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あと出しジャンケンの弁Ⅵ ネオリベラリズムと「福祉」の運命(承前) ー「福祉は自己責任である」安部晋三著(?) 『美しい国へ』 2006ー

岡本省三
                        
総理国会答弁より
「格差?そんなものはない!なに?ある?あってどこが悪い!」(小泉)
「もし地域格差があると思う人があるとするならば・・・」(安部)

一 おことわり
 私は古稀に近い老人であるからして、皆様を難渋させている蒼古な文体はひとえにトシのせいです。一方、昔の文士の伝統的難読原稿並の私の手書き原稿。それが〆切りギリギリに、FAXで「おりふれ」編集部に飛び込むのですから、多少の「原文との不一致」は例の「受忍の範囲」。正誤表などヤボなことはとてもとても・・・。しかし、この前の敬慕する埴谷雄高氏からの借りもの、こればかりは何としても泉下十年の氏に申し訳がたちません。で、次のとおりです。『鞭と独楽』からの「・・・この鞭がなければ、自分ひとりでは走っていられない」は、「立って・・・」となります。

二 本稿の意図の再確認
 前号前置きのとおり、「事態が今やその理論的検討を不可欠かつ不可避であることを明らかに要請している」ところの「ネオリベラリズムなるものの(中略)平明で具体的な本質的解明」への初めての本格的試み、であって如何なる意味でも「地業研」いわんや「反貧困ネットワーク」への批判それ自体を意図するものではない。誤解を避けるため再言する。

三 (上)への補足
 最早実証的データは不要に等しい。但し次の補足のみ行う。
1)急増する高齢者世帯の生保受給総数は、2003年度以降絶対減に転じている。
2)かの大阪市の驚くべき「創意工夫」を紹介する。即ち多年の慣行として各地で確立している便法に対し、市は支援団体所在地を住所地として登録して生保を受給していた大量の釜ヶ崎の住民を「虚偽、違法」な登録の故を以て一挙に抹消=生保剥奪を強行した。その根拠は言うまでもなく「生活保護法違反」の一片の国家官僚作の通達である。
3)「対象文」が詳述する「確定勝訴判決例」について
 それは以下のとおり極めて限定された、がんじがらめの制限下にある。即ち①提訴そのものがほとんど不可能に近いこと ②勝訴→確定は稀有の奇跡に等しいこと ③司法的救済の効果は勝訴者本人にのみ及び、一般遡及力を持たないのみならず、行政がこれにすら服するのはほとんど「奇蹟中の奇蹟」であること。
 なお、これらに加えて次の如きネオリベラリズムの直接の所産としての圧倒的な趨勢に言及する必要があろう。(A)司法の行政への従属と一体化、癒着(B)法曹三者一体化、即ち最高裁・検察・日弁連の実質的合体の進行による法曹界丸ごと総がかりでの「司法自体のネオリベラリズム権化」(本紙の制約を考慮して、以下主な事実のみ羅列する)◎言語指示地検の法務省への「移譲」◎ド素人による重大刑事犯限定の「人民裁判」(裁判員制度が2009年度導入)◎マスメディア「良心派弁護士」バッシングキャンペーンの底なしエスカレーション。

