大阪精神医療オンブズマンその後

編集部 木村朋子
 大阪精神医療オンブズマンについては、橋下知事の財政削減対象となったことから、本紙では昨年3・4月号で緊急の存続要望署名を呼びかけ、9月号で廃止、しかし府議会本会議で全会派の議員紹介による存続請願書が採択されたことから、2009年度予算で請願の意向に添う形で折衝が行われる予定と報告しました。
 その後、今年6月24日「精神科病院に入院中の人に対する人権の尊重に配慮した、より良好な療養環境の維持・発展」を目的とした「大阪府精神科医療機関療養環境検討協議会」規約が確認されたとのこと。その職務は「必要な病院への訪問活動を行い、その報告をして検討協議に資する」・・・

 以下全文は、おりふれ通信279号(2009年7月号)でお読み下さい。
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東京精神病院事情第6版発刊に向けて

東京地業研 飯田文子

『 東京精神病院事情1998→2003』(第5版)が2005年10月に発刊されてから3年以上が経った。東京地業研は、そろそろ、次の版の準備にかかろうと検討を始めた。検討の過程で精神病院の状況が東京全体としてどう変わっているのか?厚労省のいう7万床減床はどうなっているのか?等々を精神病院統計上でどの程度見ることができるのか?個別の病院訪問をすることの意味は? 等々が課題となっている。(ご意見、ご要望を是非お寄せ下さい)

 精神病院統計から見えた2003年から2007年の変化を報告する。 
 ◎2003年と同じ評価軸で、2007年を見ると都内単科精神病院の平均点が24点から27点に上昇した。

 ◎ 単科精神病院を病床規模別と点数別で8のグループに分けてみた。(251床以上病院と250床以下病院、合計点数が8~19点、20~24点、25~29点、30点以上病院の8グループ)・・・
 

 以下全文は、おりふれ通信276号(2009年3月号)でお読み下さい。
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しばしの「放浪」を終えて

久保田公子

その1:高齢者福祉・医療の現場を垣間見て
 一昨年の夏から1年半余りの間に、高齢者福祉・医療の現場(主として介護労働の場)を転々とした。デイサービス(3ヶ所)、グループホーム(2ヶ所)、認知症病棟、老人保健施設等、全部で10ヶ所である。最短3日で辞めた所もあり、友人たちに驚かれたが、自分に合う仕事・職場を求めて、またいろいろな現場を見てみたいという衝動にかられての転職だった。もっとも後に述べるような、あちこちの現場で抱いた疑問に根気強くつき合っていく気力・体力が伴っていなかったことも事実である。
 そんなわけで、まとまった報告にはならないが、垣間見た状況をまずはお伝えしたい。

1.デイサービス(NPO法人立1ヶ所、株式会社立2ヶ所)
・利用者に対して「お客様」として丁寧に接している(利用者の前を横切ってはいけないとか、職員が立って見渡していると監視しているように見えるのでやめるよう言われたり等。またこれは不自然だと思うが、利用者を様付けで呼んでいたところもある)。
・元気な方も身体が不自由な方も、認知症の方もそうでない方も、入り交じって利用しており、職員は対応に工夫しながら接している。
・おやつの時間には、コーヒーか紅茶か、砂糖やミルクを入れるかなど、個々の利用者の好みによってお茶が出されているところが多い(職員が一緒にお茶を飲むことは絶対になく、職員はすきを見て隠れて飲まねばならない。「利用者からさぼっていると思われる」というのが理由のようである)
・施設の運営やプログラム等についての利用者を交えての話し合いはなく、職員側が一方的に決めて提供する。画一的な「老人像」があるのか。レクリエーション等のプログラムはどこも似たり寄ったりで、子供じみているものもある。(利用者の多くは満足しているように見受けられたが・・・)。また流れている音楽や室内の装飾も似通っている。
・2ヶ所の株式会社立の内の一方は、かなり営業成績が意識され、サービスの向上も第一義的にはそのためのものであるように思われる。

2.Mグループホーム(株式会社立)
・入居金が100万円余かかり、その他部屋代等が月10数万円かかる。
・暗証番号でしかドアは開けられず、皆一律に1人では外へ出られない。
・お金も一律に全く所持できない。
・週に2~3回、職員付き添いで30分ほどの散歩があり、それが外へ出る殆ど唯一の機会であり、主たるレクリエーションである。
・食事は、業者からパックに詰められて届いたものを、盛りつけのみ入居者に手伝ってもらって職員と一緒に食べる。
・おやつはまとめ買いし、お茶もその時々の希望を考慮することなく、一律に同じものが出される。・・・

以下、全文は、おりふれ通信271号(2008年7月号)でお読み下さい。
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退院支援施設(香川県 三愛会 レイクビュー) 「見たまま、聞いたまま」見学記 

七瀬 タロウ

 当事者団体、精神医療・福祉従事者関連団体、マスコミの強い反対を押し切って、昨年4月1日から、「退院支援施設」構想が、強行実施された経緯は、過去のおりふれ通信でも紹介されているが、各地での地方自治体相手の粘り強い行政交渉、全国規模の反対運動、そして私立精神科病院が長期入院者の退院促進を進めることで、経営的にいわば「自分の首を絞めてしまう」といった様々な事情により、現在山梨県と香川県に2ヶ所建設されているに留まっている。しかも、いずれも、いわば「イレギュラーな形」で、山梨県の場合は援護寮を作る計画だったのが、援護寮が廃止されたため、退院支援施設の話に乗った。また、これからご紹介する、香川県の退院支援施設レイクビューの場合も、病棟、ベット数の大幅削減計画が最初にあり(550床を350床程度まで減らす)社会資源の圧倒的不足(丸亀市内にはグループホームは2ヶ所、定員計14名でいずれも満室状態)、等もあいまって、最高1億円と言われる、国の建設資金の援助は受けずに、自力で建設した施設である。
私自身は、いわば、看板の架け替えによる数合わせ的な「社会的入院解消策」ではなく、社会資源の充実、当事者のピアサポート等も含めた退院促進こそ本道で退院支援施設構想には今でも反対なのであるが、では実際に建設された退院支援施設は、どのように運用されているのだろうか?香川県のレイクビューを幸い見学する機会があったので「見たまま、聞いたまま」をご報告したいと思う。

三船病院自体はおそらくこれからの入院患者数激減の傾向をにらんで、ベット数大幅削減等による「スリム化作戦」で今後の生き残りを考えているようである。この経営方針自体は、他の私立精神科病院もぜひ参考にして欲しいと思う。
さて三船病院の敷地から70メートル位はなれたところに退院支援施設レイクビューがある。3階建ての鉄筋プレハブ風の建物で定員30名、現在27名が入居している。男性21名、女性6名、利用期間は2年で1年延長可能、利用者の平均年齢は54.1歳(最高72歳、最低35歳)平均在院13.7年、最高在院年数44年、最短入院年数1年である。現時点では三船病院の入院患者以外は受け入れていない。スタッフは管理者を含め計8名。居室利用料月1万円、その他共用部分の光熱水費、自立支援法の1割負担等で750円、シーツ布団レンタル料で2200円。おおよそ1万7000円程度の利用者負担がかかる(各種減免制度あり)。
部屋は個室で6畳程度の広さ、ベット、小型冷蔵庫、テレビ、エアコンが備品で、電話は回線共有方式。押入れもかなり広いものがある。鍵は各階ごとと、部屋ごとの鍵を各自が所有し、24時間出入り自由。喫煙は各階ごとの喫煙ルームで可、アルコールは禁止。
また、貴重品盗難等のトラブルを避けるために、居室内へは外部の友人のみならず、同じ施設内の人も立ち入り禁止とのこと。この辺は個人的には疑問を感じたところである。貴重品の管理は将来施設から出ても、大変重要なことであり、押入れの奥にわからないようにしまっておくとか、カギ付ロッカーを備えておけば良いことなのではないだろうか?友人等を居室に招けないというのは、施設の管理的側面から来る大きな弊害だと思う。
さて、居住棟の中には共用部分があり、各階ごとにユニットバス、かなり広い炊事用設備がある。ガスはコインメーター形式。ただし、聞いたところによれば、朝はパン等を焼いて食べている人も多いが、昼食、夕食はほとんどの人が一食350円の業者の弁当を注文している。生活訓練では料理実習等も行われているのだが、自炊している人は数名程度。
近くには24時間開いている大型スーパーマッケットや各種店舗が集まっている場所もあり、買い物には不自由しないのだが、実際の自炊にはなかなかいたらないようだ。
私の個人的体験で言うと、自炊は冷蔵庫の中身とスーパーマケットの安売り食品で、栄養があり、自分なりに美味しいと思えるものをありあわせのもので何とか作り続けるのがコツで、無論冷蔵庫の中身が腐ってしまうこともままあるが、料理教室ではそのような実際の生活の知恵までは、学べないのではないかと思う。
さて、居住棟の他に、生活訓練棟がある。友人との面会もここの一室で行われる。生活訓練(担当の方は「訓練」と言う言葉はあまり好きではないとおっしゃっておられたが)、の内容は、前述の料理教室のほかに、体力をつける教室、シーツ交換、金銭管理指導、買い物訓練、居室や共用スペースの掃除等様々である。また公民館を利用した各種日中活動等いろいろ工夫されておられるようである。なお、午前と午後にそれぞれメニューが組まれているが1時間程度で終わってしまうことも多く、いわゆる厳しい訓練という感じではない。利用者に感想を聞いたところ「楽しいよー」と言う返事が返ってきた。
なおレイクビューは生活訓練施設なので職業訓練はやっていない。最後に利用者といろいろ意見交換する機会があったが、24時間風呂に入れる、外出が自由な点、個室である点等病棟生活よりははるかに、快適に感じているようだった。
反面「ここ2年しかいられないんだよ」と質問すると「あともう一年いれるんだよ」との返事。当初から懸念されていた「新たな施設病」の気配もなんとなく感じられた。開棟してもう6ヶ月たっているので、なかには充分もう退所できる人もいるように思い、担当の方に聞いて見たのだが、各種関係者による地域移行推進協議会もまだ立ち上がったばかりの段階で、具体的な地域移行の動きはこれからの課題のようである。なお施設の運営協議会は存在しないとのことである。
担当の方も2年後にスムーズに地域移行に結び付けていけるのかが最大の課題で、やはり地域の社会資源の圧倒的不足やサポート体制に最大のネックを感じておられるようであった。
また、東京での厚生労働省交渉や各地での反対運動の話を私が話すと興味深く聞いておられ、「私自身、病棟改造型の4人部屋というのはちょっとどうかと思う」等感想を述べておられた。

最後に私の個人的感想を述べてみたい。どう考えても地域の社会資源の不足、各種サポート体制の不備と言うのがいずれにせよネックになる。逆に言えば、退院促進、各種サポート体制、社会資源の充実に力を入れていれば必要のない「施設」である。とはいえ病棟にいるよりは確かに利用者のアメニティーが高いのも事実であり、いわゆる「よりまし論」もまったくわからないわけではない。
しかし、逆に言えば現状の多くの病棟のアメニティーや患者の自由度があまりに低すぎるのであり、むしろそちらを向上させ、その一方で各種社会資源やサポート体制を充実させていくのがやはり本筋ではないだろうか。レイクビューの場合、立地も市内で良く、外出先にも不自由しない。しかし、多くの山奥に立地する精神科病院が同様な試みをしても、まずうまくいかないのではないだろうか。
今までの退院促進運動の実績等を踏まえた上で、これからの退院促進運動のあり方全体を考えてみると、退院支援施設という「施設」は、「一つのオプション」としても不要であり、根本的な退院促進のネックの解消にまずは力と予算を注ぐべきではないだろうか。
ただの社会的入院患者の退院者数の数合わせ、安易な私立病院の生き残り策、施設病が施設で治せるかという問題、結果的に予測される在所期間の長期化等、退院支援施設はやはり根本的な問題をはらんでいると思う。


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厚労省に「退院支援施設」「地域移行型ホーム」撤回を求める交渉の報告

 11月20日厚労省側4名、こちら側9名で開催。
 厚労省は、退院促進の一環であり、受け皿の一つの選択肢と主張。しかし、数値目標も予算執行目標もたてていない。現在「退院支援施設」は、香川県の三船病院の「レイクビュー」と山梨県の県立北病院の「歩みの家」の2箇所。今のところ手を挙げている病院はなく厚労省としても各都道府県に働きかけてはいない。また、退院支援施設運営マニュアルもなく、2施設がどのように運営されているのかの検証もされていない等々のことが明らかになった。
 こちら側としては、これまでも言い続けてきたが「退院支援施設」は退院促進を阻害する施設である。これまでの精神医療施策が長期入院者、社会的入院者を生じさせてきたことを反省し、退院につながることに金を使ってほしいと話した。
(飯田記)

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「退院サポート活動」を開始しました

NPO わくわくPSW 東谷 幸政

  この6月より、研精会稲城台病院との協働で、長期入院している社会的入院者を地域で生きられるようにサポートしていこうという試みが開始されました。具体的には、①各病棟から社会的入院者をリストアップ、②社会復帰に向けた事例検討を行う。③頻度は月に1回。各回毎に3人の事例を検討する。④時間は1時間半。⑤主な目的は病院でやれること、地域でやれることの整理と使える社会資源の整理。⑥作業所見学等で社会復帰への動機が固まったら、1人に絞った事例検討会を行い、地域化への協働のサポート戦略を練る というものです。
 病棟から上がってきたリストは百数十名。その多さに改めて驚かされます。うれしいのは、病院のスタッフたちが極めて意欲的なこと。僕はこれを「フェニックス計画(プロジェクト)」と名づけています。「病院で死ぬな。人は地域で生きるんだ」というメッセージをこれからも発し続けていきたいと思います。作業所の当事者グループによる退院促進事業とドッキングし、より体系化できる可能性もあります。

全文は、おりふれ通信 8月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会

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聖マリアンナ医科大訪問記

東谷 幸政(NPO わくわく PSW)
    
 川崎市にある私立医科大付属病院へ入院中のメンバーを見舞った。全く安否が伝わってこないので、状況を見るためだ。これまで入院していた病院からES(電気ショック)=M-ECT治療目的で転院したと聞いていた。・・・・・・

 横たわった彼は両手・両足が帯で縛られ、拘束されている。腰にはおむつがあてられている。声が出ない。口の中が乾き、唾液がどろどろになっている。水をやろうとしたら、水差しがない。話ができない状況だ。・・・・・・・

あまり渇きがひどい様子なので、何か欲しいものはないか聞くと、「りんごジュース」と、かすれ声で言う。看護師に、飲ませていいか聞くとかまわないということなので、売店に買いに行った。閉鎖病棟から外出し、もどってブザーを押すが、反応がない。10分ほどもインタフォンを何度も押していると、中から若い医師が2名現れる。そのうちの女性医師が、主治医が不在なのでと前置きする。「こちらの落ち度で、あなたを病棟に入れてしまったが、現在の彼の入院形態では、あなたは面会できない。会えるのは保護者と弁護士と福祉事務所のワーカーだけです。これは精神保健福祉法上の規定です。入院形態が何かも教えることは出来ない。したがって、治療の経過や方針については何も教えられない。以上です」という。・・・・・・・

以下、全文は、おりふれ通信 7月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会

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「退院支援施設」強行実施!?

<編集部から>
 昨年夏、厚生労働省から急に提出された「退院支援施設」構想(精神病院内に病棟をリフォームした施設をつくるとするもの)については、当事者中心の厚労省交渉の経過や、この問題をテーマに開かれたシンポジウムのレポート、私たちが毎年執念で東京都に情報公開請求し、入手後集計・検討し続けている「精神病院統計」のデータから見て「退院支援施設」とはどう考えられるのかなどを掲載してきました。おりふれ通信の編集方針のひとつ「精神病院問題にこだわり続ける」から言っても、こんなにひどい
 結局厚労省は、3月23日を最後に交渉に応じようとせず、3月30日厚生労働省前に集まった私たちの緊急抗議集会の声を無視して、4月1日実施の姿勢を変えることがないまま経過しています。
 以下、これまでの交渉の中心的担い手の1人であったDPI日本会議事務局長尾上浩二さんが、仲間への報告として書かれた経過説明と問題点の整理を、尾上さんの許可を得て掲載します。

DPI日本会議 尾上浩二
 年度末の慌ただしい時期にも参加頂いた方々、反対声明等を出して頂いた方々をはじめ、皆様どうもご苦労さまでした。
 厚労省は3月23日には交渉継続を確認していたにも関わらず、その後、「代表とのみ会い、説明をする」として交渉を打ち切ってきました。
 3月23日以降も、精神医療・福祉従事者の組織である精従懇のシンポジウムでも「退院支援施設」の反対アピールが上がる等、障害当事者や関係者に反対が広がる中、4月1日に強行実施したことは決して許されるものではありません。
 厚生労働省の頑迷な姿勢から、かえって、この「退院支援施設」に関する内容のでたらめさが見て取れます。3月23日の交渉の内容でより明確になった論点(疑問点)を以下説明します。

 「精神障害者退院支援施設の運営等関する指導事項(案)」というもので、厚労省は「昨年から(私たちが指摘してきた)問題点を、これで払拭できる」と当初言っていましたが、私た
ちが一つひとつ質問を重ねていくと、それに対して満足に答えることができず、そのために、次回の話し合いの継続が3月23日には確認されていたのです。
 その時に、私たちが指摘していた問題のポイントのいくつかを下記に記します。
1.「地域移行推進協議会」の構成や人選について
 厚生労働省の説明は、「地域移行推進協議会」を設置し、「退院支援施設」の評価や地域移行の調整を図る(だから、「閉じ込めにはならない」?というわけです)。
 「地域移行推進協議会」のメンバーについては、「事業者(退院支援施設の設置者)、利用者、家族、受け入れ先の市町村の立場に立つ者、相談支援事業者、地域住民の代表等で構成する」と説明しました。
 しかし、このメンバーの内、誰が必須メンバーか尋ねても、「誰が必須かという形では決まっていない」と答えました。さらに、この「地域移行推進協議会」のメンバーの人選・任命、運営に当たる事務局は誰かと尋ねたところ、当該の「退院支援施設」を設置する事業者であると驚くべき答えが返ってきました。
 必須メンバーも決まっておらず、人選・任命、運営を当該の「退院支援施設」を運営する事業者に任せてしまえば、事業者にとって都合のよい者で構成して運営していくことができる仕
組みです。これでは、何一つ歯止めになるどころか、むしろ、それに「お墨付き」を与えてしまうことも可能となります。

2.ハード(設備)面での対応
 厚労省は、原則として病棟単位(フロアー単位)で転換する等、病院との一定の独立性を確保するとの説明がありました。
 「フロアー単位で転換」ということは、例えば、4階建ての病棟があった場合、1~3階は病院、4階は「退院支援施設」という構造が認められるわけです。これのどこが、病院との一定の独立性を確保することになるのか全く不可解といわなければなりません。むしろ、こんなことを書かなければならない程、看板をかけ替えるだけで「退院支援施設」に「移行」できる
ということを意味しています。
 3月23日の交渉では、さらに、「病院との一定の独立性を確保」とは何をもってなされるのか、例えばお風呂は別々でないといけないのか?と尋ねたところ、「ケースバイケース、お風呂は水回りの問題があるから別々にするのが難しい場合がある」との回答がありました。食堂や浴室等が同一でも認められるというわけです。これのどこが「一定の独立性」なのでしょうか?
 この点も、他にも玄関やトイレ、給食設備等々具体的に示してほしいと質問しても、答えられず、話し合いを継続することになっていました。

3.「病院-退院支援施設」間を往復することでの隔離の継続の問題
 私たちが、昨年から指摘してきたことの大きな問題点の一つに、病院と「退院支援施設」間の往復の問題があります。この両者の間をグルグル回すことで、一生、実質的には病棟に閉じ込められてしまう状態がつくられてしまいかねません。
 しかし、その点については、昨年9月の説明から何一つ付け加わるものはありませんでした。つまり、「標準利用期間は2年ないし3年で、更新申請に当たっては審査会で審査をすることでチェックする」ということでした。
 ですが、例えば、「4階の退院支援施設で訓練をしていたが調子を崩したので、再度、3階の病床に再入院。そして、急性期を過ぎたら、再度4階の退院支援施設に移って再チャレンジ」という場合は、この更新には当たらず新規となります。そうした医者の「診断」に審査会が関与できるはずもありません。この点の質問に対しては、「医療批判をしているのか?」と開き直りとも言える回答しかありませんでした。私たちからは、これまでの痛ましい歴史の経験に基づいて危惧しているということを言いましたが、この部分は資料に書いている説明の繰り返ししかありませんでした。

4.「退院支援施設」に移った者のカウントと「社会的入院者」の数
 同じく昨年から指摘した問題で答えがなかった問題として、「退院支援施設」に移った者のカウントの問題があります。
 「退院支援施設」に移ることで医療統計上は「医療から外れる」ことになります。そのことにより、(実態は変わらないのに)見かけだけの「精神科病床入院患者数」が減ることをもっ
て、「社会的入院解消へ前進」したとされてしまうと批判してきたわけです。
 昨年9月には厚生労働省も、「地域移行の途上にある者」ということになるが、統計上処理するかは検討するといっていました。しかし、そのことすらも明らかにされませんでした。

5.ソフト(運営)面での対応
 ここで示されている、外出訓練・グループホーム体験入居等の敷地外活動や、当事者活動(ピアサポート)の活用と言われるものは、「退院支援施設」とは本来関係なく、それ自体で充実させていくべきことです。
 ピアサポート等はこれまで何一つ制度的な支援がなく、手弁当で何とか続けてきたのが現状です。これまでも精神障害者の地域生活のあり方検討会等ではピアサポートの制度化が課題と
なっていました。しかし、その後、厚生労働省は何一つ具体化してきませんでした。にも関わらず、「退院支援施設」への批判に対して、あわてて「ピアサポートの活用」を持ち出してい
るに過ぎません。

 以上のように、3月23日のやりとりで、問題点はより明らかになってきたところでした。
明確になるような状態だったからこそ、厚労省は「代表者とのみ会い、説明をする」と切り換えてきたのだと言えます。
 その後も、私たちは粘り強く話し合いを求め、3月29日付けで(3月23日の交渉で明らかになった疑問を整理した)質問並びに要望書を提出しました。そして、3月30日当日まで何度にも渡る折衝を行いましたが、厚労省は頑なに「代表とのみ会う」との姿勢を最後まで崩さなかったのです。

