう。いや、私にはもう「こちらの世界」はなく、院内も院外も「あちら」にいってました。
 私は当時の主治医から、あなたは幽霊で、魑魅魍魎(ちみもうりょう)だと言われたことがあるけど、これは私の状態、ここに住まう者達を例えているようで、何の違和感も怒りも感じなかったことを思い出す。いい例えだとも思わないけれど。

 少なくとも私にとっては、「病院は地域ではなかったし、今もないっ!」と頭の中で怒りとともに訴えたら、私はまた自分が今いる場所に戻れた感じがしました。

 私は3~4年の入院生活で、地域の人と一度もふれあったことがありません。近所の人達と道端で、世間話や井戸端会議もしたことがないし、院内以外の人とは挨拶を交わしたことないし、花火大会は格子の内側から見たし、友達もできなかったし、院内に地域の人を招待したこともないし。世間や地域とはバッサリと切り離されていたとしか言えないのです。
     

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あと出しジャンケンの弁Ⅴ ネオリベラリズムと「福祉」の運命 ー本紙8月号「北九州市生活保護辞退者餓死事件」批判を機縁としてー(上)

岡本省三

「私は屡々激しく鞭打たれる。そして、この鞭がなければ、自分ひとりでは立っていられないのかと、屡々思い危ぶむのである。」(埴谷雄高『鞭と独楽』跋。1957)
「・・・ここで言う『国家意思』とは究極的には『社会保障・福祉カテゴリー』の包摂する全領域の“公的カテゴリーからの解放〔「排除」〕”そのものの意であることは今さら言をまたない」(未発表草稿より2006

一 前置き
 明らかに難題に間違いない本稿のテーマが、たまたま前号冒頭に登場してくれた東京地業研論文(以下「対象文」)の、「特殊北九州市例外説」なる当然放置できない部分を批判することをキッカケにすることで、いわば突然いとも手近に展開できる、との発見が、この試論を成立させた次第である。
 なお、続稿においては、官庁統計、全国的に見出しうる数々の具体的事例の紹介を通じて、積極的反論をした後、こうした事態を白昼公然と強権的に推進せざるを得ないネオリベラリズムなるものの、(元より本紙の許容する限りにおいての、)平明で具体的な本質的解明を試みることとなるであろう。何故なら、事態は今や何らかの理論的検討が不可欠かつ不可避であることを明らかに要請しているからである。

二 対象文の批判
 対象文に即して、(許し難い限定であるが)本稿は論述をほぼ「生活保護(生保)問題」に限ることとなる。
 この国がネオリベラリスト国家としてその遂行を至上の使命とする「福祉」=「社会保障」の全領域にわたる強行的削減(それはその「解体」を究極目的とするのではあるまいか)過程は、ついに「最後のセーフティネット」=「生保システム」そのものをダーゲットとする段階にまで到達した。
 血祭りに挙げるべき最初のエジキは、最小抵抗線に沿って当然にも政治的・社会的最弱者としての老齢者・母子家庭であった。(既に8年目に入って最早解体の最終段階に進んでいる介護保険制度、療養病棟の切り捨てによる棄民化、終焉の場としての〔これまた解体しつつある〕家庭、圧倒的な集中豪雨的増税、医療へのアクセスのハードルの相次ぐ引き上げ→「無医療化」などなどは例示に止める)。そしてそれは周辺弱者諸層へと波及しつつあることは周知の通りである。
 生保削減は、厚労省策定マニュアルによって①既受給者からの「暴力的」(後述)受給権剥奪 ②未受給有資格者の執拗な追い返しによる、新規受給者増の絶対的抑制 ③その他各自治体の“創意工夫”に委ねられた手口によって行われている。
 いわば結論から始められた本稿は、対象文が「信じ難い軽信」(?)によってほとんど鵜呑みにしているとおぼしい、甚だ不出来なデマゴギーネタ(朝日8月15日朝刊)中、唯一「上出来」な個所(デスクの削り忘れ?! )であり、しかもそれが仮に見落とされなかったならば対象文そのものの存在自体が危ぶまれる如き一文、即ち北九州市の実践と成果が『先進的な取り組みの成果(!)として、国や他の自治体から評価されてきた』だけで、いわば具体的な反論を自動的に無用化している故でもある。
 よって以下では①「暴力的」との私の用語の厳密な内容規定の展開を中心とし、②さらに念のため対象文の批判的分析を付け加える。(積極的な反証の提供は次稿以下で行われる。)

 ①について
 自己を超越する至高のイデオロギーとしてのネオリベラリズムの「人格化」として、「その執行者」としてのみ存在の意義と目的をもつ国家官僚は、例えば記述の①強行的剥奪が被剥奪者にとっては直ちに「生活の不可能」→「死」と同義であることなどにはおよそ無頓着なのであって、「専門家」としての所与たる任務である「剥奪マニュアル」の錬磨にのみ腐心することとなる。
 そしてその結果の「完成されたマニュアル」は、次の近似領域に限りなく近いものとならざるを得ない。即ち、(A)密室化してある取調室での虚偽の自白製造マニュアル (B)なかんずく高齢者を好餌として繁盛しているかの悪質サギ商法マニュアル。それはともに、孤立化・ペテン・甘言・延長戦に次ぐ延長戦などによるエジキの無力化、抵抗能力・拒絶能力の損耗と剥奪による「全面降伏」に向けての多彩な手口の組み合わせであって、エジキたる最弱者(それは、生理的要因というより、ほとんどその社会的存在状況=「被規定性」によって生み出され、意識に沈殿・固定化する「自己肯定の困難化」「無価値で無意味な社会的ヨソ者・余計者・存在に値しない存在としての自己規定」「判断力と意欲の低下」などによる“落としやすさ”によって特徴づけられる)に対する無類の心理的攻略術として、或いは多年の錬磨を経て完成・継承されてきたものである。私がこれをもって人間に対する「暴力」と名付けるのがいささかも失当でないことは明かであろう。
 加えて、現場担当者が次第に“非情かつ有能な常習的確信犯”として完成していく歩みにおいて、「弱い者いじめ」自体のもたらす愉楽、そして彼ら自身多くは官僚機構のヒエラルヒーにおける下積み層として蓄積されているウップンを晴らす(抑圧移譲の法則)うってつけの機会としてのカタルシス効果の有効性、もまた同じ立場にあると思われる多くの人々の容易に共感しうるところであろう。削減攻撃は、このマニュアルの全国津々浦々の配下の全自治体への
周知徹底と、権力中枢による直接の指導監督の下に進められる。(また、もとより官僚達の「上昇志向」がこれに加速度を与える。)

②について
 (a)各種「不祥事」の「検証・調査」などなどのための「委員会」の中でも、この北九州市の「検証委」は、○イ 「広島高裁判決を教訓にしていたら防げたのではないか」○ロ「・・・本人が『自立します』と書いてきたらそのまま尊重する」というケースワーカー全員の回答に「愕然とした」などの発言の切れはしのみからも、その「第三者性」ないし「独立性」を大いに疑わしめる。何となれば、例えば「原爆症認定集団訴訟」「水俣病認定集団訴訟」での五連敗、六連敗などでは“微動だにしない”(コイズミ用語)行政の特徴、また使命、そして「先進的モデル」と仰がれ讃えられてきた北九州市の模範的に強固な意思などを指摘すれば足りる。
 こうした見え見えの「装われたナイーブさ=『素人っぽさ』=『無知』」と前引朝日新聞と酷似するスリカエとペテンなど周知の手口は、責任者のアリバイづくり、事態のウヤムヤ化、アイマイ化、結果としての結果責任の免責などの「邪悪な意図」を明白に推測させるに十分であるが故に。
 更に(b)同引「朝日」の「他の16市は・・・辞退の申し出があっても・・・具体的な自立のめどを確認した上で」云々という、まさか「エッ?ジリツ?そんなものなど頭から『確認』などしないでやっているから、いやいやそれどころか『自立』できないなんて分かり切ってるからこそネ、キミ・・・できることなんだ」と本音を新聞発表させるなどおよそあるはずもないという、「これ以上不器用なデッチあげはあり得ない」ネタをお使いになるに至ってはイヤハヤ・・・
(以下次号)

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障害をこえてつながろう!

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   編集部から 先月号でお知らせしたように、反ー貧困ネットワーク主催の集まりが「障害をこえてつながろう!6.21東京集会」「もうガマンできない!広がる貧困 人間らしい暮らしを求めてつながろう7.1東京集会」と続けてもたれました。今号では6.21集会を紹介します。集会の様子や内容は、パネリストの1人として「ベーシック・インカム」という方法を提起した岡部耕典さんのリソースセンターいなっふのサイトhttp://www.eft.gr.jp/money/070621  で見ることができます。

石井真由美

 私にとって、こんなにボリュームのある集会に参加したのは初めてでした。
 障害の種別をこえて、いや障害のあるなしの区別もこえて、いやいや日本という国の枠もこえて、たくさんのシンポジストが発する具体的な体験談と歴史、現状、メッセージ、暴力的ではないズシンとくる怒りや痛み。皆それぞれが、何かを得よう、何かを超えようと、持っている力や勇気、時として忍耐をふりしぼっている姿や言葉から、多くの刺激を受けずにはいられない。
 分かってほしいという欲求と分かりたいという欲求。そう、本当は「分かりたい」欲求が自分の中に強くあることを感じた。
 私が社会参加する時、どうしても「精神医療ユーザー」という立場でしか、まだ世の中に立ち位置が作れていない。本当は、私は丸ごと精神障害者だったり、ユーザーだったりするわけではないけれど、あまりにも病歴が長く、適当なことを言ってお茶をにごせる履歴ではとうになくなっている。しかも現在、仕事とか主婦とか、世間に通る肩書きがないから、「どこの所属ですか?」「何をしてらっしゃるのですか?」「お仕事は?」とか聞かれることの多い社会でやっていくためには、どんなに烙印を押されても、私は精神障害という面でしか立てない。だからこの面を受け入れてくれるところにしか参加できなくて、世界はなかなか広がらない。
 じゃあ、どうすれば私はもっとのびのびと外に出て、堂々とさまざまな場へ参加できるようになれるか考えると、ストレートに「分かってもらう」ことだと考える。私のことを分かってもらう、あるいは、精神障害者の置かれている現状や痛みを分かってもらう。いかに理不尽な扱いや差別を受けているか分かってもらうことに、エネルギーを注ごうとする。・・・・・・・・・

以下、全文は、おりふれ通信 7月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会

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あと出しジャンケンの弁Ⅴ 障害者権利条約は光に面するか闇に面するか(承前)ー条約はそもそも何かを約束しているのか?ー 

岡本省三

一 承前
 前稿の課題(「拘束力」問題)は、そこでの予備的検討によって今やそもそも「課題」ですらあり得ないことをほぼ暴露した、と考える。
 一方、本紙の性格などの制約は未完部分の充分な補足を許さぬであろう。よって以下で最小限度の確認のみを行うに留める。
即ち①「階級支配装置にして幻想の共同体」との「国家」の古典的本質規定は依然として有効であること。②極めて多様な歴史的・理論的諸要因の結果と「しての「階級範疇の“不可視化”」。③ネオリベラリズム段階における「支配装置」の究極的完成。

二 条約はそもそも何であるのか
 最初にお断りする。本条約が「障害者の権利」条約であることに何かことさらに、特別の「画期的意義」を見出し得るかの如きハヤリの言説については、その不毛さの故にこれに触れることをしない。
 ご不満の向きにはさし当たり次の二書をおすすめする。『人権宣言集』『世界憲法集』(いずれも岩波文庫所収)
 人はそこに置いて、本条約、なかんずく「前文」中に現れる少なくとも8つの「人権条約・規約・憲章」の類に遥かに先行し、実に「マグナ・カルタ」(13世紀)に淵源するほとんど無数の「人類多年の苦闘の成果」(日本国憲法第97条)としての最広義の「人権法規定」が発生し、成熟し、そして完成に至っていることを見出し、しかもそれらがその根源的普遍性の故に、そもそも「障害者の除外=排除」などを許容しているはずもない、という当たり前すぎる発見に逢着するであろう。

 さて我々は何者か?我々の「第一規定」は何か?我々(精神病者・知的障害者のほぼすべて、身体障害者の相当部分)は、何よりもまずその属性によって「世」の嫌悪・忌避・嘲弄・恐怖などなどの対象たること、即ちいわゆるstiguma,prejudice(らく印・偏見のターゲット(的)犠牲者である。
 この「第一規定」=「社会的被規定性」から必然的に派生する結果として、「世間からの排除」、即ちいわゆる「差別」が我々を襲うこととなる。
 上述の如く、近代社会が「抽象的理念」=「法的カテゴリー」としては「実現」した「万人の平等・対等性」が、かくして現実的には我々から剥奪されている。(この「非人間化」の現実は「地域福祉施設の拡充」などがほとんど全く解決し得ない宿命として留まり続ける。)
 人或いは問うであろう。ー何を今更そんな当たり前のことを?その理由はまさに当の「権利条約」の本質そのものの解明が明らかにするであろう。
 条約は驚くべし!およそ「スティグマ・偏見」なる言葉を(これなくしては我々をそもそも語り得ないその言葉を)欠いている!
 そしてそのカラクリは、繰り返し頻出する「差別」なるコトバが、正に上の本質規定を全く喪失し、或いはより正しくは変質させられて、およそ別の代物へと「意味変換」されていることの結果である。では条約は一体何を説くのか?
 ☆「障害」概念の、「個人帰属性」から「社会的バリア」への決定的・致命的転換がこれである。
(元より「障害」が〔病者にあっては一義的に「障害」とは言えぬことにはここでは立ち入らない〕個々人が有する属性であること自体を条約が直ちには否定していないことはいわば当然であるが)この「転換」は次のことを意味するとされる。即ち、「社会」が必要な手段を講ずることによって「障害者」の「能力発揮」の障害、即ち社会的バリアを撤廃し消滅させさえすれば、「障害者」は支障なしに現存の「競争社会」に「参加」し、そして「普通人」と同じスタートラインに立って「努力」し、「報われる」ことができるのだ・・・と。
 この「教義」は、本条約の核心部分において「機会の平等」「自己選択」「自己決定」などなど、たしかどこかで頻繁に見受けられる用語で説かれている。
 さて、「社会的バリア」の撤廃・消滅を意味する「キーワード」としてのいわゆる「合理的配慮」(この拙劣な迷訳を、およそ次のように「意訳」する必要があろう。即ち「正義にかない、かつ必要な法的・制度的・物的諸条件の整備」と。)
 次に進もう。さて、こうなるとかの「合理的配慮」の「徹底」「完了」はどうやら論理的かつ実質的に(少なくとも本条約では!)「障害の個人帰属性」そのものの無意味化、ないし否定(=「障害は無いも同然」)との背理に帰着しはしないであろうか。
 そしていよいよこうなれば、更には「障害者概念そのもの」の無化・蒸発、従ってそもそも「らく印・偏見」など最初から持ち出すまでもなかった!ことになるまいか?!

三 総論
 かくて本条約は、どうやら我々にとって最悪の「鬼っ子」として生まれたのではないか。さらにそれは実に「ネオ・リベラリズム」の貫徹そのものではないのか!

(追記)いわゆる「強制医療」問題については次を参照せよ。メアリー・オヘイガン著、長野英子他訳『精神医療ユーザーのめざすもの』(1999年、解放出版社)48・49頁

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「退院支援施設」強行実施!?

<編集部から>
 昨年夏、厚生労働省から急に提出された「退院支援施設」構想(精神病院内に病棟をリフォームした施設をつくるとするもの)については、当事者中心の厚労省交渉の経過や、この問題をテーマに開かれたシンポジウムのレポート、私たちが毎年執念で東京都に情報公開請求し、入手後集計・検討し続けている「精神病院統計」のデータから見て「退院支援施設」とはどう考えられるのかなどを掲載してきました。おりふれ通信の編集方針のひとつ「精神病院問題にこだわり続ける」から言っても、こんなにひどい
 結局厚労省は、3月23日を最後に交渉に応じようとせず、3月30日厚生労働省前に集まった私たちの緊急抗議集会の声を無視して、4月1日実施の姿勢を変えることがないまま経過しています。
 以下、これまでの交渉の中心的担い手の1人であったDPI日本会議事務局長尾上浩二さんが、仲間への報告として書かれた経過説明と問題点の整理を、尾上さんの許可を得て掲載します。

DPI日本会議 尾上浩二
 年度末の慌ただしい時期にも参加頂いた方々、反対声明等を出して頂いた方々をはじめ、皆様どうもご苦労さまでした。
 厚労省は3月23日には交渉継続を確認していたにも関わらず、その後、「代表とのみ会い、説明をする」として交渉を打ち切ってきました。
 3月23日以降も、精神医療・福祉従事者の組織である精従懇のシンポジウムでも「退院支援施設」の反対アピールが上がる等、障害当事者や関係者に反対が広がる中、4月1日に強行実施したことは決して許されるものではありません。
 厚生労働省の頑迷な姿勢から、かえって、この「退院支援施設」に関する内容のでたらめさが見て取れます。3月23日の交渉の内容でより明確になった論点(疑問点)を以下説明します。

 「精神障害者退院支援施設の運営等関する指導事項(案)」というもので、厚労省は「昨年から(私たちが指摘してきた)問題点を、これで払拭できる」と当初言っていましたが、私た
ちが一つひとつ質問を重ねていくと、それに対して満足に答えることができず、そのために、次回の話し合いの継続が3月23日には確認されていたのです。
 その時に、私たちが指摘していた問題のポイントのいくつかを下記に記します。
1.「地域移行推進協議会」の構成や人選について
 厚生労働省の説明は、「地域移行推進協議会」を設置し、「退院支援施設」の評価や地域移行の調整を図る(だから、「閉じ込めにはならない」?というわけです)。
 「地域移行推進協議会」のメンバーについては、「事業者(退院支援施設の設置者)、利用者、家族、受け入れ先の市町村の立場に立つ者、相談支援事業者、地域住民の代表等で構成する」と説明しました。
 しかし、このメンバーの内、誰が必須メンバーか尋ねても、「誰が必須かという形では決まっていない」と答えました。さらに、この「地域移行推進協議会」のメンバーの人選・任命、運営に当たる事務局は誰かと尋ねたところ、当該の「退院支援施設」を設置する事業者であると驚くべき答えが返ってきました。
 必須メンバーも決まっておらず、人選・任命、運営を当該の「退院支援施設」を運営する事業者に任せてしまえば、事業者にとって都合のよい者で構成して運営していくことができる仕
組みです。これでは、何一つ歯止めになるどころか、むしろ、それに「お墨付き」を与えてしまうことも可能となります。

2.ハード(設備)面での対応
 厚労省は、原則として病棟単位(フロアー単位)で転換する等、病院との一定の独立性を確保するとの説明がありました。
 「フロアー単位で転換」ということは、例えば、4階建ての病棟があった場合、1~3階は病院、4階は「退院支援施設」という構造が認められるわけです。これのどこが、病院との一定の独立性を確保することになるのか全く不可解といわなければなりません。むしろ、こんなことを書かなければならない程、看板をかけ替えるだけで「退院支援施設」に「移行」できる
ということを意味しています。
 3月23日の交渉では、さらに、「病院との一定の独立性を確保」とは何をもってなされるのか、例えばお風呂は別々でないといけないのか?と尋ねたところ、「ケースバイケース、お風呂は水回りの問題があるから別々にするのが難しい場合がある」との回答がありました。食堂や浴室等が同一でも認められるというわけです。これのどこが「一定の独立性」なのでしょうか?
 この点も、他にも玄関やトイレ、給食設備等々具体的に示してほしいと質問しても、答えられず、話し合いを継続することになっていました。

3.「病院-退院支援施設」間を往復することでの隔離の継続の問題
 私たちが、昨年から指摘してきたことの大きな問題点の一つに、病院と「退院支援施設」間の往復の問題があります。この両者の間をグルグル回すことで、一生、実質的には病棟に閉じ込められてしまう状態がつくられてしまいかねません。
 しかし、その点については、昨年9月の説明から何一つ付け加わるものはありませんでした。つまり、「標準利用期間は2年ないし3年で、更新申請に当たっては審査会で審査をすることでチェックする」ということでした。
 ですが、例えば、「4階の退院支援施設で訓練をしていたが調子を崩したので、再度、3階の病床に再入院。そして、急性期を過ぎたら、再度4階の退院支援施設に移って再チャレンジ」という場合は、この更新には当たらず新規となります。そうした医者の「診断」に審査会が関与できるはずもありません。この点の質問に対しては、「医療批判をしているのか?」と開き直りとも言える回答しかありませんでした。私たちからは、これまでの痛ましい歴史の経験に基づいて危惧しているということを言いましたが、この部分は資料に書いている説明の繰り返ししかありませんでした。

4.「退院支援施設」に移った者のカウントと「社会的入院者」の数
 同じく昨年から指摘した問題で答えがなかった問題として、「退院支援施設」に移った者のカウントの問題があります。
 「退院支援施設」に移ることで医療統計上は「医療から外れる」ことになります。そのことにより、(実態は変わらないのに)見かけだけの「精神科病床入院患者数」が減ることをもっ
て、「社会的入院解消へ前進」したとされてしまうと批判してきたわけです。
 昨年9月には厚生労働省も、「地域移行の途上にある者」ということになるが、統計上処理するかは検討するといっていました。しかし、そのことすらも明らかにされませんでした。

5.ソフト(運営)面での対応
 ここで示されている、外出訓練・グループホーム体験入居等の敷地外活動や、当事者活動(ピアサポート)の活用と言われるものは、「退院支援施設」とは本来関係なく、それ自体で充実させていくべきことです。
 ピアサポート等はこれまで何一つ制度的な支援がなく、手弁当で何とか続けてきたのが現状です。これまでも精神障害者の地域生活のあり方検討会等ではピアサポートの制度化が課題と
なっていました。しかし、その後、厚生労働省は何一つ具体化してきませんでした。にも関わらず、「退院支援施設」への批判に対して、あわてて「ピアサポートの活用」を持ち出してい
るに過ぎません。

 以上のように、3月23日のやりとりで、問題点はより明らかになってきたところでした。
明確になるような状態だったからこそ、厚労省は「代表者とのみ会い、説明をする」と切り換えてきたのだと言えます。
 その後も、私たちは粘り強く話し合いを求め、3月29日付けで(3月23日の交渉で明らかになった疑問を整理した)質問並びに要望書を提出しました。そして、3月30日当日まで何度にも渡る折衝を行いましたが、厚労省は頑なに「代表とのみ会う」との姿勢を最後まで崩さなかったのです。

 「私たち抜きに私たちのことを決めないで!」を合言葉に策定された障害者権利条約も各国が署名し、いよいよ発効します。そうした時に、厚労省は約束を反故にし、話し合いももたれずに、こんな「退院支援施設」構想が施行されることは、歴史の皮肉とも言えます。
 私たちは、障害者権利条約をも追い風にして、精神障害者をはじめ全ての障害者の地域生活の確立を求めて闘い続けていましょう。

 3月30日抗議行動のアピールにも示されている通り、当面、この「退院支援施設」を実態化させないための取り組みをしていきたいと思います。各地でも、都道府県の指定や、市町村障
害福祉計画の中で「退院支援施設」が進められることがないように働きかけて頂きますようお願いします。

