医療のDX(デジタル)化はバラ色の未来なのか?

【編集部から】マイナンバー保険証のオンライン確認で、医療機関どうしで患者さんの病名や処方内容などのデータが共有できることについて、さらに進んで将来電子カルテが医療機関どうしで共有された場合の危険性について、一人の精神科医(精神医療ユーザーでもある)から、特に当事者のみなさんはどう考え、行動されるのかという投げかけがありました。以下掲載しますので、当事者の方に限らずご意見などを寄せてくださるようお願いします。

 

きちんと考えがまとまりきっていないので、思いつく順序で書いてみます。

まず、基本的に、個人の医療情報は、そのひとのプライバシーなので、慎重に取り扱うべきであるという観点が、厚労省など、医療DX化を推進するひとたちには、きわめて薄いのではないか、ということ。

一般論としても、セキュリティーの問題が非常に不安。現行の保険制度をつかって、ひとつの医療機関にかかったら、自動的に他の科にも、その情報が行くのが便利でいいことであり、コスパもタイパもいい、精神科の薬をのんでいることもわかるからのみあわせの問題もわかっていい(これは言えるが)と、いいことづくめのような言われ方をされている。本当にそうなのか。

 

現時点では、マイナ保険証を使った場合、共有したくない情報については拒否することができるのだが、機械の質問の読み方で誤解してしまうと、共有に同意せざるを得ないように誤解してしまう。

そして、同意した場合、共有されるのは、1か月前のレセプト病名(保険上の病名)、処方薬剤、受診した医療機関名、受診月日、など。

わざわざ、紹介状、医療情報提供書のやりとりをしなくてすんで便利、という考え方もあるが(救急搬送された場合などは、内服薬の問題は大きいので理解できるが)、医療機関名、病名、処方薬のみをみた他科の医療従事者に、精神科通院中の方が、不利益な扱いをされてしまうことは、ありえることで、そのことを心配している患者さんは、多くいらっしゃる。

マイナと関係なく、以前からあることだが、身体症状を訴えて受診しても、すぐに身体疾患の診断がつかない場合、ほかの可能性をまともに探らずに、精神科心療内科を受診している人は「精神的な問題でしょう」と片付けられがちで、まともに扱われない。あるいは「精神科の薬のせいでしょう」などと、今までの流れを無視して言われがち。(精神科の薬なら、なくてもいい、簡単に減らせる、となぜか他科の医師に考えられがち)

それと、大きな声ではいえないが、レセプト病名は、最善と思われる処方にするために、保険適応が通るように便宜的につけられている病名もある(実際の診断名とはちがう)ので、うのみにされても困る。(これは、精神科に限らず)不安が強く心気的でいろんな医療機関を次々に受診していたり、うまく症状を伝えることが難しい人もいるが、そういう方は、本人の了承の上での情報提供書のやりとりか、誰か支援者が同行する方が有益と考える。

近い将来、電子カルテが義務化されると言われており、その目的のひとつが電子カルテの医療機関どうしの共有化(と政府?によるビッグデータ集め?)のようだが、こちらのほうが、私が非常に危惧していること。

精神科の診療では、患者さんが、様々な事象や対人関係についての自分の感情や葛藤、過去から現在までの自分の歴史、などさらけ出す(もちろん、すべてを語るわけではないにしても、たとえ1割未満にしても)ことをしている。自分の「内心」を語るもの。

そのすべてがカルテ記載されるわけではないにしても、カルテの記載内容も、他科とちがって、本人の訴えや治療者とのやりとりについてが多いので、他科のような「客観的」「中立的」「事実そのもの」的にはなりえないし、記載する治療者による「ひとつの視点にすぎない」と言ってもよい。(カルテ内容を絶対視されすぎても、危険だと思う)

また、精神科カルテが、他科の医師あるいは医療従事者に簡単にみられてしまう、みられる可能性がある、ということは、自分の内心を必要のないときに他者に隠しておく自由を奪われる、いわば「究極の個人情報」が漏れ、「個人の内心の自由」を侵害されるように感じられる。

もちろん、「共有に同意しない」という選択肢は、おそらくできるはずだと思う。でも、「共有が前提」という制度の中で拒否すると、そのことで不利益が生じないのかどうかが、不安。少数派のわがままとして、「共有を拒否するひとは、治療上の不利益が生じても致し方ない」で、どんどん制度が進められてしまわないだろうか。