 「私たち抜きに私たちのことを決めないで!」を合言葉に策定された障害者権利条約も各国が署名し、いよいよ発効します。そうした時に、厚労省は約束を反故にし、話し合いももたれずに、こんな「退院支援施設」構想が施行されることは、歴史の皮肉とも言えます。
 私たちは、障害者権利条約をも追い風にして、精神障害者をはじめ全ての障害者の地域生活の確立を求めて闘い続けていましょう。

 3月30日抗議行動のアピールにも示されている通り、当面、この「退院支援施設」を実態化させないための取り組みをしていきたいと思います。各地でも、都道府県の指定や、市町村障
害福祉計画の中で「退院支援施設」が進められることがないように働きかけて頂きますようお願いします。

 3.30厚生労働省前「病院敷地内退院支援施設構想」反対緊急抗議集会 参加者アピール
 本集会にお集まりの皆さん!厚生労働省は、われわれ当事者の粘り強い反対運動や精神医療・福祉従事者の強い反対、そして、マスコミの厳しい批判を受けながらも、当初予定していた4月1日実施を強行すると言う態度をついに最後まで、かえることはありませんでした。しかしながら、問題の核心であるところの「社会的入院者」の解消、長期入院者問題ならびに精神障害者の人権侵害問題解決に今回の強行実施がまったく繋がらないものであることは、火を見るよりも明らかです。
 本当の闘いの正念場は、むしろこれからです。
 このようなその場しのぎの安易な解消策は、決して本当の意味での「社会的入院者」の解消には繋がらない天下の愚策であることを、指定者である都道府県や支給決定に携わる市町村に対して、粘り強く訴えかけ、退院支援施設の実態化を阻止する運動に力を注いで行く必要があります。
 また、退院支援施設が「一つの選択肢」だと、あくまで言うのであるならば、他の選択肢にも個別の入院者の実情にあった退院支援策を、具体的に要求していく必要も当然あるでしょう。
 「本人」が、本当の意味で、多様な選択肢を選べるように、そして「本人」をエンパワメントできるような仕組みを作り上げていきましょう。
 皆さん、今後も、力を合わせて、「本当の意味での解決」に向けて、今後も粘り強く、取り組んでいきましょう!
           2007年3月30日 「退院支援施設構想」反対厚生労働省前抗議集会参加者一同

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「退院支援施設」を「精神病院統計」の点数から検討する

東京都地域精神医療業務研究会

現在「退院支援施設」が問題となっているが、提案されている制度が本当に「社会的入院の解消」に役立つのかどうかを、東京都の「精神病院統計」の点数*から考察してみた。
*仮に「退院支援施設」制度が導入された場合、制度を利用すると考えられる精神療養1の病棟がある単科病院のみを対象とした。

1.精神科病院の2極化が顕著
病院が入院した人をすみやかに治療し、退院させているかどうかを回転率、家・施設退院率、デイケア利用者数で見ると、回転率が高い病院は他の項目の点数(人数)も高く、回転率の低い病院は他の点数も低い傾向が顕著である。

【回転率180%以上の病院】 デイケア
 順位  回転率 家・施設退院率  利用数
  1   304   89       709
  2   270   90 4126
3 221 76 483
4 213 83 741
5 191 92 3112
  6 188 87 1442
7 181 92 1079

【回転率70%未満の病院】
(老健法入院患者数が3割超の病院を除く)
  1 24 50 0
2 46 44 0
3 56 80 179
4 56 75 232
5 61 25 151
6 63 70 0
さらに、回転率の高い病院は訪問調査においても、地域社会との交流があり、病院生活のアメニティが高く、患者の人権が尊重されており、退院に向けての具体的な努力(グループホームの見学、地域の社会資源との連携、当事者団体の定期訪問の受入れ、外出、外泊の支援)や体制の整備(コメディカルが多く、チーム医療が良く機能している)がなされていた。
(注)『東京精神病院事情』1998→2003の各病院の「■退院への取り組み」の項を参照

2.回転率の高い病院は「退院支援施設」を必要としているか
回転率の高い病院で病院敷地内にグループホーム的な施設を設けている精神病院はほとんどない。敷地外に生活訓練施設や授産施設、地域生活体験室を設けている病院もあったが、医療法人が社会福祉施設を運営する問題点を考慮しており、現在提案されている「退院支援施設」のようなあり方を肯定するものではない。
回転率の高い病院は、様々な退院への取り組みを総合的に実施しているが、ハード(建物の改変等)に依存した試みはほとんどなく、むしろ患者さんへのマン・ツー・マンの取り組みやミーティングなどにより病院全体の意識付けを行うなど、ソフト面での取り組みが際立っている。

3.回転率の低い病院は「退院支援施設」制度の導入により退院を促進できるか
回転率の低い病院に「退院への取り組み」を聞いても、何も具体的に行われていないところがほとんどで、なかには「患者には退院して地域で暮らす権利がある。それは当然のこと」と認識していない病院もあった。
このような病院が「退院支援施設」を設けたとしても、社会的入院患者が減少するとは到底考えられず、本来の目的からいえば貴重な税金を「ドブに捨てる」結果になろう。

4.「努力する病院」を無視し、「税金に依存する病院」を優遇する危険性
「退院支援施設」の制度がなくても、意識のある病院は活発な退院促進への取り組みを行っており、その結果として病院全体の回転率は上昇している。現在、病院や地域で行われている優れた退院促進への取り組みを調査したり、評価することなく、手を上げる病院にハード偏重の財政補助を行うことは、病院関係者や一般市民に誤ったメッセージを伝えることにならないだろうか。
現在、優れた実践をしている病院や組織は「退院支援施設」に見向きもしないであろうし、財政補助なら何でも欲しいところは「退院支援施設」なる名称の施設ができても、患者の地域生活実現にはつながらず、病院敷地内で病棟と施設の間を往き来するだけになるだろう。 以上
東京精神病院事情ホームページ
 http://www.arinomama.net

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東京精神病院事情2005年版 飯沼病院訪問調査

東京精神医療人権センター・東京地業研

2006年7月、東京地業研の留守電に飯沼病院の事務方から吹き込みがありました。東京地業研の飯田が電話すると、「『東京精神病院事情』のホームページhttp://www.arinomama.netを見たが、飯沼病院が16点という評価は納得できない。どんな基準で点数をつけているのか説明に来てほしい」ということでした。飯田は「本を読んでいただけば基準についての説明もあるのでまず本を読んでください。お手元にないなら送ります。本を読んでいただいたうえで、必要ならば病院に調査にうかがうか、話し合いが必要であれば病院の外でお会いします」と伝え、本を郵送しました。12月終わりに「訪問調査に協力します」との連絡が事務長からあり、去る2月21日、他の病院から2~3年遅れて34番目の訪問調査実施となりました。結果のあらましは以下のとおり。本の『東京精神病院事情2005年版』に追加することは今からでは無理ですが、ホームページには本と同じ内容を全文掲載します。


│飯沼病院 (個人)
│板橋区常盤台2-33-15 TEL03-3960-0091 FAX03-3960-0019
│設立年:1946年   精神病床数:373床(総病床数426床)
│開放病棟:4棟197床 閉鎖病棟:3棟176床 専門病棟:老人精神病棟1棟67床 デイケア実施

*立地条件 
 東武東上線ときわ台駅北口徒歩7分。駅前商店街を過ぎ、住宅街の中にある。

*建物と病院内の環境
 道路から4階建ての病棟がみえるが、古い鉄格子に囲まれた一見して精神病院と分かる建物である。玄関を入ると受付と外来待合室。待合室には木目の机や椅子が置かれ、診察を待つ人達の姿があった。病院全体が古くて狭い。事務長の話によると改築を考えているとのことだが具体的なものとはなっていない様子であった。
 デイルームの片隅に細長い洗面台があるが古く、汚い。デイルームは、病棟入院者全員が集まることはとてもできない狭さである。花などが飾られ、少しでも居心地の良い環境にしたい
という努力は感じられた。    
 トイレは、男性用は中央部分のみ隠れるドア、女性用は、同じドアの下の部分に板を張って下も隠れるようになっている。トイレの鍵は、閉鎖病棟では、外からも開けられるタイプ、開放病棟では、中からしか開けられないタイプであった。換気扇の効果があまりなくどの病棟もトイレの匂いが漂っていた。
 面会は、主にベッドサイドか廊下の片隅、デイルームでということであった。訪問中にも家族の方が面会に来ている姿があった。
 病室は、各病棟とも半分は、畳部屋で一室8~9名が定員。開放病棟には、一室14人定員のベッド部屋も一室あった。ベッド間のカーテンはなく、鍵付きロッカーもない。(見学しなかったうつ病の方達中心の病棟にはベッド間にカーテンがあるということだった。)
 保護室は、全6室。男子閉鎖病棟でも年間数回で、ほとんど使用していないという。ナースステーションからは離れた場所に、扉を開けると二部屋並んであった。ベッド、ベッドなしの両方、トイレは囲いが全くなく、和式で穴が開いている感じ。ポータブルトイレが置いてある部屋もあった。トイレの水は部屋の外から流す。ドアの下の方には小窓があった。  

*スタッフ  
 都内単科精神病院の平均から見ると看護者数は平均よりもやや多いものの 医師、特にコメディカルは数が少ない。医師は、担当医制をとっており、医師が病棟を回るスタイル。コメディカルは、全員PSWであるが、一名がデイケア担当、三名が担当制で入院患者を受け持っている。看護は、二交代制、病棟内で作業療法も担い(作業療法士はいない)、熱心に入院者の方達と接している姿があった。

*入院者の状況
2005年6月末の統計から見ると回転率96%と、都内単科精神病院の同時期の平均129%と比べ低いが、2003年から見ると退院する人は増えている。統合失調症で入院している人190名53.2%は、やや少なめ。生活保護法での入院者218名61%は、都内第二番目の多さである。老人精神病棟の入退院が病院内では一番多いということだが老人保健法の入院者の回転率は106%。
現金については事務所に預けるのが原則。(管理費一日120円)自分で管理出来る人には週3000~6000円を渡すというが数は多くはなさそうだった。各病棟に飲み物の自動販売機が設置されていたが一日2本限定、自販機利用のために看護者に現金をもらう人が多数いる。タバコは、院内全館禁煙を目指して2年程前から学習会等を開き、現在病棟により異なるが一日2~3本に制限している。
院内に「カサブランカ」という入院者が働く喫茶店が、毎週水曜日に開かれている。一日120人の利用者があるとのことで、ここでのコーヒーとケーキが入院者の唯一の楽しみのように見えた。
 デイルームが狭いためか、ベッドに座っている人が目についた。    

<訪問した私たちのコメント>
 「東京精神病院事情1998→2003」(2005年版)は、2003年6月の精神病院統計をもとにして各病院の点数を出している。その結果が16点だった。病院側から最新のデータを用いてほしいと言われたので、私たちが入手できた最新のデータ(2005年6月)をもとに点数を計算してみたところ19点であった。都内単科精神病院の平均が24点であるから平均点以下の病院ということになる。16点が納得できないということであったが今度は、他病院との比較も含めて納得していただけただろうか。
 病院の周りが再開発の中で新興の住宅街に変貌している。その中でこの病院だけが時代に取り残されてしまった感は否めない。外からも目立つ鉄格子、内側では、看護の工夫はあるもののそれだけではとても追いつかない病室の狭さ、プライバシーが守れない環境、古い洗面所やトイレ等々。外来待合室は、それなりの工夫があり居心地が良かったので病棟にもこれぐらいの工夫をしてほしい。
訪問の最後に院長より「ときわ台駅前にカフェレストランを開いた。意図は、患者さん達が社会復帰していくのに作業所でままごとのような作業をしていたのではダメ。ちゃんとした仕事をしてもらうため。でもやってみたら洒落すぎていたのか患者さん達が仕事をするのは無理だった。でもぜひ寄っていって下さい。」と言われ帰りがけそのカフェレストランに入った。今見てきたばかりの病棟との落差にしばし唖然とした。ちゃんとした仕事をということはそのとおりと思うがその前に病院内でやるべきことが山積みと思った。例えば、入院中の方達が唯一の楽しみとしているらしい院内の喫茶店「カサブランカ」を考えてみても閉鎖の老人精神病棟の中にあり鍵を開け閉めして入る狭い空間に過ぎない。病棟から離れた鍵のかからない場所にもっと広い空間を確保できないものだろうか。

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上妻病院(精神科)が民事再生法の適用を申請

東京地業研 飯田

 11月14日、東京都町田市の上妻病院を運営する「天紀会」が民事再生法を申請したというニュースが流れた。借金14億円を抱え診療報酬も差し押さえられてこのままでは病院経営が出来なくなるためとあった。このニュースを知って私は、都内の精神科悪徳病院の一つがなくなり、入院者の退院・転院がされるだろうと思った。ところが都は何回か立ち入り調査をしたが重大な違反はないため、業務停止などの措置はとらず再生計画の作成を待つらしい。
 「東京精神病院事情」に沿って上妻病院について報告する。
 第1版(1989年)では、「2病棟200床、保護室4床。全閉鎖、自由入院もなし。224人が入院しており、定員オーバーである。コメディカル職員は一人もいない」となっている。この当時院長は、町田市の長者番付に毎年のごとく載っていた。
 第3版(1997年)では、「94年に200床から395床に増床した。任意入院率93.4%。病床数が2倍になったにもかかわらず、常勤医は3名から4名にふえたのみ。コメディカルスタッフは0である。この間特に目立つのは死亡退院の急増。この病院に対して、東京都がなぜ病床倍増を許可したのか理解できない。ワースト・テンに入る病院として、緊急に改善を指導されてしかるべきである。」97年には看護職員の水増しで1億4千万円以上の返還を求められた。
 第4版からは、病院訪問調査をした病院のみを報告する編集となったため、上妻病院に関しては訪問を断ってきた経過のみの記述となっている。第4版(2000年)では、「2回の調査依頼に返事なし。事務長宛に電話するが『調査?覚えがない。色々あってとても調査なんか出来ない。遠慮させて頂きたい』とこちらが何も言わないうちに電話が切れてしまう。」2000年には死亡患者の改印届けを勝手に作成して預金を下ろそうとしたことが発覚。2001年には精神科作業療法に関して不正請求をしていた疑いで社会保険事務局と都が立ち入り調査をしている。2002年個人経営から法人化「天紀会」となったが院長が借金を抱えていたため院長が所有していた土地と建物を法人名義に変えられず、法人は院長個人に借地・借家料を支払っているらしい。
 第5版(2005年)では、「回答が無かったので電話する。事務部長が依頼の資料を見てないとのことで再送付。その後電話すると事務部長が『トップの考え方も聞いたが役所の方のことは全部協力しているのでそれで充分と考えている。最終的には辞退する』と断られる。」2006年に入ると多くの看護師、医師が一斉に辞めていった。

劣悪な精神病院はいつになったらなくなるのでしょう。
全文はおりふれ通信12月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX03-3366-2514、新宿区西新宿7-19-11児玉ビル301 おりふれの会

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2005年6月現在の東京の精神病院統計をみて

東京地業研  飯田文子

1 全都の精神病院について
 2003年6月と比較しての変化は、病床数が減少していることと入院者数が減少してきていることである。2003年からの2年間を見ると25,546床から25,071床、23,091人から22,262人となっている。
 2002年厚労省が全国72,000人の社会的入院者の退院を10年間で達成するという目標を掲げている。単純に5倍してみるとこの数字で見る限り努力次第では、可能な数字にみえる。(最も2005年から現在までの2年間の統計を目にしていないので全く的はずれかもしれないが)
 ベッド回転率は、1995年107.3%、2005年160%となっている。単科精神病院のみを見ると1995年95.4%、2005年129%で、単科精神病院もそれなりの変化を見せている。
 しかし、単科精神病院の統合失調症入院者のみのベッド回転率は低く、長期に社会的入院を強いられている人達の存在は大きい。
 一方、入院者の内任意入院者の占める率は1998年72%、2005年64%と減少し、閉鎖病床の全精神病床に占める率は、1998年の12,349床、47%から2005年13,829床、55%と増加している。任意入院にもかかわらず閉鎖病棟に入院している人も増加し、任意入院者中閉鎖病棟に入院している任意入院者閉鎖率は、2003年4722人、31%から2005年6014人、42%となっている。また、6月30日現在拘束されている人の数も2003年660人が2005年823人と増加している。(統計にはないが、向精神薬の点滴時の拘束、電気けいれん療法の増加もいわれている。)

2 単科精神病院について個別に見ると
ベッド回転率の高い国立武蔵病院309%と低い高尾厚生病院15%とその格差に改めて驚く。また、死亡退院率(1年間に退院した人の中で死亡による退院者の占める率)を見ると滝山病院の64%という数字に愕然とする。
ベッド回転率、死亡退院率と医療従事者の数は相当に相関関係があると考えられる。回転率の高い病院は、常勤の医師、看護、コメディカル(作業療法士・PSW・臨床心理技術者)の数がベッド数に比して多いところが目立つ。特にコメディカルの数との関係が目立つ。
反対に回転率の低い病院は、全ての従事者が少ない。
 死亡退院率の高い病院も従事者の数が非常に少ない。

詳しくは、おりふれ通信2007年1・2月合併号でお読み下さい。ご購読お申し込みは右下「メール送信」で。
また「東京精神病院事情」については、http://www.arinomama.netをご覧下さい。

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精神病院敷地内退院支援施設は絶対につくらせない!

おなじみの小林さんからの報告です

厚生労働省と当事者等団体の話し合いに参加して
                     東京精神医療人権センター 小林信子 
 

 障害者自立支援法の無残な結果が各地から報告されてきている。その中に、病棟を改装して利用する精神障害者退院支援施設案なるものがあり、10月1日から施行すると言われている。しかし8月に入って地域移行型ホームとは異なった「病棟転用退院支援施設」案が出され、精神の当事者が他の障害者と共に厚労省と交渉し、その結果が報告されるにいたって事の深刻さを知った。この時点になると、私もさすがに危機感を感じ集会に参加し、交渉団に支援者として参加した。そして、遅まきながら「センター」もこの案に反対の声明を出した(8月号掲載)という顛末だった。

1)精神障害者退院支援施設について
地域移行型ホームと精神障害者退院支援施設というのがあって、後者の病棟転用する施設こそ厚労省がどうしても実施したいもの。

2)8月23日の対厚労省マラソン交渉
こらーるたいとう代表の加藤さんの司会で始まった。厚労省精神保健福祉課は、以下の3つの論点 
①支援施設案を翌日の全国課長会議に周知する
②パブリックコメントを9月中旬まで募集するので、皆さんどうぞ意見をお寄せください
③施策は10月1日から実施する。
素朴に考えて見ればこの法案についてパブリックコメントを募集する前から、施行日程が決まっていること自体、単なるアリバイ作り。

こちら側も反対理由を述べた。
①社会的入院者が施設利用を望んでいるのか、意見を聞いてみたのか。
②当事者にはメリットなし。でも7万床の減少で政府にとってメリットあり。
③中間施設は社会復帰には結局役立たない。国際的にも地域のグループホーム資源充実へと施策が切り替わっている。
④限られた予算を居住施設を増やしたり、他のサービスに使う方が、本当の利益になる!
⑤3月末まで圧倒的に反対意見が多く、議論されていない。突然全国課長会議にこの案が出された。
⑥10月1日の施行は延期して、その間に今回のような話し合いを持ってほしい。
 9月14日に再度話し合いがもたれた。前回行政側出席者の4人中3人が9月の異動で転勤。私達はこの国の無責任な官僚制度をここでも体験したのだ。
  あと1回は厚労省との話し合いが予定されているが、この「おりふれ通信」が皆さんのお手元の届く頃、この退院支援施設が10月1日から実施されているかも知れません。

 その後の話し合いで10月実施だけは食い止めましたが、厚労省はあきらめておらず、取り組みは続きます。
 全文は、おりふれ通信9月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX03-3366-2514、新宿区西新宿7-19-11児玉ビル301 おりふれの会

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古い病院の中から

次は日々の仕事の中でハッと気づかされたことです。

        民間精神病院コメディカル職員 東野みどり

 古ーい精神病院で働く私もまた中古となり、「昔ノ私ハコウデハナカッタ」と感じはしても、鈍くなってきた頭と感性で、疑問を感じては忘れ、放置してきていた。
 病院ではさまざまな、あるいは単調で単一なプログラムが、患者の治療(?)や気晴らしのために組まれる。その企画、準備、進行、後始末の多くは職員が行い、ごくたまには全部患者に任せて行われる。
 先日、私がある女性の患者さんに司会を頼んだのはそうした思惑ゼロで、しばらく動きのない状態や沈黙があって、「声が小さくて聞こえないよ」と役を取って代わられた。その場の参加者達は、入院して5年、10年が経ち、という顔ぶれだったので失礼ながら何の期待もなかった。
 ここから先はちょっとウソのように聞こえると思うが、患者さん一人ひとりの顔つきや身体の動きや姿勢、声がゆっくりと変わった。なぜ今までこれが起こらず今回起こったのかがわからないので同じ試みも再現できないが、しなくてよいことをし続け、してはいけないことを繰り返す職員や病院のあり方が、患者さんが本来の自分に立ち戻る過程をじゃましているんだね・・・とつくづく思った。
 職員しゃべり過ぎか。黙って今後を期待する。

いったいどんな出来事があったのでしょうか?私もグループの中で経験したことがあるので「そうそう!わかりますぅ!!」と思いながら読みました。(編集部佐藤記)
全文はおりふれ通信8月号をどうぞ。ご購読連絡先:FAX03-3366-2514、新宿区西新宿7-19-11児玉ビル301 おりふれの会

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『懲りない精神医療-電パチはあかん!!』をぜひ読んでください 

七瀬 タロウ(精神医療ユーザー)