 3.30厚生労働省前「病院敷地内退院支援施設構想」反対緊急抗議集会 参加者アピール
 本集会にお集まりの皆さん!厚生労働省は、われわれ当事者の粘り強い反対運動や精神医療・福祉従事者の強い反対、そして、マスコミの厳しい批判を受けながらも、当初予定していた4月1日実施を強行すると言う態度をついに最後まで、かえることはありませんでした。しかしながら、問題の核心であるところの「社会的入院者」の解消、長期入院者問題ならびに精神障害者の人権侵害問題解決に今回の強行実施がまったく繋がらないものであることは、火を見るよりも明らかです。
 本当の闘いの正念場は、むしろこれからです。
 このようなその場しのぎの安易な解消策は、決して本当の意味での「社会的入院者」の解消には繋がらない天下の愚策であることを、指定者である都道府県や支給決定に携わる市町村に対して、粘り強く訴えかけ、退院支援施設の実態化を阻止する運動に力を注いで行く必要があります。
 また、退院支援施設が「一つの選択肢」だと、あくまで言うのであるならば、他の選択肢にも個別の入院者の実情にあった退院支援策を、具体的に要求していく必要も当然あるでしょう。
 「本人」が、本当の意味で、多様な選択肢を選べるように、そして「本人」をエンパワメントできるような仕組みを作り上げていきましょう。
 皆さん、今後も、力を合わせて、「本当の意味での解決」に向けて、今後も粘り強く、取り組んでいきましょう!
           2007年3月30日 「退院支援施設構想」反対厚生労働省前抗議集会参加者一同

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投稿 パンフ・イタリア保安処分体験者の手記発行

全国「精神病」者集団  山本 眞里

 昨年12月国連総会で障害者権利条約が採択された。
12条の2 締約国はすべての人生の分野において他の者と平等に法的能力を享受する権利を障害者に認めなければならない。
この主張の中心となった世界精神医療ユーザーサバイバーネットワーク(WNUSP)は活動の中で一人のイタリア保安処分対象者の証言を邦訳したもの。
 イタリアトリエステ、バザーリア法、精神科病院の解体、といった宣伝が日本に伝えられていますが、保安処分対象者自身の声は本邦初の報告ではないでしょうか。
 再弾圧再拘禁を許さない人権擁護システムと救援活動が求められています。
 医療観察法対象者のみならずすべての「精神病」者が人権主張できる体制作りこそ私たちの闘いの目的だと考えます。

「イタリア保安処分体験者の手記」
訳 たま・桐原尚之
=障害者人権条約策定のためのWNUSPロビーイング資料より抜粋
全国「精神病」者集団発行
A4判 16ページ 200円(送料80円)
ご注文は以下まで
nrk38816@nifty.com
tel 080-1036-3685(土日以外午後1時~4時) fax 03-3738-8815
住所:〒164-0011 東京都中野区中央2―39―3
絆社気付 全国「精神病」者集団

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退院支援施設をめぐる厚生労働省との話し合い

七瀬タロウ(精神医療ユーザー)

 11月30日、伊藤哲寛先生もお招きして商工会館(15時~17時)で行われた、対厚生労働省陳情の概要をお伝えいたします。厚生労働省側の出席は、佐々木係長、課長補佐、他1名。
 最初40分間は、伊藤哲寛氏によるレクチャー形式の具体的経緯と問題点の説明
・1954年「第二種病院構想」(生活保護世帯向けの安上がりな病院)→日精協もふくめ大反対
・1958年「緊急救護施設新設」→悲惨な状況、ほとんど退院者なし。現在は普通の福祉施設となり、存在しない。
・1968年~「中間施設」構想は当初、精神・神経学会も提案していた。当時の医者は福祉に対する不信感があった。学会内でも論争。「終末施設になるのでは」という反対論、「医療の傘論」(医療サイドが患者の面倒を見るべきだ)が優勢だった。
 その後、やどかりの里等市民運動としての社会復帰の動き、家族会による共同作業所運動、当事者による自助運動、患者の権利擁護運動が広がる(患者の市民としての復権)。現在では、患者のエンパワーメントこそがリハビリテーションのうえで一番重要(医療リハビリモデルの限界)。なお現在点数化されて病棟内で行われている作業療法やSST等はほとんど退院促進には効果がない。
・1995年日精協「心のケアホーム」構想→病院敷地内、無期限。厚生労働省も難色を示す。現在でも日精協はこの案に近いものを求めている。
・1999年福祉ホームB型事業化→病院敷地内に社会復帰施設を認める。在所期間の歯止めあり。しかし、結果的に福祉Bの在所期間は長期化。社会復帰施設としてはほとんど機能していないのが現状。なお、実態調査のデーターが最近存在しない。
・2006年障害者自立支援法の「特例施設」として「地域移行型ホーム」「退院支援施設」構想。

 伊藤哲寛氏から、厚生労働省への質問「何故、退院支援施設構想が出てきたのか」に対し、厚労省側の回答は、退院促進のための「一つのオプション」論
 伊藤哲寛氏からの疑問提示として、この構想に手を上げるのは、多くの社会的入院患者を抱え、もはや、看護婦不足等で、経営が成り立たなくなってきている、退院促進にも不熱心な「劣悪病院」ではないか?また、社会資源が不足し、「社会復帰」にも熱心ではない自治体が、社会的入院の安易な解消策として、飛びつくのではないか?→終末施設になる可能性が極めて高いのでは?
 そのような病院やそこのスタッフで、退院促進が進むとは到底思えない。自分も道立緑ヶ丘病院で40人規模の社会復帰施設を担当(自分としては反対したのだが)、17人のスタッフで「1年間」と期間を厳密に決めて行った。現在は利用者はほとんどおらず、一部ショートステイ利用があるのみ。結果的に見て、全く不要だったと思う。あらたなハコモノに税金をつぎ込みのではなく、(退院促進の)システムに予算をつけるべき。

以下、参加者からの発言
・墨田区では、退院促進予算600万円、一方退院支援施設には一ヶ所1億円。これは、全くおかしい。
・実際に20年、30年と長期入院している患者とあって欲しい。
・今回の案は机上の空論。現場をあまりに知らなさ過ぎる。
・諸外国を含め、今回の構想には、科学的エビデンスが、全くない。4月1日実施を凍結し、いっそ、同じ一億円で、モデル事業(「退院支援施設」と「退院促進事業」)をそれぞれ、行って、有効なほうに税金を投入するようにしたらどうか?
・役人は2~3年で異動するが、こちらは一度出来てしまったモノに、長期間拘束される。たまったものではない。
・社会資源そのものが「自立支援法」の影響で、経営困難になっている。それに輪をかける「反リハビリテーション施設」(リハビリテーションとは、医療モデルではなく、人間としての尊厳の回復の意味)。
厚生労働省の回答:現在退院促進に関する諸事例を収集しているところ。
なお科学的エビデンスに関しては一切回答なし。

その他
共有出来る認識は共有すると言うことで、学習会を提案したが、キャンセルになり結局陳情という形を取った。反対派に厚生労働省の会場を貸す必要はないという声も耳にしている(厚労省側は否定、あくまで会議室が空いていなかったからと回答)。高いお金をはらってこの会場を借りた。今後も陳情と言う形をとるが、会場は厚生労働省内で、また、もう少し上の立場の人間に出席して欲しい。

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あきらめるのは、まだ早い!!  11・19緊急学習会報告

堤 愛子(NPO法人 町田ヒューマンネットワーク・東京都町田市)

11月19日(日)に、「町田の障がい福祉の明日を考える、みんなのフォーラム」主催で緊急学習会を開催しました。サブタイトルは「あきらめるのは、まだ早い!」
10月初めに受給者証が届いた人にとっては、「60日」の「不服申し立ての期限」が迫っているので、この時期に「不服申し立て」のノウハウを学ぼうというものです。雨にもかかわらず、50人近い人たちが集まりました。

私自身は「不服申し立てあれこれ」と題した話(下記参照)をしたほか、自分自身がサービス水準が半分以下になるという事で、非定型審査や資料開示、区分変更など、さまざまなアクションを起こしてもとのサービス水準に戻ったという体験談を話しました。

以下全文はおりふれ通信12月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX03-3366-2514、新宿区西新宿7-19-11児玉ビル301 おりふれの会


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自立支援法移行期に感じること

共同作業所職員 奥田育子

 S作業所のS施設長(後Sさんとする)は、自立支援法推進派の1人である。ある日Sさんの発言に私は我が耳を疑った。まだ国や都や区の方針が打ち出されない段階で、Sさんは新法移行の為の方策を提案してきた。働きたいと思う気持ちがメンバーにあること、お金をより多く稼ぎたい気持ちのある人がいることは確かであり、その実現に向けてSさんが一生懸命であったことは認める。そしてこれが精一杯中立的に評価したSさんに対する書き方である。
 でも私の考え方は違っている。私が作業所職員になったはじめの頃、ノーマライゼーションの流れの中で、就労イコールゴールではないと先輩職員は言っていた。『その人のあるがままを大切に』これも一般的な作業所職員の考え方ではなかったろうか。
 しかし新法移行期の今、S作業所では共にやるという姿勢より、より効率的にスピーディーに作業をこなすメンバーや、外で働き収入の高いメンバーに対して配慮がなされている。逆に言うと、高齢者や作業に乗り切れないメンバーが居づらい雰囲気になっている。
 何よりも素朴な疑問は、介護保険の財政破綻をなぜ当事者が担わなければならないのか? 法律の用語は難しい。私たちは職員という立場で当事者の人達にどれほどわかりやすく伝えることができたのだろう? 単なる手続き方法の説明で終わってしまっていたのではないだろうか? 
 私がこうした現場で働き、今感じることは、怒りと悲しみである。組織存続の為なら、もの言わぬ弱いメンバーの人達の尊厳や誇りは傷つけて構わないのだろうか?こうした現実を耐えた将来に当事者はどんな夢をもてるのだろうか?
 最後に、私が痛感しているのは残念ながら、週3回作業所に通所すること、また施設長Sさんに対する忠誠心(現にSさん自身の口からメンバーに対して、自分にとって敵か味方かという発言がなされている)が、S作業所にメンバとして在籍できるか否かの踏み絵となっている実態があるということである。

難病を患いながら作業所職員としてメンバーと関わり、施設長との考え方の違いに憤りを感じている奥田さんです。
全文は、おりふれ通信9月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX03-3366-2514、新宿区西新宿7-19-11児玉ビル301 おりふれの会

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【投稿】自殺対策基本法に思う

「自殺対策基本法」とは一体何?私たちを助けてくれるの?
総持 真子

 2005年の日本における自殺者数は3万2552人。1998年以来、8年連続3万人を超えている。 これに対し、今年6月15日に自殺対策基本法が成立した。自殺を個人的な問題としてのみ捉えるべきものではなく、その背景にある様々な社会的要因を考慮して、社会的な問題として取り組むべきであるとする法の趣旨を知り、これまでとは少し違うと、この問題を意識し始めた。県の健康課にも問い合わせた。しかし、「そうですね」と言われるくらいで、冷静に自分を抑えていても、思わず感情が出てきてしまうこともあった。

 ニュージーランド(NZ)でも、自殺予防対策を全国民にまで対象を拡大したものが6月に出され、テコでも動かない目の前の現実とNZのギャップに、無力感に襲われた。
 
今は問題を放棄した状態で、偉そうに言えることなど何もないが、このことに一人でも多くの方に関心を持っていただきたく、原稿を書かせていただいた。 一人の当事者として、心の叫びを伝えられたらと思っている。

Nothing about us without us!
「私たち抜きに私たちのことを決めるな!」

(参考図書『STOP!自殺~世界と日本の取り組み』海鳴社)

全文は、おりふれ通信9月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX03-3366-2514、新宿区西新宿7-19-11児玉ビル301 おりふれの会

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水村伊織さんのエッセイ

 私には10年来の女友達がいる。その人はギャンブル(特にパチンコ)依存症で、退院後2週間もするとまた同じことを繰り返し、月300万つかってる。親の金庫を開けたり、パチンコ台の財布を盗んでもやっている。
 母親が90代で、大学4年の息子さんがいるバツイチ48歳だ。母親も身体のあちこちにガタがきているらしい。
 その友達の弱い部分を知っているからやんわりと説教をした。「母親に長生きしてもらおうと思ったら、パチンコ、控えような・・・」と言った。今、闘っている最中だから、強くは言えない。「ありがとう」って言ってくれた。あとは見守るしかない。
 落ち込んでいた。たぶん、情けなく思っているんだろう・・・。私も禁煙に失敗したから、少しは気持ちが分かるのかもしれないと思う。

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『私たち、遅れているの? 知的障害者はつくられる』〔増補改訂版〕を読んで

米国カリフォルニア州で出版された『Surviving in the System:Mental Retardation and the Retarding Environment(制度の中で生き延びるにはー精神遅滞と遅れを招く環境)』を、日本の障害者福祉に詳しい秋山愛子・斎藤明子のA・Aコンビが翻訳したものを紹介します。

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『私たち、遅れているの? 知的障害者はつくられる』〔増補改訂版〕
カリフォルニア・ピープルファースト編
秋山愛子+斎藤明子訳
現代書館 2006年5月

編集部 木村朋子


原書は1983年にカリファルニアの知的障害者当事者団体、キャピタル・ピープルファーストが州の発達障害審議会に委託されて行った知的障害者の実態調査とニーズ把握の調査報告書です。この報告書は1984に出版されて以来、アメリカ国内にとどまらず英語圏の各国の当事者、福祉関係者に衝撃を与え続けたとのこと。人々を惹きつけたキーワードは「遅れを招く環境」でした。そして今、自立支援法にさらされている日本の私たちに、「遅れを招く」=障害者を一律に「処遇」し、社会から遠ざけ、自信を喪失させることではなく、当事者中心のしくみのあり方を考える上で時宜を得た増補改訂版の登場です。

 まず実態調査の結果、施設で大人の知的障害者は自立を阻害されている、その手のサービスを受けずに生活している人の方が却って良い生活をしていることが分かったというのです。
 その後ノーマライゼーションに代わって「セルフ・アドヴォカシー」がキーワードになり、これは直訳すれば「本人による本人のための権利擁護」ですが、知的障害者の支援者の「何でも自分が感じることや思うことを大切にしていいんだよ」との言葉が紹介されています。さらに「多くの知的障害者は自分がまるで価値のないもののように思いこまされている。失われた価値を取り戻し、自分の感情や考えを肯定し表現することに自信が持てるようになることが必要。セルフ・アドヴォカシーとはこのレベルから始まること」と、説明されていますが、精神障害者もまさに同じと感じます。

 結論の一つとして、「知的障害者が強くなるために」として当事者による組織づくりの方法を述べています。「なぜなら自分の障害に向き合うことを恐れている人は、障害を克服できなかったり、障害を補う方法を学習できなかったりするから」と。グループを支援、補佐するファシリテーターの重要性と適性についてもふれています。
 「遅れを招く環境」を変える提言として、ランタマン法等を受けての予算化、現在のシステムを地域プログラム中心に変える。ユニークなのは障害者の非課税の財形貯蓄として「自立生活預金」(仮称)制度化も提案しています。

 増補改訂版には8年後の今が追加取材されています。脱施設化が進み、形骸化していたIPP(個別サービス提供計画 詳しくは本紙4月号『知的障害者の「バディシステム構築とIPP作成事業」』参照)が厳密に本人中心でなければならないと法改正され、さらに「自己管理サービス」といういわばケアマネによらない自前のサービスの組み立てと契約も始まっているとのこと。またランタマン法の改正によりサービス監視機能も強化され、PAI(Protection & Advocacy Incorporated =連邦法に基づく発達障害者・精神障害者のカリフォルニア州における権利擁護機関)の中に州予算で当事者権利推進課が新設され、当事者権利推進コーディネーターが弁護士と組んで、相談、不服申し立てヒヤリングの代理人、権利の研修などを行っているとのことです。私がおりふれ紙上でPAIの精神科患者権利擁護事務所の報告をしたのは、1994年3月号のことでしたが、その後のことを知りたくなりました。

 海外の事情に疎い私にはこのような紹介がうれしいです。国によって文化の違いもありすべてを取り入れることはできないでしょうが、私たちの活動のヒントになればうれしいですね。(佐藤記)
全文は、おりふれ通信紙8月号でご購読連絡先:FAX03-3366-2514、新宿区西新宿7-19-11児玉ビル301 おりふれの会

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おすすめです 森 実恵著<心の病>をくぐり抜けて 岩波ブックレットNo.671

編集部員が「わかる!わかる!私もそうだった!」と言いながら読んだこの1冊

編集部 石井真由美(精神医療ユーザー)

 この本を読み始めてすぐに、ぐんぐん心が動いていきました。森さんの思いや、さまざまな症状と体験、そしてメッセージが、とてもとても分かりやすく書かれていたからです。自分の過去の体験を思い出して私も何かメッセージを発信したいと燃えたり、とにかく読んでいる間とても忙しかったです。
 でも私にとってこの刺激の強い本を最後まで読むことができたのは、常に森さんの文章から力を与えられていたからです。これはまさに力をもらえる本でした。

 幻聴の話はとてもリアルで、読みながら「うるさい!うるさい!」と言ってしまいました。森さんが幻聴や妄想を飼い慣らすプロセスは、もう職人芸のような感じがしました。
 私の場合、葛藤状態は他人には見えません。自分の障害や苦しさを理解してもらうのって難しいなって思います。
 
 私の場合、自己肯定感の低さを直すためにカウンセリングを受けましたが、限界がありました。この頭の状態をどう説明すればいいか、自分でもよく分からなかったけれど、森さんが書かれている「思考に忍び込む困った幻聴(56頁)」に少し似ている感じがしました。

 森さんの「どういうわけか」幻聴の勢力が弱くなった話も印象的です。

 「殺風景な閉鎖病棟 心潤す花もなく(13頁)」は、病棟の中の映像と音と臭いに包まれました。「訴えてやる!」とか「ふー!」とか喚きながら読んでいました。

 「本当は自然体で生きたい(16頁)」の「私が現在あるのは『ぼちぼちクラブ(大阪精神障害者連絡会)』の仲間のおかげ。でも割り切れない何かがある。病者は病者どうし群れをなすしかないのでしょうか。みんな本当は、自然体で、社会の中で生きたいのです」はそのとおりだし、「欠格条項、社会参加への障壁(52頁)」に対して、「一人前にできない人は雇えない。・・・精神障害者の部分を盾にして甘えたり、使い分けないで」という読者さんの声に、どう向き合えばいいのか分からず、この悲しい気持ちや理不尽な思いを言葉にできない歯がゆさを感じ震えた。

 その他すごく感動した詩もあったし、これぞ自助グループに使いたい詩もあった。病気、症状(幻聴)が、結局回復への道へ連れて行ってくれているみたいな奇跡のようなプロセスもびっくりで素敵だし。感想はまとまらないけれど、編集会議で、「この本をみんなに紹介したい?」と聞かれ「したい!」と心から元気に思ったのです。
この本たくさんの人に読んでほしいです。


詳しくは、おりふれ通信7月号でお読み下さい。連絡先:FAX03-3366-2514 新宿区西新宿7-19-11児玉ビル3-1 おりふれの会

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『懲りない精神医療-電パチはあかん!!』をぜひ読んでください 

七瀬 タロウ(精神医療ユーザー)


『懲りない精神医療-電パチはあかん!!』
編集・企画 前進友の会 
千書房 2005年刊 1,200円

私はこの本を、三回程繰り返して読んだ。最初は、電気ショック療法に対する当事者による強烈な批判の書として。二回目は、現在の精神医療全般に対する強烈な批判の書として。三回目は、自分の「人生」「体験」そのものを考え直すための書として。そして今日、紹介文を書くために、改めて読み直した。本著は、およそ、短い要約にはなじまない本なのであるが、以下、本著の内容を、可能な限り、紹介していこうと思う。
第一部の中心舞台は、2003年12月6日、京都府立洛南病院(院長 岡江晃)主催の「第8回精神科急性期治療研究会」(「電気ショックの効用」についての発表会)。10月20日の洛南病院訪問調査によって、電気ショックを過去30年間欠かさずやり続けてきたという、調査結果を得た前進友の会のメンバーは、かつて反十全会闘争(1974年9ヶ月で859名の入院患者を殺した京都の悪徳病院に対する闘争)等を共に闘ってきた洛南病院の医者達が、長年電気ショック療法を行い続けてきたことに強いショックを受け、12月1日に「抗議文」を提出、そして、12月6日には、前進友の会総勢6人で「発表会」会場(ぱるるプラザ京都)にビラ撒

きに突入する。そして、総勢100名程の医者達が集まった「発表会」は結局中止に追い込まれた。
その後の経緯等は、直接本著にあたって欲しいのだが、ここでは、前進友の会が何故(修正型を含めた)電気ショック療法に反対しているのか、そしてそれが、何故現在の精神医療総体に対する批判ともなりえているのかを論じて行きたい。そして本著を、病に苦しむ当事者のみならず、電気ショック療法は「効く」場合が多い、希死念慮が強いうつ病患者に対する最後の治療法として大変有効である等々考えている、電気ショック療法肯定派の多くの精神医療関係者等にもぜひ一読して欲しいと思い、筆者の意見も交えながら、紹介を続けていくことにする。
まず、副作用の問題である。記憶ならびに認知機能障害(せん妄、逆行的健忘、記憶力低下)は明らかに認められている。本著でも、国語辞典を引く際に、「あ、か、さ、た、な、」まではいいが、その後の順序があいまいで辞書を引くのが大変な例等が挙げられている(39頁)、また、これは本著で紹介されている例ではないが、奥さんの顔と名前を忘れた、それどころか結婚した事実まで忘れた例や、これは最近のアメリカの例であるが、看護婦が電気ショック療法を受けた結果、それまでに覚えた看護技術をすべて忘れてしまったのだが「医療過誤裁判」で勝訴し、多額の賠償金を勝ち取ったという例も報告されている。なお本著60~68頁に、前述の「発表会」の冒頭で、このような電気ショック療法の宣伝になるような発表会はやめて欲しいと壇上で10分間訴え続けた黒川医師(光愛病院)によって、詳細な副作用等の各種問題点がわかりやすく整理されているので、当事者運動にまったく興味がない精神医療関係者にもせめてここだけは読んで欲しい。
さて次は病状の再燃の問題。電気ショック療法は急性期治療の有効性が高いとされているが(この理解が「病棟機能分化」体制下の急性期治療における、電気ショック療法の蔓延をもたらしている)、6ヶ月以内に約50%が再燃する。そして、再び電気ショック療法の繰り返し。そして何よりも、電気ショック療法は、回復にとって決定的に重要な、自然治癒力の発動を極端に遅らせるという、警告を鳴らす医師(星野弘)もいる(79頁)。
結局、精神医療において「治療する」「治す」とは一体どういうことなのか、その根本が電気ショック療法において根源から問われているのだ。
大体ココロに限らず、そもそもどこにも病気がまったくない人など、健康すぎてかえって不気味である。かつて、ファシズムが「健康の帝国」を目指していたことを、そして精神障害者を大量に抹殺したことを、忘れないようにしよう。
そして「治療」の名の下に、「人格」とやらまで破壊されるのは誰だってまっぴら御免である。電気ショック療法は、確実に「人格」を形成する「記憶」=過去を破壊する。例えば一風変わった芸術家風のおじいさんが、入院して電気ショック療法を受け、打ちひしがれてほとんど廃人同様になって退院したという話も聞いたことがある。それでも「治療」としては成功したことになるのである。
最後に私自身の「人生」「体験」の問題として、本著を読んだ感想を述べてみたい。たとえ、精神的外傷等をも伴うものであれ、「記憶」=過去こそが、現在の私を形づくっているのであり、中井久雄が述べるように、好ましい「体験」こそが、私を変えていく力を持っているのである(63頁)。(例えば私の場合「規則正しい生活」を送る様にと最初の主治医に禁止されていた「旅行」に思いきって出かけたが、(3ヶ月間、東南アジア各地放浪の貧乏旅行、フィリピンの片田舎で、英語のテキストと格闘しながら、100ドルでスキューバライセンスの資格も取りました!)その「体験」は、多くの現地での友人との出会いも含め、人生観を覆すような様々な「体験」の連続だった)。
さて中井によれば、服薬等は、しばしば好ましい「体験」を伴うが、電気ショックは「体験の連続性を破壊する」のであり、また当人の「体験」には絶対になりえない。さらに、電気ショック療法は「精神科医の人格に影響を与える。無感覚になるか神経衰弱になるかは別として。看護師についても同様」。ECTはなんと治療者の人格まで変えてしまうのだ!
与えられた字数をすでに大幅に超過しているので、最後にこれだけはこの際是非いっておきたいことを述べて本稿を終えることとしたい。
現在、電気ショック療法やロボトミー手術の被害者は、後遺症の実態調査をうけることも何の補償をされることもなく、精神病院や老人病院等、社会の片隅で今もひっそりと暮らしていると聞く。私も本著で主張したが(96頁),日本精神神経学会は、ロボトミー被害者や、電気ショック療法の中、長期的な後遺症についての実態調査を絶対行うべきだと思う。その作業はいずれ必ず必要となってくるのであり、被害者の救済に役立つのはもちろんのこと、日本の精神医療総体に対する「治療的効果」も期待出来ると思う。
紙数の関係で、深刻な、電気ショック療法の懲罰的使用の問題、患者を手間をかけずにおとなしくさせるのに大変有効であるという看護側の「本音」の問題、さらに江端さんが強調する「コロされたキーサンナカマ」の「怨念」の問題や、プシ共闘の現在の問題、また私自身も当時関わった「反保安処分の大合唱(たいした「大合唱」ではなかったとも思いますが)」の問題等を十分に紹介出来なかったのが大変残念であるが、本著に掲載されているES体験者(35~39頁)の手記等、電気ショック肯定派の方には、ぜひお読みいただきたいと思う。
さて本著には、電気ショック療法にかぎらず、精神医療全般に対する多くの当事者団体、活動家の生の声も掲載されている、ぜひ一人でも多くの人に、一読といわず二読、三読を薦めたい。最初、前進友の会の持つ独特のトーンに多少の抵抗感を覚える人も少なくないかもしれないが、実は自分自身に突きつけられている問題だということに、やがて気がついていただけるのではないかと思う。

