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連載第5回「当事者職員」として働いてみて‥その後

久保田 公子

○揺らいでもいい(?)
 私はかつての職場では、職員間の人間関係でどんなに悩んでも、憤っても、「感情的になったら負け」という想いで自分の感情を押し殺してきた。また作業所では「完璧な」責任者であろうとしていた気がする。私を信頼してくれていたあるメンバーから、「欲を言えば、もっと隙を見せて欲しかった」と評されたこともあった。当時のそんな私は今から思えば揺らぐことのない、弱さを見せることのない、メンバーによっては冷たくさえ感じる職員だったかもしれない。またそこには、職員(=支援する側)は的確な判断のもとに「支援方針」を考えたり「課題を把握したり」するもの、という福祉の領域での一般的な意識が背景にあったと思う。そんな私が、スタッフ会議で自分の発言が伝わらないもどかしさのあまり号泣したり、利用者とのかかわりの中でも泣いてしまうことがある。

 ある日、Bさんと職員の間でトラブルがあった。私はBさんの担当職員であり、私とのトラブルもかつてあったが、私も謝るべきことは謝りBさんも謝ってくれた。そんなこともあり私とBさんとの間にはある程度の信頼関係が出来ていると私は思っていた。そして何よりやさしい絵と文章を書くBさんを信じたかった。だからBさんの行動には何か理由がありそれをまず聞きたいと思って声をかけた。しかしBさんは「私をこれ以上責めないで」とうずくまり、話し合う時間をもつことを拒否した。「責めるのではなくその時の気持を聞きたいのだから」と何度言っても頑なに拒否するBさん。私は「なぜ?」という想いがこみ上げ、泣き出してしまった。ひたすら拒否して顔さえ上げてくれないBさんに向かって私は泣きながら、「これまでいろんなこと話してきたじゃない、私の言うことも聞いてよ」と声をふり絞って言った。その途端、Bさんはキッと振り向いて私の顔を見、「分かった」と言ってくれた。私はBさんと気持が通じ合ったことに安堵したと同時に、自分自身に驚いた。そしてきちんと向き合えば、揺らいでもいいんだ、と思えた。一緒に悩み、時には揺らいでもいい、と。

 また私自身が今に至るまで回復してこれたのは、誰かが「的確な支援方針・page001方向性」を示して対処してくれたからではなく、「職場を辞めたい、いやもう少し続ける」と何十回となく繰り返し続けた揺れにパートナーや友人たち、主治医などが一緒に悩みつき合ってくれたからこそなのである。(つづく)

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