「ピア・サポーター」が取り込まれるとき:従順でないことの大切さ
松田 博幸
あるコミュニティにおいて、知らず知らずのうちに(あるいは、うすうす気づきながら)身についていく共通の考え方、言葉、感じ方、ふるまい方というのがあると思う。私自身、社会福祉のある現場で職員として仕事をしていたとき、ある種の感覚が皮膚を通して浸透してくるように感じていた。そして、そういった感覚を嫌だと感じると同時に、抗いがたいものを感じていた。当時は、そのような感覚をうまく言葉にすることができなかったが、今、その時のことを思い起こして言葉にすると、以下のようになるかと思う。
●相手を枠に入れて、切り離して、見下ろす感覚。
●枠にはまらないと、あるいは、枠にはめないとダメだという強迫的な感覚。
私が、これまで、セルフヘルプ・グループに参加している人たちとつきあうなかで、また、自分自身がメンバーとしてセルフヘルプ・グループに参加するなかで学んだことの一つは、セルフヘルプ・グループというのは、人がこのような感覚から解放される可能性のある場だということである。かつてあるセルフヘルプ・グループのミーティングにメンバーとして参加し、他のメンバーの語りを聴いていたとき、セルフヘルプ・グループでの聴き方と専門職者による聴き方が決定的に異なるのだということを実感した。私は、最初、語りを聴きながら、その人がなぜそのような行動をとったのか考え始めた。そして、その人の行動を枠に入れて分析し、その理由を探ろうとした。しかし、そのあと、自分がとても場違いなことをしているという感覚にとらわれた。自分は、その人の語りを枠に入れるのではなく、まるごと受け止め、自分自身の体験と重ね合わせ、響きあう部分を探したほうがいいのだと感じた。セルフヘルプ・グループにおいて対等な関係が尊重されるべきであるということはよく言われているが、どちらかが相手を枠に入れた時点で、たとえば、相手を「患者」「クライエント」「精神障害者」「利用者」「支援者」「親」「子ども」「妻」「夫」「研究者」「調査協力者」などとみなした時点で、その枠は、相手のありようを分析したり管理するのに役立つかもしれないが、対等な関係を作る際の邪魔になるのではないかと思う(ちなみに「仲間(ピア)」という言葉が対等な関係を作るのに役立つとすれば、「仲間(ピア)」という言葉がそれらの枠を揺るがす限りにおいてであろう。私にとって、セルフヘルプ・グループは、他のメンバーを、あるいは自分自身を、「・・・として」みずにすむ、ありがたい場であった。
近年、精神疾患の体験をもつ人たちが「ピア・サポーター」として事業所等に雇用されるようになってきた・・・
以下、全文は、おりふれ通信328号(2014年5・6月合併号)でお読み下さい。
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