四 ネオリベラリズムとは何か
(1)ネオリベラリズム(以下NLと略)に理論があるのか ーNL慣用語辞典精読ー
 慣用語は皆様以前からイヤと言うほど注ぎ込まれていてスッカリおなじみ。どころかご愛用の方々も少なくありません。早い話、かの偉大な障害者権利条約こそ、このNL語彙(思想?理論?)の宝庫ではないか!
 さて精読は「効率的」(これもNL用語?)にやります。
(ア)「努力する者は必ず報われるのです。皆さんが全員ビルゲイツになれるのです」(竹中平蔵蔵相、2001年第一回タウンミーティング、青森)これこそ、NLの宣言たり綱領たる文章。NL「理論」のタネもシカケもまず80%はこれに尽きる。何故か。「必ず」となっているから。即ちこの命題から、次のトンデモNL理論が飛び出す。→「報いられていない者は必ず努力しなかった者である」この帰結は何人にも反論不可能であり、かつ絶対的な妥当性を有する。
 ついで、さらに驚くべき帰結が自然に導かれる。即ち「努力したかしなかったかは、報いられているか否かだけで判断される」これ又批判の余地がない。報いられていることが努力したことを証する唯一の要件なのです。
 同様にして第三の帰結「報いられていない者は努力しなかった者だけである」→「必死で努力したが報いられなかった。又は努力したかったがどうしてもできず・・・」は背理であり、論理的にあり得ないことになる。
 こうなると、最早この「理論」なるものがおよそあらゆる人間的事象に真っ向から反し、全世界ではるか昔から事実によって反駁されてきた、又これからも反駁され続ける如き荒唐無稽な背理そのものであり、正しく犯罪的なデマゴギーであり、ただのペテンに過ぎないことは何人にも明らかであろう。
 皆さん、そうじゃありませんか?NLなんて皮をちょっとむいただけで、もうこんな代物だったのだ!! そして、しかも、にもかかわらず、正に全地球上を徘徊し、信じられない暴威をほしいままにしているんだ!!
 先を続けてみよう。
「報いられる」「報いられている」とは?これも簡単。つまり「マネー」。人間の理想とも美しいもののすべてとも、学問芸術、文化とも一切全然関係のないただの数字だけ!!
 つぎ!「報いられていない」とは?「マネーのないやつ」つまり貧乏人、贅沢のできない奴ら、ホームレス、失業者、ネットカフェ難民、過労自殺するアホ、こいつらが報われていない人間イコール努力しなかった人間!
(オカモトさん言い過ぎてません?そこまで言っていいの?)いや、これこそが「報われた者」の掛け値なしの本音なのです。彼らが公言していることなのです。
 次に進みましょう。「自己選択」「自己決定」(「自己責任」)はどうでしょう?
[定義1]人は努力するか、しないかを自己選択・自己決定する。言い替えれば報いられることにするか、それとも報いられで泣きを見るかを人は自己の自由な、無制約な意思のみによって自ら選択し、決定する。またそうできることがおよそ人間存在なるものの根本規定である。
 以上が愛好者・ファン少なからぬらしい、この魅力的な用語の真の、唯一の意味内容です。あとでこの二語が唯一どころではなく、実に「人間は神様並でなければならない。即ち、あらゆる未来・可能不可能な将来をすべて見通す力を予め賦与されている」ことすら、「自己選択・自己決定」に含意されていることをNLの生んだ実例に基づいて存分に証明致しましょう。
 さて「自己責任」。これはとても簡単。「自分で決めたことの責任は自分でとる。全部とる。とらなければならない」というあったり前のこと。ところが、ここから又こうなってくる!「およそ人は自分が今どうなっているか(=報いられているか、いないか、餓死するか過労死するか)、何から何まで自分の責任。ヒトのせいとか、社会が悪いからとか言わせやしねえぞどうです、分かりましたか?
       一 おことわり
 私は古稀に近い老人であるからして、皆様を難渋させている蒼古な文体はひとえにトシのせいです。一方、昔の文士の伝統的難読原稿並の私の手書き原稿。それが〆切りギリギリに、FAXで「おりふれ」編集部に飛び込むのですから、多少の「原文との不一致」は例の「受忍の範囲」。正誤表などヤボなことはとてもとても・・・。しかし、この前の敬慕する埴谷雄高氏からの借りもの、こればかりは何としても泉下十年の氏に申し訳がたちません。で、次のとおりです。『鞭と独楽』からの「・・・この鞭がなければ、自分ひとりでは走っていられない」は、「立って・・・」となります。

二 本稿の意図の再確認
 前号前置きのとおり、「事態が今やその理論的検討を不可欠かつ不可避であることを明らかに要請している」ところの「ネオリベラリズムなるものの(中略)平明で具体的な本質的解明」への初めての本格的試み、であって如何なる意味でも「地業研」いわんや「反貧困ネットワーク」への批判それ自体を意図するものではない。誤解を避けるため再言する。

