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風化はさせない   国連障害者権利条約を指標として

(編集部から:この文は、2026年2月1日八王子集会「東京の精神医療体制を問う」なぜ旧滝山病院は生み出されたのか 開催発起人のひとりである加藤さんの思いを寄せてもらったものです。共有のため全文を掲載します)

特定非営利活動法人こらーるたいとう 加藤眞規子

 

滝山病院の患者さんと私のこと

 滝山病院の事件が起きて、私はいろんな人と誘い合って滝山病院に申し入れ書を持って滝山病院へ行った。看護の方たちは、「患者さんの最後の看取りをすることがそんなにいけないのことなのか」という。よくしてもらいたくて精神科を使う立場からすれば、最初からそういう意見がまかり通ってしまうのは違うのではないかと思う。東京都と厚生労働省に毎年申し入れを重ねてきた。都議会議員や国会議員の方々に理解し協力してもらうために集会を開いてきた。国連障害者権利条約を踏まえて、制度や法律を変えていかなければならない。 

 私は歳をとってから思いがけず膀胱癌になり、入退院を繰り返して、放射線治療を受けた。現在はストマーをつけて、身体障害者手帳をとり、腎臓内科と外科に通院し、訪問看護のサービスを週2回受けている。膀胱癌になって、治療を開始してすでに4年になる。ここまで元気にしてくれた病院、職場の同僚やメンバー、訪問看護、家族、友人やマンションの大家さん、こらーるカフェのお客様に感謝の気持ちでいっぱいだ。小さな腎臓に負担を負わせることになり、私の第一の関心事は、どれだけおしっこが出たか、お通じが無事にあったかということだ。それが無事にあると、私の気持ちは静かに満たされる。

 私は私大の社会福祉学科を卒業して、社会福祉分野で働き続けて、43年ほどになる。しかし「人はひとりでは生きていけない」「孤独ほど命を脅かすものはない」ということを、私に教えてくれたのは、「癌」であり、空気を吸うように全くあたりまえのものと思っていたおしっこやお通じの営みだった。逆にいえば、人工透析をしている人、心臓や高血圧の病気がある人を殺すことは簡単なことなのではないかというおそれを覚えた。

 実際に公立福生病院で起きた、長い間、人工透析を受けていたうつ病の44歳の女性がシャント(血液透析を受けるために充分な血液を確保できるように、動脈と静脈をつなぎあわせた血管)を作るために入院した公立福生病院で、「もう今のシャントが使えなくなったら、人工透析を受けることを止めたいと思っていた」と伝えた。公立福生病院の医師らが人工透析を中止することは即ち生命の終わりを意味することを充分に説明することはなかったようだ。苦しくなり、患者さんが「やっぱり(人工透析を)やって下さい!」と叫んでも駄目だった。生憎、患者さんの連れ合いは、体調を崩して入院中だった。

 腎臓が極めて悪くなっている私にとって、人工透析は他人事ではない。長い間人工透析を受けていれば、シャントを作る場所も手首とは限らなくなるかも知れない。公立福生病院のこの患者さんは首にシャントを作ることを提案されていたとも聞く。最終的には人工透析を開始するか否かは、「自分で決める」しかないのだろう。私は命に関わるほど重大なものとなったら、人工透析をしてもらおうと思っている。しかし服薬や食事のとり方、生活の仕方で現状維持が実現できる間は、今の治療方法でやっていきたい。「自己決定の尊重」や「尊厳死」「安楽死」の意味が命の切り捨てに繋がってしまった今の在り様は要注意であり危険だ。「生きよう!」という説得のほうがどれほど有難く、嬉しいかわからない。

 

生かさず殺さず

 厚生労働省と東京都へ、滝山病院事件のあと、陳情を重ねてきたけれど、答えというか対応はいつも同じようなものだった。精神障がい者や知的障害者は、「生かさず殺さず」に処遇しておればよいのだと考えているのだろうか。明らかに診療報酬の不正請求をした場合は、保険医療機関の指定取り消しという行政処分を行なう。

 何を問うても、個別の事案には答えられないという。例えば、旧滝山病院の元院長朝倉重延氏は、埼玉県にあった朝倉病院の院長でもあった。しかし200010月に内部告発があり、2001710日に、厚生労働省は保険医の指定を停止して、朝倉病院は閉院した。原則5年間は、再び保険医療機関の保険医としての指定登録はできない。けれども病院が違えば問題にはならないのだそうだ。