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障害者自立支援法について加藤みどりさんに聴く

編集部 木村朋子

 加藤みどりさんは、東京都立川市で24時間介護を受けて独り暮らしをされている、全盲、四肢体幹機能不全による車椅子利用の女性です。以前「おりふれ」のインタビューに応えて下さり、2003年12月号に迫力の語り、半生記を掲載しました(今回ホームページhttp://orifure-net.cocolog-nifty.com/ にもさかのぼって載せました)。今回、自立支援法(とその時代)をどう見るかの私たちの足場をはっきりさせていくためにも、お話を聞きに再びお宅をたずねました。

 まず、私たちが20歳代から30年かけて勝ち取ってきた介護保障が、自立支援法では上から与えられるものになり、内容も地域差をなくし全国一律という名の下に薄っぺらくされようとしているという言葉が強く印象に残りました。
 20代の時、施設を出て地域で生きていくために、必死で介護ボランティアを集めた。ボランティアが来ないとトイレにも行けず、ベッドにも移れなくて一晩中車椅子に座って明かしたこともある。「全国公的介護保障要求者組合」で生活保護の他人介護加算を勝ち取り、最初は1日4時間分にしかならなかったのを徐々に増額させ、ようやく立川で24時間介護の生活となり、だからと言ってその後も決して安泰ではなく、2003年1月の介護派遣時間上限撤廃闘争など、闘い続けて今の生活をつくってきている。それを、「国家予算がない」「全国平等に」という自立支援法では、毎月の介護時間の上限が125時間とか言われている。私は700時間ないと生きていけない。厚生労働省交渉で出てくる若い官僚は、今までの歴史、経緯も知らないし、重度障害者の生活も知らない。積み重ねてきたものが無効化され、また振り出しに戻るよう。もう一度30年前と同じようにやれと言われても、とても当時のエネルギーはない・・・
 「あなたが外へ出ることは社会の迷惑だし、あなた自身がみじめになることだ」と反対されて、でも施設から出た加藤さんのその後の人生は、施設長のこの言葉が真実ではない!と身を以て証明してきたものだと思います。支え合って地域で生きるということの意味を、最近では高校などに呼ばれて話しに行くとのこと。生徒の行儀のいい整然とした学校でも、ゴミが散らかり先生が注意してもすぐには聞かず授業中私語、出入りの多い学校でも、話せばちゃんと生徒個々の感想が返ってくる、そういうことを反映させる自立支援法でなければ、というのが加藤さんの思いです。
 地域で暮らして、いろんな人とつきあって、分かり合う場が増えなければ、自立も支援もない。自立支援法ではこれまでの移動介助がなくなり、重度訪問介護の中でやりくりするようになるので、時間数も減って単価も下がる。私みたいな重度の人は社会参加、余暇活動はできなくなる。障害者のくせに、障害者だから我慢してと、過去言われ続けてきたが、障害者は一歩下がって当たり前というのは絶対おかしい。目の見えない人が1人で移動出来ること、そのように訓練することが良しとされるが、隣で寄り添ってくれる人がいれば安心して、今まで気づかなかったことに気づいたり別の豊かさが生まれるかもしれない、と加藤さんは言われますが、それは隣で寄り添う人にとっても同様のことでしょう。

 精神障害の長期入院の人が退院して地域に帰ってくるのも、数値目標をあげてこの法で推進出来るように言われてはいるものの、ますます難しくなるのではないかということも危惧しておられました。長期の施設入所者が社会に出る時と同様、多様できめ細かなサポートがいるし、地域の人とつながっていくことがなければそれはできない。しかし生活支援センターの機能は縮小されるようだし、通所の場も「就労」一辺倒(就労にしても、これだけ言うからには、やる気はあるが波がある・疲れやすく休憩時間が小刻みにたくさん必要など、今まで働けないと言われてきた人に、多様・多種類の働き方が保障されてしかるべきと思いますが)。

 加藤さんは、「立川市在宅障害者の保障を考える会」のメンバーとして、立川市とも話し合い、要求を続けています。立川市について、これまで頑張ってきたと思うし、進んだ制度をもつモデル地域は必要と思う。しかし今回の自立支援法で、全国一律のかけ声の下、他は1日20時間でやれているのだから24時間は必要ないのじゃないかと考えるとしたら大間違い、と先進的に取り組んできた自治体の後退も危惧されています。障害程度とサービスの必要度を認定する審査会に、委員として障害の当事者を入れるべきという要望にも、「検討中」ということで回答を延期され、その期日にたずねると、「実はもう決まっていた。これから当事者を入れるのは無理」と、不誠実な態度に憤っておられました。一方さまざまな障害者団体が集まり自立支援法について問題提起のイベントを行うとともに、立川市に要求することを出し合って近く市長に手渡す予定とのこと。今の危機的状況に、障害者が一体となって取り組んでいかなければ、というのが加藤さんの強い思いでした。
太字部分が加藤さんのお話です)

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Mad & Proud ーニュージーランドからー

総持真子

ダスキンの広げよう愛の輪運動基金のサポ-トを受け、ニュ-ジ-ランドに留学して1ヶ月が過ぎた。テ-マは、精神障害者のエンパワ-メント。精神障害者の社会的な自覚、能力、自信を高めるための学びやその実現、持っている力を社会に還元することを目指して研修を進めている。

ここは、「人種のるつぼ」と呼ばれているニュ-ジ-ランド最大の都市、オークランド。その中心部より少し離れたところにある、マインド&ボディコンサルタント社に、今私はいる。

ここでの業務内容は多岐に渡っていて、ピアサポ-トやトレ-ニングなどのサ-ビスを提供する一方で、調査、サ-ビスの開発、保健局のサ-ビスや保健省管轄機関に対するアドバイス、学校機関や精神保健従事者に対するレクチャ-、PSWのためのトレ-ニングなどのコンサルタント業務を行っている。

スタッフは、総勢19名。ニュ-ジ-ランド人、カナダ人、イギリス人、インド人、ロシア人、南アフリカ人、マレ-系中国人、アイルランド人、アジア・ヨ-ロッパ系のハ-フ、マオリ族と多種多様な顔ぶれがそろう。

虫の音が鳴り響く昼間、マネ-ジャ-とコンシュ-マ-アドバイザ-が、日の当たるテラスで、椅子に座って、何やら楽しそうに話をしている。そこに、アシスタントマネ-ジャ-が、仕事の話を持ってやって来た。どうやら、コンシュ-マ-アドバイザ-の作り話を、アシスタントマネ-ジャ-が盛り上げているようだ。真面目なマネ-ジャ-は、いつもこの2人にはめられるらしい。

表玄関では、かつて放牧で一役かった老犬リパが、気持ちよさそうに昼寝をしている。ミ-ティングスペ-スでは、ピアサポ-トワ-カ-が、パンを片手に、スケジュ-ル帳を広げ、資料に目を通している。奥の部屋では、別のスタッフが、コンピュ-タ-に向かって運営管理の仕事をしている。今、オフィスにいるのは、この5人だけだが、病院や、精神保健に関する施設や団体、地域のどこかに出向いて、それぞれが自己管理の下、責任を持って仕事をしている。

マネ-ジャ-が、「うちは、逆差別をしている」と誇らしげに言うように、ここで働いている人は皆、精神病の経験がある人達だ。ここでは、病気を体験し、それを克服したことが、価値ある必須の資格の一つとして、認められる。それぞれが、自分の体験を十分に生かし、得意な分野を通じてチ-ムに貢献している。

みんな、自分の体験を一つの経験として誇りに思い、自分らしく生きている。

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自分を生きるー向精神薬や睡眠薬が必要でなくなった理由

NPOこらーるたいとう 加藤真規子


 中学生の頃の私の心の状態は、自分ではうまく語れない。しかし数年前、東京都立中部総合精神保健センターの玄関に貼り出されていた習字「大丈夫。でも本当は助けてよ」という小学生の精神保健の標語を見上げた時、涙でその黒々した文字が見えなくなった。まさしく中学生の頃の私が一番叫びたかった言葉がそこにあったからだ。私は中学2年生の3月に三番目の姉が急性心不全で亡くなると、間もなく家に閉じこもるようになった。初めて精神病院に受診をしたのが、16才の5月、入院したのはその秋だった。胸がえぐられる思いがして、私は病棟ホールの真ん中で言葉を失った。「どうして皆、こんなところに入れられているの。こんなところにいたら本当に病気になってしまうじゃない」私は母への家庭内暴力があり、自分でも「こんなことをやっていては駄目になる」と、入院に同意したのだ。人間はあまりにも悲しかったり、つらいことがあると「胸が潰れる」というが、私の体験ではこの表現が一番ふさわしい。病棟を見回すと、誰もが沈黙し静かだった。しかし私の胸にはボーボーと皆の言葉にならない叫びが伝わってくるようだった。自ら患者になってみて、私は十代でひとつの真実を確信した。それは精神病の人は狂ってはいないということだった。異常なのは心も身体も痛み、打ちひしがれた人々をいたわり、癒す場が、このような冷たく荒廃した精神医療しか用意できないことの方だった。十代で大きな疑問を与えられたことが幸いだったか、不幸だったのかはまだわからない。
 27才で大学を卒業すると、精神病院、共同作業所などにソーシャルワーカーとして約十年勤務した。1990年に未知への不安や葛藤を抱えながら、思い切って職を辞した。しばらくひとりの精神障害体験者として生きてみようと思ったのである。その年の11月、神奈川県川崎市宮前区野川の地に「ハピネス野川」という名前の憩いの家を開設した。それでも挫けそうになることがたびたびあった。立場や役割の曖昧さからくる孤独と経済的な不安定さに疲労困憊していたし、自分の無力さを身にしみて感じていた。「貧すれば鈍す」という言葉を、自分のことも含めて噛みしめざるを得ない場面に遭遇することもあった。そんな私を支えてくれたのは既に90才近くなった母の言葉だった。大病した母を見舞うと、いい笑顔で母は言った。「早く帰りなさい。みなさんが待っておいでだよ」。母が何気なく使った敬語が、私の胸の内にハピネス野川の団らんを明るく照らし出してくれた。
 私が「ピア・カウンセリング」という言葉を初めて聞いたのは、1993年4月全精連(全国精神障害者団体連合会)の結成大会の時だった。1,200人の聴衆を見た人がつぶやいた。「精神障害者のピア・カウンセリングだ」。アルコール依存症者や身体障害者を中心に広がったピア・カウンセリングのルール、対等に時間を分け合い、役割交代をし、感じていることを伝え合うというやり方を私が身につけるのには4年近くを費やさなくてはならなかった。その4年間、私は再発し、自分の精神の奥底と、自分に向けられた差別と向き合うことを余儀なくされた。繰り返し「私」を主語に、私の「感情」を伝えていく習慣を生活に取り入れた。次第に「私」という人間は「私の歴史を築いてきた私の物語」であり、「私」の人生の主役は「私自身」であり、「私」は誰かのために生きるのではなく、自分自身のために生きていく権利と責任があり、「私」は、「私の体験」を語ることによって変化していくものであることがわかってきた。そしてこの生きた体験的知恵を伝えていくことが、ピア・カウンセリングの役割であることがわかってきた。ピア・カウンセリングを重ねていく内に、精神障害を発症していく過程で、「私の意見なんて、誰も関心がないに違いない」「私なんて、いたっていなくたってどっちでもいいんだ」という思いがあって、だんだん消えてしまいたくなったことや、声の大きな人に「泥足で侵入されるような」「虐待されるような」恐怖を抱いたこと、過剰な親切やお世話に対して、巧妙に魂を殺されるような疎ましさを感じていたことなどを語れるようになっていった。繊細な、弱い心だからこんな風に感じるのだ、と否認してきたことだった。感情は封印し、沈黙しているのが一番安全な生き方だと信じていた。ところが、こうした感じ方をしていた女性や障害者や依存症者が実に多いことを、私はピア・カウンセリングの中で発見していく。そしてピア・カウンセリングを学び始めてから6年も経った頃のこと。ようやく私は「私の生き方、感じ方を自分が受けとめてやらないで、誰が受けとめてやるのか」ということに気づくことが出来た。それと同時に、幼い頃の私が笑顔で「よく生き抜いたね」と、大人になった私を包んでくれるような不思議な感じを味わった。
 それから5年間、私は向精神薬や睡眠薬はもとより、多い時は1日にバケツ1杯くらいも飲んでいた大量のコーヒーもやめることができた。
 私は元来人見知りで、内向的で気が弱く、独りでいることが結構好きだ。不器用でたくさんのことはこなせない。しかし私は長い間、それでは駄目だ、明るくて、前向きで、外向的で、元気でなければならないと自分を励まし続けてきた。その間は薬が必要だった。年齢的なことも効を奏したと思うが、私の中でいろいろな面や体験がまざりあっているから、人間は面白いのだということがわかってきた。私は、人間として一番大切なことは、今を大切にして自分を生きることであり、自分を偽って生きるのが一番いけないことだと気がついたのである。
 最後に、おりふれ編集部の求めにより薬をやめていった過程を記しておきたい。
 ピア・カウンセリングの仲間に、うつ病体験者で薬学の大学院出身の人がいた。その人は「うつ病になって、薬をたくさん処方され、素直にのんで、うつ病は治ったが肝硬変が残った。薬は素直にのんじゃ駄目」と言い、私が薬をやめる相談相手になってくれることになった。ほかにも7人、私が薬をやめることを知って応援してくれるという人がいた。その人達は、長時間は無理だけど1日たとえば5分なら話し相手になると言ってくれた。
 薬は1/6ずつ減らし、結局1年かけてやめた。最初に減らした時、再発のような状態になった。そうなるよと言われていたし、相談相手もいたが、幻聴も出てきて「つらい、つらい」「私はこんなに頑張ってる!」と相談相手、応援団の人達に電話をかけまくった。一時期はかなり迷惑な存在だったと思う。でも相談相手が「(減薬の)ペースが速いんじゃない?」と言ったほかは、誰も「のんだ方がいい」とは言わなかった。案じながら私を支持してくれた。他の、薬をのんでいる仲間からは「2~3年はもつが、必ず再発する。そういう人をたくさん見てきている。のんだ方がいい」と言われたこともあった。主治医を含む私のことを良く知っている精神科医達は、私が「薬をやめてみたい」と言ったら、「それはルール違反」「全精連の活動をしている人がそれはないよ」等の反応だった。これは医師の関与なく、自分の責任でやる方がいいと思った。1年かけて薬をのまず幻聴もなくなったことを告げると、彼らも喜んでくれた。もともと主治医は「1年のうち3分の2は寝ている生活ができたらいいんだけど、そうもいかないから大変だよね。律儀、真面目に馬車馬のように働くのでなく、よそ見もしてゆったりして、自然に身をまかせて」と勧めてくれている人である。
 薬をやめた時期は、「こらーる」を始めて2年目。運動体である全精連の仕事だけをしている時は、無理をしていたと思う。私には運動だけでは駄目で、仲間どうし寄り合い、気遣い合う場が必要だった。フェミニストセラピーの50才代のIさんに、「もうそんなに頑張らなくてもいい。花屋で200円の花を買って、大事に育て元気をもらう生活も価値があるよ」と言われ、生活をスローライフにした時期でもあった。食生活も「肉食べて元気出さなくちゃ」というそれまでの姿勢をやめ、野菜をたくさん食べるようになった。競争しない生き方=薬をのまないということでもあった。
 薬をやめたいと思ったのは、多くの特に若い人がやめたいと思うのと同じ気持ちで、呂律が回らず、頭のめぐりが悪くなり、みじめな感じがいやだった。外国の当事者活動をしている多くの人が薬をのんでいないことにも影響された。著名なリーダー達だけでなく、トリエステやカナダの普通の人々も薬をのんでいなかった。あの人達にできるんだから・・・。 日本では、統合失調症の人だけでなく神経症の人達も含め、薬をのむのが当たり前になり過ぎているのではな
いか。これは私の思い、私の選択で、他の人たちも薬をやめた方がよいと言いたいのではない。けれども、人を労り、励まし、回復させてくれる最良のツール(道具)が、人であることは確かであった。

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おりふれ編集部への手紙

M.

 毎回おりふれ通信を楽しみに読ませて頂いています。「精神医療はやっぱりおかしい、異常だ」と私は確かに思うのですが、回りの人々の反応に、その確信が揺らぐこともしばしばです。それを揺り戻させてくれる貴重な存在のひとつが「おりふれ通信」です。
 どんな風に異常なのかを、自分の中で整理して、外に向かって提示できるといいと思うのですが、なかなかきっかけがつかめずにいます。
 前号(No.246)の小林信子さんのご意見は尤もだとは思いますが、記事にすることを断られた方の心情も否定できないのでは、と思いました。
 精神医療ユーザーは、いろんな場面でしばしば「まず、あなたの中の内なる偏見をなくしなさい」と言われます。それは最も身近な理解者と思われている専門家からの場合がままあります。「それは酷だよ!」と言いたいのです、私は。偏見や差別は外から与えられるものです。外の世界に偏見・差別がなかったら、内なる偏見は育つことがないでしょうに。
 精神医療ユーザーは「あなたはダメな人間。あなたは変わる必要がある。あなたは劣等だ」というメッセージを受け取り続けています。メッセージを発している方はそのことにほとんど気づいていなくて、受け取る立場になって初めて感じることです。
 ユーザー自身が差別と闘うことは必要だと解っています。でも、それが出来ないほどに差別と偏見が根強いということではないでしょうか。だからこそおりふれ通信の存在は貴重なものだと思っています。これからも揺らぐことのない指針を掲げ続けてくださいますようお願いします。私も九州でささやかですが、ユーザーの表現活動の場を守っていきたいと思います。
 やるべきことはたくさんあるのに、自身の力の無さに情けなくなります。でも案外楽観的でいられるのは、他の人々の力を信じられるから。ユーザーには力がないと思われがちだけど、力を発揮する場さえ与えられれば、もっと輝ける人はたくさんいます。回りも本人もそのことに気づいていないだけ。気づけるきっかけがあれば(意識覚醒?)その人本来の力を発揮できるはずです。
 いったん精神医療ユーザーになると、否定的なメッセージばかりが回りに溢れ、自分自身の中の弱さにのみ目が向いてしまいがちになります。その人が本来持っている能力は変わらないはずなのに、それは忘れられ葬られていきます。そういう方向へと(無意識のうちに?)導いてしまう精神科医療というのは、やはり異常というしかありません。
 精神的に危機状況にあっても、狂っていない正常な心の動きというのはあるものです。それを見逃してすべてが狂ってしまっているような扱いを受けると、本人は自分を信じられなくなり、無力感に襲われます。どんなに常軌を逸しているように見えても、その中に正常な心の動きがあるだろうに、そしてそれをきちんと見てくれる人がそばにしっかり付いていてくれたら、回復へと向かえるだろうに。
 誰にもリカバリー*への道は開かれていると私は信じるのですが。他の人々はどう感じておられるのでしょうか。

*補足:「リカバリー」という言葉を、私はアメリカの精神医療ユーザーから教えられました。それは、日本語の「回復」という言葉では収まりきれない、深い意味を持っていて、常々そういうことを考えていながらも、適切な言葉で表現できていなかった概念でした。そして私の経験した医療には欠落していたことでもありました。日本の福祉、医療の分野でこの言葉がどう定義されているのかは分かりませんが、私はこの言葉を「自分の人生を自分の手に取り戻すこと」という風な意味で捉えています。そのことは、回復に向かうために最も重要なことだと考えます。
 自分には、自分の人生を生きることができる価値がある。自分の命は他の人と同じに尊く、
かけがえのないもので、自分には自分の人生をより良く生きる権利があり、可能性も持っている。その可能性は誰からも奪われてはいけない。そのようなことに気づき、自分の力で歩み始めることだと思います。
 医療を受けていても、薬を飲み続けなくてはいけないとしても、自分の人生は自分にとって価値があると思えれば、より良く生きることは可能だと思います。たとえ苦悩に満ちていたとしても。
 私は「リカバリー」という言葉をこんな風に考えています。

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連載最終回「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田 公子

