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投稿・ヒューマン・クリエイション史

ヒューマン・クリエイション代表 森重寿一


 1996年2月東京の自助グループに参加した。参加を重ねるたびに自然に俺にもこのような自助グループをつくれるかもしれないと思った。早速仲間と自助グループをつくりクリエイションと名を付けた。でもいつ始めようかなとぐずぐずしていた。すると先輩から夜中に電話がかかってきた。ぐずするな自腹でもいいからクリエイション通信をつくり配布しろ。そしていろいろな自助グループや作業所やデイケアや友人・知人をまわってみて配布しろ。そして例会のやり方をいくつかの自助グループを回り勉強して決めろとそれからクリエイションの例会を開催しろとアドバイスをもらった。いま思えば貴重な本当にありがたいアドバイスだった。言われた通りにした。1996年は通信を作り1997年は数十ヶ所のデイケア・作業所・自助グループをまわりクリエイション通信を配布した。1998年には例会を杉並障害者福祉会館で開始。3,4ヶ月で合計4人しか参加者がいなかったのでと当時の「すぎなみ151」(作業所です)のスタッフに相談したら、何故早く言ってこなかったといわれ、同年5月から151に場所を移して例会を始めた。5,6人参加でしばらく長く続いた。とにかく参加者に話させる。聞くだけの参加もかまわない。いつパスしてもかまわない。言いっぱなし聞きっぱなしでひとりひとりに順序よくまわしてテーマに即して語らせる。話したことは口外しない。守秘義務だ。数年間クリエイションはこうして順調につづいた。
 
 変化のあったのは今から約十年位前にクリエイションの開催場所を151から三軒茶屋の障害者支援情報センタープリズムに移動してからだ。もう約十年前の昔のことで移動した理由は覚えていない。プリズムでクリエイションの例会を始めた矢先の初回の例会には五人の当事者が参加してくれた。そのうち1人はのち下高井戸で自助グループを立ち上げた。当事者によるこういったいわゆる自助グループの基本を自分なりに教えたことを覚えている。司会者はとにかく参加者に話をさせるだけ話をさせる事だとかテーマに即してひとりひとりあまりかたく言いっぱなし聞きっぱなしにしない程度に皆にまわして、質問もいいしパスしてもよいし聞くだけの参加でもよい。できる限り楽しく面白い明るい会にして欲しいと自分は話した。そののち一ヶ月後の第二回目のクリエイションの例会からは激減して自分以外参加者は誰もいない日も多くあった。でも誰かが見ている。プリズムのスッタフや関係者などであった。クリエイションへの問い合わせの電話やアドバイスをあくまで仕事だが熱心にしてもらった。あと当時151のスッタフで熱心に助言をしてくれた方もいた。プリズムと関係のあった当時MOTAの施設長だった方に「三軒茶屋では自助グループであるクリエイションには場所があっていないのではないか」といわれよく考えた末約1年半でクリエイションは三軒茶屋から撤退した・・・

 以下、全文は、おりふれ通信359号(2017年4月号)でお読み下さい。
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