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連載第6回「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田公子

○亡き母のことば
 昨年春、私の母は3年間の闘病の末、亡くなった。その母が生前、私が中・高生だった頃から幾度となく言っていたことばがある。「この世の中、誰一人として同じ人はいないんだからねえ、不思議なもんだ」。私はそのことばに何かを感じながらも「そういえばそうだなあ」くらいにしか受けとめていなかった。それが、このところようやく「本当にそうだなあ」としみじみ思うのである。そして、ウーマンリブを生きた田中美津氏の「大したことのない、かけがえのない私を生きる」ということばと重なり合って私の心に染みる。まさに人は誰一人として同じであることはなく、他者と比べることの出来ないかけがえのない存在なのだと。
 また同じく病いを抱えていても、そこへ至る過程も回復していく過程もそれぞれ違っており、専門的知識や自分の経験だけで「分かったつもり」になることは、戒めなければならない。「当事者職員」といえども、である。だからこそ、繰り返しになるが人は互いにたやすくは分かり合えないこと(=限界・壁)を前提にした「距離」をもちつつ共感していこうとする姿勢が必要なのだと思う。

○ただただ関心を寄せるということ
 この頃、またよく思い出すことがもう一つある。作業所を開設した当初の頃、プログラムの一つとして小グループに分かれて自分のこれまでの体験・生活を話すという場をもった。そこでは、自然と職員も自分のことを語ることになった。何人かのメンバーが話した後、自分の番になった。私は緊張した。何しろそれまで勤めていた精神病院においては、院内誌(文集)に寄稿するぐらいしか職員である自分が自分を語ったり、さらけ出したりする場は殆どなかったのである。そんなわけで緊張していた私が、何とか語り続けることが出来たのは、専門学校を出て入職し20歳になったばかりのKさんが私に向けてくれた「目」があったからである。その「目」は、私に「関心を寄せてくれている」、力をもった目であった。それは興味本位の「関心」では無論なく、医療・福祉の従事者、支援する側が陥りがちな相手を観察したり把握しようとするような「関心」でもない。「ただただその人に関心を寄せる」とでも表現したらいいのだろうか。人はそのような姿勢に支えられ、自らを語ることを通して力を出していくことが出来るのではないだろうか。(つづく)

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