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もうガマンできない!3.24東京集会

東京地業研 内山智絵

前々号でご紹介したこの「3.24東京集会」は、おかげさまで会場の収容人数をはるかに超える、420人もの人たちが集まり大盛況だった。
 労働・多重債務・障害者・DV被害者など、9名の当事者が発言し、シンポジウム、そして最後に「貧困をもたらすあらゆる差別を撤廃することなどを国に求め、この集会を機に人間らしい生活と労働の保障を求めてさらに多くの人と連携と連帯をすすめていく」という集会宣言を採択した。
 わたしは仕事を続ける中で、精神障害に対する差別や偏見を肌で感じてきた。そして、精神障害と同じく正しく理解されていない存在と感じ、野宿者の支援とハンセン病の実態調査にも加わった。その時自分が思っているよりも、世の中は変わっていないのだということを思い知らされた。
  3.24東京集会の実行委員会には、様々な分野の人間が集まった。「差別・偏見・無知の根っこを断ち切るためにはいろんな分野がつながりあっていかなければ」という思いで集会をつくりあげてきた。
 絶対にこれで終わりにはしない。したくない。社会に「新しい根っこ」をはりめぐらせるため、もうひとふんばりしたいと思っている。
 精神障害者、とりわけ長期在院者の人たちに思いをめぐらせると、「労働」や「社会保障」という以前に、「まず隔離収容をやめよ」と叫ばなければならない。まずは今回出会った、他分野で活動する仲間たちに、そして多くの人たちに訴え続けなければならないと思っている。

以下、当事者として参加した石井さんの発言も合わせてお読みください。

石井真由美の当事者報告  
生きることは大変だけどー精神医療ユーザーの立場から

<精神病院への入院>
私がはじめて精神病院に入院したのは、10代の後半。拒食症がきっかけでした。
私にとって入院体験はサバイバルの一語につきました。精神病院では「患者の医療と保護のため」という理由で、さまざまな制限や規則があるのが普通のこととなっています。鍵のかかった閉鎖病棟。電話、手紙、外出、外泊の許可。煙草やジュースの制限や持ち物検査。私が入院した頃は、私たち患者が外へ出す手紙の検閲も当たり前にされていました。規則を破ると外出禁止、閉鎖病棟へ移されるなどのペナルティをくらいます。そこで医師が絶対の権力を持つ、ピラミッド構造のような力関係。
私は病気をなおすために入院させられたはずなのに、病院では安らぎもなく、休まらず、対人緊張、睡眠障害、ウツ、自殺未遂・・・と症状がどんどん増えていきました。

<生活保護を申請する>
こうして20代は入退院の繰り返し、30代はカウンセリングに通いながら1人暮らしも始めていた私が、生活保護にかかったのは9年くらい前のこと。父の仕事がなくなり、突然家からの援助を切られることになったので、ショック状態のままカウンセラーの勧めで、あまり考えたり準備も整えず、1人で生活援護課へ電話しました。「どこに住んでんの?」「いくつ?」「なんで働かないの?」という責めを帯びた男性職員の質問が次から次にきました。働かないのではなく、働けない。なぜ働けなくなったかをほんとうに聞きたいのなら、私は2時間かけても話し足りない。でもこの人はそんなことを聞きたいのではない。ものすごい拒絶を感じ、パニック状態になってしまいました。でも訳の分からないまま必死で応答しているうちに「診断書」をもっていることを話すと、明らかに職員の態度が変わりました。相談日の予約と手続きに持っていくものを聞くことができました。

<生活保護での暮らし、私の場合>
生活保護が決まっても、私はアディクション、摂食障害があるので、まず決められた生活費の中でやっていけるか、ほんとうに不安でした。ウツのせいか、旅行とかオシャレとか、興味はあってもエネルギーがかかることはあまりできないので、そのへんの生活レベルを落とすことには、当時、不安も不満も感じませんでしたが、とにかく過食がでると食費に莫大なお金がかかるので、もしそうなって生保のお金を使い果たしてしまったらどうなるのか。当時通っていたカウンセラーに聞いたら「それはしかたない。入院ね」と言われ、精神医療、精神病院入院生活によるPTSD(外傷体験後のストレス障害)がある私は、不安と恐怖に圧倒されました。そもそも私は入院すると過食がひどくなるのに。なのでそれからは強迫的に貯金をしよう、具合が悪くなった時のために、少しでも節約してお金を貯めようとしましたが、カウンセリング代がかかり、通帳の残高はいつもギリギリでした。

<担当者によって、大変さが全然違う!>
生保を受けてしばらくして、障害基礎年金を申請し、遡及分約500万円をもらったので、生保を打ち切って暮らした時期があります。打ち切る時、担当のワーカーさんは、お金がなくなれば私の場合生保に戻るのは簡単だし、また手伝ってくれると優しい言葉をかけてくれました。でも再度申請に行った時、もうその人はおらず、戻る時の方が私にとっては大変でした。担当者の態度によって、大変さが全然違う!

