« 信子さんとのこと | トップページ | 追悼 小林信子さん »

小林信子さんの思い出

前東京精神医療人権センター代表 永野貫太郎

 小林さんに初めて会ったのは何時のことだったか。この文章を書くにあたって、色々考えてみたが、どうしてもはっきりとは思い出せない。小林さんが戸塚事務所に勤めていた時だったか、人権センターの会議であったか、いずれにしても30年近い昔のことで、今年は私も喜寿の年となる。

 人権センターの活動として、小林さんと一緒に精神病院を訪問したり、精神医療審査会への退院請求等の代理をしたのは、人権センターに関係した弁護士の中では私が一番多かったのではないかと思う。人権センターも発足当時は藤沢敏雄先生が代表、私が事務局長で、相談日には多忙な藤沢先生も、相談の手紙に返事を書いてくれたりして牧歌的な時代であった。この当時、小林さんはたしかスペインに留学しているとのことだったが、その後帰国して、事務局の主要メンバーとなり、病院訪問等に中心的に関わることとなったと思う。

小林さんと一緒に訪問した多くの精神病院のうち、2つの病院が印象に残っている。ひとつは多摩地域の、最寄り駅からバスで長時間かかる病院で、この病院に後見人である家族の同意で入院させられているが、退院して自分のマンションで生活したいという強い希望を持つ患者さんからの相談だった。

訪問して患者さんに面会し話を聞いてみると、到底「心神喪失の常況」にあるとは考えられなかったため、家庭裁判所に後見解除の申請を出し、鑑定申請をしたケースである。この件では、最低でも5回は小林さんともども同病院を訪問し、主治医の意見を聴取し、申立書、意見書を作成して裁判所に提出した。裁判所も鑑定を採用してくれ、複数の鑑定人も6ヶ月近くかけて詳細な書面を作成してくれて「心神喪失の常況にはない」との意見であった。しかし裁判所は後見(禁治産)を解除せず、高等裁判所に控訴したが、控訴棄却となってしまった。この患者さんからはその後も連絡があり、しばらくは毎年同病院を訪問した。裁判所の結論が出た時、私は大いに憤慨したが、小林さんは意外に冷静で、「日本の裁判所なんてこんなものよ」と言ったので、私は小林さんはこんな対応もできるのかと意外に思ったのを覚えている。

もう一つは、長期措置入院の三人の退院請求である。この三人については退院請求(措置解除請求)を繰り返し申請したが、ことごとく退けられ何の積極的結果も得られなかったが、請求を続けるうちに、一人は合併症のため他の病院に転院し、他の一人は請求をあきらめてしまった。残った一人について、小林さんは何度も訪問し、何とか措置入院を解除するべく努力を続けてくれた。それにもかかわらず退院請求は退けられ続けたが、とうとう病院が根負けしたのか、措置入院を解除して医療保護入院に変更した。当患者はこれで1ヶ月に一回程度は買い物に外出できるようになり、これ以上は請求してもらわなくてよいとの意思表示をしたため終わりとなった。この件は小林さんの粘り勝ちであった。

小林さんは私の後の人権センター事務局長となり、10年以上多方面で活躍し多大な業績をあげ、人権センターの名を高めてくれた。

さて、個人的な小林さんの思い出は何故かお酒にまつわるものが多い。小林さんはスペインに留学しただけに、スペインの酒特に赤ワインが好きで、どのワインがうまいかもよく知っていた。私は一度第二東京弁護士会で講演をしたことがあり、若干の講演料をもらったので、終了後講演を聴きに来てくれていた小林さんをさそって、小林さんの知っているシェリー酒(スペインの酒である)専門のバーに行って、二人で講演料を全部飲んでしまったこともある。今では店の名も場所も忘れてしまったが、ずい分うまいシェリーだったと記憶に残っている。

この度小林信子さんが亡くなられたとの知らせに接し、突然思い出した次第である。もう一度小林信子さんとうまいスペインの赤ワインをのみたかった、残念。さようなら 信子さん!



|

« 信子さんとのこと | トップページ | 追悼 小林信子さん »