続・WNUSP(世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク)大会 2009.3.16~20-参加報告および感想-

ラミパス タロウ(精神医療ユーザー)

(6月号からのつづき)
3.今後の課題と展望
例えば、従来の「後見人制度」とは違う「支援された自己決定制度」等、「サポートと自己決定の関係のあり方」は、日本でも議論になりますが、北欧での「オンブズパーソン制度」の実践例等も参考に「当事者の権利」の観点から「ポジティヴ」に考え、具体的にどんどんと実践していくべきだというのがこれからの時代の「グローバルスタンダード」だと、今回参加して一番強く思いました。
現在は、時代の変化が大変激しい時代です。従来の価値観や固定概念が次々と覆されているのが21世紀初頭の大きな特徴といえます。そして、多くの展望が具体的実践とともに、現在世界各地で切り開かれつつあります・・・・


 以下全文は、おりふれ通信279号(2009年7月号)でお読み下さい。
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WNUSP(世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク)大会 2009.3.16~20 -参加報告および感想-

ラミパス タロウ(精神医療ユーザー)

はじめに
 WNUSPが4年に一度開催する全体会議が、今年3月、ウガンダの首都カンパラで開催されました。アフリカをはじめ、世界各地からの当事者70名弱の参加で、大会は無事大成功いたしました。
 各地の状況報告をまず最初に行いました(私も、急遽依頼され、日本の社会的入院患者の問題や医療観察法の現状、また北京オリンピック入国拒否問題等手短にご報告させて頂きました)。そして、今回の総会のメインテーマである「国連障害者権利条約(CRPD)」の批准や実施の過程で、「条約の権利を現実のものとしていく」ための全体での勉強会やケニアのNGOによるカウンタレポート(シャドウレポート)の実践報告、分科会形式で行われた各種ワークショップ、アフリカの当事者運動の現状報告やウガンダの当事者の貴重な体験談、現在アフリカ全体で精力的に取り組まれている「アンチスティグマキャンペーン」の報告等、今回の総会への参加は私にとって大変刺激的な体験となりました。

 本稿では、私が今回はじめて参加して感じた大会全体の雰囲気、私自身の会場での発言、また常日頃から感じていた各種疑問点が具体的に解消された点、また今後の私たちの課題と思われる点を中心にご報告させて頂きます。

 以下全文は、おりふれ通信278号(2009年6月号)でお読み下さい。
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投稿 韓国の精神医療散見

東谷 幸政 (NPOわくわく)

 韓国最大の精神病院、アジア最大の精神病院であるかもしれない龍仁(yon-inn)病院(龍仁市・2,400床)に勤務していた友人が独立し、診療所と病院を開業したと聞いてお祝いに行った。場所はソウルの南東のベットタウンである城南(son-nam)市である。彼はACT-K(KOREA)の現場責任者として1998年からソウル周辺でコミュニティ・メンタルヘルスセンターを次々立ち上げ、その現場責任者として診療とデイケアとアウトリーチの実践を展開してきた。ソウル特別区のホームレスメンタルケアの責任者も務めてきた。わくわくの韓国旅行の際には彼が運営責任者を務めるグループホームに泊めていただいたりもし、当事者同士の交流も実現した。逆に彼が来日した際には、当法人のホームに泊まり、日本のホームを体験してもらった。
地下鉄の改札を出ると、高 泳(ko-young)さんが出迎えてくれていた。いつもの見慣れた黒い登山ズボンに黒のポロシャツ、サンダル姿である。ラフな格好がポリシーらしい。去年の春、彼の運転で韓国南部を旅して回った。特に感銘を受けたのは、「辺山共同体」という、ゆるやかな生活共同体だった。自然農の農場、味噌や醤油、薬酒などの醸造場などを大規模に展開していて、こころを病んだ経歴のある人が役割をもち、ケアされる対象としてでなく、地域社会に生きる仲間として生きている姿がとても印象的だった。高さんも僕も、脱病院・脱施設の最終目標として、このような地域の中でともに生きることをめざしている。病院運営や施設運営はそのための手段であり、バックアップの役割と考えている。そうでなければ、イリイチのいうような自動運動のために、変質し腐敗していくことは避けられない。
今回開業したクリニックと病院は都市型精神科医療の典型ともいえるものだろう。「ここから、どのくらい?」と聞くと、高さんは、「1分。」と答えた。周りを見回すが、病院らしき建物は見当たらない。大きなオフイスビルが立ち並び、ショッピングセンターの看板が目立つ。彼について行くと、地下鉄の駅の脇にある大きな雑居ビルに入っていった。1階は商店が立ち並んでいる。奥にはレストランやら飲み屋が数多く入居している。訪れたのが夕方だったせいか、すでに飲み始めた人々でごったがえし、大変にぎやかだ。一番奥に行くと、エレベーターがあり、2階で降りた。すぐ前には精神科のクリニックの看板が2つ並んで立っている。左が高先生の「共生クリニック」、右が金先生の「夢を見るクリニック」である。二人の写真入りだ。外から見た分には、これが精神病院とは見えない。ただの精神科診療所だ。・・・・

以下、全文は、おりふれ通信274号(2008年10月号)でお読み下さい。
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マイケル・ムーア 「SICKO」を読み解く

                                      NPOわくわく  東谷 幸政

 楽しみにしていたマイケル・ムーアの最新作「SICKO」が公開された。ドキュメントであるがよくジョークも効いている。音楽の使い方や構成も洗練されてとても共感できて作品としてとても面白かった。前作の「華氏911」のあと、次作は医療問題に対象を絞るとのインタビューが流れていたので、テーマは医療保険制度問題か製薬資本だと予想していた。どちらも、現在のアメリカの社会構造の陰の部分を形成するが、今の日本には、今回のテーマである医療保険問題がとても参考になる。日本では、生命保険会社や損保会社の、いわゆる「不払い問題」が露見して、民間保険会社の本質というか、やらずぼったくりぶりが明らかになったばかりである。それは、民間資本である保険会社は、どんな手を使ってでもその本来の目的である利潤追求を行うことを示している。砂漠に木を植えたり、地域の作業所に助成をしたりといったカモフラージュをしたところで、アメリカでも日本でも、その本質は変わらない。


以下全文は、おりふれ通信 10月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会

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拷問なき明日へ:拷問等禁止条約委員会と第1回日本審査

東京精神医療人権センター  小林信子

 2007年5月、ジュネーブで第38会期拷問等禁止条約の日本政府報告書の審査があり、5月18日には「拷問等禁止委員会」の結論及び勧告が出た。(まだ政府はこれを正式には発表していない) 
 読者の皆さんにはこれまで「センター」が拷問等禁止条約のNGOによるオールタナティブレポート作成に参加したことを系統的には報告していなかったので、報告をしておく。

1)これまでの経過 
 日本は1999年6月29日にこの条約を批准した。(おりふれでは同年10月~合併号で、永野弁護士による解説文掲載)この条約は被拘禁者の拷問や非人道的な処遇等禁止で、精神病院もその対象に入っているという重要なものである。批准国は1年以内に委員会に報告書を送らなければならないことになっているが、政府は5年以上たってもそれを履行していなかった。
政府レポートの提出をにらんで、それに対する代替レポートを作成しようという運動がNGOである監獄人権センターや、アムネスティー日本委員会によって進められ、被拘禁者の人権擁護という共通項目で「センター」も参加を要請された。受刑者問題を扱う監獄人権センター、入管問題を扱う入管問題調査会そして私達の「センター」のこじんまりとしたネットワーク、拷問等禁止条約の頭文字をとってCAT ネットを約2年前に結成した。2ヶ月に1回の会議は、私よりずっと若い人たちが人権問題に精力的に取り組んでいている様子からとても刺激的で有用だった。2005年、国がやっと政府報告書を作成し、公表した。私達も2006年から毎月会議を持ち、外務省や日弁連とも連絡を取りながらこちらのレポート作成準備に入ったのだった。

2)レポート作成までの顛末
 まず、政府のレポートを入手して読むことから始めなければならない。政府レポートは厚いものだったが、その2/3は、条約に関連する国内法を紹介しただけというお粗末なものだった。私たちNGOもそれぞれに対応してレポートをただ書けばよいというものではなく、短く簡潔に、委員に読んでもらう工夫が不可決なのだ。それらの研究をしているイギリスのNGOの解説書や、個々の知人のネットワークを活用してレポート作成法を研究することから始めた。CATを専門に扱うNGOがジュネーブにあったり、アムネスティ日本やインターナショナルに助言をもらったりと「日本のNGOもすごいなあ・・」と感嘆しきりの日々だった。作業プログラムを作りそれにしたがって、日本文、今年の1月にはその英語化と進んでいった。3月には、委員会のメンバーであるグロスマン氏が京都に来るし、しかも日本担当かもしれないというので、日弁連とともに会いに行ってプレゼンテーションをして“印象付け”?作業もした。私のスペイン語もちょっと役立った。
 そういう経緯で私も5月4日にはジュネーブへ行く予定にしていたのだが、入院中の父がその2日前に危篤となりやむなくキャンセルしなければならなかった。大きな機会を失ったし、複雑な精神医療問題は取り上げられないだろうと敗北主義が頭をもたげたが、そうでもなかった。ジュネーブからはCATネットのメンバーが電話やメールで連絡してきて、「精神の質問が出ましたから起きていてください」という命令や、「外務省のデータとこちらのものと食い違いがあるのだけれど」と8時間の時差を越えてやり取りをした。というわけで、現地でのNGOミーティング前後の3日間はオンコールしていた。

3)「センター」が主張してきたこと
 1条 拷問の定義 精神的拷問を含むことの意義と公務員によるものであること→日本の精神病院は90%以上が私立病院。そこに働く精神保健指定医は、精神保健福祉法(法)に従って遂行する業務のみを“みなし公務員”と規定し、強制入院(拘禁命令)や行動制限の判断をする権限を与えている。これが拡大化している。医療保護入院における指定医の役割は、臨床現場の実際とは異なって、強制権限を行使していないから、みなし公務員でないとされている。
*昨年からの法改正で「特定医師」は12時間のホールディングパワーが可能となった→法の根幹にかかわること。今後どうしても議論しなくてはならないし、自由権規約でも追及しなければならない部分
 10条-1 拷問の禁止について、関与する医療職員、公務員等に充分訓練されること→そもそも精神保健指定医登録には、医学的研修カリキュラムしか義務付けられていない。人権教育や拷問禁止の教育は、登録後の指定医研修カリキュラムにも取り入れられていない。
 11条 抑留又は拘禁について、体系的な検討を維持する→隔離・身体拘束は精神保健指定医の判断のみによって行なう行動制限と考えられている。医者性善説に基づく法体系
 13条 拷問を受けたと主張する者が権限のある当局に申立てを行い迅速かつ公平な検討を求める権利確保→不服審査のための精神医療審査会というものがあるが機能していない。上級機関へのアピールが出来ない。特殊な日本の精神医療制度のため、審査委員メンバーと利益相反があるのではないか?
 16条 第一条に定める拷問には至らないが、残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱いに当たり、かつ公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものを防止することを約束→最も重要。身体的な「拷問」は影を潜めたかもしれないが、精神的「拷問」も大いに存在している。公立・私立を問わず精神病院の入院手続き・入院中の処遇や環境自体が「非人道的で品位を傷つける」ものにたくさん該当する。
刑事施設・入管・精神病院に共通な環境は、少ない人員と少ない予算で多人数を管理することが日本の特徴だから。 

4)委員会最終勧告の意義
 5月21日に公表された「結論と勧告」では、NGOの主張やそれ以上のものが盛り込まれた。慰安婦問題や代用監獄についての勧告を、新聞でお読みになった方も大勢いるだろう。精神医療については残念ながらたった1項だが、根源的なことを以下のように言及している。

勧告25.委員会は、私立の精神病院で働く精神科指定医が精神的疾患を持つ個人に対し拘禁命令を出していること、及び拘禁命令、私立精神病院の管理・経営そして患者からの拷問もしくは虐待行為に関する不服への不十分な司法的コントロールに懸念を表明する。
 締約国は公立及び私立精神病院における拘禁手続きについて、実効的かつ徹底した司法コントロールを確保するために必要なあらゆる措置を採るべきである。

 日本の精神医療制度は、国際的に見て先進国の間でも特異なものである。日本の屈折した歴史を背負い、メディカルモデルが支配する、私立病院に働く医師が行政の代行をして患者を拘禁していることは、理解できなかったのではないだろうか。
民事収容において、司法が関与しない制度を持つ国はイギリスと日本だけである。(アジア諸国は日本の精神保健法を移入したので除く)国際人権保障に合致した入院手続きについて論争を国内で再燃させる必要がある。
精神医療にとって拷問等禁止条約が重要なのは、中立公正で迅速な審査機関の設立や拷問防止のために国内・国際機関の立ち入り検査の制度保障と同時に、何をもって「非人道的で品位を傷つけるとり扱い」とするかという根源的な議論が要求されているからである。
なお拷問等禁止条約の解説書として「拷問等禁止条約をめぐる世界と日本に人権」監修:村井敏邦・今井 直(明石書店)をお勧めする。

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報告 国連障害者権利条約成立

弁護士 永野貫太郎

「国連障害者権利条約草案」が、2006年8月の会期で合意され、同年12月13日の国連総会で採択された。この条約の起草に当たっては、当事者を含むNGOが全面的に参加し、意見を述べるという他の条約起草過程には見られなかった特徴がある。しかもこれまで障害当事者といえば身体障害者であったが、精神障害者と知的障害者の実質的な参画が得られたことが今世紀に入って条約制定がされた意義の一つと言われた。
 この条約では差別の定義において、一般的差別の規定の他に「合理的配慮(reasonable accommodation)」の否定も差別に該当するとしている。
 さらに条約の国内実施を監視するための国内機関を常設し、「国内人権擁護機関に関する原則(パリ原則)」に沿ったものであることも義務であるとされている。もちろん、他の条約と同様、条約による委員会が設置され、政府報告書の提出を定期的に行うことと、それを審査して委員会の見解と報告を出すことになっている。またこの条約の選定議定書として個人通報制度を導入している。

日本でも批准される日は近い!?