『懲りない精神医療-電パチはあかん!!』
編集・企画 前進友の会 
千書房 2005年刊 1,200円

私はこの本を、三回程繰り返して読んだ。最初は、電気ショック療法に対する当事者による強烈な批判の書として。二回目は、現在の精神医療全般に対する強烈な批判の書として。三回目は、自分の「人生」「体験」そのものを考え直すための書として。そして今日、紹介文を書くために、改めて読み直した。本著は、およそ、短い要約にはなじまない本なのであるが、以下、本著の内容を、可能な限り、紹介していこうと思う。
第一部の中心舞台は、2003年12月6日、京都府立洛南病院(院長 岡江晃)主催の「第8回精神科急性期治療研究会」(「電気ショックの効用」についての発表会)。10月20日の洛南病院訪問調査によって、電気ショックを過去30年間欠かさずやり続けてきたという、調査結果を得た前進友の会のメンバーは、かつて反十全会闘争(1974年9ヶ月で859名の入院患者を殺した京都の悪徳病院に対する闘争)等を共に闘ってきた洛南病院の医者達が、長年電気ショック療法を行い続けてきたことに強いショックを受け、12月1日に「抗議文」を提出、そして、12月6日には、前進友の会総勢6人で「発表会」会場(ぱるるプラザ京都)にビラ撒

きに突入する。そして、総勢100名程の医者達が集まった「発表会」は結局中止に追い込まれた。
その後の経緯等は、直接本著にあたって欲しいのだが、ここでは、前進友の会が何故(修正型を含めた)電気ショック療法に反対しているのか、そしてそれが、何故現在の精神医療総体に対する批判ともなりえているのかを論じて行きたい。そして本著を、病に苦しむ当事者のみならず、電気ショック療法は「効く」場合が多い、希死念慮が強いうつ病患者に対する最後の治療法として大変有効である等々考えている、電気ショック療法肯定派の多くの精神医療関係者等にもぜひ一読して欲しいと思い、筆者の意見も交えながら、紹介を続けていくことにする。
まず、副作用の問題である。記憶ならびに認知機能障害(せん妄、逆行的健忘、記憶力低下)は明らかに認められている。本著でも、国語辞典を引く際に、「あ、か、さ、た、な、」まではいいが、その後の順序があいまいで辞書を引くのが大変な例等が挙げられている(39頁)、また、これは本著で紹介されている例ではないが、奥さんの顔と名前を忘れた、それどころか結婚した事実まで忘れた例や、これは最近のアメリカの例であるが、看護婦が電気ショック療法を受けた結果、それまでに覚えた看護技術をすべて忘れてしまったのだが「医療過誤裁判」で勝訴し、多額の賠償金を勝ち取ったという例も報告されている。なお本著60~68頁に、前述の「発表会」の冒頭で、このような電気ショック療法の宣伝になるような発表会はやめて欲しいと壇上で10分間訴え続けた黒川医師(光愛病院)によって、詳細な副作用等の各種問題点がわかりやすく整理されているので、当事者運動にまったく興味がない精神医療関係者にもせめてここだけは読んで欲しい。
さて次は病状の再燃の問題。電気ショック療法は急性期治療の有効性が高いとされているが(この理解が「病棟機能分化」体制下の急性期治療における、電気ショック療法の蔓延をもたらしている)、6ヶ月以内に約50%が再燃する。そして、再び電気ショック療法の繰り返し。そして何よりも、電気ショック療法は、回復にとって決定的に重要な、自然治癒力の発動を極端に遅らせるという、警告を鳴らす医師(星野弘)もいる(79頁)。
結局、精神医療において「治療する」「治す」とは一体どういうことなのか、その根本が電気ショック療法において根源から問われているのだ。
大体ココロに限らず、そもそもどこにも病気がまったくない人など、健康すぎてかえって不気味である。かつて、ファシズムが「健康の帝国」を目指していたことを、そして精神障害者を大量に抹殺したことを、忘れないようにしよう。
そして「治療」の名の下に、「人格」とやらまで破壊されるのは誰だってまっぴら御免である。電気ショック療法は、確実に「人格」を形成する「記憶」=過去を破壊する。例えば一風変わった芸術家風のおじいさんが、入院して電気ショック療法を受け、打ちひしがれてほとんど廃人同様になって退院したという話も聞いたことがある。それでも「治療」としては成功したことになるのである。
最後に私自身の「人生」「体験」の問題として、本著を読んだ感想を述べてみたい。たとえ、精神的外傷等をも伴うものであれ、「記憶」=過去こそが、現在の私を形づくっているのであり、中井久雄が述べるように、好ましい「体験」こそが、私を変えていく力を持っているのである(63頁)。(例えば私の場合「規則正しい生活」を送る様にと最初の主治医に禁止されていた「旅行」に思いきって出かけたが、(3ヶ月間、東南アジア各地放浪の貧乏旅行、フィリピンの片田舎で、英語のテキストと格闘しながら、100ドルでスキューバライセンスの資格も取りました!)その「体験」は、多くの現地での友人との出会いも含め、人生観を覆すような様々な「体験」の連続だった)。
さて中井によれば、服薬等は、しばしば好ましい「体験」を伴うが、電気ショックは「体験の連続性を破壊する」のであり、また当人の「体験」には絶対になりえない。さらに、電気ショック療法は「精神科医の人格に影響を与える。無感覚になるか神経衰弱になるかは別として。看護師についても同様」。ECTはなんと治療者の人格まで変えてしまうのだ!
与えられた字数をすでに大幅に超過しているので、最後にこれだけはこの際是非いっておきたいことを述べて本稿を終えることとしたい。
現在、電気ショック療法やロボトミー手術の被害者は、後遺症の実態調査をうけることも何の補償をされることもなく、精神病院や老人病院等、社会の片隅で今もひっそりと暮らしていると聞く。私も本著で主張したが(96頁),日本精神神経学会は、ロボトミー被害者や、電気ショック療法の中、長期的な後遺症についての実態調査を絶対行うべきだと思う。その作業はいずれ必ず必要となってくるのであり、被害者の救済に役立つのはもちろんのこと、日本の精神医療総体に対する「治療的効果」も期待出来ると思う。
紙数の関係で、深刻な、電気ショック療法の懲罰的使用の問題、患者を手間をかけずにおとなしくさせるのに大変有効であるという看護側の「本音」の問題、さらに江端さんが強調する「コロされたキーサンナカマ」の「怨念」の問題や、プシ共闘の現在の問題、また私自身も当時関わった「反保安処分の大合唱(たいした「大合唱」ではなかったとも思いますが)」の問題等を十分に紹介出来なかったのが大変残念であるが、本著に掲載されているES体験者(35~39頁)の手記等、電気ショック肯定派の方には、ぜひお読みいただきたいと思う。
さて本著には、電気ショック療法にかぎらず、精神医療全般に対する多くの当事者団体、活動家の生の声も掲載されている、ぜひ一人でも多くの人に、一読といわず二読、三読を薦めたい。最初、前進友の会の持つ独特のトーンに多少の抵抗感を覚える人も少なくないかもしれないが、実は自分自身に突きつけられている問題だということに、やがて気がついていただけるのではないかと思う。

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中国のある精神病院“事情”その2 中国公安部「安康医院」参観報告

司馬 両々

<編集部から>前号で、日本の大学院で刑法を勉強されている留学生の司馬さんに、「中国のある精神病院“事情”」として一般入院先の市立病院の報告をしていただきましたが、今回はその続き公安部所属病院のレポートです。

場所 中国観光地として有名である都市から30キロ位の田舎にある。さらに国道から3、4キロ離れていて、場所的にはかなり不便なところである。しかし、埃だらけの田舎道の突き当たりに、別世界みたいな存在としてある。ここは、中国の公安部所属の「安康医院」(司法精神病院の通称・編集部注)である。後ろは山で、前のほうは中国の古典式の庭が作ってある。

登場人物 接待した人は医務官課長の人物である。最初持ったイメージは中国の典型的な官僚であるが、話しているうちに、印象はちょっと変わって来た。やはり相当な知識をもっている医者だと思った。

入院要件 司法入院(裁判所・検察)、行政入院(監獄・警察)と民事入院(日本における医療保護入院)

入院の判断基準 基本的に自傷と他害のおそれではなく、確実に違法・犯罪行為を行った人に対する鑑定をしてから、入院させる。(司法と行政による入院の明確な区別はないようである。)

病床数 500床(2005年11月現在) 2004年の300床と比べると、大幅に増加したそうであるが、これからも増える傾向が見える。国の予算の縛りなどはそんなに厳しいものではなく、患者が増えれば、物理的な環境が許すかぎり、ベットが増えるのは可能であろう。

予算 今年の予算は2000万人民元(換算すると三億円である)

法的根拠 ①杭州市人民代表大会(地域的立法機関)の地方法
②全国人民代表大会(全国最高立法機関)では、中国精神衛生法を積極的に制定するように努力しているが、今現在15回の法案改正案に至っているだけで、まだ施行の見込みがない。刑法学会もそのような議論を聞いていない。
③今現在各省・市は各自の法制定活動によって、それぞれ違う。各省が統一するのを辛抱強く待たなければならない。

退院手続き ①民事入院(250名前後) 安康病院とは本来強制入院の精神病院であるが、民事入院も受け付けている。民事入院は相当簡単に行なわれているようである。家族・引き受ける人が居れば、寛解期に入った患者は何時でも退院できるようである。
②行政・司法入院(250名前後)殺人などの重大行為に対して、最低3年間の入院が必要だと病院側は思っている。(法的根拠は別として、病院側が勝手に決めている)引き受ける人がいれば、三人の精神科医 の判断によって、退院させることができる。この判断の基準は、現在の患者の精神状況だけではなく、 社会への危険性の予測も入っている。具体的な尺度は教えて貰わなかった。
 その一方、家族や引き受ける人が居ない場合は、病院側は患者を退院させないケースがたまにある。一番長い人は入院50年とのこと。

内部参観 病棟は五つほどで庭付きである。主建物の横にある一番近い男子病棟の中を見に入った。ちょうど午後2時前後で、暖かい良い天気だった。患者さんと看護師・精神科医みんなが庭の中でのんびりしていた。患者たちは統一した縦じまの患者服を着て、草の上に横になったり、座ったりしていた。精神科医か男性の看護師かよく分からないが、一人立って、もう一人は座ってタバコを吸っていた。ほとんど話はしておらず穏やかな午後を過ごしている光景だった。

配置図 
     │病棟│  庭    それから病棟に入った。最初の印象は天井が高いこと。
    │観察棟 │        かなり高かったのである。
      玄関

                  玄関
│   │病室│病室│医師室││病室│病室│病室│病室│病室│
│食堂│            回   廊                  │
│   │ 給食室 │ ナース室│保護室│保護室│保護室│病室│

 病室は全員ベッドである。ベッドの隣に小さい棚があって、全部施錠されている。一つの病室に8-10個ベッドがあり、患者たちは外の芝生で休んでいるので、開放感と明るさがあった。しかし、
精神病院として清潔すぎて、不思議な感じがする。ナースステーションの看護師を見ると、かなり小柄で若い女性だった。
 気になるのは保護室である。
    
                   │鉄門│ベッド│便座│
  ここは施錠している鉄の門 │鉄門│ベッド│便座│
                   │鉄門│ベッド│便座│

 保護室は当時二人入っていた。投薬されたらしく静かに寝ていた。しかし古い鉄の扉で、外から施錠されるため、患者にとっては決して安全な場所といえないであろう。廊下から保護室内が一目瞭然のため、通風が良いであろうが、プライバシーは全く考えられていない。多くの場所は防犯カメラが設置されていた。観察棟の二階にあるカメラをコントロールする専門職が居て、24時間この病棟の各カメラを切り替えながら監視している。

私見
①ハード面から言えば、施設の内部はあまりにも綺麗で、不思議な感じがする。この施設と広がっている周囲との対比が激しすぎて、政府が思い切ってこの施設を作った感じがしないではない。しかし、施設の中に清潔感があるのは良いことだが、私物など全然ないのはちょっと違和感がある。
②ソフト面からすると、精神保健福祉法が立法されていないことが一番大きな問題だと思う。地域的な法律があるが、入退院などについての細かい尺度がないため、すべての準則と解釈が病院側の判断に委ねられているのはあまりにも危険なことであろう。
③司法鑑定について、中身について考察できないが、単に鑑定時間から見ると、短期間で簡単な鑑定しかなされないようであろうと思う。
④今は中国の精神保健法の立法過程にあるのだが、刑法学界においてはこの問題についてはかなり沈黙している。デリケートな問題なので、皆が慎重に研究しているのか、小さい問題なので、みんなが気にしていないのか、私にはよく分からない。


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中国のある精神病院“事情”

 日本の大学院で法律を学んでいる中国からの留学生が、日本の精神医療に関する法制度にとても関心を持っています。人権センターの活動などにも興味をもってくれるその方が、故国の保安病院や精神病院を訪ねる機会をもちました。そして、「おりふれ通信」に見学記の投稿をお願いして実現しました。中国の政治的状況から訪問した病院名を伏せてありますが、ご了承ください。(編集部)

XX省立xx医院精神科(2005年秋)
司馬 両々

その日の朝は雨。Xx市中心部にあるxx医院の前は賑やかだった。ここは市立の二次総合病院である(三次は一番レベルが高い。)
他の診療科はすべて患者が並んでいたが、精神科の前は空いていた。友達の知り合いの40代の若い精神科医が応対してくれた。

入院方式 本院はほとんど民事入院である。
入院期間 中国全国の平均入院期間は69日と大体同じレベルである。
患者数 精神病床は55が一看護単位で、3単位165床ある
保険 保険は適用されている。患者は自己負担20%である。毎月4000―5000元の費用がかかる。(それはかなり大きい出費である。)

投薬方針 基本的には単剤投薬。アメリカの精神科医療方針に従っている。やむを得ない場合は多種類の向精神薬を投与することもある。

薬物拒否問題 薬物拒否をする患者はかなりいるようである。向精神薬の副作用が出現してから、服薬停止の例が多いようである。この精神科医を訪問していた間に、一人の若い女性患者が受診にきた。自分の症状・薬物に対する知識はかなり持っていて、副作用・薬の金額などの問題について
医者と相談することができていた。このような患者に投薬を拒否されるともう仕方がないと医者が言っていた。
民事入院の病院なので、医者は薬物拒否をする患者に対しての態度はかなり消極的である。でも薬を飲まないと発症されて、そして入退院を繰り返している患者はかなり多いという。それは精神医療の現状のひとつとして認められているようである。

鑑定業務 本院は司法・行政機関から依頼される鑑定を受けつけている。たとえば、責任能力鑑定、訴訟能力鑑定、刑の執行能力鑑定など。応対してくれたその精神科医の話によると、鑑定時間は2-3時間である。かなり簡易な鑑定かなと一瞬思った。民間人の依頼は受け付けていない。

 私見 これは中国精神科病院の一側面である。本病院は中国全体のうちでどんなレベルであるのかよくわからないが、精神鑑定の現状についてはかなり心配である。
 それと同時に、地域社会の精神保健状況はかなり貧弱である。精神病院から地域に復帰して次の事件を起こす前に、何もケアされないのというのが現状である。

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<個人情報保護法施行以後の通信面会の自由>

半田佳世子

 昨年、都内の同じ区にある2ヶ所の精神病院に、作業所メンバーがそれぞれ入院し、連絡をとったところ、これまでは考えられなかった対応をされ、それからずっと疑問を感じています。
 T病院では、家族以外は面会も電話の取次ぎもできないと言われ、理由を聞くと、個人情報保護法に抵触するからと言われました。本人が通っていた作業所のスタッフです、とこちらの身分を明かしてもダメでした。
 N病院でも、家族以外はダメと言われましたが、作業所のスタッフだと言うと、本人の生年月日を聞かれ、それを告げると、本人のいる病棟に電話をまわしてくれ、本人と話すことができました。
 通信面会の自由は、精神障害者の基本的人権であり、T病院でもせめて、本人に電話に出る
かどうか確認してほしかったと思います。
 通信面会の自由は、当事者やPSW等関係者が数十年にわたる努力の末にようやく獲得されたものです。T病院やN病院にはPSWも多数で、精神医療の分野でこれまで多くの実績を積んでこられただけに残念です。最近のPSWが病院のスタッフとどのようにチームを組んでいるのか、精神障害者の基本的人権が、どのように保障されているかについて、これまでの実績を踏まえて敏感であって欲しいと思います

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「データから見た埼玉の精神病院」が出ました!-「東京精神病院事情」につづき、埼玉の精神病院情報公開本です。

埼玉県の精神医療を考える会  星丘匡史

saitama

 埼玉県の精神医療を考える会は、平成14年3月にスタートし、精神保健福祉資料を有効に活かそうと、冊子を作りたいと会合を開いてきました。参加者は入れ代り立ち代りで、集まった人によって内容も変わり雑談で終わることもしばしばありましたが、この度ようやく冊子ができあがりました。東京や大阪ではすでに何冊も作られていますので、それらを参考にさせて頂きました。埼玉県では初めての試みです。
 精神保健福祉資料には病床数、専門病棟の有無、医師数、看護者数、コメディカルスタッフ数、入院期間、入院者の年齢構成などが記載されています。それらのデータの中から、病院の特徴が現れると思われる項目を8つ(常勤医・常勤正看護師・常勤コメディカル一人当たりの在院者数、回転率、5年以上・3ヶ月未満の在院者率、家庭復帰以外の退院率、外来者)選び、点数化しました。必ずしも点数の多いほうがいい病院とはならないけれども、ある程度の特徴は現れると思います。
 この冊子はあくまでもデータをもとにした参考資料にすぎませんが、利用したい人たちに、利用せざるを得ない人たちに病院を選べるようにとの思いで作りました。また、長期入院者の数や入院期間の長さ、医師や看護師やコメディカルスタッフなどの少なさなど、多くの問題を持った精神病院の実態を多くの人に知ってもらいたいとの思いがありました。
 この冊子が、当事者やその家族の方々の役に立つことを望むとともに、少しでも多くの人たちに精神病院の実情を知ってもらい、病棟の中で人生の大半を送らされている取り残された人たちのことを考えるきっかけになることを望みます。

~冊子作りに参加した面々  (一部ですが)の思いを紹介します~

「東京精神病院事情」の本を知って、埼玉版を出そうと思ってからはや10年余り。7,8人の仲間で話し合ってるうちに、迷ったり、不安になったり、こね回しているうちにへんてこになったりしながらも、何とか冊子の形になりました。とてもでないけど十分とは言えませんが、形になって良かったと思います。埼玉の精神病院について少しでも多くの人が関心を持ってくれることを期待したいと思います。
 始めの頃は、病院を敵視していて、病院に「一泡吹かせてやろう」と力んでいたと思います。その頃は、空回りしていたように思います。最近になって少し穏やかになり、事実のみを伝えようと思うようになりました。まだまだ批判的な表現が多いかもしれませんが、病院関係者の方や、関係機関の方や、当事者の方や、家族の方や、その他の方々とも一緒に考えていけたらと思っています。(星丘)

 なぜ冊子製作に携わったかというと、まずこの会が入りやすい雰囲気を持っていたから。そして、この会に参加して長い間、心の奥底にしまっていた思いが蘇った。
 全てがそうではないが、精神科病院は明らかに他科病院と異なっている。10数年前、家族が精神病院に入院した時、病院側は頑なに『3ヶ月』の入院期間を提示してきた。同じ病院に2度入院するが、いずれも3ヶ月だった。本人が退院を強く希望し、素人判断だが家庭に復帰できると思い、退院させてほしいと訴えるが、3ヶ月より早い時期だった為、「責任もてませんよ」と主治医は強く言い放った。(後に新患入院は4ヶ月目から診療報酬が低くなると知って、合点がいった)急性期は家族も消耗するが、本人がある程度落ち着いた状態であり、家族も支えられるのであれば本人にとって家庭で養生した方が回復は早いはずだ。
 その後、医療不信になるが、断薬により再発。医療に再度つながるまでは、時間がかかってしまったが、別の病院に入院。順調に回復していったが、開放病棟に移ってから、具合が悪くなる。和室での何十人もの共同生活、管理的なスタッフ。これは逆効果と判断し、退院を主治医に頼むが、「もう少し、もう少し」と延ばされ5ヶ月を過ぎた。本人の我慢も限界に近い。退院せざるを得ない家庭の状況であると、うそを言い、逃げるように退院。(後に、入院者を固定資産と考える病院があると知り合点がいく) 入院当初この病院で、スタッフから不思議な言葉を聞いた。本人の衣類に名前を縫いつけて持っていった。退院後は、糸を抜けばまた自宅で着ることができるからである。それを見た看護師は「あら、退院を考えてるのね」・・・この時、ピンとくれば良かったと後悔した。
 病院のせいだけとは思わない。入院という形で当事者を他に任せたままの家族もいると思う。しかし、普通に考えれば入院とは治療の為にするもので、病院の都合や利益から入院期間や治療方針を決めるものではないはずだ。ある入院経験のある当事者の方が「俺たちは金儲けの道具じゃない」と言った。同じような経験のある人がいる。そうは思いたくはないが、こういう体質の病院はまだまだあるのではないだろうか。また、20年も30年も病院生活をしている人達がいるのを知り、衝撃を受けた。中には保護室で何十年もというケースもある。知れば知るほど許されないことが、放置されたままである。
 私にとって冊子を送り出すということは、病院批判をしたいのではない。治療を目的とした医療を望んでいるだけである。問題の投げかけをする為という意味でこの冊子が生まれたのである。(堀)

 私が、考える会に参加したのは2004年の初めでしたが、基本的に知識を増やしたいと考えて参加したと思います。その後、冊子の制作に携わり病院の実情を知ることとなりました。その結果として、視野が広くなったことが自分にとっては最も有意義であったと思います。冊子を見て点数の低い病院の関係者の方々はおそらく不満を持つと思いますが、長期入院者が多いことなど考慮すべきことが多くあると思います。ただ、私としてはこの冊子が病院の実情を全て表しているとも思ってないので、今後も自分自身の視野を広げて行こうと考えています。また、少しでも病院の実情が明らかになり、閉鎖的といわれている。病院の状況が少しでも改善されることを望みます。(平井)

 精神科医療、また精神科病院について、個人的には何の体験も特別の思いもありませんでした。しかしボランティアとして多少なりとも動いてみると、一般市民の関心のなさ(あるいは偏見)と関係者の閉鎖性、相乗効果の「風通しの悪さ」をとても感じました。そして風通しの良くないところにはあまりいいことがないのではないかと思います。したがって病院や関係者はもとより、むしろ関心がなかった人々の目にも少しでも触れてくれたらと願っています。また、これは一つの投げかけであり、いろいろな方の反応や意見を頂くことで、次の「何か」につなげていけたらと思っています。(村田)