○私の病い観・「障害」観
私は今まで病いや「障害」というものをどうとらえてこの仕事をしてきたのだろうか。長くなるが、これまで書き記してきた文章の中から、振り返ってみたい。
『そもそも私が今の仕事を選んだきっかけは、自分の限界に悩んでいたとき、自分の状態と「病者」といわれる人たちとは、何か共通するものがあるのではないかと思ったことにありました。その後のかかわりの中でやはり違うのではないか、と思ったこともありましたし、それがある意味では「ケースワーカー」としてかかわっていくことを自分に許したのかもしれないと思っています。確かに違いはあるとしても、それをまったく異質なもの、あるいは「症状」としてきってしまうのではなく、あくまで私たち「正常」といわれる人間にそれぞれ内的世界があるように、「病者」といわれる人にも同じようにそれぞれの世界があり、またそれが形成されていくそれなりの道すじが、個々にあるのだということを忘れてはならないと思います。』
『私たちは「病気」というものを、とかく否定的にのみ考えがちであるが、「病気」はその人がおかれている危機状況のあらわれであり、それを乗り越えることが出来たときには、新しい自分になっているような、そういう面もあるのではないだろうか。』
以上が、病院に就職して1~3年くらいの頃の病い観であり、作業所時代には次のように書いている。
『作業所の中で視えてくる「病い」は病院のそれとはやはり違っている。その人の生活と、生と分かちがたくある「病い」。それゆえに、その重さを、生きがたさをより感じさせられたこともある。しかしそれは、外側からの操作的な「治療」によってではなく、生活の中で、様々な関係性の中で、その人の内側から癒され「治癒」していくものなのだろうと思えてならない。』
『ふり返ってみれば、病院時代の私の「病者観」「障害者観」はずい分と一面的で、観念的であったと思う。今ようやく、私自身もメンバーも、この社会の中で揺れ動き、闘いつつ、でもある時は人を恨んだり、排除したり、差別さえもしてしまいながら、あるがままの自分、互いを認め合える他者とのつながりを求めて試行錯誤している同じ人間・仲間と思えてきた。』
これらの考えは今も基本的には変わっていないが、自分が病いを体験してくる中で、より深い実感を伴ってきている。上述した最後の引用文については、とりわけそうである。病院時代は、「虐げられた環境に耐えながらも、人をほっとさせるやさしさを持ち合わせ、時にはç—(‚½‚­‚Ü)逞しい知恵を働かせて日々を生きる患者さん達」に私も救われ支えられてきたのであり、また病いを抱える人たちは、「純粋」で私たちを縛る世間の規範や価値観からも遠く離れた人たち、と受けとめていたような気がする。しかし作業所や現在の地域生活支援センターのオープンスペースでかかわり合う中で感じるのは、私を含めて、負の部分や弱さを持ち合わせたもっと生臭い、あるいは「味のある」人たち、と思える。
そして今、改めて思うのは、病むことや「精神障害」をもつことは、その人の心や体、さらには社会に対する危機のサインでありメッセージであるということである。それゆえ、そうしたサインやメッセージが意味するものを一緒にさぐりながら、新たな生き方や再生への過程をともにし、社会のありようをもともに考えていければ、と職員でもある私は思う。病む人や「障害」をもつ人たちとのつきあいは、人と人とのつながりや社会のありようについて、より深く考えさせられるからである。
また、強く心に残っている一つの光景がある。老人ホームで「痴呆症」と言われる、あるおばあさんの入浴介助をしていた時のことである。誰もいなくなった、大きな浴槽の中につかりながら、その人は、ゆったりとおだやかに、歌を唄っていた。その光景を目にしながら、私は、「至福の時」と言いたいほどの満ち足りた気持・時間を味わった。「認知症」と言われるようになった人たちの心中を知ることは、私にはまだ出来ないが、少なくとも私にとっては出会えて良かったとしみじみ思える人たちである。
そして精神病院で出会った「知的障害」をもつ人たちは、その存在のかけがえのなさを体まるごとでもって表現し、問うており、私の心をふんわりと豊かにしてくれた。
 私の部屋には10年余り前から1枚の絵が飾ってある。それは、ある「知的障害」をもつ人の、チューリップが大きくあざやかな色あいで描かれている絵「私咲いてる」である。私はそれをながめては「こうありたいなあ」と願い、時にその絵は、「咲いてる?」「咲こうね」と私の心を支えてくれている。

○私の「今」
 ひとことで言うなら、私はずいぶんと楽になった。まずは、幼少期からの課題であった、「自分を過大にも過小にも視ることなく、ありのままの自分を認め、受け入れること」が出来るようになった気がするのである。これまでの私は、自分への自信のなさから、他者に向かって自分をひらいていくことが苦手であった。このことは、他者へのまなざし・他者とのつながり方における変化にも通じている。これまで私は、その人の全体を視ることなく、一部分だけをとらえて過大視したり、逆に過小評価して批判の対象としてのみ見がちであった(差別的な人や考え方が根本的に違う人に対してそうなりやすい)。そこからは人と人が対等につながり、学び合う関係は生まれない。そして、自分も他者も、「役に立つか否か」や「社会に貢献できるか否か」ではなく、存在そのものを認めうるような関係を作っていきたいと思う。
 また福祉の領域で身に付けがちな「ˆß(‚±‚ë‚à)衣」=相手を「対象」としてしか視れなくなる姿勢、「支援しなくては」という気負い、さらには「支援する」「頼られる」ことに依拠して自分を支えがちな在り方等からも解き放たれつつあるのを感じている。今の私にあるのは、「支援する・している」という感覚では殆どなく、一緒に悩んだり、考えたり、情報を伝えたり、出来ることがあれば力を貸したり、喜び合ったり、感動したり、という「ふつうのつきあい」あるいは「応援する」といった感覚である。
 そしてこれらの変化を手にし得たのは、揺れ動き、浮き沈みの多かった私に辛抱強くつき合ってくれたパートナーや友人たち等の支えはもちろんのこと、「この仕事に就いていたからこそ得られたものなんでしょうね」という主治医のことばそのものだと思える。これが、もうすぐこの仕事に就いてから20年になる私の「今」である。

○おわりに
 とはいえ、これからも揺れたり葛藤するかもしれない。でもこの実感を忘れず、この「今」に立ち戻って考え続けていきたいと思う。そして相手が分ってくれるかどうかはともかく、伝えたいことを伝え、新人職員や非「専門家」からも学ぶ姿勢をもち続け、「こなれた」職員・「専門家」にはなりたくないと思う。
 最後に、今の私にとって残された課題は、いくら「ふつうのつきあい」とは言っても、私はそれを仕事として糧を得て生活しているのであり、あくまでカッコ付きのものだということだ。これを解決するためには、もっと生身のつきあいが必要なのだろうか。それとも、このような仕事=「特殊な場での特別の人のためのもの」にとどまる福祉がなくなるような世の中・暮らしをつくっていくことで解決し得るのだろうか…。ともかく今後も、社会の状況に目を向けつつ「当事者であること」(今の私は「精神障害者」と呼ばれてもおそらく平気だ─「女」ということばを痛みとともに忌み嫌った時期があったがある時点からむしろ誇りをもつようになっ
たように─)、「資格者ともなった自分」、「労働者としての自分(私は精神病院で組合つぶしのために解雇されたことがある)」、ある状況下に在る人に対して知らないがゆえに差別・抑圧してしまうかもしれない一人の人間として、また私にとって最初の被差別体験としてあった「女であること」に依拠して生きていきたいと再確認しているこの頃である。   (2005年5月)

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ピアサポートグループのこと/日本精神障害者リハビリテーション学会@大阪に参加して

石井真由美

 私が立川りらくに参加している理由は、ここで退院促進活動をしていたからです。
 私は17歳から5回入退院を繰り返しています。一番短い入院期間で一ヶ月、長くて二年間です。この入院体験、入院生活がいまだに私へ様々な影響を及ぼしています。その中でも、当時、長期入院していた仲間や亡くなってしまった仲間のことは、ふとしたことで強く思い出したり、ぼんやり感じたり、名前を次々あげたり、私の中にずっと居ます。そうすると、感覚がボーッとしたり、感情が乱れたり、罪悪感や無力感に襲われたり、辛くなることが多いけれど、どうしようもなく皆に会いたくなって寂しくなったり、仲間のおもしろい口癖とか思い出して一人で笑ったりすることもあります。
 私は今、病院から出て一人暮らしをしているけれど、皆どうしているか、まったく想像がつきません。だから、当時のまま、ずっと皆は私の中に居続けています。そして、私もそこから離れることはできません。だから、私が抱えている真ん中の苦しみ(もっと詳しく書いたほうがいいだろうか。でも書くと余計こんがらがると思う)に直接触れる、りらくの活動に恐れや動揺を抱きながらも強くひかれました。
 初めてT病院を訪問した時、入院患者さんたちと向き合って、自分と何が違うのかよく分かりませんでした。特に大きな違いはなくて、どうして患者さん達は中に居て、私は外で暮らせているのか謎です。でも、ならば、どう考えても現在、長期入院している仲間達は本人の問題よりも、外側の環境や条件が整えば誰でも退院するチャンスはあると、社会的入院の意味を実感しました。
 現在のりらくは、病院へ訪問し、直接入院患者さん達と交流する活動しかしていませんが、やはり、気持ちだけ退院促進しようとしても、社会的資源、受け皿の問題が整わない限り、上手くいくはずがないという当然の壁にぶち当たっています。
もともと社会的入院を強いられた人達なのだから。
でも、一度にすべての問題を私達が触れることは無理で、役割分担的に病院訪問のみを行っていました。けれど、最近りらくメンバーの中から、入院患者さんへ、なるべく新しい正確な情報を提供するためや、退院後の生活までを見通し、作業所やグループホームの見学、連携等、活動を広げていく必要があるぞという気持ちや考えが生まれています。だってあまりにも社会的資源が乏しいからです。退院後の生活は、私達の問題と重なるので、これは他人事ではなく私達自身、再入院せず、安心して地域で生活するために役立つ活動になると思います。大阪の研修に参加することで、また一段とこんな気持ちが刺激され強まったようです。

 12月3日、大阪で行われた日本精神障害者リハビリテーション学会の「希望は足もとにある―語り合おうピアサポート」というシンポジウムに参加しました。
 当事者が4名と専門家1名が、ピアサポートをする中で、大変なこと、得られること等を、自分の体験と共に話してくれました。4日のシンポジスト澤居さんの話はとても心に残っています。入院中、包布交換やお風呂の日で、曜日の感覚はあれど日にちの感覚がなくなり、何だか知らない間に時間が経っているというのは、もうまさしくその通りと思います。(私の病院は水曜日が包布交換だったよ)
 この頃「当事者活動は大阪に学べ」という言葉を何度か聞いていました。実際、シンポジウムに参加し、大阪の仲間は苦労を抱えつつもエネルギッシュで、活動内容や、範囲も様々な広がりを持っているようでした。例えば、どんな利点や不都合さがあるか、まだ勉強不足でよく分かりませんが、大阪ではピアサポーター・ピアヘルパー・ピアカウンセラーが制度化しているそうです。
 「どうして大阪はこんなに活動が活発なのだろう」という疑問を抱いたのは、私だけではなく、質疑応答でこの質問をされた方がいました。
 すると、シンポジストの方が、大和川病院の事件のお話をされました。行政、病院、施設、家族、地域、の身勝手な必要を満たすため、入院患者達に自分達が負い切れぬ責任を押し付けた結果、最悪の事態、事件が起きた。起きていたけど隠されていた。この悲惨な事件を踏まえ「二度とこんなことが起こらないために」という反省のもと、活動が強まっていった流れを教えてくれました。とくに、行政の責任は大きく、それらを問うため、オンブズマン制度をつくり、当事者が自分達のことを決める会議には「当事者抜きで当事者のことを決めるな」と、どんどん参加していくようにしているそうです。また、病院の質の向上を求め続けるため、病院の保護室などをチェックし、入院中の患者さん達と話す機会をもつ等、より開かれた病院づくりにも大きな刺激を与え続けているようでした。

こんな事実にしっかり向き合ってしまったら、ちゃんと見て感じてしまったら、もう見ない振りをする方がよっぽど見えないエネルギーを使い果たすことになるのだろうと感じました。「やるしかない」「なにかできることをやるしかない」と、突き動かされます。私が、りらくの活動にひかれた原動力もここにあるのだと何となく感じます。
 あまりにも強烈な体験をしてしまうと、焦燥感や痛みから、その体験に体を奪われることがあります。なるべく、自分でもコントロールし、限界を踏まえ、病気、症状のケアは怠らないよう心がけていますが、どうにも止まらない時があります。
こうなる時は、仲間や信頼できる人たちに注意してもらいます。

 私は今、アパートで一人暮らしをしているけれど、病院から脱出して十数年経っているけど、ずっと外で住めている感覚を持てずに、長いことあの世とこの世の狭間で生きています。だから長期入院している患者さん達が包まれている感覚は、本当は外に出ても拭えないと思ってる…。でも、私は入院生活より、外の生活のほうがいい!

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連載第6回「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田公子

○亡き母のことば
 昨年春、私の母は3年間の闘病の末、亡くなった。その母が生前、私が中・高生だった頃から幾度となく言っていたことばがある。「この世の中、誰一人として同じ人はいないんだからねえ、不思議なもんだ」。私はそのことばに何かを感じながらも「そういえばそうだなあ」くらいにしか受けとめていなかった。それが、このところようやく「本当にそうだなあ」としみじみ思うのである。そして、ウーマンリブを生きた田中美津氏の「大したことのない、かけがえのない私を生きる」ということばと重なり合って私の心に染みる。まさに人は誰一人として同じであることはなく、他者と比べることの出来ないかけがえのない存在なのだと。
 また同じく病いを抱えていても、そこへ至る過程も回復していく過程もそれぞれ違っており、専門的知識や自分の経験だけで「分かったつもり」になることは、戒めなければならない。「当事者職員」といえども、である。だからこそ、繰り返しになるが人は互いにたやすくは分かり合えないこと(=限界・壁)を前提にした「距離」をもちつつ共感していこうとする姿勢が必要なのだと思う。

○ただただ関心を寄せるということ
 この頃、またよく思い出すことがもう一つある。作業所を開設した当初の頃、プログラムの一つとして小グループに分かれて自分のこれまでの体験・生活を話すという場をもった。そこでは、自然と職員も自分のことを語ることになった。何人かのメンバーが話した後、自分の番になった。私は緊張した。何しろそれまで勤めていた精神病院においては、院内誌(文集)に寄稿するぐらいしか職員である自分が自分を語ったり、さらけ出したりする場は殆どなかったのである。そんなわけで緊張していた私が、何とか語り続けることが出来たのは、専門学校を出て入職し20歳になったばかりのKさんが私に向けてくれた「目」があったからである。その「目」は、私に「関心を寄せてくれている」、力をもった目であった。それは興味本位の「関心」では無論なく、医療・福祉の従事者、支援する側が陥りがちな相手を観察したり把握しようとするような「関心」でもない。「ただただその人に関心を寄せる」とでも表現したらいいのだろうか。人はそのような姿勢に支えられ、自らを語ることを通して力を出していくことが出来るのではないだろうか。(つづく)

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連載第5回「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田 公子

○揺らいでもいい(?)
 私はかつての職場では、職員間の人間関係でどんなに悩んでも、憤っても、「感情的になったら負け」という想いで自分の感情を押し殺してきた。また作業所では「完璧な」責任者であろうとしていた気がする。私を信頼してくれていたあるメンバーから、「欲を言えば、もっと隙を見せて欲しかった」と評されたこともあった。当時のそんな私は今から思えば揺らぐことのない、弱さを見せることのない、メンバーによっては冷たくさえ感じる職員だったかもしれない。またそこには、職員(=支援する側)は的確な判断のもとに「支援方針」を考えたり「課題を把握したり」するもの、という福祉の領域での一般的な意識が背景にあったと思う。そんな私が、スタッフ会議で自分の発言が伝わらないもどかしさのあまり号泣したり、利用者とのかかわりの中でも泣いてしまうことがある。

 ある日、Bさんと職員の間でトラブルがあった。私はBさんの担当職員であり、私とのトラブルもかつてあったが、私も謝るべきことは謝りBさんも謝ってくれた。そんなこともあり私とBさんとの間にはある程度の信頼関係が出来ていると私は思っていた。そして何よりやさしい絵と文章を書くBさんを信じたかった。だからBさんの行動には何か理由がありそれをまず聞きたいと思って声をかけた。しかしBさんは「私をこれ以上責めないで」とうずくまり、話し合う時間をもつことを拒否した。「責めるのではなくその時の気持を聞きたいのだから」と何度言っても頑なに拒否するBさん。私は「なぜ?」という想いがこみ上げ、泣き出してしまった。ひたすら拒否して顔さえ上げてくれないBさんに向かって私は泣きながら、「これまでいろんなこと話してきたじゃない、私の言うことも聞いてよ」と声をふり絞って言った。その途端、Bさんはキッと振り向いて私の顔を見、「分かった」と言ってくれた。私はBさんと気持が通じ合ったことに安堵したと同時に、自分自身に驚いた。そしてきちんと向き合えば、揺らいでもいいんだ、と思えた。一緒に悩み、時には揺らいでもいい、と。

 また私自身が今に至るまで回復してこれたのは、誰かが「的確な支援方針・page001方向性」を示して対処してくれたからではなく、「職場を辞めたい、いやもう少し続ける」と何十回となく繰り返し続けた揺れにパートナーや友人たち、主治医などが一緒に悩みつき合ってくれたからこそなのである。(つづく)

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投稿 スッパ抜き!私の東京精神病院入院体験事情

老川哲美

<1990年代の長谷川病院>
 急性期病棟(閉鎖)は若い患者が多く、個室と2人部屋のみで大部屋はない。レク室でカラオケが出来たり、風呂掃除やコップ洗い等が当番制になっている。
 慢性期病棟(半開放)では、カラオケとして月2回位の頻度で、病棟内のレーザーディスクで行う。喫茶レクでは他病棟の患者と思われる白衣を着た男性数名が来て、ジュース券を配り、数種のジュースを注ぐ。3時のお茶には、いつもカフェインレスコーヒーが出る。というのは、カフェイン摂取で患者が眠れ(ら)なくなるのが困るから。連絡通路付近の1病室がリハビリ組になっており、リハビリ組のみがトイレ掃除当番を受け持つ。外国人(白人、アジア系)のセラピストが、ごくたまに来てダンスセラピー等を行い、見学もしてゆく。集団旅行があったり、小遣いについては各自あるだけ使え、自由である。
 個室にはトイレ、洗面台と覗き窓が付いている。外に面した窓ガラスには鉄格子があり、その丁度下を職員が通り、煙草の吸い殻等を見てまわる。患者のベッドの上部に“約束事”という紙が貼られる。例えば「○○さんへ、・・・をしたら抑制です」といった内容のもので、患者はサインを命じられる。
 野川周辺にある“散歩コース”には、絶えず私服の職員が居り、少しでもコースから外れた場合自転車で追いかけてきたりする。外出から帰るとボディチェックがあり、主に看護者がポケットの中などを見たりするが、靴の中などまではチェックしない。
 生活保護の患者は施設に行くか、多くの年配患者は余生を病院で過ごす様になる場合もある。

 全体的には、「重症患者でも受け入れている」とされる病院で、中庭に自動販売機数個、ベンチ、喫茶室があり、入院時CDデッキ等の持ち込みも可能(ただしコードは不可、電池のみ)で、患者一人につき担当ワーカー1人、特に若い患者には受け持ち看護者がつく。面会時にはソファーのある処でも面会できるが、面会時余った菓子等は持っていることが赦されず、捨てられる。煙草は一人当たり1日1箱位で、好きな銘柄をリクエスト出来る。またコンタクトレンズ等が必要な場合、ワーカーが業者を呼び、院内で調節して購入できる。散髪やパーマもできる。女子手入れ室(毛剃り等)は、看護室の中の仕切りカーテンがある洗面所で行う。危険物を貸し出したりもする。
 他科(内科、皮膚科等)の診察は、看護室の中で行われ、これは月数回希望者のみとされる。歯科(患者間では「腕が悪い」との評)がこぢんまりと併設されて在るが、看護者若しくは体格のいい男性職員が患者に付き添い、病棟に帰るには看護者等が迎えに来る迄待たねばならない。その間絶えず職員が散歩中の患者などを見張っているという状態だった。理不尽なことをした看護者が、内科病棟に回されたりしたことはあった。
 入院患者の間では「もうお金がない」という声が多く、差額ベッド代として個室は1日1万円、大部屋で5千~7千円かかった。
 ナースコールは全ベッドに付いている。拘束の場合、大抵は尿カテーテルを使用するが、男性職員の前で女性患者がオムツをさせられたとの声も聞く。拘束の度毎に、天井に付いているマイクロフォンで看護室にすべて聞こえるよう、スイッチを入れ替える。自殺未遂の患者には、ベッドから半身を起こすような少し変わった拘束の仕方も見受けられた。また拘束の際、男性職員が必要な場合には、電話連絡で別の階からすぐ来るようになっている。拘束の際には、特にヒモ抑制の場合、両手足首に入らねばならない間隙は指2本位とされていた。患者からは、拘束と投薬量の多さが特に云われていた。
 警察というよりは民間警備会社からの委託を受ける。長谷川病院が、家族等に警備会社を紹介していることもあり得る。また家族が望んでも、なかなか退院させて貰えないケースも多い。退院時にも、「器物破損、大量服薬等の自傷行為、家庭内暴力のいずれかが出た場合、再度入院することをお約束します」などの再入院の契約書にサインをさせられる。この契約書に患者がサインしなければ退院は出来ないと言い渡されていた。大抵の患者は再入院の繰り返しである。
 特色としては、看護者が頑張り、医者はおまけに付いている様な病院と言える。

<1990年代の関東中央病院>
 1980年代末に、白壁から薄ピンク壁の病院に新築され、広い中庭を持つ総合病院となった。他科の病棟だが、当時流行した安達祐美主演のドラマの舞台にもなった。
 男女混合の開放(午前6:00~午後9:00)病棟で、実習の学生も多く来ていた。外食、買い物も自由だった。週間プログラムとして、毎日様々な療法が組まれていた。砧公園や馬事公苑への集団散歩もあり、砧公園内の世田谷美術館にも出向けた。個別に患者と看護者、或いは患者と医師が私服で一緒にお茶をしたりする自由な雰囲気もあった。また看護者からの差し入れが患者に振る舞われることもあった。
 長谷川病院と連携プレーをしており、交互に再入院する場合もある。そうした場合、警備搬送会社を患者の家族に伝え、自宅から病院へと患者を移送する。
 PICU(精神科集中治療室)→個室で身体拘束することもよく行われていた。週1、2度清拭といってお湯で絞ったタオルで身体を拭いてくれたり、看護者が本を読んで聞かせてくれることもあった。拘束される期間が半年くらいになると足が立たなくなる。病室内に畳を敷いてもらい、その上に座ってラジカセを聴いたりした。別棟の理学療法室に通いリハビリをしていた。
~事件として~
 いわゆる思春期病棟だが、当時の若手の男性医師3人(今現在は3人とも居ないー1人は死亡、2人は開業した)の患者に対する全面的な暴力が絶えなかった。首を片手で締め上げる、押さえ込み口をふさぐ、バットで身体を打つなどである。若い男性患者が医者に歯をへし折られた。入院の際、患者が職員に殴られた後注射をされ眠った現場を目撃した他の患者に、看護師が「見たくないでしょう」と告げていた。中高生の患者は我慢し、というか事態の大きさに怯え交番に行か(け)なかった状況である。知的障害を併せ持つ若い女性患者も入院していたが、この人も顔面を殴られ鼻血を出したり、他の若い女性患者も顔面打撲の怪我をさせられた。私自身も、顔を机に数回ぶつけられたり、うつ伏せにされ背中に乗られて、頭を床に打ちつけられたり、首を片手で掴まえられて棟内を引きずり回されたりした。看護師長が「哲美(私)を殺さなきゃ」と変な注射を打たれそうになった際、他の看護師と主治医が止めてくれたこともあった。(自分の体験を語るのは辛いものです)。またこれら医師の1人が自分の受け持ち患者の胸を触るとか、男性患者から女性患者へのセクハラ等も見えない処で多々あった。

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WFMH(世界精神保健連盟)カイロ大会とは何であったのか

日本カナダ国際精神保健交流協議会 岡本省三

 お断り:本稿は、カイロ大会を報告すること自体を意図したものではない。それは、私にとってそうである他なかったことをご理解いただけるよう願う。しかしその一方で、今回のエジプト滞在の10日間ほど、多くの稔りを持ち帰った外国体験はなかったことも、お知りいただきたく思う。