全文はおりふれ通信2007年1・2月合併号でお読み下さい。Eメールでお申し込み下されば郵送します。

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『私たち、遅れているの? 知的障害者はつくられる』〔増補改訂版〕を読んで

米国カリフォルニア州で出版された『Surviving in the System:Mental Retardation and the Retarding Environment(制度の中で生き延びるにはー精神遅滞と遅れを招く環境)』を、日本の障害者福祉に詳しい秋山愛子・斎藤明子のA・Aコンビが翻訳したものを紹介します。

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『私たち、遅れているの? 知的障害者はつくられる』〔増補改訂版〕
カリフォルニア・ピープルファースト編
秋山愛子+斎藤明子訳
現代書館 2006年5月

編集部 木村朋子


原書は1983年にカリファルニアの知的障害者当事者団体、キャピタル・ピープルファーストが州の発達障害審議会に委託されて行った知的障害者の実態調査とニーズ把握の調査報告書です。この報告書は1984に出版されて以来、アメリカ国内にとどまらず英語圏の各国の当事者、福祉関係者に衝撃を与え続けたとのこと。人々を惹きつけたキーワードは「遅れを招く環境」でした。そして今、自立支援法にさらされている日本の私たちに、「遅れを招く」=障害者を一律に「処遇」し、社会から遠ざけ、自信を喪失させることではなく、当事者中心のしくみのあり方を考える上で時宜を得た増補改訂版の登場です。

 まず実態調査の結果、施設で大人の知的障害者は自立を阻害されている、その手のサービスを受けずに生活している人の方が却って良い生活をしていることが分かったというのです。
 その後ノーマライゼーションに代わって「セルフ・アドヴォカシー」がキーワードになり、これは直訳すれば「本人による本人のための権利擁護」ですが、知的障害者の支援者の「何でも自分が感じることや思うことを大切にしていいんだよ」との言葉が紹介されています。さらに「多くの知的障害者は自分がまるで価値のないもののように思いこまされている。失われた価値を取り戻し、自分の感情や考えを肯定し表現することに自信が持てるようになることが必要。セルフ・アドヴォカシーとはこのレベルから始まること」と、説明されていますが、精神障害者もまさに同じと感じます。

 結論の一つとして、「知的障害者が強くなるために」として当事者による組織づくりの方法を述べています。「なぜなら自分の障害に向き合うことを恐れている人は、障害を克服できなかったり、障害を補う方法を学習できなかったりするから」と。グループを支援、補佐するファシリテーターの重要性と適性についてもふれています。
 「遅れを招く環境」を変える提言として、ランタマン法等を受けての予算化、現在のシステムを地域プログラム中心に変える。ユニークなのは障害者の非課税の財形貯蓄として「自立生活預金」(仮称)制度化も提案しています。

 増補改訂版には8年後の今が追加取材されています。脱施設化が進み、形骸化していたIPP(個別サービス提供計画 詳しくは本紙4月号『知的障害者の「バディシステム構築とIPP作成事業」』参照)が厳密に本人中心でなければならないと法改正され、さらに「自己管理サービス」といういわばケアマネによらない自前のサービスの組み立てと契約も始まっているとのこと。またランタマン法の改正によりサービス監視機能も強化され、PAI(Protection & Advocacy Incorporated =連邦法に基づく発達障害者・精神障害者のカリフォルニア州における権利擁護機関)の中に州予算で当事者権利推進課が新設され、当事者権利推進コーディネーターが弁護士と組んで、相談、不服申し立てヒヤリングの代理人、権利の研修などを行っているとのことです。私がおりふれ紙上でPAIの精神科患者権利擁護事務所の報告をしたのは、1994年3月号のことでしたが、その後のことを知りたくなりました。

 海外の事情に疎い私にはこのような紹介がうれしいです。国によって文化の違いもありすべてを取り入れることはできないでしょうが、私たちの活動のヒントになればうれしいですね。(佐藤記)
全文は、おりふれ通信紙8月号でご購読連絡先:FAX03-3366-2514、新宿区西新宿7-19-11児玉ビル301 おりふれの会

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ひとまず撤回―イギリスの新精神保健法案 政府は再提出する模様

東京精神医療人権センター    小林信子

 ヨーロッパで、ごく最近市民の行動で政府法案が撤回になる事例がありました。羨ましいことです(ため息)。
 報道でご存知のように、フランス政府が本会議まで通過させていたCPE(初回雇用契約)を撤回したのだ。延べ300万人の学生・労働者が反対デモに参加し、その主張が実った。フランス革命の伝統は息づいている。若い人たちにこういうエネルギーが存在しているのはすばらしい。

 さて、もう一つは、ドーバー海峡を渡ったイギリスでの大幅な83年精神保健法の改悪を政府が撤回したのである。「おりふれ通信242号」でも少し触れたが、1998年の提示以来、8年ももまれてきた法案は今年3月23日、政府が一応撤回すると発表した。5年前ほど前に日本で「医療観察法案」が突然提示され、デモや集会が続いたが、イギリスでもこの8年間、法案に反対する法曹界、医療者団体、NGOそしてユーザー団体を含む計77団体が「精神保健連盟」を結成して精力的にロビー活動や、街頭行動を繰り広げてきたのだった。「イギリス史上初めて、医者からユーザーまでが一緒にデモ行進した」といわれた。連盟代表は法案撤回のニュースを知って、「勝利宣言」を出したが、喜んではいられないこともすぐ分かった。
 この法案には大きな2つの問題点があり、
①地域強制治療法の導入 ②精神科受診歴がなく、犯罪歴がなくても、重篤な人格障害と診断されれば強制入院させることができるという、患者の管理と治安色を強化するものなのである。国内の人権擁護法にも、ヨーロッパ人権規約にも明らかに違反する法案であるし、イギリス精神保健法に特徴的なtreatability test(治療可能性のテスト)も削除する案も検討されていて、専門家にも多くの反対があったことは当然だったろう。もちろんイギリスのことだから、専門職や圧力団体の意見をとり入れ患者の処遇上の権利を拡大していく法文も盛り込んである。ヨーロッパ人権裁判所で違法と指摘されたMHRT(精神保健審査法廷)の改革や、患者への独立したアドヴォカシーの保障などのポジティブな改革も一緒に葬られたので、この点はMINDなどは残念がっている。ともかく十分に議論する手続きを経てきたが世論の反対に加え、450条からなる膨大な法案になってしまい、実施は無理という事情もあったということ。
 しかし社会不安が煽り立てられる中で、もっとスリムに実践しやすい法案にして、今年の10月か11月には再提出する予定であると政府関係者が表明している。その際、先の2つの危険な条項は必ず含まれるということである。反対運動の戦線を立て直せるのだろうか。国家の“意志”は貫くということか。私が昨年聞いた政府に近い専門家の「2007年には法案が通ります・・」という言葉が不吉によみがえった。

 なお、近年ますます自治権が強化されているスコットランドは、もともとイギリスとは別の精神保健法を持っている。強制的な投薬問題などヨーロッパ人権裁判所による違憲判決が影響したのだと思うが、今年から改正があって、責任能力がないと診断された患者には、強制的な投薬を禁止するということになった。

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中国のある精神病院“事情”その2 中国公安部「安康医院」参観報告

司馬 両々

<編集部から>前号で、日本の大学院で刑法を勉強されている留学生の司馬さんに、「中国のある精神病院“事情”」として一般入院先の市立病院の報告をしていただきましたが、今回はその続き公安部所属病院のレポートです。

場所 中国観光地として有名である都市から30キロ位の田舎にある。さらに国道から3、4キロ離れていて、場所的にはかなり不便なところである。しかし、埃だらけの田舎道の突き当たりに、別世界みたいな存在としてある。ここは、中国の公安部所属の「安康医院」(司法精神病院の通称・編集部注)である。後ろは山で、前のほうは中国の古典式の庭が作ってある。

登場人物 接待した人は医務官課長の人物である。最初持ったイメージは中国の典型的な官僚であるが、話しているうちに、印象はちょっと変わって来た。やはり相当な知識をもっている医者だと思った。

入院要件 司法入院(裁判所・検察)、行政入院(監獄・警察)と民事入院(日本における医療保護入院)

入院の判断基準 基本的に自傷と他害のおそれではなく、確実に違法・犯罪行為を行った人に対する鑑定をしてから、入院させる。(司法と行政による入院の明確な区別はないようである。)

病床数 500床(2005年11月現在) 2004年の300床と比べると、大幅に増加したそうであるが、これからも増える傾向が見える。国の予算の縛りなどはそんなに厳しいものではなく、患者が増えれば、物理的な環境が許すかぎり、ベットが増えるのは可能であろう。

予算 今年の予算は2000万人民元(換算すると三億円である)

法的根拠 ①杭州市人民代表大会(地域的立法機関)の地方法
②全国人民代表大会(全国最高立法機関)では、中国精神衛生法を積極的に制定するように努力しているが、今現在15回の法案改正案に至っているだけで、まだ施行の見込みがない。刑法学会もそのような議論を聞いていない。
③今現在各省・市は各自の法制定活動によって、それぞれ違う。各省が統一するのを辛抱強く待たなければならない。

退院手続き ①民事入院(250名前後) 安康病院とは本来強制入院の精神病院であるが、民事入院も受け付けている。民事入院は相当簡単に行なわれているようである。家族・引き受ける人が居れば、寛解期に入った患者は何時でも退院できるようである。
②行政・司法入院(250名前後)殺人などの重大行為に対して、最低3年間の入院が必要だと病院側は思っている。(法的根拠は別として、病院側が勝手に決めている)引き受ける人がいれば、三人の精神科医 の判断によって、退院させることができる。この判断の基準は、現在の患者の精神状況だけではなく、 社会への危険性の予測も入っている。具体的な尺度は教えて貰わなかった。
 その一方、家族や引き受ける人が居ない場合は、病院側は患者を退院させないケースがたまにある。一番長い人は入院50年とのこと。

内部参観 病棟は五つほどで庭付きである。主建物の横にある一番近い男子病棟の中を見に入った。ちょうど午後2時前後で、暖かい良い天気だった。患者さんと看護師・精神科医みんなが庭の中でのんびりしていた。患者たちは統一した縦じまの患者服を着て、草の上に横になったり、座ったりしていた。精神科医か男性の看護師かよく分からないが、一人立って、もう一人は座ってタバコを吸っていた。ほとんど話はしておらず穏やかな午後を過ごしている光景だった。

配置図 
     │病棟│  庭    それから病棟に入った。最初の印象は天井が高いこと。
    │観察棟 │        かなり高かったのである。
      玄関

                  玄関
│   │病室│病室│医師室││病室│病室│病室│病室│病室│
│食堂│            回   廊                  │
│   │ 給食室 │ ナース室│保護室│保護室│保護室│病室│

 病室は全員ベッドである。ベッドの隣に小さい棚があって、全部施錠されている。一つの病室に8-10個ベッドがあり、患者たちは外の芝生で休んでいるので、開放感と明るさがあった。しかし、
精神病院として清潔すぎて、不思議な感じがする。ナースステーションの看護師を見ると、かなり小柄で若い女性だった。
 気になるのは保護室である。
    
                   │鉄門│ベッド│便座│
  ここは施錠している鉄の門 │鉄門│ベッド│便座│
                   │鉄門│ベッド│便座│

 保護室は当時二人入っていた。投薬されたらしく静かに寝ていた。しかし古い鉄の扉で、外から施錠されるため、患者にとっては決して安全な場所といえないであろう。廊下から保護室内が一目瞭然のため、通風が良いであろうが、プライバシーは全く考えられていない。多くの場所は防犯カメラが設置されていた。観察棟の二階にあるカメラをコントロールする専門職が居て、24時間この病棟の各カメラを切り替えながら監視している。

私見
①ハード面から言えば、施設の内部はあまりにも綺麗で、不思議な感じがする。この施設と広がっている周囲との対比が激しすぎて、政府が思い切ってこの施設を作った感じがしないではない。しかし、施設の中に清潔感があるのは良いことだが、私物など全然ないのはちょっと違和感がある。
②ソフト面からすると、精神保健福祉法が立法されていないことが一番大きな問題だと思う。地域的な法律があるが、入退院などについての細かい尺度がないため、すべての準則と解釈が病院側の判断に委ねられているのはあまりにも危険なことであろう。
③司法鑑定について、中身について考察できないが、単に鑑定時間から見ると、短期間で簡単な鑑定しかなされないようであろうと思う。
④今は中国の精神保健法の立法過程にあるのだが、刑法学界においてはこの問題についてはかなり沈黙している。デリケートな問題なので、皆が慎重に研究しているのか、小さい問題なので、みんなが気にしていないのか、私にはよく分からない。


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Mad & Proud ーニュージーランドからー

総持真子

ダスキンの広げよう愛の輪運動基金のサポ-トを受け、ニュ-ジ-ランドに留学して1ヶ月が過ぎた。テ-マは、精神障害者のエンパワ-メント。精神障害者の社会的な自覚、能力、自信を高めるための学びやその実現、持っている力を社会に還元することを目指して研修を進めている。

ここは、「人種のるつぼ」と呼ばれているニュ-ジ-ランド最大の都市、オークランド。その中心部より少し離れたところにある、マインド&ボディコンサルタント社に、今私はいる。

