ピア・レスパイトとは?

松田 博幸

すでに精神科病院に入院している人が地域で暮らせるようにするということは、いうまでもなく、とても重要なことであるが、加えて、地域で暮らしている人たちが精神科病院に入院せずにすむようにするということもとても重要だと思う。そして、後者を実現するにはどうすればよいのかを考える際に、アメリカにおいて、当事者の運動から生まれ、展開されるようになったピア・レスパイト(ピアラン・レスパイトとも呼ばれる)について知ることが、とても参考になるのではないかと思う。以下で、ピア・レスパイトとはどのようなものなのかを示すことができればと思う。

個人的なことから書き始めたい。

一昨年の11月に長年連れ添った連れ合いが突然倒れた。私は救急車を呼び、連れ合いは病院のICUにおいて意識のない状態で治療を受けることになった。てんかんの発作とのことだった。状態はどんどん悪くなり、いつ亡くなるかわからない状態になった。ほぼ奇跡的に命は取り留め、その後意識は戻ったが、脳が委縮し、私のことも含め、記憶がほとんどなくなってしまったことがわかった。その後、状態が悪くなり、身体は動かなくなり、言葉を発しなくなった。現在は寝たきりで、意思疎通ができない状態で施設に入所している。

精神医療、精神保健福祉の領域においてクライシス(危機)という言葉が使われる。ようするに、心の調子が崩れてどうしようもなくなる状態のことであるが、一連の出来事を通して、私はクライシスを何度となく体験した。それまで当たり前に存在していた「日常」が壊れてしまった。そして、常識的な考えや価値観がまったく役に立たなくなってしまった。住み慣れた家を焼け出されたような感覚をもつようになった。「日常」や「常識」とは違う何かを頼りにしないと生きていけなくなったが、その「何か」を自らの手で見つけ出す、あるいは、創り出すしかなくなった。

 そんななか、私の助けになったのは、他の人たちとのつながりや、苦しい状況を生きのびた人たちの言葉だった。薬も役に立ったが(抗不安薬のおかげで、自分の状態を他の人たちに向けて書くことができた)、大きく役に立ったのはそれらだった。

 また、生きるというのはどういうことなのか、生命(いのち)とは何なのか、意思疎通のできない人とどうやってつながればよいのかなど、「常識」は答えを出せない問いに自分で取り組まざるをえなくなり、そうすることが私の生活や人生そのものとなった。世界観が一転した。

 私がそのような状況に置かれているなか、このたびピア・レスパイトに関する原稿の依頼を受けたことは、何かの縁があったようにも感じる。なぜなら、ピア・レスパイトというのは、まさしく、人が体験する、以上のような状況に対応するものだからだ。

 アメリカにおいて展開されているピア・レスパイトは、人がクライシスにあるとき、短期間滞在し、精神科病院への入院を回避することができる場であるが、クライシスの体験をもつ当事者がスタッフを務め、当事者主導で運営されている。医療の場ではなく、病院とはまったく雰囲気が異なる。私も実際に訪問したが(アメリカ、ニューヨーク州の「ローズ・ハウス」)、病院とはまったく異なる場で、人が安心して休息できる場だと強く感じた。(トイレを借りたが、小さなプレートが置かれており、「希望」(Hope)という文字が描かれていたのも印象に残っている。)

2020年に、アメリカにおいて、全国にあるすべてのピア・レスパイトを対象として実施された調査(「ピア・レスパイト基本概要調査」(Peer Respite Essential Features Survey)によると、14の州で計32のピア・レスパイトがあり、27が当事者運営の組織によって運営され、3つが自治体(州、郡、など)によって運営され、2つがそれら以外のサービス提供組織によって運営されていた。予算については、半分を超える18$200,000-$499,000に分布しており、各ピア・レスパイトの資金源の割合を平均すると、最も割合が大きかったのが州政府(メディケイドは除く)であり(53%)、ついで、郡などの自治体であった(28%)。滞在可能な定員は、最少が2人、最多が20人であり、平均は4.6人(中央値は4人)だった。また、滞在可能な日数については、1つが最長日数を定めていなかったが、残りの31については、最短が5日、最長が30日、平均は8.5日(中央値は7日)だった。

