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水野憲一さん国家賠償裁判                  高裁でも完全勝利確定 !!

東京精神医療人権センター 小林 信子

 去る11月29日、上記裁判の控訴審判決があり、昨年1月31日の一審判決を上回る完全勝利が得られ、その後国が上告しなかったので、原告側の完全勝利が確定しました。人権センターもかねてから支援しているこの裁判は、「おりふれ通信」でも度々報告していますが、再度要約してみます。
 交通事故で有罪判決を受け、小菅の拘置所に収監されていた水野憲一さんが、初めての診察で長年服用していたリタリンを突然すべて切られ、訴えても処方してくれぬ苦しさに耐えかねて、独房にあった雑巾を飲み込んで自殺したという事件でした。

 水野さんはいくら精神科医療の門をたたいて処方薬をもらっても体が動かないくらいだるい日々だったものが、ある時リタリンと出会い、運送自営業をはじめ、結婚まで考える人と出会えるまでになったのです。そういう中、ある雨の日営業の車で人をはねてしまい、有罪判決を受けていました。八王子の拘置所から小菅に身柄を移されてすぐ、息子さんの自殺を知らされた母親は、国側から自殺に至るまでの経過を説明され、謝罪もされたそうですが納得できず、裁判となったものです。
 原告の訴えは、①やっと出会えた薬であるリタリンを、患者の同意なしで突然すべての量を切ったこと。②自殺企図があったので独房に移して、身辺のものを片付けたと主張するのに、小さな雑巾が房に残されていた管理責任③憲一さんの自殺を発見した拘置所の職員が適切な救命措置を取らなかったこと、に対するものでした。一審でも勝訴でしたが、国が控訴したので、判決文の中で原告としても疑問がある点を付帯控訴していたのでした。

 拘禁施設における精神科医療の問題としてとらえ、「センター」は裁判を傍聴してきましたが、被告の人権を無視した恐ろしい、医療の実態を知りました。控訴審でも、国側はちゃんとした反論もできず、判決時には国側の席は空っぽでした。また、いろいろな人が収監されている拘置所で、自殺を疑われる人はモニターで監視しているとのことでしたが、一旦、生命を危険に晒すようなことがあっても、そこでの職員は“てんかん発作”対策らしきものはできても、救命救急の措置などできないし、訓練もほとんどやっていないことがわかったのでした。別の建物にいる医者が駆けつけるのを漫然と待っているということを知りました。

 ともかく今回の裁判は、でたらめな拘禁施設の医療や、勾留者の生命・身体の安全確保を問うために、高齢のお母さんが頑張って行ってきたものでした。寿美子さんというお母さんは、近隣の友人やサークルの人たちのとても幅広いサポートを受けていて、「市民の底力」を感じました。精神保健の裾野で働く私としても考えさせられたことがありました。なくなった憲一さんがリタリンの長期服用者であったことを知った時、チョッと腰が引けました。しかし憲一さんはいろいろな医療機関を巡って、診断名も定まらないまま「残された最後の手段」として処方されたリタリンにより、生活が180度好転したということです。この裁判の支援者の中には精神医療ユーザーのご家族も少なからずいて、娘さんがいろいろな薬をどんなに試しても結局具合がよくならず、自死してしまったことを述べていた方もいました。「折角リタリンと出会えたのに残念だったですね」と話されていましたが、99人には害があっても、1人には劇的なよい効果をもたらす薬があるということも覚えていなければと思うと同時に、精神疾患(他の病気も同様だが)は結局ブラックボックスの要素があるのだということも忘れてはいけないことです。
 
 裁判で勝利する機会の少ないこの分野では、とてもうれしい完全勝利結果です。頑張った原告であるお母さんにおめでとうございますの言葉を送りますが、息子さんは戻ってこないのです。法務省はこの判決を真摯に受け止めて、医療体制や職員をもっと開かれた環境で働いてもらい、専門家のトレーニングを充実させ、塀の外の社会とのギャップをなくす作業に1日も早く取り掛かってもらいたいと願うものです。

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退院支援施設をめぐる厚生労働省との話し合い

七瀬タロウ(精神医療ユーザー)

