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モーツァルトを初めて聞いた日 ―劣悪?な病院で働いている皆さんへ

根間 あさ子

 

ある日、Oさんは病棟のデイルームに寮から自分のステレオを持ち込んだ。12歳の私がベートーベンもモーツァルトも知らないと聞いて、自分の大切なレコードを聞かせようとしてくれたのだ。彼がレコードを扱う手つきから、それをとても大切にしていることがわかった。その大切なものを病棟に持ち込んで、クラシック音楽など流れたこともない場所で演奏が始まった。私は初めて聞くモーツァルトの音楽に心震わせ、と書きたいところだが、その日どんな音楽を聞いたのか全く記憶はない。その前日に、私はいつものようにOさんが翌朝の薬をセットしているそばでおしゃべりをしていた。その時にクラシック音楽について全く無知なことを知られたのだろう。当時のかさばる図体のステレオを、寮から二階の開放病棟までどうやって運んだものか。私は初めて聞くクラシック音楽は良く分からぬながらも、Oさんがレコードをステレオにセットする手つきからとても大切なものを扱っていると感じOさんがそれらを大事にしていることが良く分かったし、それを私に聞かせようと奮闘してくれていることが嬉しかった。だから半世紀以上前のその記憶が今も私の心を温かくしてくれる。

私の二回目で最悪の入院生活(1960年代の私立単科の精神病院です)の中で唯一の良き思い出は、このOさんと過ごした時間である。彼は病院にとなりあっていた職員寮に住まいしていた。看護学校に通いながら看護人(男性の看護助手をこのように呼んだ)をしていたのか、それとも全く別の勉強をしていたのかは知らないが確か学生だったように思う。佐渡島から上京してきて、私と同じ年頃の妹がいるといっていた。私は彼が夜勤の時に薬をそろえたり作業しているそばで彼の話を聞くのが好きだった。彼も病棟中で一番幼い、故郷の妹と同じ年頃の私を不憫に思い心に掛けてくれたのかもしれない。詰所(ナースステーション)に患者が入るのはご法度だったかも知れないが、私は幾度となく彼の夜勤の時には詰所に入り込んでいたように記憶する。

この記憶を書くことで私が伝えたいことは、どんな過酷な環境の中にいたとしても、人の心ある振る舞いは伝わるし、人を救うことが出来るということだ。あなたが酷いところで働いていたとしても、あなたの心ある振る舞いはきっと患者さんたちに伝わるに違いないということだ。諦めずに目の前の患者さんに対して心を尽くして欲しいと心から願う。

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