ここでの業務内容は多岐に渡っていて、ピアサポ-トやトレ-ニングなどのサ-ビスを提供する一方で、調査、サ-ビスの開発、保健局のサ-ビスや保健省管轄機関に対するアドバイス、学校機関や精神保健従事者に対するレクチャ-、PSWのためのトレ-ニングなどのコンサルタント業務を行っている。

スタッフは、総勢19名。ニュ-ジ-ランド人、カナダ人、イギリス人、インド人、ロシア人、南アフリカ人、マレ-系中国人、アイルランド人、アジア・ヨ-ロッパ系のハ-フ、マオリ族と多種多様な顔ぶれがそろう。

虫の音が鳴り響く昼間、マネ-ジャ-とコンシュ-マ-アドバイザ-が、日の当たるテラスで、椅子に座って、何やら楽しそうに話をしている。そこに、アシスタントマネ-ジャ-が、仕事の話を持ってやって来た。どうやら、コンシュ-マ-アドバイザ-の作り話を、アシスタントマネ-ジャ-が盛り上げているようだ。真面目なマネ-ジャ-は、いつもこの2人にはめられるらしい。

表玄関では、かつて放牧で一役かった老犬リパが、気持ちよさそうに昼寝をしている。ミ-ティングスペ-スでは、ピアサポ-トワ-カ-が、パンを片手に、スケジュ-ル帳を広げ、資料に目を通している。奥の部屋では、別のスタッフが、コンピュ-タ-に向かって運営管理の仕事をしている。今、オフィスにいるのは、この5人だけだが、病院や、精神保健に関する施設や団体、地域のどこかに出向いて、それぞれが自己管理の下、責任を持って仕事をしている。

マネ-ジャ-が、「うちは、逆差別をしている」と誇らしげに言うように、ここで働いている人は皆、精神病の経験がある人達だ。ここでは、病気を体験し、それを克服したことが、価値ある必須の資格の一つとして、認められる。それぞれが、自分の体験を十分に生かし、得意な分野を通じてチ-ムに貢献している。

みんな、自分の体験を一つの経験として誇りに思い、自分らしく生きている。

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中国のある精神病院“事情”

 日本の大学院で法律を学んでいる中国からの留学生が、日本の精神医療に関する法制度にとても関心を持っています。人権センターの活動などにも興味をもってくれるその方が、故国の保安病院や精神病院を訪ねる機会をもちました。そして、「おりふれ通信」に見学記の投稿をお願いして実現しました。中国の政治的状況から訪問した病院名を伏せてありますが、ご了承ください。(編集部)

XX省立xx医院精神科(2005年秋)
司馬 両々

その日の朝は雨。Xx市中心部にあるxx医院の前は賑やかだった。ここは市立の二次総合病院である(三次は一番レベルが高い。)
他の診療科はすべて患者が並んでいたが、精神科の前は空いていた。友達の知り合いの40代の若い精神科医が応対してくれた。

入院方式 本院はほとんど民事入院である。
入院期間 中国全国の平均入院期間は69日と大体同じレベルである。
患者数 精神病床は55が一看護単位で、3単位165床ある
保険 保険は適用されている。患者は自己負担20%である。毎月4000―5000元の費用がかかる。(それはかなり大きい出費である。)

投薬方針 基本的には単剤投薬。アメリカの精神科医療方針に従っている。やむを得ない場合は多種類の向精神薬を投与することもある。

薬物拒否問題 薬物拒否をする患者はかなりいるようである。向精神薬の副作用が出現してから、服薬停止の例が多いようである。この精神科医を訪問していた間に、一人の若い女性患者が受診にきた。自分の症状・薬物に対する知識はかなり持っていて、副作用・薬の金額などの問題について
医者と相談することができていた。このような患者に投薬を拒否されるともう仕方がないと医者が言っていた。
民事入院の病院なので、医者は薬物拒否をする患者に対しての態度はかなり消極的である。でも薬を飲まないと発症されて、そして入退院を繰り返している患者はかなり多いという。それは精神医療の現状のひとつとして認められているようである。

鑑定業務 本院は司法・行政機関から依頼される鑑定を受けつけている。たとえば、責任能力鑑定、訴訟能力鑑定、刑の執行能力鑑定など。応対してくれたその精神科医の話によると、鑑定時間は2-3時間である。かなり簡易な鑑定かなと一瞬思った。民間人の依頼は受け付けていない。

 私見 これは中国精神科病院の一側面である。本病院は中国全体のうちでどんなレベルであるのかよくわからないが、精神鑑定の現状についてはかなり心配である。
 それと同時に、地域社会の精神保健状況はかなり貧弱である。精神病院から地域に復帰して次の事件を起こす前に、何もケアされないのというのが現状である。

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英国マインドのホームページhttp://www.mind.org.ukから

http://www.mind.org.uk
マインド調査報告
高齢者への深刻なネグレクト(無視・放置)を告発! 
2005.10.10 ワールド・メンタルヘルス・デイに寄せて

<要点・利用できるサービスの年齢制限・治療の選択肢のなさ・地域の家庭医による年齢差別、薬の情報提供を含む・自殺率の高さにもかかわらず(自殺者の1/3は55才以上)、何らの予防策が採られていない・電気けいれん療法の多用>

サービス利用:最近では65才になると、施策上「稼働年齢の成人」から「高齢者」へ位置づけが変わり、利用できる精神保健サービスの範囲が制限されるようになる。これは行政が予算上の制約をつけているためで、たとえば「政府精神疾患特定基金」は稼働年齢対象のサービス開発のみに資金提供することになっている。それでこの基金によって運営されているデイセンターなどを利用するメンバーは、65才に達するやいなや、出ていかねばならなくなるのである。

高い自殺率:政府は高齢者の自殺率について言及もしていない。75歳以上では、6%の人しか家庭医から自殺について問われていないようだが、1/5の人は気分の落ち込みについて質問されており、1/3は精神科医に紹介されている。

治療の選択:調査への回答では、治療の選択肢の狭さの訴えが目立つ。とりわけ話しをする治療は待機者が多いという理由で。また精神療法や認知行動療法、運動療法や針治療などは、高齢者には有効性が低いという理由で受けられないことがしばしばである。「薬をのむこと以外の治療法は、何も言ってくれない」というのがよく聞く不満である。

薬による治療:調査は、マインドがこの間行ってきた薬とその副作用についての情報提供の重要性をアピールするキャンペーンの正しさを裏付けた。とりわけ、高齢者は、前記のように薬の服用以外の治療の選択肢がほとんどない状況なのでなおさらである。私達の調査では、38%が治療について十分な情報を与えられていない、40%が治療の選択肢について十分相談できていないと感じている。加えて王立薬学会の調査では、高齢者の半数が処方どおりに服薬していないとのことである。また高齢者は、新しいSSRIより古いタイプの三環系抗うつ剤を処方される傾向にあり、最近の分析では三環系抗うつ剤が処方される場合、適量を処方されているのは65歳以上の人の43%のみという結果も明らかになった。

電気けいれん療法:2002年の調査では、65才以上の人々への電気けいれん療法の使用は、他のいかなる年齢グループへの使用より2倍は多く、そのことへの納得できる理由の説明もない。記憶喪失など深刻な副作用も起こすこの異論の多い治療法は、高齢者には特に心臓への負担となる危険性があるにもかかわらずである。

診断ミス:老年期の精神保健問題の増加、老齢人口の増加は周知の事実である。しかし高齢者の精神保健問題は医師や病院スタッフに見過ごされ、精神科医の診察を受けることもまれという深刻な問題がある。65才以降、6人に1人が医療を要するうつ状態に陥り、これはケアホーム居住者の40%に当たる。認知症は65才以上の20人に1人、80才以上では5人に1人が発症する。今後10年で65才以上人口は15%、85才以上人口は27%増加すると予測されている。

キャンペーンを!:このレポートは、マインドの新しいキャンペーンを導き出す。国政、プライマリ・ケア・トラスト、自治体行政等々が一体となって、高齢者がその他の人々と同様のレベル、質の医療とケアが受けられるよう保障せねばならない。マインド事務局長のリチャード・ブルックは、「調査は、社会的に弱い立場に置かれしばしば孤立しがちな人々に対する、恥ずべきネグレクトを明らかにした。65才になると同時に突如それまでのサービスや治療が取り上げられることは、多くの人にとって打撃となるに違いない。この不公正な差別は撤廃されねばならない」と語った。家庭医の中には高齢の人々に優れたサポートを提供している人々もいる。しかし多くの医療保健専門職には、増加する高齢者の精神保健問題を見分け対応するためのトレーニングが未だ欠けたままである。肝心なことは、高齢者にとっても他の人々と同様、治療の選択は、たまたまの幸運ではなく権利であるべきだということである。 (要約 編集部木村)

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WFMH(世界精神保健連盟)カイロ大会とは何であったのか

日本カナダ国際精神保健交流協議会 岡本省三

 お断り:本稿は、カイロ大会を報告すること自体を意図したものではない。それは、私にとってそうである他なかったことをご理解いただけるよう願う。しかしその一方で、今回のエジプト滞在の10日間ほど、多くの稔りを持ち帰った外国体験はなかったことも、お知りいただきたく思う。

一 分析に必要な前提
 街には兵隊が溢れ、ホテル入り口は金属探知器を備えた兵士たちの、24時間監視下にある。この国の東隣は直ちに「イスラエル占領下のパレスチナ」であり、さらには極度にバイアスのかかったイラク報道がことごとく「カイロ発」である事実が示すように、エジプトは今や世界を覆い尽くす「対テロ戦」の最前線としての特殊な位置を占めている。
 加えてこの国は、アラブ世界随一の「親米=親イスラエル国」である。その意味は1981年のサダト前大統領の死を想起することで了解しうる(編集部注:サダト氏は1978年のキャンプ・デービッド合意でノーベル平和賞を受賞したが、このイスラエル・エジプト単独和平は、アラブ世界ではパレスチナに対する裏切りと見なされ、イスラム復興主義の兵士により暗殺された)
 次の大統領ムバラク氏は、以来24年にわたって、徹底した全体主義的恐怖支配を確立する一方で、ネオリベラリズムの優等生として名高い。
二 カイロ大会の本質
 「ムバラク大統領妃殿下の御庇護の下」の今大会が、なぜわざわざ殺人的酷暑の9月上旬という最悪な時期を選んで開かれたのであろうか?
 米大統領ブッシュ氏によって全世界に宣布された「イラクに始まる民主化の拡大」に呼応して、エジプトでは実に24年来初めて行われた(100%八百長の)大統領選挙当日が、大会中日となるように設定されていた。国際的祝賀行事としてのカイロ大会! それは、連盟中枢部を固めていたUSAとURA(エジプトの正式名称)の共同制作に他ならなかったのだと推測する。
三 実態
 渡された豪華美麗プログラムの少なくとも2/3は、架空、デッチ上げであり、現地トップたちの大言壮語と人品骨柄の卑しさ。
 開会式早々、「USAにしてやられたのよ」と喝破し、件のプログラムが見せかけたることを公然と触れ回る旧知のオーストラリア人に、私は「大会そのものが見せかけだ」と早々と同調した。私達は9割方は正しかったと考えている。
 HIV/AIDS、パレスチナ・イスラエル問題、イラク問題など、政治的にセンシティブな都合の悪いテーマは、万一明示されていてもほぼ完璧に予告なしにキャンセルされた。会場が空っぽであったり、また無難なものだけが終わるやいなや閉会されたりなどなど。あとは個人的に知り合った人々からの案内を便りに出席するか、極めて果敢な少数者によりゲリラ的に敢行されたものに、やはり事前に知らされ幸運にも出席するかくらいであったろうか。これらの場合当然会場には人はほとんど居ないが、一見それと判る監視役が必ず臨席していた。
四 例外
にもかかわらず、次の如き例外を挙げることが出来る。
 最大の参加者の中、イラク精神医学会長による、米占領軍の暴虐ーそれは次々にスクリーンに映し出される正視に耐えない写真の数々が証言したーと、そのもとで精神保健システムが完全に崩壊したという悲痛な訴え。
 最終日にまさかの登場をした、N.サルトリウス教授の力と熱に溢れた講演。テーマはDestigmatization(烙印からの解放)。おそらく氏はこのテーマに余生をささげられることであろう。
五 補足
 受付カウンター間近までヒシヒシと押し寄せ、かつて知らぬほどに厚顔に派手な宣伝合戦を繰り広げた製薬ビジネスのブース、と観光業者のデスクの列。
 十指に見たぬニホン人参加者は、未知の人のみであったが、その中で英語で発言する者は私のみであった。幸い多数の親密な友人を各国に持つことが出来た。

