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精神障害の娘の転院決定までを振り返って!(前編)

娘の母

1)はじめに
娘は、20才で統合失調症を発症し、今年8月38才の誕生日を迎えた。この春東京N区福祉事務所から転院許可が出て、5月には東京のA病院から関西のB病院へ、私の住む近くの病院へ念願の転入院となり、新たな生活がスタートした。
 
 ここに辿り着くまでには様々な困難があり、到底親の私一人の力では成し遂げられなかった。関西B病院PSWの山田さん(仮名)さん、東京精神医療人権センターの皆さんA病院PSWの田中さん(仮名)らの協力、応援がなければ、今尚家族離れ離れの生活が続いていたかと思う。
昨年3月からの一年間は、固い生活保護行政の壁に少しづつ風穴を開けていく日々だったと、今思い出しても胸が熱くなる。応援して下さった皆様と出会う前から抱えていた問題を、振り返って整理してみようと思う。

2)2011年春、N区より東京都郊外への転院を迫られる! 
 娘は、20代でN区の二つの病院で入退院を繰り返し、最後はC病院に7年間入院したままで、すでに30代を迎えようとしていた。長期入院患者として、都郊外への転院勧告を受けてしまった時の、不安と絶望感は今も忘れられない。

 娘は精神障害1級で、障害基礎年金と生保を受けて長く入院生活を続けていたため、N区には転入院できる病院がなく、不便な遠方、郊外にしか候補がないとのこと。つまり、今までお世話になっていた区内のCとD病院の二つは、どちらも“スーパー救急・急性期対応病院”に変わる為、長期入院者を置いておけないとのことであった・・・


 以下、全文は、おりふれ通信362号(2017年10月号)でお読み下さい。ご購読(年間2,000円です)のお申し込みは、本ブログ右下のメール送信で。または FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-201おりふれの会へ

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