 といったことを皆さんは、不安に思いませんか。

 

 

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東京地裁の敗訴判決から東京高裁の控訴審へ

精神医療国家賠償請求訴訟研究会代表 古屋 龍太         

 

1.はじめに

  精神医療国家賠償請求訴訟(以下「精神国賠」と記します)の経過については、これまでも本紙で何回も取り上げていただき感謝しています。他の方が既に書かれているように、裁判所の法廷を舞台に精神医療に係る様々な問題が問われてきました。ここでは、東京地裁判決後から控訴審開始に至る経過を報告します。

2.東京地裁における敗訴判決

精神国賠は2020930日の提訴以来、ちょうど丸4年後の2024101日に東京地裁における第一審判決が出ました。

地裁判決では、原告の入院形態その他の事実関係と、原告への権利侵害との因果関係については、被告国側の主張を全面的に採用し、原告固有の事情によるものとして国家賠償法上の請求を棄却しました。それ以外の争点については、検討するまでもなく原告の請求には理由がないとして、争点になっていた日本の強制入院制度や精神医療政策に係る一切の判断を避けました。想定以上の不公正で不誠実な不当判決でした。

判決報告会には、163名の方が参加されました。原告の伊藤時男さんは、「訴えが棄却され、不当判決だと思っています。社会的入院や施設症の人は未だに苦しんでいます。あの人たちに合わせる顔がない。国の責任を問い、最後まで、最高裁まで控訴して戦うつもりです」と挨拶しました。

判決に立ち会った参加者が最も違和感を感じ怒ったのは、判決文中の「公知の事実」という文言でした。厳格に法を適用すべき裁判所ですら、精神障害者に対する強制入院の必要性は「公知の事実」と断じ、当たり前という感覚で済ませています。この日本社会における精神障害者に対する人権感覚の鈍麻は、長年にわたる国策により作り出されてきたものです。裁判官を含む司法関係者とて、その例外ではないことを地裁判決は明白に示しました。狭い山道を縫って進むような精神国賠の裁判の難しさも映し出しているといえます・・・

<全文は、おりふれ通信441号(2025年3月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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半世紀ぶりの政策転換の“チャンス”を   確実に活かすために(前編)

氏家憲章 

 

1.精神医療政策の特徴

 わが国の精神医療政策は、①精神科病院への入院中心の精神医療、②精神科病院を一般病院と区別し差別扱いの2つを基本としています。そのため医療で最も重要な職員は、一般病院(医療法)には認めない職員が少ない「精神科特例」です。精神科病院の入院料は、一般病院の3割と「精神科差別」です。そのため日本は、世界最大の“精神病床大国”でも、国の財政を圧迫しない「安上がりの精神医療」です。「入院中心の精神医療」と「安上がりの精神医療」(精神科特例と精神科差別)は“表裏一体”です。ここにわが国の精神医療が抱える問題の大本があります。精神医療を改革するためには、この時代後れで間違った精神医療政策の解消が課題です。

(1)病床利用率70%台目前

 入院中心の精神医療体制は、在院患者の大幅減少によって‘崩壊の危機’に陥っています。それを端的に示しているのが、精神科病院の「病床利用率」(行政から許可されている定床に対する在院患者数比)です。一般病院は病床利用率80%が採算ライン、精神科病院は90%で80%台になると経営は「危険ライン」です。2024年1月の精神科病院の病床利用率は80.9%です。内訳は、80%台は24都道府県(51%)・70%台は21県(45%)・60%台2県(4%)です。

(2)在院患者大幅減少の背景

 精神科病院の在院患者は、入院2~3ケ月で退院する「新入院者」のグループと年単位で入院している「長期入院者」のグループと“二極化”しています。この両方で減少しています・・・

 

<全文は、おりふれ通信435号(2024年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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これ以上死亡者を出しては絶対にいけない

滝山病院にアクセスする会 細江 昌憲

 

 12月11日夜、滝山病院内で転退院を希望していた方が亡くなった。これで僕が知る限り、30名もの方が病院内で亡くなったことになる。以下、相原啓介弁護士のX(旧ツィッター)を引用します。

 

 128日、詳細はお伝え出来ませんが、今週になって滝山入院中の方とようやくお一人つながれ、 本日、医師同行で2回目の面会をしてきました。危険な状態で専門病院への転院を前提に転院先を探し始めました。都の調査対象者で退院、転院を希望していましたが、今日までそのままです。心底怒りが沸きます。