<生活保護で変わる治療の選択肢>
生保にかかってから数年で、長く続けてきたカウンセリングをやめました。カウンセリングは保険が効かず、お金がかかります。私は長く続けた上で限界も感じて、お金の問題だけでなくやめたのですが、必要な時はまたそこに自分の居場所はあるのだと信じていました。しかしそこは、私が生保になってから料金減免してもらっていた制度もなくなり、今後私が、どんなにそこでの相談やサポートが必要になっても、生保の生活費から料金を捻出するのは完全に無理になりました。そのころ主治医が亡くなり通院先も変えることになったのですが、仲間が「生活していくための相談にのってくれるちゃんとしたケースワーカーがいる診療所を選んだ方がいい」と勧めてくれました。生保になると治療の選択肢がせばまり、医療機関を選ぶ基準も変わるのだと思いました。

<恥と罪悪感>
私は10代から入退院を繰り返し、世の中のことにとても疎くなっていたのですが、生活保護を受けることはかなり恥なんだ、ということを知りました。しかも私は精神の病気が理由なので、烙印だらけになり、いろんな妄想にとらわれ始めました。
「私は恥だ」「私は生きる価値がない」「私は役立たずのお荷物だ」 でもこう考えることは、同じく生保にかかっている人達を恥だと巻き込むことになるので、こんな烙印に負けてはならないという考えも出てきて、余計頭の中はグチャグチャになり、何に対しても、誰に対しても、理不尽だと思いつつ、深い罪悪感にかられるようになりました。
今も感じているのは、生保を受ける権利があるのに、受けられない人達がたくさんいる、でも自分は受けているという罪悪感。この罪悪感は、精神病院の長期在院の仲間にも感じます。

<「自分のせい」を超え、つながること>
実際、私が生保で生活していることで、税金を払っている人達に不満をぶつけられたこともあります。健常者から言われた時は、ただただ冷や水を浴びせられた気がして、無言で固まることしかできませんでした。でも仲間から、「病院代が只で、交通費まで払ってもらえて、いいご身分ね」と言われた時は、複雑な気持ちになりました。その仲間もお金に苦労していたからです。それでも、やはり生保を受けていることで責め立てられれば、仲間に対しても怒りや憎しみが沸いてしまう。だけど、ここで争うことは、全く悲しすぎて馬鹿げたことだと思います。私たちは怒りや不満を出す方向を見失ってはならないのだと考え、この時、私は自分の権利をちゃんと知り、必要に応じて言葉にしたいと思いました。

すべてが自分のせいだ、自分が悪いと思いこむと、余計な責任をとることになり、ちゃんとまわりの状況が見えなくなります。余分な責任とりはしないで、前向きに生きていきたい。生き抜くためにつながらないと、と思います。ひとりぼっちでなく、いっぱいいれば心強いし、しぶとく生きている人の姿を見ることで力をもらえる。つながることで自分の力になってもらえるかもしれないし、自分が力になれるかもしれない。もし、自分の問題以外のものがあれば、それらに対しては、その問題を起こしている人や場に、その責任をお返ししようと思います。
今日、皆さんのお話を聴いて、それらを見極め、自分に何ができるか考えたいと思います。

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「退院支援施設」強行実施!?

<編集部から>
 昨年夏、厚生労働省から急に提出された「退院支援施設」構想(精神病院内に病棟をリフォームした施設をつくるとするもの)については、当事者中心の厚労省交渉の経過や、この問題をテーマに開かれたシンポジウムのレポート、私たちが毎年執念で東京都に情報公開請求し、入手後集計・検討し続けている「精神病院統計」のデータから見て「退院支援施設」とはどう考えられるのかなどを掲載してきました。おりふれ通信の編集方針のひとつ「精神病院問題にこだわり続ける」から言っても、こんなにひどい
 結局厚労省は、3月23日を最後に交渉に応じようとせず、3月30日厚生労働省前に集まった私たちの緊急抗議集会の声を無視して、4月1日実施の姿勢を変えることがないまま経過しています。
 以下、これまでの交渉の中心的担い手の1人であったDPI日本会議事務局長尾上浩二さんが、仲間への報告として書かれた経過説明と問題点の整理を、尾上さんの許可を得て掲載します。

