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あと出しジャンケンの弁Ⅴ 障害者権利条約は光に面するか闇に面するか(承前)ー条約はそもそも何かを約束しているのか?ー 

岡本省三

一 承前
 前稿の課題(「拘束力」問題)は、そこでの予備的検討によって今やそもそも「課題」ですらあり得ないことをほぼ暴露した、と考える。
 一方、本紙の性格などの制約は未完部分の充分な補足を許さぬであろう。よって以下で最小限度の確認のみを行うに留める。
即ち①「階級支配装置にして幻想の共同体」との「国家」の古典的本質規定は依然として有効であること。②極めて多様な歴史的・理論的諸要因の結果と「しての「階級範疇の“不可視化”」。③ネオリベラリズム段階における「支配装置」の究極的完成。

二 条約はそもそも何であるのか
 最初にお断りする。本条約が「障害者の権利」条約であることに何かことさらに、特別の「画期的意義」を見出し得るかの如きハヤリの言説については、その不毛さの故にこれに触れることをしない。
 ご不満の向きにはさし当たり次の二書をおすすめする。『人権宣言集』『世界憲法集』(いずれも岩波文庫所収)
 人はそこに置いて、本条約、なかんずく「前文」中に現れる少なくとも8つの「人権条約・規約・憲章」の類に遥かに先行し、実に「マグナ・カルタ」(13世紀)に淵源するほとんど無数の「人類多年の苦闘の成果」(日本国憲法第97条)としての最広義の「人権法規定」が発生し、成熟し、そして完成に至っていることを見出し、しかもそれらがその根源的普遍性の故に、そもそも「障害者の除外=排除」などを許容しているはずもない、という当たり前すぎる発見に逢着するであろう。

 さて我々は何者か?我々の「第一規定」は何か?我々(精神病者・知的障害者のほぼすべて、身体障害者の相当部分)は、何よりもまずその属性によって「世」の嫌悪・忌避・嘲弄・恐怖などなどの対象たること、即ちいわゆるstiguma,prejudice(らく印・偏見のターゲット(的)犠牲者である。
 この「第一規定」=「社会的被規定性」から必然的に派生する結果として、「世間からの排除」、即ちいわゆる「差別」が我々を襲うこととなる。
 上述の如く、近代社会が「抽象的理念」=「法的カテゴリー」としては「実現」した「万人の平等・対等性」が、かくして現実的には我々から剥奪されている。(この「非人間化」の現実は「地域福祉施設の拡充」などがほとんど全く解決し得ない宿命として留まり続ける。)
 人或いは問うであろう。ー何を今更そんな当たり前のことを?その理由はまさに当の「権利条約」の本質そのものの解明が明らかにするであろう。
 条約は驚くべし!およそ「スティグマ・偏見」なる言葉を(これなくしては我々をそもそも語り得ないその言葉を)欠いている!
 そしてそのカラクリは、繰り返し頻出する「差別」なるコトバが、正に上の本質規定を全く喪失し、或いはより正しくは変質させられて、およそ別の代物へと「意味変換」されていることの結果である。では条約は一体何を説くのか?
 ☆「障害」概念の、「個人帰属性」から「社会的バリア」への決定的・致命的転換がこれである。
(元より「障害」が〔病者にあっては一義的に「障害」とは言えぬことにはここでは立ち入らない〕個々人が有する属性であること自体を条約が直ちには否定していないことはいわば当然であるが)この「転換」は次のことを意味するとされる。即ち、「社会」が必要な手段を講ずることによって「障害者」の「能力発揮」の障害、即ち社会的バリアを撤廃し消滅させさえすれば、「障害者」は支障なしに現存の「競争社会」に「参加」し、そして「普通人」と同じスタートラインに立って「努力」し、「報われる」ことができるのだ・・・と。
 この「教義」は、本条約の核心部分において「機会の平等」「自己選択」「自己決定」などなど、たしかどこかで頻繁に見受けられる用語で説かれている。
 さて、「社会的バリア」の撤廃・消滅を意味する「キーワード」としてのいわゆる「合理的配慮」(この拙劣な迷訳を、およそ次のように「意訳」する必要があろう。即ち「正義にかない、かつ必要な法的・制度的・物的諸条件の整備」と。)
 次に進もう。さて、こうなるとかの「合理的配慮」の「徹底」「完了」はどうやら論理的かつ実質的に(少なくとも本条約では!)「障害の個人帰属性」そのものの無意味化、ないし否定(=「障害は無いも同然」)との背理に帰着しはしないであろうか。
 そしていよいよこうなれば、更には「障害者概念そのもの」の無化・蒸発、従ってそもそも「らく印・偏見」など最初から持ち出すまでもなかった!ことになるまいか?!

三 総論
 かくて本条約は、どうやら我々にとって最悪の「鬼っ子」として生まれたのではないか。さらにそれは実に「ネオ・リベラリズム」の貫徹そのものではないのか!

(追記)いわゆる「強制医療」問題については次を参照せよ。メアリー・オヘイガン著、長野英子他訳『精神医療ユーザーのめざすもの』(1999年、解放出版社)48・49頁

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