幼い日の追憶、そしてこの国とイタリアのいま―はるかに呉秀三氏にー
岡本省三
そろそろ70年近くも前のことである。戦時下、空襲が激しくなり、それまで暮した東京は山の手の住宅地から田舎の親類を頼って疎開するまでの、物心ついての短い間の、これは私の幼時のかすかな記憶の一つである。
「変なお兄さん」がいた。私たちガキどもと一緒に遊ぶでもないが、何やら一人でしじゅうそこらをブラブラしていて、時には私たちにからかわれてはどこかへ姿を消す、といったあんばいだった。どこに住んでいるのかも知らなかった。しばらく姿を見かけない時があるかと思うと、またいつとはなく現れるのだった。
記憶というのはこれですべてである。
「あの、見かけなかった間、あの人はどうしていたのだろうか」と気に懸けるようになったのはずっとのちになってのことである。
こうした記憶はもとより私一人のものではないし、石川信義氏もどこかで書いておられた。
ところで、いまこれを書き留めておく気持ちになったのにはキッカケがある。私と同世代の若桑みどり氏の『都市のイコノロジー』(1990年・ 青土社)の中にある「変なおじさんのいる町」の一章がそれである(「1989.4」とある)。少々引用してみる。
「・・・人とちがっているという理由で・・・通報されている人が大勢いるそうだ。『おかしな人を見かけたら110番』千葉市緑町の警察の看板である。/芸術家、学者、気□いは、老人や片△と同様、肩身のせまい人たちである。・・・・・昔のはなしだが、こどものころ町内に気□いの人がいて、その人はときどき町を歩き廻って『みなさま、足を洗って三番線にお渡り下さーい』と駅員さんのようにアナウンスするのだった。・・・・・/みんなはその人がくると、おやまたXさんがきたよ、というだけで、おとなしい人だったし、それはそれでどうということはなかった。・・・・昔は、一町内に一人は気□いの人、一人はばかがいたそうだ。」・・・
以下、全文は、おりふれ通信314号(2013年1月号)でお読み下さい。
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