DPI日本会議 尾上浩二
 年度末の慌ただしい時期にも参加頂いた方々、反対声明等を出して頂いた方々をはじめ、皆様どうもご苦労さまでした。
 厚労省は3月23日には交渉継続を確認していたにも関わらず、その後、「代表とのみ会い、説明をする」として交渉を打ち切ってきました。
 3月23日以降も、精神医療・福祉従事者の組織である精従懇のシンポジウムでも「退院支援施設」の反対アピールが上がる等、障害当事者や関係者に反対が広がる中、4月1日に強行実施したことは決して許されるものではありません。
 厚生労働省の頑迷な姿勢から、かえって、この「退院支援施設」に関する内容のでたらめさが見て取れます。3月23日の交渉の内容でより明確になった論点(疑問点)を以下説明します。

 「精神障害者退院支援施設の運営等関する指導事項(案)」というもので、厚労省は「昨年から(私たちが指摘してきた)問題点を、これで払拭できる」と当初言っていましたが、私た
ちが一つひとつ質問を重ねていくと、それに対して満足に答えることができず、そのために、次回の話し合いの継続が3月23日には確認されていたのです。
 その時に、私たちが指摘していた問題のポイントのいくつかを下記に記します。
1.「地域移行推進協議会」の構成や人選について
 厚生労働省の説明は、「地域移行推進協議会」を設置し、「退院支援施設」の評価や地域移行の調整を図る(だから、「閉じ込めにはならない」?というわけです)。
 「地域移行推進協議会」のメンバーについては、「事業者(退院支援施設の設置者)、利用者、家族、受け入れ先の市町村の立場に立つ者、相談支援事業者、地域住民の代表等で構成する」と説明しました。
 しかし、このメンバーの内、誰が必須メンバーか尋ねても、「誰が必須かという形では決まっていない」と答えました。さらに、この「地域移行推進協議会」のメンバーの人選・任命、運営に当たる事務局は誰かと尋ねたところ、当該の「退院支援施設」を設置する事業者であると驚くべき答えが返ってきました。
 必須メンバーも決まっておらず、人選・任命、運営を当該の「退院支援施設」を運営する事業者に任せてしまえば、事業者にとって都合のよい者で構成して運営していくことができる仕
組みです。これでは、何一つ歯止めになるどころか、むしろ、それに「お墨付き」を与えてしまうことも可能となります。

2.ハード(設備)面での対応
 厚労省は、原則として病棟単位(フロアー単位)で転換する等、病院との一定の独立性を確保するとの説明がありました。
 「フロアー単位で転換」ということは、例えば、4階建ての病棟があった場合、1~3階は病院、4階は「退院支援施設」という構造が認められるわけです。これのどこが、病院との一定の独立性を確保することになるのか全く不可解といわなければなりません。むしろ、こんなことを書かなければならない程、看板をかけ替えるだけで「退院支援施設」に「移行」できる
ということを意味しています。
 3月23日の交渉では、さらに、「病院との一定の独立性を確保」とは何をもってなされるのか、例えばお風呂は別々でないといけないのか?と尋ねたところ、「ケースバイケース、お風呂は水回りの問題があるから別々にするのが難しい場合がある」との回答がありました。食堂や浴室等が同一でも認められるというわけです。これのどこが「一定の独立性」なのでしょうか?
 この点も、他にも玄関やトイレ、給食設備等々具体的に示してほしいと質問しても、答えられず、話し合いを継続することになっていました。

3.「病院-退院支援施設」間を往復することでの隔離の継続の問題
 私たちが、昨年から指摘してきたことの大きな問題点の一つに、病院と「退院支援施設」間の往復の問題があります。この両者の間をグルグル回すことで、一生、実質的には病棟に閉じ込められてしまう状態がつくられてしまいかねません。
 しかし、その点については、昨年9月の説明から何一つ付け加わるものはありませんでした。つまり、「標準利用期間は2年ないし3年で、更新申請に当たっては審査会で審査をすることでチェックする」ということでした。
 ですが、例えば、「4階の退院支援施設で訓練をしていたが調子を崩したので、再度、3階の病床に再入院。そして、急性期を過ぎたら、再度4階の退院支援施設に移って再チャレンジ」という場合は、この更新には当たらず新規となります。そうした医者の「診断」に審査会が関与できるはずもありません。この点の質問に対しては、「医療批判をしているのか?」と開き直りとも言える回答しかありませんでした。私たちからは、これまでの痛ましい歴史の経験に基づいて危惧しているということを言いましたが、この部分は資料に書いている説明の繰り返ししかありませんでした。

