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投稿・記憶の封印・消去・再生

どさんこ

 昨年10月、亡母のすぐ下の妹が92歳で亡くなった。中学生の私を2年間ほど親代わりで育ててくれた叔母だった。叔母たちとの生活は夫が戦死し、私を連れて二度目の再婚をした母への私の反抗・抵抗の結果であった。叔母夫婦には3人の子どもがいたが、私を受け入れ助けてくれた。今、この叔母の逝去を知り、私は小・中学生の頃の自分と改めて向き合っている。封印したい記憶、無意識に消去した記憶、何度も繰り返し思い出してきた記憶などが行きつ戻りつしている。

 叔母夫婦が中学生の私を引き受けてくれたのは、当時の私の言動のひどさに困り果てた母と養父を助けるためでもあったに相違ない。にもかかわらず、私には親にどのように反抗したのか具体的な記憶はなにもない。この時の言動は、記憶から完全に消去されている。こうして自分を守っていたのだと、今驚きを感じている。
叔母夫婦に受け入れてもらい、私は落ち着いたのだろう。いつしか記憶にない実の父に詫びていた。小学生の時「どうかお父さんという人が生きて帰ってきませんように」と願い続けていた自分を悔いて。また救急車のサイレンを耳にすると「沖縄の戦場を救急車が走っていたら、深い傷でも父は助かっていたかもしれない・・・」とか思わずにおれない中学生の私がいた。これは小学生の私の不安神経症的な心情への反省でもあったと思う。

 母のはじめの再婚は、私が8歳の時だった。養父と3人の義理の兄弟に意地悪をされた記憶は、私にはひとつもない。でも私はいつも不安でいた。この不安に拍車をかけたのは、友達と観た夏祭りの村の青年団の芝居だった。戦死した夫の弟と再婚した妻が包丁で自殺。それは戦死したはずの夫が帰ってきての惨劇だった・・・

 以下、全文は、おりふれ通信358号(2017年3月号)でお読み下さい。
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