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「精神障害者にとって 今のサービス、必要なサービス、希望調査」結果から見えたこと

 昨年12月号に掲載し、協力をお願いしたこのアンケート調査について、10月24日岡山で開かれた日本病院・地域精神医学会で、以下のように報告しました。全体のまとめはもうすぐできる予定。関心のある方は編集部までご請求下さい。

東京都地域精神医療業務研究会 山本 則昭

はじめに
 自立支援法になり、身体障害や知的障害と同じように、精神障害者も地域生活をサポートする福祉サービスを受けられるようになった。しかし、実際には、ホームヘルプ、グループホーム、ショートステイ、ガイドヘルパーくらいしかメニューがない。そこで、地域生活をしている人の状況や希望を聞くことで必要なサービスが見えてくるのではないかと考えた。自立支援法では、障害程度区分に連動してサービスの種類や量が決定されるというしくみになっているが、わたしたちは、一人一人のニーズに基づいたサービス決定がされるべきという考えであり、そういった意味でも、現状のニーズを把握したいという思いがあった。この調査では、まず人として当たり前の生活を想定し、収入、衣、食、住、社会人としての活動(仕事その他)、個人生活(家族を含め)、楽しみや生きがい、将来への思いを尋ねた。ニーズをあらかじめ想定して、現在あるサービスに落とし込めてしまうことがないように配慮した。
 調査は2007年3月から2008年5月までの間実施し、何らかの資源とつながって地域で生活している148人の協力が得られた。調査結果をまとめる際、いくつかの項目に分けて現状・ニーズを検討し、解決策を考えた。今回は、その中で特に重要な八つのポイントで報告したい。

1.仲間作り、居場所作り
「寝る、話す、何でもOKな場所」「調子の悪いとき、そこで何もしなくてもずっといられる場所」など、自由に気楽にいられる場所を求める声は多くみられた。そして「寂しいときに話ができる仲間が欲しい」という。「一人でいられる場の確保と色々な人と交流できる場が必要」と、脅かされずに安心していられることと人との出会い・交流の場の両方が必要であるという訴えにはうなずかせられた。これらは人として生きていく上で当然必要なものであるにもかかわらず、それが満たされていない現状があるのだと、改めて認識した。
 自由な居場所を保証するためには、場所と共に管理人的役割を担うマンパワーが必要だろう。地域のオープンスペース的な取り組みに対して、家賃の補助と並んで、ピアサポーターを含めた一人分の人件費の補助が必要と考える。

2.調子の波、本人の希望にあわせた柔軟な介助
・・・・・・

以下、全文は、おりふれ通信274号(2008年10月号)でお読み下さい。
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10.19 反ー貧困 世直しイッキ!大集会 参加記

編集部 木村朋子

 前号にビラを同封して参加を呼びかけた大集会は、東京渋谷の明治公園を会場に天気にも恵まれて3000人を超える人が集まりました。世界貧困デー(10月17~19日)のスタンドアップアクション=貧困撲滅のために一斉に立ち上がるなど意思表示をする様子も新聞一面で報道されるなど、宣伝効果もあったと思います。
 12分科会のうち、私は「語り合いの場」に参加しました。他の分科会は社会保障・労働・住宅・多重債務・子ども・女性・・・など問題を絞って話題提供者を準備していた中、言いっぱなし・聴きっぱなしの誰でも参加の場に来てくれる人はいるのかしらと心配しましたが、ふたを開けてみたらうれしい驚きに。障害やDV被害の当事者・支援者が呼びかけ人でしたが、集まってくれた人たちは、多種多様でした。ウェブ製作、「坊主バー」(僧侶が相談にのる駆け込み寺のような飲み屋)経営、何をやっても長続きせず今は日雇い・・・いろんな経歴をもつ老若男女。いつも会わないような多様な人々と会って話ができたことが、私にとって一番大きいことでした。
 語り合いのテーマは「私にとっての貧困」「私が求める支援」。貧困について心や社会のあり方の貧しさを指摘する声が多く、支援については、日雇いの人から「安心できる暮らしがほしい」と切実な声もありましたが、総じて当事者の人も含め自分が誰かのために何ができるのかという視点で考え、発言する人が多かったです。
 社会保障分科会に出た加藤みどりさんからも後で同じ感想を聞きましたが、いろんな人が集まることで何かを変えていく力になれば、と希望を持ちます。