一 分析に必要な前提
 街には兵隊が溢れ、ホテル入り口は金属探知器を備えた兵士たちの、24時間監視下にある。この国の東隣は直ちに「イスラエル占領下のパレスチナ」であり、さらには極度にバイアスのかかったイラク報道がことごとく「カイロ発」である事実が示すように、エジプトは今や世界を覆い尽くす「対テロ戦」の最前線としての特殊な位置を占めている。
 加えてこの国は、アラブ世界随一の「親米=親イスラエル国」である。その意味は1981年のサダト前大統領の死を想起することで了解しうる(編集部注:サダト氏は1978年のキャンプ・デービッド合意でノーベル平和賞を受賞したが、このイスラエル・エジプト単独和平は、アラブ世界ではパレスチナに対する裏切りと見なされ、イスラム復興主義の兵士により暗殺された)
 次の大統領ムバラク氏は、以来24年にわたって、徹底した全体主義的恐怖支配を確立する一方で、ネオリベラリズムの優等生として名高い。
二 カイロ大会の本質
 「ムバラク大統領妃殿下の御庇護の下」の今大会が、なぜわざわざ殺人的酷暑の9月上旬という最悪な時期を選んで開かれたのであろうか?
 米大統領ブッシュ氏によって全世界に宣布された「イラクに始まる民主化の拡大」に呼応して、エジプトでは実に24年来初めて行われた(100%八百長の)大統領選挙当日が、大会中日となるように設定されていた。国際的祝賀行事としてのカイロ大会! それは、連盟中枢部を固めていたUSAとURA(エジプトの正式名称)の共同制作に他ならなかったのだと推測する。
三 実態
 渡された豪華美麗プログラムの少なくとも2/3は、架空、デッチ上げであり、現地トップたちの大言壮語と人品骨柄の卑しさ。
 開会式早々、「USAにしてやられたのよ」と喝破し、件のプログラムが見せかけたることを公然と触れ回る旧知のオーストラリア人に、私は「大会そのものが見せかけだ」と早々と同調した。私達は9割方は正しかったと考えている。
 HIV/AIDS、パレスチナ・イスラエル問題、イラク問題など、政治的にセンシティブな都合の悪いテーマは、万一明示されていてもほぼ完璧に予告なしにキャンセルされた。会場が空っぽであったり、また無難なものだけが終わるやいなや閉会されたりなどなど。あとは個人的に知り合った人々からの案内を便りに出席するか、極めて果敢な少数者によりゲリラ的に敢行されたものに、やはり事前に知らされ幸運にも出席するかくらいであったろうか。これらの場合当然会場には人はほとんど居ないが、一見それと判る監視役が必ず臨席していた。
四 例外
にもかかわらず、次の如き例外を挙げることが出来る。
 最大の参加者の中、イラク精神医学会長による、米占領軍の暴虐ーそれは次々にスクリーンに映し出される正視に耐えない写真の数々が証言したーと、そのもとで精神保健システムが完全に崩壊したという悲痛な訴え。
 最終日にまさかの登場をした、N.サルトリウス教授の力と熱に溢れた講演。テーマはDestigmatization(烙印からの解放)。おそらく氏はこのテーマに余生をささげられることであろう。
五 補足
 受付カウンター間近までヒシヒシと押し寄せ、かつて知らぬほどに厚顔に派手な宣伝合戦を繰り広げた製薬ビジネスのブース、と観光業者のデスクの列。
 十指に見たぬニホン人参加者は、未知の人のみであったが、その中で英語で発言する者は私のみであった。幸い多数の親密な友人を各国に持つことが出来た。

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連載第4回「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田公子

○「病気」「障害」というフレーム
私たちは、「精神障害者」と言われる人と出会った時、まずは「病気」「障害」というフレームからその人を見てしまうことが多い。医療や福祉の場においてはなおのことそうなってしまいやすい。一人の生活者としての様々な面、その人が「健康」であった頃のこと、病いに至るその人の固有の過程にどれだけ思いを馳せているだろうか。
先述したように、私はまず何人かの人たちから「当事者の職員」として見られ対応された。それは出会った場の性質上いたしかたないことかもしれない。また初めはそうであっても、つきあいが長くなるに従って変わってきた面もたくさんある。しかしなお、この「フレーム」にこだわって考えてみたい。「健康」であった頃の私という人間に対しては関心をもたれることはまず殆どなかった。もたれたとしても、それは一種「別物」として扱われたように感じた。では、パートナーや友人たちはどうだったか。彼・彼女らは、私が生きてきた過程や私の様々な面を知っており、病気はそれらとひとつながりのものとして接してくれた。主治医も幸いにしてそうである。ではかつて精神病院で働いていた頃の私自身はどうであったか? 振り返ってみるに、少なくとも病気をその人が生きてきた歴史と切り離さずにとらえてその人を知りたかった。しかし患者さんはあきらめの果てか、多くを語らず、分厚いカルテ・看護記録からも「無為自閉」「特変なし」の記載が随所に見られるだけで、知る由はなかった。そして、そのような医療・病院のありよう自体を変えていくことが、私にとってはまず大きな課題だった。作業所で働いていた頃はどうだったろうか? 新聞作りを中心とした表現活動や「メンバー主体」の運営をメンバー・他の職員とともに考えていく中で、メンバーがもっている力に驚かされ感動し、共に作り上げていく喜びを分かち合ってきた。しかし、病院時代に不十分にしか出来なかった個々の患者さんが抱えていることへのかかわりという課題を、責任ある立場に立たされたことも影響してか、いつの間にかメンバーの「把握」という形にどこかで変質させてしまった面があったような気がする。そして地域に開かれた場であることを常に模索してはいたが、やはり「特殊な場」でしかなく、「職員」「支援する側」「健常者」という立場を乗り越えることの限界があった。この限界を乗り越える糸口を、私の場合は上述したように、自らが病いを抱え「当事者職員」として働くことでつかむことが出来たように思う。(ここまでに至る過程には以上のように様々な葛藤があった。「障害の受容」ということばが支援する側からよく言われるが、そのことに最近の私は傲慢さのようなものを感じてしまう。)

○Aさんに支えられた
 私は利用者のAさんと1年半ほど前からかかわりをもつことになった。Aさんは、あるデイケアに通っていたが、集団の中でうまく仲間とつながることが出来ずに悩み、酷なほどに苦しんでいた。そしてその苦しみをデイケアの中でぶつけてはまた孤立してしまう、という悪循環に陥ってしまっていた。このような状態を別な場面での一対一の関係の中で少しでも和らげることが出来れば、というデイケアの担当ワーカーとAさん自身の願いで週に一度私と会う時間をもつことになったのだった。このような経過もあり、私とAさんとのかかわりは、当初は私がAさんの怒りや苦しみを受けとめることを主にしたものだった(Aさんは今、これまでの苦しさ・孤立感をバネにして、自らの力で何かをつかみとっているように思われ、私はただただ感動させられているのだが)。そんなある日のこと、私は他の職員との考え方の違い等で悩み、ショックを受けたその気持を引きずったままAさんとのいつもの時間をもった。今にも泣き出しそうな私の表情に気づいたAさんは、すぐさま「どうしたの?」と声をかけてくれ、途端に私は泣き出してしまった。そんな私にAさんは、「泣いていいよ。久保田さんだって人間だもの。いつも私の話を聴いてくれてるじゃない。久保田さんだって泣いていいんだよ」としっかりと温かく言ってくれたのだった。Aさんの気持に私が「当事者職員」であることが関係していたかどうかは分からないが、一方的ではない「双方向」の関係のありようを感じさせてくれた。

○ことばがひらかれた
 この病気になってから、私は強く印象に残る夢をいくつか見たが、2~3カ月前に見た夢はかなりショッキングなものだった。私は誰かにおおいかぶされ、押さえつけられていた。「誰がこんなことをするのか」と、何とか振り払ってその者の顔を見ようとするがなかなか目が開かない。しばらくもがいてやっと振り払い目を開けると、枕の横にその者の顔=私の顔があった。一体この夢は何なんだろうと終日考えたが、まさに「自分で自分自身を抑え込んでいた」ということだと思えた。その夢を見たのは、スタッフ会議でたまりにたまっていた想いや意見をぶつけた日であった。そしてその夢を見て以降不思議なことに自然にことばが出てくる自分に気がついた。
 私は20代の時に、人とのかかわりにおける自分の限界に悩んで、竹内敏晴氏が開いていた「からだとことばの教室」という所に通っていたことがあった。その教室は、様々なレッスンを通してからだの歪みやからだと心のつながりに気づき、自分自身を解放し、他者と触れ合っていくことを目指していた。そしてそこは、はからずも精神科ソーシャルワーカーという職業があることを知り、この道を選ぶきっかけとなった場でもあった。他者のまなざしの中で、自分のコンプレックスや防衛心と向き合わざるを得なかったある日のレッスンのあくる日、私はお腹の底から笑いがこみ上げてくる自分に気づいた。それまでわずか6人の社員の中にとけ込めず、身を固くして息を殺すかのようにしていた職場の中で、である。その時の感覚は強く残っており、それは今、ことばが自然に出てくる感じとよく似ている。そして、自分が変わるとまわりも変わってきたように思えるのも偶然ではないだろう。ちなみに竹内氏は、著書の中で「われわれは歪んでおり、病んでいる。スラスラとしゃべれるものは、健康という虚像にのって踊っているにすぎますまい。からだが、日常の約束に埋もれ、ほんとうに感じてはいない。そこから脱出して、他者まで至ろう、からだをひらこう、とする努力─それがこえであり、ことばであり、表現である、とこう言いたいのです。そしてそれを他者が見、それが他者にうつってゆくとき、例えば連帯とか、共闘というようなことも、そのいとぐちがひらいていきうるのではないでしょうか」と書いている。まさに私の中で「ことばがひらかれた」、そんな気がしている。        (つづく)

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「本当に困った人のための生活保護申請マニュアル」(湯浅誠著 同文館出版)を読んで

精神医療ユーザー  石井真由美

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<編集部から> この8月に出た同書は、「おりふれ」にも再三登場している野宿者支援グループ「もやい」事務局長、湯浅さんの著。多くのホームレス状態の人達に付き添って、福祉事務所の厳しい対応を見てきた体験に基づく、最悪の福祉事務所員を想定し、生活保護をどう闘い取るかのリアルな指南書である。

 8年前、突然母から電話があった。「まみちゃん、お父さんの現場が潰れて仕事がなくなったの。もうお金を送ることができないの。ごめんね」「私の生活費、あとどのくらいあるの?」「1ヶ月分くらいはあるかしら。とにかく先生(カウンセラー)に相談してね。ごめんね」母は何度も私に謝った。私は母をいたわる余裕も、責める余裕もなく、速やかに闘いに挑むしかなかった。ものすごく重くて黒い絶望と疲れを引きずり、目がチカチカしたけれども、まずは当時通っていたカウンセラーに電話をした。
 カウンセラーは、ケースワーカーの経験もあったので、「すぐに生活保護を受ける準備をしましょう」と、てきぱきといくつかのアドバイスを与えてくれた。結局、間違った指示も少しはあったが、私は最低限の武器は身につけて、生活援護課に挑んでいたのだと、この本を読んで確認できた。
 私の場合、まず電話することにした。生活費ギリギリで飛び込むという案も与えられたが、医師も素早く協力してくれたため、診断書がすぐに用意できたので出来る限り丁寧に段取りを踏んでいくことにしたのだ。ひどい対応をとられる可能性もあることを想定した。でも、私の病気の症状にとても強い対人恐怖と閉じこもりがあったので、想定しすぎると非常にまずかった。死にたい気持ちがバンバン出てくる。最悪だった。あんまりひどい状態になったので、友達に一晩中付き添ってもらったりした。入院も考えたが、精神医療、特に精神病院入院生活によるPTSDがある私は、どうしても入院を選択することはできなかった。「入院したら死んでしまう」と思った。だから泣いたり、喚いたり、震えたりして、でも闘うしかなかった。
 生まれて初めて生活援護課に電話した。初っぱなから「水際作戦」(=相談に来た人に生活保護の申請をさせずに、窓口で追い返すことをいう。本書P37)を浴びる。これは耐えた。「どこに住んでんの?」「いくつ?」「なんで働かないの?」という責めを帯びた男性職員の質問が次から次にきた。特に「なんで働かないの?」の質問に私の思考はヒートした。働かないのではなく、働けない。なぜ働けなくなったかを本当に聞きたいのなら、私は2時間かけても話し足りない。でもこの人は、そんなことを聞きたいのではない。ものすごい拒絶。お仕事だと理解していても、最も困っている時にこんなあからさまな拒絶を人から受けたら、私は倒れてしまう。電話を始めて間もなく私は何が何だか分からなくなってしまった。パニック状態になってしまった。そして訳の分からぬまま必死で応答しているうちに、私は武器を出したらしい。「診断書」のことを伝えたのだ。とても印象に残っている。診断書を持っていることを伝えると、明らかに職員の態度が変化した。私はこの日のうちに、初めの個別相談日の予約と、手続きの際持っていくものを聞くことができた。

 生活保護に1年半ほどかかってから障害年金を取り、遡及分約500万円をもらったので、保護を打ち切って暮らした時期がある。打ち切る前、担当さんは、私の場合戻るのは簡単だしまた手伝ってくれると優しい言葉をかけてくれた。でも1年半後生活援護課に行った時、もう担当さんはいなかった。この時説明をしてくれた人は、何か偉そうな役付きの人だった。正直言って感じ悪かったし、私の質問にはぶっきらぼうな答え方しかしてくれなかった。
 ようやく話しが終わり、とっとと帰ろうとしたところへ、私の場合もう30代後半で、女性で、病歴も長いし、先々のことを考えて都営住宅に応募するといいと勧められた。完全に私には明るい未来がないと言っているようだった。この時点で私はとても疲れていた。チックと手の震えも出ていた。後で考えたかったけれど、どんどん都営住宅の話が進み、「今応募用紙持ってくるから」と待たされた。早く却って横になりたかった。結局、応募用紙は手元にないので、もっと上の階の何とか課にあるから、そこで用紙をもらって来てと言われた。もう抵抗する気力もなかった。私は力尽きるとこうなってしまう。自分の意志や感覚が閉じていく。言われるがままに動く。頭はぼーっとして、疲れ切り、フラフラしながら指示どおり用紙をもらって、ようやく帰宅できた。
 私のような身の上の人間は、とにかく応募しなくてはいけないのかと思った。今度はそういう努力を見せないといけないんだと思った。で、たまたま仲間にこの話をしたら、仲間は怒って「そんなの余計なお世話ですよ。イヤだったら応募しなくていいんですよ」と教えてくれた。すっごくホッとした。なんか呪いが解ける感じがした。ちゃんと制度のことを知らないと、やらなくてもいいことや、行きたくないところへ誘導されることが本当にある。私は自分の症状を踏まえ、特に用心しなくてはならないと、本書を読みまた確認した。

 それから、この本を読むまで「宿泊所」のことはちゃんと知らなかった。ホームレス状態から生活保護の申請をすると、管理が厳しく、狭い相部屋の劣悪な仮住まいに誘導され、いつまでたってもアパートに転宅できないというのだ。ここを読んでいる時、20年前に入院していた閉鎖病棟のことを強く思い出してしまった。そして「宿泊所」と「閉鎖病棟」とどっちがマシか、本気で考えていた。どっちが少しでも自由か、どっちが少しでも休めるかと。
 私は生きていく中で、路上生活が一番つらい環境だと思っていた。よく分からないけど、どんな施設でも雨風がしのげるだけマシだと、そう思いこんでいた。生活保護が通らなかった時の不安をおびえながらカウンセラーに相談した時、カウンセラーがきっぱりと「あなたを一人で道端に放り投げたりしない」と言ってくれた。この言葉が、当時を乗り切る一番の支えになっていた。何度も一人でこの言葉にすがった。でも・・・あるじゃん。もっと生き難い環境が。っていうか、私が生活していた閉鎖病棟だって、よくよく考えれば本当に路上生活よりマシだったのだろうか?
 私は、この部分だけは当時知らなくて助かったと思った。知っていたら、もっとパニックに陥っていたかもしれない。知らぬが仏だった。でも今は苦しくても知ることができた。というか、知ってしまった。
 自分の未来のためにも、私には何ができるかな。

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連載第3回「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田公子

○「壁」にぶつかり限界を受けとめること
 「当事者職員」として最もつらかったのは、時折利用者から「軽んじられている」「頼りなく思われている」と感じることだった(もちろんすべての利用者からではない)。また時には「こんなことを言ったら疲れさせてしまうのではないか、傷つけてしまうのではないか」といった善意の気づかいも、まっすぐには受けとれない気持が伴った。さらには「あの人は薬を飲んでいるから……」という声を耳にしたり、「久保田さんはうつだし、接すると気持が暗くなるから担当を変えてほしい」と言われたこともあり、何とも言いがたい気持ちになった。身をもって差別の体験をし、だからこそ一人の人間として見てほしいと願っているはずの利用者から逆にこのような差別のまなざしを受けたことは、つらく悲しい体験だった(これらのことは、社会的差別にさらされる人たちの多くがある時期抱えざるを得ない「内なる差別」の反映であると思うのだが)。そしてそれは、私にとって「精神障害者であること」に対しての初めての被差別体験だった。
だがこの体験は、今まで抱え続けてきた課題の答えを得るための大きな契機になった。20代に精神病院のケースワーカーとして働こうとした時からずっと考え続けてきた「患者さんの立場に立つ」こととは、「健常者」でありカギを持つ職員であり「専門職」と言われる者にとってどういうことなのか。また、「支援される側」からどう学び、平たい関係をもち、生き合えるのか‥‥。
私は社会に出てから不眠に悩むことが多くなり、知り合いの医師から眠剤を出してもらったり、作業所の職員を辞める1年位前からはエネルギーを使い果たして疲れきり、後から思えば「病んだ状態」にあった。しかし私は、一般的な意味で「患者」として医師に診てもらうことはなく、友人たちも極度の疲れとして受けとめてくれていた。だがこのように当事者と同じような「病んだ状態」を体験したとしても、通院・服薬する病者であることを自ら明らかにしたり、知られることによって周囲からの差別のまなざしを受ける体験をしない限り「当事者との壁」を壊すことには限界があるのだと思う。この「壁」にぶつかり、向き合い、限界を受けとめることから相手を尊重し、共感したり悩んだりしながらのかかわり、平たい関係での支援の一歩が始まるのではないだろうか。そして「距離をもつこと」は「巻き込まれないために」ではなく、人と人はそうたやすくは分かり合えないという限界(=壁)をわきまえ、相手を尊重し分かろうとするためにこそ必要なことだと思える。(今年上映された井筒監督の映画で、在日朝鮮人と日本人とが歴史的差別=「壁」をのりこえてŒq(‚‚È)繋がり合っていくありようを描いた「パッチギ」を観た方は、きっと同じ想いを抱くことだろう。私はこの映画を観て感動のあまり涙が止まらなかった。そして今まで考えてきたこととつながり、この文を書いてみようと思うきっかけにもなった。)
○当事者職員の立つ位置、いることの意味
 私はこれまでの仕事の中で「当事者主体」あるいは「当事者の立場に立った」かかわりや運営を手探りしながら考え実践してきたつもりである。しかし、医療・福祉の中で当事者は治療・援助・支援の「対象」としてしかみられない社会的・歴史的背景がある中で、また「健常者」であった私には限界があった。そして私の場合は、病いと被差別体験をすることでその「壁」を壊すことにつながった。だからといって誰もが病いを経験しなければならないということでは勿論ない。人は幸いに想像力をもっており、さらに人は社会の中で、その人を取り巻く状況の中で、また人や場との出会いの中で生きており、それらを通して相互に影響し合いながら変わっていく存在だと思うからである。
 さてある時、ピアサポートセンター設立に当たっての文書の中で、加藤真規子氏が『「当事者主体」と言っても、これまでは、健常者の手中の範囲内のものでしかなかった』という主旨を書いているのが目にとまった。「なるほどそうだなあ」と考えさせられた。10年くらい前から当事者の力が注目され始め、従事者からまた行政の側からも「当事者主体」ということが言われてきた。そして「当事者活動の育成」ということも。これは、なんと自分たちの立場をはきちがえた言い方だろうか。今必要なのは、当事者の側から、当事者の視点をもって「当事者主体」の中身・支援のあり方を改めて見直し、作っていくことではないかと思う(私は自分の立場だったらどう感じるか、自分が利用したいと思えるような場であるかに、より敏感になった)。私は、当事者職員として、さらには精神保健福祉士という「資格」をもってしまった者としても考え続けていきたい。利用者からの問いかけや批判にも向き合うことを恐れずに。また、当事者の中にもある社会的差別を自らの内に取り込んでしまったがゆえの当事者職員への差別や専門家に頼る傾向、『「健常者職員」はいつも元気なはず』という思い込みもある中で「健常者職員」とも一緒に考えていきたいと思う(現在の職場では、「当事者職員からの監視」と受けとめられてしまうのが残念でならない)。
 ところで、昨年私はピアヘルパーが活躍している大阪のある生活支援センターを見学する機会があった。そこでは、ピア(対等・仲間)としての意味や役割が整理されており、「当事者職員」がいることの意味を職員間で共有できない状況に悩んでいた私としては、うらやましく感じられた。しかし同時に何か言語化できない違和感のようなものも感じていた。それがどこからくるものなのか、頂いてきた資料やそのセンターのピアヘルパーの活動について紹介しているある冊子を読みながら考えてみた。それによるとピアヘルパーをまず「病いを体験したことが最大限に活かされることに特徴がある」とし、「ピア同士が相互にエンパワメントするもの」と位置づけている。その上で既存のヘルパーの足りない所(対等性、ケア内容や場所・時間などの柔軟性)を「補完するもの」として、また「専門職の支援をより効果的に活かす」ものとしてとらえている。では、ピアヘルパーの方たちはどうかというと、「病気や障害にばかり目がいきがちですが、ピアヘルパーは、本人の個性や持ち味を伸ばすことも大切にしていますね。だから研修でも、精神障害や精神疾患の理解の前に、人間理解ということを学びました」、「専門職の人は、あたりまえに専門用語を使うんですけど、当事者にとってはわからない言葉があるんですね。だから、当事者がわかる言葉で説明しなおしたり、(中略)こんな支援も必要ですよね」と述べている。これらのことばは、「ピアヘルパーとして」というよりもむしろ「専門職」と言われる人たちにこそ学び、考えてほしいことでもある。実際、ピアヘルパーの特徴の一つとして「既存のホームヘルプサービスを、検証、補填、是正、改革するものであること」があげられているのだが、この「検証」「改革」という役割があまり視えてこないように感じるのである(限られた時間の見学、紙面の中でではあるが)。
 私が抱いた違和感は、専門職による支援とピアによる支援が「役割分担」として整理され、さらには上記のように「専門職の支援をより効果的に活かす」ものとして位置づけられていること、また、コーディネーター(おそらくはいつも「健常者」「専門職」を想定している)の重要性として「ピアヘルパーの支援」があげられていることからくるものである。仮に「役割分担」という形があり得るとしても、「専門職」「健常者」と「当事者」のぶつかり合い・せめぎ合いがもっともっと必要だと思える。このピアヘルパーの活動は結局のところ、あくま
でも専門職が「仲間同士の生活支援の有効性を
実感」した中から生まれた「精神障害者のエンパワメントを目指した自立支援に関する事業」であり、そこからは「専門職」そのものを当事者の視点から見直すという姿勢はあまり感じられないように思えるのである。(つづく)

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精神障害者は障害年金査定でも差別?

