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連載・精神科のお薬の適正使用と回復についていっしょに研究しよう!  第2回 減薬の準備のためにまずじぶんの薬を知ろう

ジャーナリスト&ファシリテータ 月崎時央

◇薬の飲み心地の専門家は医師ではなく患者です
 お薬を減らしたり適正な服薬にしていくためには、まず服薬しているご本人が自分の処方されている薬についてしっかり把握、理解することが必要です。
 精神科に通院し処方薬を服薬している患者さんの中には、適正な薬で症状が安定している方もいます。しかし私は、長年当事者の皆さんに取材をしていて、多剤大量処方による副作用に苦しんでいる方のほうが圧倒的に多いと感じています。
 そこでこの原稿は、服薬している当事者の方で、薬のメリットよりも、デメリットである副作用のほうを強く実感し、「なんとか薬を減らせないか」と考えている方のために、書いていきます。
 私は5年間ほど減・断薬した患者さんについて集中的に取材してきました。その結果、「これから薬を減らしたい」という当事者の方は「どの薬をどのような理由で減らしたい」とか「減らした結果どんな風になりたい」というビジョンをまず持つことが減薬による回復の鍵だと考えるようになりました。そしてその前提として「自分は何を飲んでいるのか」を知ることが不可欠だと思います。
 薬について不安や不具合があり「減薬してみたい」と漠然と思っているものの、実際には自分が服薬している薬についての情報や減薬のメリットやリスクを把握していない方が大多数です。
 お薬手帳には薬剤名と処方量と飲み方のほかに、一般的な効果が記載されている場合もありますが、これだけでは服薬している薬の詳細はわかりません。
 また、脳に作用する薬を飲んでいることにより、状況を正確に把握しにくい状態になっていること、多剤処方されている薬が一包化されていることなども「自分は何を服薬しているのか?」、薬の効果と限界がわかりにくいことの原因と言えるでしょう。

◇絶対にしては危険なことは精神科の薬の一気断薬
 ここまで読んで「そんなことを言われても、薬のことは専門家ではないのでよく分からないので先生にお任せしたい」と感じた方がいると思います。
 しかし少なくとも「減薬」を今から実行するなら、患者さん自身が主体的になって「自分ごと」としてしっかり把握し計画する必要があります。取材の経験から考えて、お医者さんであっても、減薬を全面的に人任せにするのは危険です。減薬は、医師側に経験的な知見が不足しており、実は難しい治療であるという現実を知っておきましょう。最近は国が多剤処方を抑制し始めたため、医師は以前より減薬に積極的になっていますが、実は医師による無計画な一気断薬のために離脱症状で苦しむ患者さんが増加しています。一気断薬は最もハイリスクです。「回復の力も希望も自分の中にある」と思うことと同時に「自分の身は自分で守る覚悟」が必要です・・・

 以下、全文は、おりふれ通信381号(2019年4月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ

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ザ・ニューステージ賞をいただきました!

おりふれ編集委員 佐藤 朝子

 日本精神科看護協会主催の第26回精神科看護管理研究会に参加しました。場所は滋賀県大津市。滋賀県には初めて行きましたが、京都から2駅で行けることを初めて知りました。滋賀県在住の方々からは琵琶湖は滋賀県の面積の6分の1を占めていることや、関西のおにぎりは味海苔を使ってごはん全体を覆わない、でも海苔巻きは普通の焼きのりだねとか、東京のお味噌汁は赤だしだと思っていたこと、滋賀県には鮒ずししかないなぁ(笑)など、看護とは違う情報も仕入れてきました。

 研修名に「看護管理」とあるため内容は管理に関することで、参加者は看護部長クラスの方が多いのだろうと想像していました。そして、プログラムを見ると2泊3日の合宿タイプで、夕食の時にもイベントがあり、夕食後にも仲間と語り合う時間が設けられているではないですか。他職種の方には「看護の人は熱くてエネルギッシュだね」と言われ、どんな個性派がいらっしゃるのだろうとやや恐怖心を持ち、ビクビクしながら参加しました。
 仕事の関係で2日目からの参加でしたが、前日から参加されている方は夕食で交流し、仲間と語り合う会で交流し、部屋に戻って(4人相部屋)交流し、すでに親密な感じが漂っており、一晩でこんなに仲良くなっているおばちゃんパワーについていけるかなとますますビビッておりました。