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投稿 韓国の精神医療散見

東谷 幸政 (NPOわくわく)

 韓国最大の精神病院、アジア最大の精神病院であるかもしれない龍仁(yon-inn)病院(龍仁市・2,400床)に勤務していた友人が独立し、診療所と病院を開業したと聞いてお祝いに行った。場所はソウルの南東のベットタウンである城南(son-nam)市である。彼はACT-K(KOREA)の現場責任者として1998年からソウル周辺でコミュニティ・メンタルヘルスセンターを次々立ち上げ、その現場責任者として診療とデイケアとアウトリーチの実践を展開してきた。ソウル特別区のホームレスメンタルケアの責任者も務めてきた。わくわくの韓国旅行の際には彼が運営責任者を務めるグループホームに泊めていただいたりもし、当事者同士の交流も実現した。逆に彼が来日した際には、当法人のホームに泊まり、日本のホームを体験してもらった。
地下鉄の改札を出ると、高 泳(ko-young)さんが出迎えてくれていた。いつもの見慣れた黒い登山ズボンに黒のポロシャツ、サンダル姿である。ラフな格好がポリシーらしい。去年の春、彼の運転で韓国南部を旅して回った。特に感銘を受けたのは、「辺山共同体」という、ゆるやかな生活共同体だった。自然農の農場、味噌や醤油、薬酒などの醸造場などを大規模に展開していて、こころを病んだ経歴のある人が役割をもち、ケアされる対象としてでなく、地域社会に生きる仲間として生きている姿がとても印象的だった。高さんも僕も、脱病院・脱施設の最終目標として、このような地域の中でともに生きることをめざしている。病院運営や施設運営はそのための手段であり、バックアップの役割と考えている。そうでなければ、イリイチのいうような自動運動のために、変質し腐敗していくことは避けられない。
今回開業したクリニックと病院は都市型精神科医療の典型ともいえるものだろう。「ここから、どのくらい?」と聞くと、高さんは、「1分。」と答えた。周りを見回すが、病院らしき建物は見当たらない。大きなオフイスビルが立ち並び、ショッピングセンターの看板が目立つ。彼について行くと、地下鉄の駅の脇にある大きな雑居ビルに入っていった。1階は商店が立ち並んでいる。奥にはレストランやら飲み屋が数多く入居している。訪れたのが夕方だったせいか、すでに飲み始めた人々でごったがえし、大変にぎやかだ。一番奥に行くと、エレベーターがあり、2階で降りた。すぐ前には精神科のクリニックの看板が2つ並んで立っている。左が高先生の「共生クリニック」、右が金先生の「夢を見るクリニック」である。二人の写真入りだ。外から見た分には、これが精神病院とは見えない。ただの精神科診療所だ。・・・・

以下、全文は、おりふれ通信274号(2008年10月号)でお読み下さい。
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あと出しジャンケンの弁11 「医療観察法体制」の全面展開としての「省令改悪」

岡本省三

「私にとって書くに値するのは、自明的でない事柄か、既に他の人びとによっては論じ尽くされていない事柄である」(L.フォイエルバッハ『宗教の本質に関する講義』1849)