三 (上)への補足
 最早実証的データは不要に等しい。但し次の補足のみ行う。
1)急増する高齢者世帯の生保受給総数は、2003年度以降絶対減に転じている。
2)かの大阪市の驚くべき「創意工夫」を紹介する。即ち多年の慣行として各地で確立している便法に対し、市は支援団体所在地を住所地として登録して生保を受給していた大量の釜ヶ崎の住民を「虚偽、違法」な登録の故を以て一挙に抹消=生保剥奪を強行した。その根拠は言うまでもなく「生活保護法違反」の一片の国家官僚作の通達である。
3)「対象文」が詳述する「確定勝訴判決例」について
 それは以下のとおり極めて限定された、がんじがらめの制限下にある。即ち①提訴そのものがほとんど不可能に近いこと ②勝訴→確定は稀有の奇跡に等しいこと ③司法的救済の効果は勝訴者本人にのみ及び、一般遡及力を持たないのみならず、行政がこれにすら服するのはほとんど「奇蹟中の奇蹟」であること。
 なお、これらに加えて次の如きネオリベラリズムの直接の所産としての圧倒的な趨勢に言及する必要があろう。(A)司法の行政への従属と一体化、癒着(B)法曹三者一体化、即ち最高裁・検察・日弁連の実質的合体の進行による法曹界丸ごと総がかりでの「司法自体のネオリベラリズム権化」(本紙の制約を考慮して、以下主な事実のみ羅列する)◎言語指示地検の法務省への「移譲」◎ド素人による重大刑事犯限定の「人民裁判」(裁判員制度が2009年度導入)◎マスメディア「良心派弁護士」バッシングキャンペーンの底なしエスカレーション。

四 ネオリベラリズムとは何か
(1)ネオリベラリズム(以下NLと略)に理論があるのか ーNL慣用語辞典精読ー
 慣用語は皆様以前からイヤと言うほど注ぎ込まれていてスッカリおなじみ。どころかご愛用の方々も少なくありません。早い話、かの偉大な障害者権利条約こそ、このNL語彙(思想?理論?)の宝庫ではないか!
 さて精読は「効率的」(これもNL用語?)にやります。
(ア)「努力する者は必ず報われるのです。皆さんが全員ビルゲイツになれるのです」(竹中平蔵蔵相、2001年第一回タウンミーティング、青森)これこそ、NLの宣言たり綱領たる文章。NL「理論」のタネもシカケもまず80%はこれに尽きる。何故か。「必ず」となっているから。即ちこの命題から、次のトンデモNL理論が飛び出す。→「報いられていない者は必ず努力しなかった者である」この帰結は何人にも反論不可能であり、かつ絶対的な妥当性を有する。
 ついで、さらに驚くべき帰結が自然に導かれる。即ち「努力したかしなかったかは、報いられているか否かだけで判断される」これ又批判の余地がない。報いられていることが努力したことを証する唯一の要件なのです。
 同様にして第三の帰結「報いられていない者は努力しなかった者だけである」→「必死で努力したが報いられなかった。又は努力したかったがどうしてもできず・・・」は背理であり、論理的にあり得ないことになる。
 こうなると、最早この「理論」なるものがおよそあらゆる人間的事象に真っ向から反し、全世界ではるか昔から事実によって反駁されてきた、又これからも反駁され続ける如き荒唐無稽な背理そのものであり、正しく犯罪的なデマゴギーであり、ただのペテンに過ぎないことは何人にも明らかであろう。
 皆さん、そうじゃありませんか?NLなんて皮をちょっとむいただけで、もうこんな代物だったのだ!! そして、しかも、にもかかわらず、正に全地球上を徘徊し、信じられない暴威をほしいままにしているんだ!!
 先を続けてみよう。
「報いられる」「報いられている」とは?これも簡単。つまり「マネー」。人間の理想とも美しいもののすべてとも、学問芸術、文化とも一切全然関係のないただの数字だけ!!
 つぎ!「報いられていない」とは?「マネーのないやつ」つまり貧乏人、贅沢のできない奴ら、ホームレス、失業者、ネットカフェ難民、過労自殺するアホ、こいつらが報われていない人間イコール努力しなかった人間!
(オカモトさん言い過ぎてません?そこまで言っていいの?)いや、これこそが「報われた者」の掛け値なしの本音なのです。彼らが公言していることなのです。
 次に進みましょう。「自己選択」「自己決定」(「自己責任」)はどうでしょう?
[定義1]人は努力するか、しないかを自己選択・自己決定する。言い替えれば報いられることにするか、それとも報いられで泣きを見るかを人は自己の自由な、無制約な意思のみによって自ら選択し、決定する。またそうできることがおよそ人間存在なるものの根本規定である。
 以上が愛好者・ファン少なからぬらしい、この魅力的な用語の真の、唯一の意味内容です。あとでこの二語が唯一どころではなく、実に「人間は神様並でなければならない。即ち、あらゆる未来・可能不可能な将来をすべて見通す力を予め賦与されている」ことすら、「自己選択・自己決定」に含意されていることをNLの生んだ実例に基づいて存分に証明致しましょう。
 さて「自己責任」。これはとても簡単。「自分で決めたことの責任は自分でとる。全部とる。とらなければならない」というあったり前のこと。ところが、ここから又こうなってくる!「およそ人は自分が今どうなっているか(=報いられているか、いないか、餓死するか過労死するか)、何から何まで自分の責任。ヒトのせいとか、社会が悪いからとか言わせやしねえぞどうです、分かりましたか?一 おことわり
 私は古稀に近い老人であるからして、皆様を難渋させている蒼古な文体はひとえにトシのせいです。一方、昔の文士の伝統的難読原稿並の私の手書き原稿。それが〆切りギリギリに、FAXで「おりふれ」編集部に飛び込むのですから、多少の「原文との不一致」は例の「受忍の範囲」。正誤表などヤボなことはとてもとても・・・。しかし、この前の敬慕する埴谷雄高氏からの借りもの、こればかりは何としても泉下十年の氏に申し訳がたちません。で、次のとおりです。『鞭と独楽』からの「・・・この鞭がなければ、自分ひとりでは走っていられない」は、「立って・・・」となります。