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時は流れ、私は残されるーロンドンテロに遭遇して

小林 信子

 去る7月末の1週間、5年ぶりにロンドンを訪れる機会を得た。「イギリスにおける地域ケアの最近の発展」の調査団に加わったのである。この記事はその報告をするものではない。報告する義務はあると思うが、今回の訪問でイギリスには地域ケアの発想においてもその背中が見えなくなるほど私たちの国とは距離をあけられたという思いが私を圧倒し、書く元気が出てこないのが現状である。興味ある実践にも出会ったが、それらをつまみ食い的に紹介しても、政策発想の根本が違うので、どれだけ意味があるのか・・という悲観的想いにとらわれているのだ。
さて、私の思うところ、精神医療においても世界的な傾向として、より人権に配慮した多様な地域ケア推進の一方で、「安全な社会」のために管理された病棟における短期間の入院という二極化が進んでいるようだ。今回の私たちのロンドン訪問を受け入れてくれた精神医学研究所のソーニクロフト教授も「イギリス政府は不思議なことに、一方で地域ケアの発展を国の政策として、と同時に暴力傾向が顕著とされる人格障害者を強制入院させるための法改正を目指す(2007年には成立するだろうとうとのこと)という正反対の政策を同時に進めている」と認めていた。外国のユーザーもそれぞれの国で似たような状況を述べていた。
好景気が続くイギリスも、犯罪予防という名目で数年前から監視カメラ導入の法律ができ、続々と設置されてきた。実際目で見て、駅構内はもちろん、街頭やバスや地下鉄の中にも備え付けてある監視カメラの氾濫に改めて驚いた。ダミーがかなりあるとしても、驚くべき数である。「プライバシーにうるさい国民なのに、なぜこれらのことが容認されているのか」ということが、今回の私のテーマになってしまった。7月7日のテロでは、犯人特定にこれらのカメラからの情報が有力な決め手となっていると日本でも報道されている。「安全な社会に住む権利」が世論として形成されてもいる。確かに、イギリスでは刑務所の過剰収容が大問題で、増設されている。人種問題が大きく関わっていて、人口と反比例してアフリカや西インド諸島からの移民やその2世の収容率が高い。つまりは貧困問題でもある。しかしイギリスの精神科医によれば、精神障害者による犯罪はむしろ減っているという。これらの数字があっても、「安全な社会」という世論は、重度の暴力的な人格障害者を予防拘禁する精神保健法改正への動きをやめさせることはできない。さらに、保安病院はすでに長い歴史を持っている。
 ロンドンのテロ実行犯はイギリス生まれで、彼らがイスラム原理主義者になったことで社会にショックを与えたという。同時に、ヨーロッパ各国で動きが活発になっているネオナチや右派の台頭はイギリスでも例外ではないらしい。スキンヘッドの男たちがイスラム寺院の周辺で「イスラム教徒に人権はない」という横断幕を掲げてデモ行進し、警察官に規制される現場を偶然目撃した。
 ブラジル人青年が地下鉄の中で射殺された事件は、「テロ取締り法」の非情な運用と知ったが、人権団体が早速この事件への抗議行動を国会議事堂前で行っていたことにほっとした。誤って射殺されたブラジル人青年の事件は、捜査過程での誤った情報が訂正されないまま尾行され、追跡者に驚いて立ち上がったところを「抵抗」とみなされて、白昼地下鉄の中で押さえつけられ頭に7発もの銃弾を打ち込まれたというギャング映画のような出来事だったといわれている。イスラム教徒を自国内にどれほど抱え込んでいるかいないかは重要な要素だが、それにしても、戦時下のようなすごい法律が制定されているなという思いがある。
精神保健に関わるきめ細かい地域ケアの進展や、利潤追求とは別の“利益”視点の政策を推し進めているイギリス政府が一方にあることが今回の研修ツアーでわかった。好景気に支えられていることもあるが、ホームレスの人々への精神保健専門のチームとNGOなどの共同作業で、ロンドンの最も貧しい地域ですら路上生活者はほとんど見かけなかった。これら政府のやっていることと、人権無視のテロ対策法が共存することが現実の社会ということなのか。日本も似たような経路を歩んでいるのだろうか、考え込む日々である。

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サルサと葉巻だけでなくーキューバの精神保健―

                        http://pb.rcpsych.org/cgi/content/full/26/5/185
S. R. Collinson, T. H. Turner
Psychiatric Bulletin (2002) 26: 185-188 より仮訳

この文章にあるキューバの精神病院(HPH)に、ほとんど同じ時期に訪れる機会があった(おりふれ通信211号で紹介)。少し古くはなってしまったが、私の文章で足りなかった部分もあるのではないかと考え、この場で再度紹介したい。 訳責 中嶋 康子

 西側の保健の最優先事項の観点から、境界的な性質を与えられている精神医学にとって、全く異なった政治システムを持つ国が精神病をどう扱うかは、常に調査する価値がある。
 キューバは40年間合衆国から通商を禁止され、ソ連の崩壊を受けてかなり厳しいものとなった。合衆国は、食品の販売を禁止、特に合衆国の製薬産業の優位を与え、キューバが世界水準の新薬を市場から購入するのを半分は止める効果をもたらした、薬品や医療品の制限を厳しく行った1989年から1993年の間にキューバの国内総生産は35%下がり、75%輸入が縮小した。特に医薬品メーカーによる薬品や医療品の制限を厳しく行った。それにより、必要な資源の入手が難しくなったが、キューバの人々の健康状態を保つことについては、逆に予防的初期ケアのシステムを発展させ、幼児の死亡率はワシントンDCの半分である。それだけでなく、バイオテクノロジーや家庭医療においては、発展途上国のための人的資源としてキューバで開発されている。また、キューバの医学校では世界中の多くの発展途上国の医師が勉強している。
 キューバ憲法は、医療を受けることは全ての国民の権利であり、政府の責任であることを明記している。医療システムは、一般的で包括的な医療に基づき、薬などは低価格ですむようになっている。カストロ政権は、首尾一貫して医療システムの資源に投資していた。現在キューバには6万人の医師がおり、214人に1人の割合で医師がいることになり、この数は世界一である。272病院と442のクリニックがある。2001年に新しく4つの精神保健の中心と作業療法の複合体の開発が含まれるプロジェクトが組まれている。「革命的医療」の教義は保たれており、精神保健の遺伝子的局面だけでなく、予防や社会的なリハビリもまた重要であるとされている。このような事を確認するために我々は、2001年1月に首都ハバナの西にあるマソラ(Mazorra)として知られるハバナ精神病院(HPH)を訪れた。
 HPHは1853年にヨーロッパ型の収容所として作られた。敷地は7ヘクタールあり、広々とした芝生と花壇に囲まれた1階建てのパビリオン型の建物からなっている。1959年にHPHはキューバでただ1つの公立病院で、それ以前は全て私立のクリニックだけだった。私達が会った医師は、病院が「狂人の家」と呼ばれていた1959年以前については話すのは気が進まないようだった。しかし、私達は病院の広い保管所で広範囲な記録を見せられた。1859年からの病院の写真は、植民地時代のパターナリズムのイメージから、バチスタ時代の絶望を通過し、カストロ体制化の人道主義的変化へと続いている。1959年からの写真は清潔な白い服の患者達が自分達の病院を建てる手伝いをしている所を見せている。
1959年以前は、HPHには2000床の病院に、診断名もない患者が6000人も収容されていた。彼らはマットレスもないベッドに、ロープや手錠でベッドに拘束されていたり、きちんとした部屋でなく、廊下や床で生活していた。また、ハンセン氏病などの身体疾患のある患者達も収容されていたし、小児病棟もあった。患者達は様々な精神症状を呈していた。当初からの責任者であったデュキュンヘ医師の指導の元、精神科医と心理士のチームにより、患者の病気の診断を行いながら病院を変えていった。そして1960年代にはヨーロッパに行き、新しい治療法を獲得した。主にフランスやスペインで経験したリハビリテーションモデルを取り入れていった。それらの2つの国とは現在でも職業的な協力関係にある。現在HPHでは2000人の入院患者がおり、別の2000人が地域で生活している。キューバ全体には3つの精神病院があり(カマグエイとサンチャゴ・デ・キューバ)、HPH以外は500~600床である。また14の州には総合病院に併設された20~30床からなる精神病棟がある。HPHの入院者は、リハビリテーションが必要な統合失調症の患者がほとんどである。
キューバには1000人の精神科医がおり、そのうち200人は小児専門医である。医学生は3年間の一般医療、更に3年間の特別なトレーニングをつんで精神科医になる。150人の医師がHPHで働いているが、50人は精神科医ではない。HPH内には身体疾患用のクリニックが併設されており、レントゲンや、心電図、脳波など身体疾患の検査設備がある。患者に手術が必要な時は総合病院に転院する。精神病院は急性期や救急、法廷で扱われるような事例や、リハビリテーションまでのあらゆる特殊性を備えている。65歳以上の老人は、重要な法的な事例のみ引き受けている。
精神病院にいる多くの患者はキューバ精神保健法による強制入院者である。総合病院の精神科に入院している患者は、ほとんどが同意による入院者である。入院に至る過程はイギリスと似ており、2人の精神科医(そのうちの1人は入院病院の医師)と家族の署名を必要とする。最初に72時間の指示が出され、その後長期になる場合は3ヶ月毎にレビューがなされる。キューバの精神保健法が最後に公布されたのが1983年であり、カナダのシステム(患者の権利や同意をとること)が参考にされた。
治療は一般的にはリハビリテーション・社会療法・作業療法・薬物療法を併用したものである。特に作業療法には力を入れている。社会主義者の変化や、他のマルクス主義者の精神病に関する理解を得た時の評価と同様に、HPHの医師らは「薬物療法とリンクした社会療法」についても語り、キューバの職業作業療法が、単なる運動療法を越えて情緒的・社会的便益の両方の生成を目指したもので、欧米の限られた方法よりも発展したものだと考えている。電気ショック療法も行われているおり、有効であると考えられているが、専門家の中でも意見が分かれている。薬物については一般的な向精神薬や抗うつ剤は使用されているが、非定型薬は大変限定されている。オランザピンについては話されたが、それはフランスやスペインからの限られた病院や施設からの援助に頼るしかないようだった。プロザックは三環系抗うつ剤と同様使用されている。
病院には2000人のスタッフがいる。彼らはよく訓練され、患者と熱心に対話しスポーツや音楽療法等の活動に熱心に従事していた。また、私達は患者達による音楽ショーに出席した。
精神疾患以外の診断名としては拒食症や過食症はわずかしかなかった。病院には薬物依存専門病棟(DDU)があったが、外国人のためのもので、ベネズエラやコロンビアのスペイン語圏の人達がいる。それは特別な収入を得る方法に見えた。キューバは麻薬の取り締まりが大変厳しく、薬物乱用者は大変少ないが、ラム酒が広く飲まれているためアルコールの問題は抱えている。しかし、最近コカイン依存者が発見され始めた。DDUでは集中的なグループセラピーが行われており、他の国でも使われている方法である。
患者の多くは週末に家に帰り、日中だけを病院で過ごし作業療法などを行っている。また「夜間病棟」があり、日中は仕事をするなどして外部で過ごし、夜を病院で過ごしている。地域ベースのチームがあり、ハバナ地区(人口300万人)で活動している。それぞれの患者には担当のソーシャルワーカーがいて、地域ベースでの治療を受けている。地域では、精神科医を志している医学生が一つのテントで2ヶ月間ごとに交代するシステムをとっており、注目すべきことである。キューバの医療の中で精神科医のステイタスは高くない。
地域で起きる「不幸な事件」について医療チームとして十分に協議されていたり、法的な手続きを踏んでいた場合、医師が法律家から攻撃されることはない。私達を案内してくれた医師は、患者の開放を決定する時の責任については、資本主義社会との間とは違いがあると感じている。それは資本主義社会の精神科医は、患者を開放する時のいかなる決定についてもある種の責任を負うことである。患者は地域の機関でフォローされ再発を予防している。精神障害者の事件がスキャンダルとして扱われることはない。それは、報道機関の考え方にもよるし、医者がメディアに権力を持たせないことにもよる。
キューバ内での資源は不足しているため、キューバ政府は新しく外国人向けの特別な医療や、生活の質の改善を提供した、ヘルスツアーを企画した。これにはスペイン語圏や、北米の人々が訪れている。
最後に、キューバの精神医療は全体的によく組織され、熱心なスタッフに支えられていた。懐疑的な西側の人間は、私たちが、見せるため専用のものを示されたのかと疑うかもしれない、しかし、病院全体の印象は、注意の行き届いた、よく組織された機関だというものだ。カストロの42年間の政権は、貧困や欠食や病気を包括的な社会福祉政策によって根絶したことは注目すべきことである。ここで行われていることは、世界の精神保健に携わる人々への現実的政治上の教訓になることではないだろうか。

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“People Say I'm Crazy”と私

本紙前号において広報した『日米精神保健秀作ドキュメンタリー上映会in練馬』での最初の上映作品“People Say I'm Crazy”のこの国への紹介に渾身の労を傾注された上村君代氏は、当日カナダから飛来され、舞台挨拶の後、最前列で最後まで熱心に観入られた。ここに私たちの懇請に応えられた氏の見事な寄稿を掲載し得ることを心底から光栄とするものである(岡本省三)

在ヴァンクーヴァー 上村 君代

5月30日夜、練馬区大泉学園ゆめりあホールで催された「日米精神保健秀作ドキュメンタリー上映会in練馬」は、日加精神保健交流協議会の岡本氏はじめ、多くの方々のご尽力で大成功に終わった。
 “People Say I'm Crazy”は、字幕を読むという労働にもかかわらず、170席余の全員が観入っているのが感じられ、初めての一般公開にこれだけの方々が雨の中を来てくださったことも含めてうれしい限りであった。
 大スクリーンやその他の設備の整ったホールでの上映は、この映画を初めて観た時の感動を甦らせた。
 これ程自分を真向から見つめ、心の「闇」の中までさらけ出して、それをカメラで記録することがどんなに難しかったことか、と感服する。「正直に」と言うことがいかに難しいことであるか、この映画を観るたびに思い知らされ、作者と彼の家族の勇気に頭が下がる。

 病気の治癒は受容から始まる、とどこかで読んだ気がするけれども、真の受容には「闇」の部分が必ず含まれ、それがどういうことなのかが、両記録映画によって描かれていると思う。「べてるの家」は七本ある予告編の第一部であったが、今、カナダで見直しが行われている「地域精神医療」の行く先ー光ーが見えたような気がした。カナダでは当たり前の「地域精神医療」とはいっても、基本的に「プロ」が「病者」を治療するというスタンスに変わりはない。故久良木幹雄氏がよく言っておられたが、ものさしをどこに置くかで「普通」の基準が変わる。ということは、「べてるの家」のようにもっと各個人の「普通」を大切にしなければいけないのではないかと思った。
 6年前に発症し、美大の3年まではどうにか進めたものの、薬物に頼りすぎる北米の治療で副作用に悩まされてきた我が娘は、今、バイトをしながらアパートでの独り暮らしをしている。彼女の発症から家族とし
てともに闘病してきて─と言うと彼女に怒られるかも知れないが、“People Say I'm Crazy”にも描かれているように、家族の支えは最も、と言って良い程重要だと思う。

