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滝山病院問題のこれまでとこれから

一般社団法人精神障害者地域生活支援とうきょう会議 代表理事

鈴木 卓郎

 

暴行被害者の安否を憂う

 はじめに、私が一番気になっていることから書きます。滝山病院の入院患者で、暴行被害を受けていた方の安否は、今現在どうなっているのでしょうか。身の安全とご本人の安心感が確保される環境にいればよいのですが、まだ滝山病院に入院し続けている可能性も考えられるでしょう。私の知る限り、被害者の安否は報道されていませんし、東京都は公式の場で説明をしていません。滝山病院で開かれている虐待防止委員会では、確認されているかもしれませんが、そこで話し合われている内容は非公開です。どなたか情報をお持ちの方がいましたら、是非教えてください。このことだけでも、東京都に問う必要があると考えています。

 

滝山病院入院患者数の推移

 2022年の630調査を見ると、滝山病院には2022年6月30日時点で152人が入院していました(内訳:生活保護受給者75人、非受給者77人)。今年2月15日に暴行事件が報道された時点では、145人の入院患者がいたとされています(註1)。それが5月に入院患者に対する意向調査が行われた際には120人ほどに減っており(註2)、さらに7月末時点の入院患者数は101人になっているとのことです(註3)。滝山病院の病床数は288(精神255、療養33)ですので、すでに3分の2近くが空床となっています。

 ここからは推測の話になりますが、暴行事件発覚後にまず各市区町村の生活保護行政が、滝山病院入院中の生活保護受給者への意向確認等を行い、転院・施設入所退院などが一部進んだものと考えられます。後述する5月の東京都の意向調査は、生活保護受給者ではない71人の入院患者を対象に行われたのですが、その時点での入院患者数が120だとすれば、残りの50人ほどが生活保護受給者ということになります。2022年630調査からは20人ほど減っており、この方たちの転院・退院(死亡退院も含まれていると思います)の動きが2月〜5月にかけてあったと考えると、数値の辻褄が合うわけです。

 一方、生活保護受給者ではない入院患者にはこの間ほとんど転院や退院の動きがなかったことになります。その方たちへのアプローチはどうなっていたのでしょうか。次に東京都の意向調査のことをみていきます・・・

<以下、全文は、おりふれ通信425号(2023年9月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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退院を進めることで反論しましょう!

精神保健福祉士 細江 昌憲

 

 東京新聞、77日号に日本精神科病院協会の山崎会長のインタビューが掲載されました。精神障害者は地域で生活できない、長期入院は幸せ、といった、まさに傍若無人な放言には、強烈な不快感を禁じ得ませんでした。その前近代的な価値観は、理解も容認も全くできません。そこで、現場で日々みなさんと接する立場から、一言を言わせてください。

 

「まず身体拘束」

身体拘束については、それがトラウマになり、その後の人生に深く暗い影を落としている方は少なくありません。身体拘束を経験した男性は、その状況を拷問と表現しました。象徴的だと思います。

山崎会長は法律に則っているといいます。法律に違反していなければ、何をしてもよいのか。法律の前に人がいるのです。トラウマで苦しむ人がいる以上、それはやめなければいけない。自分に置き換えたらどうか、という想像力が欠如しているなら医療や福祉職に就いてはいけません。

急性期でかなり危険なケースでも、その人の側に誰かがいて見守ることで、しばらくすると落ち着く事がほとんどだと聞きます。そもそも、身体拘束は人の自由、尊厳を奪うのですから、まずはこのような拘束しない実践を医療現場で積み上げていただきたい。身体拘束は言葉としても恐ろしいです。

 

「『長期入院は幸せ』なはずがない」

明日の事もわからない中、アパートで一人で暮らすより、病室で4人でご飯を食べる方が幸せだ、だから、長期入院は幸せだ、と山崎会長は言い切りました。腰が抜けました。

明日のことが分からないのは私達も同じです。それに「退院して地域で暮らす」と「病室でみんなで晩御飯」を比べて、どっちが幸せか、昭和の学生寮の寮母さんならまだしも、誰がどのような立場でなにを言っているのでしょうか・・・

 

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ベてるの家で考えたこと

究極Q太郎

 

 北海道浦河でユニークな精神障がい者の当事者研究を展開しているべてるの家のことを初めて知ったのは、’02年、『べてるの家の「非援助論」そのままでいいと思えるための25章』(医学書院)の書評を依頼されて書く為に読んだ時だった。当時、私は、およそ十年続けてきた地域で一人暮らしをする(「自立生活」と呼ばれる)重度障がい者(脳性麻痺者、筋ジストロフィー等)の介助をやめ、’98年から始まったあかねという場(だめ連というグループの溜まり場として様々なメディアに取り上げられ、『激烈交流スペース」を謳うようになる)のスタッフ活動に専念していた。