 1212日 昨日転院先が決まり、救急救命士同行で救急を手配し、本日正午にお迎えできる事になりましたが、昨夜、突然お亡くなりになりました。私が初めてお会いしてから5日目、滝山から出られるまであと、16時間でした。私は同じ轍を踏みました。非常に強く責任を感じています。

 その人は「早く滝山から出たい」、と訴えたのに数か月間もそのままにされていた。どれだけ寂しかっただろう。希望だけ与えておいて何もしない。人として絶対にやってはいけないことだと思う。同じように、出たい、という意向を伝えたが放置されている方が、未だに入院を強いられている。この方たちは、転退院が進まない理由を対面できちんと説明を受けているのだろうか。それだけは人として絶対にやらなければいけないことだ・・・

 

<以下、全文は、おりふれ通信429号(2024年1月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

 

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10月3日滝山病院前行動のこと

特定非営利活動法人こらーるたいとう  加藤眞規子

 

はじめに

 私は現実的に滝山病院に入院している患者さんが、一日もはやく、一人でも多く安心安全な場所に退院されることを願うばかりです。その応援がしたいです。そのために、私自身の健康を大切にすること、足元のNPOこらーるたいとうの活動を丁寧にすることに努力していきたいと思っています。

 

1 滝山病院へ初めていったこと

 930日に立川市の特定非営利活動法人トモニの細江昌憲さんと滝山病院へ伺いました。行きも帰りも八王子駅―滝山病院間はタクシーを使いました。「103日午後3時頃に要望書を提出させていただきたい」と申し入れに行ったのです。内容的には「入院中の患者さんを速やかに全員退院させてほしい。私たちもできる限りの協力・応援をさせて頂きたい」というものでした。

 八王子駅へ戻り細江さんとお別れをして、私は再度、北口6番バス乗り場から西東京バス「工学院大学経由樽原町行」に乗ってみました。滝山病院へは、「陶鎔(とうよう)小学校前」で下車し、長い坂を登っていきます。バス代は370円(片道)、乗車時間は30分ほどかかります。このバスは、毎時6分、26分、46分に出ています。

 私はできれば103日滝山病院前行動に参加して下さる方々全員が「要望書」を提出するところに立ち会えるようにしたいと思っていました。しかし滝山病院内に入ることは無理かもしれないと思いました。すでに呼びかけ文に応えて賛同者賛同団体はかなりの数になっていたからです。

 滝山病院は「非常に辺鄙なところにある」といわれて来てみると、バスで賑やかな八王子駅周辺に出ることができ、もよりのバス停から10分から15分歩く精神科病院は都内に結構あるのではないかと思います。

 滝山病院の受付のところに、パンフレットが置いてありました。そして並んでおいてあったパンフレットは「民間救急移送」のものと、「心肺蘇生法」のものでした。これだけ見て、入院を決められてしまう患者さんもあったのだと思うと、大変恐くなり、つくづく患者さんが他人事とは思えなくなりました。まっとうな精神科病院では、民間救急移送を使ったり、患者さんが裸に近い状態で運び込まれたりした場合は、入院を断る病院もあります。

 患者さんを精神科治療に繋げることはいわば関わりの正念場であり、多くの仲間が「精神病になったことよりも、酷い病院に強引に入院をさせられたことのほうが傷になっている」と訴えています。こらーるたいとうの電話相談に寄せられる相談の中に、「いい病院を紹介して下さい」というものがあります。「いい病院」は一人ひとりの方との相性の問題もあり、難しい質問ですが、「やめておいたほうがいいという悪い病院」については答えるようにしています。患者さんもご家族も情報の少ない中で非常に大切なことを決めるのですから、私たちはなるたけ正しい情報を得る努力をして、答えてきました。

 

2 103日(火曜日)滝山病院前行動

 事前の呼びかけに、33団体、個人が賛同してくださいました。当日230分現地集合。6070人が滝山病院前に集まりました。しかし結局、私たちは滝山病院の門のチェーンの中には、入れてもらえませんでした。理由は事務長がインフルエンザに罹患して不在であること、「患者さんの最後を看取ることのどこが悪いのか」ということでした。しかし要望書を渡すときは、玄関の前で渡すことになりました。