次に、ピア・レスパイトで何が生じているのかを述べたいが、何を述べればそれがもっともよく伝わるのだろう? まず浮かぶのは、ピア・レスパイトに滞在した人の体験談を紹介すること・・・・・・

<全文は、おりふれ通信442号(202544月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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当事者の皆さんと一緒に『学会へ行こう』プロジェクトを続けて

ジャーナリスト 月崎時央

 

私は精神保健福祉について‘90年代から取材をしているジャーナリストで、病地学会には以前から時々参加してきた。

2016年頃にメンタルサバイバーチャンネル(代表・不破令 以下MSCと表記)という向精神薬の問題について情報を発信する当事者メディアを作り、現在もその世話人をしている。

  MSC は2017年の松本大会を機に当事者とともに『学会へ行こう』というプロジェクトをスタートし、2018年の東京大会、2022年の京都大会(オンライン開催)でも交流企画『お薬・当事者研究』として多剤処方や誤診の問題を何度かとりあげてきた。

私が『学会へ行こう』プロジェクトを始めたのは、ジャーナリストとしてさまざまな学会に参加してみて、その場がいかに専門家の解釈や言葉で埋め尽くされ、当事者不在で進行しているかを目の当たりにしたためだ。

そういった精神保健福祉の状況の中で、病地学会は、小さいけれど、当事者や家族に門戸を開いている魅力的な学会だという印象を持っており、当事者の皆さんと一緒に学会に参加する機会を大切にしている。

 このため、4年ぶりの対面開催が叶った今回は『向精神薬と眼瞼痙攣についての考察』という演題発表と交流企画『お薬ダイアローグカフェ出張版!薬とリカバリーについて話そうよ』という2つを企画した。

実は、演題発表を行った20歳代の若手当事者飯田明楽さんは、昨年京都大会でM S Cが企画した交流企画『お薬・当事者研究』にオンラインで参加してくれたことが縁で、以来一緒に勉強会などを行うようになり活動をともにしている・・・

 

<以下、全文は、おりふれ通信429号(2024年1月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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家でもなく、病院でもない第三の居場所を

根間 あさ子

 

私が応援している、クライシスを入院せずに凌ぐ場所を作った精神保健福祉士と看護師の二人の私財を投入しての取り組みが、クラウドファンディングによって、あともう1年は続けられそうな見通しが立ちました。

 

家でも病院でもなく

第3の安心できる居場所を提供することで

じぶんらしく生活を続けてほしい

新しい可能性に出会ってほしい

既存のサービスや制度で解決できない

・もっとこうだったらいいのにな

・こんなサービスがあったらいいな

に寄り添える活動を目指しています

(マヤッカのいえfacebook 4月20日)

 

「マヤッカのいえ」の小さなパンフレットです

小さく折り畳んだパンフレットを広げていくとあなたに当てたメッセージが現れます

そこは「マヤッカのいえ」という、築50年以上の昭和な一軒家です。みんなでおしゃべりしたり、一緒にシナモンロールを作って食べたりできる茶の間があり、縁側から小さなお庭を眺めることも出来、疲れたら横になれるお部屋もあり、安心して相談できる応接室もあり、というこころ安らげるおうちです。この家には、混乱した人の話をゆっくりとていねいに聴いてくれる人がいて、大概の人は、2、3日過ごせれば、落ち着きを取り戻すことが出来るのです。

私達はたしかに時には混乱します。そういう時は、普段とは違う場所で、誰かに守られて過ごす時間が必要です。私自身も厳しい状況の時に、多摩総合精神保健福祉センターでのショートステイを利用し、家から距離を取る時間が助けになりました。休息入院を使うことも選択肢でしょう。でも、今のような精神科病院が混乱した全ての人に合っているとは思えません。ちょっとだけいつもの場所から離れて休むだけで十分な人もきっと多いと思うのです。

そういう意味で、この二人がやろうとしていることは現代においては時代を先取りしていると言えます。しかし、西洋医学がはびこる以前の日本では、地域において精神的な危機状況にある人を支えてくれる諸々の取り組みが、全国どこでも普通にあったことを私たちは思い出すべきかもしれません。

参考文献「精神病の日本近代」兵頭晶子2008 「洛北岩倉と精神医療」中村治2013

月に1、2回カフェが

開かれています

自分で作ったシナモン

ロールの味わいは

何とも言えない

美味しさです

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