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長澤康寛さん『吾が生涯』後編

「さくら会のお知らせ」から要約・転載

前号からのつづき

<17年間の長期入院>
 昭和44年、33歳。冬場になると季節労働者が集まるので仕事を見つけるのが難しくなり、その冬は立川の紙仕切り屋へ働きに行った。ある日近くの喫茶店へ入ったが、疲れて身体がフラフラしているのを店主が怪しみ、警察へ連絡。取調べを受けて、そのまま東京のはずれにある青梅厚生病院に移送された。入院してすぐ年配の患者に「最低3年間は絶対出してくれない」と聞き、逃げねばと決意。20日目に決死の脱走。立川で1日働かせてもらい、もらった金がなくなり戻ったところを、病院からの手配でまた連れ戻された。以後、気の遠くなるような長いながい閉鎖病棟での17年間。とにかく、ひどい病院だった。

 入院患者は80人。畳の大部屋に10人が寝起き。すべては院長の命令一下、正直に話をしたり要求したら即懲らしめの保護室である。私は身寄りがなかったから、17年間誰も面会に来てくれなかったが、他の患者は家族が来る。その時は院長、看護婦が必ず同席し、「早く帰りたい」とか、病院の待遇の不満などをちょっとでも言おうものなら、後ですぐ強い薬を飲まされ保護室へ。退院できる状態になっている人でも「治療中」と院長に言われ続け、家族もその言葉を信じ、ただ無為に閉じ込められていたのである。そのうちの何人かの人が絶望して、自ら命を絶った。
 けれど私は何度も何度も院長に「出してくれ」と訴え、その度にもちろん保護室であった。また私のように身寄りのない福祉の人間は、病気が回復していても、なおさら退院などということはあり得なかった。

以下全文は、おりふれ通信280号(2009年8月号)でお読み下さい。
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