 午後230分から3時までの間、チェーンの外側の急な坂で、参加者同士で、自己紹介と今日参加した理由等を伝えあいました。

以下、一部の方の発言を紹介します。

天畠大輔:私は参議院議員の天畠大輔です。私は14歳の時、医療ミスにより四肢麻痺、発話障害、嚥下障害、視覚障害を負いました。障害があることで人生の選択肢は本当に狭かったです。幸運なことに、昨年7月からは参議院議員として国会で仕事をさせていただいています。

この滝山病院で虐待事件が発覚してから半年以上が経ちました。入院患者の皆さんに心を寄せ、議員として私なりの方法で貢献することはできます。今年320日の予算委員会質疑で滝山病院のことを取り上げました。その際には精神科病院問題を議論する時に人権擁護の観点が足りていない点を重視しました。もちろん、虐待防止発見の仕組み、診療報酬、不正請求の追求、生活保護行政として適正だったか、などの検証と改善は必要です。

しかし、より急ぎ重視されるべきは、虐待を受けた方、間近で見た方、今も病院内に残っている方たちの退院、転院、新しい生活のための支援ではないでしょうか。当事者性の回復、つまり自らが直面する困難がどのようなものかを自覚し、病院をはじめ社会全体に訴えていけるようになっていく。そのような当事者性の回復過程を、病院内外の支援者が支えていく仕組みが必要です。

今年8月には市民団体の皆さんと一緒に「滝山病院問題を考える市民と議員の連絡会議」を立ち上げました。本日時点で280もの個人団体から賛同をいただいています。今日、滝山病院に要望書を持参されたのは、長年、地域生活や権利擁護活動を担ってきた障害当事者や支援者のみなさんです。虐待事件とその後の入院患者さんたちの処遇を気にかける市民がこんなにもいらっしゃいます。 適切な医療、適切な地域生活支援を受けながら、どんな障害があっても自分らしく暮らせるようにしたい。病院側の皆さんには、この要望書に少しでも歩み寄っていただきたいと願っています。ともに頑張っていきましょう。

相原啓介:今日、こういう形で申し入れと、小さい集会みたいな形をとったことは、とてもよかったと思います。「滝山病院をどうする」という問題が残っていますし、もっと構造的な問題――こんなことを繰り返さないようにどうしたらいいのかという問題があります。天畠議員がおっしゃったように、今100人ぐらいの方が残っているわけですよね。それで退院したいと言っているけれども、全然実現しない。残念ながら虐待が今もないかどうか、わからないです。非常にずさんな治療で、寿命よりも早く亡くなってしまう方もおそらくいるんじゃないかと私自身は思っているところです。中に現実にいらっしゃる方と直接つながりたい、お手伝いしたいという声を、今日届けられるのは、とても大きな意義があると思っています・・・

 

<以下、全文は、おりふれ通信427号(2023年11月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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クラウドファンディングのお礼 地域に退院支援チームを作りましょう!

精神保健福祉士 細江 昌憲

 

 この度は、お陰様を持ちまして、クラウドファンディング「患者さんが入院継続を望まない精神科病院からの退院を支援したい」~一部の問題等のある精神科病院からの退院支援プロジェクト~の目標額を達成することができました。みなさんのご厚意、本当に感謝しております。

 達成額に加え、511名もの方からのご賛同、ご支援をいただけたことに、この問題の深刻さを改めて痛感しました。また、みなさんの思いが詰まったメッセージには、胸が熱くなりました。これだけ多くの方が悩み、苦しんでいるという現実を、重く深く受け止め、今後も一人でも多く、一日も早く退院していただけるよう、活動を継続していく所存です。

 現在、入院されている方、もしくは家族、支援者の方で、退院を主治医が許可しない等、何かお困りごとがありましたら、ぜひ、連絡をください。全面的に協力させていただきます。また、一緒に活動したい、という方(福祉関係者に限りません)からの連絡も嬉しいです。(電話とメール 08093062495 /tomoni-tachikawa@td5.so-net.ne.jp細江)
 

すでに、東京都の近隣県からも退院支援の要請が複数あり、相原啓介弁護士が、本人に会いに行き、その地域の福祉関係者と調整を進めています。東京都以外でも、できる限り、対応したいと考えていますので、各地に協力してくれる「仲間」がいると、本当に有難いです。

 

