精神国賠研事務局長 古屋龍太
1.精神国賠訴訟の訴え
2020年9月、精神医療国家賠償請求訴訟(以下「精神国賠」と略します)が東京地裁に提訴されました。その後、2021年3月1日に第1回口頭弁論が行われて以降、これまでに6回の裁判が行われてきています。本紙「おりふれ通信」では、第397号(2021年1月号)で、提訴に至った経過と訴状の概要等が報告されています。ここでは、その後の裁判の経過と争点について、裁判所に提出された準備書面をもとに概要を記します。法律用語は難解ですし、限られた紙幅の範囲での要約は正確さを欠きますが、ご容赦ください。
精神国賠は、個々の精神科病院を対象とするものではありません。約40年に及ぶ長期社会的入院を経験した伊藤時男さんが原告となり、国(立法府および厚生労働大臣)を被告として、長年の日本の精神医療政策の違法性・違憲性を争う裁判です。精神衛生法(1950年)以来の、この国の精神医療法制の過ちを、司法の場で明らかにしようとする初めての裁判になります。
原告側の訴状では、「被告国は、精神障害者を危険な存在として隔離収容政策を実施し、日本社会における偏見を作出し、入院の長期化を現実的に抑止せず、長期入院者に対して十分な救済措置を講じることもなく、これを漫然と放置し、地域で自由に生きる権利、社会で人生を選択する権利を奪った」としています。また「厚労大臣は、人権侵害が甚だしい長期入院者を生み出すことのないよう、現状を積極的に解消すべき作為義務を負っていた」にもかかわらず、「実効性のある退院措置を講じないまま、原告に代表されるような、基本的人権侵害行為を、故意ないし過失によって放置した不作為は、国家賠償法1条1項の違法なもの」と国の不作為責任を問うています。
2.被告国側の認否
民事裁判では、原告・被告双方からの準備書面のやり取りが主になります。まず初めに、原告の訴状内容に対して、被告側が「否認」「不知(知らない)」「認める」の三択で、認否の態度表明をします。
例えば、原告側の「長期入院による無欲状態になっている人は、自らの意思に基づいて入院しているわけではなく、消去的選択として入院を余儀なくされている」との主張については、国は「不知」を表明しました。原告の「精神衛生法が社会からの隔離収容を主たる目的として作られたものである」との主張については、国会議員の発言は「認める」ものの、法律の目的については精神衛生法1条に記されたものであるとして「否認」しました。ライシャワー事件や宇都宮病院事件、クラーク勧告やICJ(国際法律家委員会)勧告、法改正等に関する原告の主張については、国は、事件発生や勧告の存在の事実は「認める」が、その評価やそれに付随する訴状記載の事実については、いずれも「不知」ないし「否認」を表明しています。憲法違反や作為義務違反に関する原告の主張についても、国はいずれも「否認」して、全面的に争う姿勢を示しました。
3.原告側の準備書面
原告側弁護団が示した被告国の不法行為は、次の4点にまとめることができます。
(1)医療保護入院制度
医療保護入院は、精神衛生法の同意入院時代から本質的には70年間変わっていません。隔離収容を目的として、精神障害者に限って私人による強制入院を可能とし、法の下の平等にも反します。「医療及び保護の必要性」という要件自体が曖昧で不明確であるため、病院による恣意的な運用を容認し地域差も生じています。憲法上の重要な人権を侵害する制度でありながら、その後も改廃しなかった立法不作為を問うています。
(2)任意入院制度
任意入院は「積極的に拒んでいない状態を含む」本人同意と解釈されています。閉鎖処遇も多く、任意性や入院継続の必要性を審査する制度もありません。「任意入院」という名の強制入院が成立しているといっても過言ではなく、原告もその被害者のひとりです。違憲な法律を改廃しなかった国会の不作為、および任意入院を監督する仕組みを構築しなかった厚生大臣の不作為は、違法なものとしています。
(3)精神科特例
国は1958年以来、精神科特例を放置し、精神科の患者のみが、他科と比較して劣悪な水準の医療しか受けられない状況を継続させました。これを廃止しなかった厚生大臣の不作為は、憲法13条後段及び憲法25条に反し、正当な理由のない差別であり憲法14条に反するとしています。
(4)精神医療政策
精神医療政策に関する厚生大臣の不作為としては、①隔離収容政策の転換義務違反、②精神病院に対する指導監督義務違反、③入院治療の必要のない人に対する救済義務違反が挙げられます。日本の精神医療政策に関する歴史的事実に基づいて、これらの不作為を追及しています。
4.被告国側の反論