一、目的と構成
 現代ネオリベラリスト国家が必然的に指向し、そして実現しつつある「超管理・超監視“治安”国家」(2007年3・4月号拙稿)の不可欠の環・純然たる「治安法」として規定される「医療観察法」(以下「本法」)は、嘗て挫折した「保安処分」には到底為し得なかったであろう「成果」を既に収めてきた。
 恐らくは「立法者」の当初の意図をも超えるこの「治安法」としての成果を一層強固にし、全社会的に展開・瀰漫せしめる機能を、「省令改悪」は現実には、その帰結においては、賦与されているものとして規定せざるを得ない。
 本法の歩みを、幾度となく「最早機能不全」だの、果ては「破綻」とすら評価することを行ってきた多くの皮相な(失礼!)批判者・解釈者達にとっては恐らく荒唐無稽な「暴論」に相違ないこの結論を立証することが拙文の意図である。(私をして「シニックな傍観者」だの「揚げ足取り」だの「アラ捜し屋」だのと誣いる人は今はもうおるまいが)
 まず「予備的考察」において本法の犯罪的凶暴性と「完璧な虚構性」とを[A]法律論的検討、[B]医学的検討によって徹底的に暴露し、その上で「省令改悪」の意味を展開立証することとする。
 従って本稿は以上の二部により成る。

二、予備的考察
[A]法律論的検討
 「保安処分」企図を児戯に等しいものとする本法の異常な凶暴性(それはわずか一年後、今度は遂に「挙国一致」(反対票2票)で可決成立せしめた「裁判員法」の、ケタ外れの凶暴性にとっていわば坦々たる路を準備した「下稽古」である)
 本法はちょっとした小細工だけで次の大戦果を挙げている。即ち、憲法第37条(刑事事件における公平な公開裁判)、同第39条( 遡及処罰の禁止・一事不再理)の絶対的規範をいともたやすく一挙に廃棄し無効にすることに成功した。「保安処分」にとってのこの「鉄のクビキ」は今や跡形もない。(「付則第2条」による外見的合憲性は、本法の本質への小さなトゲであり、相互に共存し得ない。為に権力は必要なときこれを「削除」してこの矛盾を「解決」することができる。) これは一体全体何を意味しているのか。例で説明してみよう。(イ).20年前、一度「対象行為」を行った「対象者」あり、とせよ。この同一人物が2005年7月15日以降「再び同様の対象行為を行」わない「保証」などがあろうか。かくして、この昔の「対象者」はその死が終止符を打つまでの気の遠くなるような未来にわたって絶対に避け難く「医療&観察」の「対象者候補」であり続ける。本法にとってそれは自明であり、またそうでなければ本法の趣旨は「生かされない」。
(ロ).50年後にもう一度「対象行為」を行う「対象者候補」があっても不思議ではなく、さすればこの、「昔の対象者」は再度「現役復帰」を強いられる。
(ハ).同一「対象行為」が何度でも繰り返されない保証もまた有り得ぬ以上、この「三番目のお方」はこれから何度でも「現役復帰」させられる(以下同様)・・・・
 本法の徹底的違憲性・凶暴性・その畏怖すべき本質はこの法律論的検討によっても既に明白である。

[B]医学的検討
①再犯予測はもとより根拠をもたない(注 中島直『犯罪と司法精神医学』(2008)批評社、第9章参照)、故に②予測不能の「再び同様の対象行為を行う恐れ」とやらに施すと称する「医療&観察」はその客観的根拠を一切持たない。委細を極める本法も、既にこの段階で「二重の虚構」のうえに創作された「土台なき空中楼閣」・「架空の存在」であることを暴露している。
 その出発点において一切の科学的・客観的・実証的手続きと絶対的に訣別して「創作」されている以上、権力がこれに与える内容規定の一切はただ「恣意性」のみがこれを賦与しうる。この「完全な無根拠性」=「無にのみ立脚しているという本質」から、如何なる客観性・合理性・実証可能性などの「無用な制約」からも「医療&観察」の内容規定は予め完璧に解放されている。とすればそこにはおよそ如何なる代物であれ一切合財が免責され、完全な恣意、デタラメが支配する。「医療&観察」の内容規定はおよそ何でもよく、そこでは「何でもあり」と「何もなし」とは全く同義である。 かくして「省令改悪」はまたしても一切の「学問的批判、要請」から無傷でスリ抜けてしまうのである。誰がバッターになっても全員が予め「三球三振」なのだ。権力の唯一の要請はただ「切れ味のよい治安法」たることのみである。

三、省令改悪は何をもたらすか
             (以下次号)

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