 昨今は情報過多とも思えますが、自分の必要としていることが、どれほどあるかは疑問です。知りたい人に知りたいことが届いているのか・・・と思います。特に精神病院のことは家族でも入院しない限り何もわからない、知らされてはいないでしょう?
 遅ればせながら精神障害者の福祉の向上が少しずつ変わってきている今日でも、その状況は同じだと思います。私はただ「知りたい」そして知ったことを伝えたい。それが参加した理由です。(西屋)

「データから見た埼玉の精神病院」お申し込みは、fax048-731-3401 郵便振替00100-3-686227 埼玉の精神医療を考える会

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「東京精神病院事情」について

病院PSW カメレオン

 昨年ある研修会で、どこかの理事の方が講演の中で、都内のいくつかの病院のデータを比較しながら、この本のデータは良く出来ていると評価され説明に使われていました。私自身も他病院の状況や当院の評価を知るために毎回発行されると購入してきました。戸棚には過去の4冊があるはずと、今回の原稿依頼のために参考にしようと探しましたが、結局1冊も見つかりませんでした。当院はこの調査自体に積極的に協力している医療機関ではありませんが、それぞれの部署で気になっているらしく、借りに来ては返すといったことを繰り返すうちに、いつの間にか戸棚から消えてしまったのではないかと思われます。院内でも評価について、常に気になっていることは確かです。それだけ周知された存在の書物として利用されているようです。
 読む側にとって残念なのは、訪問調査に非協力の病院が47と半数以上になり、それらについては、表や数字のみで判断しなければならないことです。この中には、過去の版で自分の病院が批判的に書かれたと調査に非協力的になってしまった病院もあるようです。批判的に書くことで次回の調査に協力が得られないことも、当然に予想されることです。読む側にとっては、多くの病院に調査協力してもらい、共通の情報が伝えられることも大事ではないかと思います。いずれにせよ、率直に書き手が伝えたいことと、多くの病院に協力してもらうことのバランスが難しく今後の課題と思います。一方、調査を受け入れた病院は、2頁半にわたり病院の様子から始まってアンケート回答等、コメント付きで詳細に書かれています。さらに治療方法も案内してあり、参考になりました。このように詳細に書かれていると、数字に表せないソフト部分を判断するのに有効です。毎回ボリュームも増し、その病院の様子も分かりやすくなっています。
 近年病院医療も変化せざるを得なくなっています。数字を見るとほとんどの病院で点数がアップしています。そういう意味では、当事者達が利用しやすい病院に近づいていけるのではないかと願っています。
mso2ADC1 ←「東京精神病院事情」こちらもよろしく

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投稿 スッパ抜き!私の東京精神病院入院体験事情

老川哲美

<1990年代の長谷川病院>
 急性期病棟(閉鎖)は若い患者が多く、個室と2人部屋のみで大部屋はない。レク室でカラオケが出来たり、風呂掃除やコップ洗い等が当番制になっている。
 慢性期病棟(半開放)では、カラオケとして月2回位の頻度で、病棟内のレーザーディスクで行う。喫茶レクでは他病棟の患者と思われる白衣を着た男性数名が来て、ジュース券を配り、数種のジュースを注ぐ。3時のお茶には、いつもカフェインレスコーヒーが出る。というのは、カフェイン摂取で患者が眠れ(ら)なくなるのが困るから。連絡通路付近の1病室がリハビリ組になっており、リハビリ組のみがトイレ掃除当番を受け持つ。外国人(白人、アジア系)のセラピストが、ごくたまに来てダンスセラピー等を行い、見学もしてゆく。集団旅行があったり、小遣いについては各自あるだけ使え、自由である。
 個室にはトイレ、洗面台と覗き窓が付いている。外に面した窓ガラスには鉄格子があり、その丁度下を職員が通り、煙草の吸い殻等を見てまわる。患者のベッドの上部に“約束事”という紙が貼られる。例えば「○○さんへ、・・・をしたら抑制です」といった内容のもので、患者はサインを命じられる。
 野川周辺にある“散歩コース”には、絶えず私服の職員が居り、少しでもコースから外れた場合自転車で追いかけてきたりする。外出から帰るとボディチェックがあり、主に看護者がポケットの中などを見たりするが、靴の中などまではチェックしない。
 生活保護の患者は施設に行くか、多くの年配患者は余生を病院で過ごす様になる場合もある。

 全体的には、「重症患者でも受け入れている」とされる病院で、中庭に自動販売機数個、ベンチ、喫茶室があり、入院時CDデッキ等の持ち込みも可能(ただしコードは不可、電池のみ)で、患者一人につき担当ワーカー1人、特に若い患者には受け持ち看護者がつく。面会時にはソファーのある処でも面会できるが、面会時余った菓子等は持っていることが赦されず、捨てられる。煙草は一人当たり1日1箱位で、好きな銘柄をリクエスト出来る。またコンタクトレンズ等が必要な場合、ワーカーが業者を呼び、院内で調節して購入できる。散髪やパーマもできる。女子手入れ室(毛剃り等)は、看護室の中の仕切りカーテンがある洗面所で行う。危険物を貸し出したりもする。
 他科(内科、皮膚科等)の診察は、看護室の中で行われ、これは月数回希望者のみとされる。歯科(患者間では「腕が悪い」との評)がこぢんまりと併設されて在るが、看護者若しくは体格のいい男性職員が患者に付き添い、病棟に帰るには看護者等が迎えに来る迄待たねばならない。その間絶えず職員が散歩中の患者などを見張っているという状態だった。理不尽なことをした看護者が、内科病棟に回されたりしたことはあった。
 入院患者の間では「もうお金がない」という声が多く、差額ベッド代として個室は1日1万円、大部屋で5千~7千円かかった。
 ナースコールは全ベッドに付いている。拘束の場合、大抵は尿カテーテルを使用するが、男性職員の前で女性患者がオムツをさせられたとの声も聞く。拘束の度毎に、天井に付いているマイクロフォンで看護室にすべて聞こえるよう、スイッチを入れ替える。自殺未遂の患者には、ベッドから半身を起こすような少し変わった拘束の仕方も見受けられた。また拘束の際、男性職員が必要な場合には、電話連絡で別の階からすぐ来るようになっている。拘束の際には、特にヒモ抑制の場合、両手足首に入らねばならない間隙は指2本位とされていた。患者からは、拘束と投薬量の多さが特に云われていた。
 警察というよりは民間警備会社からの委託を受ける。長谷川病院が、家族等に警備会社を紹介していることもあり得る。また家族が望んでも、なかなか退院させて貰えないケースも多い。退院時にも、「器物破損、大量服薬等の自傷行為、家庭内暴力のいずれかが出た場合、再度入院することをお約束します」などの再入院の契約書にサインをさせられる。この契約書に患者がサインしなければ退院は出来ないと言い渡されていた。大抵の患者は再入院の繰り返しである。
 特色としては、看護者が頑張り、医者はおまけに付いている様な病院と言える。

<1990年代の関東中央病院>
 1980年代末に、白壁から薄ピンク壁の病院に新築され、広い中庭を持つ総合病院となった。他科の病棟だが、当時流行した安達祐美主演のドラマの舞台にもなった。
 男女混合の開放(午前6:00~午後9:00)病棟で、実習の学生も多く来ていた。外食、買い物も自由だった。週間プログラムとして、毎日様々な療法が組まれていた。砧公園や馬事公苑への集団散歩もあり、砧公園内の世田谷美術館にも出向けた。個別に患者と看護者、或いは患者と医師が私服で一緒にお茶をしたりする自由な雰囲気もあった。また看護者からの差し入れが患者に振る舞われることもあった。
 長谷川病院と連携プレーをしており、交互に再入院する場合もある。そうした場合、警備搬送会社を患者の家族に伝え、自宅から病院へと患者を移送する。
 PICU(精神科集中治療室)→個室で身体拘束することもよく行われていた。週1、2度清拭といってお湯で絞ったタオルで身体を拭いてくれたり、看護者が本を読んで聞かせてくれることもあった。拘束される期間が半年くらいになると足が立たなくなる。病室内に畳を敷いてもらい、その上に座ってラジカセを聴いたりした。別棟の理学療法室に通いリハビリをしていた。
~事件として~
 いわゆる思春期病棟だが、当時の若手の男性医師3人(今現在は3人とも居ないー1人は死亡、2人は開業した)の患者に対する全面的な暴力が絶えなかった。首を片手で締め上げる、押さえ込み口をふさぐ、バットで身体を打つなどである。若い男性患者が医者に歯をへし折られた。入院の際、患者が職員に殴られた後注射をされ眠った現場を目撃した他の患者に、看護師が「見たくないでしょう」と告げていた。中高生の患者は我慢し、というか事態の大きさに怯え交番に行か(け)なかった状況である。知的障害を併せ持つ若い女性患者も入院していたが、この人も顔面を殴られ鼻血を出したり、他の若い女性患者も顔面打撲の怪我をさせられた。私自身も、顔を机に数回ぶつけられたり、うつ伏せにされ背中に乗られて、頭を床に打ちつけられたり、首を片手で掴まえられて棟内を引きずり回されたりした。看護師長が「哲美(私)を殺さなきゃ」と変な注射を打たれそうになった際、他の看護師と主治医が止めてくれたこともあった。(自分の体験を語るのは辛いものです)。またこれら医師の1人が自分の受け持ち患者の胸を触るとか、男性患者から女性患者へのセクハラ等も見えない処で多々あった。

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10月1日 やっと出版にこぎつけました!「東京精神病院事情」第5版1998→2003

東京精神医療人権センター・東京地業研 木村朋子

 昨年8月号でお知らせしたように、昨年9月都内精神病院訪問調査を開始した。今年4月、8ヶ月かけて調査が終わり、その結果のまとめ「東京精神病院事情」第5版1998→2003が、10月1日ようやく出版の運びとなった。
 何回か電話や手紙で説明・お願いをした結果今回は、33病院への訪問調査が実現した。前の版からの5年間に、大きな変化を遂げた病院が数多くあった。古い病棟を建て替え、広く明るい病棟に生まれ変わり、ベッド周りのカーテン始めプライバシーやアメニティへの配慮がされて、職員数が増えた病院もある。長期入院者への働きかけに力を入れ、活動性が上がった病院もある。その一方で、残念ながら旧態然とした病院も未だあった。
 本の内容は、前回同様、こうした個別病院の訪問レポート中心に、東京都精神病院統計に基づく全病院のレーダーチャート(今回若干指標・基準を改定)と、1987年以来の点数変化を載せた。訪問を受け入れなかった病院については、交渉の経過を簡単に述べてある。
 もとより33病院では、都内精神科80病院の4割にしか過ぎず、しかも前回(2000年版)の35病院にも及ばず、調査受け入れ病院がもっと増えないと全体像は見えない。今後の課題である。しかし公的な存在ではない私達の訪問調査を受け入れて下さった病院の中には、「日本医療機能評価機構の評価を受けているが、それとは異なる“市民”の目から見た評価を期待し、病院改革のきっかけや励みにしている」、「患者さんのプライバシーの問題はあるが、病院を知ってもらう努力の方が先」などの声もあり、私達にとっても励みになった。
 病院統計のデータで調査協力病院群をそれ以外と比べると、都内の年間入院者約25,000人のうち15,000人、6割がこの病院群に入院しており、回転率も高く、常勤医師、看護者、コメディカル職員数ともに、調査非協力病院群より圧倒的に充実していた。私達のような素人を含む市民・社会に対して病院を開いていこうとする姿勢が、病院の活動性や人的資源の充実、自信と比例している。私達は「訪問調査受け入れ病院が、まずは評価に値する病院」との基本姿勢をもって本づくりをしているが、その姿勢がデータ上裏づけを持つことをあらためて確認した。
 また今回は5年前より、準備段階でも、本の原稿仕上げ(前回は恥ずかしながら誤字・脱字だらけだった)においても、大勢が参加・検討した。そのため本の刊行は予定よりかなり遅れてしまったが、完成度は以前より高いと自負している。
 昨年8月号で宣伝したホームページ
http//www.arinomama.netもその後、データ部分は「工事中」が続き機能していなかったが、今後2005年版の訪問レポートやレーダーチャートを掲載して、メールでも病院体験談やコメントを受けていけるようにしたい。ホームページに2005年版の予告を載せたところ、既にいくつかの注文がきていて、見ていてくれる人がいるんだなぁと心強い。
 おりふれ読者の皆様にもお願いです。この本を多くの人に購入していただきたい。そして周りの人にも宣伝して下さい。                             page002
お申し込みは、
東京地業研       
〒190-0022 立川市錦町3-1-33
TEL/FAX 042-524-7566
東京精神病院事情 1998→2003
東京精神医療人権センター・東京都地域精神医療業務研究会編 A4版 244頁 2,000円

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サルサと葉巻だけでなくーキューバの精神保健―

                        http://pb.rcpsych.org/cgi/content/full/26/5/185
S. R. Collinson, T. H. Turner
Psychiatric Bulletin (2002) 26: 185-188 より仮訳

この文章にあるキューバの精神病院(HPH)に、ほとんど同じ時期に訪れる機会があった(おりふれ通信211号で紹介)。少し古くはなってしまったが、私の文章で足りなかった部分もあるのではないかと考え、この場で再度紹介したい。 訳責 中嶋 康子

 西側の保健の最優先事項の観点から、境界的な性質を与えられている精神医学にとって、全く異なった政治システムを持つ国が精神病をどう扱うかは、常に調査する価値がある。
 キューバは40年間合衆国から通商を禁止され、ソ連の崩壊を受けてかなり厳しいものとなった。合衆国は、食品の販売を禁止、特に合衆国の製薬産業の優位を与え、キューバが世界水準の新薬を市場から購入するのを半分は止める効果をもたらした、薬品や医療品の制限を厳しく行った1989年から1993年の間にキューバの国内総生産は35%下がり、75%輸入が縮小した。特に医薬品メーカーによる薬品や医療品の制限を厳しく行った。それにより、必要な資源の入手が難しくなったが、キューバの人々の健康状態を保つことについては、逆に予防的初期ケアのシステムを発展させ、幼児の死亡率はワシントンDCの半分である。それだけでなく、バイオテクノロジーや家庭医療においては、発展途上国のための人的資源としてキューバで開発されている。また、キューバの医学校では世界中の多くの発展途上国の医師が勉強している。
 キューバ憲法は、医療を受けることは全ての国民の権利であり、政府の責任であることを明記している。医療システムは、一般的で包括的な医療に基づき、薬などは低価格ですむようになっている。カストロ政権は、首尾一貫して医療システムの資源に投資していた。現在キューバには6万人の医師がおり、214人に1人の割合で医師がいることになり、この数は世界一である。272病院と442のクリニックがある。2001年に新しく4つの精神保健の中心と作業療法の複合体の開発が含まれるプロジェクトが組まれている。「革命的医療」の教義は保たれており、精神保健の遺伝子的局面だけでなく、予防や社会的なリハビリもまた重要であるとされている。このような事を確認するために我々は、2001年1月に首都ハバナの西にあるマソラ(Mazorra)として知られるハバナ精神病院(HPH)を訪れた。
 HPHは1853年にヨーロッパ型の収容所として作られた。敷地は7ヘクタールあり、広々とした芝生と花壇に囲まれた1階建てのパビリオン型の建物からなっている。1959年にHPHはキューバでただ1つの公立病院で、それ以前は全て私立のクリニックだけだった。私達が会った医師は、病院が「狂人の家」と呼ばれていた1959年以前については話すのは気が進まないようだった。しかし、私達は病院の広い保管所で広範囲な記録を見せられた。1859年からの病院の写真は、植民地時代のパターナリズムのイメージから、バチスタ時代の絶望を通過し、カストロ体制化の人道主義的変化へと続いている。1959年からの写真は清潔な白い服の患者達が自分達の病院を建てる手伝いをしている所を見せている。
1959年以前は、HPHには2000床の病院に、診断名もない患者が6000人も収容されていた。彼らはマットレスもないベッドに、ロープや手錠でベッドに拘束されていたり、きちんとした部屋でなく、廊下や床で生活していた。また、ハンセン氏病などの身体疾患のある患者達も収容されていたし、小児病棟もあった。患者達は様々な精神症状を呈していた。当初からの責任者であったデュキュンヘ医師の指導の元、精神科医と心理士のチームにより、患者の病気の診断を行いながら病院を変えていった。そして1960年代にはヨーロッパに行き、新しい治療法を獲得した。主にフランスやスペインで経験したリハビリテーションモデルを取り入れていった。それらの2つの国とは現在でも職業的な協力関係にある。現在HPHでは2000人の入院患者がおり、別の2000人が地域で生活している。キューバ全体には3つの精神病院があり(カマグエイとサンチャゴ・デ・キューバ)、HPH以外は500~600床である。また14の州には総合病院に併設された20~30床からなる精神病棟がある。HPHの入院者は、リハビリテーションが必要な統合失調症の患者がほとんどである。
キューバには1000人の精神科医がおり、そのうち200人は小児専門医である。医学生は3年間の一般医療、更に3年間の特別なトレーニングをつんで精神科医になる。150人の医師がHPHで働いているが、50人は精神科医ではない。HPH内には身体疾患用のクリニックが併設されており、レントゲンや、心電図、脳波など身体疾患の検査設備がある。患者に手術が必要な時は総合病院に転院する。精神病院は急性期や救急、法廷で扱われるような事例や、リハビリテーションまでのあらゆる特殊性を備えている。65歳以上の老人は、重要な法的な事例のみ引き受けている。
精神病院にいる多くの患者はキューバ精神保健法による強制入院者である。総合病院の精神科に入院している患者は、ほとんどが同意による入院者である。入院に至る過程はイギリスと似ており、2人の精神科医(そのうちの1人は入院病院の医師)と家族の署名を必要とする。最初に72時間の指示が出され、その後長期になる場合は3ヶ月毎にレビューがなされる。キューバの精神保健法が最後に公布されたのが1983年であり、カナダのシステム(患者の権利や同意をとること)が参考にされた。
治療は一般的にはリハビリテーション・社会療法・作業療法・薬物療法を併用したものである。特に作業療法には力を入れている。社会主義者の変化や、他のマルクス主義者の精神病に関する理解を得た時の評価と同様に、HPHの医師らは「薬物療法とリンクした社会療法」についても語り、キューバの職業作業療法が、単なる運動療法を越えて情緒的・社会的便益の両方の生成を目指したもので、欧米の限られた方法よりも発展したものだと考えている。電気ショック療法も行われているおり、有効であると考えられているが、専門家の中でも意見が分かれている。薬物については一般的な向精神薬や抗うつ剤は使用されているが、非定型薬は大変限定されている。オランザピンについては話されたが、それはフランスやスペインからの限られた病院や施設からの援助に頼るしかないようだった。プロザックは三環系抗うつ剤と同様使用されている。
病院には2000人のスタッフがいる。彼らはよく訓練され、患者と熱心に対話しスポーツや音楽療法等の活動に熱心に従事していた。また、私達は患者達による音楽ショーに出席した。
精神疾患以外の診断名としては拒食症や過食症はわずかしかなかった。病院には薬物依存専門病棟(DDU)があったが、外国人のためのもので、ベネズエラやコロンビアのスペイン語圏の人達がいる。それは特別な収入を得る方法に見えた。キューバは麻薬の取り締まりが大変厳しく、薬物乱用者は大変少ないが、ラム酒が広く飲まれているためアルコールの問題は抱えている。しかし、最近コカイン依存者が発見され始めた。DDUでは集中的なグループセラピーが行われており、他の国でも使われている方法である。
患者の多くは週末に家に帰り、日中だけを病院で過ごし作業療法などを行っている。また「夜間病棟」があり、日中は仕事をするなどして外部で過ごし、夜を病院で過ごしている。地域ベースのチームがあり、ハバナ地区(人口300万人)で活動している。それぞれの患者には担当のソーシャルワーカーがいて、地域ベースでの治療を受けている。地域では、精神科医を志している医学生が一つのテントで2ヶ月間ごとに交代するシステムをとっており、注目すべきことである。キューバの医療の中で精神科医のステイタスは高くない。
地域で起きる「不幸な事件」について医療チームとして十分に協議されていたり、法的な手続きを踏んでいた場合、医師が法律家から攻撃されることはない。私達を案内してくれた医師は、患者の開放を決定する時の責任については、資本主義社会との間とは違いがあると感じている。それは資本主義社会の精神科医は、患者を開放する時のいかなる決定についてもある種の責任を負うことである。患者は地域の機関でフォローされ再発を予防している。精神障害者の事件がスキャンダルとして扱われることはない。それは、報道機関の考え方にもよるし、医者がメディアに権力を持たせないことにもよる。
キューバ内での資源は不足しているため、キューバ政府は新しく外国人向けの特別な医療や、生活の質の改善を提供した、ヘルスツアーを企画した。これにはスペイン語圏や、北米の人々が訪れている。
最後に、キューバの精神医療は全体的によく組織され、熱心なスタッフに支えられていた。懐疑的な西側の人間は、私たちが、見せるため専用のものを示されたのかと疑うかもしれない、しかし、病院全体の印象は、注意の行き届いた、よく組織された機関だというものだ。カストロの42年間の政権は、貧困や欠食や病気を包括的な社会福祉政策によって根絶したことは注目すべきことである。ここで行われていることは、世界の精神保健に携わる人々への現実的政治上の教訓になることではないだろうか。

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斎藤病院が弁護人を面会拒否―風化している現場の人権意識―

