新春の松島を論じて瑞巌寺庫裡に及ぶ
岡本省三
しかり、過剰な期待は必ず裏切られる。しかしながら、松島が私を裏切ったのは思うに「過剰な期待」の故のみではない。
三百余年前この地を訪うて、その勝景洞庭西湖も及ばず云々と見て来たようなウソをついたご存知の大胆な文人(注1)以来の、この多島湾の地質植生上の変貌を(良くは知りませんが)無視することは出来まいし、何しろ白波蹴立てての「観光船」からのオペラグラスではそもそも太刀打ちも何もあったものではない。が、それらには大胆に目をつぶり、松島が私を裏切った故を以下に述べる。
島々その大小と形状に違いはあれど、どの島も樹齢、樹形さも似て密生する赤松にすっぽりと覆われ、いずこも同じ単調さ。と来ては往時この地を天下の勝景たらしめたらん「変幻目を奪うの妙」今や求むべくもなく・・・と大見得を切ってはみたものの、「半日和船を泛べて」の島廻りも、「小高い要地を占めての擅いままなる」鳥瞰も相叶わず、とあっては最初の意気込みどこへやら、この一文恥ずかしながら龍頭蛇尾とは何とも致し方なし。トホホ・・・
いやいやかくてはならじ。急ぎ陣を立て直していざや、やってみましょう!!
建立以来四百星霜、壮大な寺域遺構を今に留めるとおぼしき瑞巌寺(1609年)(注2)。今や亭々たる老杉これに加わって、その森厳その美、実に言うべからず。これに加えて新春というのに(多分)初詣を謝絶して、人影疎ら。その見上げた見識お見事とくれば、あとは近頃とみに大盤振る舞い甚だしく、始末に負えない世界遺産とやらには間違ってもご指名になりませんように。ナンマンダブナンマンダブ・・・・・・・・・しかし待てよ。頃はあたかも良し(いや「悪し」かしらん)、慶長「権現造り」の全盛期、これはイカンとハラハラしましたよ、ホント。
果たせるかな本堂、ぐるりと欄間にめぐらしたるかの浮彫群!(国宝なれど、ワザワザここまで見に来るにも及ばず。)ここで驚くべし昔日の極彩色すっかり褪色剥落するにまかせて「悪趣味」の毒気に当てさせるのを防ぐ用意と見たは、これまたご見識。いやご立派、ご立派。
さていよいよ目を転ずれば、左手なるは国宝(注3)庫裡(「台所」ですな)。東向き正面は大屋根の反りも程良い質素な切妻造り。形ばかりの如意頭こそあれ大きな壁面、目にも爽やかな総白壁。あとは縦と横に廃された素木のみ、と一見単純なるごとくしてさに非ず。素木も今や年経て黒黒として白と黒の対照の妙言はん方なく、しかも素木上方に至るに従い、やや繁を加えしめ、かつその交わるところ横木下向きにふくらみを持たせて単調の嫌いを避けたるあたり、実に感に堪えたる工夫の冴え。
しばし立ちつくして動くも能わず、ようやく横手に廻って大屋根の拡がりに目を遣るに、ヤヤヤ、はても異様な一工作物、やや前寄りに直角に鎮座しておりまする。これ実に武者返しまで備えし小天守最上層の構えにして、その入念な入母屋造り威厳に満ちて静まり返り・・・いや実以てまさかこれほどとは・・・
あたかも良し、霏々として降り初めたる雪に風も加わってのその風情、にわかには去り難く、傘傾けて振り返り振り返り名残を惜しんでの新春の旅、目出度くオシマイと相成りまする。(完)
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