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昔の記録から(その1)

東京地業研 飯田文子

 最近、荷物を整理したところ50年前の資料が出てきた。それは、1967年から1974年にかけての東京都の精神衛生相談員の活動の記録だった。(私は1967年に保健所の精神衛生相談員として働き始めた。)その中の一つを現在でも役立つ部分があるのではと考え以下に再録する。当時保健師が精神衛生相談員になるには、定められた講習を受ける必要があった。これは、東京都が開いた相談員認定講習会に参加した保健師にまいたビラである。

 「津久井やまゆり園」事件で、精神保健福祉法改定が取りざたされている。措置入院後退院した人を、警察を含む行政機関などの監視下におくものとして批判が集中している。しかし、たとえ警察が含まれないとしても、再び保健所の役割として、地域に生活する措置入院経験者を管理することが、いつか来た道であることを、この昔の記録は示していると思う。

(以下当時のビラ)
認定講習に参加された保健婦の皆さんへ
                      1971.9.30 精神衛生相談員有志
 精神衛生相談員制度6年目を迎え、専ら「精神衛生」の業務に携わってきた者として、その業務とは何なのか、精神障害者にとって相談員とは、保健所とは何なのかということを、今回遅まきながら総括することにいたしました。1965(昭和40)年ライシャワー事件を契機とした精神衛生法の改定によって保健所は精神衛生の第一線の機関として位置づけられ、そして専ら精神衛生を業務とする職員として相談員が12名配置されました。この配置は法23条(措置入院申請)の申請数の多い保健所からなされたことは行政側が「精神衛生」というものを何よりも「善良な市民を野放しの精神障害者の害から守るー治安優先」の立場からとらえていたことの証左ではないでしょうか。

 しかし私達はこのような行政の意図を充分に自覚することなく、精神障害者の悲惨な状況を何とかしなければならないという使命感を持ち、しかしそのために何をしていいかわからないという状態で出発しました。
そのような段階=第一期(1966年4月~68年秋)を特徴づけるものは、管内患者実態把握(23条申請、入院届をさかのぼって調べたり、精神衛生課の資料、国保のレセプトをあさる等)をし、カードを作り、講演会や関係機関との連絡、保健所だよりを通じて「精神病は治る」「相談しよう」ということをPRし、保健所で専門家医師によるクリニックを開設し、広く幼児から老人までを対象としてせっせと診断してもらい、発見された患者は病院に紹介し(公平にするためにイロハ順に病院を紹介したりしたこともある。)在宅患者には訪問をして、ちゃんと通院しているか、服薬しているかをチェックしました。病院と薬への無批判な信頼は医療に結びつければよいという結果になり、結びつけるためのもろもろの説明や家族調整が私達の「技術」でした。

 そして悪名高い23条を入院費が公費負担という側面だけみて活用すべきだなどと考えもしました。この時期の私達はまさしく「期待される相談員像」よろしく放置患者を医療のルートにのせることを目的とし、「押しかけ訪問」も辞さず、「まず治すことだ」と理由づけていました。それは「技術なき医療は管理でしかない」道でした。
第2期(1968年秋~1970年秋)は群馬大学を中心とする生活臨床の実践と、都立精神衛生センターに勤務していた小坂医師が家族会の専属医師として家族の中にとびこみ実践を開始したことに触発されて、入院が患者にとってよいものではない(拘束=人権の侵害であり社会生活の断絶、偏見の助長など)ということから、何としてでも地域で生活させながら治すということを目標としていました。外来に結びつけ薬のチェック、副作用と再発を防止して社会復帰を図ることなどです。

 通院で頑張らせるために「夜討ち朝がけ」の濃厚な訪問をし、家族の肩代わりをしました。(勿論し切れるものではありませんが)そして体力づくり、職業みつけ、職場訪問など積極的にやり、手とり足とり何としてでも働かせようとしました。この時期家族は急変があったら連絡する人であり、治療の援助者として位置づけられていました。
そんな私達の動きに対して深刻な問題提起をしたのは「東京あけぼの会」の家族でした。 それを第3期=反省期(1970年秋~)として位置づけたいと思います・・・・

 
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