全国「精神病」者集団会員 山本 真理

 先に障害年金と手帳の級に関するアンケートを「おりふれ通信」に同封していただいた。
 各地の仲間そして家族会の協力もあり、アンケートは722通集まった。匿名調査のためお一人お一人にご報告をする手段がないので、ここにご報告させていただく。さらに詳しい報告は長野英子のサイトの以下からダウンロードできる。
http://popup.tok2.com/home2/nagano2/gsmaterial.htm
任意抽出でもなく、コピーをして集めてくださった方も多く回収率も不明であるので統計的な分析は不可能であるが、たとえば以下のような声が自由記載に寄せられている。
・ 援助はそれだけ(年金)だから非常に困る。(2級から3級に落ちた)
・ 年金が少なく生活に困っています。今は両親が生きていて生活のよゆうがなく、遊ぶお金も少しは欲しい。
・ 私は今でさえ1種1級ですが、年々障害が進行していき不自由さが増しているのに、年金は全く増加しませんから困っています。長生きすればするほど困る気がしている。遠まわしに死へ誘導されちゃってるのかもしれない。バカにされているのなら、やめてもらいたい。将来不安です。
・ 生保受給しているのですが、手帳が3級になり加算が全くなくなりました。生活していくのに不安を感じます。3級でも多少の加算がつけられないものでしょうか。

自立支援法案では強引に「応益負担」が唱えられているが、精神障害者の所得保障の実態はなんら明らかにされないままに、32条の撤廃や負担増が強行されようとしている。
しかし年金を受給している精神障害者のほとんどは定期的に級の審査を受けており、診断書提出のたびに不安から病状悪化を招くものもいる。ひとり暮らしをしているから1級のはずがないという指導がされる地域もある。1級の人に医療費無料の施策がとられたら、1級の人が級を下げられる、などという地域もある。級を切り下げられたための自殺者すら出ている。わたしたちは非常に不安定な年金収入に頼らざるを得ない。生活保護受給者の場合でも3級となってしまうと、障害加算が0となってしまう。障害者ではなくなるのだ。
級別の人数統計すらないので精神障害者の所得保障を論ずる基礎資料すらない。仮に「応益負担」を論ずるなら、基本的な所得保障の実態把握は最低限の条件である。
上記の声を持って国会議員に訴えご協力をいただいて、厚生労働省より精神の障害による障害年金受給者の級別人数と年次推移の統計を入手した。共済年金は厚生労働省にはなく国民年金と厚生年金の人数であり、精神の障害には知的障害と神経障害も入るので、より詳細な分析にはもう少し資料および時間が必要である。
しかし添付のグラフにみられるように、精神障害の場合に他障害に比べ障害程度が低く査定されている疑いがある。さらに厚生年金と国民年金による級別構成比は極端に違う。1級の構成比の年次推移によると財政状況に障害認定が左右されている疑いもある。
自立支援法案では原則すべてのサービス受給について障害程度の査定がされることになっている。そうなれば今現在サービスを受けている精神障害者も「手も足も動く、目も耳も大丈夫」という形でサービスを拒否されていくことは十分予想される。そして障害程度認定自体が財政状況に左右されていくこともありうる。審査の透明さとい
う掛け声もむなしい。
そもそも精神の障害とはなんなのか、それすら専門職間でも意見の一致を見ていないのが現状であり、私たちの困っていること=ニーズに耳を傾けられない実態は先に大田区の例を報告したとおりである。いま必要なのは名目だけの三障害統合ではなく、私たち「精神病」者本人を中心としたより詳細な研究と討論が必要であるのは言うまでもない。そして何より一人一人の障害者が声を上げられる、人権主張とそれを支えるサービスこそが求められている。

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People Say I’m Crazy を見て

陽和病院南4病棟  荒井 桂子

 昔小さいころ見たことがあるような映画自主上映でした。小さいころ、ある小さな映画を見ました。近所のお兄さんが映してくれた映画です。なつかしいオレンジ色の映画です。夕日みたいな、さみしいような映画です。アパートのせまい部屋で見ました。私たちくらいの年頃の子どもばかり、何人でしょうか、6~7人あつまって見ました。よくわからなかったけど、いい映画でした。私もその時何だろうな?と不思議に思いましたけど、オレンジ色がすごく心にのこりました。今でもあの夕日のようなオレンジ色が心にうかびます。さみしいような、悲しいような、ノスタルジックな映画でした。海の水の味みたいな感じがします。
 これからどうなるんでしょうね私たち、退院して。でも、世の中はどうなるんでしょう。するとあのお兄さんが映してくれたオレンジ色がうかぶんです。きっとなんとかなるよ、大丈夫だよって言ってくれるんです。やさしく、不安にはなりません。あの時見たオレンジ色があるからでしょうね。
 あの映画People Say I’m Crazyもいい映画でした。心がきれいな人の映画です。あの映画を見ると心があらわれるような気がします。何の欲もありません。ただ、笑って、怒ってそれだけです。ひとりぼっちはいやだ、そういっているんです。人はひとりぼっちでは生きてゆけません。だからきっと、病気になってしまうんでしょう。なかよくしましょうね、みんなね、ね、ね。さみしいのってやだもんね。

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連載第2回 「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田公子

○発病の頃
 私は、8年間働いてきた作業所を疲れ果てて辞めた。だから、退職したときの気持は、様々な葛藤・壁・重たさからいったん離れて解放感でいっぱいであった。趣味として長年続けてきた焼き物と織物(これらは私にとって、仕事に使われていくエネルギーを補う不可欠のものであり、仕事のエネルギーが多くなればなるほどこれらの趣味に使うエネルギーも多くなるといった具合で、全体としてみると自分がもつエネルギーの限界を越えてしまっていたのだが)、に集中できる喜びでいっぱいであった。学校にも通い始め、予定していた引越先も決まり、体の疲れは引きずっていたが日々嬉々として過ごしていた。だが数ヵ月後の引越の直後、その疲れもあってか、あるいは環境の変化も重なってか、私は体調をくずした。3週間も続く微熱、3分と立っていられないほどの異常なまでの疲れ、リンパ腺のはれ等々で、ことさら暑かった夏の最中、2ヵ月間入浴することも出来ず殆ど寝たきりの生活を送った。その間内科などで診てもらったが何の異常も発見されず、また精神的な不安定さも感じていたため、私は心身医療科を受診した。そして身体症状に出るうつと診断され、私は「うつは心身の疲れですからね」ということばに納得し、安堵し(私は発病する1~2年前からキリキリし、イライラすることが多くなり、自分が情けなく、この分野での仕事をしていく自信もなくし、自分の性格さえも変わってしまったのか、と悩んでいた)、抗うつ薬を飲むことを了解した。実は、退職する少し前に、職場の友人たちから精神科受診・服薬をすすめられたが、私はその時抱えていた問題や心身の状態を、医者にかかって薬を飲むことで解決出来るようには全く思えなかった。それは、私がかつて劣悪な精神病院で働いていたことから、精神医寮・精神科医に不信感をもっていたからでもある。そして自分が「患者」となることへの抵抗感も残念ながらあったと言わざるを得ない。
 その後私は、紹介をうけてあるメンタルクリニックに通院してきたのだが、当初は特に薬が効いた。それも身体症状によく効いたことで、私は体と心のつながりを改めて強く感じた。こうして2ヵ月くらいで身体症状は楽になったが、今度は精神的なうつ症状(おっくう感、意欲が出ない、一人でいられない淋しさ、死んでしまいたい気持、家事が出来ない、今まで好きだった音楽も聴けない─不思議なことにライブという、人がいる場なら聴ける─等々)に悩まされることになった。そして、これまで患者さんやメンバーから「今うつなんだ」といったことばを幾度となく聞いてきた私だが、こんなにつらいものだということを初めて知った。と同時に、「自分はこんなに弱かったのだ」と気づき、誰もが弱さを持ち合わせており、誰もが病いになりうるのだということを実感した。

○「精神障害当事者」と書かれて
今の職場に就職して数ヵ月経った頃だったろうか、地域の社会資源等を紹介するガイドブックが出来上がった。早速自分の職場の紹介ページを見ていたら、職員数の箇所に「精神障害当事者O名」と書かれた文字が目に飛び込んできた。まぎれもなくその内の1名は私のことであった。私はギョッとし、そしてショックを受けた。「精神障害当事者」‥‥。
(医療の対象からようやく他の「障害」をもつ人たちと同じく福祉の対象としても考えていくという流れの中で「精神障害者」ということばがあたりまえのように、良いことのように使われているが、私は以前から違和感を持っていた。「身体障害者」「知的障害者」とともに、「精神障害者」も「精神分裂病」や「人格障害」「痴呆症」と同じく、人間としての尊厳を否定するかのような響きを持ったことばであるように思う。)
 私は発病して1年余り経ち、回復し始めた頃、病いをオープンにして働くことが出来、これまでの経験プラス病いの体験を生かして働けるという想いから、たまたま縁もあって今の職場を選んだつもりだった。「当事者主体」「障害種別を問わない」を理念として掲げる運営母体においては、「当事者職員」と「健常者職員」とにはっきり立場が分かれている。それゆえ運営側からすれば「精神障害当事者」と記すのも至極当然のことだったのだろう。だが私にとっては思いもよらぬことであり、「当事者職員」と呼ばれることさえも違和感があった。このことはNo.217にも書いており、悩んだ末の結論として『1年半経った現在、私の「当事者職員」としての立場は次第にあいまい化されているように感じられる。利用者からは「半分当事者だから」などと言われることもある。回復するにつれて当事者意識が希薄になってきているのも事実である。でもこのあいまいさが、私にとってはありのままの姿であるように感じている』と締めくくった。しかしやはり立場性がはっきり分かれている職場にあっては、どちらかの立場に立つのか否応なく決断を迫られた。しばらくまた悩んだ末、私ははっきりと「当事者職員」として働くことを選択した。まず病状の悪化も経験する中で、以前のようには、また他の「健常者職員」と同じようにバリバリ働くことは出来ないと思ったことが理由の一つ(少し話はそれるが、病状が悪化した際、一時的に通常通りの業務が出来なくなり周りに負担をかけたことがあったが、「健常者職員」から、身体の病気や「障害」をもつ人に対してとは、違った受けとめられ方をされたように感じた。そして当事者職員としての意見を言っても、「そのような時期があったにもかかわらず何を…」といった形の反発をかってしまう現状に悩んでいる)。さらに大きな理由として抑うつに至
った原因と密接に関係していると思われてならない医療・福祉の現場がもつとされる側との関係性の偏り・ゆがみ・あり方を、「当事者職員」という立場にこだわって掘り下げて考えてみようと思ったからである。

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献体登録したわけ

水村伊織

 お久し振りです。水村伊織です。4月で30歳になりました。発病して10年目を迎えます。今回は少し重い内容になるかもしれません。
 私はある病院で献体の登録をしました。でも死にたいわ訳ではありません。献体とは自殺、でき死、交通事故等では対象外で、天寿を全うした人のみが対象となります。なぜ献体しようと思ったのか?それは以前から考えていたことですが、私にはユニークなタイプの知的障害があり、私と同じ様な人も障害認定をしてもらいたいと思っているからです。そのためには○○病または○○症候群という病名を発見してもらいたいからです。今まで生きてきて人の役に立つことをしていないし、反社会的行為を繰
り返してきたので、もし死んだらその時に
社会貢献をしてプラス・マイナスゼロで天国に行きたいとも考えているのです。
 話は変わりますが、今、週2回知的障害のある人の施設に通っています。吸引が必要な人や、鼻から胃にチューブを入れている人、ミキサー食の人、刻み食の人、車椅子に乗っている人、ストレッチャーに乗っている人、お話できる人・・様々ですが、みんな一生懸命に生きています。そこには看護婦さんが常勤しており、その人と話しをしていると、親の気持ちというものが少しは理解できて、親を責める気持ちがほとんど消えていきました。私の状態が悪かったときの話を聞くと感謝が出来るまでになりました。時が経ち歳を重ねるにつれ替わっていくものでしょう・・・。精神障害1級という現実は変わらないけれど。

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書評『自分らしく街で暮らす』ー当事者(わたしたち)のやり方(オリジナル「 PACE 」ローリー・アハーン、ダニエル・フィッシャー 斉藤・村上訳)

精神医療ユーザー 七瀬タロー

 多くの精神病者は、初めて、精神科病院やクリニックを、訪れた際、内心かなり強い「抵抗感」があったはずだ。自分から、受診した場合、周りから勧められた場合はもちろんのこと、まして(半)強制的につれていかれた場合など、「肉体的抵抗」をされた当事者さえ多いことと思う。
 そして、とりあえず、医師の質問に答える形で「症状」を話す 。病名はしばしば「告知」されず、薬の処方箋を渡され、それを、飲むように指示される。そして、2週間に一度の診察で、決まりきった質問(食欲はありますか、良く眠れますか、何か変わったことはないですか等々)を受け、症状(例 いらいらする 、不安がある)を、訴えると、新しい薬が、新たに処方され、調子が良いですと答えると、じゃあ徐々にお薬を減らしていきましょう、というのがほとんどのパターンだと思う。
 いわゆる、「精神病」に関する、「医療/リハビリテーションモデル」は、「精神病」を基本的に脳の科学的不均衡と捉え、薬と専門家の提供するケアを一生受け続けることによって、時に永久的に「精神病」から、「回復」しないものとみなされ、「精神病」のレッテルをはられた自分自身もその診断と指示に従わざるを得ないとされてきた。
 さて本著では、「精神病」に関する、エンパワメントモデルが、提示されている。P.21の対比にあるように、「あなたは精神病にかかっている」のではなく「コミュニティで生活しづらい深刻な感情的苦痛を経験している」のであり、その苦痛は「喪失、心的外傷、及び支援の欠如によるもの」だとされる。必要なのは専門家より信頼出来る仲間や友人のサポートであり、本人中心の自発的な自己によるコントロール、回復のペースの進め方、服薬に関しても、自分で選んでセルフ・マネージメントの技術を獲得し、深刻な感情的苦痛から「回復」するための、助けになる、手段といちづけられている。
 セルフ・マネージドケア(自己管理ケア)という概念は、本著のキーとなる概念であり、「回復」のための技術として、具体的に述べられている。
 まず、感情のレベルで人とかかわることの重要さが、不快な気持ちを表現することも含め、本著では非常に強調される。「世間では、『唇を噛んで』耐えなさい。感情、特に悲しみ怒り、恐怖を表に出してはいけないと言われてきた。これらの感情を表現できることは、回復に不可欠である。」

 私は、作業所と病院(デイケア)と家のいわば「三角形」の間を、往復している精神病者が、不必要なほど、「笑顔」を浮かべているケースによく遭遇する。精神障害者の「役割演技」をさせられているのではないか、と思うこともしばしばである。最近の感情に関する社会学的、歴史学的研究(「感情社会学」「感情の社会史研究」)によっても、感情自体が、社会的・歴史的な産物でもあることが、論証されているが、感情を表現すること、感情レベルで人とかかわることが、重要であるという主張は、「あなたはコミュニティで生活しづらい深刻な感情的苦痛を経験している」という、本著での「精神病」理解から みても、「回復」のうえで、極めて重要だと思われる。なお最近流行のSST等には、このような観点は、ほとんど欠けているようにおもわれるが、専門家の方のご意見はいかがなものであろうか?

 セルフマネージドケアには、具体的なテクニックとして、縫い物や書き物、絵を描くといった気分を良くすることの発見、瞑想 、体、ヨガ、鍼、栄養といった、ホーリスティックヘルスの採用等もあげられている。また、よくなるためには困難や「回復」に関して部分的であっても自分で責任を取ることが重要だともされる。
 またその一方で自分を許すことも、同時に強調される 。そして責任を果たすことに伴う潜在的な危険は、問題に関して自分自身を非難しすぎることであり、これは、自己懲罰につながりやすい。本著は、「失敗も繰り返しながら、学んで成長していく」という「自立」の考え方と、同様の発想の「回復」観にたっている。その上では、自分に少し寛大になること、あなたを許してくれる友達がいれば、より容易に自分を許すことが出来る、とある。そして心から安心し信頼出来る人、体験を分かち合える人、そして人間的な人の存在が「回復」にとって、何よりも重要だと本著では主張されている。そして、またユーモアは重要なファクターであり、ある人は自分のケア提供者について「彼と会うと私は笑いっぱなしだった。彼がいると笑えた」。そしてインタビューされた人の大半は、専門家的なよそよそしさは「回復」への妨げであると述べている。

 最後に、私が、若干気になった点を二~三述べてみたい。
まず「精神病」理解、そしてそれにもとづく「回復」概念が、通常の精神医学とはかなり異なっている。その点を考慮せずに、この本を読んだ各種「専門家」が何かのヒントを得ること自体は良いことだと思うが、「自分で自分の『回復プラン』を立てなさい」等と言い出したら、これは本末転倒であろう。
 基本的には、ピアサポート、自助グループの方々が参考にすべき本だと思う。またこの「回復」概念が成立するには、各種社会的・経済的サポートも、当然必要とされる。しかるに、昨今の情勢を考えると、様々な困難も当然予想される。また特に「回復」の概念を、かなり慎重に理解しないと、「回復」の強迫神経症になりかねないとも思う。
入手方法・連絡先
080-1036-3685(平日13時~16時)
E-mail : rac0207@yahoo.co.jp (出来ればメールでお問い合わせをとのこと)

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投稿 障害者自立支援法についての声明文

呼びかけ人 統合失調症当事者 佐野卓志(ルーテル作業センタームゲン)

1.今回の法案は国が福祉の責任を放棄して、税金の再分配から、自己負担の保険で福祉をすまそうとするものです。福祉は生活保護だけにしたいようです。障害者はみんな貧乏で、貯金がないのです。ここが老人と全く違います。だから、介護保険との統合は前提で無理なのです。それに障害者の場合は老人と違って、親(介護者)の方が先に亡くなりますから、介護保険では、親亡き後の心配がつきまといます。この法案は本人の自己負担を増やして、本人が払えないなら家族が払えと言っています。これの何処が「自立支援」なのでしょう?障害をもったことは本人の責任ではありません。普通の人のスタートラインまで引き上げることが果たしてサービスでしょうか?
2.特に32条公費負担の廃止削減は問題です。うつ病、神経症など公費負担からはずされた人が、精神科から足が遠のき、自殺が増えると思います。厚生労働省は自殺が増えてだれが責任をとるのでしょう?また所得証明を確認する手続きの煩雑さを1年ごとに障害者に強いることは、ますます公費負担の敷居が高くなるでしょう。精神障害者全般にわたる唯一の福祉の役割を担ってきた32条の根本的破壊です。
3.住む場所(グループホームなど)の障害の重さ別の分類も問題です。病者は特に居場所が大切です。今症状の落ち着いてる環境から切り離して分類して、遠くの新しい環境に住むよう強制するのは症状の悪化を招くだけです。定員を増やすことも地域から隔離されたミニ施設になり、ホームヘルパーもガイドヘルパーも使えません。そして判定による引っ越しの強制は憲法の生活権の侵害です。
4.作業所も国の補助金が切られます。自治体が資金不足を理由に右にならえをしたらどうするつもりでしょうか?少なすぎる社会資源を増やして、72000人の社会的入院の解消する時なのに、これ以上、貴重な社会資源である作業所を圧迫してどうするつもりなのでしょうか?
 授産施設も下手すると利用者の賃金より利用料のほうが高くなって、金を払って働かないといけなくなる可能性があります。これが仕事と言えるのでしょうか?
5.3障害の法的統合に反対するものではありませんが、3障害の違いや介護、サポートの必要度の議論を積み重ねた上で、障害の特色を生かした統合、細やかな配慮の行き届いた統合がなされるべきで、今のような拙速な統合は混乱を招くだけだと考えます。当事者を含めた議論を時間をかけて十分に尽くすべきで、決して急ぐことの無いよう要求します。
6.この法案には反対です。成立するようなら、年金改革で障害年金を上げることを要求します。そうでなければ、障害者は生活していけません(以上編集部要約)
 4月29日この声明文(賛同者は障害者75名、健常者112名)を送付し終わりました。厚生労働省には内容証明郵便で送り、関係の国会議員にはエラーにならなかった67名にメールとファックスで送りました。

 5月13日障害者自立支援法ができたらどうなるか?という学習会が松山でありました。工賃より高い1割負担を払って、作業所に働きに来てくれとは、とてもメンバーに説明出来ない。第一1割負担より多い給料をとろうと思えば、メンバーは必死に働いて、次々に再発していくことは目にみえています。それに僕は同じ病気でありながら、スタッフだから、メンバーの上前をはねた1割負担を給料としてもらうことになります。そんなことは、そんな金は絶対に受け取れません。みんな再発か負担金を払って働くばかばかしさで来なくなって閉じこもっていくでしょう。
 先行き不安で押しつぶされそうです。頓服の量も限界です。睡眠薬も沢山飲んで眠りました。それでも調子は落ちたままです。昨日も自殺を考えましたので、採決されたあかつきには自殺をするかもしれません。
 作業所指導員会でも他の作業所のみんなも頭をかかえていました。いったいこの法案でどれほどの作業所が潰れるのでしょうか?うちの作業所も生き延びる道を探るとは思いますが、メンバーが自由に溜まれる、癒しの空間という機能がなくなるようであれば、潔く作業所を閉じようと思っています。(5月14日記)
 何もする気がおこりません。うつ気分が続いています。(5月15日記)
 作業所がNPOになれば、メンバーの誰が来てどんなことをして、という細かい把握が必要で、メンバー一人ひとりの1日ごとの個別給付の請求額を計算する専門の事務をする人が必要になります。金をはらって働きにいくということで、大幅なメンバーの減少により、指導員を減らすことが予想される中で、そんな余裕がどこにあるのでしょうか?いままで通りの包括払いではいけないのでしょうか?(5月16日記)
 今日診察がありました。先生はいともあっさりと言いました。政府の腹は自然発生的な作業所をぶっつぶすことだと。そして介護保険と統合して金のある業者に施設をつくらせ、純然たるサービス業にすることだ。福祉だと思うから悩み込むんだ。な~んだ、そうだったのか。深く納得してしまいました。メンバー30名近くをかかえる作業所を失うことが僕は怖かったのです。それでこの「福祉ぶっつぶし法案」に必死で反対した。それで死にたくなった。潰すのが政府の腹なら潰れるしかないじゃないか。たとえ建物は潰れても政府にも介入できないメンバーの絆があるじゃないか。原点に戻って患者会になればいい。ただ、採決の日を「福祉が死んだ日」として記憶にとどめたいと思います。(5月17日記)

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絶望的な「真実」とそして希望に溢れた「真実」と・・・『日米精神保健秀作ドキュメンタリー上映会in練馬』開催迫る

①People Say I'm Crazy(2003.米国 84分)
②ようこそべてるの家へ(1955.60分)

日時:2005年5月30日(月) 18時~21時(17時30分開場)
会場:ゆめりあホール(西武池袋線大泉学園駅北口前、銀行左手入り6階)
費用:500円 
チケットは振り替えで(5月20日まで)/当日券もあり
郵便振替口座:秀作ドキュメンタリー上映会in練馬 口座番号00180-7-314328
主催:『同上映会』実行委員会 連絡先tel/fax0422(42)3276岡本

紹介①「病者」自身が記録し続けた10余年の“病苦・絶望・彷徨、そして微光”。100%作りものの“ハリウッド製精神ネタ”が隠しまくってきた、ネオリベラリズムと「ブッシュの戦争」下の医療・福祉の惨状が、数千時間を凝集(編集)した84分間に満ちている!②さて「べてる」・・・ 「年商一億円」「年間訪問者2,500人」、過疎の町浦河のメインストリートを闊歩し、昆布と病気を元手に稼ぎまくる「べてる」の何がそんなにすごいのか◎三度のメシよりミーティング ●無反省で行こう ○公私混同大歓迎 ◎諦めが肝腎●リハビリなんて辞めた ○べてるは降りていく。今日も明日も降りていくÝそれで順調!!創立25年。ご存知「ドタバタ妄想幻聴大講演会」で全国を沸かせている面々とは?