二 本稿の意図の再確認
 前号前置きのとおり、「事態が今やその理論的検討を不可欠かつ不可避であることを明らかに要請している」ところの「ネオリベラリズムなるものの(中略)平明で具体的な本質的解明」への初めての本格的試み、であって如何なる意味でも「地業研」いわんや「反貧困ネットワーク」への批判それ自体を意図するものではない。誤解を避けるため再言する。

三 (上)への補足
 最早実証的データは不要に等しい。但し次の補足のみ行う。
1)急増する高齢者世帯の生保受給総数は、2003年度以降絶対減に転じている。
2)かの大阪市の驚くべき「創意工夫」を紹介する。即ち多年の慣行として各地で確立している便法に対し、市は支援団体所在地を住所地として登録して生保を受給していた大量の釜ヶ崎の住民を「虚偽、違法」な登録の故を以て一挙に抹消=生保剥奪を強行した。その根拠は言うまでもなく「生活保護法違反」の一片の国家官僚作の通達である。
3)「対象文」が詳述する「確定勝訴判決例」について
 それは以下のとおり極めて限定された、がんじがらめの制限下にある。即ち①提訴そのものがほとんど不可能に近いこと ②勝訴→確定は稀有の奇跡に等しいこと ③司法的救済の効果は勝訴者本人にのみ及び、一般遡及力を持たないのみならず、行政がこれにすら服するのはほとんど「奇蹟中の奇蹟」であること。
 なお、これらに加えて次の如きネオリベラリズムの直接の所産としての圧倒的な趨勢に言及する必要があろう。(A)司法の行政への従属と一体化、癒着(B)法曹三者一体化、即ち最高裁・検察・日弁連の実質的合体の進行による法曹界丸ごと総がかりでの「司法自体のネオリベラリズム権化」(本紙の制約を考慮して、以下主な事実のみ羅列する)◎言語指示地検の法務省への「移譲」◎ド素人による重大刑事犯限定の「人民裁判」(裁判員制度が2009年度導入)◎マスメディア「良心派弁護士」バッシングキャンペーンの底なしエスカレーション。

