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故広田伊蘇夫先生の思い出

弁護士 永野貫太郎  


 先生に初めてお会いしたのは、多分今を去ること二七年近く前の一九八四年頃のことだと思われます。第一印象は、あのよく光り、物事の本質を見極めるような特徴的な目でありました。その頃発覚した宇都宮病院での患者虐待等の事件で、第二東京弁護士会では、戸塚悦朗弁護士を先頭に人権擁護委員会の先生方や私のように刑法改正対策特別委員会の委員、又東京弁護士会からも内藤隆弁護士等々の先生方が、不当に入院させられた患者さん達の人身保護請求等の手続に参加されました。広田伊蘇夫先生はこの活動にも精神科医として私共と同行して、宇都宮病院でカルテを閲覧の上、意見書を書いていただき、人身保護請求書の資料として提出させていただいたことを記憶しております。

 しかし先生と多くの時間を共に過ごさせていただいたのは、その後に始まった精神衛生法改正・精神保健法成立への過程です。先生に御協力いただいた最初の事業としては、まず、一九八四年一一月以降発刊された『精神医療と人権』(1)から(3)のシリーズ本でした。この本は、当初、第二東京弁護士会の編集で出版される予定でしたが同会の承認が得られず、広田先生の協力を得て戸塚・広田共編として、ようやく亜紀書房から出版されました。このシリーズは、初めて本格的に精神科医、弁護士、ワーカー、ジャーナリスト等多職種の人々の協力を得て出版された画期的なものでした。
 
 ところで、一九八七年に成立した精神保健法改正に向けた広田先生を交えた検討過程では、特に戸塚弁護士の事務所に集まっての当初の意見交換の様子が記憶に残っております。それまで弁護士と精神科医(特に長年にわたり病院で実地に困難な患者の治療に携わってきた広田先生のような熟練の医師)の間には、率直に意見をぶつけ合う機会が不足しておりました。この様子は広田先生の最後の著作となった大著『立法百年史―精神保健・医療・福祉関連法規の立法史』(批評社)の、「おわりに」に少し触れられているので紹介してみると、「…精神科医としての私は、精神医療の実践原理と、法的一般原則を巡り、しばしば戸塚と激突した。若気の至りといったものではなく、厳しい論争だったが…」と書かれています。私は傍らで聞いていても、広田・戸塚両氏は我々の法改正運動の中心人物であり対立したままではどうにもならないと心配になり、途中からは、三人集まっての議論をするときには、戸塚事務所に行く途中にあった酒屋で安ワイン一本とパン屋でフランスパンバケット、チーズ等を買って持って行き、議論の途中からワインを飲みながら議論をしたものでした。戸塚氏も法律家としての原理・原則を主張し、広田先生も精神科医としての立場・経験に立脚してなかなか妥協はされなかったので、議論は、広田先生が書いておられるように平行線で終わることもしばしばであったと記憶しています。

 ICJ等のミッションを迎える準備として、又日本の精神医療を国際的基準まで引き上げることを目標として、一九八五年三月にて「精神医療人権基金」を発足させ、広田先生には医療者側のトップとして副委員長に就任していただきました。この頃からは、法律家と精神科医、その他の医療関係者との意思疎通もかなりスムーズに行くようになり、特にICJ・ICHPミッションが来日し、精神医療にも法制度にも精通したメンバーの方々との交流によって我々の内部においても両者の間の考え方の理解が深まったように感じられました。
 ICJ・ICHPミッションにより第一次ミッションの「結論と勧告」が一九八五年七月に公表され、以降一九九二年の第三次ミッションまで調査団の来日・報告の公表が行われ、その後の精神保健法の成立・改正につき大きな影響を与えたことは周知の事実でありますが、広田先生は受け入れにあたった精神医療人権基金の重要メンバーとして活躍され、又ICHPの日本代表を務められました。

 精神保健法成立にあたっては、しばしば国会での質問に立つ本岡昭次議員の議員会館の部屋で質問事項案の作成に御一緒させていただきました。又精神保健法改正がその後何回か行われましたが、厚生省精神保健課長等の面談にも御一緒したことがありました。
 最後に、精神医療も医師のみではなく、看護師、ソーシャルワーカー等々によるチーム医療によって行うべきだとする考えが広がり、広田先生と私は、PSW協会の人々の依頼を受けて、本岡昭次議員の協力の下に議員立法化を目指して、参議院法制局とPSWの資格化法案作成のために五、六回程協議を行いました。ところがようやく目鼻が立ってきたところで、厚生省精神保健課が乗り出してきて内閣提案で法制化することにして、現在の法制度が出来上がったのですが、これも広田先生、本岡議員が端緒をつけたからこそ出来たものであることを記しておきます。

 広田先生は日常の診療・治療の忙しい中これだけのことをやり遂げ、又多くの著作編集を残しておられ、さぞ大変であったろうと思います。どうぞ安らかにお休みください。
2010年10月

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