原告側の訴えに対して、被告国側は反論の冒頭で、「前提」として「国賠法1条1項の違法は、結果として権利侵害が生じたかどうかではなく、職務上の法的義務に違反した場合に限られる」と法律論で退けようとしています。
立法不作為については「国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合」や「国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合など例外的な場面に限られる」として、原告の主張はこれに当たらないとしています。また、行政の不作為についても「情勢に応じた対応が求められるのが行政施策であり、その内容が一義的に定まるものではないものは、職務上の法的義務と解される余地はない」と述べています。
つまり、原告の訴えは国賠法上の違法には該当しないと、門前払いを裁判所に求めた形です。立法府(国会)と行政府(厚生労働省)の不作為(為すべきことを何もしなかった)責任を原告は訴えていますが、国は応じる「職務上の法的義務」責任も無いと全面否定している訳です。
なお、これらの「前提」は、旧優生保護法訴訟にも関わってきた弁護士によると、「まるでコピペの文章を見せられている感じ」だそうです。国の訴訟専門官が、国賠を退けようとするときの常套手段の「前提」なのでしょう。
なお、各論部分の医療保護入院や精神科特例等については、現在、国の検討会で論点となっていることもあり、非常に歯切れの悪い反論となっています。また、厚労行政としては、時代状況に即した職務を遂行してきており、不作為のまま放置していた訳ではないと主張しています。
5.個人的な感想と今後の方針
国側の反論書を読むと、厚労省としてできることはやってきたという主張は、痛々しい印象さえ受けます。国が行ってきた法改正の内容や社会復帰対策・地域精神保健対策等の項目を列挙していますが、精神科病院に対する介入施策は一切出てきません。国が、これまでの施策の成果をポジティブに示せば示すほど、手を付けてこなかったネガティブな問題があぶり出され、入院精神医療に関わる行政の不作為が明らかになります。
厚労省はこれまでも、強い政治力をもつ精神科病院協会に常に忖度し、入院制度と精神病床削減には手をつけてきませんでした。この国の精神科病院の「不都合な真実」に触れることを回避する「大人の事情」が、精神医療に関わる政策決定プロセスをブラックボックス化させています。既得権益と省益の優先により、日本はなおも精神科病床数シェア世界一の「精神科病院大国」であり続けるのでしょうか。
長期社会的入院は、伊藤さんひとりの体験ではありません。全国どこの病院でもあり得た、日本の精神医療法制度によって生じている権利侵害です。精神国賠研としては、原告弁護団と連携しながら、実際に精神医療ユーザーが体験してきた具体的事実を積み上げて実態を示し、不作為のまま放置してきた国の責任を裁判官に訴えていきたいと考えています。そのために、当事者・家族・専門職等の証言陳述書集めを、今後展開していく方針です。皆さまのご理解とご協力をお願いします。
6.精神国賠周辺の動向
精神国賠の裁判と並行して、この1年半で精神医療法制をめぐる大きな変動が起きています。
日本弁護士連合会は、第63回人権擁護大会(2021年11月30日)で「精神障害のある人の尊厳の確立を求める決議」を採択しました。「精神障害のある人に対する人権侵害を根絶するために、現行法制度の抜本的な改革を行い、強制入院制度を廃止して、これまでの被害回復を図り尊厳を保障すべく、国に対して法制度の創設及び改正を求める」ことが宣言され、具体的な改革のロードマップが示されました。
厚労省では、2021年10月より、「地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会」が開催されています。第7回会合(本年3月16日)では、精神科入院時の身体的拘束やアドボケイト、退院後支援とともに、「医療保護入院の廃止・縮小」が議論されています。障害者権利条約に係る国連の対日審査が6月22日に迫っている背景もあり、現在急ピッチで作業が進められています。厚労省は「基本的には将来的な廃止も視野に」と記していますが、国連からは「医療保護入院の廃止・縮小に向けた具体策とスケジュールの提示」が求められています。
精神国賠で提起された医療保護入院制度廃止の行方が、今後注目されるところです。
次回裁判期日は下記のとおりです。多くの人がこの国賠の行方に注目していることを裁判官に示すためにも、傍聴行動への参加をよろしくお願いいたします。
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