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精神医療国賠訴訟の控訴審判決のご報告

弁護士 長谷川敬祐

 

1 はじめに

 伊藤時男さんを原告とする国家賠償請求訴訟は、2020年9月30日に東京地方裁判所に提訴し、2024年10月1日に第一審判決がなされました。同判決に対して、原告側が控訴し、その後、2025年7月10日、控訴審判決がなされました。その控訴審判決の結果を皆さんに報告させていただきます。

2 控訴審判決の概要

 控訴審判決の結論は、控訴棄却でした。すなわち、原告(控訴審では「控訴人」というため、以下「控訴人」と表記します)の請求を棄却した第一審判決の結論を維持した形となります。ただし、その判断の仕方は、第一審判決と若干異なる部分がありました。すなわち、第一審判決は、長期入院の主たる要因を控訴人個人の責任に起因させるかのような判断をし、控訴人の主張に対して正面から判断をすることしませんでしたが、控訴審判決は、正面から国会議員や大臣に国賠法上の違法性はないと判断しました。具体的には、次のとおりです。

(1) 控訴人の入院形態について

 控訴人の入院形態については、第一審判決同様に、控訴人の入院形態が同意入院ないし医療保護入院であったと認めるに足りる証拠がないと判断されてしまいました。

(2) 仮に控訴人の入院形態が同意入院ないしは医療保護入院であった場合に、国会議員の立法不作為が国賠法1条1項の適用上違法となるかどうかについて

 控訴審判決は、事案に鑑み、仮に控訴人の入院形態が同意入院ないし医療保護入院であった場合の判断も行いました。

まず、国会議員の立法不作為が国賠法1条1項の違法と評価されるか否かの判断枠組みとして、法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合など、例外的な場合に限られるとしました。

そのうえで、同意入院ないしは医療保護入院の目的は、精神疾患の患者に自傷他害のおそれがあるとまではいえないが、患者に対する医療及び保護のために入院の必要があると認められる場合に適切な医療を提供し、もって、本人の利益を図ることにあるとし、その正当性を認定しました。仮に個別の事案において隔離収容目的による入院があったとしても、それは当該事案において違法又は不当な入院が行われたことを意味するのであり、これを超えて同意入院ないし医療保護入院の制度自体が隔離収容を目的とした制度であるということはできないと判断しました。

また、①その入院要件についても、ⅰ医学的な専門性に依るべきところが多いなど、専門的知見や臨床経験を有する医師の個々の事例に即した裁量、判断を尊重することが適切であり、その基準等を定立することは困難である、ⅱ指定医制度によって判断する医者に一定の質が担保されている、ⅲ保護義務者ないし保護者以外に精神疾患の患者本人に代わってその状態や利益を判断し得る者は想定し難く、保護義務者ないし保護者に同意を求めることが不合理であるとはいえないなどと認定しました。②入院中の処遇についても、特に行動制限や身体的拘束に際して、その利益を保護する一定の仕組みが設けられていると認定し、さらに、③退院についても、精神衛生法、精神保健法、精神保健福祉法にそれぞれ、入院の届出を義務付けたり、退院を命ずる制度等が存在すると認定しました。  

それらを踏まえ、結論として、精神衛生法、精神保健法及び精神保健福祉法における同意入院ないしは医療保護入院が、憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできず、国賠法1条1項の適用上違法とならないとしました・・・

<全文は、おりふれ通445号(2025年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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いのちのとりで裁判判決について

新生存権裁判東京原告団員 神馬幸悦(じんばこうえつ)

 

2013年厚生労働省からの通達で、生活保護利用者の基準額が段階的に徐々に、最終的には10%引き下げられたことに納得いかない全国で1,025人の方々が原告となり国(厚生労働省)を訴えた裁判、通称いのちのとりで裁判の原告者の1人です。私は2019年より参加し7年が経過しましたが、10数年にも及ぶ長い間闘っておられる方もあります。この裁判の最初の判決は2020625日名古屋地裁であり、残念ながら敗訴でした。この時は裁判長の高裁への転任が近くあり、負けるのではないかという予測が当初からされておりました。次に2021222日大阪地裁ではみごと勝訴をかざり11敗の5分となりました。しかし2021329日札幌地裁の判決から2022513日佐賀地裁判決まで7連続敗訴が続いた為、やはり国相手に勝訴するのは大変なことなんだと思いました。ただこの間に福岡、京都、金沢地裁において全く同一内容で判決文が出される事が続き我々原告者の意見陳述が馬鹿にされた感じがしました。続いて2022525日熊本地裁では勝訴したが通算では28敗。この時は先の結果がどうなるか心配もしました。しかし署名や原告者の意見陳述(生活状況)が各地で裁判長へ届き始めたのか徐々に勝訴判決が増え始め、2025611日前橋地裁の勝訴までに地裁では2011敗、また控訴審の各地高裁での判決も74敗と勝ち越す結果となりました。この間先に大阪高裁では一審が覆り敗訴(大阪訴訟)、名古屋高裁では一審が覆り勝訴(愛知訴訟)と異なった判決が出ました。

