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WFMH(世界精神保健連盟)カイロ大会とは何であったのか

日本カナダ国際精神保健交流協議会 岡本省三

 お断り:本稿は、カイロ大会を報告すること自体を意図したものではない。それは、私にとってそうである他なかったことをご理解いただけるよう願う。しかしその一方で、今回のエジプト滞在の10日間ほど、多くの稔りを持ち帰った外国体験はなかったことも、お知りいただきたく思う。

一 分析に必要な前提
 街には兵隊が溢れ、ホテル入り口は金属探知器を備えた兵士たちの、24時間監視下にある。この国の東隣は直ちに「イスラエル占領下のパレスチナ」であり、さらには極度にバイアスのかかったイラク報道がことごとく「カイロ発」である事実が示すように、エジプトは今や世界を覆い尽くす「対テロ戦」の最前線としての特殊な位置を占めている。
 加えてこの国は、アラブ世界随一の「親米=親イスラエル国」である。その意味は1981年のサダト前大統領の死を想起することで了解しうる(編集部注:サダト氏は1978年のキャンプ・デービッド合意でノーベル平和賞を受賞したが、このイスラエル・エジプト単独和平は、アラブ世界ではパレスチナに対する裏切りと見なされ、イスラム復興主義の兵士により暗殺された)
 次の大統領ムバラク氏は、以来24年にわたって、徹底した全体主義的恐怖支配を確立する一方で、ネオリベラリズムの優等生として名高い。
二 カイロ大会の本質
 「ムバラク大統領妃殿下の御庇護の下」の今大会が、なぜわざわざ殺人的酷暑の9月上旬という最悪な時期を選んで開かれたのであろうか?
 米大統領ブッシュ氏によって全世界に宣布された「イラクに始まる民主化の拡大」に呼応して、エジプトでは実に24年来初めて行われた(100%八百長の)大統領選挙当日が、大会中日となるように設定されていた。国際的祝賀行事としてのカイロ大会! それは、連盟中枢部を固めていたUSAとURA(エジプトの正式名称)の共同制作に他ならなかったのだと推測する。
三 実態
 渡された豪華美麗プログラムの少なくとも2/3は、架空、デッチ上げであり、現地トップたちの大言壮語と人品骨柄の卑しさ。
 開会式早々、「USAにしてやられたのよ」と喝破し、件のプログラムが見せかけたることを公然と触れ回る旧知のオーストラリア人に、私は「大会そのものが見せかけだ」と早々と同調した。私達は9割方は正しかったと考えている。
 HIV/AIDS、パレスチナ・イスラエル問題、イラク問題など、政治的にセンシティブな都合の悪いテーマは、万一明示されていてもほぼ完璧に予告なしにキャンセルされた。会場が空っぽであったり、また無難なものだけが終わるやいなや閉会されたりなどなど。あとは個人的に知り合った人々からの案内を便りに出席するか、極めて果敢な少数者によりゲリラ的に敢行されたものに、やはり事前に知らされ幸運にも出席するかくらいであったろうか。これらの場合当然会場には人はほとんど居ないが、一見それと判る監視役が必ず臨席していた。
四 例外
にもかかわらず、次の如き例外を挙げることが出来る。
 最大の参加者の中、イラク精神医学会長による、米占領軍の暴虐ーそれは次々にスクリーンに映し出される正視に耐えない写真の数々が証言したーと、そのもとで精神保健システムが完全に崩壊したという悲痛な訴え。
 最終日にまさかの登場をした、N.サルトリウス教授の力と熱に溢れた講演。テーマはDestigmatization(烙印からの解放)。おそらく氏はこのテーマに余生をささげられることであろう。
五 補足
 受付カウンター間近までヒシヒシと押し寄せ、かつて知らぬほどに厚顔に派手な宣伝合戦を繰り広げた製薬ビジネスのブース、と観光業者のデスクの列。
 十指に見たぬニホン人参加者は、未知の人のみであったが、その中で英語で発言する者は私のみであった。幸い多数の親密な友人を各国に持つことが出来た。

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