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投稿 スッパ抜き!私の東京精神病院入院体験事情

老川哲美

<1990年代の長谷川病院>
 急性期病棟(閉鎖)は若い患者が多く、個室と2人部屋のみで大部屋はない。レク室でカラオケが出来たり、風呂掃除やコップ洗い等が当番制になっている。
 慢性期病棟(半開放)では、カラオケとして月2回位の頻度で、病棟内のレーザーディスクで行う。喫茶レクでは他病棟の患者と思われる白衣を着た男性数名が来て、ジュース券を配り、数種のジュースを注ぐ。3時のお茶には、いつもカフェインレスコーヒーが出る。というのは、カフェイン摂取で患者が眠れ(ら)なくなるのが困るから。連絡通路付近の1病室がリハビリ組になっており、リハビリ組のみがトイレ掃除当番を受け持つ。外国人(白人、アジア系)のセラピストが、ごくたまに来てダンスセラピー等を行い、見学もしてゆく。集団旅行があったり、小遣いについては各自あるだけ使え、自由である。
 個室にはトイレ、洗面台と覗き窓が付いている。外に面した窓ガラスには鉄格子があり、その丁度下を職員が通り、煙草の吸い殻等を見てまわる。患者のベッドの上部に“約束事”という紙が貼られる。例えば「○○さんへ、・・・をしたら抑制です」といった内容のもので、患者はサインを命じられる。
 野川周辺にある“散歩コース”には、絶えず私服の職員が居り、少しでもコースから外れた場合自転車で追いかけてきたりする。外出から帰るとボディチェックがあり、主に看護者がポケットの中などを見たりするが、靴の中などまではチェックしない。
 生活保護の患者は施設に行くか、多くの年配患者は余生を病院で過ごす様になる場合もある。

 全体的には、「重症患者でも受け入れている」とされる病院で、中庭に自動販売機数個、ベンチ、喫茶室があり、入院時CDデッキ等の持ち込みも可能(ただしコードは不可、電池のみ)で、患者一人につき担当ワーカー1人、特に若い患者には受け持ち看護者がつく。面会時にはソファーのある処でも面会できるが、面会時余った菓子等は持っていることが赦されず、捨てられる。煙草は一人当たり1日1箱位で、好きな銘柄をリクエスト出来る。またコンタクトレンズ等が必要な場合、ワーカーが業者を呼び、院内で調節して購入できる。散髪やパーマもできる。女子手入れ室(毛剃り等)は、看護室の中の仕切りカーテンがある洗面所で行う。危険物を貸し出したりもする。
 他科(内科、皮膚科等)の診察は、看護室の中で行われ、これは月数回希望者のみとされる。歯科(患者間では「腕が悪い」との評)がこぢんまりと併設されて在るが、看護者若しくは体格のいい男性職員が患者に付き添い、病棟に帰るには看護者等が迎えに来る迄待たねばならない。その間絶えず職員が散歩中の患者などを見張っているという状態だった。理不尽なことをした看護者が、内科病棟に回されたりしたことはあった。
 入院患者の間では「もうお金がない」という声が多く、差額ベッド代として個室は1日1万円、大部屋で5千~7千円かかった。
 ナースコールは全ベッドに付いている。拘束の場合、大抵は尿カテーテルを使用するが、男性職員の前で女性患者がオムツをさせられたとの声も聞く。拘束の度毎に、天井に付いているマイクロフォンで看護室にすべて聞こえるよう、スイッチを入れ替える。自殺未遂の患者には、ベッドから半身を起こすような少し変わった拘束の仕方も見受けられた。また拘束の際、男性職員が必要な場合には、電話連絡で別の階からすぐ来るようになっている。拘束の際には、特にヒモ抑制の場合、両手足首に入らねばならない間隙は指2本位とされていた。患者からは、拘束と投薬量の多さが特に云われていた。
 警察というよりは民間警備会社からの委託を受ける。長谷川病院が、家族等に警備会社を紹介していることもあり得る。また家族が望んでも、なかなか退院させて貰えないケースも多い。退院時にも、「器物破損、大量服薬等の自傷行為、家庭内暴力のいずれかが出た場合、再度入院することをお約束します」などの再入院の契約書にサインをさせられる。この契約書に患者がサインしなければ退院は出来ないと言い渡されていた。大抵の患者は再入院の繰り返しである。
 特色としては、看護者が頑張り、医者はおまけに付いている様な病院と言える。

<1990年代の関東中央病院>
 1980年代末に、白壁から薄ピンク壁の病院に新築され、広い中庭を持つ総合病院となった。他科の病棟だが、当時流行した安達祐美主演のドラマの舞台にもなった。
 男女混合の開放(午前6:00~午後9:00)病棟で、実習の学生も多く来ていた。外食、買い物も自由だった。週間プログラムとして、毎日様々な療法が組まれていた。砧公園や馬事公苑への集団散歩もあり、砧公園内の世田谷美術館にも出向けた。個別に患者と看護者、或いは患者と医師が私服で一緒にお茶をしたりする自由な雰囲気もあった。また看護者からの差し入れが患者に振る舞われることもあった。
 長谷川病院と連携プレーをしており、交互に再入院する場合もある。そうした場合、警備搬送会社を患者の家族に伝え、自宅から病院へと患者を移送する。
 PICU(精神科集中治療室)→個室で身体拘束することもよく行われていた。週1、2度清拭といってお湯で絞ったタオルで身体を拭いてくれたり、看護者が本を読んで聞かせてくれることもあった。拘束される期間が半年くらいになると足が立たなくなる。病室内に畳を敷いてもらい、その上に座ってラジカセを聴いたりした。別棟の理学療法室に通いリハビリをしていた。
~事件として~
 いわゆる思春期病棟だが、当時の若手の男性医師3人(今現在は3人とも居ないー1人は死亡、2人は開業した)の患者に対する全面的な暴力が絶えなかった。首を片手で締め上げる、押さえ込み口をふさぐ、バットで身体を打つなどである。若い男性患者が医者に歯をへし折られた。入院の際、患者が職員に殴られた後注射をされ眠った現場を目撃した他の患者に、看護師が「見たくないでしょう」と告げていた。中高生の患者は我慢し、というか事態の大きさに怯え交番に行か(け)なかった状況である。知的障害を併せ持つ若い女性患者も入院していたが、この人も顔面を殴られ鼻血を出したり、他の若い女性患者も顔面打撲の怪我をさせられた。私自身も、顔を机に数回ぶつけられたり、うつ伏せにされ背中に乗られて、頭を床に打ちつけられたり、首を片手で掴まえられて棟内を引きずり回されたりした。看護師長が「哲美(私)を殺さなきゃ」と変な注射を打たれそうになった際、他の看護師と主治医が止めてくれたこともあった。(自分の体験を語るのは辛いものです)。またこれら医師の1人が自分の受け持ち患者の胸を触るとか、男性患者から女性患者へのセクハラ等も見えない処で多々あった。

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