東京精神医療人権センター 小林信子

 東京都内には、今日でも医者が代理人の弁護士を患者に面会許可しない病院がまだありました。同類の病院はまだあるのでしょうか。
始まりは3月下旬。いつものように電話相談からの患者さんに面会しようと府中にある斎藤病院に出かけたところ、主治医による「医療上の理由」で面会拒否をされたのだ。この病院は日精協の会長もしたことがある斎藤茂太氏が名誉理事長で、“有名”病院である。しかし、入院者から「人権センター」への電話は初めてだったのでリキを入れて出向いたのだった。
弁護士なら面会は保証されているので、相談者の患者さんと直接連絡を取ったうえで、2週間後に永野弁護士と共に再訪した。また待合室で40分ほど待たされ、今回は「保護者の同意がないと面会は不可」という時代錯誤の理由での拒否だった。医者と弁護士の押し問答の末「センター」は、法解釈に都の担当者の見解を求めたが、これが混乱に拍車をかけた。この間都の機構改革で精神病院を含むすべての病院の入退院の苦情や立ち入り検査は医療安全課という課が担当している。その担当者は、「通信は絶対制限できないが、面会は時によっては制限することもある・・・」というお粗末な応答で、病院側は勢いづいた。1988年4月8日厚生省告示第128号の第3項には、《都道府県及び地方法務局その他の人権擁護に関する行政機関の職員並びに患者の代理人である弁護士及び患者又は保護者の依頼により患者の代理人になろうとする弁護士との面会の制限》は「どのような場合でも行うことの出来ない行動制限」の事項として記載されている。事務局会議でことの深刻さが確認され、都の医療安全課への申し入れを決定し、5月23日に永野、内藤両弁護士と共に出向いた。事実経過確認のあと、都医療安全課としての対処は、4月12日と4月26日に病院に対して事情聴取を行い、そのときに病院側が日精協の資料について言及したので、日精協へも事情聴取を行ったとのこと。その上で、「5月12日における都側からの永野弁護士に対する通信・面会に関する電話回答は誤りであった」「保護者同意がなければ面会させないということも法的に不適切である」そして、「いかなる場合も弁護士や代理人になろうとする弁護士と患者の面会は制限してはならないものである」と確認した上で、謝罪があった。
 「センター」は特に入院中の患者さんの法的権利擁護を主として行う団体であり、今回の出来事を深刻にとらえている。かつての報徳会宇都宮病院事件をきっかけに精神保健法へと改正された現場に、「センター」の内藤・永野の両弁護士は直接関わっており、当時厚生省で立法に携わった小林秀資課長から、通信・面会に関する法律家の関わりをきちんと確認してきた経緯がある。刑事事件と同様で、弁護士との面会は決して制限されないということは確認されている。これは現在も当然変わっていない。最近は世代交代などで現場や行政も弛緩してきて、法の基本理念がともすれば忘れられがちになっていることに大きな危機感を持ったことを伝えた。都はそれらを承知し、今後は齋藤病院に対して指導を行うとした(罰則なし)。同時に、法の原点に注意を喚起する意味で都内の精神病院全体に注意文書を配布してもらいたいと要望した。
 後日、医療安全課の担当者からFAXで連絡があり、齋藤病院に指導を行ったとのこと。だが、齋藤病院は納得したのかどうかは不明だった。というのは、当日の面会拒否を正当化するために「代理人が面会要請を文書で行わなかった」という1988年の厚生省課長通知16号というものを後付理由として持ち出してきて、都としてもそれ以上何もいえなかったとのこと。こんな通知は「精神保健福祉法詳解」にも記載されていない。
 さて、気を取り直して5月下旬に今度は委任状を持参しての再訪問。またしても1時間ほど待たされた。理由は「主治医が患者と面談中」とのこと。その後、主治医に弁護士が呼び出され、主治医はその委任状の件を「都に確認するから待ってくれ」といわれさらに待つこと20分余。これは主治医が面会に納得していないということだろう。都は何を指導したのだろうか。
そして、やっと依頼人と面会することができた。「今日の主治医との面談は、予定されてはいなかった」とは依頼者の説明。この依頼者も「センターなどに連絡すると退院が遅くなる」と主治医から言われて動揺した時期もあったが、ともかくも本人の頑張りで面会はやっと実現できた。が、その要望―退院に即答えられるかどうかは、また別のこと、という現実に直面している。
 人権意識などは常に監視していなければ、すぐに19世紀にもどってしまうのだ。監視団体の必要性を改めて痛感した。

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一市民として精神病院訪問調査に参加して

村田京子

 気後れもありましたが、私のような素人一般市民が「もし自分が病気になって入院するとしたら」、そんな素朴な視点で見ることも意味があろうかと考えました。
私が心の病になったら、まずもちろん個室希望だろうと思います。しかし、保護室以外のいわゆる個室のある病院は少ないようです。具合が悪い時はツライのだから、できるだけいい環境、いい看護を望みたいと素朴に思います。が、一番ひどい時にひどい目に遭う(引き受けてくれる病院が見つからなかったり、無理やり連れていかれたり、身体拘束されたり…)のは、やむを得ないこと(精神病の宿命?)なのでしょうか。具合が悪い=自傷他害の怖れ、だから保護室、しかもああした保護室というのが必要、適切ということなのでしょうか。また、保護室モニターというのは、どう考えても嫌だし、患者には説明していないなどと聞くと憤りも感じます。ただ、逆にモニターされていると説明されたら、とてもそんな部屋にはいられない!しかし、見守られず事故死する方が怖いとも思うと、どんなものさしをあてればよいのかわからなくなりました。
ある病院では、新薬に切り替えて劇的に治療が変わり、長期入院者が退院していったという話をお聴きしました。感心する一方で、それまでの治療は何だったのか!?と尋ねたい気持も起こりました。また臭気の全くない、明るく広々した病棟のホールに患者さんたちが全く無言でうつむき点在している光景は、綺麗なだけに一層侘しさを感じました。その他、二人部屋が案外多かったり(二人というのは人間関係ストレスをもっとも感じやすいのでは?)、公衆電話が大きなテレビの横にあったり、季節の飾りつけの子どもっぽさ、観察室や静養室という名称等々、細かい違和感は多々覚えました。また、20年以上も、あるいは40年も入院している人がいるというここは何処なのかという大きな疑問もあります。
確かに訪問調査を受け入れてくださった病院は、それぞれの方針を掲げ、変わりつつある精神病院という印象を強く受けました。アメニティは相当に改善されつつあり、ここまで綺麗にしなくてもというくらいの病院もありました。また急性期治療主体で長期入院者を減らす(病院らしい病院へ変化する)傾向も見られ、退院促進の動きも少なからずありました。ただ、これは地域や行政の受け皿、マンパワー不足を考えるとそうは進まないのではという気もしました。また病院があまり積極的に受け皿を作ると、結局は病院の抱え込みになるとも思われました。一体どこがどう動くと良い形で実現されるのでしょうか。
また、病院の主たる役割である治療についても、新薬や電気けいれん療法の扱いも含めて、統一見解はあるのかないのか。即ち、これといった治療ビジョンが見えず、正直不安を感じています。それだけ精神疾患とは複雑で難しいということなのでしょうか。例えば統合失調症という病気の治療モデルはあるのでしょうか。また個々の違いに応じたケアを受け、生き方を選択していけるためには、どんな医療福祉システムが構築されればいいのでしょうか。
もちろん治療(薬物他)も看護もアメニティも、更には地域福祉もどれも大切で、より良くなって欲しいです。しかし、上記のようなさまざまな疑問や違和感を思う時、何かもっと土台に歪みや困難さがある気がしました。それは歴史的問題、また精神科医療の実情、社会のあり方や制度、人々の偏見、さらに病院経営等々の問題も絡んで、当然複雑なのだとは思います。しかし、どうにも「精神病院のあるべき姿」というようなものが見えてこないのは、ものさしを持てない素人の哀しさもあるでしょうが、精神病院が抱える課題の厄介さ、もしくは闇の深さでもあるような気がしています。

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続・北海道の医者から見た東京の精神科事情ー合併症医療について

伊東 隆雄

本誌1月号に東京での差別、偏見について書きました。それじゃあ、北海道では差別がないのか、という声が聴こえてきそうなので、当然どこにでも差別はあるよということと、若干の補足をふくめて書いてみたいと思います。もちろん、私個人の限られた経験から、東京はなになに、北海道はこれこれなどと一般化して偉そうなことは言えず、あくまでも個人的かつ主観的な印象だということをご理解ください。北海道にも差別や偏見がありますが、おおらかで開放的な土地柄のせいか、ミゾは浅いようです。

一般科の医師の対応
私は北海道では、総合病院2ヶ所、単科病院2ヶ所で勤務しました。総合病院では、他の科の医者との間にはなんの垣根も感じませんでした。精神科の患者さんの診療を頼めばすぐに対処してもらえました。差別的な対応をされたことはほとんどありませんでした。どんなに精神症状の強いひとでも、ふつうに治療してもらいました。なにか困難があればいっしょに相談しながら対応できたので、おたがいそんなのもだと思っていました。
単科病院のときも、近くの総合病院に患者さんを依頼すると、たいがいすぐに受け入れてもらえました。そのかわり、こまめに電話で相談したり、ときに往診したりと、意思疎通をはかりました。拒否されなかった理由は、いずれも田舎の小さな街だったので、総合病院は一ヶ所しかなく、そこの医師たちの意識が高かったことと、医者同士が顔見知りになってしまうからという理由が考えられます。なにごとも、知り合いから頼まれると断りにくいということがあるかと思います。しかしそれだけでは説明がつきません。
一般科の医師も、何度か精神科の患者の治療に関わることで、偏見が薄らいでいくのでしょう。じっさい、精神症状がかなり激しいひとでも、からだの治療をするときには落ち着くことが多いものです。台風の目に入るように、嵐のなかでもすーっと落ち着いてしまうことがあります。そういう姿を眼にした内科医や外科医は、「精神障害者怖れるに足りず」と学習するようです。あらためて偏見は無知から生じるものなのだと実感しています。

都の合併症事業のナンデ?(続編)
前回も合併症事業のことにふれました。たしかにありがたいシステムです。医療砂漠の東京では。何度かお世話になりました。お世話になりながら文句をいうのも恩知らずですが、ひとつだけ。受け入れ病院に転院するとき、なぜか医療保護入院にさせられます。こちらで任意で入院しているひともです。法の精神は、なるべく任意入院にするようがんばりましょう、ということだったはずです。私も、任意にする要件のない場合のみ医療保護になるものと理解しています。患者さんに判断能力があり、合併症治療のため転院することを了解しているのに、医療保護にしなければならない根拠はなんでしょうか。身体的治療にともなう行動制限を合法化するためでしょうか。(だとしたら医療上安静を必要とするすべての病人や怪我人は、指定医の診断が必要でしょう。蛇足)
自発的な非自発的入院、(ボランティア活動の強制みたいで)やっぱ変ですね。
ひとつだけといいながら、もうひとつだけ。ある病院での合併症治療が終了して、こちらに戻るときの話。家族が迎えにいくだけでいいか、こちらの病院から看護者も迎えに行ったほうがいいか、担当医に聞いてみました。すると「それは判断しないことにしています」といわれました。家族が希望すれば看護者も来ればいいし、要は家族に聞いてくださいというわけ。こちらとしては医学的に判断したいから尋ねたわけです。すたすた歩ける任意入院なら病院からお迎えにいく必要はないのです。なにか症状が残っていれば看護が必要で、それくらいは判断してくれてもいいのにと思うのですが、「判断しません」と取り付く島がありませんでした。たぶんマニュアル道理の答えなんでしょう。

おまけ
つい最近、またまたとんでもないことがありました。当院に通院中の患者さんが、自殺目的で大量服薬してある病院に搬送さ
れました。家族が精神科のことをしゃべっちゃったんですね。すると、まだ昏睡状態の命も危ない状態なのに、こちらの病院に電話が来て、ベッドがないからそちらで引き取れ、さもないと帰宅させるぞという、オドシをかけてきたというわけです。ほんとにベッドがないのかどうかはわかりませんが、死にそうなひとを家に帰すぞとはどんな顔して言ってるんだろうかと、開いた口がふさがりません。北海道では、なんていいませんが、やっぱ、なんかが狂ってるとしか思えません。
それともうひとつ。前回紹介した内科から回されたケースは、脳梗塞でした。

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「医療安全確保のための看護人員体制とアウトカムに関する日米セミナー」に参加して

大塚病院看護師 佐藤 朝子
 2月19日に行なわれたセミナーに参加した。一般の方に「看護師配置」と「安全」を理解してもらうことが目的で参加者の中にはマスコミ関係者もいたようだが、ほとんどは看護師で管理者の立場の方が多かったようだ。
 医療関係者にはなじみの深い医療法の話から入り、看護師の必要人数から触れられた。ここで日本と他国との違いが話題になった。日本では日勤も夜勤もならして看護師の数を計算するため、日勤は看護師が多くても、夜勤になると看護師が少なくなるというのがあたりまえと思っていた。ところがアメリカのみならず他国では、夜勤でも患者対看護師の比率は変わらないように配置されているというではありませんか。入院者数が増えた場合は「フレックスシフト」の看護師を呼び出して勤務するというアメリカの報告に会場は思わず「うーむ」というためいきとも驚きともつかない声が響いた。
 また勤務の組み方も日本は三交替が定番で、1週間の間に3種類の勤務があるが、アメリカでは1週間の間には2種類の勤務形態しかないということだった。「首都圏の急性期病棟における看護管理者の認識」の調査では夜勤の間に全く休憩がとれない、あるいはとれても15分以内という職場が40%あったという報告もあり、人員が増えれば医療事故も防げると思うと感じている看護管理者が67%もいるのに対し、経済的理由で人員を増やせないでいる病院が60~70%もあった。
 勤務時間の複雑さに加えて、休憩時間の短さ、在院日数の短縮、人の命を預かる仕事ゆえのストレスやいまだに変わらない医師との主従関係という意識などが看護師の労働環境を悪化させ、燃えつき症候群へと発展させているのだろうか?
 ところで、カリフォルニア州看護成果連合では『患者のアウトカム(成果、効果)に与える看護師配置の影響』について研究されており、多職種チームとのコミュニケーションが良くなると死亡率が低下したとか、看護ケアが5%手厚くなると転倒が10%減少したという結果が出ているらしい。
 看護ケアを5%アップさせるというのは抽象的で具体的に何をどうするという答えはないが、感染症にかかったり、予防できたはずの合併症で死亡することのないように、データによって改善するきっかけを作ることが目的だという話があった。
 とはいえ、日本のほとんどの看護師は「研究」というものが苦手で、データをとるのも得意ではない人が多いと思う。日々の仕事で手一杯のところへ持ってきて、データを取るためにさらに別の動作が追加されるわけだ。忙しくてチェックできない場合はそれを覚えていなければならない、いや覚えていようと思っていても患者優先なのでどうしても忘れてしまう。カリフォルニアからわざわざ来日してくれた講師は、こういう状況だからこそデータソースにより分析が異なってはいけないので、標準化したデータの構築が必要だといっていた。
 カリフォルニア州看護成果連合での調査には170もの病院が参加しており、コンピュータでそれぞれの患者データ、転倒率、褥創発生率、拘束具使用率などを見ることができるそうだ。患者データや病院名は全てコードに変更されており、自分の病院のコードはわかるが他病院のコードはわからないようになっているらしい。同規模の病院と自分の病院を比較し、看護師人員体制の有効性や患者の安全を改善することに活用できる。
 日本でも(というより、私の勤務する病院では?)どういう効果があるのかわからないまま導入する看護診断やモジュール看護方式より、もっと先にやることがあるように思うのだが・・・。

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精神病院調査に参加して

コミュニティサポート研究所 狩野晴子

 私は精神障害についてはまったくの素人であるが、「治療」を目的とする病院という生きにくい場所でどのような暮らしをしているのか、そこでの問題は何かということを知りたいと思い、今回初めて病院調査に参加させていただいた。いわば市民の目で見た精神病院の感想を以下、思いつくままにあげてみる。
1 精神病院は入所施設である
「わかりきったことを」と思われるかもしれないが、私の最初の驚きはやはりこれであった。「病院」という言葉から連想する「病気が治るまでの一時的な場」ではなく、生活の場としての精神病院を目の当たりにして、ここは他の障害でいうところの「入所施設」なのだと実感した。入所施設であれば、アクセスの悪い山の中にあることも納得できるし、外出が制限されることも(悪い意味で)納得できる。しかし、入所施設にしてはその人らしい生活を実現する努力がなされていない。入所施設と病院の狭間にあるのが精神病院だと実感した。
2 熱心なスタッフでも違和感があるのは何故?
精神病院のおどろおどろしい話を耳にしていたので、どんなに恐ろしい鬼や悪魔のような医師や看護師がでてくるのかと思っていたら、意外にも普通の人ばかりであった。しかも優しく熱心に仕事に取り組んでおりいい人達の様である。しかしよくよく話をきいていると、気持ちは伝わるけどなんだか腑に落ちない、という感じがしてくる。私はどこがおかしいと指摘できるほど鋭くもないし知識もないので、「なんかヘン」「なんか違う」という表現になってしまうのだが、3箇所訪問したどの精神病院でも違和感を抱く。これは知的障害者の入所施設の職員に対して感じる違和感と同じものだ。私がもし入院している立場だったら「あなたの為を思って…」などと言われたら、正直やりづらい。巧妙なやり方に違和感を覚えながらも「自分の方がおかしいのかな」という気になってしまいそうだ。本当に怖いのは鬼や悪魔ではなく、普通のいい人の中に潜む疑いのない善意や思いやりだったりするんだろうなと思う今日この頃である。
3 精神病院の中の知的障害者
精神病院が行き場のない人たちの受け皿になっている実情はこれまでも耳にしたことがあったが、知っているのと実際目にするのでは雲泥の差がある。ある精神病院で、長期に保護室を利用している理由について質問したところ、「知的障害のある人なので」と一言で回答されてしまった時は、知的障害が保護室利用の立派な理由として通用してしまうことに衝撃を受けた。保護室に入れざるを得ないシビアな状況ではあるのだろうが、かたや知的障害者福祉法に基づく施設では保護室は設置されておらず、障害特性を考慮したアプローチが行われている。どこに所属するかで本人の生活が大きく変わってしまうこと、そしてその決定権を本人ではない他者が握っていることに恐れを抱かずにはいられない。
 病院や施設を訪問する時は、自分がそこに住みたいと思うかどうかを基準にして考えている。一つとして入院したいと思う精神病院はなかったが、住まざるを得ない人がいる現実を前にすると、私の言っていることは稚拙で世間知らずの戯言に思える。しかし、そんな一市民でもお役に立てたのならば参加した甲斐があったというものである。

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病院調査に参加して

病院PSW
 今回病院調査に参加し、まだ2病院の訪問に留まっているが、その中で感じたことをいくつか述べたいと思う。私は今までにも10ヶ所以上の病院に見学に行っていると思う。(ほぼ東京に限定されているし、見学というとどの病院も良いとこ中心に見せることが多い?)その時々でショックは受けてきたが・・・

感じたこと その1
何でこんな山の中にあるの?
 長い歴史の中でこのような立地条件に建つ病院が多いのはわかっているが、ユーザーにとっての大変さ、本人にとっても社会にとっても障壁だと痛感。具合が悪い時に単独ではとても通えない、外出だって面会だって、物理的に厳しすぎる。こんな場所にあったら退院支援だって、支援する人・車と運転手の二人がかかりっきりでないと無理。公的に特別の人員配置でもとらなければ(特にこの多摩地域のはずれの病院から、病院過疎の23区に帰る場合など)社会復帰支援は充足できない。

感じたこと その2
ソーシャルワーカーって何の職種なの? 
 ソーシャルワーカーと病院の管理者とぴったり息が合っている。病院の理念・管理体制・サービス等がユーザーにとって好ましい状況なのか、利用者の尊厳は本当に守られているか。これらに問題がある時、ソーシャルワーカーがしっかりと病院に意見できているのか?訪問した病院では、ソーシャルワーカーがこういった一番重要な部分で機能できていると感じることはできなかった。

感じたこと その3
許せない扱い!
 病棟の中に廊下と食堂を仕切る柵を付けている病院があった。食事時間に患者さんが殺到するから食事前に柵を閉め、患者さんには廊下で待ってもらうためという。本当に悲しい状況。言葉はすごく悪いけど家畜扱い、人として扱っていない。
 その他院内でのさまざまな制約について病院側の言い分がある。病院に都合の良い合理化はたくさん。聞きたくない。

感じたこと その4
 やっぱり医療従事者以外の一般市民(精神医療を知らない人)の視点が重要だと感じた。医療関係者だと、「当たり前のこと」と鈍感になっていることが多々ある。自分も調査員をしていてそこの弱さをあらためて感じた。そう考えると医療機能評価だって、ある意味国が推進しているにもかかわらず、ユーザーや市民が調査員(サーベイヤー)に参加することはないのだからおかしな話である。

終わりに
 今回はどれくらいの病院が調査、見学を受け入れて下さるのか。何とか大阪みたいに100%近くにならないものか。「事情」本の社会的認知度がもう少し上がらないかとも思う。
 調査して問題のない精神病院はまずない。それでも調査を受け入れ、長い時間を説明と見学に費やして下さる病院にはありがたいと思う。反面、調査を受け入れない病院は、どんなに問題があっても数値やアンケートのみの掲載となるわけだからおかしな状況である。
 他の病院を見ると気になることがいっぱいあるのに、自分が勤務する病院については、自分自身のおさえが甘い、見逃し、目をそらしていることがあるとも感じた。自分にも厳しくありたい。

