20年前のこと (体験談)
T.Y.
1.点滴の日にちが切れていること
私が看護婦さんに言うと、「液体の色が変わっていないので平気」それで終わり。
でも1年に1回保健所の監査の時、裏庭の倉庫に運んで入れ、監査が終わるとまた点滴を病院に運んでいた。
2.主任看護婦さんに文句を言うと保護室に入れられ、不思議と翌日の朝見ると、体が動けなくなっていて、その日またはその翌日死んで、それで人生が終わり。その人はシンナーで入院。そのときまだ24才。
3.重症室で朝の食事の時、パンがのどに詰まり、事務員が私の名前を呼び、掃除機を持ってきて私が口の中に入れてもパンが取れず、そのまま事務員と2人、担架で霊安室に運び、そのとき私が「目がパチパチしてますよ」と言っても話を聞こうともしませんでした。
私が34才の時、生きて社会復帰できたのが不思議です。
そのとき生活保護で入院していたら生きて社会復帰できなかったと思います。
<編集部飯田のコメント>
T.Y.さんが20年前に経験した入院先は、東京青梅市の青梅厚生病院です。私はこの病院を50数年前に訪問したことがあります。この時の印象は、フェンスで囲われた中庭に大きな犬(シェパード?)が我がもの顔で駆け回っていたこと。院内に入ると、100人以上の人が閉じ込められていたわけですから、他の病院では多かれ少なかれ人がいるザワザワした感じがあったのですが、それが全くなし。異様に静かだったことです。
それから50数年たっての2016年6月30日の精神病院統計を見ると、他の病院と比較しても圧倒的に看護者が少なく(精神科特例よりも更に低い「特別入院基本料」を採用)、平均在院日数も3,189日と異常に長い(東京都内精神科病院の平均は217日)。このような病院が未だに残っているのは残念だが、これが現実です。
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