四 ネオリベラリズムとは何か
(1)ネオリベラリズム(以下NLと略)に理論があるのか ーNL慣用語辞典精読ー
 慣用語は皆様以前からイヤと言うほど注ぎ込まれていてスッカリおなじみ。どころかご愛用の方々も少なくありません。早い話、かの偉大な障害者権利条約こそ、このNL語彙(思想?理論?)の宝庫ではないか!
 さて精読は「効率的」(これもNL用語?)にやります。
(ア)「努力する者は必ず報われるのです。皆さんが全員ビルゲイツになれるのです」(竹中平蔵蔵相、2001年第一回タウンミーティング、青森)これこそ、NLの宣言たり綱領たる文章。NL「理論」のタネもシカケもまず80%はこれに尽きる。何故か。「必ず」となっているから。即ちこの命題から、次のトンデモNL理論が飛び出す。→「報いられていない者は必ず努力しなかった者である」この帰結は何人にも反論不可能であり、かつ絶対的な妥当性を有する。
 ついで、さらに驚くべき帰結が自然に導かれる。即ち「努力したかしなかったかは、報いられているか否かだけで判断される」これ又批判の余地がない。報いられていることが努力したことを証する唯一の要件なのです。
 同様にして第三の帰結「報いられていない者は努力しなかった者だけである」→「必死で努力したが報いられなかった。又は努力したかったがどうしてもできず・・・」は背理であり、論理的にあり得ないことになる。
 こうなると、最早この「理論」なるものがおよそあらゆる人間的事象に真っ向から反し、全世界ではるか昔から事実によって反駁されてきた、又これからも反駁され続ける如き荒唐無稽な背理そのものであり、正しく犯罪的なデマゴギーであり、ただのペテンに過ぎないことは何人にも明らかであろう。
 皆さん、そうじゃありませんか?NLなんて皮をちょっとむいただけで、もうこんな代物だったのだ!! そして、しかも、にもかかわらず、正に全地球上を徘徊し、信じられない暴威をほしいままにしているんだ!!
 先を続けてみよう。
「報いられる」「報いられている」とは?これも簡単。つまり「マネー」。人間の理想とも美しいもののすべてとも、学問芸術、文化とも一切全然関係のないただの数字だけ!!
 つぎ!「報いられていない」とは?「マネーのないやつ」つまり貧乏人、贅沢のできない奴ら、ホームレス、失業者、ネットカフェ難民、過労自殺するアホ、こいつらが報われていない人間イコール努力しなかった人間!
(オカモトさん言い過ぎてません?そこまで言っていいの?)いや、これこそが「報われた者」の掛け値なしの本音なのです。彼らが公言していることなのです。
 次に進みましょう。「自己選択」「自己決定」(「自己責任」)はどうでしょう?
[定義1]人は努力するか、しないかを自己選択・自己決定する。言い替えれば報いられることにするか、それとも報いられで泣きを見るかを人は自己の自由な、無制約な意思のみによって自ら選択し、決定する。またそうできることがおよそ人間存在なるものの根本規定である。
 以上が愛好者・ファン少なからぬらしい、この魅力的な用語の真の、唯一の意味内容です。あとでこの二語が唯一どころではなく、実に「人間は神様並でなければならない。即ち、あらゆる未来・可能不可能な将来をすべて見通す力を予め賦与されている」ことすら、「自己選択・自己決定」に含意されていることをNLの生んだ実例に基づいて存分に証明致しましょう。
 さて「自己責任」。これはとても簡単。「自分で決めたことの責任は自分でとる。全部とる。とらなければならない」というあったり前のこと。ところが、ここから又こうなってくる!「およそ人は自分が今どうなっているか(=報いられているか、いないか、餓死するか過労死するか)、何から何まで自分の責任。ヒトのせいとか、社会が悪いからとか言わせやしねえぞどうです、分かりましたか? (続きは次号。次号で完結)


        
       

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