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生活保護を受けるということ

本城 一信

 私は精神障害者であり、また、生活保護受給者でもある。人権意識が希薄な今の日本で、生活保護を受けるということは、大変残念なことではあるけれど、世間から馬鹿にされ、差別を受け、時として酷い目にあうということを意味する。中にはきれい事を言う人もいるかもしれないが、現実とはこういうものなのである。
 生活保護といえば、震災被災地の南相馬市で百五十世帯が、震災の義援金や原発の仮払賠償金を「収入」と認定されて生活保護を打ち切られるという酷いニュースが流れた。ちなみに某FM放送が行ったアンケートでは、これに賛成が28%、反対が72%であった。5月30日には、厚生労働省政務三役と地方団体の代表者が、非公開で!!「生活保護制度に関する国と地方の協議」を開き、その中で大阪の平松市長が保護の有期制導入(就労指導を強化して一定の期日で保護の継続を審議する)を提案。また医療扶助の自己負担の導入、保護の適正化という名の締め付けなど、とんでもない改悪が行われそうな雲行きである。そんなさなか・・・

 以下、全文は、おりふれ通信298号(2011年8月号)でお読み下さい。
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