『死亡退院 さらなる闇』の感想 ―都立松沢病院についての素朴な疑問―
堤 幸彬(NPO法人オメガ・プロジェクト設立準備会)
「堤さん、僕を見捨てないでください。松沢送りにしないでください!」グループホームの入居者に唐突に言われて、正直、僕は面食らいました。
僕は約30年ほど前に、東京のT市という町でグループホームを始めました。冒頭の利用者は、東京都多摩総合精神保健福祉センターから来た人でした。皆から自分が嫌われているという思いが高じて、こんな訴えになったのでした。これは被害妄想ではありません。事実、そうでしたから。その後も彼は、ことあるごとに、「僕は松沢送りですか?」という言葉を向けてきました。グループホームの運営委員であり、ピアカウンセラーでもあるYさんに聞きました。「当事者の間に、『松沢送りという言葉があるの?』」すると、Yさんはタバコの煙を吐き出して、こともなげに言いました。「うん、ありますね。」松沢病院に対する疑問が、ムクムクと立ち上がりました。
さらに昔、10年以上前。まだ、僕がお兄さんと呼ばれていた頃の事です。その頃の僕は、主に身体障害の方の介護に入るボランティアをしてました。学生の頃の延長であてどもない活動でしたが、気になることが一つありました。それは、アルコール依存症でした。介護に入っている当事者に酒浸りの人がいました。回りにいる介護者集団も酒飲みでした。アルコール依存症一直線であることは、僕にも見て取れました。これは、ヤバい、なんとかしなければいけない、と思いましたが何の知識も経験もない、ただのお兄さんです。70年代後半には、AAが日本にも入って来ていたようなのですが、そんなことなど知りませんで、ひたすら病院探しをしました。そこで上がってきたのは、まず、国立武蔵、小林病院(現駒木野病院)、都病院(現多摩あおば病院)、成増厚生病院でした。そこには、松沢病院の名はありませんでした・・・
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