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投稿・グランドデザイン(案)先取り実態の大田区で暮らして

全国「精神病」者集団会員 長野英子
 今厚生労働省は、グランドデザイン(案)というものを出し、三障害統一の「障害者自立支援給付法」(仮称)なる法案を準備し、障害者の地域での暮らしを破壊しようとしている。この流れは、国家は治安と防衛以外何もしない、分配をしないという宣言であり、いずれは改憲、生活保護も名称を「自立支援法」とでも名称をかえ、一切の福祉から国家が撤退するという方向への一里塚である。
 2002年11月に大田区に転居して23年ぶりの1人暮らしをはじめた。23年間家族による介護によって暮らしていたわたしは何もかもに途方にくれていた。引越し荷物の整理ができず困り果てて、主治医を決めるより何より即精神障害者ホームヘルプサービスを申し込んだ。窓口の保健師さんは家庭訪問を受けた。わたしは引越し荷物の片づけを手伝ってほしいと訴え、できれば荷物片付けのためにある程度まとまった時間の派遣を一定期間してほしいと要請した。ところが保健師さんいわく、「精神障害者というのは人と長時間いると疲れるから、せいぜい1度に1時間、まあはじめは30分」。さらに患者会の荷物については、ヘルパーは手伝えないとも説明していった。私は、これは患者会の荷物これは私物などと分けられるものではなく、すべてが私の生活であると主張したし、少なくとも私物と判断されたものについては片づけを手伝ってもらえると信じ込んでいた。
ところがようよう、2003年3月から月4回1回1時間の派遣が決められ、それでもなお片づけを手伝ってほしいといい続けていたが、7月になって何の理由の説明もなく月3回1回1時間に減らされた。私は行政不服審査法に基づき異議申し立てができると確認した上(後にこれは誤りと判明)で異議申し立てをし、同時に担当の課長にも質問状を送り、課長の回答文書で、そもそもヘルパー制度では引越し荷物の片付けはしないことになっているという事実を知った。
 わたしは2003年の2月に相談に行って以来8ヶ月間まったく情報を理解できないままで、ひたすら期待をし続け、放置され続けたのだ。最初の相談以来、ヘルパー制度で、何ができて何ができないかの説明すらなかった。
わたしは現在週1回1.5時間の支給を受けているものの、2つある部屋のうち1部屋は事務所と認定され、寝室と台所のみの掃除、というヘルパー派遣であり、いまだに片付かない荷物のために、衣替えもできずに風邪をひくという生活を送っており、ヘルパーをめぐる行政の対応、モニター訪問による消耗も重なって1昨年2回、昨年1回の入院もしている。
ともかく「困って相談に来た障害者」をいかに水際で追い返し、支給を始めたらモニター訪問で消耗させて、いかに支給を辞退させるか、という対応といわざるを得ない。入院が決まっていると告げているのに、早朝アポイントなしの訪問ということまでするのが大田区のやり方である。過剰な期待を持たせないこと、安全保障観の確保こそ支援の大前提と考えるが、その前提を踏みにじっては支援とはもはやいえない。その上で希望者が少ない、ニーズがないというのが大田区である。
私たち抜きで私たちのことを決めて始まったヘルパー制度のそもそもの欠陥であり、さらに権利主張をささえるサービスのないことが重大な欠陥である。わたしの入院費に比べれば、わたしのささやかなヘルパー派遣要求のほうがはるかに安上がりのはずである。
 身体障害者の場合も、2004年度から「大田区居宅介護支援費(移動介護)の支給決定に関する要綱」で移動介護は一律上限32時間(1日約1時間)を上限とするとした。これに対しこれまで124時間の移動介護を受けていた鈴木敬治さんが異議申し立て、区に対して決定見直しと要綱の上限規定撤廃をもとめる署名運動をしている。この一方的支給削減につき、「32時間に同意しろ、同意しなければ0にする」と保健師が脅迫して回っている。さらに斉藤保健師は「最近の若い女はひどい、だから障害者がどんどん生まれる。24時間介護保障などできるはずはない」とまで発言している。 グランドデザインどおりになって、すべてのサービス受給について障害認定がされるようになるとのことだが、まず追い返せ、削れ、という対応の大田区のやり方が、全国化することは間違いないし、すでに身体障害者については都内のいくつかの市・区で大田区同様の対応が始まっている。鈴木敬治さんの呼びかけている、同封の要綱撤廃の署名へご協力を訴える。
大田区の移動介護一律制限撤廃署名についてくわしくは、
http://popup.tok2.com/home2/nagano2/0412suzuki.htm

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大阪ピアサポートグループ訪問記

<編集部から>東京でピアサポートに関わる当事者達が研修旅行で大阪のピアサポートグループを訪問し、訪問記を寄せてくれました。

「すいすい」とピアサポート
 11月18~19日に大阪研修旅行で、NPO精神障害者地域生活支援センター「すいすい」に行きました。そこでピアサポートに関するお話を聴かせていただきました。「すいすい」の名前の由来は、水 すなわち生命の根源・源源(すいすい)からきているそうです。階段をあがりいくつかの部屋の前の廊下を通り、奥の広めの会議室に案内してもらい、名刺交換をしたあと理事の芦田さんからピアヘルパーの育成状況など諸々お話がありました。その後実際にピアサポーターとして仕事をなさっている当事者のHさんとSさんの体験談を聞かせていただきました。お二人の誠意のこもった話には思わず引き込まれていきましたが、退院したいけど不安がいっぱいでなかなか退院できない患者さんにとって同じようなつらい体験をしてきた当事者の退院促進活動は真の励ましになると感じました。ただ社会的入院をされている患者さんを外に連れ出すことは簡単ではないようで、少しずつ少しずつ時間をかけてその方と仲良くなっていくようです。同席していた私の仲間の人が、自分に自信が持てなくて不安な気持ちをSさんに訴えかけていました。Sさんは「そんなん私だって不安はあるう(中略)患者さんと私は障害の種類は違うけど辛いんはいっしょ。そこで共感できるん。めいっぱいやわ」と話されていました。また「私にもできる 前進している」と歓喜のことばも聞くことができました。一生懸命に話されるSさんに私はとても好感がもてました。「そうや これがピアやわ!」と私まで大阪弁になってしまいましたが、その後の交流会ではおいしい551の豚まんと東京のたこ焼きとはひと味ちがう大阪のたこ焼きをおいしくいただきました。すいすいの皆さん、ごちそうさまでした。そしてこれからもがんばられることを期待しています。            さとりん

大阪研修の感想          ピアサポートグループりらく立川・神山久
まず最初に行ったのは、玉造駅のそばにある「すいすい」という地域生活支援センターだった。この施設は、ピアヘルパー事業のために三菱財団から350万円の助成金を受けて、それを有効に使っているとのことだった。僕達もこのように様々な財団から助成金を受け取ることができたらいいのにと思ったが、やはりお金がないから最低限の人を集めるのもままならない状態だ。ひと通りお話を聞いた後、豚まんとたこ焼をごちそうになった。とてもおいしかった。
翌日行った阪急の池田駅にある「咲笑(さくら)」という地域生活支援センターでは、長期入院していたある利用者が、保証人である妹さんから「退院するな」と言われてしょげていたところ、大阪市の退院促進事業の対象に選ばれ、所長さんに何度も訪問してもらって1ヵ月後には晴れて退院できたという素晴らしい話を聞き、感動した。やっぱり、僕達よりも進んだところがあると、いい勉強になった。
それに、その日出してくれたコーヒーとうどんは安いし美味しいし、とても素晴らしかった。以上食い倒れの大阪旅行だった。

大阪で感じたこと考えたこと
   地域生活支援センター当事者職員               久保田公子
 「すいすい」と「咲笑(さくら)」はどちらもピアヘルパーやピアサポーターが活躍しているところであり、その人たちの活動を知ることを主な目的とした。
<ピアヘルパーについて>
「すいすい」では、既存の2級ヘルパー養成講座とは別個の、「共感」と「ありのままの自分を活かせる」独自のカリキュラムを作っている。そしてピアヘルパーを「当事者性を生かしながら相互支援する中で相互にエンパワーメントする」ものとして位置づけ、有償=就労の一形態としている。なおかつ、ピアヘルパーの役割として2級ヘルパーで足りないところ(対等性、ケア内容や場所・時間などの柔軟性)の補完があげられていた。これらの活動に先立って、作業所・グループホーム・生活支援センターのスタッフに当事者同士の支援場面についてアンケートを行なったということも、他にない特色である。
またピアヘルパーの体験から学んだこととして①まず自分の健康管理、②金銭を介することで上下関係にならないように心がける、③病気の体験をしたことで相手のことが全て分かるわけではないことを自覚する等、いくつかあげられていたが、私がこの研修の中で最も印象に残り共感したのは③のことである。
私は、自分が当事者職員として働く意味を、自分の病いの経験を生かしたい、当事者になった立場から「健常者」であったときの自分の支援のあり方・関わり方を点検したい、と考えていた。そしてその前提には当事者でなければ分からないことがある、という思いがあったし、今もそう考えている。しかし、専門家が「専門家としての知識というフレーム」でのみ見て分かったようなつもりになることが間違いであるように、当事者が「自分の体験というフレーム」でのみ見て分かったつもりになるのもまた違うと思う。人は相手が自分とは違うということを前提にするからこそ共感したい、理解したいと努力できるのだし、自分の限界をわきまえることが相手を尊重することにつながるのだと、いまさらながら思う。

<ピアサポーターについて>
ピアサポーターは、大阪市退院促進事業の中で、入院者に地域の情報を提供して退院の不安を解消したり、退院者に寄り添いながら地域での生活をサポートするものとして位置づけられている。養成研修と主治医の推薦を受け、何よりも「自分のことをどれくらい知っているか」を条件に雇用され、雇用先は「すいすい」など数ヵ所の支援センターだったり、財団法人の精神障害者社会復帰促進協会(厚生省・大阪府の認可を受けて設立)であったり、二通りあるようである。
ピアサポーターの役割や効果の根底にあるのは、ピアヘルパーと同じく「共感」であるが、資料によれば、共感のむずかしさについても、①賃金が発生することでうらやましがられたり、嫌味を言われる、②経験から行なう支援なので自分自身の分からないことにぶつかったときに戸惑う、という上記に述べたピアヘルパーの体験からの学びにも通じるようなことがあげれている。さらに当事者が当事者であるピアサポーターからの支援を望まない、という声もあげられており考えさせられる。それは、「精神障害者」に対する社会の差別意識から私たち当事者自身も解き放たれていない現状があるからではないだろうか。
また、退院促進事業によって精神病院も変わってきたということだったが、時間がなく詳しいことは聞けなかった。この事業は長期入院者の退院促進が目的であることは言うまでもないが、そもそも長期入院者を生み出してきた大きな原因は、収容主義的で管理的・閉鎖的な日本の精神医療・病院にある。その反省の上に立って、当事者の力・ピアサポーターの力を活用すると同時に、病院内部の開放化にも取り組んでほしいと思う。私も一員である「ピアサポートグループ・りらく立川」の長期在院者退院促進のための訪問を積極的に受け入れていて、都内でも良いとされている病院でさえも閉鎖率の方が高く、閉鎖病棟内では一律の金銭管理(現金が持てない)がなされていることを知ってショックを受けた後だったこともあり、改めて考えさせられた。
全体的な感想としては、大阪においてはピアとしての意味や役割が整理されており、「すいすい」の運営母体である「ヒット」の理念でもある「当事者」と「健常者」の<協働>が成り立っているように感じた。また、活気はありながらもゆったりとした流れの中で運営がなされているように感じられた。
そして最後に、「健常者」も「当事者」もなく、慣れない大阪の町で時には右往左往しながらも共に研修旅行を終えられたことが嬉しい。

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ピアサポートグループ「りらく」による長期在院者への自立支援の活動の紹介

編集部 飯田文子

 東京都立川市に2002年10月「ピアサポートグループ・りらく立川」が誕生しました。
 「りらく」のメンバーは、活動の中で、支援があれば精神病院を退院できる社会的入院と言われる仲間達が多数存在することを知りました。そこで「りらく」として長期在院者への退院促進活動に取り組もうと決めました。
2003年4月から動き始めましたが都内には同じような活動をしているグループは無く、先進地である大阪府に研修に行きたくてもお金も無いで全くの手探り状態の出発でした。幸いにも東京都共同募金会の配分金を受けることで、交通費や会議費は捻出できました。  

どこから手を付けたのか・・・・
「りらく」メンバーを受け入れてくれそうな病院を選定しました。近くの病院で退院促進に力を入れている病院にターゲットを絞りました。八王子市の駒木野病院と東村山市の多摩あおば病院の2病院を選びました。病院のソーシャルワーカーなどを通じて自分たちの経験を話したりすることによって退院への支援をしたいことを申し入れました。

どんな活動をしたか
駒木野病院には、2001年1月から病院全体として退院支援委員会のプロジェクトがありそのプロジェクトとタイアップする形を取りました。毎月1回の駒木野病院通院者の集まり「ジョイトーク」に「りらく」のメンバーも参加することからはじめました。参加をしながら立川地域からの入院中の人をワーカーに紹介してもらい話しをしました。話しをする中で色々な動きはあったものの今のところ退院になった人はいません。2004年8月からは院内の退院のためのグループワークにも参加しています。
 多摩あおば病院では入院者全員に呼びかけた茶話会を毎月1回開催しています。茶話会出席者の中から「りらく」の勉強会に参加する人や具体的に退院の相談をワーカーにする人がでてきました。
実際に病院を訪問したり入院中の人と会うこと以外に勉強会の開催、地域での生活のイメージ作りのためのビデオの作成、他の人の意見を聞くための「長期在院者退院促進検討委員会」を開催しました。

これからの活動
活動を継続することが大切なので今後も2病院への月1回の訪問を続けます。その中で退院へ動き始めた人には一緒に外出する等の支援をする。
 他の病院へも活動を広めたいが今のところは人的にも資金的にも余裕がありません。

活動の報告集の発行
上記の活動を「精神障害者長期在院者へのピアによる自立支援調査研究事業報告書」にまとめました。部数に限りはありますがお求め希望の方は、東京都立川市柴崎町2-10-16オオノビル2F自立生活センター内「ピアサポートグループ・りらく立川」・FAX 042-521-3134君島まで連絡下さい。報告集は無料ですが送料は負担して下さい。

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トロント~働く精神障害者を訪ねる旅~

コンシューマー・サバイバー 君島潔

 去る9月13~15日、カナダオンタリオ州都トロントの、精神障害当事者が働く9つの事業所を訪ねる機会を得た。これら9つの事業所は、アメリカのファウンテンハウスをモデルとし所長を健常者が務める1カ所を除き、すべてスタッフはコンシューマー(精神保健福祉サービスの利用者だが、ただユーザーでなく物申す立場をとる)・サバイバー(精神医療システムからの生還者の意)のみで運営されていた。いくつかを具体的に紹介する。

○Ontario Peer Development Initiative(OPDI:オンタリオ・ピア開発事業)
 州政府が助成している団体を技術的にサポートしている当事者団体。申請のし方、助成金の使い方など困ったことがあれば、ここに相談できる。
 以前、ある当事者が州議会議員になった。彼は、コンシューマー・サバイバー達と広いつながりを持っていて、患者のために活動した。精神障害者も仕事はできるから、補助金を出してほしいと知事に進言した。1991年に資金のほしい団体を募ることになったら、150もの応募があった。このOPDIが調査元となり、最初は36の団体に州政府の助成金を分配した。今は60の事業所に、OPDIを通さず直接お金が行くシステムに変わっている。トロントは人口1,200万人と多いので当事者の事業が経済的に成り立つ。OPDIの運営方針は基本的には理事会が決める。以前は理事会メンバーはすべてコンシューマー・サバイバーだったが、現在は「すべてコンシューマー・サバイバー」とすることにはもう意味はない、人物本位ということで健常者も入っている。
 OPDIの人は、「私達は『作業所には行くな』と仲間どおしで声を掛け合っている。そこは自分たちの持っている能力を弱めると考えている」と語った。

○A-Way Express(エイ・ウェイ・エクスプレス)
 この事業所は18年前に設立された。設立者はもちろん当事者。説明をしてくれた現所長のメアリー・ルーカスさんは、理事会が出した広告に応募し、話し合いを重ねて選ばれた。所長は当事者でなければならないと決められている。
 A-Way ExpressはNPO法人で、仕事の内容は宅配便。重さ5キロ以下の小包と手紙を、公共の地下鉄、バスなどを使って配達する。働いているのは70人。配達する人50人と、事務20人。すべて当事者で、統合失調症とウツの人が多い。平均年齢は25歳くらいで、50~60歳の人もおり、仕事ができればOK。応募してきた人を人事課で面接して採用する。
 オンタリオ州から入る障害年金(トロントの場合、1ヶ月840カナダドル=1カナダドルは約88円なので約74,000円+住宅保障)は、161ドル以上稼ぐと削られ、少なく働くと加算されるとのこと。年金に頼らないでフルタイムで働くと、裕福ではないが十分な生活ができる。
 うまくいっているのは、働く場として休むことができ、再び戻ることができるのが大きな要因だという。ここの職場から普通の会社に移る人は時々いるが、戻ってくることもある。二つ仕事を持っている人もいる。ここはいつでも戻ってこられるので、ここにも籍をおいている。
 州政府からもらっている助成金は519,000カナダドル(約4,500万円)。州健康局は、この仕事をすることによって病気が良くなると見ている。

○Center for Addiction and Mental Health(CAMH:嗜癖精神保健センター)
 4つの州立病院が90年代に統合され、北米で一番大きい精神病院になった。この巨大な病院はコンシューマーであるダイアナ・カポーニさんを雇い、「クライエント雇用事業」を設けて、病院内でコンシューマーの仕事を開拓した。全職員2,700人のうち650人はコンシューマーだが、具体的には誰も知らない。プライベートな情報に関してはとても厳しい。しかしこの病院でも未だ差別的なことがあり、人々の意識を変えていかねばならない。
 ダイアナ・カポーニさんの上司に当たるローダ・ビーチャさん(CAMH人材組織開発部)によると、「クライエント雇用事業」は以前から考えていたもので実現できてとてもうれしい。コンシューマーの仕事は今のところパートタイム中心だが、これからはフルタイムの仕事を考えている。そのためにはトレーニングが必要だとダイアナ・カポーニさんが教えてくれ、その実施を考えている。ダイアナさんの給与は健常者と全く同じ額である。このような雇用はWHOに認められているので世界に広まるのではないかと考えている。
 実際の仕事場として院内にある、カフェレストラン(Out of This World Cafe)で昼食をとった。スタッフはすべてコンシューマー。あまりに量が多く残してしまい大変申し訳なく、もったいなく今思い返している。またNPO法人「エンパワメント協議会」も、スタッフはすべてコンシューマーのピア・アドボカシー機関である。病院からお金は出ているが、病院に対して患者の権利を通す仕事をしている。コンシューマーに対し薬などの教育もする。院内と地域のクライアントの関係を常に保つことも仕事である。

感想
 私自身は信じていたが、それが「確信」となったトロントの旅であった。精神の当事者だけでやっていける、この現実を見て私自身はとてもすっきりした。日本という国で同じようにやっていけるか?地下和紙の社会福祉施策評価事業のアンケートにおいても、潜在的に必要としている当事者がかなりいることがわかっている。そうでなくても現時点で精神の社会資源がほとんどないことを考えると、どのようにしたら実現できるか考えてみたいと思う。他人ごとでなく実務を責任もって担える当事者が5人いれば、実際にトロントと同じような事業が実現できると考えている。しかし制度的な問題がある。厚生労働省がこのような事業にお金を出すようになるためには、やはり現時点で、何らかの方法で、精神の当事者にお金を出してもできるんだというこ
とを示すことが必要だろう。現実にそれができるかどうか、とても難しい問題だろうと思う。

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年金と精神保健福祉手帳に関するアンケートのお願い

[編集部から]病者集団の山本真理さんから、以下のようなアンケートの協力依頼がありました。郵送の方にはアンケート用紙が同封してあります。

 ここ数年、全国「精神病」者集団窓口に、年金の級が下がって年金が減ってしまった。手帳の級が3級に下がってしまったので、生活保護の障害加算がなくなって生活が苦しい、などの訴えが目立つようになりました。生活保護と障害年金は私たちの最後の命綱ですので、見逃せない動きと考えております。2002年に年金と障害者手帳の診断書の書式の変更があり、その影響もあるのかもしれません。
 いったいどの程度の方が、級が下がって収入が減ってしまったのか、皆様のご体験をお聞きして、これだけの人間が収入が減って生活に苦労している、という事実を公にして訴えていく必要もあると考えております。
 アンケートは答えていただいた方が、どこのだれそれとわかってしまう内容はありません。また頂いたアンケート用紙をこのアンケートの目的以外に使用することもいたしません。集計結果は全国「精神病」者集団ニュース紙上その他でご報告いたします。
アンケートの締め切りは12月31日です。ご回答は郵送またはファックスでお送りください。全国「精神病」者集団窓口係 山本真理 〒210-8799川崎中央郵便局私書箱65号 絆社ニュース発行所気付 fax03-3738-8815 tel080-1036-3685(土日以外午後1時~4時)

質問1 現在障害年金を取っていますか? 
1.取っている→質問2へ 2. 取っていたが、最近の診断書提出の結果年金がもらえなくなった→質問3へ 3.取っていない→質問4へ

質問2 最近の診断書提出後に級は変わりましたか
1変わった→質問3 へ  2変わらなかった

質問3 どのように変わりましたか
1.1級から2級になった 2.2級から3級になった 3.2級から年金がもらえなくなった 
4.3級から年金がもらえなくなった 5.その他
(国民年金の障害年金は1級と2級のみですが、厚生年金と共済年金の場合は1級,2級,3級まであります。)

質問4 障害年金を取っていない方にうかがいます。精神保健福祉手帳を取っていますか
1.とっている→質問5へ  2.とっていない

質問5 最近の手帳の更新のとき精神保健福祉手帳の級は変わりましたか
1.変わった→質問6へ 2.変わらなかった

質問6 どのように変わりましたか 1.1級から2級になった 2.2級から3級になった
3.3級から手帳を取れなくなった 4. その他

ご協力ありがとうございました。障害年金と精神保健福祉手帳について、また級が下がってご苦労なさっておられるご体験など、ご意見がありましたら自由にお書きください

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投稿・作業所から

共同作業所Hot・Job利用者 大石正文

 私は非定型精神病である。アパートは東京の杉並区にあるのだが、今練馬区の共同作業所Hot・Jobに通所している。病院は練馬区のこころのクリニック石神井である。昨年か、陽和病院から別れて開設された。で、担当の先生は以前と変わらない。同じ先生で、もう担当になってから長く、私のことをすっかり分かっているので安心である。薬の出し方も良く、毎週の通院の時のインタビューで精神療法を兼ねたいろんな話をしてくれる。この先生が担当にならなければ、私は今のように比較的良い状態にならなかっただろう。
 Hot・Jobは、9年前にほっとすぺーす関町から別れる形で開所した。ほっとすぺーす関町は、故久良木幹雄さんがつくった作業所である。その前に久良木さんはほっとすぺーす練馬を開所していた。
 杉並西保健所デイケアに10年も通い、作業所をどうするかの段になった。杉並の作業所の話も出たが、私はイヤだと言った。すると、ほっとすぺーす関町開所の前日に、保健婦さんから関町の地図と一緒に案内が届いた。それでほっとすぺーす関町に通うことになったのだが、あの頃のことは懐かしい。所長だった、自身そううつ病の経験のある久良木さんの複合的で大きな人柄は、どこか慕いたくなるようなものだった。
 ほっとすぺーす関町にいた頃、私は調子が高くなると乱暴で過激なことを怒鳴ったりしていたが、今の担当の先生がそれを薬で治してしまった。それまでの先生は誰もそうしたことはしなかった。
 ほっとすぺーす関町では子供向け雑誌の付録の袋詰めとか、他の細かい手作業、カンつぶしなどをやった。午前中は班をつくって昼のための料理をつくった。それで昼ご飯はやすくて良いものが食べられた。
 「関町ニュース」という新聞のようなものも出していた。私も時々投稿したりした。その「関町ニュース」を発展させ、新聞発行や他の印刷のための作業所をつくろうということで、Hot・Jobがつくられた。 作業は、新聞Hot Timesの発行、それに名刺やビラの印刷を引き受けたりもする。他の作業所でニュースを出すのにHot・Jobに頼んだりすることもある。そうした時は、まずパソコンで打ち込み、編集をやる。パソコン勉強会も週2回ありボランティアが丁寧に教えてくれる。たいていの人はパソコンも大分上達している。私はワープロを少しやったが上達せず、パソコンは全くできない。しかし職員の人に無理にやらなくてもいいと言われている。
 私はHot・Jobに来て、初めてまともに近くなった。もう就労は無理だが、ずっとJobに通い続けようと思っている。何年か前私が入院した時、スタッフが見舞いに来てくれた。入院してもメンバーを見捨てない。退院し、作業所に戻って驚いたことがある。Hot・Jobの人達は、落ち着いていて穏やかな活力があり、実に具合がいいのである。精神科関係でもそれだけ良い悪いの状態の違いがある訳だが、具合の悪い人達でも、精神医学が発達してきており、薬もあるのだから、早く退院して作業所に通うなりの良い状態にすることができる筈である。要は、病院の医師のやる気の問題ではないか。
 就職して本当に社会復帰できる人は別だが、作業所は精神障害者の多くにとって、一種の理想社会と言うこともできる。ーマライゼーションということが言われて久しいが、その具体的有りようとして、作業所の果たすべき役割はますます大きなものになっていくと思う。

