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「情報を守る」ことが「人を守る」ことになるのだろうか?

埼玉の精神医療を考える会 村田京子 

 

630調査の形式の変更によって、201718年度は、調査票の肝心の部分が番号のついた患者一覧の状態となったために、在院者についての情報がほぼ非開示となってしまいました。埼玉では、この個票562017年度)について非開示を不服として、昨年2月、審査請求をしました。5月から審査会が開かれ、9月には口頭意見陳述を行い、今年2月に答申が出、3月に裁決書が届きました。結果は、個票5の「主診断」「入院形態」の2項目のみ開示するという内容でした。

 ただ、そもそも私たちが求めていたものは「個別病院のデータ」であって「個人情報」ではありません。また、2019年度からは集計ソフトが組み込まれていて、都道府県にも国にも集計データのみが提出されるとのこと(2019年度は実はまた開示請求していないのですが、非開示の理由はなくなったと言えよう)。そういうこともあり、訴訟は行わない方向で考えています。しかし一方、むしろこの一連の流れの中で、改めて痛感し、考えさせられたことがありました。確かに個人情報を求めている訳ではなかった。が、それで良いのか?ということです。

実は、口頭意見陳述の時に「集計データではダメなのか?」との質問がありました。私にとって意見陳述は初めてのこと、質疑は想定外で、慌ててしまい、質問の意図を確認せぬまま「例えば集計データでは在院期間20年以上と括られてしまうが、個別データがあれば50年以上の人もいることがわかる、このデータの方が優秀なので、ぜひ入手したい」と勢い込んで答えていました。しかも帰路には「そうだ、在院者一人一人こそが大事なのではないか。長期入院となり諦めている患者の声は誰が聴くのか。少なくともその実態を外のみんなが知る必要がある」との思いを強くしていました。それをもっとハッキリ主張すべきだった、例えば当事者や家族も公開を望んでいるというような証言や証拠を出せたらよかったのにと悔やんだのでした。今にして思えば、この質問に「集計データでも良いから欲しい」と回答していたら、「集計して開示」という答申もあり得たのかと考えたりもします。それでも、その時の答え自体には悔いはなく、なぜかその思いがむしろ強くなっています・・・

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