音の番人
アーティチョーク
遥かな闇から 御祈念(念仏のようなもの)が聞こえてくる 。ここに御祈念をする者はおらず、これは幻聴である。他の誰にも聞こえない音、音の番人として今日を暮らす。 音は、私の体に重く響き 湿気を持つ。私は、少し苦味を感じつつ 遠い日を思う。
私は、 ある宗教の教会で生まれた。本当の名前は、「強」。 上は女ばかりで 、跡取りの男を祈り求める中で生まれた四女 。「強」には、かなわなかった祈りの残骸がある。まるで、生まれたこと自体が、皆の祈りを裏切っている。母や 長姉から、「要らん子」と言われ育った。 老いた母が倒れ入院し、 見舞いの当番で訪ねた日、 しみじみと 「あんたのことは、要らん子と思っている」 と言われたのは辛かった 。
母が言いたいだけを言わせた後、辛すぎて院外に出た。 家はあるのに「私の帰る家がない」と 探し歩いた少女期が蘇った。 日ごとの御祈念を聞きながら、居場所がないなぁ、と感じた日々。
御祈念の幻聴は続いている。仕方のない音として聞いている。しかし、音と音の間が開いてきた 。私は、母達との事を思いめぐらす。もう少し話ができていたら、私の気持ちも違っていただろうか? 本当は悪い人達でなく、 私の痛みを想像できなかっただけだと思う。 私は、痛みを言葉にすることができなかった 。不足を言うことは、信仰に反す気がしてできなかった。 私は心を閉じ、家族を家族と感じることなく育った 。
幻聴の音は鎮まってきた。 私は、もう腹をくくり、音の名残を静かに受け止めようとしている。私の意識が、幻聴自体よりもっと大事な何かに向かって行くのを感じる。
40代で、ボランティアをサイドワークに暮らすようになった私は、色んな辛さを目の当たりにした 。色んな人生に出会い、色んな話を聞いた。 虐待を受けてきたという人の、何と多かったことか。 私だけではなかった。 虐待をしてしまう人の話も聞いた 。する側とされる側とが表裏一体となり、 ねじれ混んでゆく怒りと悲しみを聞いた。残酷と無気力も見た。 けれども、私が本当に見ていたのは、 そうした中でも 懸命に「今を居ます」姿だった。
「私を生んだ人達と家族でいたかった」と、ボランティアをしながら何度思ったことか。繋がっていたいがためにボランティアをしたと思う。ただ、 私のこの痛みは、私を育てもしたのではないだろうか?母は、私を生んだとき、本当は、母自身を責めたのではないだろうか?
御祈念の幻聴は、ぶり返す。が、 このままにしておこう。聞こえるままに聞けばいい。
私は音の番人。私というものの番人である。
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