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投稿 痛む・傷む・悼む

どさんこ

 長いベトナム戦争が続いていた1970年初頭、私たちは銭湯でお会いしましたね。湯船の中で視線が合い、お互いかすかに微笑みました。すると貴女は湯のなかをすうっと私に近づいてこられました。そしてたじろぐ私の耳元にささやくように言われたのです。「私の3人の息子、戦死したんです」と。
もう湯船から出ようとしていた私は、「3人の息子戦死」という貴女の言葉に驚き、「お聴きしなくては」と思ったのです。「今、娘夫婦と一緒に暮らしています」と貴女は最後に教えてくださいましたね。私は「ああ、娘さんがおられてよかった」と安心しました。

 

 その後私は銭湯に行くたびに、貴女をお捜ししました。お会いして背中でも流させてもらい、私の父も戦死、息子を亡くした祖母のことなどをお話ししたかったのです。でも願いは叶いませんでした。まさに一期一会の貴女との出会いでした。あの時から40数年の歳月が流れ、貴女の孫のような私も70才代後半を生きています。そして今もたびたび貴女を思い出しています。
貴女にとって銭湯は亡くなられた3人の息子さんを彷彿と思い出すところだったのでしょう。母親に抱かれ気持ちよさそうに湯につかっている赤ちゃん、頭を洗われ泣く子、走り回り叱られる幼い男の子たち・・・。1970年代の夕方の女湯は、まだ賑やかでした。貴女はきっと、若い母親と子どもたちに昔のご自身と幼かった息子さんたちを重ねておられたのですね。そして想いはあふれ、戦死した息子達を誰かに語らずにはいられなかったのでしょう・・・・

 

  以下、全文は、おりふれ通信369号(2018年5月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566 立川市錦町1-5-1-201 おりふれの会へ

 

 

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