 昨年、カナダで国が出した統計によると、躁うつ病を持つ成人の70%近くが就労し「普通」の生活をしており、その二大要因は適切な服薬治療と家族の支えだそうである。
 ヴァンクーヴァー地区精神保健サービス(公共)では、家族を治療チームの一員に加えることを公的にシステム化しようという方向で検討中である。これまで個人の権利を重んじるがあまりの不祥事(殺人も含めて)がおこり、見直しが始まっていた。当事者の「普通」を一番良く知っているのは家族である。SSRIの抗うつ剤が引き金になった亜躁状態をうつ状態の悪化と診た娘の主治医は、娘の「普通」を知る私に耳を貸さず、服薬量を2倍に増やした。娘は3週間後に措置入院となった。それから数年経ち、二年前のヴァンクーヴァー国際映画祭に選出された“People Say I'm Crazy”を観て、私は何かに突き動かされるように「日本語字幕を付けさせてください」と、招かれていた作者と制作者の一人である作者の姉に申し出た。80年代後半から通訳という仕事で関わるようになった精神保健分野、そして、故久良木氏の支援で交流が始まった日加精神保健交流協議会を通して広がった人の輪を通じて取り組んだ日本語の字幕付けだったが、今年初めにはインターネット(http://www.peoplesayimcrazy.org)で購入できるようになり、教材用として何度でも使うことができる。できるだけ多くの方に観ていただき、病気の正しい理解とそこから始まる治癒の手だてになればと思っている。
 この映画はヴァンクーヴァーで去年から始まった、“Frames of Mind”精神保健映画祭の初日にも上映された。5月に二回目を迎えたこの映画祭は、ブリティッシュ・コロンビア大学精神医学部www.psychiatry.ubc.ca/cme/film/schedule.htmと会員制映画館の共催で行われ、世界各国の映画から選出される。土・日は午後に数時間のワークショップも組まれ、中・高校生対象のものまである。ことしの最終日は、短編アニメーション部門でアカデミーを受賞した“Ryan”と、“Out of the shadow”(米2005)であった。精神分裂病の母親を題材にしたこの記録映画も、又、「字幕を付けたい!」と思わせる秀作であった。来年初めにでも完成できればと思っている。

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書評『自分らしく街で暮らす』ー当事者(わたしたち)のやり方(オリジナル「 PACE 」ローリー・アハーン、ダニエル・フィッシャー 斉藤・村上訳)

精神医療ユーザー 七瀬タロー

 多くの精神病者は、初めて、精神科病院やクリニックを、訪れた際、内心かなり強い「抵抗感」があったはずだ。自分から、受診した場合、周りから勧められた場合はもちろんのこと、まして(半)強制的につれていかれた場合など、「肉体的抵抗」をされた当事者さえ多いことと思う。
 そして、とりあえず、医師の質問に答える形で「症状」を話す 。病名はしばしば「告知」されず、薬の処方箋を渡され、それを、飲むように指示される。そして、2週間に一度の診察で、決まりきった質問(食欲はありますか、良く眠れますか、何か変わったことはないですか等々)を受け、症状(例 いらいらする 、不安がある)を、訴えると、新しい薬が、新たに処方され、調子が良いですと答えると、じゃあ徐々にお薬を減らしていきましょう、というのがほとんどのパターンだと思う。
 いわゆる、「精神病」に関する、「医療/リハビリテーションモデル」は、「精神病」を基本的に脳の科学的不均衡と捉え、薬と専門家の提供するケアを一生受け続けることによって、時に永久的に「精神病」から、「回復」しないものとみなされ、「精神病」のレッテルをはられた自分自身もその診断と指示に従わざるを得ないとされてきた。
 さて本著では、「精神病」に関する、エンパワメントモデルが、提示されている。P.21の対比にあるように、「あなたは精神病にかかっている」のではなく「コミュニティで生活しづらい深刻な感情的苦痛を経験している」のであり、その苦痛は「喪失、心的外傷、及び支援の欠如によるもの」だとされる。必要なのは専門家より信頼出来る仲間や友人のサポートであり、本人中心の自発的な自己によるコントロール、回復のペースの進め方、服薬に関しても、自分で選んでセルフ・マネージメントの技術を獲得し、深刻な感情的苦痛から「回復」するための、助けになる、手段といちづけられている。
 セルフ・マネージドケア(自己管理ケア)という概念は、本著のキーとなる概念であり、「回復」のための技術として、具体的に述べられている。
 まず、感情のレベルで人とかかわることの重要さが、不快な気持ちを表現することも含め、本著では非常に強調される。「世間では、『唇を噛んで』耐えなさい。感情、特に悲しみ怒り、恐怖を表に出してはいけないと言われてきた。これらの感情を表現できることは、回復に不可欠である。」

 私は、作業所と病院(デイケア)と家のいわば「三角形」の間を、往復している精神病者が、不必要なほど、「笑顔」を浮かべているケースによく遭遇する。精神障害者の「役割演技」をさせられているのではないか、と思うこともしばしばである。最近の感情に関する社会学的、歴史学的研究(「感情社会学」「感情の社会史研究」)によっても、感情自体が、社会的・歴史的な産物でもあることが、論証されているが、感情を表現すること、感情レベルで人とかかわることが、重要であるという主張は、「あなたはコミュニティで生活しづらい深刻な感情的苦痛を経験している」という、本著での「精神病」理解から みても、「回復」のうえで、極めて重要だと思われる。なお最近流行のSST等には、このような観点は、ほとんど欠けているようにおもわれるが、専門家の方のご意見はいかがなものであろうか?

 セルフマネージドケアには、具体的なテクニックとして、縫い物や書き物、絵を描くといった気分を良くすることの発見、瞑想 、体、ヨガ、鍼、栄養といった、ホーリスティックヘルスの採用等もあげられている。また、よくなるためには困難や「回復」に関して部分的であっても自分で責任を取ることが重要だともされる。
 またその一方で自分を許すことも、同時に強調される 。そして責任を果たすことに伴う潜在的な危険は、問題に関して自分自身を非難しすぎることであり、これは、自己懲罰につながりやすい。本著は、「失敗も繰り返しながら、学んで成長していく」という「自立」の考え方と、同様の発想の「回復」観にたっている。その上では、自分に少し寛大になること、あなたを許してくれる友達がいれば、より容易に自分を許すことが出来る、とある。そして心から安心し信頼出来る人、体験を分かち合える人、そして人間的な人の存在が「回復」にとって、何よりも重要だと本著では主張されている。そして、またユーモアは重要なファクターであり、ある人は自分のケア提供者について「彼と会うと私は笑いっぱなしだった。彼がいると笑えた」。そしてインタビューされた人の大半は、専門家的なよそよそしさは「回復」への妨げであると述べている。

 最後に、私が、若干気になった点を二~三述べてみたい。
まず「精神病」理解、そしてそれにもとづく「回復」概念が、通常の精神医学とはかなり異なっている。その点を考慮せずに、この本を読んだ各種「専門家」が何かのヒントを得ること自体は良いことだと思うが、「自分で自分の『回復プラン』を立てなさい」等と言い出したら、これは本末転倒であろう。
 基本的には、ピアサポート、自助グループの方々が参考にすべき本だと思う。またこの「回復」概念が成立するには、各種社会的・経済的サポートも、当然必要とされる。しかるに、昨今の情勢を考えると、様々な困難も当然予想される。また特に「回復」の概念を、かなり慎重に理解しないと、「回復」の強迫神経症になりかねないとも思う。
入手方法・連絡先
080-1036-3685(平日13時~16時)
E-mail : rac0207@yahoo.co.jp (出来ればメールでお問い合わせをとのこと)

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絶望的な「真実」とそして希望に溢れた「真実」と・・・『日米精神保健秀作ドキュメンタリー上映会in練馬』開催迫る

①People Say I'm Crazy(2003.米国 84分)
②ようこそべてるの家へ(1955.60分)

日時:2005年5月30日(月) 18時~21時(17時30分開場)
会場:ゆめりあホール(西武池袋線大泉学園駅北口前、銀行左手入り6階)
費用:500円 
チケットは振り替えで(5月20日まで)/当日券もあり
郵便振替口座:秀作ドキュメンタリー上映会in練馬 口座番号00180-7-314328
主催:『同上映会』実行委員会 連絡先tel/fax0422(42)3276岡本

紹介①「病者」自身が記録し続けた10余年の“病苦・絶望・彷徨、そして微光”。100%作りものの“ハリウッド製精神ネタ”が隠しまくってきた、ネオリベラリズムと「ブッシュの戦争」下の医療・福祉の惨状が、数千時間を凝集(編集)した84分間に満ちている!②さて「べてる」・・・ 「年商一億円」「年間訪問者2,500人」、過疎の町浦河のメインストリートを闊歩し、昆布と病気を元手に稼ぎまくる「べてる」の何がそんなにすごいのか◎三度のメシよりミーティング ●無反省で行こう ○公私混同大歓迎 ◎諦めが肝腎●リハビリなんて辞めた ○べてるは降りていく。今日も明日も降りていくÝそれで順調!!創立25年。ご存知「ドタバタ妄想幻聴大講演会」で全国を沸かせている面々とは?

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キューバからの手紙 Nさんへ No3

作業所勤務  宮城ゆみ子
 朝、雷と激しい雨音で目覚めると日本で言う夕立ちのような降りで、朝食に下りる
とレストランは薄暗く、停電のようでした。そんな中で食事を済ませ、なかなか連絡のとれないHさんへ何度めかの電話を..やっと繋がって、日本から某作家が取材を兼てキューバへ来ており、そのグループの通訳で出かけていたとのことでした。
 日一日と夏に近づいているのがわかる季節です。Hさんとハバナ精神病院へ行く日
です。交通手段の少ないキューバで今回も彼女の所属しているF研究所が運転手付きで車を出してくれるということだったのですが修理から戻らないとのこと。どうしようかと相談していると、Hさんの住まいとしているホテルのフロントマンが友人の車を借り運転してくれると言うことになりました。Tと私の日本からの荷物の3分の1は病院へ持ってゆく衣類で、それらと以前に送っておいた荷物を届けに今回の旅行の目的でもある病院訪問となりました。
 以前、この通信にNさんが詳しい報告をされていたので(編集部注:おりふれ通信No.211 02.7・8月合併号)詳細は省きますが、キューバで一番古く一番大きな精神病院です。病院の入り口で寄付など受け入れ担当の女性が迎えてくれ、通された会議室では副医院長ともう一人の担当者がいて、なぜかマンゴージュースとコーヒーがセットで出され、コーヒーに砂糖はいらないと言うとすごーく驚かれてしまう。(キューバは砂糖の国でした。)前回の訪問時に比べると病院の状況は少しずつ良くなって来ている事、アメリカの経済制裁の続く中、カナダからの直行便がある事で、カナダ政府の援助による、精神病に関するソフトの入ったコンピュータ3台が近々届くと言う事でした。私達の持参した衣類はベッド3700床の内、現在2355床使用という中では焼け石に水そのもの、それでも内外の人たちの協力を得て届ける事ができました。その後の雑談で、前回の病院内見学で私達が関心持った飼料不足のため閉鎖していた養鶏所はやはり閉じたままでした。仕事の話になり同行のTが無職と言う事にアントニオ.バンデラスを小作りにしたような、Gパンの似合うハンサムな副医院長(Tの言葉による)は「女は家庭にいるのが一番」と言う。すかさず女性職員が「今回の衣類の寄付に関係したのは女性と男性どちらが多いのか?」と聞かれ突然なので「ほぼ女性」と応えると「やはり女性の力は偉大だ」と切り返す..こんなところは日本と同じですね 
 今回の訪問にはHさんの夫も同行しました。彼はアルツハイマーという病気で現在キューバでマクロビオテック(玄米を中心にした食事療法)なども取り入れた治療をうけているのです。またキューバはチェノブイリで被爆した子供達2万人を受け入れ治療をしたり、発展途上のアフリカや中南米諸国への医療関係者の派遣などもしています。深刻な経済困難にありながら、不思議にさえ感じられます。
 アメリカの経済制裁はまるで子供のいじめのようで更なる制裁が加わる中、どうな
ってゆくのだろうと、とても気になります。
 日本を発つ時はこれが最後かもと思っていたのが、帰りの飛行機の中ではキューバ
の友人達にちゃんとさよならするためにもう一度こなくちゃねという話になっていま
した。 Nさん、是非また、この変わり続けるキューバを一緒に旅したいですね。

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トロント~働く精神障害者を訪ねる旅~

コンシューマー・サバイバー 君島潔

 去る9月13~15日、カナダオンタリオ州都トロントの、精神障害当事者が働く9つの事業所を訪ねる機会を得た。これら9つの事業所は、アメリカのファウンテンハウスをモデルとし所長を健常者が務める1カ所を除き、すべてスタッフはコンシューマー(精神保健福祉サービスの利用者だが、ただユーザーでなく物申す立場をとる)・サバイバー(精神医療システムからの生還者の意)のみで運営されていた。いくつかを具体的に紹介する。