「弁護士とチームを作ろう」

 退院支援に取り組むうえで、最大のネックは、主治医です。退院だけでなく、面会までも制限できるからです。しかし、弁護士に面会の制限は適用されません。病院に弁護士が連絡を入れただけで、すぐに退院が決まった、というケースは枚挙に暇がありません。「明日、退院してくれ」と放り出されたという酷い話も聞いたことがあります。今までは何だったのか。入院治療が必要なかったことを自ら認めたようなものです。ふざけるのはやめてもらいたい。

 弁護士と組んで退院を進める方法は、スピード面でも非常に有効です。弁護士がこじ開け、退院後の生活を福祉が支援する。この方法がもっと広まり、浸透すれば、退院はかなり進むでしょう。

 

「面会制限に対抗しよう」

精神保健福祉法では、第37条第1項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準で、面会を制限した場合、その理由を診療録に記載しかつ、適切な時点において制限をした旨及びその理由を患者及びその家族等その他の関係者に知らせるものとする―とあります。これは、実際に病院側がやるとなると相当面倒です。私達もこれを盾に、ちゃんと記録しろ、その理由を公開しろ!と煩く騒ぎ面会制限に対抗しましょう。

 

「滝山病院からの退院支援」

今年2月に滝山病院の虐待事件が発覚する前から、相原弁護士は、入院している方からの要望を受け、これまでに10名の退院、転院を支援しました。弁護士になる前は、臨床心理士・精神保健福祉士として、精神病院等に勤務されていたので、退院に向けての面会も得意分野で、まさにひざ詰めで話を聞き、場合によっては1時間以上、また、複数回に及ぶケースもありました。

退院の実務としては、それら聞き取った要望を受け、地域の福祉関係者をはじめ、透析が必要であれば、受診できる病院、クリニックを探す等、とにかく、方々に電話をかけまくります。この際、各地の透析、糖尿病、難病の当事者の会に問い合わせると、丁寧に、いろいろな情報を教えてくれます。実際に病や障害を抱えながら、地域で暮らしている訳ですから、その生の情報は実践的、具体的で、私達では気づかない、見過ごしてしまうような生活上の細かい事柄もあり、とても参考になります。もちろん、スムーズに運ぶこともあれば、アパートが決まったのに保証会社が通らない等、壁にぶち当たったケースもありました。しかし、ダメだったら次、と絶対に諦めずに進み、突破、解決してきたのです。

 滝山病院には合併症等、難しい患者が入院している、退院は困難、とずっと言われていましたが、そんなことはない事を、相原弁護士が実践したと言えるでしょう・・・

<以下、全文は、おりふれ通信426号(2023年10月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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滝山病院問題のこれまでとこれから

一般社団法人精神障害者地域生活支援とうきょう会議 代表理事

鈴木 卓郎

 

暴行被害者の安否を憂う

 はじめに、私が一番気になっていることから書きます。滝山病院の入院患者で、暴行被害を受けていた方の安否は、今現在どうなっているのでしょうか。身の安全とご本人の安心感が確保される環境にいればよいのですが、まだ滝山病院に入院し続けている可能性も考えられるでしょう。私の知る限り、被害者の安否は報道されていませんし、東京都は公式の場で説明をしていません。滝山病院で開かれている虐待防止委員会では、確認されているかもしれませんが、そこで話し合われている内容は非公開です。どなたか情報をお持ちの方がいましたら、是非教えてください。このことだけでも、東京都に問う必要があると考えています。

 

滝山病院入院患者数の推移

 2022年の630調査を見ると、滝山病院には2022年6月30日時点で152人が入院していました(内訳:生活保護受給者75人、非受給者77人)。今年2月15日に暴行事件が報道された時点では、145人の入院患者がいたとされています(註1)。それが5月に入院患者に対する意向調査が行われた際には120人ほどに減っており(註2)、さらに7月末時点の入院患者数は101人になっているとのことです(註3)。滝山病院の病床数は288(精神255、療養33)ですので、すでに3分の2近くが空床となっています。

 ここからは推測の話になりますが、暴行事件発覚後にまず各市区町村の生活保護行政が、滝山病院入院中の生活保護受給者への意向確認等を行い、転院・施設入所退院などが一部進んだものと考えられます。後述する5月の東京都の意向調査は、生活保護受給者ではない71人の入院患者を対象に行われたのですが、その時点での入院患者数が120だとすれば、残りの50人ほどが生活保護受給者ということになります。2022年630調査からは20人ほど減っており、この方たちの転院・退院(死亡退院も含まれていると思います)の動きが2月〜5月にかけてあったと考えると、数値の辻褄が合うわけです。

 一方、生活保護受給者ではない入院患者にはこの間ほとんど転院や退院の動きがなかったことになります。その方たちへのアプローチはどうなっていたのでしょうか。次に東京都の意向調査のことをみていきます・・・

<以下、全文は、おりふれ通信425号(2023年9月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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退院を進めることで反論しましょう!