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東京精神病院「トイレ」事情

内山智絵

 本誌でも進捗状況をお伝えしているように、精神病院調査訪問が昨年秋から始まっている。私も調査員の一員としていくつかの病院を訪問させていただいた。同じ「病院」とはいえ、こうも違うものかと、あまりたくさんの病院を知らない私には驚きの連続だった。 今回の調査の主眼である、長期在院者の退院に向ける取り組みと急性期治療についての意識の違いや、病院スタッフたちの患者さんたちへの対応の違いなどにはもちろん思うところは多々あったのだけれど、今回は「トイレ」についてのお話を。
 私が12月末現在、訪れた病院は4つ。その中には、ぱんぱかぱ~んとそびえ立つ立派なビルディング。正面に施された壁画をあんぐり口をひらいて見上げた病院もあった。こじゃれた内装。ゆったりとした病室。アメニティは抜群。そんな病院では、トイレもまた充実した空間で、扉が「ふつう」なんて当然のこと、おしりもポカポカあたたかい洋式便器だった。
 一方、こころも荒むような鉄格子のある病院。すすけた壁紙には茶ばんだ張り紙。ホールにはきらきら輝くクリスマスの装飾が施されていたが、それだけがやけに浮き立っていて空しかった。そんな病院のトイレはどうか。扉は上下が開いているアメリカンスタイル。アメリカは防犯のためにそうなっているらしいけど。かろうじて鍵はついているものの、扉はオンボロ。患者さんが殴って開けたという穴をガムテープで修繕(とは言えないが)してある。でも「いつ貼ったの?」と思うほどそのガムテープも劣化していた。おまけに職員用として使用されている個室ひとつだけが、扉をちゃんとしたもの(上下が開いていない)に作り替えられていた。なぜその時に一緒に取り替えられなかったのか。思わず扉を殴ってしまう気持ちもわからなくてはなかった。せめてガムテープくらいは張り替えてくださいいいっ!
 精神科ではない病院でも、古く汚い病院はいくらだってある。現在、わたしの知人が入院している病院もそんなところで、壁紙は黄ばみ、ベットの間隔も非常に狭く、車いすなど通れず、手を伸ばせばすぐお隣さんのベットである。しかし、やっぱりトイレが違う。古いながらも清潔感が漂うように努力している姿勢が伺える。当然においはない。
 そう。におい。ニオイ。臭い!病院のトイレが臭いっていうのはいかがなものか。せめて消臭剤とか芳香剤くらい設置できないものなのか。私は戌年生まれのせいか非常に鼻が利くもので、病棟に入った瞬間、その臭いにやられてしまった。トイレの内部に入ったときなど、目に沁みるほどの「何か」に襲われ苦しかった。まさに「暗い(電灯が、という意味でなく)」+「汚い」+「臭い」=「3Kトイレ」。 あんなトイレを毎日使わざるをえないみなさんが気の毒でならない。あれじゃ出るモノも出ないじゃないか。
 「ボロは着てても心は錦」という唄があるように、「トイレはボロでも心は錦」ならば良いのだけれど、病院全体の患者さんに対する姿勢とトイレの様子は残念ながら比例していたように思えた。そうではない病院も存在するのかもしれないけれど。
 マイケルムーア監督の映画「THE BIG ONE」で、大量リストラした企業に表彰状を送ったのを見たが、それを真似てトイレのひどい病院に表彰状を送りたい気分である。便利屋をやっている仲間たちと、精神病院トイレ改修特殊部隊を結成して営業にいこうかと思っているがどうだろう。お安くしときますけど。

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北海道の医者からみた東京の精神科事情

伊東隆雄

(編集部より)
以下の記事は、昨年春、オホーツク海に面した一地方都市で長年での精神病院勤務を辞め、「思うところあって」東京に出てきた精神科医の印象記です。大学の同人雑誌に掲載されたものを、了承を得て転載させていただきました。

 小生は今、東京北区の小さな単科の民間病院に勤務しています。入院患者の大半は分裂病圏です。半年ほど病棟に出入りしていて、あるときふとあることに気がつきました。それは病棟の中で、区の保健婦さんや福祉のケースワーカーさんの姿を見かけないということでした。北海道にいた頃は、毎週うるさいほど(失礼!)保健婦さんやケースワーカーさんが病院に押し寄せてきて、患者の状態がどうなっているだの、これからどうするつもりだの、質問攻めにあっていたわけですが、こちらではとんとそんなことがなかったのです。小生が非常勤だからと思いきや、他の医師のところにもほとんど押しかけている様子はありません。生保の患者が入院して一週間しても二週間しても、担当ワーカーから何の音沙汰もないのです。不思議に思ってあるソーシャルワーカーさんに尋ねてみました。すると、その界隈では、医師から要請がないと行政職員は病院には出向かないとのこと。年に1度か2度の義理訪問以外は顔を見せないということでした。理由を聞いてみると、生活できないほど状態が悪いから入院されているので、行政としてやることがないからとのことでした。一旦入院してしまったら、生活者として見るという視点が完全に欠落しているという印象を受けました。たまに面会に来てもらったらどうかとソーシャルワーカーにいうと、不思議そうな顔をしていました。
 一般科とのミゾ:
 東京都の精神保健福祉課では身体合併症の転院先の紹介事業をやっています。肺炎やイレウスなど、手のかかる合併症の患者を引き取ってくれる病院をさがして、紹介してくれるという事業です。受け手はおもに松沢病院ですが。その話を聞いたときは、素直にすごいなあと感心しました。さすが大東京、親切だなあと。でもよく考えてみるとなんか変だなあと思いました。北海道で合併症の患者が発生したとき、道庁に電話して転院先をさがしてもらうなんて考えられるでしょうか。ありえないことですよね。これは要するに、お上の力で探してもらわないと、受け入れ先が見つからないというお寒い事情だというわけです。
 東京は精神科をもつ総合病院が極めて少ないということがあるかと思います。しかしそれだけではなく、一般病院にとって精神科はいやなところのようです。北区の近くの病院に入院依頼して露骨に断られたことがありました。「うちの○○のドクターはプシ科の患者は診ないんですよ、すいませーん」てなわけです。先日も糖尿病で内科に通院している患者が、意識が朦朧としたり、歩行がおぼつかなくなり、ついに尿閉まで起こして、かかりつけの病院に行ったところ、精神薬の副作用だから精神科に行けと追い返されました。救急車で来院した統合失調症の患者さんの緊急採血したところ、血糖は4百あまり、CPKが数千、LDH,GOTも高値で、どうみても内科のもんでした。あらためて都の合併症ルートで転送しましたが、こんなことがよくあります。とんでもないことだと思います。

{感想} 人権センター  小林信子  
はい、ご指摘の通りとんでもないことです。悪名高き都の精神科救急制度に加え、入院者は行政からも忘れられています。私は長期在院者への定期訪問を続けていますが、担当が替わった福祉のワーカーが挨拶に来るというのも、希少例です。保健師さんが面会に来てくれている人は皆無です。以前はそうでもなかったようですが、保健所の再編とデイケア設置が、病院を忘れさせています。他科の精神科差別というより、医者の精神科への偏見はひどいものです。
体験者の声を集め、医学教育の中でカリキュラムを設けてもらいましょう。同時に、東京は単科精神病院がすでにありすぎたから、精神科が総合病院に設けられなかったのでしょうか。考えてみるに値するご指摘です。

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東京精神医療人権センターに寄せられた相談から

編集部より
 東京精神医療人権センターに寄せられた相談からの報告です。以下東京都知事宛にだされたある家族からの抗議文と都からの回答の文書(一部省略)です。

東京都知事殿                2004年11月30日
    ○○○○
娘の措置診察について以下抗議し、説明を求めます
1 診察が本人も記憶していないような状況で行われたこと
 本人は全く診察を受けた記憶がないと言っております。前夜遅く緊急措置入院
 点滴で眠っていたので眠りからまだ覚めていない状態だったと思われます。
 このような状態での診察は、診察といえるのでしょうか。
2 現に保護に当たっている私を診察に立ち会わせなかったこと。その事につい
 てその後貴下に問い合わせたところ「診察は本人のみで家族は立ち会えない」
 と回答されたこと。
 診察の日時は確かに教えていただきましたがその時間にはどうしても行かれな
 いことを伝えてありました。診察時間をずらせていただくわけにはいかなかっ
 たのでしょうか。法律では「現に保護に当たっている者は診察に立ち会うことが
 できる」ということです。本人の今後ことも考えそのような配慮がどうしてなさ
 れなかったのでしょうか。
詳細については次の通りです。(以下略)

○○○○様 平成16年12月14日
東京都福祉保健局障害者施策推進部精神保健福祉課長

  2004年11月30日付けで、東京都知事及び精神保健福祉課長宛に依頼のあった
 件につきまして、以下のおり回答いたします。

平成16年10月5日、東京都立墨東病院(注 実際は豊島病院)において、○
 ○○○様に対して行った措置診察及び措置入院につきましては、精神保健及び精
 神障害者福祉に関する法律(以下、「精神保健福祉法」という。)に基づき適正に
 行っております。
(中略)
措置診察時ひは、精神保健福祉法第27条第3項の規定に基づき東京都職員が立
ち会い、本人を診察できる状態にあるかどうか、指定医の診察が適法かつ確実に
おこなわれたかどうかを確認しています。診察を行う前には「これから東京都知
事の命令による措置診察を行います。2名の精神保健指定医があなたを診察し、
診察の結果によっては措置入院になることがあります」と本人に告知しています。
今回の診察にあたっても、立ち会った職員が告知を行った際に、ご本人が告知の
内容を理解され、口頭で了解した旨応答されるなど、ご本人が診察を受けられる
状態にあることが確認できており、措置診察は適正に行われています。
 精神保健福祉上は、知事が家族に診察の告知をする義務を明記していますが、家
族の立ち会いは義務付けておりません。しかしながら、家族からのお話も伺える
ようにできる限りの調整はしておりますが、診察時間を大きく遅らせた場合、ご
本人への医療的対応が遅くなるだけでなく、他の措置診察への対応が遅れたり対
応できなくなるなど、緊急に医療を必要としている精神障害者に対する措置診察
及び措置入院制度の適正な執行に支障をきたすことになります。
 保護者の役割につきましては、単に救急車の付き添いだけでなく、入院先の病
院において医師に協力することや、入院者本人の財産上の利益を保護するなど、
重要な役割があります。
 東京都の措置制度について御理解をいただきますようお願いいたします。
 なお、時節柄ご自愛くださいますようお祈り申し上げます。

編集部より
 東京都の回答は、都職員が適正な診察が行われたか確認していると言うことだが「他の措置診察への対応が遅れたり対応ができなくなるなど・・・・・」と述べられているように措置診察の手配をすることが主と思われる。そのような役割をしている同じ都職員が、第三者として診察を受ける人の権利を守ることがにできるか疑問である。「ご本人が診察を受けられる状態にあることが確認できており、措置診察は適正に行われています。」と述べているが本人、家族にとってはとても納得できるものではないはずだ。
緊急入院時に点滴で眠らせた場合翌日の診察は、朦朧とした状態で頷いたのを理解し、了解したとされるおそれも大きいと考えられる。
また、診察に家族が立ち会う意志がある場合最大限の努力をすることも必要と思われる。

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病院調査に参加して

柏木診療所 看護師   中嶋 康子
 5年間の沈黙(?!)を破って、東京精神医療人権センター・東京地業研が病院調査をすることになり、私も調査員になった。調査の目的は、5年間の変化を相対的に見ること。調査員はそれぞれの病院を評価するのではなく、話をきちんと聞いてくることが課されている。私達より数段上を行く、病院管理者の話に巻き込まれないためのシミュレーションを交えた研修会も行われた。前回を上回る4人体制の調査員配置で、いよいよ調査開始だ。
 医療の現場から離れて早10年(2年前から出戻って医療職で働き始めたが)、病院調査は初めてなので病院をよく知っているとはいえない私だが、比較の対象がない方が見えやすい点も多いと思って参加した。10年以上前、病院の建物はどこもそれほど違わないように見えた。違いはそこのスタッフの働き様だったり、システムであったような気がする。けれど今、病院の違いは拡がっていた。いくつかの病院の中には、時代が止まってしまったような所もあって、「建物は戦前のではないか。」と反省会で話したこともあった(これは間違いで、1960年代のものだった)。そうかと思えば、病院のイメージを払拭するようなところもあった。絨毯の敷いてある廊下、木目調の家具が設置された部屋、暖かいトイレ、バリアフリー(これは病院なら当たり前なのかもしれないが)。調査する私達もつい、建物に目が奪われがちになる。「古い・汚い・閉鎖的」とつい精神病院をステレオタイプでまとめたくなってしまうが、それは違うということを教えられた。  
 建物だけでなく、対応してくれたスタッフもまたいろいろたっだ。「長期の患者さんの退院については医師が決定権を持っている。自分たちは・・・」「病院で自分の身の回りのこともできない人が、退院して生活できるとは思えない。」等々時代が戻っていくような説明をしてくれた人もいたが、全体としては、現状を率直に話し、将来的な展望を持った説明をしてくださった方が多かった。(これは、調査を受け入れてくれる病院の特徴といえるのかもしれない。)ただ、評判の良い病院であっても、地域の福祉施設との溝の深さを感じさせられた。医療からは地域の福祉が何をしているのかわからない。医療は悪で、福祉は善か?という話を聞いた。医療機関と特別な関係を持っていない福祉施設の多くは、医療の現場を知らない。そこから見える医療は、病気に対して絶対的な権限を持ち、必要とあれば強権を発動し地域から連れ去ってしまい、連絡もない。受診の話でも待ち時間の長さは聞くが、充分に話を聞いてもらっていると感じている人は極めて少ない。薬の調整を直接主治医に話せる人の少ないことにも驚かされる。医療機関の担当者と連絡を取ろうと思ってもなかなか話が通らない。等々、福祉の現場から見る医療は、地域と離れた存在に見える。
 今後さらに制度が変わっていく中で、医療と地域、医療と福祉の協力体制は重要になってくる。対立をあおるような考え方もあるようだが、病気を抱えた人が生活していくうえで、両者が対立していては豊かな生活を進めることは出来ないと思う。協力していくことは、一枚岩になることでも、どちらかが擦り寄っていくことでないことはもちろんだが、今のようにお互いのことを知らなさ過ぎることも問題だと思う。地域の人間は医療の現場に出向くこと、医療の事情を知ることを今よりももう少し積極的にやっていく必要があるだろう。医療の現場ももう少し、医療にかかっている人の地域の生活に関心を持つ必要があるだろうし、医療に関心のある人を受け入れる度量の広さを持ってもらえないだろうか。とりあえず、ボランティア団体の病院調査のようなところから・・

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普通の市民の目で精神病院を見る-その②

コミュニティサポート研究所 齋藤明子

歩くモノサシ
 調査に必要なものは公平性と客観性だ。それを担保するものは何だろうか。実は完全に公平で客観的な調査などあり得ない。にもかかわらず、公的機関やマスコミの調査は「これこそ真正な評価だ。信じるべしまたは基準にすべし」という姿勢で対象に君臨してくる。
 東京都地域精神医療業務研究会(地業研)と東京精神医療人権センターの調査は違う。自らの限界や立場を明確にした上で、参考にして欲しい、と謙虚に述べている。数字が表すもの(東京都の精神病院調査の数字の読み込み)と訪問調査(調査員が目にしたこと)を組み合わせて一面的な判断になる危険性も排除している。
 この調査はどこからもお金をもらっていない。だから調査員も交通費の実費補填以外、すべてボランティアである。しかし、だれでも調査員になれるわけではない。必要なのは専門性や資格ではなく、研修に参加することと、「調査員として機能できる」とこれまで調査に携わってきた中心的な人々から判断されることである。さらに調査は原則3人以上のチームで構成され、班長には長年、精神医療分野で働き、多くの患者さんや病院を見てきて、以前もこの調査に参加した人がなる。だから私は安心した。新入りの私の意見がそのまま報告書に出てしまったら恐いが、自分の見たり感じたりしたことは経験豊富な人や一緒に見た人の事実認識や意見とすり合わされ、十分な議論を経て報告書に書かれると知り、初心者の私でも自分に即した貢献をすれば良い、と納得した。
しかしいざ「○○病院の調査に行ってください」と言われたときは緊張した。先入観を持たず、決めつけず、事実を目に焼き付けるようにしようと、棟方志功の真似をして「わだば、歩くモノサシになる」と決心してでかけた。

そして感想。
(以下の文章は個人的な想いであり、病院訪問調査の評価とは全く関係ありません)
 これまで5病院を訪問した。五つのうち四つの印象は、私的に言えば「殻ごと胡桃が入ったマシュマロ」である。ゴシックロマン小説に出てくるような外観の病院は私が訪問した中にはなかった。入口やロビーは他科(内科や外科)の病院とほとんど変わらなかった。しかしさらに踏み込んでみると、コツンと納得できないものにぶちあたる。一つは他科とは比べ物にならない超長期入院者の存在だろう。高齢者が内科や外科に入院すると「ここは病気を治す場で生活施設ではないんですよ」と家族は申し渡される。退院後の生活設計を早くしておきなさい、という警告である。反対に精神病院には出口がないことを受け入れてしまっている雰囲気がある。“ここが病院なら治して!”“生活施設ならもっと自由に、快適にして!”と私だったら叫んでしまうだろう。
 ど・しろうとの発言を許してもらえば、精神病と精神障害の切り分けがないことが、だらだら医療につながっていると思う。身体障害者の場合、脊髄損傷や脳梗塞、脳出血で入院すると治療があり、リハビリがあるが、ある次点で普通の市民の生活に移る。マヒや障害を持ったまま医療を卒業するのである。そしてマヒや障害はその人に付随する新しい個性となって本人も周囲も受け入れて、必要な社会的支援を受けつつ会社の社長になったり、優しい親になったりして人生を歩んでいく。もちろん障害者も病気をする。しかし病気が治れば退院する。障害がなくなるまで入院している人はいない。障害部分と病気部分が切り分けられるからである。精神疾患の世界でも、みんながその必要を痛感すれば切り分けられるはずだ。
 同時に障害を持ったまま社会で暮らすためには量や種類が選択できる多種多様な社会的支援(福祉サービス、社会サービス)が必要である。さらに支援を受けることがスティグマ(差別の根拠)に繋がらないような保障がなければならない。
 二つ目は病院スタッフ、特に医師の意識の違いが病院によって極端と言ってよいくらい違うことだった。「殻ごと胡桃」でなくちゃんと殻を割って中身を出してあるな、と思った病院の医師は白衣を着ていず、失敗についても話してくれた。「何か変えるべき点はないですか」と質問してきた。他の病院が評価の良し悪しに神経を尖らせ、中身についてあまり興味を示さないのとは対照的であった。
 三つ目は患者さんである。精神病院では患者さんが医療サービスの消費者、あるいは利用者とは考えられていない、という気がした。いくら呼称を「患者様」にしても、扱いは銀行で慇懃無礼に扱われる小口預金者ほどにも尊重されていない。病院にはまだ「江戸時代のような身分制度がある」と思った。いかなる組織でも地位や立場、権限には違いがある。しかしそれが人間としての部分は侵食しないのが民主主義である。『釣りバカ日記』のように釣りに行けばダメ社員も社長もない。しかし病院のように完全クローズドの環境ではスタッフも患者も人間に還ることがない。精神病院の息が詰まる感覚はこの辺にあるのだろう。
 最後に、訪問調査を受け入れた病院はそのことだけで「精神病院が社会的な存在であり、故に開かれたものでなければならないということを自覚しており、そして権威でも権力でもない主体の評価を受け入れることにより、謙虚さと寛大さという、あらゆる市民がたぶん心の底で真に精神医療に期待しているものに応えている」と思った。この世のモノサシは行政や科学や利害だけではない。

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普通の市民の目で精神病院を見るーその① どうしてコミュニティの常識とこんなにかけ離れているの?!

コミュニティサポート研究所 齋藤明子

 今年初めに小林信子さんから「精神病院調査に参加しますか」と聞かれ「はい!」と即答した。というのは、障害当事者活動にかかわって何十年(身体)十何年(知的、精神)になるが、身体、知的障害者はいったん入所施設を出ると、まず絶対に施設にはもどらない。たった一人公営住宅からグループホームに入った人(身体障害)を知っているが、その理由はたぶん仲のよい友(同じ障害)が運営責任者で入居者もほとんど友達だったからであろう。
 しかし精神障害者の場合、ときどき人が消えることに気が付いた。「○○さんどうしたの?」と聞くと「入院している」という。「いつ退院するの?」と聞くと答えはたいてい「わからない」である。「そうか、盲腸の手術や骨折のように治癒の過程がはっきりしていないんだ」と思った。さらに驚いたのは「入院しろといわれているが、入院したくない!」という人がいて、いろいろ聞いてみると、その人が或るワーカーの悪口を言い、ワーカーがその人の主治医に入院を進言したという。他の病気ではあり得ないことではないだろうか。「悪口を言う」というのが症状を表すのかどうか、素人の私にはわからない。でも体温や血液検査、超音波やCTスキャンの結果を見せられてあなたはこうですよ、と説明されるほどには入院理由がスッキリしない。ワーカーとの人間関係によっては悪口は根拠のあるものかもしれない。小声で「懲罰としての入院はあるの」と、この業界人に聞いてみたら「もちろんあるわよ。“困ったちゃん”にしばらくどこかに行ってもらいたいということもね」と言われた。それではソビエト連邦時代のロシアが、反体制運動は精神病者のすることであるとして、精神病院に監禁していたのと同じではないか。。

精神病院は何故、市民による訪問調査を拒否できるのだろう?
「入院したくない!」と言っていた40代の人が入院し、病院内で流行っていた風邪でほどなく亡くなったと聞いて、地域で暮らしている精神障害者を本当に支援するためには、精神病院について知る必要があることを痛感した。民間とはいえ大部分の病院は患者自身が負担する治療費で成り立っているわけではない。運営資金の大部分は税金や保険料であろう。ならば民間病院であっても公的な存在である。一般市民の訪問調査を拒否できるはずがない、という私の予想は甘かった。‘99~2000年の前回調査で人権センター・地業研の訪問調査を受け入れた都内の精神科単科病院は全体の半分以下の35病院だったと聞いて、病院のガードの固さに驚いた。
最近いささか評判の悪いアメリカだが、障害者に対する差別を全面的に禁止した「アメリカ障害者法(ADA)」成立以前に、障害に基づく差別を禁止した法律は1973年の「リハビリテーション法」であった。この法律は連邦機関だけでなく連邦から補助を受けている企業にも適用された。つまり公的なお金が入っている組織は対社会的な振る舞いに関して、公的な機関と同じ規律に従うことを義務づけている。日本では税金が注ぎ込まれている法人の義務は、政権政党を支持することと、天下りを受け入れることのように思えてならない。人権センターと地業研が行う訪問調査でお願いしているのは病院の責任者への1時間程度の面談と病棟を見せてもらうことである。会員制クラブなどではない公共施設に対する要望として不当なものではないだろう。患者さんについて聞く項目はないのでプライバシーの侵害もない。何故そんなに隠したいのだろうか?(つづく)

