私のリカバリーストーリー
黒岩 堅
まずはWRAPについて説明させてください。
最初にメアリーエレンさんというアメリカの精神疾患当事者が、120名以上のうまく生活できている当事者たちにアンケートを採りました。アンケートから共通する5つの大切なことが浮かび上がりました。5つの大切なこととは、希望、個人の責任(主体性)、学び、権利擁護、サポートからなります。
希望とは暖かく自分を応援、個人の責任(主体性)とは自分で意思決定、学びとは人生あらゆることに学び、権利擁護とは自分の声をあげる、サポートとはどう支援しあえるかというイメージが私にはあります。
この他にも元気に役立つ道具箱というのがあり、これは私が元気を取り戻せる方法です。ひとつはNetflixでアメリカのドラマを1シーズンみます。コールドケース、エレメンタリー、CSIなどを一気見します。悩み事が多いときにはとても効きます。一気見が終わったあと、悩み事を忘れてしまいます。ほかには、ソウルフードでもある寿司を食べます。出来ればスーパーで半額になっている寿司を食べると、満足感が上がります。頭だけ疲れているときは8000歩ほど歩いて、体も疲れさせて寝ています。
ではWRAPに出会う前の私を書かせてください。
小学校、中学校、高校、大学通じて友人もいませんでした。そしていじめも何回も受けてきました。いじめられている最中の私は助けを求めることが出来ず、ここにいる私は私ではないと一生懸命言い聞かせました。
幸い多少記憶力はよかったので、大学にはいけました。が、苦労して就職したところでは仕事はさっぱりできませんでした。
7回の転職をし、7社目ではリストラされました。それは39歳の時でした。そして私はリストラされるときに、会社の部長からこんなことを言われました。「小学生でもできることがお前には出来ない、お前は決して成長しない、お前は発達障害だから病院に行ってほしい。」
リストラされたときに、それまで会社に依存していた私は、全ての人のつながりが切れました。残ったのは絶望だけでした。3カ月ほど家に引きこもりました。でも障害者手帳も取れたので、失業手当を目当てに外に出かけるようになりました。
リストラされた当時は、運よく精神の障害者が障害者雇用率に算入されるようになったときでした。私はどんな会社があるのだろうと、仲間たちと就労の情報交換をしながら、それは心の助けになりました。落ちる会社が増えるたびに「いい加減就労をあきらめなさい。もう40歳なのだから、もう変わらないわよ。」と支援者や他の当事者たちに言われ続けました。そんなときにも就労を目指す人がいることは助けになりました。一緒に就労を目指す人たちがいたおかげで私は就活できたんだと思います。
なんとか105社目で内定をいただき、私の障害者就労は始まりました・・・・
以下、全文は、おりふれ通信398号(2019年3月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ
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