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投稿「自史1971→2020」

すぎなみ151 森重寿一

19713

神経症発症 病因はSHOCKによる。

19719

福岡県二日市市白藤神経科に入院した。

19726月位

白藤神経科を脱走して強制退院した。

19747

統合失調症発症。

19762

福岡県小郡市蒲池HP入院した。県内で一番クスリが少ないし、白藤神経科は県内で一番クスリが多いからとの父親の意向で同病院に行った。306号室だった。9人部屋。僕が気がついたら同院内の詰所に。つぎに気がついたときBEDにいてそのとき夜8時。僕が夕食食べてないのに気づいた看護師が気を効かして豚骨ラーメンを出前で。28日の夜。寒い中、出前をしたラーメン屋の店員を看護師がねぎらいクスリをのみ寝た。翌日起きたら病気が軽くなったのに気づいたらバンザイしていた。ハイテンションだった。病室の窓から朝もやの中庭が清浄を感じさせる。昼は週に一回か二回中庭でバレーボール。金網で周囲を囲ったグランドでソフトボール。二塁手の僕は長打をみんなもガンガン打ちまくって乱打戦が常だ。同年5月祖母と叔母さんが面会室に。ソフトボール中に看護師に呼び出され祖母が別れ際に僕の胸に顔をうづめて「かわいそう」と涙していた。

黒木という27歳の青年と仲良くなり黒木さんは佐賀大へ向けてラジオ講座のtextを勉強をしていた。僕も朱に交われば赤くなるでラジオ講座のtextで学習した。僕は数学がへたの横好きで受験雑誌「大学への数学」を母親に電話して本屋から購入してもらい同室の京都大学医学部卒で内科医の古賀さんがスラスラ解いていた。ラジオ講座の英語もスラスラ英文和訳していたのには感心した。同年夏院内の別室でスポーツ新聞に1970年に数学のノーベル賞と言われたフィールズ賞を受賞した広中平祐教授が来日したことの記事を読み戦慄したことを記憶している。数学は16歳から63歳の現在まで勉強して思うことは数学の雑誌「数学セミナー」に記載されていたがココロの病に効くと思う。理系人間なら理解できると思うがココロが癒されるんだ。数学とは相性が合うしある種の勉強療法だと思う。僕は勉強が大好きだし数学を感覚的に把握すること。後に福岡工業大学工学部へ入学後。数学は具体例が命。無味乾燥な数学の理論に具体例をあてはめれば美しさを感じること。数学の専門書を頻りにヨムこと。のちに古賀先生に数研のyellowのテキストをまた赤チャートを贈ったこと。こうして僕の青春は精神医療ユーザー体験として終わる。あの19713月の敬虔な恐怖にさいなまれた僕はやがて下関市内の工員となり19868月に退社して東京都世田谷区上北沢の実家に住み松沢HPに通院して198810月すぎなみ151という地域活動支援センターを1996年に仲間と「ヒューマン・クリエイション」設立。

202011月東京都内の当事者会のよこの繋がりの会「ハートピアサポートセンター」の初代代表になる。おりふれの会との繋がりも大切にしたい。ココロの病を治すことで精神革命する。そして、社会変革していく。結局は内なる変革から始まるのだ。

19774

蒲池HP退院おめでとうと仲間たちに言われた。

最高の幸福である。


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