減薬について
アーティチョーク(体験者)
「できても、できなくてもいい」
という柔軟性は、統合失調症を生きやすくさせてくれる。とりわけ、減薬をするとき、最も大事だったりもする。途中で、無理かな?と感じたら、止めることが大事だからだ。
私の場合、中止するのは、こんなときだ。
٠ 目が油をさしたようにあぶらぎってきた
٠ 頭の中が、騒がしい。ざわつく
٠ そわそわする。落ちつかない
٠ 言葉の意味が、つかみにくい。文章が分かりづらい
٠ 不穏感が強くなった
٠ 判断力が落ちた気がする
こうしたとき、「減薬は、また今度」、ということにすればいい。リバウンドの増薬とならずにすむ。
減薬は、薬を減らすのだから、減らしたぶん、ホッとすることや、心に効く運動を入れていくのがコツだと思う。私の場合は、
٠ 好きな物を飲み食いする嬉しい時間をもつ
٠ 夫に色々な要求をしないようにお願いし、了解してもらう
٠ 休憩を多めにとりながら、好きな畑仕事で汗を流す
それと、私の場合、人薬を入れられたのが良かった。わが家に統合失調症の者が3人いたことは、ラッキーだった。息子と娘のことなのだが、お互いが人薬となれたのは、お陰様である。減薬がゆきすぎていれば、率直に教えてくれたから、「確かにな。今回は、ここまでで、ま、いっか」と、止めることができた。
ちょっと思うのは、減薬をする前に、暮らしの中に細やかな充実を見つけておくのがいいということだ。それなりの楽しみが暮らしの中にあれば、減薬は、やり易い。この病気との付き合いも長くなった今、
「あまり、この病気を嫌わんであげてくれ」
という思いがある。嫌うと、折り合いもつきにくく、減薬もしにくいのではないかと思う。
なお、娘の減薬は、畑仕事でなく、散歩、走る、マインドフルネスを使った。躁を持つ娘にとって、走るというのは、なかなか良かった。
減薬ができた、断薬ができたからといっても、もっと大切なことがある。
それは、「私」を回復させること。
そして、状態はどうあれ、あなたが、そこにいること、あなたの今がどうあれ、一緒にやってゆくことこそ、もっと大切なこととして考えてゆきたいのです。
息子も、同病である息子の彼女も減薬を考えない人達だが、今が楽しいのだそうで、それもよしだと思ってきた。
減薬は、慎重であるべきです!
<編集部から>
この文はヒアリング・ヴォイシズ研究会のニュースレター144号からの転載です。同研究会事務局を担われ、おりふれ読者でもある佐藤和喜雄さんが、2019年春おりふれ通信に連載した月崎時央さんの「精神科のお薬の適正使用と回復についていっしょに研究しよう!」シリーズに関連する内容であり、多くの人に読んでほしい良い原稿だからと、目立つことを好まれないアーティチョークさんを説得してくださって転載が実現したものです。
佐藤さん、アーティチョークさん、ありがとうございました。
ヒアリング・ヴォイシズ研究会の連絡先は、岡山県浅口市金光町大谷301-1菩提樹気付
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