 今回の研究会のテーマは「精神科看護の語りと流儀」で、長年精神科看護に携わってこられた方々を講師に、昭和から平成にかけての精神科医療を取り巻く情勢を振り返り、ご自身が大切にしてこられた看護、今後も伝えていきたいことを話されました。50年前の入院患者に対する扱い、看護師は患者に拒否されることは想像していなかったが、拒否されて初めて看護師も考え方を変えなければならないと気づかされたと、今では当たり前のことですが、先人の方々が地道に努力されてこられた結果だったのだなと理解しました・・・

 以下、全文は、おりふれ通信381号(2019年4月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ

 

 

 

 

 

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追悼 小林信子さん

 先月の七瀬タロウさんに続いて、今月も訃報です。長く東京精神医療人権センターの専従を務め、おりふれ通信編集部のメンバーでもあった小林信子さんが、3月1日すい臓がんで亡くなりました。享年71歳でした。
 小林さんはここ10年は精神保健の世界からは引退されていましたが、1986年10月から約1年、スペイン政府の国費留学生として、フランコ時代以後の民主化の時代のスペイン精神医療改革-イタリアの改革に学び精神病院を廃止して地域医療をつくっていく-を体験に行ったことが、精神医療改革に関わる人生への転機でした。おりふれ通信に、情熱的かつ長文の「スペイン便り」を寄せてくれ、私たちに国際的視点をもつことと、改革のための明確なビジョンをもつことの大切さを伝えてくれました。スペインの留学期間が終わるとイギリスに渡って、リッチモンドフェローシップやマインドでも研修。帰国直後の1989年1月号のおりふれでは、学んできたことを関心を持つ人々に分配し利用してもらいたい、精神保健を日陰の存在から国民的関心事へ変えたい、そしてMIND日本をつくりたいと、熱い思いを書いています。
 具体的には、おりふれの会の前身である「精神医療をよくする会」のコーディネーターとしてさまざまな活動をし、東京精神医療人権センターが、振興基金から事務所家賃と人件費の助成金を得てからは、専従スタッフとして人権センターの顔となりました。人権センター事務局メンバーは弁護士の他は、医療や福祉の現場で働くいわゆるワーカー職ばかりだったので、小林さんは「レイパーソン=専門職でなく市民的立場で働く人」である自分が必要なのだと言っていました。
 専従であったからこその、松沢病院に長期間措置入院している人々への毎月訪問(一人からの依頼で始めたのが、希望者が増えていきました)、医療観察法ができてからは、国立精神・神経センター病院の医療観察法病棟への定期面接活動など、継続する地道な活動に取り組み、一方ティム・ハーディング氏、DPIや監獄人権センター等国内外の人権にかかわる人々と一緒に、国際会議、条約委員会などの場で、日本の精神病院の実情を問題にする働きもしていました。
 10年ほど前、精神保健の世界からは引退されましたが、お母さんを介護する生活の中、一昨年夏すい臓がんが分かり、治療を続けながら昨年1月お母さんを見送ることとなりました。その後、自らの療養の方向として、最後まで入院せず在宅単身生活でという方針を決めて、協力してくれる医療者を得ていました。その医師が往診に来た際に「私の担当している中で最も立派な患者さん」と、小林さんを評していました。
2月27日小林さん自身が希望して24時間ヘルパーを付けることになったと聞き、お見舞いに行くと、その前の週にはベッドに座って一緒にビールを飲んだのでしたが、もう起き上がることはできませんでした。でも話す言葉ははっきりしていて「これが私の運命だったのよ」と静かに言いました。小林さんは、不当なことへの正しい怒りの人というイメージの強い人でしたが、静かな悟りの人になっていました。
信子さん、お疲れさまでした。
木村朋子

 

 おりふれでは、編集会議の後、食事会をするのが習わしとなっています。これが通称「 文子ん家 」です。そもそも私は、食い物につられて編集委員になったような気がしております。普段の貧しい食生活の中で、唯一、家庭料理を味わう機会でも有ります。有り難い限りです。
さて、小林さんがまだ編集会議に来られていた頃なので、10年程前でしょうか。小林さんが、スペインで覚えたという、熱したオリーブオイルにサイコロ状のパンをくぐらせるだけという、シンプルな、料理(?)を振舞って下さったことがあります。これがとても美味しかった事を覚えています。
小林さんの人権擁護の為の長いあいだのご尽力に対し、私達仲間一同、百万回のありがとうを別れの言葉とさせていただきます。
 小林さんありがとうございました。
本城一信

 

 

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