岐路に立つ仏祥院・心道学園裁判 ―解体か!?良い施設か!?段階論の見通しを立てる
仏祥院・心道学園被害者を支援する会
代表世話人 桐原尚之
1 支援の開始
茨城県かすみがうら市にある「特定非営利活動法人日本整膚心道学園(現:心道学園、旧称:仏祥院)」で約3年間にわたり、自らの意思に反して隔離・収容されたとして、本多さん(東京都大田区在住、52歳、男性)が、2011年9月1日に当該仏祥院を相手取り、慰謝料などを求める民事訴訟を東京地裁に起こした。
私は、精神科病院を中心に閉じ込められている人を外に出す活動をしていたので、裁判の支援を自ら名乗り出た。しばらくして、整膚心道学園は、旧称が仏祥院であることがわかった。仏祥院は、1984年に全国「精神病」者集団が抗議を入れていたため知っていた。いまだ健在であることに驚いた。
私は、過去の新聞を調べて、閉じ込めていた旨の記載のある記事を十数点ほど見つけてきた。その後、本多透人さんと連絡を取りつつ、仏祥院・心道学園被害者を支援する会を立ち上げた。仏祥院・心道学園被害者を支援する会のウェブ上に私の携帯電話を公開し、十数名の元入所者からの連絡をいただいた。いずれも、仏祥院に強制的に監禁され、酷い目にあったという内容であった。
2 仏祥院という良い施設論の実践
私は、仏祥院の問題を新自由主義時代の保安処分と位置付け、仏祥院解体に向けた支援活動を開始してきたつもりだ。
時代の変遷を辿ると、1974年に保安処分の新設を定めた改正刑法草案が法制審議会の最終答申となった。犯罪をおかしていない人であっても、危険そうな人を閉じ込めていいという法律である。それに対する大規模な反対運動が巻き起こり、1980年からは、専ら精神医療や社会福祉の枠内で解決しようという動きになる。それが今日的な更生保護や司法福祉、医療観察法などを作り上げてきた。そして、新自由主義時代の今、仏祥院・心道学園の存在により監禁の正当化も市場原理によって解決していく道筋が示されたのだと見通すことができた。なので、この裁判の敵は、〈拘禁を正当化する理由の付与=おかしい奴は閉じ込めろという考え方〉そのものと考えてきた・・・・
以下、全文は、おりふれ通信319号(2013年7・8月合併号)でお読み下さい。
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