4.「退院支援施設」に移った者のカウントと「社会的入院者」の数
 同じく昨年から指摘した問題で答えがなかった問題として、「退院支援施設」に移った者のカウントの問題があります。
 「退院支援施設」に移ることで医療統計上は「医療から外れる」ことになります。そのことにより、(実態は変わらないのに)見かけだけの「精神科病床入院患者数」が減ることをもっ
て、「社会的入院解消へ前進」したとされてしまうと批判してきたわけです。
 昨年9月には厚生労働省も、「地域移行の途上にある者」ということになるが、統計上処理するかは検討するといっていました。しかし、そのことすらも明らかにされませんでした。

5.ソフト(運営)面での対応
 ここで示されている、外出訓練・グループホーム体験入居等の敷地外活動や、当事者活動(ピアサポート)の活用と言われるものは、「退院支援施設」とは本来関係なく、それ自体で充実させていくべきことです。
 ピアサポート等はこれまで何一つ制度的な支援がなく、手弁当で何とか続けてきたのが現状です。これまでも精神障害者の地域生活のあり方検討会等ではピアサポートの制度化が課題と
なっていました。しかし、その後、厚生労働省は何一つ具体化してきませんでした。にも関わらず、「退院支援施設」への批判に対して、あわてて「ピアサポートの活用」を持ち出してい
るに過ぎません。

 以上のように、3月23日のやりとりで、問題点はより明らかになってきたところでした。
明確になるような状態だったからこそ、厚労省は「代表者とのみ会い、説明をする」と切り換えてきたのだと言えます。
 その後も、私たちは粘り強く話し合いを求め、3月29日付けで(3月23日の交渉で明らかになった疑問を整理した)質問並びに要望書を提出しました。そして、3月30日当日まで何度にも渡る折衝を行いましたが、厚労省は頑なに「代表とのみ会う」との姿勢を最後まで崩さなかったのです。

 「私たち抜きに私たちのことを決めないで!」を合言葉に策定された障害者権利条約も各国が署名し、いよいよ発効します。そうした時に、厚労省は約束を反故にし、話し合いももたれずに、こんな「退院支援施設」構想が施行されることは、歴史の皮肉とも言えます。
 私たちは、障害者権利条約をも追い風にして、精神障害者をはじめ全ての障害者の地域生活の確立を求めて闘い続けていましょう。

 3月30日抗議行動のアピールにも示されている通り、当面、この「退院支援施設」を実態化させないための取り組みをしていきたいと思います。各地でも、都道府県の指定や、市町村障
害福祉計画の中で「退院支援施設」が進められることがないように働きかけて頂きますようお願いします。

 3.30厚生労働省前「病院敷地内退院支援施設構想」反対緊急抗議集会 参加者アピール
 本集会にお集まりの皆さん!厚生労働省は、われわれ当事者の粘り強い反対運動や精神医療・福祉従事者の強い反対、そして、マスコミの厳しい批判を受けながらも、当初予定していた4月1日実施を強行すると言う態度をついに最後まで、かえることはありませんでした。しかしながら、問題の核心であるところの「社会的入院者」の解消、長期入院者問題ならびに精神障害者の人権侵害問題解決に今回の強行実施がまったく繋がらないものであることは、火を見るよりも明らかです。
 本当の闘いの正念場は、むしろこれからです。
 このようなその場しのぎの安易な解消策は、決して本当の意味での「社会的入院者」の解消には繋がらない天下の愚策であることを、指定者である都道府県や支給決定に携わる市町村に対して、粘り強く訴えかけ、退院支援施設の実態化を阻止する運動に力を注いで行く必要があります。
 また、退院支援施設が「一つの選択肢」だと、あくまで言うのであるならば、他の選択肢にも個別の入院者の実情にあった退院支援策を、具体的に要求していく必要も当然あるでしょう。
 「本人」が、本当の意味で、多様な選択肢を選べるように、そして「本人」をエンパワメントできるような仕組みを作り上げていきましょう。
 皆さん、今後も、力を合わせて、「本当の意味での解決」に向けて、今後も粘り強く、取り組んでいきましょう!
           2007年3月30日 「退院支援施設構想」反対厚生労働省前抗議集会参加者一同

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投稿 学習会のお知らせ 精神疾患と薬ーかしこい利用者となるために

