« 20年前のこと (体験談) | トップページ | 1981年4月、僕は20歳だった。 »

減薬について

アーティチョーク(体験者)

 

「できても、できなくてもいい」

という柔軟性は、統合失調症を生きやすくさせてくれる。とりわけ、減薬をするとき、最も大事だったりもする。途中で、無理かな?と感じたら、止めることが大事だからだ。

私の場合、中止するのは、こんなときだ。

٠  目が油をさしたようにあぶらぎってきた

٠  頭の中が、騒がしい。ざわつく

٠  そわそわする。落ちつかない

٠  言葉の意味が、つかみにくい。文章が分かりづらい

٠  不穏感が強くなった

٠  判断力が落ちた気がする

こうしたとき、「減薬は、また今度」、ということにすればいい。リバウンドの増薬とならずにすむ。

 

減薬は、薬を減らすのだから、減らしたぶん、ホッとすることや、心に効く運動を入れていくのがコツだと思う。私の場合は、

 

٠  好きな物を飲み食いする嬉しい時間をもつ

٠  夫に色々な要求をしないようにお願いし、了解してもらう

٠ 休憩を多めにとりながら、好きな畑仕事で汗を流す

 

それと、私の場合、人薬を入れられたのが良かった。わが家に統合失調症の者が3人いたことは、ラッキーだった。息子と娘のことなのだが、お互いが人薬となれたのは、お陰様である。減薬がゆきすぎていれば、率直に教えてくれたから、「確かにな。今回は、ここまでで、ま、いっか」と、止めることができた。

ちょっと思うのは、減薬をする前に、暮らしの中に細やかな充実を見つけておくのがいいということだ。それなりの楽しみが暮らしの中にあれば、減薬は、やり易い。この病気との付き合いも長くなった今、

「あまり、この病気を嫌わんであげてくれ」

という思いがある。嫌うと、折り合いもつきにくく、減薬もしにくいのではないかと思う。

なお、娘の減薬は、畑仕事でなく、散歩、走る、マインドフルネスを使った。躁を持つ娘にとって、走るというのは、なかなか良かった。

 

減薬ができた、断薬ができたからといっても、もっと大切なことがある。

それは、「私」を回復させること。

そして、状態はどうあれ、あなたが、そこにいること、あなたの今がどうあれ、一緒にやってゆくことこそ、もっと大切なこととして考えてゆきたいのです。

息子も、同病である息子の彼女も減薬を考えない人達だが、今が楽しいのだそうで、それもよしだと思ってきた。

減薬は、慎重であるべきです! 

 

<編集部から>

 この文はヒアリング・ヴォイシズ研究会のニュースレター144号からの転載です。同研究会事務局を担われ、おりふれ読者でもある佐藤和喜雄さんが、2019年春おりふれ通信に連載した月崎時央さんの「精神科のお薬の適正使用と回復についていっしょに研究しよう!」シリーズに関連する内容であり、多くの人に読んでほしい良い原稿だからと、目立つことを好まれないアーティチョークさんを説得してくださって転載が実現したものです。

佐藤さん、アーティチョークさん、ありがとうございました。

ヒアリング・ヴォイシズ研究会の連絡先は、岡山県浅口市金光町大谷301-1菩提樹気付 

メールアドレスmbodaiju@mx1.kcv.ne.jp  fax 0865-42-6576

                         

|

« 20年前のこと (体験談) | トップページ | 1981年4月、僕は20歳だった。 »