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南アフリカ見聞録

コミュニティサポート研究所 齋藤明子

10月8日から16日までDPI(障害者インターナショナル)世界会議に参加するため南アフリカ共和国に行ってきました。地球儀で日本の反対側にある国はブラジルと言われていますが、アフリカ大陸の最南端にある南アフリカ共和国も、ほぼ日本の反対側にあるといっても過言ではないでしょう。飛行機で香港まで3時間40分、ヨハネスブルグまで13時間10分(アナログの時計をしているので、短い針が盤面を一周してもまだ到着しないのだと思うと気が遠くなりました)、そこからさらに乗り換えてダーバンまで1時間10分。飛行機に乗っている時間だけでも18時間、それに乗換に要する時間が7時間。それは私にとって行く前は恐怖、帰ってからは「自分を褒めてあげたい」大旅行でした。

長旅でヘトヘトになって到着したダーバン空港には15台の車椅子を含む44人の日本代表団を迎えるべく6台以上のリフトバスが待機していました。東京で車椅子3台、乗車定員13人規模のリフトバスをこれだけの数揃えるのは容易なことではありません。さらにヒルトンホテルに向かう道は片側2車線の真っ白な舗装道路、市街地に入ると高層ビルもある近代的な街並みで、インド洋の波が打ちつける海岸には海水浴やサーファー向けの施設がずらりと並んでいます。ジープに乗って土ぼこりが舞う道をキリンと走るという経験は今回の旅行では味わえませんでした・・・

 以下、全文は、おりふれ通信300号(2011年10月号)でお読み下さい。
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竹下さんからの手紙

お元気ですか。くるめ出逢いの会の竹下です。いつもおりふれ通信を読んでいます。

 ところで、今日、NHKのこころの時代の番組を見たのですが、在日韓国人の教師がフクシマを歩いて感じたことを話しておられました。
なぜ福島の人々はそこを離れようとしなかったのか、そこには仕事があり、社会とのつながりがあり、家族が居て、税を納め、そこの地方の言葉で話をする。原発はフクシマの人々を根こそぎにした。そのようなことを語っておられました。「安楽の全体主義」だと。精神科医療の現実を見るとき、それと同じ構造が私には見えてきます。

 隔離収容がなぜいけないのか、それは、その人をその人の生きる場所から根こそぎにしてしまうからにほかなりません。社会の為、家族の為、そして何より本人の為という大義名分を掲げて。
 隔離収容は、その人の生きる場所をあまりにも簡単に奪い去ってしまいます。隔離収容だけでなく、精神科医療そのものが、そういう構造を持っているということの問題意識が、まだまだ社会の人々にも医療者にもあまりにも欠落しているのではないでしょうか。精神病は、医療者が考えるほど治癒が困難な病ではないように思います。回復の為の適切な援助があれば多くの人が回復に向かえると私は思います。隔離収容は回復への道を妨げることに他ならないのではないでしょうか・・・

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演劇紹介『編み物サークル』

浜島恭子(あと少しですが、ロンドン在住中)


こんにちは。ロンドンで最近観たお芝居のレポートです。

あらすじ
ポップな服装の若い女性(ジャッキー)が、白衣を着た2人、黒人男性(看護主任コリン)と婦長らしい初老の白人女性に病院内を案内されている。中年から初老の女性の入院患者4人(リン、ベッティ、マローラ、シーラ)が現れる。ジャッキーは編み物道具が入ったバッグを示し、編み物サークルを作ろうと呼びかける。マローラは手話で答え、ベッティはバッグを抱きしめて離さない。人々のそれぞれの反応にとまどいながらも、ジャッキーは丁寧な態度を変えず、働きかけ続ける。一方、看護主任コリンは患者たちを怒鳴りつける。
次第に、ここがハートフォードシャーにある1980年代の精神病院で、政府の方針によって病院閉鎖が決まったため、患者を地域に帰す支援の一環として助手看護師のジャッキーが新たに雇われたことが判明してくる。ジャッキーは患者たちは基本的に出身地域に戻す方針であること、親族(中には一度も患者たちに会ったことがない人たちもいる)に連絡を取っていることをコリンに話す。コリンは19歳からこの病院に働いているとジャッキーに話す。コリンはおそらく正規の看護師資格を持っていないことが示唆される。
入院患者4人は次第に編み物サークルを楽しみ、ジャッキーに親しみ始める。また横柄な態度をとるコリンに対し、滑稽な歌を歌ってうさ晴らしをするなど団結行動をとり、雰囲気が活気のあるものに変わってくる・・・

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おかしな方向へ向かっとるで

福冨一郎

医療観察法に反対する集会の基調講演において、「医療観察法の全体状況」と題して2011年7月31日、なくす会事務局長池原毅和氏のお話があった。これについて論点を箇条書きして、それぞれに思うことを書いてみます。

○福祉国家から夜警国家へ向かおうとしている。
 夜警国家、高校の授業で習った覚えがある。確かアダム・スミスの国富論に書かれていた。国家は治安の維持だけしておけば、神の見えざる手によって、なんとかうまくいくというもの。しかも、コストが安い。ほんまかいな。
 資本主義というのは経済の歴史から比べると、まだ生まれたての赤ちゃんで、未知の部分が多いでしょ。 その赤ちゃんですら、過剰に生産して、いらないものを売りつけ、行き詰ったら戦争を起こすという歴史を繰り返しているんだけど・・・