○Ontario Peer Development Initiative(OPDI:オンタリオ・ピア開発事業)
 州政府が助成している団体を技術的にサポートしている当事者団体。申請のし方、助成金の使い方など困ったことがあれば、ここに相談できる。
 以前、ある当事者が州議会議員になった。彼は、コンシューマー・サバイバー達と広いつながりを持っていて、患者のために活動した。精神障害者も仕事はできるから、補助金を出してほしいと知事に進言した。1991年に資金のほしい団体を募ることになったら、150もの応募があった。このOPDIが調査元となり、最初は36の団体に州政府の助成金を分配した。今は60の事業所に、OPDIを通さず直接お金が行くシステムに変わっている。トロントは人口1,200万人と多いので当事者の事業が経済的に成り立つ。OPDIの運営方針は基本的には理事会が決める。以前は理事会メンバーはすべてコンシューマー・サバイバーだったが、現在は「すべてコンシューマー・サバイバー」とすることにはもう意味はない、人物本位ということで健常者も入っている。
 OPDIの人は、「私達は『作業所には行くな』と仲間どおしで声を掛け合っている。そこは自分たちの持っている能力を弱めると考えている」と語った。

○A-Way Express(エイ・ウェイ・エクスプレス)
 この事業所は18年前に設立された。設立者はもちろん当事者。説明をしてくれた現所長のメアリー・ルーカスさんは、理事会が出した広告に応募し、話し合いを重ねて選ばれた。所長は当事者でなければならないと決められている。
 A-Way ExpressはNPO法人で、仕事の内容は宅配便。重さ5キロ以下の小包と手紙を、公共の地下鉄、バスなどを使って配達する。働いているのは70人。配達する人50人と、事務20人。すべて当事者で、統合失調症とウツの人が多い。平均年齢は25歳くらいで、50~60歳の人もおり、仕事ができればOK。応募してきた人を人事課で面接して採用する。
 オンタリオ州から入る障害年金(トロントの場合、1ヶ月840カナダドル=1カナダドルは約88円なので約74,000円+住宅保障)は、161ドル以上稼ぐと削られ、少なく働くと加算されるとのこと。年金に頼らないでフルタイムで働くと、裕福ではないが十分な生活ができる。
 うまくいっているのは、働く場として休むことができ、再び戻ることができるのが大きな要因だという。ここの職場から普通の会社に移る人は時々いるが、戻ってくることもある。二つ仕事を持っている人もいる。ここはいつでも戻ってこられるので、ここにも籍をおいている。
 州政府からもらっている助成金は519,000カナダドル(約4,500万円)。州健康局は、この仕事をすることによって病気が良くなると見ている。

○Center for Addiction and Mental Health(CAMH:嗜癖精神保健センター)
 4つの州立病院が90年代に統合され、北米で一番大きい精神病院になった。この巨大な病院はコンシューマーであるダイアナ・カポーニさんを雇い、「クライエント雇用事業」を設けて、病院内でコンシューマーの仕事を開拓した。全職員2,700人のうち650人はコンシューマーだが、具体的には誰も知らない。プライベートな情報に関してはとても厳しい。しかしこの病院でも未だ差別的なことがあり、人々の意識を変えていかねばならない。
 ダイアナ・カポーニさんの上司に当たるローダ・ビーチャさん(CAMH人材組織開発部)によると、「クライエント雇用事業」は以前から考えていたもので実現できてとてもうれしい。コンシューマーの仕事は今のところパートタイム中心だが、これからはフルタイムの仕事を考えている。そのためにはトレーニングが必要だとダイアナ・カポーニさんが教えてくれ、その実施を考えている。ダイアナさんの給与は健常者と全く同じ額である。このような雇用はWHOに認められているので世界に広まるのではないかと考えている。
 実際の仕事場として院内にある、カフェレストラン(Out of This World Cafe)で昼食をとった。スタッフはすべてコンシューマー。あまりに量が多く残してしまい大変申し訳なく、もったいなく今思い返している。またNPO法人「エンパワメント協議会」も、スタッフはすべてコンシューマーのピア・アドボカシー機関である。病院からお金は出ているが、病院に対して患者の権利を通す仕事をしている。コンシューマーに対し薬などの教育もする。院内と地域のクライアントの関係を常に保つことも仕事である。

感想
 私自身は信じていたが、それが「確信」となったトロントの旅であった。精神の当事者だけでやっていける、この現実を見て私自身はとてもすっきりした。日本という国で同じようにやっていけるか?地下和紙の社会福祉施策評価事業のアンケートにおいても、潜在的に必要としている当事者がかなりいることがわかっている。そうでなくても現時点で精神の社会資源がほとんどないことを考えると、どのようにしたら実現できるか考えてみたいと思う。他人ごとでなく実務を責任もって担える当事者が5人いれば、実際にトロントと同じような事業が実現できると考えている。しかし制度的な問題がある。厚生労働省がこのような事業にお金を出すようになるためには、やはり現時点で、何らかの方法で、精神の当事者にお金を出してもできるんだというこ
とを示すことが必要だろう。現実にそれができるかどうか、とても難しい問題だろうと思う。

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韓国の当事者・医療関係者との交流から

福祉ショップわくわく 東谷 幸政

 今年の2月下旬に、福祉ショップわくわく(東京都稲城市)メンバー4名とスタッフ2名が韓国を訪問し、ソウル近郊の城南市(ソンナム)コミュニティメンタルヘルスセンターデイケアの当事者たちとの交流を行なった。3泊4日の短い旅であったが、メンバーのうち3名は初めての海外旅行。この旅のために毎月3千円ずつを2年近く積み立て、ハングル語を学び、日本と朝鮮半島との交流史を学んでの旅立ちだった。
 たまたま、センターと同じ運営母体である龍仁病院の運営するグループホームが空いていたため、韓国での1泊目は韓式旅館という、ビジネスホテル・ラブホテル兼用のオンドル旅館に泊まったが、2~3泊目はホームを無料貸し切りで利用させていただいた。3LDKの新築マンションを2棟。ちょうど6名での旅だったので、全員が個室で利用できた。広いマンションな割に浴槽がなく、シャワーのみという構造には驚いたが、韓国では珍しくないらしい。いたるところに公衆浴場があるため、困らないという。
 今回の旅のメンバーの一人は、稲城市のグループホーム・梨里の入居者でもある。現役の入居者が別のグループホームに泊まるという、珍しいケースで、しかも外国のホームである。みんなから、「日本人で初のケースかもしれない。」「日本のホームとの違いは?」「唯一のエキスパートだ」と言われて、満更でもなさそう。印象を聞くと…日本の世話人が、がっくりしそうだから、ここでは書くのは止めておこう。
 ホームは原則として利用期間は3ヶ月。集中的に関わるため、多少の延長はあっても、長期入所の必要はないという。LDK部分にあるインターネットは使い放題である。受け入れ先の配慮で、水やジュースなどの各種飲み物・冬だというのに高価な果物が豊富に用意されていた。新品のタオルや歯ブラシなども用意され、あまりに親切で細かな気配りに一同、感謝感激感動した。
 今回の旅の観光の目玉は中央高校。「冬ソナ」フアンの女性メンバーの希望を叶えるため、苦労して探し当て、冬休みで学生・教師がいないのをいいことに奥深く潜入し、校舎内の記念撮影に成功した。韓式ドラマの聖地であるこの高校が3・1抗日独立運動の活動拠点だったことはあまりにも世に知られていない。その他、水原城、景福宮、(ともに世界遺産)、民俗村などを観光し、水原女性会という女性団体の事務所を訪れ、交流した。この会の前代表である京畿大学保健センター所長・韓玉子さんが6年前にわくわくを訪問したのが日韓交流の始まり。通訳の鄭さんも会員である。
 当事者交流は、センターでの交流会、スーパーへ一緒にショッピング、鮮魚店での夕食会、翌朝の市場への買いだし、ロッテリアでの茶話会へと続いた。生まれて初めて「食用犬」も見たし、蚕のさなぎを炒めた、ポンテギという、むこうではポピュラーな「スナック」も試食できた。これらは、強烈に食文化の違いを印象付けられた「事件」だった。つぎは、是非そちらが日本へ来てほしいと要請し、再会を約束して別れた。

 7月27日、約束を守って、城南コミュニテイメンタルヘルスセンター所長、龍仁病院医師の高 永さんが来日した。たまたま、稲城のグループホーム梨里の入居者が数人まとまって退所したばかりで空いていたので、2月のお礼に日本のグループホームを3泊、宿泊体験してもらった。さっそく、初日は韓国を訪問したメンバーで歓迎会。翌日夜にはグループホーム梨里入居者と混じっての夕食会にも参加していただく。わくわくでの交流会はじめ、支援センターMEW、多摩総、にしの木クリニック、陽和病院と駆け足での見学や交流が続いた。桜ヶ丘記念病院夏祭りも見学。残念ながら強く希望しておられた、野宿者を支援している精神科医との体験交流は当方に情報がなく実現できなかった。そのかわり、野宿者を支援しているNPOもやいの代表者から、活動現況のレクチャーを受けることが出来た。高さんは昨年まで2年間、ソウル市の野宿者のメンタルケアの責任者だった。ソウル市が約束どおりの支援をしてくれないとして、昨年、辞職したのだが、野宿者支援システムを変えるために、極めて熱心に研究して行かれた。
 30日夜からは、長野県に移動して、地域通貨「湧湧」・自然農の学習と体験をされた。彼は8月から、オーストラリアで1年間、地域精神医療を学ぶために留学するのだが、もうひとつの目的はパーマネント・アグリカルチャーの12週間のプログラムに参加することである。持続可能な無農薬農業を基盤に共生の町創りをデザインすることを学習するのだが、彼自身、過疎の農村での障害をもつ人々との共生のコミュニテイの実現を夢見ている。韓国もソウルへの人口の一極集中で地方農村は過疎が深刻である。空いている小中学校の校舎は数多いらしく、活動拠点は手に入りやすいという。愛読書が福岡正信氏の自然農に関する著作だというのにも驚かされる。森山公夫氏が前から提唱しておられる、「新たな共生のコミュニテイ」創りのイメージに近いものを、韓国の農村で実践しようと、オーストラリア・日本で学ぼうとしている。その熱意・真剣さがこちらにも伝わり、触発される。山梨県長坂町での自然農の見学を終えた後、農家の三井さんに、来年、オーストラリアから帰ったら、1~2ヵ月住みこみで研修させてほしいと申込み、快く了承された。
 高さんの来日が決まったのが直近だったにも拘わらず、見学・交流にこころよく応じていただいた、各団体・個人の皆さんに深く感謝します。

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韓国:住民運動の現場で見つけたもの

野宿者運動見習い  吉田亜矢子

 私は野宿者(ホームレス)支援に関わり始めて約1年余り。現在は、野宿当事者による仕事おこしを目的にリサイクル事業や便利屋事業を行うアジア・ワーカーズ・ネットワーク―通称あうん―などに参加させて頂いています。(おりふれ3月号にあうん紹介文が掲載されています。)
 今年2月、韓国へ赴き住民運動の現場に触れる機会に恵まれました。かつてソウルの貧困地域ではいたる所で行政による再開発と強制撤去が行われ、撤去反対運動などが繰り広げられてきました。とりわけ私が滞在中お世話になったCONET(韓国住民運動研究院)というグループは、当事者の主体性や非当事者の関わりのあり方などに篤く、再開発・撤去の激しい時代には地域に入り込み住民の組織化を促し運動を行い、再開発の波がある程度落ち着いた今でも彼らの関わった地域では、住民たちが自らより暮らしよい地域を維持するため協同組合や住民自治会運営、子どもの教育の場作りなど様々な活動に取り組んでいます。渡韓の目的は、その地に蓄積されている、当事者による主体的で協力的な運動を育むノウハウを学んでくること。それが、私が関わるあうんなどの活動の場においても役に立つだろうということでした。
しかしまだ韓国を訪れて日も浅い頃、印象的な出来事がありました。ある時、ボランティアの方が貧困地域の人々に食料を配布するというチャリティ色の強い活動の現場を訪問し、後日、あれは住民を“ただ助けられるだけの弱くてかわいそうな人”にしてしまっているのではないか、あなたたちの言うスタイルと異なるのではないかと疑問を投げかけたのです。しかし、現地の活動家は「確かにあのやり方には問題がある。」とした後で私をこうたしなめました。「皆、活動の手法ばかりを考える。しかし、大切なのは手法ではなくてまず当事者との深い関係を築くこと。我々の活動は当事者の信頼を得るところから始まる。君は日本のフィールドで一体何人の野宿者を理解している?」―当たり前のようでつい忘れてしまいがちなこと。私は訪韓前から、「手法」を学んでくることばかりに囚われて、大切なことが見えなくなっていました。それをこの時まさに指摘されたのです。
 「関係」ということに着目してみると、様々なことが見えてきました。なるほどどの場面においても、活動家や支援者、住民リーダー、住民たちの間には、ごく自然に通じ合う暖かい空気が流れており、それがそれぞれの活動を根元から支えているように感じました。貧しさや、撤去によって住む場を追われるという過酷な経験を経たにもかかわらず生き生きした表情を見せ、自分自身の言葉で語る住民たち。それは決して、単に撤去に対する運動を闘い抜いたという自信からのみではなく、その過程で培われた他者との信頼関係の中で、自分たちの生活、自分たちの置かれている状況、自分たちが望むものなどを自ら捉え返し、分かち合ってきたからこそなのではないでしょうか。
 「深い関係を築く」そんな単純なことから、こんなに大きなエネルギーが生まれるなんて、ではそのために必要なことって何だろう、ただ親しくなればいいというのか―そのヒントをくれたのは滞在中の日常生活の中で出会ったごく普通の人々でした。行く先々で出会う人々の人間関係の作り方が、私が日本で経験するものとは何か異なっていました。例えばコンビニ―都市部で、しかも初めて訪れたにも関わらず店員が気さくに話しかけてきて世間話までしてしまう。たとえば路上で―人に道を尋ねればいつも、わかるまで説明してくれる、迷っている姿を見てわざわざ戻って来てもう一度教えてくれる、しまいには目的地まで連れて行ってくれる。こんなエピソードは数えたらきりがないほどありました。
 出会う人々は皆、何も警戒せず好奇心や好意、関心を惜しみなく表に出し、一歩も二歩も踏み込んで屈託なく接してきました。それは全く厚かましく感じず、むしろ暖かく心地よいくらいでした。日本でも昔はそうだったのかもしれないし、今でも地方や下町にはそんな人間関係があるのかもしれません。でも、私が日本で日常的に知っていたのは、コンビニ店員も路上の通行人も、場合によっては日々顔を合わせる友人などでさえも、相手に必要以上の関心は示さず一定の距離を保っている、そんな関係でした。自信がない、見くびられたくない、優
位に立ちたい、認められたい、上か下か、勝者なのか敗者なのか…そんな思いが背景にあるような気がします。でも、そこには本当の信頼関係ではなくて競合関係しか生まれない。私の関わる野宿者をはじめとする貧困者や被差別者、被抑圧者たちは、周囲の人々からの「自分よりだめな人間」「自分よりかわいそうな人間」という視線の中で、そんな人間関係のしわ寄せを食う最大の犠牲者になっているのかなとふと思いました。
 韓国に渡って学んだことは様々あるにせよ、やはり最も印象深かったのは人と人との関係性の部分でした。それが、まず活動の出発点であり、さらに追求し続けていくものである。それを教えてくれた現地のすべての人々に、大変感謝しています。

