ピアサポートグループのこと/日本精神障害者リハビリテーション学会@大阪に参加して
石井真由美
私が立川りらくに参加している理由は、ここで退院促進活動をしていたからです。
私は17歳から5回入退院を繰り返しています。一番短い入院期間で一ヶ月、長くて二年間です。この入院体験、入院生活がいまだに私へ様々な影響を及ぼしています。その中でも、当時、長期入院していた仲間や亡くなってしまった仲間のことは、ふとしたことで強く思い出したり、ぼんやり感じたり、名前を次々あげたり、私の中にずっと居ます。そうすると、感覚がボーッとしたり、感情が乱れたり、罪悪感や無力感に襲われたり、辛くなることが多いけれど、どうしようもなく皆に会いたくなって寂しくなったり、仲間のおもしろい口癖とか思い出して一人で笑ったりすることもあります。
私は今、病院から出て一人暮らしをしているけれど、皆どうしているか、まったく想像がつきません。だから、当時のまま、ずっと皆は私の中に居続けています。そして、私もそこから離れることはできません。だから、私が抱えている真ん中の苦しみ(もっと詳しく書いたほうがいいだろうか。でも書くと余計こんがらがると思う)に直接触れる、りらくの活動に恐れや動揺を抱きながらも強くひかれました。
初めてT病院を訪問した時、入院患者さんたちと向き合って、自分と何が違うのかよく分かりませんでした。特に大きな違いはなくて、どうして患者さん達は中に居て、私は外で暮らせているのか謎です。でも、ならば、どう考えても現在、長期入院している仲間達は本人の問題よりも、外側の環境や条件が整えば誰でも退院するチャンスはあると、社会的入院の意味を実感しました。
現在のりらくは、病院へ訪問し、直接入院患者さん達と交流する活動しかしていませんが、やはり、気持ちだけ退院促進しようとしても、社会的資源、受け皿の問題が整わない限り、上手くいくはずがないという当然の壁にぶち当たっています。
もともと社会的入院を強いられた人達なのだから。
でも、一度にすべての問題を私達が触れることは無理で、役割分担的に病院訪問のみを行っていました。けれど、最近りらくメンバーの中から、入院患者さんへ、なるべく新しい正確な情報を提供するためや、退院後の生活までを見通し、作業所やグループホームの見学、連携等、活動を広げていく必要があるぞという気持ちや考えが生まれています。だってあまりにも社会的資源が乏しいからです。退院後の生活は、私達の問題と重なるので、これは他人事ではなく私達自身、再入院せず、安心して地域で生活するために役立つ活動になると思います。大阪の研修に参加することで、また一段とこんな気持ちが刺激され強まったようです。
12月3日、大阪で行われた日本精神障害者リハビリテーション学会の「希望は足もとにある―語り合おうピアサポート」というシンポジウムに参加しました。
当事者が4名と専門家1名が、ピアサポートをする中で、大変なこと、得られること等を、自分の体験と共に話してくれました。4日のシンポジスト澤居さんの話はとても心に残っています。入院中、包布交換やお風呂の日で、曜日の感覚はあれど日にちの感覚がなくなり、何だか知らない間に時間が経っているというのは、もうまさしくその通りと思います。(私の病院は水曜日が包布交換だったよ)
この頃「当事者活動は大阪に学べ」という言葉を何度か聞いていました。実際、シンポジウムに参加し、大阪の仲間は苦労を抱えつつもエネルギッシュで、活動内容や、範囲も様々な広がりを持っているようでした。例えば、どんな利点や不都合さがあるか、まだ勉強不足でよく分かりませんが、大阪ではピアサポーター・ピアヘルパー・ピアカウンセラーが制度化しているそうです。
「どうして大阪はこんなに活動が活発なのだろう」という疑問を抱いたのは、私だけではなく、質疑応答でこの質問をされた方がいました。
すると、シンポジストの方が、大和川病院の事件のお話をされました。行政、病院、施設、家族、地域、の身勝手な必要を満たすため、入院患者達に自分達が負い切れぬ責任を押し付けた結果、最悪の事態、事件が起きた。起きていたけど隠されていた。この悲惨な事件を踏まえ「二度とこんなことが起こらないために」という反省のもと、活動が強まっていった流れを教えてくれました。とくに、行政の責任は大きく、それらを問うため、オンブズマン制度をつくり、当事者が自分達のことを決める会議には「当事者抜きで当事者のことを決めるな」と、どんどん参加していくようにしているそうです。また、病院の質の向上を求め続けるため、病院の保護室などをチェックし、入院中の患者さん達と話す機会をもつ等、より開かれた病院づくりにも大きな刺激を与え続けているようでした。
こんな事実にしっかり向き合ってしまったら、ちゃんと見て感じてしまったら、もう見ない振りをする方がよっぽど見えないエネルギーを使い果たすことになるのだろうと感じました。「やるしかない」「なにかできることをやるしかない」と、突き動かされます。私が、りらくの活動にひかれた原動力もここにあるのだと何となく感じます。
あまりにも強烈な体験をしてしまうと、焦燥感や痛みから、その体験に体を奪われることがあります。なるべく、自分でもコントロールし、限界を踏まえ、病気、症状のケアは怠らないよう心がけていますが、どうにも止まらない時があります。
こうなる時は、仲間や信頼できる人たちに注意してもらいます。
私は今、アパートで一人暮らしをしているけれど、病院から脱出して十数年経っているけど、ずっと外で住めている感覚を持てずに、長いことあの世とこの世の狭間で生きています。だから長期入院している患者さん達が包まれている感覚は、本当は外に出ても拭えないと思ってる…。でも、私は入院生活より、外の生活のほうがいい!
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