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連載・精神科のお薬の適正使用と回復について いっしょに研究しよう! 第3回 減薬の準備について経験談から考えてみよう

ジャーナリスト&ファシリテータ 月崎時央

◇減薬をかなり本気でサポートしてくれる医師はまだ少数

 前回(4月号)は「自分が服薬している薬について知る方法」について考えてみました。自分の処方内容がわかったところで、では次は何をすればよいのでしょう。

 薬を、減らしたり適正な処方にしていくためには、もちろん薬の処方権を持つ医師の協力が不可欠です。しかし実際に患者さんに話を聞いてみると、多くの精神科医が薬を減らすことに必ずしも理解がなかったり、現状の処方を見直すことに慎重な人が多いというのが現実です。

 精神科医の中で薬を減・断薬するためのノウハウや多くの経験を持つ医師は非常に少なく、実際のところ「安全に薬を減らす定番の方法」というのは確立されていないとみてよいと思います。

「減薬をしたい」と患者さんが申し出ると「あなたが今その体調を維持できているのは薬をきちんと服薬しているからです」と答える医師は少なくありません。それは真実の場合もあるでしょうし、本当は「安全な減らし方がわからない」のかもしれません。しかしこの言葉は「現状で我慢してください。生涯飲み続けてください」という意味に聞こえますよね。また「もう少し落ち着いたら考えましょう」という言葉が返ってきて、結局はさらっと無視されることも多いようです。

 最近は医療保険上の処方制限により、医師が向精神薬を減らすことが推奨されていますので、以前より減薬はしやすくなっていますが、減薬には離脱症状が伴う場合が多いため、医師が患者さん一人ひとりに丁寧に向き合い、計画的に行わないとかえって危険な場合も少なくありません。このため安易な減薬や処方変更には注意が必要です。

 

◇自分のできることから準備を始めてみるのも1つの方法

 そこで薬について医師に訴える前に、まずは、身を守る手段として自分でできる準備をスタートすることが有効なようです。経験者から取材した精神科医に頼らずにできそうなことを3つあげておきます・・・・

 

以下、全文は、おりふれ通信383号(2019年6・7月合併号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ

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福島に行って考えていることその三

浜野徹二(元浜野クリニック・精神科医)

 8度目の3.11がめぐってきました。私にとって福島相馬からは3度目の3.11で、また私の相馬での最期の3.11となります。この3年間「なごみ」に通院されていた多くの人々の「回復」へのサポートが少なからずなし得たことは、私にとってはとっても貴重なものとなっています。

 ・・・厚労省(個々の統計には信がおけませんが)の資料によると、全国の医者の充足率で、福島県は47都道府県中44番目だそうです。その県内でも相馬市を含む相双地区(浜通り)は最下位でした。

 広野町の高野病院に、今春より新院長(脳外科医)が赴任され、さらに常勤で内科医も着任され、訪問診療に力を入れたいとおっしゃっていました。このように新しい体制になって医療面ではかなり充実して、広野町に限らず周囲の市町村にとっても力強い医療機関になってゆくと思います。

相双地区では3.11の時点では4つの精神科病院(800床)がありましたが、現在では1病院のみで実質稼働は50床です。病床数が減ることは、一般には望ましいと思いますが、地域としてはさらに精神医療が縮小化されてきています。「なごみ」で昨秋お会いした方で、「精神症状」が続いているのに7年半も未受診の方が3人おられました。まだまだ潜在している方も多いと思います。特に中学生の県外から戻ってこられた方は、避難先でのいじめの問題が顕著で深刻です。これらのことは、私には福島と沖縄が二重写しになってきます。国家権力に従わなければ棄民にするということです。

 震災関連「自死」の方が、福島県では100人を超え、これからも強く懸念されます。岩手・宮城ではこの間減っているので、3.11の津波ではなく、人災である原発による放射能の被害がこれからも続いていくということです。同じように「震災関連死」や今でも5万人を超す避難者の人数も福島はとび抜けて多くなっています。土地・職・学校・生活を奪われた人々の苦悩を指し示す1つの指標だと思われます・・・・

 

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福島だよりに触発されてー安東量子著「海を撃つ」を読む

編集部 木村朋子

 浜野徹二さんがここ数年毎週福島に通って診療され、年に一度お便りをくださるのを「おりふれ」に掲載してきました。私は震災後の支援にも行かず、これまで何もしてこなかったのですが、浜野さんの導きで昨年の病・地学会で福島相馬・双葉地区の精神保健活動についてのシンポジウムを組む運びとなり、なごみグループの活動を直接聞く機会を得ました。

福島について知りたい気持ちが起こり、評判になっていた小松理虔氏の「新復興論」を読み、その小松氏が褒めていた安東量子著「海を撃つ」を最近読みました。小松氏は安東量子さんのことを線量を測り続ける科学の人かと思ったら、文学の人だったという意味の評をしていましたが、ほんとうに、ベクレルやシーベルトといった数字が人々に持つ意味、専門家が数字を使って説得しようとしても人の心には落ちなかったこと、その中で人はどのようにしてきたか、ということを、福島の数々の町のみならずチェルノブイリ近郊の町や、チェルノブイリ事故によって食用のトナカイが汚染された遠くノルウェイの町にまで出かけて考え続けています。

