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ベてるの家で考えたこと

究極Q太郎

 

 北海道浦河でユニークな精神障がい者の当事者研究を展開しているべてるの家のことを初めて知ったのは、’02年、『べてるの家の「非援助論」そのままでいいと思えるための25章』(医学書院)の書評を依頼されて書く為に読んだ時だった。当時、私は、およそ十年続けてきた地域で一人暮らしをする(「自立生活」と呼ばれる)重度障がい者(脳性麻痺者、筋ジストロフィー等)の介助をやめ、’98年から始まったあかねという場(だめ連というグループの溜まり場として様々なメディアに取り上げられ、『激烈交流スペース」を謳うようになる)のスタッフ活動に専念していた。

 しかし私は、そこを’00年半ば、訳あって離れる。そうして介護の現場に復帰するのだが、そこは以前には覚えなかった困難をつとに感じるような場となっていた。利用者のタイプも変わっていた。自傷他害のある知的障がい者や長年閉じ込められるように施設で暮らしたため、社会性やコミュニケーションの力を奪われた脳性麻痺者など。良心的な給与がそれへの保障としてつじつまをあわせるものであるかのように、増した困難分、労働者としての責任が大きくされていた。以前は関わりの中に預けられた困難が、一人ひとりの責任に委ねられ、そして関わりは希薄化して、介護者同士の引き継ぎ時でさえ話をすることがないという職場になっていたのだった。

 私は離婚して一人で生活していたのだが、ストレスからアルコールに耽溺するようになった。そのうち鬱病や不眠症の薬を処方されるようになる。飲酒した後、薬を飲むチャンポン行為により深夜ボヤ騒ぎを幾度か起こすまでにそれはひどかったのだ。’18年の春。このままでは「滅びる」という自覚があり、酒が飲みたくなった時には散歩しようと思い立った。仕事の後、かならず駆け込んでいた飲み屋に寄るという習慣をかえ、午後7時に仕事を終えた後、11時に帰宅することを目安に四時間かけて歩いて帰るようにした(近道を覚えるとでさほど時間がかからないので、大通りではなく住宅街の路地をでたらめに歩き、それを散歩のインプロビゼーション(即興)()’と称していた。携帯の地図には頼らず迷う日もあった)。必ず帰るのは、家で老犬が待っていたからである。彼が元気だった頃は、夜の散歩に駅前の立ち飲み屋まで行き、一緒に塩をふらない素焼きの焼き鳥を食べていたのだが、腰を痛めて歩けなくなっていた(最後はオシッコシートにさえ行かれなくなっていたので、部屋中の床にそれを敷いていた)。

 やがて仕事の量を週三日に減らす。東久留米に古民家を改修して玄米レストランにしているスペースがあり(そこは子供が遊べる場をあつらえている)、偶然発見したそこの手伝いを週に二日するようになった(いまは水曜日のみ)。それからまた、あかねに出入りするようになり、やがて週に二日スタッフに復帰した(いまはまた離れた)。それ以外の休みの日は長い日で一日十時間ほど歩きまわる。それを「散歩依存症」と称した。依存は依存でも、アルコールから散歩へ。散歩もただ歩くのではなく、気持ちよくなる歩き方を見つけ応用する。例えば、抜けられないように見える道にあえて入っていく。挑むように。その道が抜けられるときに覚える「か、い、か、ん」(by薬師丸ひろ子)。そうこうしているうちに鬱は抜けていた。

 今回の浦河への旅は、ピンクマさんという早稲田あかねの現役スタッフが企画してくれた。彼女は’00年代にべてるにいた人で、その後、仙台の大学に福祉の資格をとるために移住し結婚するものの、夫にDVをふるわれるようになり、逃れて東京へ家出してきたという経歴の持ち主である。高速バスをおりバスタ新宿に降り立った時、所持金がゼロ円だったらしい。けれどもその後したたかに画家として、またべてるの家のメンバーだった経歴をかわれ、脳性麻痺者の医師熊谷晋一郎のもと、東大先端科学技術センターの研究員として働くなど各所で活躍している。

 浦河では、教会の礼拝に参加し、当事者研究の見学をした。見学者には私たち一行の他に刑務所の刑務官たちがいた。元国会議員で自身が服役した経緯を書いた山本譲司の『累犯障害者』には、受刑者の三分の一がなにがしかの障害者であると書かれていた。

 べてるの事務所の一角で行われたものの、見学者がいたせいなのか、一部の人だけが参加し、ほかの人たちが事務所で黙々と仕事、作業をしていたのが気になった。その風景は、私が所属している介護人派遣事業所の光景に似ていた。その後、べてるメンバーと夕食をともにする機会をえた時、かれらからべてるがいま置かれている困難を聞いた。自立支援法施行以降、作業所としての縛りが厳しくなり、以前はのんびりとできたことができなくなってしまった。顔をあわせてもなかなか会話する暇もないほど忙しい。

 私はその話を聞きながら思わず相槌をうっていた。重度障がい者の介護の現場と一緒だ。自立支援法(’05年施行)により、障がい者への介護保障が制度として確立され、仕事としての地位が確立するとともに、デスクワークが増え、かつては緩くできた、様々なことがおざなりにされるようになった・・・

<以下、全文は、おりふれ通信425号(2023年9月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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