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「心身喪失者等医療観察法」成立、1年が過ぎて

七瀬 タロウ(精神医療ユーザー)

 2003年7月10日に、医療観察法が、衆議院で可決、成立して、丸1年が過ぎた。その後も、医療観察法をめぐる、ガイドラインの問題、社会復帰施設や小規模作業所の予算削減の問題、障老介護保険一本化の問題等、わたし達をめぐる様々な問題が生じた。
本稿では、今後、肯定的に捉えていけるような、歴史の大きな流れのようなもの、あるいは、筆者がそう感じたことを中心にまずは述べてみたいと思う。

 まず、私は昔のことはほとんど知らないのだが「精神障害者運動」内部での、風通しは、一時期よりずいぶん良くなったのではないかと思う。私は80年代に大学に入学したのだが、70年代に入学された方々、あるいはそれ以前の方々と「用語法」、「運動スタイル」のようなものに関して、若干違和感を感じることも、少なくなかった。わたしより、もっと若い世代の方など、違和感がさらに強いのかもしれないし、大学に進学されなかった方たちにとっては、一部「異星人の会話」のような面さえあったかもしれない。
 しかし、この間、いわゆる「地方」の方を含め、多くの当事者と直接顔あわせる機会がこの間大変多かった。私を含め、さらにもっと若い世代で、積極的に発言、表現する人が少しずつ増えてきたことは、率直な事実である。
 また、1年4ヶ月間の間の、幾度にも、わたる集会に、JDやDPIの方や元ハンセン氏病の方達、部落解放同盟の方々が足を運んでくださり、障害者運動、ハンセン氏病者「隔離・収容政策」問題、被差別部落問題といったものから、私たち自身学んだものは大変大きかった。
 現在「支援費・介護保険問題」の集まりに、「精神障害者」が、各種集会に参加し、また私たち自身もこの問題等での、学習会等で各種障害者の方と会う機会も相当ふえた。
 また原理的、理念的な議論(例えば「強制医療一般」の是非等)は、運動内部で、常にあったが、一方で理念を追求し他方で、現状から出発するという観点は一応共有されてきたように思う。また諸外国の先進的な事例も十分とはいえないまでもの間運動に徐々に吸収されてきた。
 むしろ、精神科医や社会復帰施設関係の人々のほうが、とりあえず「政府塩崎修正案」で「少しでも、現状がましになるのなら」と考えた、甘い期待感を日々裏切られているのが、実情ではないだろうか。
 現在、「介護保険」という、新しい制度に、甘い期待感を上記の方々は抱いているようだが、結局のところ、原理的、理念的な議論抜きに、なにがしかの「財源」がつけば、なにがどうなるという性質の問題ではない点に、精神障害者家族の団体や、精神障害者の全国組織といわれる団体も、いい加減気づいて欲しいと思う。
 なお、私が国際廃案要請行動のために、2003年2月のメルボルンでのWFMH(世界精神保健機構)の会議に持参した本は以下2冊です。
「火」以後 / 渓さゆり. 六法出版社,1994.8精神医療ユーザーのめざすもの/ メアリー・オーへイガン 解放出版社,1999.10

 後者から、一部引用しておきたい。
「わたしたちが自分の経験を自分の思想と結びつけられなかったり、自分の思想を自分の実践と結びつけらたられなかったら、もはや変革への強い力を持つことはできなくなります。それどころかわたしたちの運動は、自分たちの人間性を奪った体制の模倣をしてしまうことすらあります。運動は最初は過激で思想的にも強いのですが、成長すると穏健になり明確さを失っていく傾向がよくあります。成長し様々に変化するわたしたち自身の運動においても、基本的な問い掛けはかつてに比べると失われてきたようです。
 本書全体でわたしが勧めることはただ一つ、私たちがこの基本的な問い掛けに戻ることです。」(P.216-217)
これは、まさしく万人に当てはまる言葉ではないだろうか?
むろん各種「制度改革」は重要だろう。しかし、「革新」厚生労働省官僚に「過剰」な期待をかけたり、率直に言ってお金がいまだ落ち続ける仕組みの家族会や精神科医の組織の「代弁主義」に、いつまでも、しがみついていても仕方がない面も、現状、多々あると実際思う。

この1年4ヶ月で、「政治の世界」の力学は、自分なりに、痛いほどわかったとも思うが、「基本的な問い掛け」が、いまだ圧倒的な「力関係」の中で失われてしまわないよう自戒の言葉の意味も込めて、あえて長文を引用させて頂いた。
My Journey Begins(わたしの旅は始まる)〔上記M.オーへイガン引用書P.17より〕

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苦しみを力に

総持 真子(そうじ まこ)

 私が家族・学校・社会からの圧力を受けながら、自分ですら自分の味方になれなかったときを乗り越えて、今日まで生き長らえることが出来たのは、奇跡的なことだと思う。これまで自分を大切に出来なかった分、自分を労ってあげたいし、誉めてあげたい。それから、様々な形で私に影響を与え、手を差し伸べて下さった多くの人々、そして私の命を支え、成長させてくれた大自然に心から感謝したい。

 一方、それにしても私を取り巻く環境は依然厳しく、人目につかない劣悪な環境の中でサバイバルを続けている仲間も沢山いると思う。以前、トイレや食事をするのに人の手を借りなければならない体に障害を持った人々と一緒に仕事をする機会があった。その中で、自分達の体で感じた日常の不都合を周囲に伝えることで、ハ-ド面での社会環境をよりよい方向(バリアフリ-)へと導いて行ってる人々の生き様を目の当たりにすることが出来た。彼らは、人間一人一人が持っている無限の可能性を身をもって私に教えてくれた。

 私達にも、私達にしか出来ないことがきっとあるはずだ。今度は、社会の歪みを苦しみとして感じられる敏感な私達が、社会をより住み良い場として作り変えられる様、働きかけて行こう。一人一人が抱えている苦しみを、ただの苦しみで終わらせてはいけない。今私は、錬金術つまり卑金属(=苦しみ)を黄金(=力)に変える術、ピアカウンセリングを学びながら、それなりの手応えを感じとっている。

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支援ネット・病院訪問

通所授産施設「明和荘タイムス」 通所者 北岡 久

 長期入院問題への関心が高まっているようである。
 これに対応してというわけではないが、町田精神保健福祉支援ネットワーク(略称支援ネット)でも、この問題への取り組みを活動の重要な柱として行っている。支援ネットは町田市内の精神保健福祉関係の施設(授産施設、作業所)関係者および利用者によって構成されており、「町田」と付いているが、べつに市が運営しているわけではない。だが、市内の社会福祉協議会から助成金を受けているし(他の福祉財団からも助成金を受けている)、月1回の定例会には市役所の福祉課から出席があったりするし、正式発足の時には来賓として来て頂いた。また病院関係者とも直接的ではないが、協力関係を結んでいる。
 長期入院問題への具体的な取り組みとしては、まず、地域での生活を伝えるための小冊子製作。地域で暮らしている人達へのアンケート、生活していく際に必要な関係機関の一覧、場所を示した地図等で構成されている。アンケートの質問内容は「入院体験について」「退院時の不安や戸惑い、悩んだこと」「退院後の生活(金銭面について、病状について、地域の良いところ)」。施設利用者(作業所利用者)に対するアンケートなので、「施設の良い点、悪い点」「将来について」という内容である。入院者が読んだら気を悪くするだろうというものや、単に「ある」「ない」式の答えもあるのだが、当事者-支援ネットではこう言い表している-の率直な声だということで、そのまま載せている。詳しいことは、私は知らないが、編集の手を入れていないことがかえって高い関心を呼んでいるようである。希望者には販売もしている。
 第二は小冊子を持っての病院訪問。これは単なる配布ではなく、小冊子の紹介でもなく、もっと直接的に入院者と会って話をし、交流を持とうというものである。ここでもやはり当事者自身の口からということで考えがまとまっている。当事者の言葉として、入院時、退院時、現在の地域での生活-良いところや、悩みも含めて-を入院者に対して話してもらい、それによって病院以外の生活を知ってもらう。一病院につき当事者が4~5人、関係者が2~3人でチームを作る。既にシュミレーションを重ね、検討されたが、病院の悪口大会にならないように-入院者はそれを聞いて溜飲を下げるかもしれないが-配慮することや、できるだけ当事者中心にすることが確認された。病院側には快く協力してもらっている。この病院訪問の具体的な進め方であるが、当事者の話以外に支援ネット・小冊子の説明、作業所とはどのような場なのかという話等が予定されているが、明確に決まっているわけではない。私の考えでは、支援ネットや小冊子の説明は簡単に終えて、作業所やグループホームについても、やはり当事者の話として語ってもらった方がいいと思うが、その場の状況によるだろう。こればかりは回数を重ねなければわからない(作業所やグループホームをよく知らない人に説明するのは案外難しいのである)。
 2月10日に最初の病院訪問を終えた。場所は病院内の食事をしたり、テレビが置いてあったりする広いホールであった。看護部長、看護師長が同席していた。ケースワーカーが居なかったのは意外であった(居たかもしれないが、私には目につかなかった)出席者は17人、それ以外にホールに4~5人居た。訪問後の感想は、入院者の出席の数が多いと、こちらの話が全体に届いているか不安に感じる、ということである。こちらも10人居たのだが、向こうの数はずっと多く感じられた。それくらい距離を感じたということである。横長のテーブルに一列同士向かい合わせに座っていたのだが、端の方で近くの者同士、話が始まってしまい、何の話をしているのかよくわからないまま進んでしまうので、結局テーブルを二つに分ける格好で質疑応答などを進めなければならなかった(それでも「交流」できたといえば言えるのかもしれないが)。時間は一時間半ぐらいだったと思う。一病院に訪問を重ねていくことが計画されているので-病院側もそう希望していた-一回につき人数を絞り込んでいった方が「親密さ」-こんな言葉が適切かどうかわからないが-が出るのではないかという印象である。
病院訪問の時期は、いつ頃になるのかなかなかメドがたたなかったが、ここのところ相次いで予定していた病院の訪問の日程が決まってきた。病院側が積極的に協力している証だろう。後は、こちらの当事者の動きがどうなるかだが、現在のところは関係者側の後押しによるのだろうが、チームはできあがってきている(といってもまだ「予定」の段階だが)。振り返りをおこない、反省点をふまえながら、今後積み重ねていく考えである。まだまだ一歩を踏み出したばかりというところであろう。

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加藤みどりさんのお話

 今年年頭の座談会で「今年はより一層、他の障害のことも一緒のこととして考えていきたい」と話し合ったものの、その後大した努力もしないまま過ごしていました。
 編集部の今年からのメンバーである君島さんの紹介で、私のすぐご近所に住んでおられる加藤みどりさんのお話を聞く機会を得ました。私がにしの木クリニックで働くとともに、暮らしている東京都立川市は、障害者福祉が比較的充実していることで知られる街でもあります。加藤みどりさんはその立川で24時間介護を受けながら暮らし、在宅障害者の暮らしを守る会の中心メンバーでもある人です。
 
 加藤さんは山形県出身。17歳の時、突然2ヶ月もの間、原因不明の高熱におそわれ、意識が回復した時には寝たきり、失明の状態になってしまったそうです。17歳当時既にご両親は亡く、さぁ自分の人生独立独歩でどうやって生きていこうかと思った矢先の病気。意識が戻った時の病院での処遇はとても厳しいもので、身動きできない身に、看護師は「自分で起きて食事しなさい」。ベッドから転げ落ちていると「大丈夫?」との声かけはなく、「何でこんなことしてるの!?」。地獄だ、生きる希望を失い死にたいとばかり考えたといいます。視覚障害の寝たきりでは施設入所しかなく、重度心身の更生援護施設に入所。そこには脳性麻痺、脊損、知的障害との重複障害の人など、多様な障害の人がいて、でも皆明るく元気に感じられ、「私もやっぱり頑張らねば」と力を得たということです。一生懸命練習して寝たきりだったのが車いすに乗れるまでにはなった。しかし目標とした歩くことまでは進めなかったということでした。
 1970年代前半、施設では、入所者は隔離され、外出も保護者が迎えに来ないと不可。手元にもてる金銭は電話代の10円玉何十枚かに限られ、面会も立ち会い付き。夕食は午後4時。居室は6~8人部屋でプライバシーは全くなし。この辺りは精神病院の話かと思うほどです。何よりも耐えられなかったのは二十歳前の女性にとって男性の指導員に入浴介助されることで、同世代のもう一人の女性とともに異性介護の入浴はボイコットすると園長に交渉し、ようやく寮母のみの入浴介護になった。しかしこういうことを勝ち取る一方で、施設とはこういうものでしかないという思い、ここでは個人が認められ生きていくことは不可能との思いが強まり、地域生活を志したとのこと。園長に「地域で暮らしたい」と言ったところ、「あなたが外へ出ることは社会の迷惑だし、あなた自身がみじめになることだ」と言われたことが「絶対出る」との原動力になったとのことでした。福祉事務所は出たいというのならしかたないと言ったものの、施設側は介護のボランティアを毎日24時間確保できないなら退所は認められないと言った由。施設の外の人に相談しないことには埒があかないと思い、手話サークルの指導にきていた人に相談し、ボランティアを募集したが、「なぜ待遇のいい施設を出たいのか」という反応が多く、候補者は2~3人しか集まらなかった。その場は名前をかき集めてやり過ごし、でも後に、外へ出てからの方がボランティアは集めやすいと悟ったという話しもなるほどと思いました。
 こうしてすったもんだの末、施設入所から3年半、出ることを決めてから1年を経て、外へ出ると、「目が見えないと火が危ない」となかなかアパートが借りられない。やっと借りられたアパートはかまど馬(こおろぎの一種?)がぴょんぴょんはねるジメジメした部屋で、早く引っ越したくてたまらなかったということです。当時「全国公的介護保障要求者組合」という運動体があり、生活保護法の厚生大臣基準の他人介護加算要求の運動をしていました。その運動に山形から参加。新田さんという都立府中療育センターから地域に出た人が、東京都北区で初めて勝ち取ったことを皮切りに、東京都内では何人かの人が他人介護加算を得、加藤さんも米沢市に対してビラまき、押しかけなどあらゆる要求手段を駆使して、ようやく5年後に、当時月額54,000円の加算を手にすることができた由。ホッと一息ついてもこの金額では1日やっと4時間の介護分にしかならず、新聞配達をして生活を支えながら専従介護を担ってくれた人との出会いがありながらも、残る時間はやはり自分でボランティアを集めるしかないわけです。ボランティアは当然自分の都合のいい時しか協力してくれず責任のないもので、介護者の手配できない時間が続くと家族にも負担がかかり、追いつめられて一家心中にもなりかねない心理状態になる…と淡々と話されることに、自分の想像が及ばないものを感じました。しかもその中で子育て。ミルクを溶かすお湯の分量がわからないので、つくってもらって保温しておいたら保健所の人が来て、「つくりおきは雑菌が繁殖するからしてはいけない」と指導されたという話には、同じ子を持つ親としては泣きたい気持ちになり、従事者の画一的指導ということでは襟をただす感がします。そういうことの一方、障害者の在宅保障の会をつくり、住宅改造の問題や、ボランティア確保に不可欠な福祉電話を市に要求し1年後に認可された時は、障害者運動は自分のためでもあるが、それだけじゃなくすべての障害者のためのものだと確信したということでした。
 しかし8年前、東京の仲間に誘われ、当時中学生だった娘さんの「お母さん、米沢では限界だよ」という言葉に促されて、24時間介護保障のある東京立川市に移ることになりました。24時間保障があっても、介護とは給料分を機械的にこなすことでは済まされない仕事、時間をかけてお互い相手のことがわかるようになっていく関係性が大切という言葉に、今はやりのシステム化・機能分化などの落とし穴をつくづく感じます。従事者の側がそれを強調することは抱え込みやパターナリズムである危険もはらみます。しかし加藤さんは今年4月の支援費制度導入に当たって、生活保護法では他法優先のため、24時間介護が支援費制度で保障される立川市では、支援費優先となって事業所から2級ヘルパーが派遣されてくることになり、無資格でも自分の気のあった介護者を頼める他人介護加算は不適用とされるという事態に猛反対。「あんなに苦労して、自分たちの求める制度として他人介護加算を勝ち取ったのにおかしい!」とあくまでも他人介護加算の継続を要求。この間、支援費での週3日の泊まり介護を受けないで我慢し、市と再三交渉して半年かけてやっと認めさせた。納得できないことはあきらめないでやってみることが大切、あきらめると後悔になるからとのことでした。この信念と、関係性が大事、知的障害、精神障害、荒れる子供など教育の問題…など物事ってつながってる。出発点が違っても目的は同じ。いろんな問題すべてには関われないが、おかしいことはおかしいって言っていかないと世の中変えられないという基本姿勢が、繰り返し語られたことでした。
 今年1月の介護派遣時間上限撤廃闘争も、君島さんが1月の「おりふれ」で「インフルエンザにかかっているかもしれない重度障害者の女性が命を賭けて抗議集会に参加しようとしている」と書いたのが実は加藤さんのことでした。撤廃させなければ立川の24時間介護保障が後退するという死活問題でもありましたが、与えられたのではなく並大抵でない努力でやっと勝ち取った保障を、国の思いつきで簡単に変えさせることは絶対許せない。頭の中で考えているだけの役人は自分たちの現実を追求すると黙ってしまう。支援費は地域格差をなくす目的もあったはずなのに、今でも週8時間の介護しか認められていないとか、悲惨な地域もある。各地で声を出し大きな力にすれば、国は大きな力が恐いのだということ。上限撤廃は文字通り命がけで実現され、最近では私たちに力を与えてくれる快挙でしたが、たとえば立川市でも市の障害者福祉手当、年間7万円が今年から廃止され、厳しい状況は続々あるのに、障害者仲間の、とりわけ物心ついた時には既にある程度の保障があった若い世代の危機感が薄いことに危機感を感じている加藤さんです。いずこも同じ、世代を超えて伝えていくという課題がここにも、でした。

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「当事者職員」として働いてみて

久保田公子

 私は、共同作業所で八年間働き、さまざまな事情で疲れ果てて退職し、うつになった。

 ブランクを経て現在の職場である地域生活支援センターで「当事者職員」として働き始めてから一年半になった。このセンターの運営母体は、身体障害をもつ当事者の方たちが中心となって作り上げた団体であり、「当事者職員」が何人か働いており、私もその一人として採用された。私はちょうどうつが回復し始めた頃であり、病いになった経験を生かしながら、長年の私の課題であった利用者・当事者との平たい対等な関係づくり、あるいは「当事者主体」とか「される側に学ぶ」といった言葉で表現されるものの中身を、今までとはまた違った視点で考えていけるのではないかと思い働くことにした。

 十数年間、精神保健福祉の現場で支援する側として働いてきた私にとって、自らが病いを経験したことの意味は、いろんな面で大きかった。まず感じたことは、当事者との対等な関係づくりをめざしながらも、当事者との間に未だに壁のようなものを作っていたことに気づいたことだった。というのは、今から思えば退職する以前からすでにうつ状態になっていたのに、友人などから受診・服薬の勧めがありながらも、薬を飲み患者となることへの抵抗感があったからである(収容主義的で医療とは名ばかりの精神病院に勤めていた経験から、医療への不信感もあった)。そして限界にきてからようやく受診し、医師の言葉に納得し、うつを認めたことを通して、誰もが病いになることがあるのだということに本当の意味で気づかされたように思う。

 また、「当事者職員」として働くということは、全く新しい経験であり、得たものが多い。そのひとつは「健常者職員」であったときにはなかった双方向の関係を実感するときがあるということである。例えば、些細なことかもしれないが、利用者の人から「最近調子はどう?」と聞かれて自然に答えられたり、ときには自分の方から「最近疲れ気味」などと言うこともある。以前は、職員はいつも元気でまるで何の問題も抱えていないかのように思われ、またそう振る舞わざるを得なかったような気がする。さらに以前は、利用者に対して課題のようなものを把握しようとする姿勢が抜け切れなかったのだが、自分が病いになってからは、一緒に問題を考えるとともに、利用者が苦しみやつらさをどう乗り越え付き合ってきているのかを知り、学びたいと思うようになった。

 このように得るものを実感すると同時に、戸惑いと揺れの中で整理しきれないものも抱えてきた。とりわけ「当事者職員」という存在の意味合い、あるいは「当事者職員」と呼ばれる事の意味合いについては考えさせられることが多い。私は共同作業所で、当事者である上司のもとで働いたことも、またメンバーであった人に職員になってもらい共に働いてきた経験もあり、これらの貴重な経験とも重ね合わせながら、この未整理な事柄についてこの機に改めて考え、言葉にしてみたいと思う。

 「当事者職員」が雇われる意味や役割は、言うまでもないことかもしれないが、当事者の気持により寄り添いやすく、また当事者の視点に立った支援ができるということだろう。ただ当事者同士が互いの気持を全面的に理解できたり、当事者だからといって当事者の立場に立つことができるかといえば、必ずしもそうではないとも思う。私自身のことを考えてみてもなかなかそうはいかない(支援する側としての経歴の方がずっと長く、当事者としての経験が浅いということも影響していると思うのだが)。先に述べたように、壁は以前よりはずっと崩れたにしても、それぞれの人が置かれた状況や病いのありようは個別性を持っており、そう簡単に理解しうるものではない。さらにあえて付け加えると、利用者と対等な関係を築きたいと思っても「当事者職員だから」と軽んじられたり、静かにしているだけで具合が悪いと思われたりしてしまう悲しい現実もある(このことについては、当事者が日々さらされる社会的差別の現実として、また差別を内面化してしまうことの反映として受けとめている)。

 次に「当事者職員」と呼ばれることについてであるが、私は率直に言って違和感を持った。「当事者職員」であることは、当事者性を前面に出して働いていくことであり、「当事者であること」に立脚し、そこに自らの生き方としてのアイデンティティーをもって働いていくことだと思う。私の場合はどうかというと、私にとって病いは私が持っている「ひとつの要素」であると思っている。そしてその一つの要素である病いの体験を生かして仕事をしたいと思っているのだが、同時に私には他のいくつかの要素自らが依って立つものがある。「性差別を受ける側の女であること」「労働者であること」「精神保健福祉の従事者であること」など。こうしたいくつかの立場にたって私は生き、働きたいと思っているのである。

 こう考えると、その人を「当事者職員」と呼ぶかどうかは、その人自身がどのようなアイデンティティーを持って、どのような立場で働こうとしているかによるのであって、他者から、外側から名付けるものではないのではないだろうか。
 一年半経った現在、私の「当事者職員」としての立場は次第にあいまい化されているように感じられる。利用者からは「半分当事者だから」などと言われることもある。回復するにつれて当事者意識が希薄になってきているのも事実である。でもこのあいまいさが、私にとってはありのままの姿であるように感じている。

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