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キューバからの便り Nさんへ  No2

作業所勤務  宮城ゆみ子

 今回驚いたのは朝食に野菜が並んでいた事です。1年半前Nさんと来た時、野菜が食べたくてオーダーしても透けて見えそうなきゅうりと、3人じゃ喧嘩になりそうな量のトマトが出てくぐらいでしたよね。
 アメリカの経済制裁の続く中、今や年間2,000室の割で観光客用のホテルが増えているという観光立国をめざすキューバ。観光客のニーズに応えてということでしょうか。とにかくホテルの朝食にはキャベツとハム炒めや、生野菜が毎日有り、時々卵は切れていると断られましたが、全体に前回より充実したメニューでした。
 キューバ3日目にしてやっと落ち着き、待っているだろう友人へ電話。明日の夕食はリカルド宅でとなりました。
 キューバの夕食は8時過ぎくらいと遅いらしいのですが、私たちに合わせてくれて6時頃から始まりました。一緒に住んでいるリカルドのママと私達のために来てくれた、ジャクリーンのママと4人で食卓を囲み、キューバの代表的な料理コングリス(まめごはん)、トストーネス(青バナナのフライ)豚肉のソテー他、そしてなんと生野菜のサラダが並び、全くのキューバ語のお二人とアイコンタクト&笑顔だけが頼りの食事となりました。(狭いからか全員で食事をしない、部屋も別でしたよね)
 食後は近所の人も含め、あの甘くて濃いコーヒーをいただきながら、今後の予定が話題になり、チェ・ゲバラの遺骨が納められているサンタクララへ行きたいと話しました。
 ホテルのツーリスト・カウンターで聞くと、サンタクララ見学&トリニダ1泊ツアーになるということで、料金も結構します。路線バスは、あのキューバ映画「バスを待ちながら」を観た人はわかると想うのですが不安。と、そんな中、リカルドが車を持ってる友人がいるというので、値段の交渉など連絡してもらうと、明後日OKとの返事でした。自分達も行ってよいかとリカルドに聞かれ、一般のキューバ人はなかなか旅行などできないと聞き、長いドライブなので定員以内ならかまわない、と答えながら嫌な予感がチラッとよぎりました。

 4月4日 明日のサンタクララ行きに備え、キューバ3回目にして、やっと革命博物館へ行きました。スペイン・コロニアル様式のかなり立派な建物で革命に関する資料や武器が展示されています。1階にはゲバラのコーナーがあり、'67年ボリビア山中で銃殺されるまでの軌跡が展示されていました。中庭を抜け裏手の広場にはカストロ議長が反革命軍の船を沈めたという戦車があり、そしてバチスタ政権を倒すためカストロ、ゲバラをはじめとする82名の同志が乗り込みメキシコからキューバへ向った、あのヨット─グランマ号がガラス張りの建物の中に収められていました。ガラス越しのグランマ号は大事な役割を果たし今や静かに休んでいるように見えました。
 また'97年ゲバラの遺骨がキューバヘ帰った追悼式典のビデオが放映されています。その前で、くいいるように観ている子供達と一緒にBGMのHASTA SIENPRE (「さようなら」という訳でいいのかな?)を聴きながら、ちょっと真面目にキューバ革命を考える時を過ごしました。
 明日はいよいよサンタクララです。

 4月5日 朝6時半、ホテルの前にはやたら大きな'50年代アメリカ製のクラシックカーが。ちょっと嫌な予感。次々降りてきて朝の挨拶をかわす。リカルド夫妻と次男の3 歳になるアルバロ、甥のホセ、ダビッド夫妻そしてママ、チーノと呼ばれてる中国系キューバ人運転手、私たちを入れ総勢10人。車が大きいとは言え、どうみても定員はオーバーだ。文句も言えずギュウギュウ乗り込み出発。全開の窓から初夏のキューバといっても、早朝の冷たい風が吹き込む。どうも窓は閉らないらしい。
 ハバナからサンタクララまで車で3時間ほどという、道路は幅も広く真直ぐで、時間の早いせいか車はほとんど走ってなく、ギュウギュウ詰をのぞけば快適に飛ばしていました。30分も走ったでしょうか、「バァーン」という嘘のような大音響で車はよろよろと路肩に止まり、パンクでした。タイヤを見ると信じられないほど裂けていてTは「絶対重量オーバーが原因だ」と言っていました。スペアに取り替える間、非常時には滑走路となるという広い自動車道を寒さしのぎにみんなでマラソンをしていました。そんなアクシデントもあったけれど11時過ぎにはゲバラ廟の有る広場に到着。
 紺碧の空に銃を持ち前進するゲバラの像がそびえ建ち、それを囲むように革命戦士やゲバラの「別れの手紙」などのレリーフが並ぶ。みんなから離れ一人像を見上げながら「あーやっとこれたね」と独り言・・とその時ビデオカメラをポロリとコンクリートの床に落っことしてしまったのです。そんなわけでNさん、このサンタクララをお見せする事はできなくなってしまいました。気を取り直しこの像の下、半地下に有る納骨堂と博物館へ下ってゆき、係りの人の案内で納骨堂へ入る、薄暗い中、正面の壁中央にゲバラの顔が刻まれ、この奥に彼の遺骨が眠る。両側に同志38人の彫像が並んでいる。
 3歳のアルバロをはじめ誰も声を発せず静かに黙祷している。奥を見るとカストロが納骨の式典で点火したと言う「永遠の火」が暗闇を照らし燃えていました。出口に向い、最後に振り向くとリカルドのママが正面のゲバラの顔を愛し気になぜているのです。多分ゲバラと同世代のママは、革命そしてその後の苦しい時代を共に生きた同志なのでしょう。それを見て、ギュウギュウ詰定員オーバーにちょっとムッとしていた私達も許せてしまいました。
 その後はサンタクララ郊外の革命戦争中サンタクララ攻略のカギとなった列車襲撃の現場へ案内されました。今は巨大な尖った何本もの石柱がそびえ、その間に赤茶の本物の列車が散乱と言う感じに並び、トレイン博物館と説明されました。その石柱群を眺めながら昼食となったのですが、車のトランクの中は、彼等の自宅の食卓がそのまま運ばれてきたように、先日御馳走になったような食事がトランクの中のお鍋からお皿に盛られて出てきたのです。食後、やはりここまできたら、しばらく会っていない親戚に会って行きたいという、車の点検もした方がいいとも言う、もうこうなればなんでもどうぞ、車で半時間程走り、町の名前もわからない親戚の家へ着きました。 挨拶もそこそこに、疲れているだろうから休めと、半ば強引にベッドルームに案内される。有り難いのだけど、おしゃべり好きのキューバ人としては言葉のわからない私達は邪魔だったようでした。ベッドルームとはいえ板壁1枚では大声のおしゃべりは筒抜けで眠る事もできず、あたりを見回す。いつも感心するがキューバ人はきれい好きだ。建物は質素だが本当に工夫してきれいに使っている。見知らぬ人のベッドも清潔でキチンとしていて、気にならないのです。そっと抜け出して裏庭へ出ると納屋の軒にタマネギが吊るされ、並んだ鳥かごにカナリヤが飼われ、放し飼いの鶏がおり、生まれたての子犬が子供達に抱かれていました。ふとここはどこだろうと考えてしまいそうな、ハバナとは違うキューバがありました。この日ハバナへ戻ったのは深夜でした。またお便りします。

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キューバからの便り  Nさんへ

作業所勤務  宮城ゆみ子

Nさんがこの「おりふれ通信」にキューバのハバナ精神病院見学報告をしたあのキューバ旅行から約1年9ヶ月、今回は一緒に行けず残念でしたが、私は職場のヒンシュクも顧みず年休全部を使って3度目のキューバを旅してきました。
 今回もあの友人Tと。今回の旅行は、できればという程度の目的として、いつものような街中で演奏されてるキューバンミュージックもいいけれど、ちゃんとしたステージでのライブを聴きたい。
 特に大きな理由があるわけではないけれど、諸事情を考えるともしかしたら最後のキューバになるかも知れない、やっぱりあのチェ・ゲバラの遺骨が納められているサンタ・クララへ行っておきたい。
 前回、Nさんのハバナ精神病院見学の報告にも書かれていたと思うのですが、キューバは入院、治療費の無料化はもちろん食事、日用品、衣料も配給と言う中、アメリカの経済封鎖は国全体に物不足をもたらしていて、この病院でも「なかなか衣類にまでは」という話を聴いて大きなことはできないけれど、モノ余り状態の日本で衣類を集めて送ることくらいははできるのではないかと、キューバから帰った私達は職場の仲間や友人知人に声をかけ、昨年春、第一便を船でキューバの友人宛に送りましたよね。届くかなと心配だったけれど、なんとか届いたらしいあの荷物と今回持っていった衣類を病院へ届けること。この三つぐらいは実現したいと考えていました。
 3度目などといっても、Nさんも知ってのとうり、計画的な動きの苦手な私達としてはいつもの旅行社に航空チケットと、前回一緒に泊まったあのホテル・テハジージョに12泊全部とお願いし、ただアメリカのイラク攻撃に怒ってる私達としては、あのヒューストンのジョージ・ブッシュ空港だけは、いくら安くても経由したくない旨(こんな時旅行することと矛盾してるでしょうか?)もう一つ軟弱な注文なのですがエレべータのないホテルでしたので部屋は2階へ、などとわがままも言ってみました。
 まあそんな訳で飛行機はエアーカナダ、トロントへ1泊し、そしてキューバへ、ホテルの部屋は2階予約OKと一応順調な旅立ちの予定ができあがり、やっと成田でチエック・インという時の荷物検査で、なんとこの20年近く一緒に旅をしてきた私のスーツケースが壊れてしまったのです。
 詰め込み過ぎもあったでしょうが、酷使されくたびれてしまったのでしょう。成田で捨てるには忍びなく、まるで包帯のような白いガムテープでぐるぐる巻にされたバッグと共に旅立つことになったのです。痛々しさこの上ない姿は写真に納めましたので是非観て下さい。
 「汚くて国内じゃ恥ずかしくて持って歩けない」などと悪態をついていたことが悔やまれる事件でした。
 このアクシデントに象徴されるトラブル続発の旅がここから始まりました。
 機内で読むCUBAガイドはあのいつもの旅行会社がくれるキューバ大情報(大はいらないような気がします)と、こりもせず「地球の歩き方」そしてこれは優れもの大お勧め、「旅の指さし会話帳キューバ」御存じのとうりキューバはスペイン語、でも私達には、キューバは「キューバ語」なのです。とにかくページを開いて、指差しながら会話ができてしまうのです。前回も大活躍でしたよね。
 信じられないほど英語もできないし、スペイン語にいたっては知ってる単語の数は両手の指の数程と言う私なのですから。でもそんな私達でも旅ができると言うのがキューバと言う国なのかも知れませんね。
 成田を飛び立ちバンクバー乗り換えトロントに泊まり、飛行機に3時間ほどでハバナのホセ・マルティ空港へ到着。入国審査も無事通過、「さあ荷物を」というところで停電!当然荷物も止まる。えーっとは思うがここはキューバだと実感させられる。余談になりますがガイドブックに有るトラブル例はほとんどキューバで体験しましたね。
 明るい時間に到着するのは初めてなので、空港からのタクシーはもうキューバンミュージックがんがんですし、1泊2日かけてたどり着いた安堵感とでも言うのでしょうか、疲れているのになぜか気分はハイ!そんな気分のまま整然とした新市街、革命広場を横目に街全体がちょっとセピア色に変わりはじめると、そこはオールドハバナ。1704年に建てられたというバロックスタイルのあのカテドラルの尖塔が見えてくると、車1台がやっとのテハジージョ通りに入りホテル・テハジージョへ到着です。Nさんとの時も確か真夜中に到着でしたよね。
 ボーイさんが不思議そうな顔であの痛々しいバッグを運んでくれて、さあチェクイン、いつもなら遠いところようこそと明るく迎えてくれるはずなのに、なにか変!電話でなにかやりとりしてるふうなのです。
 そのうちにフロントマンがやってきて「部屋がダブるブッキングしているらしい、手配しているのでバーで待っているよう、もちろんフリードリンクで、おこっているか?」というようなことを言っているらしい。仕方がないのでNさんも、かって知ったるホテルのバーへ。
 ちなみにキューバでは小さいホテルにもバーが有ってバンドが入っているのです。
Tはというと、入った途端「踊ってくる」とやけのようにバンドの前の狭いスペースで踊り始める、ノリのいいキューバ人もちょっとびっくりしながら歓迎している。私はというとウエルカムドリンクのキューバビール、クリスタルを飲みながらヤケのように彼女の踊りに大笑いをしていました。
 そうこうしているうちにホテルマンがやって来て、有無を言わせずというか言っても通じないと言うか、すでにホテルの前にはタクシーが、まだ明るいとは言え夕方6時「明日12時に迎えの車が行く」ということで送りだされる。一応は何が基準か知らないがテハジージョよりランクが上とのこと。外見は植民地時代のお屋敷風で重々しい建築物だがホテルの顔のようなフロントの時計もロビーの大きなのっぽの古時計もやっぱり時を刻んでいませんでした。(キューバの時計は止まっているのが多いですよね)
 ホテルのベランダに出ると道路をはさんでハバナ湾・・とはいえあの新市街に続くマレコン海岸とは大きく違い、工場地帯。船はというと貨物船が行き来している。それでも8時近くに海面を照らし貨物船に影を落としながら沈む夕日は疲れて沈む私達の心をも照らし、美しかったです。
 キューバ2日目。 
 3度目ともなると、いくらものぐさな私達でも少しは街の様子が分かっていたようで、朝になって落ち着いてベランダからあちこち眺めまわしていると、どうも観たことが有る風景。そうなんですNさんあのハバナクラブ博物館がこのホテルの隣のとなり、とは言っても大きな建物なのでワンブロック先というのでしょうか。転んでもただでは起きないというのが合ってるかどうかはわかりませんが、とにかくハバナクラブを買いにくる手間は省けたとばかりに、迎えの車の着く前ににハバナ2日目にしてのハバナクラブをゲット。博物館のロビーでラムたっぷり入ったオレンジジュースを飲み、ちょっといい気分でホテルに戻るが、12時約束の車が着いたのは待ちくたびれた、1時すぎでした。
 でも明るいタクシー運転手と笑顔のホテルマンに迎えられ、あぁ~我が家に帰ったような気がするテハジージョでした。
 部屋は2階の207、荷物をほどき、さあ待っているキューバの友人達に連絡でもというときホテルのカウンターから持ってきたちらしを見るとなんと思わず二人で「うっそー」と言ってしまったのですが、ハバナの代表的ホテル、ナシオナル・デ・クーバであの”ブエナビスタ・ソシアルクラブ&アフロキューバン・オール・スターズ”のライブがあるというのです。しかも、今夜。
 そりゃあやっぱり行きますよね。もう入れないかなと思ったけれど二人ということで予約OK。一流ホテルのディナーも一度くらいと、ふんぱつしてみましたがディナー&ライブで一人日本円5000円弱と日本じゃ考えられない値段でした。ライブは言葉では語れません。ただ9時から始まり12時すぎまで休憩もなく繰り広げられる演奏とダンスは客席も踊り出し一緒に歌い、、広いホールがステージと一体となって終わ ってもなかなか立ち上がりがたい、みんなそんな気分のようでした。
 成田を発ってまだ3日。いろいろあったけれどやっぱりキューバはいいとしみじみ想う夜でした。Nさんまた一緒に来たいですね。
 私達のハバナ滞在はまだまだつづきます。またお便りします。