精神保健福祉士 細江 昌憲

 

 東京新聞、77日号に日本精神科病院協会の山崎会長のインタビューが掲載されました。精神障害者は地域で生活できない、長期入院は幸せ、といった、まさに傍若無人な放言には、強烈な不快感を禁じ得ませんでした。その前近代的な価値観は、理解も容認も全くできません。そこで、現場で日々みなさんと接する立場から、一言を言わせてください。

 

「まず身体拘束」

身体拘束については、それがトラウマになり、その後の人生に深く暗い影を落としている方は少なくありません。身体拘束を経験した男性は、その状況を拷問と表現しました。象徴的だと思います。

山崎会長は法律に則っているといいます。法律に違反していなければ、何をしてもよいのか。法律の前に人がいるのです。トラウマで苦しむ人がいる以上、それはやめなければいけない。自分に置き換えたらどうか、という想像力が欠如しているなら医療や福祉職に就いてはいけません。

急性期でかなり危険なケースでも、その人の側に誰かがいて見守ることで、しばらくすると落ち着く事がほとんどだと聞きます。そもそも、身体拘束は人の自由、尊厳を奪うのですから、まずはこのような拘束しない実践を医療現場で積み上げていただきたい。身体拘束は言葉としても恐ろしいです。

 

「『長期入院は幸せ』なはずがない」

明日の事もわからない中、アパートで一人で暮らすより、病室で4人でご飯を食べる方が幸せだ、だから、長期入院は幸せだ、と山崎会長は言い切りました。腰が抜けました。

明日のことが分からないのは私達も同じです。それに「退院して地域で暮らす」と「病室でみんなで晩御飯」を比べて、どっちが幸せか、昭和の学生寮の寮母さんならまだしも、誰がどのような立場でなにを言っているのでしょうか・・・

 

<以下、全文は、おりふれ通信425号(2023年9月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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投稿 患者会・患者自治会の必要性 その4(最終回)

京都市伏見区前進友の会やすらぎの里作業所 入退院5回

コテコテの躁うつ病 キーさん革命の鬼えばっち 江端一起

 

 オレだけ生き延びてしまった、、、、あの信州の精神病院からオレだけが生き延びてしまった、しかもあの病院から運よく生きて出られた患者の中で、『前進友の会やすらぎの里』と出会うことが出来て、またもや、運よくオレだけが『キーサンとしての生きがい』を得て『キーサンの人間関係』の中でオレだけが『生きている実感』を感じているのなら、ソレは恐るべきことである、とソウ想う。許されることではないと想う。だって、えばっちだって『病者運動ボスの活動家』ナンだから、、、

 『当事者運動家』諸氏よ『当事者活動家』諸氏よ『国家資格専門職人権擁護活動家』諸氏よ、それでいいのか、、、本当にそれでいいのか、、、イマの今時にこそ『ピアカウンセラー養成講座』『ピアサポーター養成講座』を批判し尽さなければならない、なんとなれば、このママでは障害者間に最大の『生きがいの格差』をもたらすであろうから、、、すまし顔の猿のようにスーツを着て人前で得々と法律のハナシを語る『当事者』ほど、この『生きる喜びの格差』を意識的に拡げる存在はなかろうに、、、『パラリンピック』を批判し尽さなければならない意味がココにある。『パラリンピック金メダリスト』ほど障害者間の『生きがいの格差』を見せつける存在はなかろうから、、、とすると、精神病患者にとっての、或いは『所謂言うところの発達障害者』にとっての『パラリンピック金メダリスト』とは、ドンな存在であろうか、、、そう、みなさん御想像のとうりであろう、、、