 11月30日、伊藤哲寛先生もお招きして商工会館(15時~17時)で行われた、対厚生労働省陳情の概要をお伝えいたします。厚生労働省側の出席は、佐々木係長、課長補佐、他1名。
 最初40分間は、伊藤哲寛氏によるレクチャー形式の具体的経緯と問題点の説明
・1954年「第二種病院構想」(生活保護世帯向けの安上がりな病院)→日精協もふくめ大反対
・1958年「緊急救護施設新設」→悲惨な状況、ほとんど退院者なし。現在は普通の福祉施設となり、存在しない。
・1968年~「中間施設」構想は当初、精神・神経学会も提案していた。当時の医者は福祉に対する不信感があった。学会内でも論争。「終末施設になるのでは」という反対論、「医療の傘論」(医療サイドが患者の面倒を見るべきだ)が優勢だった。
 その後、やどかりの里等市民運動としての社会復帰の動き、家族会による共同作業所運動、当事者による自助運動、患者の権利擁護運動が広がる(患者の市民としての復権)。現在では、患者のエンパワーメントこそがリハビリテーションのうえで一番重要(医療リハビリモデルの限界)。なお現在点数化されて病棟内で行われている作業療法やSST等はほとんど退院促進には効果がない。
・1995年日精協「心のケアホーム」構想→病院敷地内、無期限。厚生労働省も難色を示す。現在でも日精協はこの案に近いものを求めている。
・1999年福祉ホームB型事業化→病院敷地内に社会復帰施設を認める。在所期間の歯止めあり。しかし、結果的に福祉Bの在所期間は長期化。社会復帰施設としてはほとんど機能していないのが現状。なお、実態調査のデーターが最近存在しない。
・2006年障害者自立支援法の「特例施設」として「地域移行型ホーム」「退院支援施設」構想。

 伊藤哲寛氏から、厚生労働省への質問「何故、退院支援施設構想が出てきたのか」に対し、厚労省側の回答は、退院促進のための「一つのオプション」論
 伊藤哲寛氏からの疑問提示として、この構想に手を上げるのは、多くの社会的入院患者を抱え、もはや、看護婦不足等で、経営が成り立たなくなってきている、退院促進にも不熱心な「劣悪病院」ではないか?また、社会資源が不足し、「社会復帰」にも熱心ではない自治体が、社会的入院の安易な解消策として、飛びつくのではないか?→終末施設になる可能性が極めて高いのでは?
 そのような病院やそこのスタッフで、退院促進が進むとは到底思えない。自分も道立緑ヶ丘病院で40人規模の社会復帰施設を担当(自分としては反対したのだが)、17人のスタッフで「1年間」と期間を厳密に決めて行った。現在は利用者はほとんどおらず、一部ショートステイ利用があるのみ。結果的に見て、全く不要だったと思う。あらたなハコモノに税金をつぎ込みのではなく、(退院促進の)システムに予算をつけるべき。

以下、参加者からの発言
・墨田区では、退院促進予算600万円、一方退院支援施設には一ヶ所1億円。これは、全くおかしい。
・実際に20年、30年と長期入院している患者とあって欲しい。
・今回の案は机上の空論。現場をあまりに知らなさ過ぎる。
・諸外国を含め、今回の構想には、科学的エビデンスが、全くない。4月1日実施を凍結し、いっそ、同じ一億円で、モデル事業(「退院支援施設」と「退院促進事業」)をそれぞれ、行って、有効なほうに税金を投入するようにしたらどうか?
・役人は2~3年で異動するが、こちらは一度出来てしまったモノに、長期間拘束される。たまったものではない。
・社会資源そのものが「自立支援法」の影響で、経営困難になっている。それに輪をかける「反リハビリテーション施設」(リハビリテーションとは、医療モデルではなく、人間としての尊厳の回復の意味)。
厚生労働省の回答:現在退院促進に関する諸事例を収集しているところ。
なお科学的エビデンスに関しては一切回答なし。

その他
共有出来る認識は共有すると言うことで、学習会を提案したが、キャンセルになり結局陳情という形を取った。反対派に厚生労働省の会場を貸す必要はないという声も耳にしている(厚労省側は否定、あくまで会議室が空いていなかったからと回答)。高いお金をはらってこの会場を借りた。今後も陳情と言う形をとるが、会場は厚生労働省内で、また、もう少し上の立場の人間に出席して欲しい。

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あきらめるのは、まだ早い!!  11・19緊急学習会報告

堤 愛子(NPO法人 町田ヒューマンネットワーク・東京都町田市)

11月19日(日)に、「町田の障がい福祉の明日を考える、みんなのフォーラム」主催で緊急学習会を開催しました。サブタイトルは「あきらめるのは、まだ早い!」
10月初めに受給者証が届いた人にとっては、「60日」の「不服申し立ての期限」が迫っているので、この時期に「不服申し立て」のノウハウを学ぼうというものです。雨にもかかわらず、50人近い人たちが集まりました。

私自身は「不服申し立てあれこれ」と題した話(下記参照)をしたほか、自分自身がサービス水準が半分以下になるという事で、非定型審査や資料開示、区分変更など、さまざまなアクションを起こしてもとのサービス水準に戻ったという体験談を話しました。

以下全文はおりふれ通信12月号でお読み下さい。ご購読連絡先:FAX03-3366-2514、新宿区西新宿7-19-11児玉ビル301 おりふれの会


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