 しかし私は、そこを’00年半ば、訳あって離れる。そうして介護の現場に復帰するのだが、そこは以前には覚えなかった困難をつとに感じるような場となっていた。利用者のタイプも変わっていた。自傷他害のある知的障がい者や長年閉じ込められるように施設で暮らしたため、社会性やコミュニケーションの力を奪われた脳性麻痺者など。良心的な給与がそれへの保障としてつじつまをあわせるものであるかのように、増した困難分、労働者としての責任が大きくされていた。以前は関わりの中に預けられた困難が、一人ひとりの責任に委ねられ、そして関わりは希薄化して、介護者同士の引き継ぎ時でさえ話をすることがないという職場になっていたのだった。

 私は離婚して一人で生活していたのだが、ストレスからアルコールに耽溺するようになった。そのうち鬱病や不眠症の薬を処方されるようになる。飲酒した後、薬を飲むチャンポン行為により深夜ボヤ騒ぎを幾度か起こすまでにそれはひどかったのだ。’18年の春。このままでは「滅びる」という自覚があり、酒が飲みたくなった時には散歩しようと思い立った。仕事の後、かならず駆け込んでいた飲み屋に寄るという習慣をかえ、午後7時に仕事を終えた後、11時に帰宅することを目安に四時間かけて歩いて帰るようにした(近道を覚えるとでさほど時間がかからないので、大通りではなく住宅街の路地をでたらめに歩き、それを散歩のインプロビゼーション(即興)()’と称していた。携帯の地図には頼らず迷う日もあった)。必ず帰るのは、家で老犬が待っていたからである。彼が元気だった頃は、夜の散歩に駅前の立ち飲み屋まで行き、一緒に塩をふらない素焼きの焼き鳥を食べていたのだが、腰を痛めて歩けなくなっていた(最後はオシッコシートにさえ行かれなくなっていたので、部屋中の床にそれを敷いていた)。

 やがて仕事の量を週三日に減らす。東久留米に古民家を改修して玄米レストランにしているスペースがあり(そこは子供が遊べる場をあつらえている)、偶然発見したそこの手伝いを週に二日するようになった(いまは水曜日のみ)。それからまた、あかねに出入りするようになり、やがて週に二日スタッフに復帰した(いまはまた離れた)。それ以外の休みの日は長い日で一日十時間ほど歩きまわる。それを「散歩依存症」と称した。依存は依存でも、アルコールから散歩へ。散歩もただ歩くのではなく、気持ちよくなる歩き方を見つけ応用する。例えば、抜けられないように見える道にあえて入っていく。挑むように。その道が抜けられるときに覚える「か、い、か、ん」(by薬師丸ひろ子)。そうこうしているうちに鬱は抜けていた。

 今回の浦河への旅は、ピンクマさんという早稲田あかねの現役スタッフが企画してくれた。彼女は’00年代にべてるにいた人で、その後、仙台の大学に福祉の資格をとるために移住し結婚するものの、夫にDVをふるわれるようになり、逃れて東京へ家出してきたという経歴の持ち主である。高速バスをおりバスタ新宿に降り立った時、所持金がゼロ円だったらしい。けれどもその後したたかに画家として、またべてるの家のメンバーだった経歴をかわれ、脳性麻痺者の医師熊谷晋一郎のもと、東大先端科学技術センターの研究員として働くなど各所で活躍している。

 浦河では、教会の礼拝に参加し、当事者研究の見学をした。見学者には私たち一行の他に刑務所の刑務官たちがいた。元国会議員で自身が服役した経緯を書いた山本譲司の『累犯障害者』には、受刑者の三分の一がなにがしかの障害者であると書かれていた。

 べてるの事務所の一角で行われたものの、見学者がいたせいなのか、一部の人だけが参加し、ほかの人たちが事務所で黙々と仕事、作業をしていたのが気になった。その風景は、私が所属している介護人派遣事業所の光景に似ていた。その後、べてるメンバーと夕食をともにする機会をえた時、かれらからべてるがいま置かれている困難を聞いた。自立支援法施行以降、作業所としての縛りが厳しくなり、以前はのんびりとできたことができなくなってしまった。顔をあわせてもなかなか会話する暇もないほど忙しい。

 私はその話を聞きながら思わず相槌をうっていた。重度障がい者の介護の現場と一緒だ。自立支援法(’05年施行)により、障がい者への介護保障が制度として確立され、仕事としての地位が確立するとともに、デスクワークが増え、かつては緩くできた、様々なことがおざなりにされるようになった・・・

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投稿 患者会・患者自治会の必要性 その4(最終回)

京都市伏見区前進友の会やすらぎの里作業所 入退院5回

コテコテの躁うつ病 キーさん革命の鬼えばっち 江端一起

 

 オレだけ生き延びてしまった、、、、あの信州の精神病院からオレだけが生き延びてしまった、しかもあの病院から運よく生きて出られた患者の中で、『前進友の会やすらぎの里』と出会うことが出来て、またもや、運よくオレだけが『キーサンとしての生きがい』を得て『キーサンの人間関係』の中でオレだけが『生きている実感』を感じているのなら、ソレは恐るべきことである、とソウ想う。許されることではないと想う。だって、えばっちだって『病者運動ボスの活動家』ナンだから、、、