 ソウなのである、すなわち、自分の活動と論文と国会と外国旅行のために、自分が味わったこともないような、精神病院のコトや精神診療所、閉鎖病棟や保護室や五点張りや電パチや、看護士精神医の暴力や、クスリ飲んでない奴がナンで大量投薬や大量減薬の害を言いつのって、まるで自分がやられたかのように喋る、これは、もはや同じ『病者なかま』を『利用』し尽した『生きがいの搾取』であろう。そう、もはや、『無仁義病者運動ボス』の『利用』し尽くす『オモタい病者なかま』への『生きがいの搾取』である。コレはひょっとすると『良心的一所懸命のスタッフ』達の『モノ言わぬ通所者』『依存してくる利用者』側への『必要とされる実感の格差拡大』よりも、悪辣極まりないことかもしれないと、想うのである。だって『酷な』言い方かもしらぬが『一所懸命やる良心的スタッフ』は確かに、病者のセーカツを支えてはくれてイルのだから、、、特にPSW系は、実質のセーカツの糧を入れ込んでくれるわけなのだから、、、

 とすると、『無仁義病者運動ボス』の『利用』し尽くした挙句の『オモタい病者なかま』への『生きがいの搾取』とは、、もはや『生きる実感いのちそのものの盗人』であるとシカ言いようがない、、、倫理的に許されることなのであろうか、、、酷な言い方ではあろうが、『精神病者解放運動の本筋』がコレに為ってシマッてきたのが、精神の当事者運動の不幸の一つだと想うのだが、ドウであろうか、、そして遂には『無仁義病者運動ボス生きがい搾取者』『精神病患者の生きる実感盗人』とシカ言いようのないような者までも登場である。コンな者までもが、登場したのである。怖ろしいことだ。しかも、しかもである、『被害』の実態を公表し批判することも出来なくなり掛かっている、コンなていたらくだから、とにもかくにも『活動家は喋らない方がいいに決まっている』と叫びたくなる。

 

 だから、『選ばなければならない』と想うのである。『選べる』状況がセッカクにイマの今時に出来得かかっているのであれば、、、、もちろん、『選び得る』状況が事態が出来得ていることが前提なのである。だから『イマの今時の良心的素晴らしい福祉』の場でこそ、、、なのだけれど、、、特に特に『支援者』はドウするのか考えないといけない、福祉の大学なんかでは教えてくれないのだから、、、『契約関係』のママでいいのか『人間関係』を目指さなくても良いのか、『サービスの供給専門職』のママで『サービス提供者』のママでいいんですか、、、『スタッフダチンコ』を目指さなくても出来てしまえるのか、、、『する側』『される側』を踏んまえた上で、で考えてもらいたいと、そう想う。そう、キビし過ぎるかもしれない、だから、ココは強くは言えない、、、でもチョットだけ、、『利用者』としては『サービスの受益者』のママでいいのかい、『キーサントモダチ』を目指さないのかい、『群れて』『支え合って』『助け合って』『キーサントモダチ』を目指さないのかい、、、『問い詰める』ようなことに為ってはゼッタイにダメだ、だって、『自分の意向』を聞いてはもらえなかった人生なんだから、、だから、ゴメンよ『問い詰める』ようなことになってはいけないゼッタイに、、、したらアカンとそう想う、、でもでも『患者自治会』を目指して『キーサントモダチ』に為りませんかと呼びかけ続けたい、、、『問い詰める』ようなことに為ってシマワないように、、、『サービスの受給者』のママで『サービスの受益者』のママで『サービスの利用者』のママで『サービスの量と質の奪い合い』のママでいいんですか、、、

 だがしかし、でも、一方で、ココは、再度再度大声で叫んでおこう、特に特には特に『病者運動ボス』はドウするのか『パラリンピックの金メダリスト』に為ろうとするのか『キーサントモダチ』を目指そうとするのか、、、ともあれ『無仁義病者運動ボス生きがいの搾取者』『精神病患者の生きる実感盗人』は在り得ない外道の所行と想うが、、、

 

<以下、全文は、おりふれ通信425号(2023年9月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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投稿 患者会・患者自治会の必要性 その4(中)

京都市伏見区前進友の会やすらぎの里作業所 入退院5回

コテコテの躁うつ病 キーさん革命の鬼えばっち 江端一起

  『必要とされている実感』がなければ、『必要とされる場』が無いと、ヒトは生きてはいけない。だから、『役割』を見つける。『必要とされる関係』をこしらえていく。『支え合って生きる』と云う『役割』を自分たちでこしらえていく。それぞれが必要とされる場を自分たちでこしらえていく。必要とされている実感と人間関係を場を共にしながらこしらえていく。『支え合って生きる』だからコソのキーサントモダチなのである。ヒトは、特に弱いものは『群れ』ることでしか生きてはいけない。ヒトは一人では生きてはいけないから。『本物の生きがい』が必要だから。『本物の生きる実感』を求めるのだから。『人である限り生きなければ』ならないのだから、、、『よりよく生きなければ』ならないのだから、、、『右肩上がり』ではなく『社会復帰路線』『働く権利』ではない、の、だけれども、そう『よりよく生きて』いきたいのである。ソレを奪ってほしくないのである。『本物の生きがい』を見い出して『生きていきたい』のである。