 旧滝山病院の死亡退院率が80%と聞くと、「異常だ!」と思わないのだろうか。治療内容や治療環境、看護の接遇、食事の内容等医療の中身には危惧することばかりだ。しかしこうした医療の中身については、厚労省は「監督はそれどれの自治体の責務であり、役割だ」と答えている。

 20242月から5月にも20数名の方が死亡退院している。こんなに多いのは何故だと疑義があった時、一刻でも早く退院支援なり調査が進まないと亡くなってしまう方がいらっしゃると思わないのだろうか。調査に1年、2年かかるという話ではなく、あるいは監査にいくかどうかではなく、命にかかわる問題であり、人間の尊厳の問題である。

 一方東京都は、「医療の安全性については、厚労省が一義的に調査する」という。また医療法では、死亡退院の有無は厚労省にあがってくる場面はないそうだ。

 病院という専門性の最も高いところにあって、命を預かり病気を治療する場所に対して、東京都も踏み込まない。「専門的な機関に対して、行政がとやかくいうべきではない」「退院させました。死にましたでは困るんだ」という。

 国は国で、死亡退院の高さを「それは知らなかった」「関知していない」といい、東京都は東京都で、「生かさず殺さず」のような姿勢である。どちらも公的機関の役割を放棄してしまったのか。

 医療や福祉に関係する仕事をしながら、旧滝山病院の死亡退院の異常な高さを見過ごしてきてしまったというか、何もしなかったということへの反省に基づいて、集まってきたという人々もいる。あまりに酷すぎる。これは行政への警告ではないか。

 あくまでも東京都も厚労省も診療報酬の関係からしか調査に入っていないという。医療の中身こそが重要なのに。精神医療の劣悪な状況が改善しない構造が明確になってきた。宇都宮病院でさえ存続している日本の精神医療だ。国連からの総括所見の中でも、「日本の精神科病院における死亡事例の原因及び経緯に関して徹底的かつ独立した調査を実施すること」が勧告されている。死亡退院に対する厚労省や東京都の態度は決して許されるものではない。

 旧滝山病院の一番問題になるのは、患者虐待を起こすような病院で透析医療がまともに行われているのかという点だ。そういう病院に透析医療を任せていたということも行政の責任だろう。透析は週3日、一日4時間ぐらいはかかると私も説明を受けている。

 救えた命が劣悪な環境の中で死亡してしまうような事態が起こらないような医療現場を保証していくにはどうしたらよいのだろうか。

 旧滝山病院は死亡率、死亡退院の多さが顕著であったが、他の幾つかの特徴は改善されたのだろうか。生活保護の受給率が非常に高いこと。非常に広域で四国地方や九州地方からも入院している人もいるそうだ。そして任意入院の高さ。任意入院で入院しているのであれば「退院したい」といえば退院できるはずだ。なぜできないのか。任意入院だけれど閉鎖処遇だったのだろう。こうした治療体制、医療体制の空洞化が長年放置されてきた。

 精神医療も一般医療の中にいれるべきだ。訴えても精神病のある人・精神障がい者の訴えは、制度的・実質的に差別され、まともに聞いてもらえない。長期の入院は重大な人生被害をもたらしてきた。強制入院制度を国連障害者権利条約は認めていない。

 東京都が一昨年5月に、旧滝山病院の71人の入院患者さんの転退院の希望を調査した時、39名の転退院の希望があった。そのうち18名の方々が転退院したそうだ。転退院を希望しながらできなかったのはなぜなのか。原因の究明が重要だ。障害者権利条約第19条はもとより、精神保健福祉法第2条の「国及び地方公共団体の義務」として、「精神障害者が社会復帰をし、自立と社会経済活動への参加をすることができるように努力する」との規定を順守する上でも、転退院ができなかった原因を究明することが重要だ。

 私たちが退院支援施設反対に取り組んでいた当時、厚労省に陳情に行き、私は発言したかったけれど、なかなか発言できなかった。最後の最後、2~3分、沖縄県のハンセン病療養所の愛楽園というところを会場にして、精神の関係者、障がいの関係者、ハンセン病の関係者が集まって話し合いをしたことを報告した。その時、部長であった方が「精神科特例を廃止したい」と話された。しかし結局未だ精神科特例は廃止されていない。

 旧滝山病院に残っている方々を安心・安全な場所へ移行する。いったいどんな治療・支援を受けているのか、私は訪問したい。時間をずるずるやっていて、その間に下手をすると腎臓の機能低下や、感染症で亡くなる患者さんもいるのではないだろうか。風化はさせない。

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