講師 八木剛平先生(精神科医 一般向けの『統合失調症の薬がわかる本』(ぜんかれん発行)で
            おなじみの先生です)
 日時 第1回 6月5日(火) 午後2時から5時
      統合失調症は脳病にあらず、薬だけで回復するのではない
   第2回 6月14日(木) 午後2時から5時
      抗精神病薬の実際、かしこい利用者となるための基本知識
 場所 東京都障害者福祉会館 都営地下鉄三田駅下車 JR田町駅下車
 資料代 300円    
 主催 全国「精神病」者集団     
連絡先 080-1036-3685 Fax 03-3738-8815   E-mail nrk38816@nifty.com

会員に限らず、「精神病」者でもまた他の方でもどなたでも参加できます。

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障害者欠格条項をなくす会情報ブックレット『NOからYESへ』出ました

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編集部木村朋子

1987年、精神衛生法が精神保健法に変わる時、国会の付帯決議で「精神障害者に対する資格制限等について検討を行うとともに、社会における精神障害者に対する不当な差別・偏見を解消するために必要な努力を払う」とされ、その後1999年には政府が「欠格条項見直し」を方針化しました。欠格条項がなくなることは前進ですが、規定はなくなっても、昨年11月号で澁谷さんがデイケアで市民プールを利用しようとした折、小学生の団体利用とかちあっているからという理由で一般利用客にはない利用制限をされたことを疑問に感じて、市民プール側と話し合いをもったという報告にもあったように、何もせず黙っていては人の意識は変わらないということだと思います。
 「欠格条項をなくす会」は、この“黙っていては変わらない”を体現したようなグループで、ニュースレターでもいつも元気をもらっています。今回の情報ブックレットはその会の活動、ひいては“日本の欠格条項の今”を知る恰好の1冊。元気をもらえる理由は、その活動が具体的で精力的ということがひとつ。ブックレットでも、いろんな障害者が、さまざまに闘って扉を開けてきたことがわかります。
 さらに違った見方、新しい価値を提示されることがふたつめです。これらのものの見方は「障害学」という新しい学問分野としてつくりあげられつつあるとのことですが、欠格条項をなくすだけでなく、同時に新しい価値を実現しようとするビジョンをもっているところがとても魅力的なのです。
 是非お勧めしたいです。

 全文はおりふれ通信4月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-401 おりふれの会


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『べテルの家の「非」援助論』を読んで

コミュニティサポート研究所 齋藤明子

253ページの本だがすすっと読めてしまう。でもマンガのセリフをいちいち読んでいると読むテンポが乱れるのでご注意。
 精神保健関係の人なら1度は聞いたことがある、あの『べてる』の“サクセスストーリー”だが、「べてる」語の“サクセス”を訳すと“散々苦労し続けることを成功と呼ぼう”という意味のように私には受け取れる。
 大部分の読者はこの本を読めば、同じ昆布の袋詰めが「社会復帰学級」では無残な結果に終わるのに、「べてる」では年商が億になるのは何故か、その理由がわかると考えるだろう。しかし、まず一気読みして、その後ペラペラめくってみたが、この点に関しては即、お役立ちのマニュアル本にはなっていない。

全体は5部構成で第2部の10章までが「べてる」の歴史で1章を除き向谷地さんが書いている。

誰も自分のことを知らないところに行きたいとか、暴れて救急車で緊急入院したという、追い詰められた人々に向かって医者やPSWが「あなたは浦河が求めていた人材です」とか「分裂病のジャンルを超えた有望な新人が来た」と本人に向かって語りかける余裕や同じ高さの目線が優しくすがすがしい。「『先生のおかげで治った』などという治り方は『もっとも良くない治り方』」とか、「薬は、症状の予防と緩和には効果があるが、いかに生きていくかというその人固有の人生課題の解決には当然のごとく無力である。」という文章もある。185ページの「『リハビリテーション』と『コミュニケーション』の違い」の表も、“果てしなきリハビリ”を拒否して“介助付きの自立生活”を選び取った四肢まひ者を支援してきた私には興味深かった。
 第4部のタイトルは「関係という力」。印象に残ったのは「不思議なことに、入退院を繰り返すほど元気さが増し、たくましさが増してくる」とか、看護職全員を対象に「精神障害者に対するイメージ調査」を実施したら「精神科病棟の看護婦の方が、他の部門の看護婦より『拒絶的態度』が15%も上回るという結果が出た」という箇所だった。医療関係者の考え方や態度に疑問を感じていた私にとって、味方発見!だったからである。
 第5部は向谷地さんと川村医師へのインタビューを収録している。これまでの内容を二人の「話し言葉」を通してわかりやすく整理しているように思われる。
あなたも一度読んでみませんか?

以下全文はおりふれ通信4月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX042-524-7566、立川市錦町1-5-1-401 おりふれの会

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