 でも、だからこそ、『一所懸命ガンバッているスタッフ』側からの「今、これだけ充実しかかっている精神福祉の中で、私たちの実践の中に、今何故にココに必要があるのか」と云う問いに答えなければならなくなった、、、、、生き延びて生き延びて生き延びて『やっとこさココにたどり着いて優しいスタッフに囲まれて生保も年金も貰えるようになったし、訪看の看護婦さんもヘルパーさんも来てくれるようになって優しいし、ご飯も作ってくれるし、もうコレでいいやと感じている通所者利用者』側からの「今何故にココに必要なのか」と云う問いに答えなければならなくなった、、、

 そう、『素晴らしいよくやるスタッフ』と『通所者』が『福祉サービスの供給者受益者』に為ってしまった時に、『スタッフ側の愛とやりがい』に囲まれてしまった時に、取り返しのつかないようなことがおきてしまうのである。『通所者』『利用者』側の病者にナニが惹起されてしまうのか、ナンと「前進友の会やすらぎの里作業所みんなの部屋」でナニがひきおこされてシマッタのか、えばっちは、見てきたからなのである、、、病者間に『支え合って生きる』ではなく『足の引っ張り合い』がおきてしまうのである。そう『スタッフ側の供給するサービスの質と量の奪い合い』が始まってしまうのである。

 そしてついにはそう、まるでまるで『ホストクラブのホストの奪い合い』か『キャバクラのお姉さんの奪い合い』のような『福祉サービスの量と質の奪い合い』のヨウなコトに為ってくるのである。『キーサントモダチ』ゆえの『ニクマン』とは似ても似つかないような、、、それでいてスタッフ側は、『やりがい』『生きがい』『働きがい』にまみれて亢進につぐ昂進のあげくに『燃え尽き』の様になりながら、ついには、『依存されることに依存』していく仕儀と為る。詳しくはもうココでは語れない、、、もう嫌なのだ。シンドイのだ。そう、だから、コンな場合に備えて、『福祉サービスの提供の公平性と平等性』を担保せんがためにこそ、『専門職能性』『国家資格』『契約関係』『適正化委員会』『第三者機関』が必要に為ってくるのである。それと、ありとあらゆる『ピアサポート』ダノ『オルタナティヴ』ダノ『アドヴォカシー』ダノ『オープンダイアローグ』ダノ『ノーマライゼーション』ダノ『ラップ』ダノ『アクト』ダノ『リカバリー』ダノと『片カナ用語的おためごかし』が必要に為ってくるのである。ナニかが、決定的に欠如しているのが分からないのか、、、

 逆だ、逆に為らないと、タイヘンなことに為ってしまう。ナニもかもが失われてしまうんだ。『運動的積み上げ』すらも、すらも、失われてシマウコトに為るのに、ソコに気が付かないのか、、、『制度』ダケが『法律』ダケが立派に為って、、、、『本物の人間関係』『本物のトモダチ』を『本物の人と人との本物の関係』の中で、『本物のはたらきがい』を、、『本物の生きがい』を、、、なかまとともに、見い出そうとするジッサイのセーカツのなかでしか、、、『本物の生きることそのもの』を、、、『本物の生きる喜び』を、、、ああああぁぁぁドウ言えばいいのか、、だから、「キーサンセーカツ列伝」で書き綴ったような、ボクたちもそリゃあーーイロイロと、ホンとイロイロはアルんだけれど、アリながらだけれども、コンなカンジの『雰囲気』の『与太話』や『レク』や『旅行』や『関係性』や『ニクマン』や『食事会』や『生きざま』が『死にざま』が『トモダチがい』がみなさんの場にアリますか、と言わなければならないのか、、、こんな『与太話』しながら『ニクマン』まみれになりながら『愉しく』ながらも『シンドく』ヤッていますか、と、、こんな『食事会』やってますかと、、、、

 

<以下、全文は、おりふれ通信424号(2023年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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