伊藤時男さんの裁判で思ったこと
まゆみ
「人が集まらないと、小さな部屋に移されるかもしれない。多くの人が注目していることを裁判官に伝えたいので、裁判の傍聴に来てほしい」と、仲間から声かけがあった。国を相手に40年の社会的入院を問う伊藤時男さんの裁判だ。
伊藤さんの体験には惹きつけられるし、テレビの特番も観た。でも裁判を傍聴するとなると私にとっては刺激が強く、自分の入院体験が一気に思い出されるだろう。普段は知らん顔をして、なんとか取り繕って生きていることを、あちらこちらから確認してしまうだろう。
裁判に伴う二次的、三次的被害も憂慮してしまう。現在の伊藤さんの体調やご苦労など知らないくせに、あれこれ心配してしまう。しかしこれは私自身の入院体験によるトラウマの症状か、それとも現実的な想像か区別がつかないまま思考は止まらず、結局「近づくのはやめておこう」と体が離れてしまう。それでも、ふとした時にそこへ戻る。精神科病院で起こったこと。目を瞑りながら目撃してきたこと。忘れたいけど、忘れてなるものかという思いが湧いてくる。
でも、なんでだろう。今回はおりふれ通信などで一緒に活動している仲間の誘いだったからか、あれこれ思い悩まず、すんなり裁判の傍聴に参加することができた。こういう時もある。
この日、傍聴した人数は今までで一番多く、60数名集まった。裁判自体はすぐに終わり、正直初参加の私には全く理解できなかった。でも、伊藤さんの姿を傍聴席からみるだけで、私は胸がいっぱいになってしまう。この気持ちを今回書ければいいなと思ったが、とても無理だ。どうしようもない。いつものように飲み込んでおくしかない。先ずは人数で伊藤さんを応援するのが目的だったので、これが今の自分にできることだと思うことにする。
その後、場所を移動し丁寧な説明会が行われた。いろんな意見や質問が出たが、私はある女性の話が心に残った。それは、国賠のパンフレットに載っている伊藤さんの原告意見陳述をパートナーに見せたら、それまで精神医療について特に気に留めたことがない人が、「こんなことがあったなんて!僕は知らなかった。これは自分も裁判に行くよ!」と今日一緒に参加してくれたというエピソードだった。そして「伊藤さんの体験はきっと伝わると思う。みなさんも是非このパンフレットをいろんな人に読んでもらうといいと思います!」と提案された。みんながそれぞれできることを探し、持ち寄ることは、伊藤さんを応援しながら自分自身も元気になれる感じがした。伊藤さんの願いに自分の願いが重なるからだろうか。
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