その過程で、国際放射線防護委員会の「我々は、先だって日本でおきた悲劇的な出来事によって影響を受けた日本の人々に、最も深い同情の意を表明したい。我々の思いは、彼らとともにある」という声明、委員の一人で、その後福島を度々訪れることになるジャック・ロシャールというフランス人との出会いもあります。このジャック・ロシャールさんについて読んでいて、科学の専門家であって、抑圧されたり被害を受けた人々のために世界を股にかけて働く人情家という点で、ジュネーブの法精神医学者ティム・ハーディングさんを思い出しました(奇しくも今号最終頁に小林信子さんへの弔文を寄せてくださっています)・・・・・

 

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小林信子さんを偲ぶ会へのメッセージ1 北海道十勝の門屋充郎さんから

追悼 小林信子さん 天国の小林さんに報告します。

惜しまれる命がこの世から消えたことを知らされて、大変驚きました。私は北の大地、帯広・十勝でソーシャルワーカーとして働いて50年を過ぎた老身です。小林さんは1990年代に入ってから何度か帯広に来ていただきました。道立緑ヶ丘病院に体験入院をして病院職員に感想・評価を伝えて精神医療現場の改革に役立つことをしてくれたり、ハーディング先生を連れて来て、メンバーたちとみんなで焼肉パーティーをし、講演会を開き、全ての通訳をしてくれました。

スペインのことなどを語りながら日本の精神医療の課題を語り合いながら、私がやるべきことに沢山の示唆をいただきました。交流できた時間はほんの少しであったものの、私が実践する基本視点は小林さんから学んだことをひたすら実践することだったのです。時々自分の実践を確認する時に必ず頭に浮かぶ人の中に小林さんが居続け、1972年から2年間地業研の例会で学んだことが私の実践の原点となってきました。そこで、勝手ながら『小林さんを偲ぶ会』で小林さんに報告してほしくて書き綴りました。

 

小林さんに報告します。あなたから学んだことを実践した私たちの地域は、6病院1012床の病院中心精神医療から、今は4病院431床となり、入院者は350人前後、1年以上の入院者は1年未満の1/3(全国は2)まで減り、実質入院期間は短期となりました。私達が1991年以来、地域で生活支援を拡大し充実させることをやり続けてきた結果が精神医療を変えたのです。精神科医、医療関係者とマディソンモデル研修を続け合意形成してきたことで病床を減らし、病院精神科医療中心から、地域精神科医療中心への過渡期的状況を創り出すことができています。我が国の制度が変わらないので過渡期ではありますが、当地の理念と実践は小林さんが目指したものと同じであり、その結果はようやく世界基準となりました。しかし、我が国の病院精神科医療は劣悪を極め続けています。権利侵害の長期入院者が存在する現状は早急に解決しなければなりません。小林さんが目指した精神医療体制を私は忘れずに来ましたし、それを実現させるべくこれからも私なりに頑張ります。

 小林信子さん、本当にありがとうございました。

門屋允郎

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小林信子さんを偲ぶ会へのメッセージ2 スイスジュネーブのT.ハーディングさんから

Nobuko Kobayashi

ティモシー・ハーディング

 

信子さんを知って30年以上になります。精神科患者の人権に関する2回のICJ訪日調査団の受け入れに始まり、それに続く人権保障のための多くの会議、視察や権利を確実なものにするための議論を通して、彼女の疲れを知らぬ仕事ぶりと改革が遅々として進まないことへのストレートな批判に感心しました。彼女は日本の精神医療を断罪する勇気を持っており、精神疾患に苦しんでいる人々が直面している現実を本当に理解していました。

私は東京精神医療人権センターの狭苦しい新宿事務所に座って、彼女が仲間の活動家をまとめ、励まし、電話相談にかけてきた悩み苦しんでいる入院患者に助言する姿を目の当たりにしたのをよく覚えています。彼女は法律に則った文書より「患者に実際に起きたこと」の重要性にこだわりました。ICJ調査団以降の変化がほんのわずかであるという正直な批判や精神医療審査会による前進も限定的だという観察は、患者たちとの直接のコンタクトに基づいています。国立精神・神経センター病院医療観察法病棟での患者アドボケートとしての彼女の仕事には感銘を受けました。精神保健を職業とする人々は信子さん自身と、精神疾患に苦しむ人々の人間的なニーズや、診断によってラベリングする危険性に対する彼女の理解から、多くのことを学べると思います。彼女が成し遂げたのは、正直さと献身は人権関係の仕事には常に必要なものであり、患者の権利の推進は法律や精神医学に関わる専門的なものというよりむしろ、基本的に人間の問題なのだということを人々に示したことです。

 

信子さんは私にとって近しい友達であり、北海道や四国の山々を訪れるなど私が日本を楽しみ、理解する手助けをしてくれました。彼女は私と私の家族を歓迎するために多くの時間を割いてくださり、いろいろ助言してくれました。

 

彼女が亡くなったことは悲しくてなりません。彼女という素晴らしい人との多くの温かい思い出をこれからも大切にしていきます。(齋藤明子訳)

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