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キューバからの手紙 Nさんへ No3

作業所勤務  宮城ゆみ子
 朝、雷と激しい雨音で目覚めると日本で言う夕立ちのような降りで、朝食に下りる
とレストランは薄暗く、停電のようでした。そんな中で食事を済ませ、なかなか連絡のとれないHさんへ何度めかの電話を..やっと繋がって、日本から某作家が取材を兼てキューバへ来ており、そのグループの通訳で出かけていたとのことでした。
 日一日と夏に近づいているのがわかる季節です。Hさんとハバナ精神病院へ行く日
です。交通手段の少ないキューバで今回も彼女の所属しているF研究所が運転手付きで車を出してくれるということだったのですが修理から戻らないとのこと。どうしようかと相談していると、Hさんの住まいとしているホテルのフロントマンが友人の車を借り運転してくれると言うことになりました。Tと私の日本からの荷物の3分の1は病院へ持ってゆく衣類で、それらと以前に送っておいた荷物を届けに今回の旅行の目的でもある病院訪問となりました。
 以前、この通信にNさんが詳しい報告をされていたので(編集部注:おりふれ通信No.211 02.7・8月合併号)詳細は省きますが、キューバで一番古く一番大きな精神病院です。病院の入り口で寄付など受け入れ担当の女性が迎えてくれ、通された会議室では副医院長ともう一人の担当者がいて、なぜかマンゴージュースとコーヒーがセットで出され、コーヒーに砂糖はいらないと言うとすごーく驚かれてしまう。(キューバは砂糖の国でした。)前回の訪問時に比べると病院の状況は少しずつ良くなって来ている事、アメリカの経済制裁の続く中、カナダからの直行便がある事で、カナダ政府の援助による、精神病に関するソフトの入ったコンピュータ3台が近々届くと言う事でした。私達の持参した衣類はベッド3700床の内、現在2355床使用という中では焼け石に水そのもの、それでも内外の人たちの協力を得て届ける事ができました。その後の雑談で、前回の病院内見学で私達が関心持った飼料不足のため閉鎖していた養鶏所はやはり閉じたままでした。仕事の話になり同行のTが無職と言う事にアントニオ.バンデラスを小作りにしたような、Gパンの似合うハンサムな副医院長(Tの言葉による)は「女は家庭にいるのが一番」と言う。すかさず女性職員が「今回の衣類の寄付に関係したのは女性と男性どちらが多いのか?」と聞かれ突然なので「ほぼ女性」と応えると「やはり女性の力は偉大だ」と切り返す..こんなところは日本と同じですね 
 今回の訪問にはHさんの夫も同行しました。彼はアルツハイマーという病気で現在キューバでマクロビオテック(玄米を中心にした食事療法)なども取り入れた治療をうけているのです。またキューバはチェノブイリで被爆した子供達2万人を受け入れ治療をしたり、発展途上のアフリカや中南米諸国への医療関係者の派遣などもしています。深刻な経済困難にありながら、不思議にさえ感じられます。
 アメリカの経済制裁はまるで子供のいじめのようで更なる制裁が加わる中、どうな
ってゆくのだろうと、とても気になります。
 日本を発つ時はこれが最後かもと思っていたのが、帰りの飛行機の中ではキューバ
の友人達にちゃんとさよならするためにもう一度こなくちゃねという話になっていま
した。 Nさん、是非また、この変わり続けるキューバを一緒に旅したいですね。

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保護室を空っぽにする (2)―道立緑ヶ丘病院急性期病棟の試みー

東京精神医療人権センター 小林信子

4)回答から
質問に応じてくれたのは、病棟の看護師長から、若い看護師まで年代が幅広い看護スタッフで、「保護室空っぽ方針はよいことだと思う」と答えてくれた。S医師も強調するように、スタッフ間にもこの方針への支持に温度差があり一枚岩でないのも事実。でも、当日は質問者に向かってネガティブなコメントをする“勇気ある”スタッフはいなかった。
①なぜこの病棟に保護室を使わないようにするという発想が生まれてきたか。また現状やこの方針をどう思うか について
・考えて見れば保護室って変です。 病棟が閉鎖(これも変ですが)なのだから、二重に隔離するという不自然がある。不自然を早く解消しなければという意識を維持している。
・入院したならまず保護室を経由すること に疑問を持つことが必要ですね。
・保護室に入れられている患者さんは多く の場合人権が侵害されていると思うだろう。患者さんがどう思うかを常に考える。
・自傷他害以外は保護室を使わない。また保護室にいる患者さんとの間に、目的を設定した“契約”が出来れば一般室にすぐ戻している。
・ 特に構えてやっているわけではなく、ごく普通にやっていったらこうなった。
・保護室があればある程便利だから使うという危険性に気づくべきでしょう。
・8割は患者側の要因(比較的安静な患者が
多かった)、1割の看護努力、1割の運・・?
・S担当医は保護室使用が好きではない、使用しても出来るだけ短期間ということをスタッフの前で表明していた。そのことでスタッフ間でたくさん議論をしてきた。
・院内に《個室制限最小化委員会》が出来たが、この4病棟にはそれ以前から、その傾向はあった。
・昔、この病院であったすごく先駆的な活動を経験した看護師たちが、めぐりめぐって4病棟に配置され、保護室使用について疑問をもった。議論を重ねていくうちに医者が載せられたと言う感じかな(S医師)
・精神科の医療現場を席捲している“悲観論”による防衛的な姿勢を上位のスタッフがとれば、若手のやる気を摘んでしまう。
・病棟での議論をしていって、「取り返しのつかない失敗でなければ、失敗するかも知れないけれど、やってみよう」「失敗しても、その反省をすることで、患者もスタッフもお互いに学べる」という発想が多く出てきた。失敗するかも知れないから止めようではなく。
・実務的なこととして、病棟削減で保護室の数が不足するのではないかという危機感があった。それで、保護室の使い方を改めて考えることが出来た。
・前に病棟が閉鎖された時、患者を他の病棟に振り分けざるを得なかった。とても開放病棟では処遇できないと思った人が結構やっていたことで、「やってみなければわからない」のであれば「やってみる」という発想が出てきた。
・急性期の患者さんも自分の病気の情報は知りたいはず。保護室では情報を得られない。

②そのことによる業務量の増加や、付随するストレスが生じたか について
・業務量の増加などない。却って頻繁に保護室に向けていたエネルギーを、デイルームなどでの患者さん同士のやり取りの中でいろいろ観察できて有効だと思う。保護室では患者さんの本当の姿は分からないもの。
・急性期のスタッフが不足で、最初は不安
が先立つこともあったが、最近はそれがなくなった。
・「どうして保護室にはいってしまったの」と疑問を投げかけるスタッフが出てきたことがよかった。

③急性期病棟で、今のところ順調に進んでいる理由は何だと思うか?
・やはり帯広という地域での医療でしょうか。つまり、再発の場合でも、入院してもよくなればすぐに退院させてくれたという経験があるから、あまり精神医療に恐怖を持たず、入院に応ずる。すごく悪化して大暴れというケースが少ないのです。
・外来診療がよく機能していると思う。時間外入院も多くはないし、再入院の顔見知りの患者さんが多い。
・全く初発で、何の情報もない患者さんは医療者としても防衛的になるから、保護室を使うことはありますが(警察官移送で初発の患者さんには保護室を使うことが多いという)、そういう例が少ないのです。
・この病院は、この病棟から退院した人へ、看護師が訪問したりする。その人の生活などが分かっているから、入院してきても安心できる。
・夜間に不穏なことが起きれば他の病棟への応援をいつでも求められるという安心感がスタッフにある。実際はそうしたことはないが・・。

5)総括
 十勝・帯広地域に人権侵害が存在しないということではない。強制入院させられる人はいる。
ただ、まず③の回答に見られる自然のキャッチメントエリアの存在に守られた精神医療が行われているということである。それは長い時間をかけて病院や地域のスタッフと、それらを支えてきた幅広い人々が作り上げてきた、多分、本来の意味でコミュニティを形成してきているのだ。この地域では、「安心して利用できる精神医療」が提供されているのだと思う。利用者は入院しても、入院一般に伴う不便さ以上の苦痛は少なかったし、早く退院させてもらえるという経験を得れば、具合が悪くなっても安心して外来に行けるし、入院をしてもよいという関係性が少なからず出来ているのだろう。見ず知らずの急患が少なければ、スタッフもそう防衛的にならなくてすむ。
2年前の体験入院時に、この地域においては医療と地域がお互いに影響しあう良いサイクルが出来ていると実感したが、それが反映して、保護室を出来るだけ使わないでも急性期病棟が維持できているのだと思う。
 同時に、そこに働く人々の質の問題も避けては通れない。専門家としての倫理や人権教育はもちろん大事だが、それだけでは十分ではない。患者さんが人間扱いされている環境は、スタッフもそれなりに尊重されているという原則は不可欠である。その上で、医療者としての使命が生かされる環境、「失敗しそうだから止める」から「失敗してもいいからやってみる」という肯定的な発想が生み出されるのだろう。
公立病院は人手に恵まれているということの上に、確かに現在、看護スタッフの“潮回りがよく”、経験を積んだ人達が4病棟に集まっているという幸運もあるのかもしれない。しかし、それだけではない何か。 
 一つ分かることは、専門家としての力量を発揮できる環境があり、そこから職業人としての誇りが生まれてきているのではないか。医者や看護は保護室の番人ではない。
この対極にあるのが大都会、特に東京都の救急体制といえるだろう。コミュニティの存在する十勝と東京を比較するのは無理があるかもしれない。東京のことは別の機会に書くつもりだが、夜間の患者は一見さんで何の情報もない人が一晩に数多く運び込まれて来る。一瞬の問診の後の、“医者の判断”による拘束・点滴投薬・隔離室での収容。翌日は担当医の手を離れ後方病院への移送という流れ作業。こういう制度は医療者としての誇りを失わせてしまい、防衛的
な態度となるという悪循環を作り出しているのではないか。世界的に見ても大都市の精神医療が多くの困難を抱えていることは事実だが、制度の欠陥に意義申し立てをせず、「付け」をすべて患者の人権侵害に押し付けていることに専門家として恥じるところはないのだろうか。何から始めて、何をすべきなのか。緑ヶ丘病院の例をみて、専門家も、私達も何かヒントをつかめるのではないだろうか。
 最後に、お忙しい中、お時間を下さった4病棟スタッフにこの場を借りてお礼を申し上げます。と同時に、再発する人が入院という形ではなく、地域でも急性期の危機を乗り越えられる、この十勝ならではのクライシスセンターがあればなあーと、ないものねだりをしながらお話を聞いていたのでした。

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病院機能評価についてー駒木野病院の話から考える

東京地業研 山本則昭

 5年前に地業研と人権センターが病院訪問調査を申し入れたときの病院の断りの理由の中に「うちは病院機能評価を受けているから訪問調査を受ける必要はない」というものがあった。その病院機能評価を駒木野病院は受けたという。地業研の公開勉強会として、駒木野病院の事務長の神マチさんに来ていただいてお話を伺った。なお、駒木野病院は、病院訪問調査にも協力している。
日本医療機能評価機構は、病院の第三者評価による医療の向上を目的として、厚生省、日本医師会、日本看護協会などが出資して1995年に設立された財団法人である。その主な事業が病院機能評価である。これに合格すると認定証が発行され、認定シンボルマークの使用が許可される。認定は5年の有期。
病院機能評価の審査は病院自らが記入する書面審査と、「サーベイヤー」と呼ばれる審査員による訪問審査が行われる。サーベイヤーは、医師、看護士、事務などで研修を受けた人たち。評価項目は「病院組織の運営と地域における役割」「患者の権利と安全の確保」など7項目で、更に各項目が枝分かれして全部で136項目もある。そして神さんによればサーベイヤーの審査の目が極めて厳しいという。全国9187病院中認定病院は1331病院(14.5%)。合格率は3割に満たないという。都内の精神病院の中で認定を受けたのは駒木野病院を含めて6病院。平川、高月、吉祥寺、薫風会山田、東京武蔵野の各病院である。また、審査を受けるには多額のお金がかかる。精神病院の場合120~200万円(病床数によって違う)だが、予備審査を受けると約70万円が更にかかる。そして、駒木野病院の場合、今回の審査を受けるに際して病棟の改築など多額なお金をかけて改善を図ったという。
神さんは、審査を受けたのは経営戦略だけの意味ではないという。むしろお金を出すから効果があるのだと。必死になって自己検証をし、第三者の厳しい評価を受け改善に取り組むことが出来たと。サーベイヤーは例えば金銭の自己管理率が低いと指摘する、以前食事の出し入れのために使っていた保護室の扉の穴をふさぐよう指摘される、果てはトイレットペーパーを入れるのにお菓子の箱を「お客様としての患者様に失礼だ」と替えさせる、など。そしてすぐにそれらの改善を要求する。指摘があるごとに院内で議論をした。神さんは、ただ厳しい審査を一方的に受け入れたのではなく、疑問に思ったことはサーベイヤーと議論したという。神さんのお話からは、駒木野病院が審査にまじめに取り組み現場の改善に努力した様子が伝わってきた。
一方この制度への疑問はいくつかある。税金を投入した事業でありながら、認定結果の公表はされない(病院任せ)ということだ。また、多くのお金とエネルギーが要るので一部の病院にとってのものだけになるだろうということ。つまり、一部のエリート?病院を作ることにはなるが、医療消費者にとって病院を選択するのに必要な情報は提供されないと感じた。
さて、病院機能評価そのもののことはこれくらいにして、私が神さんの話しを聞いて感じたのは、現場職員として第三者の評価、批判を受け入れることの大切さだ。病院に限らず、診療所や医療以外の場も同様
だ。第三者が同業者であれ、対象当事者であれ、「ど素人」であれ同様だ。他人の目にさらされること、他人に自分が何をしているかを伝えられること、投げかけられた疑問に仲間内だけに分かる言葉でなくちゃんと答えられることが大切だと思う。どこの現場も多かれ少なかれ変てこなことはあると思うが、そうした意識や意識を実効化しうる仕組みを持たない現場は変てこさに埋没して腐ってしまうだろう。第三者評価のありようもいろいろあっていいし、むしろいろいろあることのほうが健全だろう。病院機能評価もいいが、精神病院も、病院訪問調査のような何の権威もない第三者評価ももっと受け入れていただけないものだろうか。時間と手間はかかるが、何しろただなんだし、やりようによっては自己検証や宣伝にもなると思うんだけど、どうだろう。

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ある民間精神病院で その2

民間病院勤務者 東野みどり
                   
 前回、入院生活30年の人が「退院したい」と初めて声をあげた話しを次に書くとしたが、この件は恥ずかしいことに未だ決着をみないので、別のハナシを。
 今回は病院職員と入院患者との関係について少し詳しく記してみたい。さて、話を進める上で便宜的に、開放的で先進的、患者と職員は立場は違うが対等な位置関係をめざす病院を○病院としよう。8割近い職員が患者さんの名前を呼び捨てに(その人の面前でもです。閉鎖された空間の中にいる強者の側の人間は何でもできる。歯止めになるのは個人の倫理観のみ。病院のトップが全員呼び捨てにする人だった)する病院を×病院としよう。公然と職員が患者さんを呼び捨てにはしない、が、だからどうしたという当院を△病院としよう。
 ○病院では、一応一定の職員教育を施
しているから、個体差によるばらつきはもちろんあっても、そう失礼ではない職員が多くいる。またそういう病院では、他者(職員)の失点、欠点、短所を鋭く突く患者さんもエネルギッシュに活躍していたりして、そう失礼ではないはずの職員も結構に悲しい思いをしていたりする。もちろん主治医攻撃をきっちり行う立派な患者さんもいたが、人間攻撃が許されるのであればどちらかといえばまずは弱い方へ流れるということもあり、「若い」とか、その患者さんから見て重要でないと目された職員が矢面に立つこともあった。
 ×病院では、患者さんから見れば「信頼できる職員」というのは「黒い白馬」と同じようなものなのではないか。「すごく恐い職員」と「(恐い)職員」の2種類。△病院ではどうかというと「恐いまたは嫌いな職員」と「フツー」、「チョイマシ」の三段階。ま、この辺りは自ら「チョイマシ」と思われてるだろーと思っている私の類推なので、割り引いて読んでほしいが。
 何でこんなことをつらつら書いているか
というと、入院中の患者さんの中には(というか人間はというか)、おそらく自分の認めたくない何かを、自分の中に認めて見つめるという作業をしないと次に進めない人がいる、と十何年か病院の中で働いてきて思うからだ。誰だってこんな事は嫌なわけで、普段の私達はできるだけそういう事態を避けて生きている。けれども、もししなければならないとしたら最低限『自分が認められている』『自分が弱みを見せても決して攻撃されない』と実感できる環境か、人間関係の中でしかやれない。×病院では不可能。
 △病院でももちろん苦しいところだが、患者さんはよく職員を見ている。本当は相談相手がほしいし、信用できる職員がいてほしい。精神病院の職員の仕事の一つは、患者さんをよくみることなのだけれども、『げ、私は観察されている』『私のしゃべる事を聴かれている』と思うことがよくある。職員同士の職員評価や職員による患者評価よりも、患者さんの職員評価や患者さん同士の評価の方が、情報量も多く正確だと感じることもよくある。
 そうして患者さんにとって「こわい、油断のならない職員」を賢い患者さんがどう扱うかというと、これは媚び倒す。○病院で働いていた時、媚びられた記憶はないはず。×病院では、私は「ナミのコビ」を受け、某職員は「特段のコビ」を受けていたのだが、なんせそれまで媚びられる経験がなかった私は、「なんであんなひどい奴があんなに患者さんからほめられるのか!患者さんには見えて、私の気づかないすごい魅力か能力があるのだろうか」としばらく悩んだが、1年してようやく分かった。あれは憲兵へのコビだった。
 △病院では、職員である私へのコビはあるはずだが、私自身にはよく見えない。昨日ある職員が私達のいるところへ入ってきた時、周りの賢い患者さん達の間にパッと緊張が流れ、次にコビが始まった。前の病院の経験で、自分へのコビは見えなくても他人へのコビは見えるようになっていたので、「あっ」と思った。
 コビ能力は世間でもないよりはあった方がいいかもしれないから、それ自体は悪くないが、問題は患者さん達がそれの習熟以外のことに目を向けたりエネルギーを割いたりすることができなくなってしまうこと。そして「油断のならない、質の悪い職員」はますます増長して思い上がる。時々は五分で怒鳴りあわないとしかたないのでやるけれど、本当に疲れる。
 次回こそは、ちゃんと患者さんとのもう少しデリケートな話をしたいと思っているけれど自信はない。ではまた。

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保護室を空っぽにする (1)―道立緑ヶ丘病院急性期病棟の試みー

東京精神医療人権センター 小林信子
                   
 「夜間パトカーで都立墨東病院につれていかれ、理由がわからないうちにベッドに縛り付けられ点滴され、隔離室に放置された」「警察に府中病院に連れて行かれ、何も聞かれず身体抑制され、隔離室に入れられて怖かった」という訴えが電話相談に4,5件続いてあった。いわゆる緊急措置入院のケースで、人権侵害ではないかという訴えである。東京都は「患者様中心の医療」を掲げているにもかかわらず、問題多い精神科救急の現場では、身体拘束と隔離室使用がほぼマニュアル化されて運用されている様子が見てとれる。しかも、精神病院の日常においても、身体抑制付きあるいはなしでの保護室利用は、ほぼ“治療手段の一形態”とされ、国連「原則」はいうに及ばず、厚生省告示130号にある「(隔離・拘束)以外に代替方法がない場合において行われるものとする」などすっかり忘れ去っているようだ。急性期病棟では、保護室の奪い合いがあるという。急増する隔離・拘束問題への多くの苦情が「センター」に寄せられ続けているが、有効な活動ができずに暗い気持ちの日々を送っている。

 そういう中、北海道立緑ヶ丘病院の急性期入院第4病棟では今年の春頃から保護室

使用ゼロという目標が(もちろん途中のジグザグはあるが)達成されつつあるということを偶然に知った。この病院でもここ10年間は“保護室が空っぽ”という現象はなかったということで、かって私が体験入院した病棟でもあるが、当時保護室は結構ふさがっていたようだった。
2002年4月からS医師が病棟担当医となり、今年になって徐々に保護室使用の減少成果が出てきたというのだ。「何をどうしてそうなったのか?」を絶対に知りたい!S医師にメールであれこれたずねても「そんな特別なことをしているわけではない」と謙遜ばかりでつかみどころがない。
ただ、4病棟担当となったS医師は「個人的傾向として保護室使用は好きではなく、出来れば使いたくないと言う気持ちは強かった」と告白してくれた。今回訪問時に頂いた2003年4月から今年6月27日までの保護室利用日報によれば:昨年の8月が50%台の利用率と低いことを除けば、保護室使用率は今年の1月まで75%前後で推移していた。2月から50%台になり、6月は20%台。当然使用ゼロの日が数日あると言うことになる。4月にはS医師自身で1泊の保護室体験をし、結構騒々しいところで、「静かになれる」空間でもないと実感したとい

う。
「そこです!昨年末から何が病棟で起きたのか。そうなるまでのスタッフや病院の動きが知りたいのです!身体抑制はどうなっているのかも」と私は思わず叫び、メールのやり取りではじれったいし、他のスタッフの意見が聞けない。それではと、渋るS先生を拝み倒して、“実践の特効薬”をつかみに6月末、インタビュー調査をしに病棟に乗り込んだのだった。

 華々しい“理論と実践”の特効薬を期待していったが、それは見つけ出せなかった。見たものは、十勝(帯広)という地域特性とその中の緑ヶ丘病院との長い実践の歴史、それを支えているスタッフの質という当然といえば至極当然なことだった。肩透かしをくった感じもある。でも現実には、日本の精神医療の現状では一番困難なことと痛感している。現制度は心ある人々の頑張りだけでは変えられない。でも、制度の運用次第で患者さんの立場を十分尊重する医療ができるとの思いを緑ヶ丘病院の試みから見たと思う。私のこの報告はデータを省略したアウトラインに過ぎないので、一日も早く、それを実践している当事者たちからの詳細な報告を心待ちにしている。

1)緑ヶ丘病院がおかれた環境
 よい精神保健地域ケアで有名なこの地域は行政的には十勝支庁管内といい、人口は約36万人。精神科総ベッド数は854床(2003.7.1現在)。単科精神病院4、総合病院精神科2(うち病院は外来のみ)、外来診療所は5である。この地域での夜間救急は国立十勝療養所と当番を受け持っているが、緑ヶ丘病院が3分の2を引き受けている。 

2)急性期病棟―4病棟
 この病棟は48床、保護室5床、施錠可能な応急病床1床と個室1床からなっている。(いずれも施錠可能ということ)看護スタッフ17名、病棟担当医2名の構成である。
 保護室のうち1床は、観察室として使用している。保護室から出た患者さんは一般部屋(4人定員)に行くこともあるが、様子を見て個室で施錠せず数日過ごしてもらうこともあるという。私が病棟へ行った日は月曜日だったが、前日に措置入院が1件あって1室は使われていた。全閉鎖病棟で分煙はあまりできていない。

