このままでいいのか日本の精神科医療と制度 ~当事者の視点から このままでいいのか日本の精神科医療と制度~当事者の視点から
精神科病棟転換型居住系施設を考える会 成田 茂
私が、うつ病を発症し職場の上司に勧められ、当時勤めていた印刷会社の会社診療所の心療内科に通院をしたのは、1998年の頃でした。当時の私は、仕事が激務で徹夜の仕事は勿論、午前5時くらいからの早朝出勤、深夜までの残業と、家庭を帰り見ない状況で、果ては心身共に疲れ果て、やがて全てにやる気を無くしている状態で絶えず死を意識した状態でした。「全てに疲れた、この世から消えたい、自分をこの世から抹消したい」という気持ちばかりが働いていました。ついには、自傷行為に走ってしまい、自分を見失った状態に陥ったのです。酒に走り、眠剤の多量服用、意識が朦朧とする中でのリストカット。今思えばこれらの行為は、自分の存在に気付いてほしい、自分を見つめて欲しいという自己アピールに過ぎなかったのかもしれません。何故なら、その時、本当に死んでいたら今の自分はありません。きっと死ぬのが怖かったのだと思います。そんな命との葛藤の中、救いを求めたのは東京都内のとある大学病院の精神科でした。その時の主治医からの勧めで、埼玉県内の精神科病院に入院することとなり、「心と身体を休める」事として入院加療に至ったのが、私にとっての初めての精神科病院病棟への入院治療の始まりでした。勿論その時も医療保護入院の入院形態です。
数か月間の入院生活の後退院ができたのですが、やはり完全に心の霧が晴れませんでした。そこで、都会を離れ生まれ育ち、母親が一人暮らしをしていた北東北の実家に転地療養を兼ねて戻り、地元の精神科のある国立病院に通院をしながら、仕事を探し暮らす日々をおくったのです。その時から、約20年が過ぎましたが、未だに精神科の病院に通院しおります。入退院すること数十回、その全ての入院形態が医療保護入院の入院形態です。
勿論、調子が悪いと自覚して自ら任意入院を希望したこともありましたが、全て任意入院は認められず医療保護入院での入院加療でした。未だに信じられなかった入院には、外来で通院時に妹と病院に行き、最初に私が診察カウンセリングを受け、今はだいぶ落ち着いているから1ケ月後に、また来てくださいと主治医に言われ待合ロビーで待っていた時に、不意に腹痛・嘔吐の症状があり、診察室の主治医に話したところ、「それでは入院をしましょう」と、突然言われ入院に際してこの書類に署名をと言われて出されたのが、医療保護入院承諾書でした。私は、とても違和感を覚え、頑なにその書類に署名することと入院を拒否したのですが、結局押し切られ、閉鎖病棟への入院となってしまったのです。「腹痛嘔吐」で、なんで精神科の閉鎖病棟に、しかも医療保護入院?・・・・
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