そして527日最高裁第三小法廷にて大阪訴訟と愛知訴訟の口頭意見陳述が行われ、私は運良くこの意見陳述を傍聴することができました。大阪の原告者の女性の方からは、毎月100円の貯金で孫たちにお年玉や誕生日プレゼントをあげるのが生きがいですが、生活保護受給額減額によりそれが難しくなってきた。「ばあば、お金ないの?」と聞かれると胸が痛みますと述べられました。また弁護団は変遷する国の主張に道理がないことや、朝日、堀木、老齢加算と重ねてきた裁判判決の致達を逆戻りさせることなく、司法が維持•発展させるべきと訴えました。         

この日1530分から参議院議員会館講堂にて大阪、愛知の原告、弁護団による報告とともにオンライン中継で各地の訴訟原告から生活実態や裁判への思い、支援団体や弁護団から裁判に向けた取り組みの様子が語られました。私も23分でしたが原告者の1人として発言しました。会場310人、オンライン107カ所の参加で627日の最高裁判決で勝利を勝ちとるまで全力でたたかおうとみんなで誓い合いました。

そして202562715時緊張の中で判決を迎えました。残念ながら当日の抽選に漏れ中に入ることはできず、近くの喫茶店で休憩を取った後、最高裁正門〜東門で判決が出るのを待ちました。この間知り合いのジャーナリスト等に心中を聞かれましたが、あまりドキドキする事はなく、冷静に判決を待ちました。20分くらいすると、ネットで勝訴の判決が出たと伝わり10分後ぐらいに原告団、弁護団、支援団が戻り改めて勝訴を確認して皆で万歳しました。その後の出来事は感激で覚えていません・・・

<全文は、おりふれ通445号(2025年8月号)でお読み下さい。ご購読(年間3,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

 

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医療DXにおける情報管理と懸念

福冨一郎 with Gemini(AI)

 

医療分野でのデジタル変革(以下、医療DX)は、私たちの医療体験をより便利にする可能性を秘めている一方で、医療情報の管理やプライバシーに関して、いくつかの重要な懸念も生じています。

 

<医療情報へのアクセスとプライバシーの懸念>

誰があなたの医療情報にアクセス(読んだり書き込んだり)できるのか

現在、あなたの医療情報、例えばカルテ(医師が診療内容を記録するものです)には、主に以下の人々がアクセスできます。

 * 医療機関のデータ管理者: 病院やクリニックのシステムを管理する人が、電子カルテなどのシステムを適切に動かすためにアクセス権を持っています。

 * システム開発者・保守担当者: 電子カルテなどのシステムを作ったり、トラブルが起きたときに直したりする会社の人が、その作業のためにアクセスすることがあります。

 * 医療従事者(他科の医師、看護師など): 緊急時や、あなたの治療に必要だと判断された場合に、あなたの情報を見ることができます。

しかし、将来的には、より多くの人があなたの医療情報にアクセスできるようになる可能性があります。例えば、障害年金や障害者手帳の審査を行う担当者、地方自治体の福祉職員、企業の障害者採用担当者、さらには相談員やケースワーカーといった各種支援職の人々もアクセスできるようになるかもしれません。

懸念されるのは、このように医療情報の利用範囲が福祉や就労支援といった場面にまで広がることで、あなたの情報がどのように使われるかが見えにくくなり、プライバシーが侵害されるリスクが高まることです。

「誰が自分のデータを見たのか」という問題

私たちは、自分の医療情報が誰に、いつ見られたのかを知る権利があるはずですが、現状ではその仕組みが十分に整っていません。

 * アクセスログの非公開: ほとんどの医療機関では、誰がいつどのデータを見たかというアクセスログ(閲覧履歴のようなものです)を記録しています。しかし、患者である私たちがこのログを自由に確認できるような仕組みは、まだ整備されていないのが現状です。