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故広田伊蘇夫先生の思い出

弁護士 永野貫太郎  


 先生に初めてお会いしたのは、多分今を去ること二七年近く前の一九八四年頃のことだと思われます。第一印象は、あのよく光り、物事の本質を見極めるような特徴的な目でありました。その頃発覚した宇都宮病院での患者虐待等の事件で、第二東京弁護士会では、戸塚悦朗弁護士を先頭に人権擁護委員会の先生方や私のように刑法改正対策特別委員会の委員、又東京弁護士会からも内藤隆弁護士等々の先生方が、不当に入院させられた患者さん達の人身保護請求等の手続に参加されました。広田伊蘇夫先生はこの活動にも精神科医として私共と同行して、宇都宮病院でカルテを閲覧の上、意見書を書いていただき、人身保護請求書の資料として提出させていただいたことを記憶しております。

 しかし先生と多くの時間を共に過ごさせていただいたのは、その後に始まった精神衛生法改正・精神保健法成立への過程です。先生に御協力いただいた最初の事業としては、まず、一九八四年一一月以降発刊された『精神医療と人権』(1)から(3)のシリーズ本でした。この本は、当初、第二東京弁護士会の編集で出版される予定でしたが同会の承認が得られず、広田先生の協力を得て戸塚・広田共編として、ようやく亜紀書房から出版されました。このシリーズは、初めて本格的に精神科医、弁護士、ワーカー、ジャーナリスト等多職種の人々の協力を得て出版された画期的なものでした。
 
 ところで、一九八七年に成立した精神保健法改正に向けた広田先生を交えた検討過程では、特に戸塚弁護士の事務所に集まっての当初の意見交換の様子が記憶に残っております。それまで弁護士と精神科医(特に長年にわたり病院で実地に困難な患者の治療に携わってきた広田先生のような熟練の医師)の間には、率直に意見をぶつけ合う機会が不足しておりました。この様子は広田先生の最後の著作となった大著『立法百年史―精神保健・医療・福祉関連法規の立法史』(批評社)の、「おわりに」に少し触れられているので紹介してみると、「…精神科医としての私は、精神医療の実践原理と、法的一般原則を巡り、しばしば戸塚と激突した。若気の至りといったものではなく、厳しい論争だったが…」と書かれています。私は傍らで聞いていても、広田・戸塚両氏は我々の法改正運動の中心人物であり対立したままではどうにもならないと心配になり、途中からは、三人集まっての議論をするときには、戸塚事務所に行く途中にあった酒屋で安ワイン一本とパン屋でフランスパンバケット、チーズ等を買って持って行き、議論の途中からワインを飲みながら議論をしたものでした。戸塚氏も法律家としての原理・原則を主張し、広田先生も精神科医としての立場・経験に立脚してなかなか妥協はされなかったので、議論は、広田先生が書いておられるように平行線で終わることもしばしばであったと記憶しています。

 ICJ等のミッションを迎える準備として、又日本の精神医療を国際的基準まで引き上げることを目標として、一九八五年三月にて「精神医療人権基金」を発足させ、広田先生には医療者側のトップとして副委員長に就任していただきました。この頃からは、法律家と精神科医、その他の医療関係者との意思疎通もかなりスムーズに行くようになり、特にICJ・ICHPミッションが来日し、精神医療にも法制度にも精通したメンバーの方々との交流によって我々の内部においても両者の間の考え方の理解が深まったように感じられました。
 ICJ・ICHPミッションにより第一次ミッションの「結論と勧告」が一九八五年七月に公表され、以降一九九二年の第三次ミッションまで調査団の来日・報告の公表が行われ、その後の精神保健法の成立・改正につき大きな影響を与えたことは周知の事実でありますが、広田先生は受け入れにあたった精神医療人権基金の重要メンバーとして活躍され、又ICHPの日本代表を務められました。

 精神保健法成立にあたっては、しばしば国会での質問に立つ本岡昭次議員の議員会館の部屋で質問事項案の作成に御一緒させていただきました。又精神保健法改正がその後何回か行われましたが、厚生省精神保健課長等の面談にも御一緒したことがありました。
 最後に、精神医療も医師のみではなく、看護師、ソーシャルワーカー等々によるチーム医療によって行うべきだとする考えが広がり、広田先生と私は、PSW協会の人々の依頼を受けて、本岡昭次議員の協力の下に議員立法化を目指して、参議院法制局とPSWの資格化法案作成のために五、六回程協議を行いました。ところがようやく目鼻が立ってきたところで、厚生省精神保健課が乗り出してきて内閣提案で法制化することにして、現在の法制度が出来上がったのですが、これも広田先生、本岡議員が端緒をつけたからこそ出来たものであることを記しておきます。

 広田先生は日常の診療・治療の忙しい中これだけのことをやり遂げ、又多くの著作編集を残しておられ、さぞ大変であったろうと思います。どうぞ安らかにお休みください。
2010年10月

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追悼 広田伊蘇夫先生

編集部 木村朋子

広田伊蘇夫先生が、糖尿病、ついで悪性リンパ腫の闘病の末、先月78歳で亡くなられ、9月23日告別式に参列してきました。先生は、次の永野弁護士の追悼文にあるように、精神科医として法律家と協働し、宇都宮病院問題の解決、ひいては日本の精神障害者をめぐる法や制度の改革に尽力された人でした。東京精神医療人権センターの活動も応援して下さいました。先生の思想と情熱は、「精神病者に関連する法体系と社会的処遇は、国家の自由・平等・人権思想の成熟度を示すバロメーターであり、問いつづけるべき課題である」(大著『立法百年史』の帯)の言葉にあらわれていると思います・・・

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