3)病棟での個別聞き取り
 前日に帯広入りした私は、夕方、S医師に時間をもらって、始めた動機、ここまでの経過、看護スタッフとの意識共有化の方法等、思いつくままの質問をして、翌日のインタビュー内容を作り上げた。S医師との事前会見で何か「これが鍵だ!」というものをつかめるかと期待したが、いくつかのキーワードを見つけはしたものの、霞がかかった整理されない頭のまま病棟に行くしかなかった。当日は朝からの訪問で、私の訪問を事前に知らされていたスタッフ達は忙しそうに立ち働いていたが、ナースステーションに入りこんで、S医師、看護師6人に金魚のフン状態でくっつきながら、インタビューを試みたのだった。
<質問内容>
 大まかに以下の3項目で、
①なぜこの病棟に保護室を使わないようにするという発想が生まれてきたか。また現状やこの方針をどう思うか
②そのことによる業務量の増加や、付随するストレスが生じたか
③急性期病棟で、それが今のところ順調に進んでいる理由は何だと思うか?
 これらを、上記の人達に質問していった。

 もらった回答を私なりにまとめたものを次号で紹介したい。
(つづく)

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東京精神医療人権センター・東京地業研の第2回病院訪問調査が始まります!ホームページarinomama.netもよろしく。

      東京精神医療人権センター・東京地業研 木村朋子

<これまでの『事情』>
 1999年から2000年にかけての第1回都内精神病院訪問調査と『東京精神病院事情95→98』の出版から5年が経ちました。個別精神病院の情報がオープンになり、利用者が情報をもとに病院を選択できるようになること、病院そのものが社会に知られ開かれたものになっていくことをめざしたもので『東京精神病院事情』としては、1989年以来4冊めのものでした。

<今回調査のアンケート>
 この春から2回目の訪問調査のために準備を始め、いよいよ9月から病院訪問が始まります。今回も、前回同様都内80の精神科単科病院に、予めアンケート(聞きたいこと)を郵送しておいて、3~4人の調査員で訪問。アンケート回答を確認、質問しつつ病棟を見学してくるという方法です。このアンケートですが、5年前は初めてのこともあり、各職種職員の年齢や病棟の築年数など、知りたいことを盛り込みすぎ総花的に過ぎたという反省があり、今回は次の二点に絞りました。①厚生労働省も方針化している社会的入院者の退院促進に病院としてどう取り組んでいるか ②院内の患者の権利の現状。二点目は、精神保健法施行から16年を経て、通信面会をはじめとする基本的権利が風化していないか(たとえば昨年人権センターの訪問の際、「面会は家族のみ」と入り口に張り紙をしていた病棟があったように)ということと、隔離・身体拘束という強い行動制限が、急性期の向精神薬などの点滴治療に伴って行われているということだが、その治療法についての病院ごとの考え方や実態はどうかということです。身体拘束について、このところ救急搬送や措置診察を含む急性期治療経験者から、縛られて苦しかった、屈辱的だったなどの相談が人権センターに続いて寄せられていることからの質問でもあります。

<調査員への研修>
 前回調査で、チームによって視点にばらつきがあったというのも反省点でした。そこで今回は事前研修を丁寧にする努力をしました。
 4・5・6月と連続講座として、院内患者の権利の現状を見る視点と最近の具体的問題、大阪の病院調査についてなど、東京と大阪の精神医療人権センター専従の小林信子さん、山本深雪さんに、そして長期在院が生じる背景、退院に向かう努力とそれを阻むものなどについて生田病院PSWの三橋良子さんに話してもらいました。講座番外編として今後、今年病院機能評価機構の評価を受けた駒木野病院事務長の神マチさんに、ビジネスとして成り立っている権威ある評価機構と対極にある、私達のような手弁当・草の根グループの外からの目に期待するものを話していただく予定もあります。
 7月には合宿し、2003年度東京都精神病院統計の読み合わせ、アンケートの最終的検討、それと具体的病院の院長役を決め、実際に訪問調査に行ったつもりのロールプレイというか予行演習を、これは8月にも2回にわたってやってみました。
 今回調査の調査員はこれら連続講座と予行演習に出た人とすると条件づけしたところ、地域で働いたりボランティアをしている人、前回より多くの当事者、病院で働くとりわけ若い人など、多くの新しい人々が集まってきたことも頼もしいことでした。

<ホームページ開設>
http://www.arinomama.net/ 
 ところで新しく参加した人達からの前回の本『事情』への批判、注文は、「記述が優等生風に過ぎてあきたらない」「入院してはいけない病院がはっきり分かるようにしてほしい」などでした。しかし訪問調査を受け入れたことをまず評価しようという
私達の基本姿勢、それと受け入れてくれた病院に対して事実の指摘はできても主観的悪口は書きづらい、名誉毀損の恐れもあるなどのことからなかなかむずかしい。そこでホームページを開き、生の体験談をメールで寄せてもらって掲載していこうということになりました。自費出版の本だけより調査結果(病院側のアピール含む)が広く知られることになり、病院にとっても調査協力の動機付けが高まるという期待もあります。
 しかし、私達もこのご時世なので必要に迫られホームページを利用することもありますが、本当は苦手だし、中高年の目にはキツい。そこへ無報酬でもつくってあげようという青年が救世主のように紹介され、トントン拍子に進んだのでした。この青年藤本さんと知り合って、私達のような主張はあるが能はない草の根グループに、技術と時間の提供で協力してくれようという若い力の存在を知ったのも、今回のうれしい発見の一つでした。

<調査の今後>
 調査は9月からですが、8月24日現在、多摩あおば、清瀬富士見、晴和、鶴川さくらの4病院の訪問が決まっています。断りの連絡は、老人病院なので対象外という理由で青梅慶友・聖パウロ病院、精神科医療の素人の訪問調査は断るという理由で成増厚生病院、この3病院からきています。前回80病院中35病院に訪問できたのですが、今回はどうなるか楽しみ、かつちょっと心配な今日この頃です。

<ホームページの最初の頁は下のようなものです。見てみてくださいね>

arinomamatop/topbar

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東京地業研夏合宿から

東京地業研  飯田文子

東京地業研の合宿を7月17日~19日にかけて行った。参加者の話題は、多岐に渡った。その中の一つを紹介する。

本紙2003年7月号(No220)「上妻病院入院者債務問題は一応解決、でも残る問題は・・・」で取り上げた「入院中に病院に作った借金の為に退院が出来ない患者」と「借金がある人は受けれません」という東京都精神保健福祉センターの問題は、決して上妻病院に限らないということ。このことを話してくれた病院職員は、本紙で上妻病院のことを知ったが実は同じ事が彼の勤めている病院でもあったと言う。その事を知ったのも都センターに申し込みをしたところ「借金のある人は受け入れません」と言われて分かったという。 ちなみにその病院では、生活保護で入院している人の日用品費(いわゆる小遣い)からも一律に例えばシャンプー代として一ヶ月3000円を勝手に取っているという。その他にも色々な名目で費用を取っていることを考えると本人の知らないところで病院に借金が出来てしまう事は大いに考えられる。人権センターの小林さんが危惧していたとおり類似のケースが他の病院にも存在していることが明らかになった。

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ある民間精神病院で その1

病院コメディカル職員  東野みどり

 開放的で長期入院患者の退院に取り組むという病院ではなく、かといって管理、管理で患者さんを締め上げるという病院でもない、よくありそうな病院から一職員として感じることをお伝えしたい。なぜならどこかの似たような病院で働く誰かに読んでもらいたいし、立派な病院で十分経験を積んだ人がいたら、こういう病院で働いてほしいと思うから。
 前にも一度書いたので読んでてくれた人には悪いけれど、たぶん私にとってはずっと残る実感なのであらためて。開放的な病院では、勤めた初日から患者さんの職員への悪口をたんまり聞いた。私の悪口も含めて。名前を「収容所」とした方が中味に合ってる病院では、3年は勤めたが、どの患者さんからも一言も職員または病院についての、悪口、批判、非難はもれてこなかった。私の方は、職員・病院への怒りは初日から退職するまでずっと沸点にあったのだけれども、患者さんたちは賢明にも悪口を、どの職員であってももらしたらいずれ院長に伝わり必ず怖い目にあうと確信してたのだと思う。今の病院では1年くらいして、ようやく職員や病院のグチ、悪口をつぶやいてくれるようになった。こちらを少なくともチクリ屋ではないと踏んだのだろう。いずれ私が施設に世話になる時がきたら、入所者が職員の前で平気でブーブー悪口をたれている所にするぞ、と思う。
 この病院では、私が見るに(私の目が正しいかどうかはおくとして)退院して単居して良いような人が多々入院しているし、「当然開放病棟でしょう!」と思う人が、多々閉鎖処遇だったりするわけだが、ともかく最初の1年間は私は患者さんにとって試用期間だったらしく、「退院したいって思いませんか?」「生活保護の制度もあるし、作業所というところもあるしね。働かなくても退院できるよ」と誘ってみても、退院して単居できそうな人からの単居願望は聞かれなかった。
 しかたないのでまずは施設退院という方向で見学会を何回か重ね、「本当だったらこの人なんかは一人暮らしできる人だよね」と思ってはいても、本人が望まず、かつ必要な一定の外来生活を支える機能を全く持たないこの病院では、ムリとあきらめて数名を施設退院へとすすめていった。
 一定がんばる病院は、自分たちの所でケアできる患者さんは外来その他で(もちろん作業所などの通所福祉施設の力も借りてだが)単身生活を支えていくから、けっこうな数の外来単身者群が病院の周りに住んでいる場合が多い。50、70、100人くらい。そうしてカバーできない一部分を都立のセンターなどに依頼し、その上で適応の人々に救護施設や老人ホームを勧めてみるというのがパターンであろう。
 当院では、最初の部分が欠落し、センター依頼はそれなりに行い、施設へは今回少しばかりすすめたというところなので、送った先の施設職員からは「最近どの病院からも送られてくるのは、気力体力ともに『うーん・・・』という人が多いのに、そちらの病院から来る人はしっかりしてる人が多いんだよね!」と言われる。情けないが事実。しかしその施設は当院よりは単居生活促進機能があるところなので、オネガイシマスと思ってるしだい。
 こうしたことを行っている中で、患者さん達が私達に見せる姿が少しずつ変わってきた。心の中のあきらめていた願望が少し
ずつ首をもたげてくるといった感じ。一人、二人とそれまで長年生活をともにしてきた、職員なんかより互いによくわかっていた同居者が「退院」して目の前からいなくなっていく現実に、長年「ガンバコ退院だよ!」と明るく言い放っていた人たちが考え込んでいる。何年か一緒にいただけで、職員だってその人がいなくなってさみしいのに、患者さん同士ならさらにその思いは深いだろう。
 そんな中で、ついに「一人暮らしをしたい」と声をあげた入院生活およそ30年、年齢約70才の患者さんが現れた。この人については、次の機会に。

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東京都への公文書開示請求について

東京精神医療人権センター 飯田文子

昨年10〜12月、都に対して幾つかの公文書を開示請求した。その内容は以下の4点である。  
①都精神医療審査会の委員名簿
②都立松沢病院の各病棟の入院案内書ある いは説明書、各病棟の見取り図、各病棟 の看護者数、医師数
③都立松沢病院に関連した訴訟の内容と件 数(過去5年間)
④措置入院のための移送に関する事前調査 及び移送記録票(現在までの件数)、医 療保護入院及び応急入院のための移送に 関する事前調査及び移送記録票(現在ま での件数と結果)

①、②、③については、東京精神医療人権センター(以下センターという)が松沢病院入院中の方を継続して訪問しているが昨年8月突然病院側から訪問拒否された。(これについては本紙2003年10,11月号に掲載)センターは、9月精神医療審査会に「処遇改善請求」をした経緯がある。この中で精神医療審査会、松沢病院について私たちももっと知っておかなくてはならないこととして請求した。④については、昨年秋警察から都立墨東病院を経由して入院となった方達から移送途中手足を縛られぐるぐる巻きにされたという訴えが何件か続いた。その頃群馬県では、県議会で移送について県警と県保健予防課が対立していた。それは、精神保健福祉法の改訂により2000年4月から通知「精神障害者の移送に関する事務処理基準について」が出され、「移送は、都道府県知事の責務、都道府県職員が移送の対象者に同行する」「必要に応じて補助者を同行させることができる」「移送の体制は、都道府県知事の責務で整備する」とされた。群馬県は、午後10時以降翌朝までは、移送業務を警察官が代行し、3年後に見直しをすることになっていた。3年後の2003年4月に県が出した案は、午後5時15分以降翌朝まで警察官の代行とする通知の内容とは更にかけ離れたもので、それに県警が反発したのであった。墨東病院関連の訴えを含め都の移送の実態はどうなっているのか知りたいと考え請求した。

情報開示請求の窓口で4件の請求をしたところ①については、開示請求に該当するが②、③、④については開示請求に該当しないので各行政担当者と折衝することとなった。その結果は、以下である。
①開示請求をしたが名簿の氏名と所属を黒塗りしたものが開示された。ちなみに私達が知る範囲では長野県、埼玉県、奈良県、大阪府が審査委員名簿を公表している。
②各病棟の入院案内書については、本紙2004年1,2月合併号で報告したものが手に入った。病棟見取り図、各病棟の看護者数、医師数については松沢病院事業報告書を閲覧・コピーした。
③今年3月末、都病院経営本部より回答があった。5年間の訴訟数は6件、全て民事、全て原告敗訴。原告は、入院していた当事者3名、家族3名。訴訟内容は、誤診1件、過剰な投薬等1件、貧困な治療2件、後遺症1件、自由の制限1件。
④今年3月初旬、都健康局より回答があった。2000年4月から2003年12月までについて質問したが、回答は、2002年3月までのものであった。2000年4月以降についても移送の実施体制に変更はないという回答であった。センターの知るところでは、2003年4月から一部の警察署へ診察班の派遣を始めたはずだが、それは変更には当たらないのか。また、2000年の法改訂を都はどう受け止めているのか改めて聞きたい。

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二度目の病院機能評価受審

都立大塚病院看護師 佐藤朝子

 前回の病院機能評価を受けて早くも5年がたち、ようやく2回目の受審が終わった。    
 病院機能評価のことをご存知でない方もいるだろうから簡単に説明すると、第三者に病院を見てもらって評価してもらうシステムで、一般・複合・長期療養・精神病院などの種類別に分かれており、2004年1月26日現在では1120の病院が認定を受けている。詳しくは、(財)日本医療機能評価機構のホームページをご覧ください。
認定されるとそれなりに宣伝できるので管理者は必死である。さらに1度受けると常に5年後に再受審が待っている。やらないわけにはいかないのだ。

現場では我々の仕事の内容には変化がないので、あまりぴんとこない。というより、マニュアルの整備、環境整備など、自分の家の掃除もままならいのに、職場の大掃除、片付けで普段より仕事が多くなる。これも日頃からやっていればいいのだが、いつの間にか雑然としてしまうのだ。5年前にも、各病棟のナースステーションの整理、掲示物の統一、廊下・倉庫の片付けに毎週まわり、きれいになったなぁ、と思っていたが、職員の異動や忙しさにかまけてまた元のもくあみ状態になっている。一からやりなおしである。
さらに二度目の受審ということで、前回より内容が厳しくなっているという情報もあった。5年前に作ったマニュアルを見直し、必要なマニュアルを新たに作成し、スタッフへの浸透をはかり、受審日の当日に何を質問されても答えられるように準備しなければならない。

受審当日は事務・看護・診療部門に分かれ、2人1組で院内を回っていた。私が勤務する救急外来では最初事務部門が来たが、処置や電話対応している最中で何も話ができないまま帰っていった。翌日来るのかと思ってかまえていたが、結局来なかった。
次は看護部門が来た。自分が看護師であることもあり、一番緊張した。事前にシュミレーションして昨年度の利用件数、救急車の数、科別の特徴、病院の理念、看護科目標、職場目標、SARSの対応など頭に入れていたのに、聞かれた内容は、勤務者の人数、新任者の教育、管理日誌などのことで実にあっさりしていた。
診察室も見学するかな、と思っていたのに入口で質問して終わってしまった。その間7~8分。「えっ!もう行っちゃうの?もっと奥のほうも見てよ。もっと質問ないの?」と思ったほどである。
診療部門にいたってはもっとシンプルで担当副院長が一緒に来たのだが、ほとんど副院長がしゃべっており、私が話したのは看護分門と同じ質問の勤務者の数だけ。5分もいなかったのではないかと思うぐらい短時間であった。
しかしながら、5年前にも感じたことだが、医師や事務は意識が低いのか接遇を改善したり、カルテをていねいに書こうとかする態度が感じられない。もちろん評価されるからそのときだけがんばればいいと思っているのではなく、この機会に少しでも病院のレベルアップを図ろうというのが受審の狙いだ。にもかかわらず相も変わらずの態度と言葉遣いの医師たち・・・。
3日間の受審日だけでなく、事前に病院に来て情報収集しているという噂も耳にするが、本当のところはどうなのだろう?外来患者数、病床利用率や、記録の内容なども大事なのであろうが、現場の人間としては、ソフト面をもっと重要視してほしいと思っている。

これからの医療は、患者をひとりの人間として、その人の人生をも含んだ治療、看護を考えていかなければならないと思う。私が学生の頃から言われていることであるが、あまり実践されていない現状がある。その人が自分らしく生きられること、自分の希望を医療従事者に伝えることが当たり前のことになるように私たちはがんばらなければならない。そんな時代には第三者による評価なんて必要なくなるかも。
評価がくだるまでに数ヶ月かかるらしいが、どんな結果になることやら。

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松沢病院の病棟案内が整備されました!

東京精神医療人権センター 小林信子

 2004年は「センター」にとって幸先よいスタートとなりました。「おりふれ通信」222、223号で取り上げていた都立松沢病院と当「センター」との面会拒否に対する“抗争”は、とても建設的な結果を生み、患者権利擁護団体としてのチャレンジは成果をあげました。
 まあ、「センター」がしつこく食い下がり、新聞記事にもなってしまったし、それよりも社会の変化を感じた松沢病院が「変わらなくちゃ」と言う意識が全スタッフに生まれ(そう信じたい)、松沢病院として統一した「病棟案内」作成を昨年末から着手していました。今まで各病棟は一国一城そのままで、「病棟案内」もまちまちだったり、患者さんへのお知らせもろくに配布されていない病棟もあったのです。
年末に医事課長と入手の約束をかわし、今年一月中旬に病院側から「完成」の連絡をくれるという思いもかけない親切があり、受け取りに行きました。
 正式な製本前のものですが、各病棟の個性?とPCを駆使した装丁で、ディルームなどに常備しておくものということです。 この中から、患者さんに配布が必要な事項を抜き出して渡すと言う取り決めになったそうです。
 28病棟あるので28冊もあります。平均17,8ページ仕立てで、まず「松沢病院運営理念」があり、次いで都立病院全体で定めた理念不明の「患者様の権利章典」があり、それから病棟の見取り図を含む紹介や規則説明になっています。この規則には未だ理解不可なのものも見受けられますが、それは今後順次取り組みましょう。
「権利章典」についても異議ありです。患者の権利章典なのに「責務」が記載されているのを後存知ですか。例えば9項「納得できる医療を受けるために、医療に関する説明を受けてもよく理解できなかったことについて、十分理解できるまで質問をする責務があります」となっています。この文面では、結果について疑問を持ったり、治療法が正しくなかったのは、患者が理解していないのに質問しなかったからだと言い抜け出来るようになっています。患者というものを知らない傲慢な医療者の態度が反映されています。
「おりふれ」でもこの「章典」に警告を唱えた記事を出しましたが、特別な取り組みをせず反省しています。

 さて松沢病院の「病棟案内」に話を戻し、「センター」が関心を持つ、患者の権利では私たちが主張していたように「面会は原則として(あるいは、基本的には)自由です」という文言が入りました。が、それに続いて「患者様の病状によっては、医師の指示によってご遠慮いただくことが・・・」と続いています。皆さん、家族や友人をどんどん見舞いに行って、この「基本原則」がどのくらい実践されているか「センター」にお知らせください。
 ともかくも、我田引水と言われようが長年「センター」が松沢病院と取り組んできた一つの成果です。もちろん今後も都立病院としての重要な役割を持つこの病院がよりユーザーにとって信頼の置ける病院にするための監視を続けます。

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松沢病院訪問での疑問

作業所フレンドシップ職員           半田佳世子

昨年七月、作業所の元メンバーが松沢病院に入院することになり、関係者の要請があって私も同行しました。その数年前にも入院に同行した際に、面会や病棟での処遇のことで「何故?」と納得できなかったことが多かったので、この間の松沢病院問題に一石を投じたいと思います。

本人が病棟に入り、入院時の手続きを終わって帰りの挨拶をしたいと病棟に申し出たところ、「面会はできない」と言われました。面食らって理由を聞くと「病棟の規則だから」とのこと。今どきこんなことがあるのか!とア然。任意入院なのに閉鎖病棟に入院、病床のつごうでそのようなこともあり得るのでしょうが、「個別処遇はできないの?」の問いに、主治医は「ムニャムニャ‥」民間病院でさえ工夫してやっていることが何故できないのでしょう?
その上閉鎖病棟への入院ということで、医療保護入院の形をとらねばならなくなり、家族に手続きを依頼したところ、家族は拒否。病院のやり方に反発した家族は本人の見舞いにも来ず、家族関係が悪化したのでした。

 さらにこの人が入院した病棟は、そこしかあいてないからと保護室!しかも保護室なのに二人部屋という前代未聞の処遇。保護室ですから二人部屋でも施錠していました。法的にも保護室は一名のはずです。
 また病棟に入って、衣類の一つ一つ、下着にまで名前を記入するのです。退院後それを着て銭湯へ行くの?本人の気持ちは?

 保護者の選任手続きのためPSWとの面接に同席したところ、保護者になることを渋る家族にPSWは「それならもう一度医者と話し合って下さい」とはねつけるように言い放ったのでした。家族ができない状況を何とか知り、どうすればいいかを一緒に考えるのがPSWの仕事でしょ!?と思わず言いたくなりました。

 「天下」の松沢病院がこの体たらく!何十年も前の精神病院のままではありませんか!都民として松沢病院に使われる税金を返してもらいたいくらいです。
 松沢病院のスタッフの方々、特にPSWの方々、困難な状況でしょうが、当たり前の精神科医療、精神障害者の当たり前の生活のためにお互い尽力しましょう。

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