 * 情報漏洩のリスク: もし、本人確認が不十分なまま医療情報へのアクセス権を持つ人を増やしてしまうと、かえって情報漏洩や不正利用のリスクが高まる可能性があります。

 

<データ管理体制の複雑さと国際的なリスク>

複雑なシステム管理

医療DXを推進しているのは厚生労働省ですが、実際のシステム運用や開発、管理の多くは、外部の企業に委託されています。さらに、その外部企業がまた別の下請け企業に再委託することも珍しくありません。このため、「最終的に誰が私たちのデータに触れているのか」が非常に不透明になりがちです。

サーバーの分散管理と国際的なリスク

あなたの医療データは、サーバーと呼ばれるコンピューターに保存されています。サーバーとは、簡単に言うと「データやサービスをインターネットを通じて提供するコンピューター」のことです。災害対策のため、これらのサーバーは日本全国の様々な場所に分散して設置されています。しかし、その具体的な設置場所は非公開であり、どこにデータがあるのかを把握するのが難しいのが現状です。

さらに、もし外国の企業が日本の医療データの管理を請け負っている場合、国際的なリスクも存在します。例えば、その企業がある国で戒厳令のような非常事態が発令された場合、その国の政府によってデータが押収されてしまう可能性もゼロではありません。インターネットを通じて行われるデータ管理は、事実上、国境を越えており、国家単位での管理が非常に困難になっているという現実があります。

 

<精神科カルテ情報の特殊性と共有の課題>

特に精神科のカルテ情報には、他の診療科とは異なる特性があり、その共有には特別な配慮が必要です。

精神科データの性質

 * 主観的な記載: 精神科のカルテは、血液検査のような客観的な数値データだけでなく、患者さんの感情や医師の所見といった主観的な記載が中心となります。

 * 記載の統一性の欠如: 医師によってカルテの記載スタイルが異なったり、同じ病気でも医師によって診断名にずれが生じたりすることもあります(例えば、薬を処方するための診断名と実際の診断名が異なる場合など)。

 * 医師と患者の関係性: 医師と患者さんの相性によって、カルテに記載される内容が影響を受けることもあります。

他科医師に本当に必要な情報とは?

他の診療科の医師が精神科の情報を必要とする場合、通常は「現在服用している薬の情報」や「血液検査、脳波検査などの検査記録」など、治療に直接的に関わる最小限のデータで十分なことが多いです。

提案:情報共有の細分化

このような特性を踏まえると、精神科の詳細な情報をすべて開示するのではなく、必要最小限の情報だけを共有するような設計が望ましいと考えられます。具体的には、電子カルテに入力する際に、「どこまで他の診療科や外部機関に共有するか」を患者さんや医師が選択できる機能の実装が求められます。

 

<将来に向けた予測と懸念>

遠隔診療とデータ化

近年普及が進む遠隔診療(オンラインでの診察など)では、ビデオ診察の録画データが電子カルテに保存される可能性もあります。これにより、さらに詳細な患者情報がデータ化されることになります。

製薬会社によるデータ活用

患者さんのデータが詳細化され、量が増えれば増えるほど、それは製薬会社にとって非常に価値のあるマーケティングや研究資源となり得ます。患者さんの同意なしにこのような情報が活用されることのないよう、慎重な対応が求められます。

 

<全体まとめ>

医療DXは、医療の効率化や利便性の向上を目指すものですが、同時に情報漏洩のリスク拡大、管理主体の不透明化、そして個人の尊厳侵害といった重大な問題を抱えています。特に精神科領域においては、情報の性質上、より慎重な設計と、患者さん本人の同意と選択権を重視した情報管理が不可欠です。

あなたの医療情報がどのように扱われるべきか、あなたはどのように考えますか?

 

<編集部から>この福冨さんの記事(AIが共著者というのがさすがというか、デジタル化に乗り遅れている私には、デジタル化は既に進んでいて、だからどうつきあうか、歯止めをかけるべきかの工夫は必須なのだろうと感じさせられました)は、4月号の「医療のDX化はバラ色の未来なのか?」から毎号つづいているシリーズの一区切りとなるものです。これについては、全国の当事者グループにお送りしてご意見をお願いしていますが、今のところ反響はありません。自分のことを考えても上記のように、取り組みが必須と感じてもどうすればいいのやらという感じなのでそういう人も少なくないとは思いますが、ずっと続く課題なのでねばり強く取り組んでいきましょう。

 

 

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