 『当事者運動家』諸氏よ『当事者活動家』諸氏よ『国家資格専門職人権擁護活動家』諸氏よ、それでいいのか、、、本当にそれでいいのか、、、イマの今時にこそ『ピアカウンセラー養成講座』『ピアサポーター養成講座』を批判し尽さなければならない、なんとなれば、このママでは障害者間に最大の『生きがいの格差』をもたらすであろうから、、、すまし顔の猿のようにスーツを着て人前で得々と法律のハナシを語る『当事者』ほど、この『生きる喜びの格差』を意識的に拡げる存在はなかろうに、、、『パラリンピック』を批判し尽さなければならない意味がココにある。『パラリンピック金メダリスト』ほど障害者間の『生きがいの格差』を見せつける存在はなかろうから、、、とすると、精神病患者にとっての、或いは『所謂言うところの発達障害者』にとっての『パラリンピック金メダリスト』とは、ドンな存在であろうか、、、そう、みなさん御想像のとうりであろう、、、

 ソウなのである、すなわち、自分の活動と論文と国会と外国旅行のために、自分が味わったこともないような、精神病院のコトや精神診療所、閉鎖病棟や保護室や五点張りや電パチや、看護士精神医の暴力や、クスリ飲んでない奴がナンで大量投薬や大量減薬の害を言いつのって、まるで自分がやられたかのように喋る、これは、もはや同じ『病者なかま』を『利用』し尽した『生きがいの搾取』であろう。そう、もはや、『無仁義病者運動ボス』の『利用』し尽くす『オモタい病者なかま』への『生きがいの搾取』である。コレはひょっとすると『良心的一所懸命のスタッフ』達の『モノ言わぬ通所者』『依存してくる利用者』側への『必要とされる実感の格差拡大』よりも、悪辣極まりないことかもしれないと、想うのである。だって『酷な』言い方かもしらぬが『一所懸命やる良心的スタッフ』は確かに、病者のセーカツを支えてはくれてイルのだから、、、特にPSW系は、実質のセーカツの糧を入れ込んでくれるわけなのだから、、、

 とすると、『無仁義病者運動ボス』の『利用』し尽くした挙句の『オモタい病者なかま』への『生きがいの搾取』とは、、もはや『生きる実感いのちそのものの盗人』であるとシカ言いようがない、、、倫理的に許されることなのであろうか、、、酷な言い方ではあろうが、『精神病者解放運動の本筋』がコレに為ってシマッてきたのが、精神の当事者運動の不幸の一つだと想うのだが、ドウであろうか、、そして遂には『無仁義病者運動ボス生きがい搾取者』『精神病患者の生きる実感盗人』とシカ言いようのないような者までも登場である。コンな者までもが、登場したのである。怖ろしいことだ。しかも、しかもである、『被害』の実態を公表し批判することも出来なくなり掛かっている、コンなていたらくだから、とにもかくにも『活動家は喋らない方がいいに決まっている』と叫びたくなる。

 

 だから、『選ばなければならない』と想うのである。『選べる』状況がセッカクにイマの今時に出来得かかっているのであれば、、、、もちろん、『選び得る』状況が事態が出来得ていることが前提なのである。だから『イマの今時の良心的素晴らしい福祉』の場でこそ、、、なのだけれど、、、特に特に『支援者』はドウするのか考えないといけない、福祉の大学なんかでは教えてくれないのだから、、、『契約関係』のママでいいのか『人間関係』を目指さなくても良いのか、『サービスの供給専門職』のママで『サービス提供者』のママでいいんですか、、、『スタッフダチンコ』を目指さなくても出来てしまえるのか、、、『する側』『される側』を踏んまえた上で、で考えてもらいたいと、そう想う。そう、キビし過ぎるかもしれない、だから、ココは強くは言えない、、、でもチョットだけ、、『利用者』としては『サービスの受益者』のママでいいのかい、『キーサントモダチ』を目指さないのかい、『群れて』『支え合って』『助け合って』『キーサントモダチ』を目指さないのかい、、、『問い詰める』ようなことに為ってはゼッタイにダメだ、だって、『自分の意向』を聞いてはもらえなかった人生なんだから、、だから、ゴメンよ『問い詰める』ようなことになってはいけないゼッタイに、、、したらアカンとそう想う、、でもでも『患者自治会』を目指して『キーサントモダチ』に為りませんかと呼びかけ続けたい、、、『問い詰める』ようなことに為ってシマワないように、、、『サービスの受給者』のママで『サービスの受益者』のママで『サービスの利用者』のママで『サービスの量と質の奪い合い』のママでいいんですか、、、

 だがしかし、でも、一方で、ココは、再度再度大声で叫んでおこう、特に特には特に『病者運動ボス』はドウするのか『パラリンピックの金メダリスト』に為ろうとするのか『キーサントモダチ』を目指そうとするのか、、、ともあれ『無仁義病者運動ボス生きがいの搾取者』『精神病患者の生きる実感盗人』は在り得ない外道の所行と想うが、、、

 

<以下、全文は、おりふれ通信425号(2023年9月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ>

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