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ある熱帯魚のつぶやき

小林信子

私はトゲチョウチョウウオというありふれた熱帯魚よ。この南太平洋ランギロアのラグーン内のサンゴ礁の浅瀬を棲家にしていて、いつもペアで仲良く生活しているわ。
でも近頃は、私たちの主食のコケが生えている岩礁がホテルの開発でどんどん削られてしまい結構生活しづらくなっているのよ。その代わり観光客が気まぐれに与えてくれるフランスパンをいただくけれど。太らないかしら。先祖から伝わる自然のたべもののほうが体に良いに決まっているわ。

 あっ、人間がバシャバシャと近寄ってきたわ、見に行ってみよう。私たちは好奇心おうせいなのよ。日本人らしい中年女2人連れよ。スノーケリングがうまいわね。でも馬鹿ねー、こっちに手をのばしてくるわ、私たちに素手で触れるとでも思っているのかしら。
この2人「10年前はこんなじゃなかった、もっと魚がうじゃうじゃいたのに・・」といっているわ。10年前に来たことがあるっていうのかしら。私たち10年前は知らないけれど、確かにここ4,5年はホテルが大きくなって、地形も変わって海も濁って、仲間もめっきり少なくなったわ。その代わり、海の中の人間は多くなったわね。

 人間が「天然の水族館」と呼んでいるパス(外洋と環礁内との通路)の近くにはたくさんの珊瑚の仲間や、怖いサメや大きな魚も来る場所があるのだけれど、この日本人はそこを見たらなんと思うかしら。かっては、私たちのねぐらだったのだけれど、数度の大嵐やエルニーニョと言うのもあって海底砂が珊瑚にかぶさり、私たちのよりどころの珊瑚がかなり死んでしまったの。だから私たちは気分転換に、それとフランスパンをもらえるから人間のいるホテル近くにきているのよ。
遠い祖先は同じなのに人間って本当に救いがたい生き物ね。自然との共存とか言っているらしいけれど、私たちには何の恩恵ももたらさないわ。先祖返りというか、私たちのような魚になりたくてダイビングとやらが一般化したために、ブクブク泡を立てながらのべつ幕なしに彼らが私たちのテリトリーに侵入してきて本当に迷惑。大きなサメやマンタが通るパスは強い流れがあるのだけれど、ダイバーはこれら魚界の王者を見るために珊瑚礁にしがみつくから、どんどん壊れていっているって仲間がいっていたわ。この日本人もその一味かしら。

観光客を喜ばせるために大きなグラスボートも入ってきて、船長が私たちの仲間を銛で生贄にして、仲間がわんさと食べに来る様子を見せるのよ。自然の摂理だからしょうがないけれど10年ぐらい前はここにもたくさんつまぐろサメがいて、獲付けサメショウとかいっていたそうよ。今はサメもめっきり減ったわね。私たち海の世界の食物連鎖がまったく狂いだしていることを知っているのかしら。

 50年ほどまえから漁業の産業化が始まって以来、乱獲による仲間の数が減り続けているのですって。当時と比べると延縄漁の一本の網にかかる魚の数は十分の一になっているらしいわ。私達の仲間のかつおやマグロやカジキ、サメなどの大型魚がどんどん減ってきているし、餌になるいわしなども乱獲するから個体が大きくならないし、プランクトンが増えすぎたりして自然の摂理が狂ってきているのよ。
 私たちは死んだら他の魚のえさになり他者を助ける運命になっているけれど、人間はどうやって他人を助けているのかしら。人間は弱肉強食をしないとでも言うのかしら。私たちの生活の場を脅かし、仲間を自分たち人間の食料にするのは当然と思っているのだからたいしたことしてないわよね。戦争というお互いに殺しあうことすらしているらしいわね。私たちは殺し合いはしないもの。
 そういう人間が、今また、秘境の南の島開拓ブームとか言って近代的なホテルをどんどん建てて私たちだけのパラダイスに侵入してきているのよ。でもそれではかっこ悪いから《自然との共存》をするとかいっているらしい。人間の間では何となくかっこよく響くらしいけれど、私たちは別にお願いしたけではないし、共存などする必要はないもの。

この広い海を縦横に泳ぎまわる私たちの王様である誇り高きマグロを小さいときに捕まえて、大きな生簀の中で太らせて売ることもしているだって。ひどいわね、魚の品位を汚す行いよね、これが共存なのかしら。人間の餌としてしか私たちをみなしていない証拠よね。私たちは母なる海に護られて今まで無事に来ていたけれど、この日本人の住んでいる国ではとっくから魚の人工飼育が行われているといってるわ。陸上の動物である鶏や牛などはもっとずっと昔から家畜にされてきているのよね。だから、私たちの先祖からの怒りと呪いが時々噴き出して、BSEとか、鳥インフルエンザなどで反乱して食料となることを拒否する戦いをしているのよ。人間が生き延びるということは自然を破壊するということよ、つき詰めれば決して《共存》ではないのよ。それをおためごかしばかり言って。

 ああ、なんて罪深いことよ!共存に近いと人たちと認めてあげてもよいアイヌ人やアメリカ先住民などは確かに「自分たちは大地の一部分として存在している。空気も、森も水も自分たちの先祖である」といっていたらしいけれど、近代人に滅ぼされてしまったものね・・・。それら近代人の子孫は、最近受精卵を体外に取り出して診断し、子供はほしいけれど自分の望む性別の子供でなければ抹殺するという自然の摂理に踏み込むことまでしているんですってね。傲慢よね。
 そういう人類だから、私たちの住む島からそう遠くないところで、つい最近まで核実験を行なっていたのよ、いつまた再開されるかわからないの。暗い気持ちになってきたわ。

 この休みが終われば私たちはこれから冬を迎えるので、北半球の人間が夏休みでここにやってくる7,8月までは少し静かかな。とはいえ、私の命も他の仲間にささげる時期に近づいてきたから、人間がくれるパンでもせいぜい食べて太っておきましょうかね。この海がこれ以上壊される前に仲間のために役立てるのは幸せかもね・・・・・。

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WFMHメルボルン大会報告 ーもう一つの「先進国」オーストラリアの発見ー

 一
 一昨年七月のWFMHヴァンクーヴァー大会、昨年八月のWPA横浜大会のいずれについても本紙上で報告する機会を逸した。ここにオーストラリア、メルボルンで二月二十一日〜二十六日に渉って開催されたWFMH世界大会について、更にはメルボルンを州都(「州」は、米国の州より強力な独立した政府を有する)とするヴィクトリア州の、ニホンにはほとんど紹介されていない先進的な地域精神保健システムについて、膨大な資料を持ち帰ることができたため、これらを報告する。
(なお、この国の自然の美、真夏の陽光、穏やかで善意に溢れた市民達にふれることは、紙面が許さない。)

 二
1.まず、先のヴァンクーヴァー大会との対比を試みたい。即ち、㈰規模の著しい縮小、㈪「儀式性、仰々しさ」の減少、「学術性」の増大、㈫非英語圏からの参加者の減少。

 ヴァンク大会は、何よりも会場入口から受付までの長い赤絨毯の両側に林立する巨大多国籍製薬企業の「財政的援助」への感謝状の列、中でもひときわ目立つイーライ・リリー社への感謝状に大書された「ゴールド・スポンサー」なる文字、によって特徴づけることができよう。

 これと対比的なメルボルン大会の前記の特徴は、「巨大製薬資本の極めてひかえめなプレゼンス」によって説明し得るであろう。

2.私が参加した多くのセッションの中からいくつかを紹介する。
㈰WHOアジア担当総括責任者による、多年の広範なフィールドワークに基づく事実と数値による、決定的規定要因としての「環境因」の説得力に満ちた立証。
㈪ノルウェーの精神保健部門最高責任者が、WFMHの危険な巨大製薬ビジネスとの完全な絶縁を強く求め、多くの共感を得た。さらに半世紀余を経て明らかになりつつある「薬物療法」の危険性を、WFMHが常設機関を設置して調査研究すべきであるとの発言。

㈫米カリフォルニア州で正に強行されつつある、ニホンの「予防拘禁法」に酷似した立法との闘いの報告。

㈬ニホンでの「予防拘禁法」の全容とその非科学性と危険性についての私の報告。

㈭いわゆる『テロ』なるものを、DVなどの「暴力」と同列に位置付け、同様の攻撃を加えたある報告者に対する、両者の「本質的異質性」を強調した私の反論と会場からの大きな賛同。

㈮ブッシュによるイラク侵略に抗議する決議の、理事会での満場一致の採択。

㈯スリランカ・シンハラ族の女性からの「近代西欧精神医学」の完全な欠如下での驚くべき治癒体験と彼女の組織的ケアシステムの独創的実践報告。


 三
 恐らくは殆ど知られていない、極めて優れたこの国の地域精神保健システムを系統的に把握し、ニホンに持ち帰ることは、大会参加以上に私の目的とするところとなった。そして、大会の中で明らかにされた全国レベルでのそれのほか、多くの人々の協力によって、最終的にはヴィクトリア州の統括機構の最高責任者と面談する機会を得、その上でこの州の保健システムの全容を収めたフロッピーディスク数枚を寄託され、追って多数の文献を送っていただけることになった。(これに先立ち、この機構の一施設を紹介され、楽しい交流の時間を持つこともできた。)

 更には隣接するニューサウスウェールズ州(シドニー、キャンベラが所在する)についても、ビデオなど相当量の資料をいただいてもいる。

 ここでは取り敢えず、全国レベルでの地域保健システムにつき簡単にいくつかのデータを紹介する。
㈰九十年代を通じて『全豪精神保健戦略』の下に、次のような顕著な改善が見られている。
(a)当事者の「コンシューマーズ・アドヴァイザリー・グループ」の全集での組織化とその「公的政策決定」への関与。
(b)歳出ベースでの「地域移行」(九二年→九七年)病院比率:五○%→二九%
(c)「地域」へのケアスタッフの移行(九二年→九七年)三○%→四六%
(d)その他「施設」規模の縮小・NGOへの歳出増・総合病院での急性奇病等の大規模な増設、などなど

 さて、上記すべての英文資料の全容を把握し、適切で効果的な方法で紹介する作業には多くの専門家の協同作業が必要であり、これについて多少の成案はあるが、差し当たりこの紙面を借りて、読者諸氏の今後の協力を呼びかけたい。

 なお「病」者集団の山本真理さんから託された英文資料を、現地で増刷して大規模に頒布したことを付記する。


陽和病院患者協会 岡本省三

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